
「あんじゅさん。どうしてそんなに(重度の認知症の人と)長い間話ができるのですか。」
そう不思議そうな顔で訊かれたことがある。
訊いてきた人は「何を話していいのかわからない」「反応がない」という。
「そう、どんなことを話しているの?」
逆にそう問い返した。
「体調はどうですか。」
「血圧が高いから塩分控えめにしてくださいよ。」
そう話しかけるのだが話が続かないそうだ。
私は笑った。
「私自身が子供なんですよ。大人になりきれていない子供の部分があるから・・・。」
子供のとき私は現実の世界と共に自分の独自の世界を作っていた。
空想の世界・・といったらいいのだろうか。
私はあるときはエジプト女性であったり、羊飼いの少年であったりした。
なりきる人物にあわせて周りの環境も変化した。
ジャングルジムが
大きなお城であったり。田んぼの稲穂が聴衆であったり。
小さな川がナイル川になったりした。
私は子供の頃「跳んで」いたのかもしれない。
現実のこの世界の端っこに命綱をくくりつけ、
夢の世界、因果律の届かない世界へ跳んでいたのかもしれない。
認知症で妄想、幻覚、幻聴、幻視がある老人たちと話をしているとその「独自」の世界に興味がわく。
ずっと手をこすっている人がいる。
ずっと。「どうしたんだろう」
そう思う。
「どうしてこすっているんですか。」
そう尋ねる。
「あんたはわからんのかね。」
「こうしてこすっていくとな、出てくるんだよ。」
「ん?何がでてくるんですか?」
「虫だよ、虫。体の中にいる虫を追い出そうと思ってな。」
虫・・!
私は彼のこする手の中から本当に虫が出てくるのかしらと一瞬思う。
「その虫ってどんな虫ですか」「何匹くらい?何色?」
いつの間にか彼の「世界」へと足を踏み入れていることに気がつく。
現実とは違う世界。
それが空想の世界であっても、妄想の世界であっても
その人にとってのオリジナルなストーリーには変わりがない。
むかし自分の夢の世界で遊んだ「子供」が
いま認知症老人の夢の世界へ「跳んで」遊びに出かける。
扉を開けて。
夢の世界へ。
またいつか 2007/05/30
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