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リスボン (4) ベルンへ カスカイス海岸への私鉄ターミナルのカイス・ド・ソドレ駅まで地下鉄で移動して、そこから市電に乗る。いくつもの路線の市電とバスが、どんどん入ってくる。15番の市電が一番いいのだが、みんな次に来る番号がわかっているような行動をしている。何でだろう? と思っていたら、小さな電光板に次に来るのバスの番号が標示されていた。なあるほど!リスボンの市電は、みんな片側にしか運転台がない。終点で方向転換せずに、線路が丸くなっていてぐるっと回るのだ。新型市電と2両連結のバスとは乗り心地はほとんど変わらなかった。ホントにスムーズに走るものだ。ジェロニモ修道院の前で降りる。観光用トラムもあったのか。「ジェロニモ修道院と、ベルンの塔」は世界遺産。とても立派なものなのだが、以前の旅で中へ入ったので、今回はパス。実は、ベルンの塔も行かなかったし、エンリケ航海王子の「発見のモニュメント」も、遠くから眺めただけ。ごめん!私鉄の線路が邪魔していて、地下道を渡るのが面倒になってしまって。電車が結構走っている。夕刻で写真は無理になってきた。ループ線を市電がぐるっと回ってるのを見て満足満足。あと、リスボンの市電博物館の場所も見つけたので、この日は無理でも今度こそ、時間を合わせて見に行くことを決めた。
2007年05月31日
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リスボン 3 ケーブルカーに会いた~い!リスボンらしいといったら、ボクには路地奥のケーブルカーと、思っていました。リベルダーデ通りからの脇道に右と左にあるはずです。まずは、インフォメーションの近くの、むむ? なに、これ?人々は坂を歩いて登っています。この囲いの中に ケーブルカーは囲われていました。いつ直るのかわからないけど、休止中でした。残念! 残念。 気を取り直して、右側へ。裏通り、行き過ぎてしまって、戻ったら、ありました。何で真ん中に仲良く並んでるの?下側だけスカートが長くなっていました。実は、この張り出した建物の改装工事の囲い 、、、これが運行の邪魔になってるみたい。丘の上の駅はしっかり鍵が架かっていて出られません。営業していないのに、こんな鍵架ける意味なんてないのに?ここも運休中なんです。ポルトガルの人々はなんとものんびりしています。現在残っているケーブルカー3路線のうち2路線が、理由はともかく、運休なのに、文句言っていないみたいです。他にも、ポルトガル国鉄のメインステーションであるロッシオ駅も2年前からの工事が、未だに終わらないで、まだ工事中なんですから!日本人なら、苦情の荒らしですよね。ぶつぶつ、ガッカリしながらも、ケーブルカーから脇道の階段を上ります。海軍士官として来日し、作家として徳島に住み、没したヴェンセスラウ・デ・モラエスさんの生家が、この丘の上にあるというのです。(恥ずかしながら、ボクはこの方を知らなかったのですが、)2階建てのアパートに、この小さなタイルの銘版が貼ってあるだけでした。ガッカリ!(でも、このガッカリが、後でコミニュケーションの役に立ちました。)せっかくなので、丘の上の公園経由でぐるっと回りました。町歩きは好きなので、遠回りになっても、こんな所に通じてるんだ! という発見が楽しいです。この日は、動いているケーブルカーに乗れませんでした。
2007年05月30日
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リスボン 夜景(2)コメルシオ広場この広場の門に当たる建物の大きさはたいしたものです。あまりいいデジカメでないので、夜景は苦手です。こんなトラムが現役で走っています。ここバイシャ地区は、碁盤の目のようなほぼ歩行者天国のようなショッピングタウンです。この辺のバーは、通りの真ん中にテントのような出店を出しています。やっぱ、青空の下で飲みながら食べるのは、気分がよかったです。レストランもあります。レストラン派でなくてごめんなさい。楽しくショッピングも楽しめます。なんの役にも立たなくなったエレベーターが、今も観光名所として残っています。(なんとも不思議です) このあと夜にもかかわらず、市電で、アルファマ地区に行きました。約250年前の1755年の大地震でも崩れなかったアルファマは、迷路のような階段だらけの古い町です。以前に訪れたときはホントに迷子になりました。ファドのメロディがどこかからもれて聞こえないかと歩き回りましたが、ただ暗いだけで、残念ながら徒労に終わりました。うまい具合の写真も撮れず、残念の一言。(夜のアルファマ地区は、危険情報の場所ですので、よい子の皆様はまねしないで下さい。)
2007年05月29日
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リスボン LISBOA ここフィゲイラ広場、ロッシオ広場周辺には多くのホテルがある。その中でも、広場に面した格安ペンサオン・ベイラ・ミーニョ。食事なし。この交通便利さ、この風景が手にはいる、とってもお買い得。((※注意)フィゲイラ広場の裏手のホテルは、夜非常に環境の悪いところがありました。) ロッシオ広場周辺 リベルダーデ通りは、なだらかな坂になっていた。
2007年05月29日
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アルファ・ペンドラール ポルトガル鉄道唯一の特急です。ポルトとリスボンの間を走っています。アベイロから、アルファ・ペンドラールで、リスボンへ直行した。そんなに距離が離れていないし、インターシティでもよかったんだけど、アルファ・ペンドラールに乗る機会はこの時しかなかったので奮発した。ポルトガルの鉄道運賃は安いのだけど、アルファ・ペンドラールはちょっと高め。この車両は、イタリアの振り子列車ペンドリーノだ。ボクはこの車両もあまり好きではない。窓の上下が狭くて、なんだか車内が暗く感じる。ポルトガルの線路はほとんどまっすぐで、ペンドリーノのカーブを速く走る機能が生かされていないように感じた。第一この狭い国土でそんなに速く走る必要があるのだろうか。この国はゆっくり生活がいいのである。 リスボンの 新しい駅 オリエンテ駅。この駅の方が地下鉄と接続しているので悩んだが、結局降りずに終点 リスボア・サンアポロニア駅まで乗った。リスボア・サンアポロニア駅ここから町の中心までは、バスかタクシーか、歩き。 おまけ
2007年05月28日
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三浦半島 観音崎ハイキング目の前に見えるのは、観音崎灯台ではなく、「東京湾海上交通センター」です。観音崎ハイキングは、ここからスタートなのですが、ボクたちは、馬堀から歩いてしまって、横須賀美術館も見たので、浦賀まで歩くつもりでしたが、あと少し、観音崎灯台のハイキングで終わりにします。このあたりでは、もうすでに海水浴の人もいました。バーベキューも多くの人が楽しんでいます。海中展望船、、、海の底はキレイなのでしょうか?ここから、戦艦三笠までの航路が出ています。なだらかに階段を上っていくと、灯台が見えてきました。観音崎灯台です。3代目だそうです。ここの初代は、日本最初の灯台です。明治2年(1869)1月1日点灯したそうです。フランス人技師ヴェルニーが幕府の依頼で設計したそうです。映画「喜びも悲しみも幾年月」(1957年)の舞台になったそうで、点灯するためには人力でおもりを持ち上げ、そのおもりが下がっていく間、灯台の明かりが点滅するという大変な仕組みだったそうです。入場料150円灯台の電球です。小さな展示室ですが、技師ヴェルニーや、灯台の仕組みがわかる展示がありました。灯台を出て、断層に間を抜けて、下ってしまいました。ホントは、ここからでも、東京湾海上交通センターを経由して、丘の上に、砲台跡や、見晴台、戦没船員の碑とか、こどもたちが喜びそうなトランポリンとかがあります。そのまま下って、自然科学博物館へ抜けました。ここでもバーベキューの人々がいました。浦賀まで歩こうかと思いましたが、ちょっと休憩していたら、バスが来る時間になったので、予定を変更して帰ることにしました。
2007年05月24日
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残念なニュースが入った。 イギリスのロンドン南部・グリニッジに保存展示されていたカティサーク号炎上が炎上した。ここは、グリニッジ天文台があった場所のテームズ川岸で、テームズ川クルーズの終着点。1869年建造の鋼鉄帆船で、強度が保たれていれば、たまたま修復作業中で、主な部品は別の場所に保存されているので、再建できるかもしれないとのこと。全くもって残念!放火だったらとんでもないことだ。ボクがここをお邪魔したのは、1999年。ケンジントンパークとハイドパークを散歩するのに時間をとられてしまったので、カティサーク号の上には乗らなかった。こどもたちが船上をかけずり回っているのを外からほほえましく眺めたものだった。もっとよく写真を撮っておけばよかった。この日は、イングランド南部へ行く途中に寄っただけって感じでした。帆船「カティサーク」が火事で、大きな被害 (英国)2007年05月21日21時42分asahi.comhttp://www.asahi.com/international/update/0521/TKY200705210277.html ロンドンの帆船「カティサーク」で2007/5/21未明に火事があり、船を支える梁(はり)などが焼失し、大きな損害を受けた。 ロンドン警視庁は放火の可能性もあるとして調べている。 57年からロンドン南東のテムズ川沿いのグリニッジで保存展示されていた同船は昨年11月から総額2500万ポンド(約60億円)をかけ修復作業中で、一般公開が中止されていた。マストをはじめデッキの板や船内の工芸品など部品の5割は別の場所で保存されており、被害をまぬがれた。 船の建造時のままの鋳鉄製の骨組みは残っているものの、強度が保たれているかどうかが復元のカギを握るとみている。 カティサークは1869年建造された。同団体によると、現存する英国に紅茶を運んだ「ティークリッパー」と呼ばれる大型帆船としては世界で唯一現存している。
2007年05月23日
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眉山 ‐びざん‐http://bizan-movie.jp/index.html 眉山 徳島のあの山だなということは、なぜか知っていた。バルトの楽園のあたりは行ったけど、徳島市は、交通の都合でまだ行かれていない。あまり期待しないで、ちょっとだけ期待して行ってみた。 いいじゃないか。主人公は宮本信子 そして、阿波踊り。 松嶋菜々子や大沢たかおは、おまけ。 神田のお竜 、かっこいいねぇ。母一人娘一人。その母がガンで幾ばくかの命しかないと知らされる。娘は、母親に対してどう接していいのか分からない。 気っぷのいい母は最後まで弱音を吐かない。 いや、それにしても、阿波踊り いいなあ。2ヶ月も前から町はそわそわしてるんだって?本物見たことないけど、そんな町の様子も見てみたい。当日も見たいけど。高円寺の阿波踊りは見たけど、やっぱほんものの迫力とは違う。原宿のよさこいソーランも見たけど、やっぱ様式美にはかなわない。 眉山がテーマになってるけど、阿波踊り、阿波踊り! 行ったことがなかったのが残念! 一度行ってみたい。
2007年05月23日
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馬堀からの散歩は一息入れて、お弁当を食べたら、目的の一つ、 横須賀美術館 へ。ここは、2007年4月末開館のできたてホヤホヤ。ボクの目的は、 谷内六郎館大正ロマンではないけれど、昭和ロマン とも言うべき、どこかほのぼのとした 姉弟の もうなくなってしまったかもしれない田舎の風景。「週刊新潮はあした発売です」のラジオCMは、 ラジオッ子だったボクの耳に今も残っている。表紙の絵は、別になんの感動もなかった。こども向きの絵ではない。今となっては失ってしまったかもしれない風景、心象風景に、今、郷愁を覚える。自分へのおみやげに「谷内六郎コレクション120」を買った。横須賀美術館は、海からすぐの所にある。灰緑の透き通ったような建物。主たる展示室は地下にある。谷内六郎は、ここ観音崎にアトリエを持ち、晩年海と姉弟をモチーフの絵を描いた。横須賀美術館は、谷内六郎だけではない。パリから印象派の流れを持ち帰った藤田嗣治と佐伯祐三日本画も、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤島武二、岸田劉生など、そうそうたる画家の絵が並んでいた。他館からの貸し出しもあるが、ほとんどが寄贈によるものというのが驚きだ。モダンアートになるとボクも理解を超えているが、宇宙飛行士の人形がたくさん並べられた作品は圧巻だった。常設展示のこれらと、谷内六郎とセットで300円。特別展は見なかった。美術館の屋上もちょっとだけ見てみるか、 っと屋上から海が見えるのは当たり前。屋上からそのまま、裏庭、、、そしてハイキングコースに繋がっていた。左下の白いものは椅子です。 ちょっとおもしろい。山椒は小粒でピリリと辛い。ちいさいいけど、いい美術館でした。
2007年05月23日
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馬堀海岸駅から歩き出します。バスは駅から1本目の通りを走っていますが、ここから住宅街に入ります。http://www.zephyr.dti.ne.jp/~akabane/mabori.htmlここは、名前の通り、昭和のある時代までは、遠浅の海水浴場でした。ここが埋め立てられて、西武鉄道の開発で住宅街になって残念でした。が、今は、花と緑のきれいな住宅街になっています。そして、1987年には「かながわのまちなみ100選」に選定されたそうです。平成7年8年の台風では高潮の被害にあったそうで、この岩の部分はたぶん海に積み上げられた状態で、これで高波を緩和させるのでしょうか。猿島は、戦前には要塞島で一般人は立ち入り禁止でした。今は、観光資源として、防空壕などちょっと珍しい風景が残っています。戦艦三笠の脇から、猿島経由観音崎航路が、4/28より就航しました。市制100周年記念で今年いっぱいは1280円だそうです。三笠発10:30 12:00 13:45 15:15 です。猿島途中下船可能ですので、晴れた日に是非行ってみて下さい。さて、馬堀海岸から歩き出して、こちらは有料の潮干狩り場です。走水海岸です。小さな海水浴場です。写真取り忘れました。ここは、古事記や日本書紀によると、日本武尊が、房総に渡るのに波風が何日も続き足止めされ、海の神様を鎮めるため、弟橘媛命が身を投げた美しくも悲しい歴史に残る場所です。江戸湾が人の住む場所でなかったため、ここが交通の要衝でもあったのです。今では想像もできません。ここから坂を上って下ると、漁港へ出ます。ここは防衛大学校の訓練場でした。ここを抜けると、観音崎地区に入ります。ここは、「走水ボードウオーク」 というのができていました。ここでお弁当を食べました。申し遅れましたが、対岸の房総半島は馬堀からずっと見えています。ここは、東京湾の一番狭くなった場所・浦賀水道です。時折大きな船がゆっくり進むのを眺めているだけで楽しいです。岩場は、荒崎ほど激しくはありませんが、岩場風景は楽しい。ヨットも気持ちよさそうです。目で見るより小さくて写真ではうまく写りません。丘の上の塔は、観音崎灯台4代目かと思いましたが、違いました。「東京湾海上交通センター」というのだそうです。(観音崎灯台はこの裏手にあります。)実は、観音崎ウオークは、ここがスタート地点です。ここまでバスで来て、ここから歩き出すのが普通です。馬堀海岸からの散歩も、ジョギングしている人やサイクリングの人たちとすれ違いながら、それなりに楽しいものでした。
2007年05月22日
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性懲りもなく、出題。ここはどこでしょうか?久しぶりに、歩いてみました。ここは、ある鉄道の小さな駅で降りて、数分の所。波消しブロックだらけだった護岸が、こんなにキレイになっていてビックリ! こりゃ、歩くしかないな。4月からこの沖合の島を経由しての遊覧船が就航しました。ホントはこの船に乗ってみたかったのですが、出航時間に間に合わなくって。潮干狩り!まだ5月だけど、この気候なら、水の中も冷たくないのでしょうね。目的地はだいぶ先だけど、たまにはバスに乗らず歩いてみることにしました。
2007年05月20日
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長井海の手公園 ソレイユの丘http://www.yokosuka-soleil.jp/index.html三浦半島荒崎海岸の丘の上に この ソレイユの丘 はあります。ついでだから寄ってみました。ついでに行く場所じゃない? 入場料無料なので、いつか行くときの下見に。 所在地 神奈川県横須賀市長井4丁目 開園 2005年(平成17年)4月29日 営業時間9:00~18:00 年中無休 温浴施設 海洋深層水風呂 「海と夕日の湯」営業時間10:00~21:00 入浴料 大人600円テーマは、フランス・プロヴァンス地方?荒崎の手前のバス停から、なだらかな坂を上ります。三崎口から直行のバスもあるけど、本数が少ない。自家用車で行く場所かな? ここは横須賀市の一番南西に位置する。丘の上のかなり広い、21.3ha に、プロヴァンス風という 風景を作り出す。花・動物とのふれあい、バーベキュー・レストラン・焼きたてのパンなどのエリア、焼き物やいろんな体験ができる"村"、こどもたちが喜びそうな素朴な遊具。入場料は無料だが、体験や、食事、乗馬、乗物など、もちろん無料ではない。 いかんせん 連休のこの日は、人が多すぎた。広場では、大道芸をやっていたり、時間帯は違うがフラダンスとかもやっていたとか。電池が切れて写真がなくてすみません。この辺が、体験型のスペース。パンを焼いたり、ソーセージを作ったり、いろいろ楽しそうだが、申し込み制で、この日はどれも体験できず。夕日を見ながら海を見下ろすお風呂も、いいかなと思ったが、 入口が混んでいたので、入らなかった。 やはり連休に来るのは、いくら下見でもあまりいい選択ではなかった。のんびり行くにはいいかも。体験型なので、ちょっと見にインパクトはない。 この日はあくまでも下見なので、早めに退却。と思ったが、バスが来ない、、、
2007年05月20日
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アフリカンフェスタ2007 が、5/19-20 日比谷公園で行われていると聞いて行ってみました。アフリカン比率がたしかに高いです。ケバブ屋さんは、アフリカンじゃないトルコがいい場所を陣取っていて、長い行列です。おいしいけど、ヨーロッパでの方が安い。日本に来ると何でも高くなるのがいやです。アフリカンのケバブコーナーもあったけど、場所が悪くて、なかなか売れていなかった。これは豆のスープのはずなのですが、おつゆは少なかったです。クィーンズプレートと名付けられていましたが、パンも酸っぱい感じの変わった食感でした。豆のコロッケって おいしかったけど、3個で500円。そこのアフリカンは、「それお願い」と言ったとたんくらいに、となりの男に丸投げして、自分は突然おやつを食べ出した。となりの男はというと、知り合いが来たらしく、手を振ったりして、注文なんて聞いてない。「頼んだのに、まだなの?」と言うと渋々、二人がかりで準備してた。アフリカンって、こうなの?まあ、ワールドカップに来る途中で消えてしまったりする人たちだから、このくらい当たり前? おもしろい体験。小音楽堂で、ダンスフェスタとファッションショーおもしろいけど、実はみんな日本人のグループ。おもしろいのは、踊り終わってから私服に着替えても、アフリカっぽい色彩の服を着ていたこと。さすがにファッションショー は、アフリカン。 アフリカンの雰囲気を半日楽しみました。
2007年05月19日
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ドコモ2.0「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」 て、なにかな? て気になっていた。今日検索してみた。そしたら、「どこもにいてんぜろ」という変換ミスだって。笑ってしまった。(ごめんなさい)dokomo2.0 の ページを見ても、妻夫木君や蒼井優とか土屋アンナのCMばかり出てきて、中身がわからなかった。ファンにはいいかもしれないけど、中身は??
2007年05月18日
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(彩茶庵より今まさに出発しようとする松尾芭蕉) 清洲橋 元はケルンの吊り橋をまねしたものだが、現在は鋼鉄製で吊り橋ではありません。 優美な姿は残しています。永代橋の ○○××× について (前回のブログ参)なかなかコメントいただけませんでしたが、車を運転する人はご存じの、これは、車線変動のマークなのです。朝の通勤時間帯から夕刻手前までは、上り車線が3本下りが2本、夕刻からは下りが3本になるようにセンターラインが移動するのです。それを案内するために、走っていい車線の上に○がでるのです。実際に走っていると、夕刻の時間帯は、3車線目(中央の車線)は、「間違って反対から走ってくる車があるのでは」という心配もあってとても勇気が必要で、あまり利用されていません。朝の上りには効果がありますが、夕刻はあまり効果がないように思います。下りが渋滞を起こしたときには効果があるのかもしれませんが。寄り道しましたが、清洲橋側から芭蕉庵史跡展望庭園へ行きます。ここでは万年橋を渡らないといけません。江戸時代には、万年橋は木製の太鼓橋です。(広重の江戸百景に描かれる)※ そしてここは、小名木川という運河の入口です。 徳川家康が1590年ごろに小名木四郎兵衛に命令し、開削させた運河 だと、ウィキペディアに載っています。運河の両側で水面の高さが異なるので、この1Kmくらい先の扇橋閘門で、船が入るとスエズ運河のように水面の高さを変えるのです。ちょっと珍しいとこです。一度船で、閘門のところに行かなくっちゃ。おやおやまたも脱線だ。橋を渡ると芭蕉庵跡。現在は芭蕉稲荷になっています。この近所ではあるけど、ホントにこの場所だったのかどうか不詳です。(奥の細道に行く前に人に譲ってしまった)芭蕉がここに住んだ頃は、このあたりは葦の生えた湿地帯だったそうです。当時、隅田川下流、大橋(現在の両国橋)しかなくて相当不便だったようです。なので、隅田川に掛かる2番目の橋・新大橋ができたときは、芭蕉が大変喜んで句を詠んだそうです。この新大橋も、広重の江戸百景に描かれています。芭蕉・広重・ゴッホに愛された「新大橋」 (江戸・深川)http://plaza.rakuten.co.jp/lovingEuropeTrip/diary/200505250000/この裏手に 芭蕉庵史跡展望庭園 があります。階段を上ると、正面で、芭蕉が我々を迎えてくれます。休日だったので、結構遠方からの観光客の方がまったりしています。猫の額のような小さな庭園ですが、芭蕉のことが少しだけわかります。この芭蕉が動くの? と、00分になるまで待っていました。動きませんでした! 実は、動く時間はもっと後でした。※ この庭園は17時で閉園して、その15分後に隅田川向きに回転して、 夕刻からはライトアップされるのだそうです。今度見に行かないと。 ふと見ると、 隅田川に不思議なものが。 ヒミコ です。松本零士のデザインした、隅田川ラインの船だ。浅草と豊洲を結んでいる。逆光でうまく写らない。なんとも斬新なデザインだ。 この展望庭園からは、清洲橋と新大橋が両方見られます。この近くには、芭蕉記念館という 博物館があります。以前に行ったことがあるし、散歩がメインなので寄らなかった。隅田川テラスはまだまだつづきますが、ここで離脱します。ここから 清澄庭園脇の清澄公園を抜けて、最後の目的地へ行きます。 深川芭蕉庵を引き払った芭蕉は、ここ、彩茶庵から千住~奥の細道へと旅立ちます。彩茶庵は、この座像があるだけです。※※ この日5/16は、「旅の日」だそうです。1689年の5月16日(旧暦3月27日)のこの日、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅のため河合曾良を伴い、彩茶庵(弟子の庵)を出発したことから、昭和63年日本旅のペンクラブが制定した記念日。 行く春や 鳥啼魚の 目は泪 東北・北陸のこの旅は、全行程約2400km。奥の細道は大垣までの行程。芭蕉は1691年に江戸へ帰還した。
2007年05月16日
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かわいいパンダが飛んでいた。駅でこの間見かけていたのだけど、写真写し損ねていた。http://www.ana-pr.jp/blog/cpn/comment.php?_id=102その名も 「FLY!パンダ」なに?それ! それって、フライパンだ!全日空も、安上がりのキャラクター飛行機を作ったものだ。ANA中国線就航20周年を記念して公募したんだって。今年8月から 北京線や広州線に 就航予定だって。フライパンだ! あはは なんてネーミングなんだ。
2007年05月15日
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永代橋からちょっとベンチで休憩。持参したお茶とねじり揚げ煎餅を食べていると、スズメが1羽2羽飛んで寄ってきた。知らん顔していたら、ちゅんちゅん とおねだりする。小さくしてあげるとだんだん増えてきた。ハトも寄ってきたので、大きめのをあげるがつついて落とした隙にスズメが丸ごと持って飛んでいく。大きいままあげても、1羽でくわえて持っていってしまう。食べきれない分相当あげたが、後から後からお客さんが。ハトは要領悪くて食べそこなっていた。はは。ここで問題です。この永代橋の ○と× なんだと思います?永代橋をくぐると、実用的な二段式の橋・隅田川大橋。これは上が首都高速、したが一般道です。左手の先が、T-CAT 東京シティエアターミナル と箱崎インターチェンジ。ここから清洲橋はすぐそこです。ケルンの橋をまねたデザイン。ケルンの橋はもっと大きかったぞっと。橋を過ぎたところに 芭蕉の小公園があります。(この写真の右手の部分、わからないかな?)芭蕉庵史跡展望庭園 なんだけど、なんと、芭蕉座像が回るってうわさの。ホントに回るの? (つづく)
2007年05月14日
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越中島の明治丸を訪問したあと、隅田川ベリのテラス散歩を始める。東京海洋大学の敷地の一部(外側)相生橋のそばに、明治天皇聖跡記念の石碑が。1944年(昭和19年)6月に深川区民の2600年事業として、明治天皇聖蹟記念碑の除幕式が行われました。この場所が明治初期に越中島調練場だったとき、明治天皇はこの地に来られ、親しく閲兵されたことを記念して本学に隣接した相生橋のほとりに建立されました。 海洋大学のHPより www.e.kaiyodai.ac.jp/hs/m/hs11.htm明治天皇聖跡の高いところに猫ちゃんが、世の中のことなどどこ吹く風でのんびりとしていた。こっち向いてもらおうと、にゃあお!と叫んだらようやくこっち向いてくれた。さあ、相生橋のたもとから、中之島公園へ下る。 中之島公園は、釣り人たちがボラ釣りしていた。向かい側はいつの間にか高層ビルが多く建ちだした豊洲。相生橋をくぐって、また上って、越中島プールの脇から、隅田川ベリのテラス散歩です。ちょうど水上バスが行ってしまったので、クルーズはあきらめ、予定通りの散歩です。中央大橋が向こう岸に見えます。永代橋は見えましたが、水門があるのでテラスからいったん大回り。この辺にはあちこちに水門があります。永代橋まで来ました。 (つづく)
2007年05月12日
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明治丸ってご存じないと思いますが。先日の散歩をここから始めました。ここは、東京・越中島・東京海洋大学の構内です。清澄通りを車で走っていると、帆船が置いてあるのは多くの人が見かけていると思います。ボクもその一人で、今までそばに行ったことがありませんでした。校門から入って、守衛さんに聞きました。「今日は祭日なので内部公開はしていませんが、そばまでいって眺めるだけならいいですよ」と快く入れてくれました。 ここは、元・商船大学だったのが、合併して、東京海洋大学(国立大学)になったものです。校舎もなかなか古いものがいくつもありました。芝生の間にコンクリード詰めされていましたが、なかなか立派な船です。全長73m・幅9m・1027t。なかなか全体を入れる写真が撮れません。なんとこの船は明治初期の生まれだったのです。日本政府の発注で、明治6年(1874)英国グラスゴーで建造された船です。とても130歳を楽に超える船には見えません。明治9年、明治天皇の東北・北海道巡幸にもこの船で出かけたそうです。北海道巡幸後、横浜へ帰港した7月20日が、「海の記念日」の元となったそうです。小笠原の領有でも、この船の俊足のおかげで日本領に認められるために寄与したと、海洋大学の資料で知りました。明治29年、幾多の活躍の後、商船大学に寄贈され練習船となり、、第2次対戦でアメリカに接収され、放置されたおかげで沈潜されたものを戦後引き上げ、文化庁より重要文化財に指定され、ここに設置されています。日本で唯一の鉄製の船だそうです。 以下のHPを参照いたしました。なかなかすごい歴史です。 http://www.e.kaiyodai.ac.jp/meiji/histoy.htm重要文化財 明治丸 (観覧案内)http://www.kaiyodai.ac.jp/Japanese/academics/meiji-maru.html 明治6年、日本政府の発注により英国で灯台監視船として建造された帆船であり、現存するわが国最古の鉄船です。 明治9年、明治天皇が東北・北海道地方巡幸の際に青森から函館経由横浜への海路に座乗されました。「海の日」は、明治天皇の横浜ご帰着の日を記念したものです。 明治30年、商船学校に移管されて係留練習船となり、以来50余年にわたり教育訓練の場として活用されてきましたが、昭和39年に商船教育の伝統を象徴する記念船として越中島キャンパスの一角に陸上固定されました。 昭和53年5月、わが国造船技術史上の貴重な遺例として国の重要文化財として指定され、その優美な姿が永久に保存されることとなり、昭和55年度から8年計画で文化庁の協力により保存修復及び基礎設備の工事が行われ、昭和63年1月29日に竣工しました。 観覧ご案内公開日 1月5日~12月27日の下記公開日 火曜日と木曜日 第一及び第三土曜日 ※火曜日と木曜日が祝日に当たった場合は公開しません。公開時間 10:00~15:00(入場は14:30まで)※引率者のいない中学生以下の方は観覧できません。場 所 東京海洋大学越中島キャンパス内 東京都江東区越中島2-1-6※その他観覧に関する事については、本学越中島事務室管理係(TEL03-5245-7308)へお問い合わせ下さい。 http://www.e.kaiyodai.ac.jp/meiji/histoy.htm
2007年05月11日
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隅田川に掛かる3つの橋が 橋としては初めて重要文化財に今年6月指定されることとなった。 いいニュースじゃないか。と、この連休前後に行ってみた。月島の立ち飲み屋さん発見も、その副産物でした。勝鬨(かちどき)橋(東京都中央区勝どきと築地の間) 竣工:1940年(昭和15年)・指定理由:技術的に優秀なので指定する。可動支間が国内最大で、近代可動橋の一つの技術的到達点を示している。国内で最大級の跳開橋(ちょうかいきょう)(跳ね上げ橋)。残念ながら交通渋滞の原因となるということで、昭和45年から開いていない。昨年も、「勝鬨橋をあげる会」が運動を行ったが、大変な費用がかかるということで、まだ開かれないままです。永代橋(東京都中央区新川・江東区永代の間)・竣工:1926年(大正15年)・指定理由:意匠的、技術的に優秀なので指定する。放物線状の大規模ソリッドリブアーチを中心とする荘重な造形が特徴となっている。竣工時は支間が国内最大の鋼アーチ橋だった。赤穂浪士が、討ち入りのあとこの橋を渡って、泉岳寺に向かったとのこと。江戸時代元禄年間に初めて架けられた。深川のお祭りで、多くの人々と御輿が乗った重みで、落ちたり災害にも弱かったので、民間の費用で維持された。関東大震災でも被害を受けたため、その後架け替えられたもの。清洲橋(東京都中央区日本橋箱崎町・江東区清澄の間)・竣工:1928年(昭和3年)・指定理由:意匠的、技術的に優秀なので指定する。内務省復興局が探求した力学的な合理性に基づく近代的な橋梁美を実現している。材料や工法などに当時の最先端の技術を駆使した。ドイツのケルンの橋のデザインと同じといわれる。散歩したときの写真はまたあとで。ニュースは、日経新聞・朝日新聞・東京都・江東区報などを参考にしました。永代橋・勝鬨橋が国の重要文化財に指定されます~都道府県の道路橋として初の指定~東京都HP (平成19年4月20日建設局)http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/04/20h4k100.htm 本日、文化庁文化審議会の答申があり、隅田川に架かる「清洲橋・永代橋・勝鬨橋」の3橋が、国の重要文化財(建造物)に指定されることになりましたのでお知らせします。 清洲橋と永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業の象徴として、また、勝鬨橋は、我が国で最大規模の跳開橋として、いずれも当時の最先端の技術を駆使して建設されており、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁です。 都道府県が管理する橋として初めての重要文化財指定であり、3橋同時指定も初となります。今後は、都の貴重な管理橋として、長く供用できるよう長寿命化を図って保存・活用します。1 重要文化財に指定される橋梁橋梁名竣工年月日指定理由清洲橋昭和3年3月当時の最先端技術による昭和初期を代表する吊橋永代橋大正15年12月新たな鋼材を使うことで最大支間を実現した鋼アーチ橋勝鬨橋昭和15年6月国内最大の可動支間を有する技術的完成度の高い構造物2 今後の予定重要文化財指定の公告は、6月に予定されております。※別紙 清洲橋について 永代橋について 勝鬨橋について 案内図
2007年05月10日
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月島を夕方歩いた。西仲商店街 この町は、もんじゃ屋さんがどんどん増殖して増えている。運悪くこの町で飲み屋を探そうとしても、もんじゃ屋さんばかりで食傷気味だ。 こんな路地がこの町の特徴とされている。周りには高層マンションがどんどん建っていって、路地は残っているもののだんだん魅力が失せていく気がする。もんじゃ屋さんばかりでは商店街も魅力が少ない。 今でも使われているのでしょうか?この井戸は。 屋形船は夕刻の出番を待っている。ここからお台場に向かい、隅田川の清洲橋を回って戻ってくるのだ。夕刻17時、表通りに出てなんの期待もしていなかった。むむ!?古い酒屋で、立ち飲み客は2人。そのうち1人は、外人さんだ。外人さんが立ち飲み!?「こんな明るいうちから、飲んじゃいけない」という気持ちでいったん通り過ぎた。でも、「今日は車じゃなく歩きだから、ま、いいか」と吸い込まれてしまった。まずは缶ビール1本!ほぼ同時に入った人に先に声をかけられてしまった。「ボクも!」一緒に入った人と意気投合してずっとお話しした。いつの間にやら暗くなって、外には外人さんが3人に。話はほとんどしなかったけど、どうやらここの常連さんらしい。楽しそうに笑いながら飲んでいた。最近、新らしく参入した立飲み屋さんが増えているけど、こんな古いお店が生き残っているのがうれしい。「お店開けていても、お酒買いに来る人はほとんどいない」 って、おかみさんは正直だ。でも、夕方からこんなに人が集まるのはいいなあ。この日はテレビ局の取材が来たが、その前に退散!常連にはなれないかもしれないけど、たまにまた寄ってみたい。枝村酒店3-29-4
2007年05月09日
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愛称は「Smile Train」 西武30000系来年春登場! 西武鉄道の車両に乗ったら、中吊り広告に見かけない車両が宣伝されていた。まさか、 広島電鉄のグリーンムーバーマックス(5100形)じゃないよな と思って近寄った。キャッチフレーズは、「スマイルトレイン 2008年デビュー」 なになに?なんと、西武鉄道の新型車両30000系だそうだ。斬新なやや丸みを帯びた先頭車デザイン。 中吊り広告で詳しいことはわからなかったが、帰ってから、検索した。西武鉄道のHPで4/27広報されていた。 西武鉄道ニュースリリース 2007/4/27http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2007/0427.1.pdf車両形式 30000系車両愛称(コンセプト) Smile Train(スマイル トレイン) ~人にやさしく、みんなの笑顔をつくりだす車両~製造両数 8両編成×12本、6両編成×3本、2両編成× 3本 合計120両(18本) ※2007年度は8両編成×3本製造 車体長・幅 車体長:20m 車体幅:2.93m 車体 アルミダブルスキン構体 竣工 2008年1月(予定) ※営業運転開始時期はあとで知らせられるそうです。アルミ車体で、新しいコーポレートカラーと新しいシンボルマーク。西武は黄色のイメージだと思っていたけど、20000系から水色に変わってきた。非貫通型なのでメトロの有楽町線や来年度開通の副都心線には乗り入れしない。車体の構造は20m4ドア車で、その幅は2.93mと幅広車体だそうです。8両編成・2両編成・6両編成の3バージョンで、新101・301系を置き換えていくようです。 30000系、来年1月落成です。楽しみ半分、また昭和の車両が消えていく。
2007年05月05日
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スパイダーマン3 ラッピング を見ました。前にシャラポアのラッピングが走っていたけど、今では見かけない。写しておけばよかったなあ。
2007年05月05日
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2100系第33編成 快速特急「横須賀が好き」号ラッピングに乗りました。正面のステッカーは 小さすぎてわかりにくいです。三崎口駅で1500系と並び、方向字幕を回転しているところです。横須賀市制100周年なんですね。以上です。
2007年05月05日
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天気のいい日が続くので、久しぶりに海を見たくなった。目的地はタイトルの通り、荒崎海岸。京浜急行の快速特急が前回のダイヤ改正で三崎口駅までのアクセスを殖やしたので、ストレスを感じずに行かれそうだ。京急の品川駅に着くと停まっていた快速特急は、満杯だった。さすが、ゴールデンウイークというか、京浜急行と言うべきか。迷わず次の快速特急を待つ。前述のようにほぼ10分おきに発車なのでだいぶ楽だ。ただ知らなかったことは品川始発を泉岳寺始発に変更していたこと。そしてロングシートに改造した車両の多くなったこと。進行方向向き2座席の2100系の席を確保できた。先を急ぐ客や途中駅からの人は席を確保できない人が多かった。品川駅から三崎口まで 1時間少々、運賃は900円(三浦フリーきっぷなら往復乗車券にバス乗り放題で1900円)三崎口駅に着くと多くの人が改札をでる。ここは、城ヶ島・三崎・油壺、そして新しいスポット・ソレイユの丘へのバス停に並ぶ。ボクとしては、荒崎海岸 が さほど人気スポットでなかったので大助かりだった。3番のバス停にちょうどよく荒崎海岸行きが来たので飛び乗る。今の時代多くの人々がバーベキューを楽しみに来ている。今回はささやかなお弁当を用意してきたのみ。相模湾と特異な岩肌を見るのが目的だったから。海底が隆起して斜めに断層があらわになり、そこを波に浸蝕された。三角の巻き貝(クボガイ?)が拾えるかなと思ってひっくり返したら、ヤドカリばかりで収穫はなかった。 ハイキングコースは十分に整備されていた。 この先、和田長浜海岸へ続くが今日はここで引き返した。潮風を浴びて爽快な気分でした。
2007年05月04日
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連休前半、寝坊したので手近なところへ行くことにした。代々木公園 は、戦前には陸軍の練兵場であり、戦後も長く米軍に接収されていたという。原宿駅を降りると、山手線の上の橋の上で、撮影会?こんな衣装の少女たちと、撮影する男たちで 撮影会?不思議な空間を素通りして、代々木公園へ。ここは、林と芝生だけの なんにもない公園だけど、広くて好きです。フリスビーとかバトミントンとか売店で売られていて、健全な雰囲気がいいんです。白人も結構散歩や日光浴をしていて、白人たちは、新宿御苑とかいい場所をよく知ってるもんだなといつも思っている。今回多く目にしたのは犬を連れている人々。以前にはこんなに多くなかったのに、あっちもこっちも犬連れだ。楽器の練習している人もあちこちに。この日は太鼓のグループが、噴水の近くにいた。練習なのかパフォーマンスなのかわからないけど。 サイクリングコースもあります。木陰の所にビニールシートを敷いて寝ころぶ。のんびりした気分だ。帰りは、いつも通らない公園の裏手から、NHKの東門前を通って、渋谷駅へ向かった。渋谷の域内に来たとたん、人の多さにまいってしまった。駐車場の所に、ポツンと残された古くて小さな洋館。こんな建物を見つけると、最近は写真を撮る。今までいつでも見られると思っていたものが最近では突然なくなって、いつも、ああ、写真撮っておけばよかったなあと後悔することが多くなったから。昭和は遠くなりにけりですね。
2007年05月03日
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綱島温泉 東京園大倉山公園に行ったのは、実はここへ来るついで。こんな近くにこんなひなびた入浴施設があるなんて横浜の人はいいなあ。って、東京だって大田区にも温泉銭湯がいっぱいあるのだけど。駅を降りて2-3分、綱島街道に出たところに 東京園がある。今回の訪問は数回目になる。東京神奈川の銭湯入浴料が上がったのに、ここの入湯料800円は変わっていなかった。良心的だ。1時間で出てきてこの入場券を見せれば430円との差額370円は返してくれるのだが、ボクたちはたっぷり楽しむ派なので、時間制限なしだ。 入るとすぐ板の間にこのようなテーブルが並んでいる。初めてくると面食らってしまうに違いない。まずは、お風呂へ。 できたときにはさぞ斬新なお風呂であったと思われるが、今でも十分楽しい感じの半円形のお風呂。ゆっくり暖まれる。この日は1度しか入らなかったが、何度でも入浴可。さあ、お風呂から出たらお楽しみはこれからだ。ここには3つも大きなホールがある。 常連さんたちが小道具・衣装も用意して舞台に登る。ボクたちは場所を確保すると、売店へ直行。ここでは、ビール・お酒・ジュース・おつまみ・おでん何でもござれ。それが、安いので持ち込みしなくても大丈夫。お庭には出られないが、一服の清涼剤。以前からにゃんこちゃんは2匹はいたと思うけど、この日は白い猫ちゃんだけ。 2階には、予約すれば個室も利用できる。歌やダンスなど常連さんたちのオンパレードを遠くの席から眺めながら、まあ一杯。17時以降は、板の間の席へ大移動。日帰りしなくてはいけないのが難だけど、遠くの温泉地に行ったようなまったりした気分で夕刻には帰りの東横線に乗り込んだ。綱島温泉 東京園http://www.tsunashima.com/shops/tokyoen/所在地 神奈川県横浜市港北区綱島東1-8-11 TEL:045-531-0003営業時間 10:00~20:45(入浴のみ16:00~20:45 休憩室利用は17:00まで) 料金 800円(入浴休憩込み) 430円(16:00以降または1時間以内)
2007年05月01日
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