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私生活の忠実なこちらのブログと夢の世界あんじゅちゃんのブログを巧みに使い分けておりますが・・。現実的にものを考えたくないことが重なりまして丁度夏休みの時期でこれ幸いと放置しておりました、まーしゃんの母としてはあきませんねぇ。まーしゃんは、相変わらずのマイペースくんです。気に入らないとどこにでも寝転がるし、人が優しく優しくしても自分の関心のない事に関しては「ふん」という態度で・・やっぱり他人様からみると「かわいくないー」まーしゃんです。まーしゃんには「広汎性発達障害」という病名がつけられています、いわゆる自閉症です。対人関係を結ぶ能力がない、コミュニケーション能力の障害、思考柔軟性の障害(こだわり)が大きな柱の障害なのですが・・。一見して分かりにくいのがこの障害のつらいところです。故意にしているのか、故意じゃないのか・・・。そこの所に境界線がひかれるのでしょう。例えばまーしゃんが小学校のプールに行きたくなかったとします。そこで彼なりに考えます。「プールには入りたくない、嫌な場所には行きたくない・・。」彼が考えついた隠れ家は・・。そう。「トイレ」でした。耐震工事でガンガン音のしているプールの横を逃げるように走って・・。トイレに逃げ込みます。「はぁ、助かった。。。」まーしゃんには、トイレの前で待っているほかの小学生の子供たちの姿など見えていません。見えていないことが「障害」なのですから・・。まーしゃんは、安楽な場所でほっと一息をついている・・・つもりです。そうこうしている内に20分たちました。トイレの前でうろうろする子供も出てきました。周りが騒いでいる事実にまーしゃんは気がつきません。しかし実際彼の前に待っていた事実は・・・。ドアをガンガン叩かれて半ばトイレから引きずり出されて「いいかげんにしなさい」と怒った先生の姿でした。・・・僕は何にも悪いことしてないのに・・・涙目の彼が次に目にしたのが夕方彼を迎えに来たお母さんが児童会の先生にぼろくそに叱責されている姿でした。「いい加減にしてくださいよ、お母さん、(教育がなっていませんね)、まーしゃんのおかげでトイレの前でみんな列を作って待っていたんですよ、みんなの迷惑になります!!」故意じゃないのに。まーしゃんは、母親が「少しまーしゃんと話をさせてください、どういうことでトイレに居続けたのか話をしてみます」というのを聞いていました。まーしゃんは、語彙がほとんどないながらに母親に一生懸命説明しようとしました。「プール、嫌やねん」「プールの横の音がうるさいねん」(夏期休暇中小学校で耐震工事をしていてかなりうるさかったのでまーしゃんは耳を押さえながら登校していました)「プールの後、しんどいねん」まーしゃんにとってトイレは「ここしかない!」と逃げ込んだ場所だったのでしょう。ただ・・惜しむらくは、そこは他人も共有するスペースだったので他人に迷惑を蒙らせてしまったのでしょう。翌日まーしゃんを連れて児童会に行き昨日のことを謝りました。そして。まーしゃんがどうしてそこに閉じこもらなくてはいけなかったのか・・思いつくまま話してみました。・・・もしよかったら、まーしゃんが不安になったら、教室の隅っこでいいです、彼が安心して閉じこもれるような場所を作ってもらえたら・・ありがたいんですけれど、とお話した。「まーしゃんだけ、特別扱いすることはできないんですよ、みんな共同生活しているのに!」私は去年からまーしゃんがどうして「配慮を要する」子供なのかを伝えてきたつもりだったのだけれど・・この瞬間「伝わってない・・」と感じてしまいがっくりしました。私はいい方に解釈してくれていると信じたかっただけにつらい思いになりました。・・あぁ、そうなんやぁ、やっぱりねぇ・・連絡帳に「今日は朝から勉強する態度ではなくゴロゴロしていました」と無造作に書かれていたり、私が仕事で遅くなっておじいちゃんにお迎えを頼んだとき先生が「ずっと寝てますわ、勉強もせずに、生活が乱れているんとちがいますか」とおじいちゃんに面と向かって言ったりするのを聞くと、やっぱりまーしゃんのことをたくさん知ってもらうにはいろんな表現でもっと声を大にして話していかなければいけないのだとつくづく感じました。「勉強しなさい」といって自分からさっさと勉強する子供だったら何もわざわざ養護学級に入れていないよねと思いながら、とぼとぼ小学校の校門をくぐりました。
2007/08/28

どうにもしんどいことが重なってしまい笑う元気もなく笑いがなかったら心配する人たちに必死に笑いを向けて顔がこわばってしまい泣き顔さえも浮かべられず話をすることも鬱陶しくなりあぁ、これはうつ病になりかけなのだなんて思ったりして
2007/07/28

甘いものが好きな人が私に「絶対美味しいから」と食べたくもないケーキを勧める。私は「本当だね、おいしいね」と曖昧に笑いながらケーキを胃の中に無理やり押し込む。相手の反応、確かめず、自分の極上は相手の極上でもあると頭から信じて・・。曖昧にするのがいいのか。はっきりと言うのがいいのか。昔、「断食の刑」と称されて食べ物を与えられないことがあった。頑なに睨み返す私に母は「食べなくてもいい」と言い放った。父は見かねて私をこっそり連れてファミレスへ行った。がつがつ食べる私は食べながら、ひっくひっくしゃくりあげた。その後しばらく母は「ほら餌を食べろ」と言って食べ物の入った皿を放り投げた。家畜扱いにした母が許せなかった。それから冗談でも「餌の時間だよ」と言って私に食事を勧める人間が許せなくなった。しかし私は偽善者だから、「そろそろ餌を与える時間だね」と言われると曖昧に頷く。それに反発しない自分は自分自身を裏切っていると思い、そして静かに怒りを増していく。
2007/07/20

記憶は今を見つめるためにあるもの過去を過去として見つめるために過去のカードはもう使えません今、使うなら過去のカードではなく現在のカードを使うべきでさて私の切り札は「言葉」ですあなたの切り札は??
2007/07/13

何もかもに疲れてしまったそういうのは理由になりますかそれとも言い訳にしかなりませんか七夕の夜の雨雲の上には変わりなく輝く星があるはずなんだろうに見えない星見たくない現実見えない、見たくないというのは理由になるのでしょうかそれとも言い訳になるのでしょうか
2007/07/07

磁石はマイナスとプラスが引き合うのです片方がプラスならもう一方はマイナスじゃないといけませんただ・・片方がプラスでもう一方がマイナスだった場合引き合うどころか離れていってしまうこともあるのです例えばこころ例えば検査結果マイナス思考の私にはちょうどいいのかも2年前の9月にそう感じたことがあります
2007/07/03

巻き戻ししたいのはいつの過去からだろう時の舞踏にただただ戸惑い漂い
2007/06/29

見えないものは信じるしかない見えないものを見えるものに置き換えようとしても無理があって結局見えるものも見えなくなってしまうから・・・心は信じるもの気持ちは委ねるもの想いは通じ合わせるもの疑心は自分の心から生まれるもの哀しみは見返りを期待する心から生まれるもの切ない想いは自分が相手をどれだけ想っているかもう一度考えなさいと神様が教えてくださっているもの
2007/06/22

命の限りに呼び続けその儚き命捜し求めることに費やす逢いたくて逢いたくて(ミンミン蝉は鎌倉時代「見う見うセミ」と呼ばれていたそうな。見う・・逢いたい・・と)
2007/06/21

手に取ると刺さり痛いかもしれません口にすると苦くて顔をしかめるかもしれませんでも次第に溶けてゆっくり癒していけるそんな自信はあります私の心にそんなアロエの花が咲きますように
2007/06/20

時は流れ記憶は揺らぎいつしか優しい思い出に彩られて
2007/06/19

まーしゃんの歩き方はゆーっくりまーしゃんの歩きたい道はぐるーり寄り道しながら歩いてくお母さんはね、まーしゃんよりちょこっとだけ先に生きているのでどの道が早道なのか知っていますよでもねのんびり寄り道するのもいいかななんて最近思うようになりました水蒸気たっぷりの空気に乗せられて緑の匂いが変態したてのシオカラトンボがすーいすいとぱちんと叩きたくなる蚊の襲来にでさえもこの大地に生かされているものたちの息吹を感じながら歩けるので私たちも生きているのよねと思えるからです・・・早道してはわからないものがそこにあるからです・・・まーしゃんの5分かけて書くたどたどしい名前に(早道できる子なら10秒で書ける名前)早道する子には感じられない 努力と忍耐 そんなものを感じられるからお母さんは・・・まーしゃんと生きててよかったって思います
2007/06/08

鹿を見るといつもヤンキーを思い出します。いつも数頭かたまっていて、人間が近寄ると一斉に顔をこちらに向け、「じろり」とにらみつけます。その目つきたるや・・まさしくヤンキーの兄ちゃん、姉ちゃん・・・。物憂げなまなざしで、よく見るといつもチューインガムをかんでいるように口をくっちゃくっちゃ動かしています。「なんなんだよぅ~、うっぜなぁ~。じろじろ見んなよぉ~。」そんな呟きが聞こえてきそうで(笑)そんな鹿をおちょくりに行ってきました。今日は昨日の日曜参観日の代休で子供が休みでした。「ねね?なにしようかぁ?」そういうと初め「昼寝」!!という言葉が返ってきました。昼寝をしたいのは実は母さんだったのですが、そこはやはりいつもぐうたらな母さんを見せているものですから、たまには「元気はつらつ母さん」を見せてやらなきゃ・・と思い直しまして・・。「奈良公園いってみよっか~?鹿にせんべいでもやりに行こうよ」と誘いました。初め子供たちは「えぇ~、なんでわざわざ奈良までせんべいをやりにいかなあかんの?」そうごねていましたが、半ば強制連行して出かけました。外は気持ちいいくらいの青空が広がっています。絶好のドライブ日和でした。ぶつぶつ文句を言いながらついてきた子供たちでしたが・・。行くと反対に私があちこち引きずられました(やっぱりね)奈良公園の広大な緑(ただし鹿のフンつき)真っ青な空。二人はあたかも首輪をはずされた犬のようにころころ走り回っていました。「なぁなぁ、お母さん~、鹿と一緒に写真撮ってやぁ~」無謀な要求に母は少したじろぎながらこわごわ・・「あの、鹿さん、こんにちは。一緒に写真を撮らせてもらっていいですか?」そうお願いしました。鹿は鼻先で「フン」と笑い「勝手に撮れよ」といってくれました(そう聞こえました)子供が後ろにもじもじと座り記念写真をパチリ。・・・鹿の顔・・・「やってられねぇよ」みたいな(笑)そんな投げやりで無気力そうな鹿でも豹変するときがあったのです(豹にはならなかったけれど)。私が鹿せんべいを買った瞬間です!鹿が突然周りを囲みました。口をぺちゃくちゃさせながら「おらおらおらっ!」と囲み始めました。・・・これって喝あげやん~と少しどきどきしながらでも鹿せんべいはあげませんでした。少し離れた子供に渡して「少しずつあげなさいよ」と言いました。ぎろり。昼前の空腹を覚えていた鹿は一斉に子供のほうへ!しかし子供もだてに普段「おさるくん」と言われてはいません。あっちこっち駆け回りながら鹿を翻弄していきます。その様子を見ていた私の横にいた一頭のオス鹿が「きゅいん」と啼いて私の体に頭突きを食らわしました。まるで「ばかにしやがって」といっているみたいで(笑)私も笑いながら鹿の角を押し返しました。外で見るまーしゃんたちの表情ははじけてました。思いっきり笑うこと。これってかなりいいことだと思ってます。
2007/06/04

「今日で終わりやんね。短い間やったけど、ありがとうね、これからもがんばってね・・。」私がいうと彼女は声を詰まらせた。「こちらこそ・・。」彼女の笑顔は素敵だった・・・・。彼女は一ヶ月だけのパートだった。いわゆる派遣社員である。彼女はおとなしい性格の人だからなのか、なかなかここの職場になじめずにいて、いつも眉間に皺を寄せていた。「今度入ってきた人・・何だか暗いわよねぇ。」そんな陰口を叩いている人を何人か見かけた。本人は一生懸命やっているのだが、緊張しすぎて笑顔が全く見られなかったのがそう見られる原因だったのかもしれない。黙々と仕事をしている彼女の姿を見かけては、心配になる。放って置けない・・とでも言うのだろうか、何だか気になっていた。同僚が彼女を評した。「あの暗さじゃだめよねぇ、人相手なのに・・。こんなんじゃやっていけないよね。あれじゃどこ行ったって、仕事できないよ」その人全部を切り捨てるみたいな言い方につい反論した。「確かに・・緊張しすぎているから中々笑顔が出ないのよねぇ・・。むずかしいよねぇ。いい人なんだけれど、ここではむずかしいのかしらねぇ。でも窓拭きをしているのを見てたら、それこそ丁寧にぴかぴかにしてくれるのよ。真面目な人だと思うわ。」どうしてなんだろう。別に親しくも何もないんだけれど・・なぜだか彼女をかばいたくなってしまった・・それはきっと昔の自分を重ねてみているからなんだろうね・・。しかし周りの評価は確かにもっともなところはあった。挨拶をしない・・できないのかもしれない。笑わない・・緊張しすぎ?でも。それだけ?それだけじゃないでしょ。そう。それだけじゃないよ・・。私は、ふとしたきっかけで彼女と話をするようになった。時折にこっと笑ってくれるようになった。彼女は、話をするときに躊躇いがちにおずおずと話をする。自信なさげに小声で話をする。話しかけるのに呼吸を整えているのが分かる。深呼吸して「あの・・」と言う。・・・そんなに緊張する相手じゃないのよ、私は・・。何度かそういいかけた。きっと周りの冷たい視線を敏感に感じ取っているだろうなぁ、余計に萎縮しちゃうよねぇ・・・。そう思った。そうこうするうちに、一ヶ月はあっという間に過ぎた。しかし彼女にとってはムシロの上の一ヶ月だったのかもしれない。でも・・ようやく色んなことを肩肘張らずに話してくれるようになった頃だった。今日で終わり・・という日。私は事務室で仕事をしていた。すると窓の外でなにやら音がした。書類から目を上げふと窓の外を見ると彼女が外から窓ガラスを拭いていた。きゅっきゅっと音がしている。几帳面な彼女の拭き方である。一生懸命拭いている。私はカーテンを半分開けて窓越しにトントンと叩いた。彼女はびっくりしたように手を止める。「ありがとうね、きれいにしすぎやで~」そういうと彼女は窓の向こうから笑って手を振った。「ありがとうございます!」その日、仕事が終わって帰ることにした。私は彼女が今日で終わりだということを思い出して彼女のところへ行った。手を差し出して「今日で終わりやんね。短い間やったけど、ありがとうね、これからもがんばってね・・。」そう言った。彼女は、「こちらこそ・・」そういって言葉を詰まらせた。「次はどこかもう決まってるの?」「はい。明日から早速なんです。」握手しながら彼女は笑った。白い歯がこぼれて愛嬌のある可愛い笑顔になった。人懐こい・・とても素敵な笑顔だった。「ありがとう」目と目で交わした言葉というものは残るのかもしれない。彼女の笑顔とありがとうの言葉が未だに鮮やかに蘇ってくる。私は心の中で手を振った。またね。いつかまたね。
2007/05/30

最近クラスの子供たちによく話しかけられる。「おはよっ」誰に話しかけている?・・・まーしゃんを含めた・・私に。今日も朝顔の双葉を二人で「いくつ出てきた?」と話しているとクラスの子が近づいてきて「ぼくのんは、8つでてるでー」とか「さ、今から水やりするでー」とおどけて笑いながら、パフォーマンスしてくる子もいる。私は笑いながら、「すごいやん!8つもでたんやぁ」と返事したり、「その水やりって・・やりすぎやで~、鉢からあふれてるやん!」と驚いたりする。まーしゃんに「ねぇねぇ、Sくんって、双葉が8つも出たんだって・・・」と話しかけると・・。ぶっす~~~~~~~~とした顔をしている。明らかに「オレのお母さんやのにみんな話しかけている」と思っている(らしい)みんなが「まーしゃん」と喋りかけているのにそっぽ向いている。・・・難しい。先生にお願いした。「最近同じクラスの子たちと触れ合う機会が多くなってきています。私を含めまーしゃんに話しかける子が多くなってきて、それだけ顔や存在を覚えてもらってきているんだと嬉しく思っているんですよ。毎日のやり取りの中で子供たちの反応を確かめていけばいいことなんでしょうけれど・・もし気が付かれた点がありましたら、教えてくださいね。」さて帰宅して、宿題のひらがな練習をするまーしゃん。初めはなかなか書けなくて朱線でうすく文字を書きその上をなぞらせるようにしていた。「こんなん絶対できひん!」そう高らかに宣言していたまーしゃんも時間を追うごとに朱線なしでなんとか書けるようになってきた。字が震える。集中力がほかの子の何倍も必要。しかしだんだんできるようになり代わりにちょっぴり自信のある目をするようになった。今はもう朱線で文字を書かない。どこで、いつから、まーしゃんに主体的にやってもらうかタイミングが難しい。すべてにおいてそうなんだけれど・・。私が一緒に登校せずに家の前で「バイバイ」と手を振れるようになれるタイミング。私がまーしゃんのクラスメートにフォローしながら彼を溶け込ませていくのではなくて、自分で溶け込んでいけるようになれるタイミング。その辺りの呼吸が本当に難しいと感じている。甘やかしすぎず、離れすぎず。お兄ちゃんは優しい。まーしゃんが、靴下を変な形で履いていても「おっ、上手やん~、うまく履けたなぁ。」そういいながら履かせ直してくれる。気を遣いすぎるくらい気を遣う子なので、私はこのお兄ちゃんには、のびのび育ってほしいと思っている。私がまーしゃんに「何をしてるのっ!時間に遅れるやんか=!」そう雷を落としているときでも「今、用意しようと思ったんやな?な、まーしゃん?」そう助け舟を出してくれる。彼もまーしゃんと同じく「お勉強」はできない。でも私は、たとえ勉強ができなくても、人に愛される子になってほしいと思う。人が泣いているときは「痛いの?」と訊ける子に。人が喜んでいるときは「よかったなぁ」と一緒に笑える子に。そのほうが絶対人生楽しくやっていけるんじゃないかしら・・と思うので。子供の毎日の姿に一喜一憂している小心者の親ばか・・の独り言でした。
2007/05/28

言葉ほど頼りないものはないのに言葉でしか確かめられないこともある言葉を信じるということは、相手に自分をどれだけ預けられるかってこと言葉を信じてもらうということは、自分が相手をどれだけ受け入れるかってこと
2007/05/28

昔子供の頃、人と話せなかった時期があった。喋らなくっちゃと思って焦れば焦るほどよけい喋ることができなくなる。胸に大きな石がのっかったみたいになって口が貝みたいに閉ざされてしまう。しかし全く喋ることができないわけではない。喋ることもできる。私が向かい合う人によって喋る事のできない人と喋ることのできない人がいた。お父さんにだったら普通に話せるが、同級生とは話せないとか。精神科の医者と雑談している時にそう話したら『選択性緘黙症やってんね、おそらく』と言われた。そんな私は親や教師から『怠け者』とか『反抗的な子』とレッテルを貼られた。教師はそんな私に憤りを覚えていたらしく母親に電話をかけて苦情を言っていたらしい。『今日の授業中に当てても答えもしないんですよ、しらーっとした顔でね、チョークを顔にぶつけてやろうかと思いましたよ。馬鹿にして・・。』何も知らずに帰宅した私を待っていたのは母親の怒りに満ちた姿だった。『あんたはいつも私に恥をかかすんだー』そう言って怒られた。私は始めその教師が好きだったが教師が自分の事を嫌っているようだと感じ始めた頃から、段々嫌いになっていった。そんな姿に教師も余計イライラを募らせていたのだろう、私は遠ざけられるようになった。教師が生徒を嫌いだすと教室のみんなにその雰囲気が伝わりだす。わざわざ教師にたてついてまで私を庇ってくれる子は誰もいなかった。『変な子』そう言われた。教師の価値観イコール正しい価値観の時代だったから、教師がノーと言ったら何のためらいもなくみんなノーだと信じ込んだ。教師が手を焼く気持ちを堅く閉ざしたワガママな子。そう見られた。誰も話をしてくれなくなった。道徳の時間に教師が熱弁ふるって『狭山事件の石川被告が‥』と差別問題について話をしていたのがなんともむなしく見えた。私だってちゃんと喋りたい、でもうまく喋ることができないの。私のこと、誰か分かって、私と誰か仲良くして。そう思いながらもどんどん孤立していった。小学生に自分の事をしっかり表現できる人は少ない、ましてや私は元から下手なのに。ただあの頃は焦る気持ちとは裏腹に時間だけがぼんやりとすぎていって、私の感情は指の隙間からどんどん流れでてしまったような気がしていた。一部の口さがない女の子は大人じみた口調でこう言った。『先生も言ってたけど教室であんたみたいな態度で反抗をしたらあかんよって。何で喋らへんのん?』しかし私に答えられるはずもなかった。沈黙を続ける私に呆れたような顔をしてその子は遠ざかっていった。しかし言う子はまだましだった。大半の子は無視するか、私が近づくとイヤな顔をした。授業でグループに分かれる時はいつも置き去りだった。それでも何とかグループの人数の足りないところに入れてもらったけれど、そのグループの人たちは私が入るとイヤそうな顔をした。『うわっ、一緒や‥』まるでババ抜きのババをつかまされたかのようなイヤがりかただった。私はそんなグループに入りたくなかった。しかし入らざるをえなかった。入りながら針のムシロにたたされているかのような苦痛を味わっていた。学校へ行きたくなかった。しかし「学校へ行きたくない」といったら烈火のごとく怒るであろう母の顔を想像すると怖くて言えずにいた。だから家にもいられなかった。私には行く場所がなかった。居場所がなかった。一人で町をフラフラする勇気もなかったから、学校に行ってもただそこに『いる』だけしかできなかった。学校へ行くと、みんなの目は冷たかった。中には同情してくれる人もあったには違いないが教師に背いてまで庇ってくれるはずもなく私には届かなかった。もう何にも感じないでおこう。どうせ感じても悲しい思いしか感じられないならば感じない方がまだまし。そう思った。私が心をより閉ざしみんなも私のことがより分からなくなったのだと思う。私には完全に『変人』のレッテルがつけられてしまうようになった。昔テレビ番組で『奇人・変人』というコーナーがありいろんな珍しい特技を持った人が登場しているものがあった。給食の時間、静かな教室でその番組の話を誰かがした時にふいに声が聞こえてきた。『おるやん、このクラスにも奇人変人が。』何人かの目が私に注がれた。クスクスわらう声も聞こえてきた。私は凍りつきながらも冷静さを保っていた。‥感じない、感じない、感じちゃいけない。私が顔色一つ変えずにいるのを見て誰かがいった。『こいつ、おしだけやなくつんぼやし。』私は自分の感覚がもう一つなくなってしまったような気がした。私は声にならない声をあげそうになりながら・・窓際の机に座っている担任の教師に救いの目を求めた。すると。教師は自分の机に座り書き物をしながら聞こえていないそぶりをしていた。喋りたい。でもうまく喋ることができない。そんな私にも喋ることのできる時期はあった。たどたどしくではあったが自分から話しかけようとした時期はあった。「ねぇ、この漢字なんて読むの?」母親が初めて買ってくれた日記帳。巻末に「花言葉」が書いてあり私には読めない漢字が多かった。「うるさいなぁ、読めないんやったら読まんでいい」おずおずと訊いた私に母親はぴしゃりと言った。私はそれ以上訊けなくなってしまった。母親は『利己主義なことばっかり言って』といつも怒っていた。今から思うと単に自分の気持ちを言ったにすぎないのだが、母からみるとワガママに聞こえたのだろう。「人がしんどそうにしていたら、手伝うのが思いやりってもんや、あんたは思いやりの気持ちをちっとも持ってない!」そう怒られて面食らっていた私だったが、次第に母が「はぁ」とため息をついて座った瞬間に「何かお手伝いをしましょうか」という癖がついてしまった。・・パブロフの犬のように。母の欲求するレベルは子供の私には高すぎた。私はだんだん言葉を喋る事が怖くなってきた。怖い‥そう言葉で意識してではなく、口が貝のように自分が開けようと思ってもどうしても開けることができなくなっていった。しかしそれは単なる私のワガママだし、反抗している、そう思われた。私も親や教師があまりにも自信たっぷりに言うものだから、自分はやっぱりワガママなんだ、おかしいんだと思っていた。でも自分の努力をしてもうまくいかないという事も分かっていてよけいに焦燥感を募らせていた。私は次第に本の世界に入り込んでいった。本でなら私はお姫様にでもなれるし何にでもなれる。本の主人公になったり主人公に共感したりできた。本の中の登場人物は私の事をだれも嫌わない。誰も拒絶したりはしない。今から思うと自分の姿が見えていなくて周りからみたら確かに変人と呼ばれても仕方のない事をしていたし、周りとうちとけようとしない異常なまでの頑なさをみんなに感じられて当然だったように思う。しかしみんながおかしいと思う以上に私も自分の姿がおかしいと感じていたし何とかしないといけないと焦っていた。みんなは楽しい時にどうしてそんなに楽しく笑えるんだろう。みんなはどうして自然に先生の肩につかまって甘える事ができるんだろう。不思議に思ったし、私にはどうしてもそうできなかったからとても羨ましかった。今、大人の私が子供の私に話しかけるとしたら何を話すだろうか。『こんにちは』そう言っても返事を返してくれない子供の私をどのように眺めるだろうか。話は変わり。この職場で働いていて『言葉の失われた』人とたくさん接する機会が得られる。元々持っているが病気や加齢などで言葉を失ってしまった人たちが目の前にいる。『あのな』『えっとな』ほとんど言葉はでてこない。喋りたいのに喋る事ができない、何かを伝えたいのに伝える事ができない。中には喋りたくないから喋らないでいる人もいる。しかし大半は自分が大切にしてきた『言葉』がいつのまにか手を離れどこかへいってしまった状態である。またお年寄りは自分の気持ちを言葉にする訓練をうけてこなかった場合が多いからそれ自体意識したことがないのでこれまた言葉がでない。言葉を失ってしまった人は他人の態度や雰囲気に敏感になる。少しでも否定的な感情を乗せた態度を見せてしまったらその瞬間感じてしまう。そんなお年寄りの姿に私は子供の頃の自分を見てしまう。あぁ、一緒だって。この人たちも『何かいいたい』『何か聴いてほしい』と思っているのにうまく伝えられないんだ。そう感じる。本当に自分の言いたい事を的確に相手に伝える事は大変難しい。おばあさんがいる。いつも誰かれともなく話しかけている。でも彼女はいつも割り切れない思いを持つ。本当に私の言いたい事が伝わらないと嘆く。こちらも彼女の気持ちを聴くが妄想や思考の飛躍があってなかなかうまくつかみきれないでいる。彼女は業を煮やしイライラする。そんな時『家に帰りたい、息子にしか分からない。』と言う。その息子さんと折り合いがつかず、話がどうしてもできないと半ば半狂乱状態になってここに来たという事を忘れている。『まだ見ぬ誰か。きっとどこかに私の事を理解してくれる人がいるに違いない』そんな彼女の不平や不満をゆっくり聴いている。すぐには無理だが少しずつでもここにも味方がいるのだよという事を知ってもらいたくて。トゲだらけの野獣のような目をしたかつての私、子供の頃の私に問いかけるように。あなたの味方なんだよ、ゆっくり歩いてここまでおいで。そう言う。私が言って欲しかった言葉、それを大人の私は彼女を通して子供の私に語りかける。子供の私はもういない。そのまま大人になってしまった私だけがいる。しかし大人の私の中に間違いなく子供の頃の自分を見いだすことができる。子供の私‥正確に言えば、置き去りにされてしまった感情なのかもしれない。あのとき泣きたかった。あのとき苦しかった。あのとき友達がほしかったけど、冷たい態度をとるのならみんなどこかに消えてしまえという怒り。みんなみんな押し込めていた。そんな気持ちがあった思いを抱きながら私は自分の感情をうまく外に出せなかった事をおばあさんの姿に重ねてしまう。『ちゃんと聴くよ』『安心して話してよ』そう言い続ける事で自分の気持ちも少しは救われるような気がしている。
2007/05/28

認知症がひどくなってくると症状の一つとして「妄想」というのが出てくる。人間、ある程度「事実」だと判断するために色んな情報から自分の考えを修正しながら「自分にとっての事実」を形作っていく。「妄想」は事実の裏付けをすることなく自分の偏った考えをそのまま事実だと信じてしまう症状である。だから人から見たら、「ありえない」「よく考えたらそんなわけない」そう思えるようなことまでその人は「事実」だと思い込む。「絶対そう」そう信じている。今、一番その症状のひどいおばあさんがいる。おばあさんは頑なに信じきっている。何を?「息子夫婦が私の財産を横取りして無一文で私をここに放り込んだ。ここの職員は息子達にお金を与えられて私をここから出られなくしようと閉じ込めている。お金を返して欲しい。ここの人はみんな息子のスパイだ。」・・・ちょっと・・イヤ、かなり「違う」んだけどな。事実は少しそれとは違う。でも彼女は頑なに信じている。「ここから出せー」そういって杖を振り回して暴れたり「ここから飛び降りてやる」そういって自殺しようとしたりとにかく手に負えない状態になっている。彼女の妄想を止めるために薬も使うが感情的に興奮してしまったら中々効かない。私はどうしたものかと考えた。まずどうしてそんなに興奮しているのか「彼女なりの」理由があるんだと思った。人から見て「ありえない」そう思っても本人は真剣にそれが事実だと思っているから。私はゆっくり近づいた。「どうしたん?」彼女は泣き出した。「ここの人はみんな私を嫌っている。意地悪してここから出してくれへんねん。家に帰りたいのに追い出されてしまったんや」彼女は杖の頭をぎゅっと握りしめた。「うちの息子が池で溺れた時みんなが寄ってたかって私のせいにしたんや。私のせいじゃない。でも私のせいにしているからみんな私をいじめるんや」彼女の息子さんが最近池に落ちたという事実もないし、ましてや一緒にいない。もしかしたら息子さんの昔の頃の記憶と混同しているのかもしれないが、思考の流れは明らかにおかしかった。しかし彼女にとってはそれが「真実」なのだった。私達から見て「妄想」だと思えるようなことが真実なのである。私はひとしきり話した後静かに彼女の横にいた。車椅子に乗って玄関にいる彼女に、通りすがりの職員が声をかけていく。彼女の顔が段々強張りだす。みんなの声のかけ方を聴いているとほとんどの人が「そんなこと言わずにここにいたら楽だよ」とか「池にはまった・・って息子さんもういいお年じゃないですか」とか「そんなことないですよ。ご飯でもたべましょうよ」というような言い方をしているのに気がついた。みんな「ありえない」=「架空」=「妄想」という視線から話をしていると思った。おばあさんにとっては、それが真実なのに。いたずらに肯定はしないけれど、否定はしてはいけないんじゃないかと思った。池にはまって。追い出されて。無一文で。みんなに嫌われて。そういう考えの先にあるものは何なのだろう。感情。そう。哀しみ。怒り。絶望。焦燥。煩悶。今その考えに苦しめられて彼女は怒りや哀しみを感じているのだ。私は「怒り」「哀しみ」を聴いてあげたいなぁ、と思った。彼女の手を握った。冷たくて強張っていた。「そうなんだ。家に帰りたくても帰られないんだ。そりゃ辛いよねぇ。みんながアナタのことを悪く言っていると思ったん?そりゃいたたまれないよねぇ。そかそか。・・んで、泣いていたんやねぇ。」話をするうちに彼女の話し言葉に、「そうやねん。」「そう思ってくれる?」という言葉が多くなってきた。彼女の手のこわばりが少し緩んできた。心なしか手も暖かくなってきたような感じもする。そうやって話をしているうちに彼女は突然号泣しだした。「おかあちゃんー」どうやら私を母親と間違ったらしかった。私は彼女の小柄な体を引き寄せ「そかそか、辛かったねぇ、しんどかったやろ」そういい続け背中をさすった。彼女は私に体を預け、眼を閉じながら言葉途切れることなく喋り続けている。「おかあちゃん、おかあちゃん」彼女は完全に「私の子供」だった。私はゆっくり背中を擦りながらじっと話しを聞いていた。そうこうして1時間以上たっただろうか。彼女は泣き止みふと私の顔を見てぽつりと言った。「ごめんな、こんな時間までおらしてな。あんたもう夜になってしもうたよ。息子さん、待っているやろに」妄想と現実の狭間に立っている。そんなおばあさんの顔を眺めて、私はにっこり笑った。「ありがとう。ありがと。」
2007/05/27

星影のワルツって歌あるでしょう。昨日のティータイムの時間にみんなで歌いました。「懐かしいねぇ」「好きだったんだよ」さまざまな意見が飛び交いそれはそれでまぁまぁの成功でした。ただね・・。私は、あの歌詞を眺めてて「げげ、やな感じぃ」と思ってしまいました。 「君のために別れるんだ」 これってなんだかなー、って思います。 シチュエーション的にはよく分かるんですよ。 こう解釈すれば切ない思いを歌っているんだなぁ、と。 でもねぇ。 「~のために」 っていうのん、イヤやねんわぁ。 「あなたのために~したのよ」 「きみのために~言ったんだよ」 あたかもそうすることが、全く自分の本心からじゃなくて、廻りのせいに100パーセントしてるみたいじゃない。 なんかずるい(笑) あれもこれもしたが最終的にその判断を下したのは「自分」なんでしょう。 「~のため」 という言葉は、他人のせいにしてしまいかけないような勢いがある・・それだけじゃないけれど。 それがなんとなく胡散臭く感じるのは私だけなのでしょうか。 結果が相手の本意に染まない。 言ったらありがた迷惑な話。 あなたのためにしてやっているんだから 感謝こそすれ恨まないでよ なんかそんな感じ。 「~のためを思ってやってあげてるんだから」 この言葉には有無を言わせないような押し付けを感じる。 「君のために別れたんだ」 相手にとっては甚だ迷惑千万な話。 勝手なことしないでよ、自分の人生自分で決めるわ、別れなければいけなかったら自分で別れを切り出すわよ・・・。 そんなことを言おうものなら、 「感謝もなしなのか」 そう逆切れされそうだにゃ~^^; すみません。現代っ子なんです、あたし。 そうはいうものの、優しい別れ方ってあるのかな。 例えば・・相手がきっぱり思い切れるように自分が悪役を引き受けることができる人・・うーん、優しい人だ(笑)そんな人ねぇ・・。 別れること 別れなければいけない状況 それは誰が悪いかなんて一概には決められないもの。 いろんな要素が絡み合って 次第に関係が崩れていく そして破綻。。。 お互いの気持ちのずれ。 流れていく状況。 誰が悪いか 誰も悪くはない 全てがずれなのだから 悪いとすればみんながそれぞれ少しずつ悪いのかも。 だから尾を引く だから根にもつ だから念が残る しかたないこと 諦めなければならないこと そんなだれも悪くない状況で みんなの鬱積した感情を一手に引き受ける 「悪いのはオレだー」的な。 「オレがおまえを捨てたんだ」 「おまえと自分の人生天秤にかけたら人生のほうが重かったんだ」 そんなことを鮮やかに言ってのける男性。 いいですねぇ(笑) 完璧な悪人。 いまどきそんな人いませんて。 でもあえて悪役ぶる人は素敵なのかもしれない。 自己保身に走り勝ちになっている人が多い今では決してお目にかかれない。 振るならきっぱりと振ってくれ。 切るならすっぱり切ってくれ。 そのほうが傷口は早く塞がりやすいのです。 優しい別れ方。 それができる人って強い人だと思う。 逆に女もそれができるひと いいと思うんだけど。
2007/05/25

ミキさんは、いつもほっこり笑うおばあちゃんでみんなから好かれていた。 人懐こいおばあちゃんで「ありがとう」というのが口癖のおばあちゃんだった。 人の世話を焼くのが好きでいつもみんなからも「ありがとう」と言われていた。 ある日ミキさんがテーブルの隅のほうでしゃがみこんでいるのを職員が見つけた。 見ると冷や汗を流しおなかを押さえて苦しんでいる。 「だいじょうぶですかっ」 様子がおかしいので救急車で病院に連れていかれた。 検査をして医師が苦い顔をして現れた。 「末期がんです。よくここまでお元気で過ごされていましたね。かなり悪い状態です。よくもってあと一週間くらいです。」 一週間! ミキさんは、入院することになった。 結果を持って帰って職員に伝えたとき一斉にため息がつかれた。 「どうして・・・」 みんな思いは同じだった。 ・・あのミキさんがあと一週間だなんて!?・・ ミキさんの誕生日はその2週間後だった。 満90歳の誕生日。 みんなでお祝いして楽しいときを過ごすはずだったのに・・・。 みんな落胆した。 そんな時ミキさんの家族さんから連絡が入った。 「あと一週間の命、せめて住み慣れたホームで過ごさせてやりたいんですが受け入れてもらえませんか。」 どうやらミキさん本人も自分の死期を悟ったらしくここに帰りたい・・といっているらしい。 私たちは「帰ってきてください。いたらないかもしれませんけれど、できる限りのことはさせてもらいたいです」と答えた。 3日後ミキさんはホームに戻ってきた。 やつれてはいるもののあの笑顔は変わらなかった。 ミキさんに何か想い出を・・・。 そう考えたとき誰かが言った。 「お誕生日会、早めにしましょう。2週間後じゃなくてもいいじゃないですか。」 急遽翌日になった。 お花を取り寄せて、厨房に無理を言って、ケーキを作ってもらって、ミキさんのお祝いの準備に取り掛かった。 誰も何も言わない。 でもみんな知っている。 ミキさんはあと数日の命だということを。 おそらくミキさん本人も・・。 みんな変に明るかった。 でも誰か一人泣いたらみんな「わー」っと泣いてしまいそうな緊張感も漂っていた。 当日。 ミキさんを真ん中にして誕生会が開かれた。 ハッピーバースデーの歌をみんなで合唱した。 ミキさんは嬉しそうに笑っている。 私たちも「おめでとうございます」と口々に言って拍手した。 みんな心の中で涙ぐんでいるのに誰一人泣く人間はいなかった。 ミキさんは「ありがとう、よくしてもらったね、ほんとうにありがとう」と笑った。 単にこの誕生日会のお礼を言っていただけなのかもしれないが、数日後の彼女の運命に際してこれまでのお礼を言っているかのように思えてみんなの心を揺さぶった。 数日後。 安らかに息を引き取られた。 微笑んでいるかのようなその表情を浮かべたミキさんを目の前にして、私たちは初めて泣くことができた。 心置きなく。
2007/05/24

日々の思いは連絡帳に書いているので重複することが多いけれど・・。私は職業柄認知症の人と大半の時間を過ごしている。ある意味まーしゃんと似ているところがある。したいと思っていることができない・・。(これまで簡単にできたことが)老人には、できない・・。(みんなが簡単にできていることが)まーしゃんには、できない・・。その中から生まれてくる焦り、苛立ち、悩み、悲しみ、怒りの感情。傍で見ていてつらいものがある。しかし同じような感情を味わって似たような思いをするけれど、決定的に違うのは、老人は「失われていく機能」「喪失してしまう感情」なのに対し、まーしゃんは「獲得していく機能」「豊かになる感情」という、いわば方向性がまったく違うというところで一線を引いてもいいと思っている。普段職場で「いかに残っている機能を維持してもらえるか」で腐心しているが、家庭に帰ってくると今度は「いかに持っている機能を発展させられるか」に変わってくる。どっちにしたって根気はいるし、先の見えない・・という点では同じかもしれない。でもまーしゃんに対する気持ちは、職場に比べてまだほっとさせられるものがある。もちろんわが子で気の張らない間柄であることはもちろんなんだけれど。毎朝まーしゃんと一緒に集団登校するのだけれど、今日も一日楽しい一日が過ごせますように・・と思いながらリラックスさせようと話しかける。校門でみんなと別れた後教室に行くまでの道に「まーしゃん、飛行機雲空にあるでー」とか「朝顔のみずやりしてるんだって?双葉いくつでてきた?」なんておしゃべりをしながら・・。そんな時つい職場での口調が出ることがあって、まーしゃんが話を聞いていないと思うと「あぁっ!!!ま~~しゃ~ん??」と突然舞台女優みたいになり、「なんてきれいな空なの!!こんなにきれいな空を見たのは、お母さん、生まれて初めてよ~~!」といい、身振りつけながらね^^;・・すると必ず振り向きます(笑)これって重度の認知症の人を振り向かせる技とおんなじやんと心の中で苦笑しながらまーしゃんと話をします。最近は下足室のところで小学校での第二の母「N先生」が待っていてくれてて、まーしゃんの姿を見かけると「ま~~~しゃぁぁん~~~」と抱擁をしてくれます。第一の母、私はそこでこっそり退場。N先生にバトンタッチします。あとどんな様子だったかは連絡帳に詳しく書いてくれるので、それを読んで安堵する毎日です。中途半端になっちゃったけれど、時間がなくなっちゃった・・。もう仕事へ行かなくっちゃ。。。
2007/05/23

歯肉から出血がなかなか止まらない夏ばてが酷すぎるどうしてこんなにしんどいのだろうそう不思議そうに呟く彼の姿が今はもう遠い・・。前骨髄性白血病早速の抗がん剤治療髪は抜け落ち下痢は止まらず発熱がひかない口の中はカビだらけ一端寛解して自宅療養その矢先の脳幹出血彼はあっけなく亡くなった突然にかれの妹が私にコッソリ連絡をくれたそうすることが、兄の最後の願いだったのでと無表情に言われた彼は結婚していたので私は誰からも知られてはいけない存在になっていたから・・思いっきり泣くことすら許されなかった一番最後の思い出は・・夕日が丘の大きな坂で夕暮れを見ながら二人で手をつないでいたことまた明日電話するから・・・明日は必ずあるものだと信じていた私の誕生日に薄紫のカシミアのセーターを買ってくれて眼を細めて似合っているよと笑ったその顔が・・・最後だった明日があるなんて本当は幻に過ぎず明日なんてそれはただの観念の上の話だということを思い知らされたあれからいくつもの季節が巡り私は結婚して子供を生みそして次第に年老いていった私だけが年を取るのに記憶のあの人はいつまでも年をとらないあの日「またな」と手を振ったあの姿のまま生きていることは素晴らしいことよまーしゃんたちに教えているあなたの生きた道のりをたどりながら
2007/05/22

ある時 4つのとげを持つバラは、メリーゴーランドの馬に尋ねてみた「ねぇねぇ、うまさん。 毎日同じ場所でくるくる回るだけで・・・ それで人生幸せといえるの?」馬はフフンといななき笑った「遠くから見たらだれでもそう思うものさ。 視点の持ちようさ。」馬は遠い目をした「同じ場所を回っているように見えるかもしれないが・・ 確実に夢は運んでいるからね。 夢は進化していくのさ。」4つのトゲを持つバラは「そう」といって自分の家に帰っていったそして仲良しの天道虫に今日あったことを呟いた天道虫はそこいらを飛び回りながら笑った「その馬は気の毒だな。 きっと負け惜しみをいっているんじゃないのかな。 そんなことないさ。 ほら。 どこにでも自由に飛んでいける翼があれば・・ きっとそんなことは思わないと思うよ。 こんな自由を味わえる楽しさを感じられたら・・ 馬はきっと考え方を変えるに違いないよ。」そういいながら飛び回る天道虫を見ながら4つのトゲを持つバラは思った自由に飛んでいけるのって感じる感覚を持つことがいいのかしら・・さっきから同じところをずっと8の字に周り続けている天道虫を眺めながらそう思った
2007/05/19

暮れる 紅 繰れない 心模様
2007/05/18

ある時4つのとげを持つバラは、水辺でカマキリにであったカマキリには鎌の部分がちぎれてなくなっていたバラは「片手じゃなかなか獲物が取りにくいですよね」と訊いたカマキリは笑いながらいった 「確かに獲物は半分になっちゃったな。でもおかげで逃げ足は速くなったよ。耳も鋭くなった。今はこれで満足してるよ。」バラは自分の4つのトゲをそっと眺めてみた確かに少し磨り減っている・・・顔をそっと手で触ってみた少し茶色くなっている・・・ちょっと寂しい気もしたが、カマキリの言ってた失われた代わりに新しく身についたものってなんなのだろう・・そう考えてみたバラを可愛がってくれたワシの愛情バラに風除けを持ってきてくれたクマの好意今の私はみんなの好意の寄せ集めで生きているのかもしれないわ新しく身についたもの・・自分に対する自信。 ・・自分を愛しむ気持ち。バラはそんなことを思った。
2007/05/17

去年、枚方市にある職場から転勤で奈良に行った看護師さんと久しぶりにお話をした時のことを思い出した。 彼女は親分肌の性格の人で、私が落ち込んでいるときは「がんばりやぁ」と明るく励ましてくれる。子供の話をしたときに私が、 「負けてられませんよ~、これからですもん。 でもねぇ、私ってぼうっとした性格だから神様が試練を下さったのかもしれませんよね。 何か『学びなさい』っていわれてるんやろねぇ・・。」 といった。 すると彼女は泣き笑いのような顔になって、 「うんうん。 でもそういうおかあちゃんの所にわざと神様がこの子を使わしたのかもしれんよ。 このおかあちゃんやったら、この子を預けても大丈夫やって思ったんやで、きっと。 あんたな~、休みがとりにくかったら代わりに出勤してあげるからいつでも連絡ちょうだい よ、遠慮せんでいいからな。」 といってくれた。 なんだかその一言がうれしくて心にしみた。 焦りは禁物。 実るためにはじっくりと向き合わなければ。 新しい芽を出し鮮やかな葉を伸ばすように じっくり丁寧に時間をかけて向き合わなくっちゃ。 そんなことを思った去年だった。彼女は今年いっぱいで退職する。一緒に働いたのは2年くらいだったか。その間、私たち親子の悩みを静かに聴いてくれていた。寂しい。
2007/05/16

今朝、下足室で「まーしゃんのおかーさんっ!!」と私を呼び止める声がした。振り向くと立っていたのは、まーしゃんのクラスメートのMくんだった。Mくんは、駆け寄ってきて私に「はい」と言いながら私の手のひらに何かを乗せた。黄色い花だった。「まーしゃんのおかーさんにあげる!」そう言いながらはにかむように笑って教室のほうに駆け出していった。小さな小さな花だった。でも手のひらが温かくなってくるような気がした。私はつぶしてしまわないように、そっとそっと気を遣いながら持って帰った。枯れてしまうのが惜しかった。そっと水差しに差し込んだ。仕事から帰ってきてからもその花はひっそり咲いていた。私はMくんの笑顔を思い出して明日の朝、ありがとう、そう言おうと思った。・・・ありがとう。私は人付き合いが下手なので、友人も少ない。数人の友人たちとは細々と交友関係を続けている。しかし自分からはあまりアプローチしない。自分でも淡々としているなぁと思う。そんな私にある日メールが一通。まーしゃんが通っていた保育所で同じクラスだったお母さんからのメール。「まーしゃんの写真が保育所に掲示されているから、よかったら申込書に書いて申し込んでおきましょうか・・。」・・・かなり嬉しい。・・・すごく嬉しい。「はい・・。」そう返事しながら私はどきどきしながら何故か「泣いた赤鬼」の話を思い出していた。村の人間に嫌われていた赤鬼・・どうして鬼だというだけで、人間と少し違っているからって嫌われるのか・・・。私は小学生のとき「選択性緘黙症」で人と喋ることができなかった時期を経験している。そのとき周りの子供は「なんで喋らへんの?変な子やな」と言った。担任の先生も「ふざけるな」と怒り、後でうちの親に電話して「ふざけすぎています。あの舐めきったような顔にチョークを投げてやろうかと思いました。」そういったらしい(親に後で散々罵倒された)まだいまだにそういうコンプレックスを引きずっているからこういう場面だと面食らい、照れながら、かなりどきどきする。・・・いいんですか、私と仲良くしてもらっても??なんだかそう思っちゃう自分がいてたりする。連絡帳。私より絶対先生のほうが気合入っていると思う。最近の楽しみは、毎日連絡帳を見ること。自分が一生懸命になれば、必ず相手も返してくれるんだ・・という思いを感じさせてくれる。だって・・。こんなに熱心にうちの子のことを見つめてくれる先生たちに当たったの初めて・・よ。
2007/05/15

奥の部屋に入った。真っ暗でカーテンを開けようとすると、なにやら黒いものが・・。なんだろうと思ってよく見るとぬいぐるみのライオンだった。布団が敷いてあって毛布がかけられていた。私はそんな優しいお兄ちゃんが好き。「寒かろう」そう言いながら毛布をかけている姿が眼に浮かぶ。・・優しいよね、お兄ちゃん・・。ヒヨドリと半分こ、しようかしらね・・。そう言いながら裏に植えてあったサクランボウの樹にたくさん実が実ったのを採った。かごにい~っぱい採れた。グルメなおばあちゃんが「ジャムにしようかしらね」と持って帰ってジャムにした。子供たちは作ってもらったジャムをスプーンですくいながら味見する。「あぁ、おいしいねぇ!」そのときの笑顔がなんともいえなくて私は心が暖かくなった。先週の金曜日の日に小学校の先生が家庭訪問に来てくれた。普通学級の担任の先生と養護学級の担任の先生2人の計3人。まーしゃんの学校での様子を細かく話してくれた。私も家でのまーしゃんの様子をできるだけ先生に伝えたいと思って必死になって喋った。・・・好意的に受け止めてくれているのでものすごく話しやすい。話たけなわ?な頃、先生が感心したように言った。「それはそうと、お兄ちゃん・・いい子やねぇ、ほんまにいい子やねぇ・・。」まーしゃんが留守家庭児童会に行って兄は帰りにそこへ迎えに行って一緒に帰宅する。まーしゃんがおやつを食べているときもじっと待っていてそれから帰るのだそうだ。まーしゃんの担任の先生が自分の教室に来たときは、嬉しそうにまーしゃんの話や家でのことを話したりするそうだ。横で話を聞くとはなしに聞いていたお兄ちゃんが顔を赤らめた。そこへ「ただいまー」と長男の声。部屋に入ると先生方に「こんにちは」と挨拶する。養護学級の先生が「ひさしぶりやねぇ」と笑った。長男は去年登校班の班長をしていたのだが、同じ班の子に養護学級に通う子がいてその子が休むたびに連絡帳を届けていたそうだ。「よく来てくれたよねぇ。」そう先生に言われると長男は照れたように笑った。みんなが笑顔で話している光景を見ながら私は目頭が熱くなった。一番上のお兄ちゃんは学校でも有名?なトラブルメーカーだった。今から思うとまーしゃんよりは軽いけれど、学習障害の傾向はあったのだろう。・・忘れ物をよくする。・・消しゴム、ノートはすぐにどこかへなくしてしまう。・・集中力がない。・・場が読めない。小学校の間、ずっと言われてきた。「怠けています」「サボっています」「やる気がない」そしてその子の親である私もかなり言われた。「放任主義ですね」「子供がかわいくないのですか」「もっと子供に目を向けてあげないと・・」今から思うと、まーしゃんに対するようなかかわり方を長男にもしなければいけなかったんだ・・ってわかるけれど、そう当時はそんなこと判らなくて親子で涙を呑んだことが何回もあった。「こういう子の親が働きに出るなんて・・」・・私は黙って聴きながら、この先生は私たちの生活もよく見えてないのにどうしてそんなことをいとも簡単に言うんだろう、と思った。連絡帳に「放任主義はやめてもっとお子さんを見てあげてください。」そう書かれてあり・・それを長男はどうしても私に見せられなかったのだろう。そのページだけ破り捨ててテレビの裏にくしゃくしゃにして放り投げていた。・・・それを見つけたのは学年が変わって別の先生が担任になってからだった。私はそういうことを書かれたというよりも、それを私に渡せずにくしゃくしゃにして捨てざるを得なかった長男の哀しい気持ちに涙が出た。「きっとこんなん、お母さんが見たら悲しむだろう」自分のことを弁護?してくれたはずのその先生の言葉が長男には自分を含めた親子への非難に聞こえたのだろう。「またあの先生が担任じゃなくてよかった」そうポツリともらした長男の言葉が重く私の心にのしかかった。しかしそうは言うものの、今の私は、これって「タイミング」なのよね、きっと・・そう思っている。お兄ちゃんも私もそういうことを経験しなければ見えてこなかったもの。経験して初めて見えてくるもの。・・それが今のまーしゃんに対する姿勢の基本になったのだと思う。そういう意味でお兄ちゃん・・ごめんね。もっと早く気が付いてあげられたら・・そう思う。そんなことを思いながら、お兄ちゃんたちのいい部分を探してくれて私に話してくれた先生たちの好意がとてもありがたく思えた。「ありがとうございます、これからもよろしくお願いします。」先生方が、「ではそろそろ・・」といって立ち上がりかけたとき・・。予想もしないことが起きた。お兄ちゃんがお皿にサクランボウジャムをよそって持ってきて、先生方に配りだしたのだ。先生たちはびっくりしながらも「おいしいよ」と食べてくれた。・・・私は声にならない声で心の中で泣いた。もちろん嬉し涙で。お兄ちゃんの先生たちを見る目が、去年と比べてぜんぜん違った。「僕たちの味方(仲間)なんだ」そう言っているかのように見えた。
2007/05/14

「少し遅くなるね」そう電話して「なんでー!!!!!!」と子供に怒られた。「ちょっとね、お見舞いに行きたい人がいてんねん。」お見舞いに行きたい人・・・彼は65歳のアルツハイマーの人だった。病状がかなり進行しほとんど寝たきりで身動きとれず、自分のつばを飲み込むこともできないほど体は拘縮し、彼に与えられた自由は・・唯一目を動かすことくらいだった。彼がこの施設に入所してもうすぐ3年になる。始めは失われていく機能に、彼自身が驚愕し激怒し荒れまくった。「邪魔するなーっ!!そんなことくらい自分でできるわ!!」私たちは手探り状態でどう関わっていたらいいのか模索し続ける毎日だった。彼と絆ができ、自分の病状を諦め受け入れざるを得ない頃には・・彼はほとんど動くことができなくなっていた。泣きたいくらい哀しくても言葉が出てこない・・涙を浮かべるだけ。誰も来ないベッドに一人寝かせられ、たまにスタッフが来ると・・彼は目で「ありがとう」「嬉しい」と合図した。彼は目だけしか使えなかった。でも目は雄弁だった。目で彼は訴えた。しかし・・私たちは彼自身の想いの半分も気がついてあげられただろうか・・。ある時私は彼の部屋に入った。全身の抵抗力がなくなって体中から膿が吹き出ていて・・悪臭がすさまじい。換気はしていても匂いはこもっていて、彼自身の体から常時出ているその匂いが哀しくて仕方なかった。「おはよ」そう問いかけると彼の目だけがこちらを向いた。「今日はね、少し曇っているけどね・・暖かくなりそうよ~」彼の目が遠いところを見ている目になった。私は少しでも元気つけてあげたくて彼の好きだった歌を歌った。・・・荒城の月・・・。彼は好きでこの歌を歌える頃にはよく歌っていた。・・・春高楼の花の宴・・・一生懸命に歌っていて、ふと彼の顔を見て驚いた。彼の目が私の顔に釘付けになっていて、そして・・涙を流していたのだった・・・。私はそれを見ると思わず自分でも涙がこぼれてしまい、「ごっめん~~~!そやなぁ。変な歌詞やなぁ。何でこんな歌うたってしまったんやろ」そう言った。・・と、その瞬間彼の動かなかったはずの手が数センチ動き・・空を切るような仕草で手が上に上がり・・そして数秒後、力尽きたようにバタッとベッドの上に落ちた・・。私は思わず手を握って「ありがとう」「よくわかる」と何回も呟いていた。そんな彼が肺炎で入院した。末期状態の彼はかなり病状は悪く・・今日明日とも知れないといわれてしまっていた・・・。私はこの日にお見舞いに行った。「Hさん??」そう話しかけたがすでに彼は意識がなく、呼吸も止まりかけだった。私は胸のつぶれる思いがした。「Hさん。ようがんばったねぇ。しんどかったよねぇ。お孫さんがうまれたんだって?おじいちゃんになったんやって?おめでとう・・。抱っこしたかったよねぇ。そうやねぇ・・。Hさん・・・。」最後のほうになるともう言葉にならなくなった。彼がアルツハイマーと言われてから7年が過ぎる。最後の入院のとき奥さんが涙ながら「この人は7年間頑張ってきたんです・・だからこれ以上頑張らなくても・・」と言ったのが印象に残っている。そう頑張ってきたもんね・・・。頑張っている人にこれ以上頑張れとはいえない・・でももう頑張るなともいえない・・・言葉のなくなった私に彼は精一杯の呼吸をしながら答えてくれたような気がする。私は彼の手を握りながら「ありがとう」それだけ言った。後で亡くなったのはその一時間後だということを聞いた・・・。帰ってから子供に「ごめんな、遅くなって」と言いながらかいつまんでその話をした。子供はしばらく黙っていたが、「それやったら仕方ない」とだけ言って自分の部屋に戻った。
2007/05/13

とりあえず画像はっとこ^^;
2007/05/12

海は漣を繰り返し 山は森を蓄えて その存在を表現する 花は可憐に笑い 大地は静かに眠っている 誰も 海を山を花を大地を 何ものであるか問うたりはしない ただそこにあるものだから あなたに見せたい 海を山を花を大地を そして それを見るあなたが そこにそうしているということの素晴らしさを 感じるままに感じてほしい 聞いているままに聞かせてあげたい 怖がらないでほしい この世に怖いものはないんだと 怖いものは自分の心が作るんだと みんななんにも考えちゃいない あるのはそれだけのもの ただ存在してるということ それがあなたの心に響いてくることの意味を それがあなたが生きていると実感するということを 知ってもらいたい 一緒に 見たい 聞きたい 感じたい 泣きたいときには一緒に泣きたい 嬉しいときには一緒に嬉しがりたい 海のように 山のように 花のように 大地のように 何にも考えずに ただ存在してるだけで 感じとられる そんな存在になってほしい 去年のまーしゃんの落ち込みようは見ていてもかわいそうなくらいでした。「オレ、こんなんできへんわ」「(できへんことを)やりたくないわ」保育所に行くのを嫌がりじっと暗い目でみんなが遊ぶのを眺めていた時期がありました。自分のアンバランスさを自覚してしまったまーしゃんにとってみんなと共同生活をするというのは、かなりつらいことだったんじゃないかと思います。私はまーしゃんを始め兄弟をよく夕日の沈みかけようとするのが見える田んぼへ連れて行きました。みんなきゃっきゃと言いながら走り回ったり遊んだりしています。私はみんなに「なぁなぁ、夕日が沈むで~、ほら」と指さすとみんなは「あっ!ほんまやぁ」とその瞬間をじっと眺めいります。私は「お日様って勝手に昇ったり沈んだりしよるなぁ。大きく見えたり小さく見えたり。でもだれもお日様がなんでそんなんやってお日様に訊いたりせぇへんよなぁ。お日様ってそこにあるからなぁ・・。」といいました。兄弟は聞くことはなしに聞いていました。「花だって一生懸命に咲いてるもんなぁ。でも誰も『なんでそんな隅っこに生えてるんやぁ』とか『なんでそんなに曲がって生えてんのやぁ』なんて花に訊いたりはせぇへんもんなぁ。」「咲いているだけでいいやんなぁ。そこにあるいうだけでいいやんなぁ。生きているいうだけでいいやんなぁ・・。」「人間って不思議やね。みんなと同じじゃないと『なんでこの子はできへんの』っていうもんね。『なんでみんなと違うん?』っていうもんね・・。」「いいやんなぁ。できへんことがあってもできることもあるもんなぁ。お母さんなぁ、まーしゃんのすごいこといっぱい知ってんねん。すごいところってどこか知ってる?」お兄ちゃんたちはしばらく考えていましたが、「まーしゃんなぁ、車の名前全部覚えてんねん!」「それとなぁ、頭突きがすごいパワーやねん!」「あ!メロンソーダ、5杯もお代わりできんねん!」とたくさん言ってくれました。私はまーしゃんの顔をそっと眺めました。まーしゃんは嬉しそうでした。そして得意そうに「おれなぁ、何でも車のことは知ってるからな!」と鼻を膨らませました。まーしゃんに怖いものはなんにもない・・自然はただそこにあり、人もその中で暮らしている、自然に怖いものなんてない・・『怖い』というのは自分の心が作り出しているものなんだ・・と教えたくて。まーしゃんが、生きていることは「自然」なことなんだということも教えたくて。まーしゃんが、自分の個性をあるがままに受け止めてくれたらいいなぁと思いました。私はまーしゃんに感じてほしいことは「毎日が楽しい」「諦めなかったら願いはいつか(形は変わったとしても)かなう」ということです。大きくなってしみじみと「生きててよかった・・」そう感じてくれるように支えていけたらいいなぁと思います。
2007/05/11

今日は衝撃的なものを見てしまいました。といっても自然界では当たり前のことなのかもしれませんけれど・・。お昼に私がベンチに座っていた時のことです。ふと足元を見ると一匹のムカデがものすごい勢いで這って来ました。私は驚いて足を引っ込めようとしました。しかしムカデは私の足の真横を通り抜けました。よく見るとそのムカデは体が半分千切れていました。おそらく自動車に轢かれたのでしょう、半分の体で這っていたのです。そして用水路の溝の鉄のふたの部分に頭を乗せました。触覚で鉄の部分を確かめたかと思うと、ふぅとまるでため息をついたかのように体の力を抜いたのです。くたっ。本当にそんな感じです。あれあれ??もうだめなんかなぁ。そう思いながら眺めていました。するとそこへ急にアリの群れがどこからともなく現れたんです。本当に急に現れた・・って感じで。横たわっている瀕死のムカデの足に食いつきだしました。アリが群がっている・・そんな感じです。ムカデは弱弱しく抵抗しますが、アリは情け容赦ありません。ムカデは暫くじっとしていましたが、最期の力を振り絞ったのでしょう。大きくのけぞったような曲線を描いてアリを振り払い、そのまんま用水路に落ちていきました。時間にして5分くらいの事でしたが、私はしばし時を忘れてその光景に見入っていました。自然はシンプルだけど、時として残酷です。アリの獰猛さも心に残ったのですが、それより心に残ったのがムカデの行動でした。半分の体で一生懸命逃げてきたんです。必死に。用水路の鉄の冷たさがひんやりして気持ちよかったのか、ほっと頭を預ける所作がなんとも言えず健気な感じがしました。逃げ場、居場所はここなんだよ・・って言っているような・・。おそらく自分と重ねてしまったのかもしれません。体がくたくたになるまで働いて、逃げ場のない自分。子供を養うためには一生懸命戦わなくてはいけない自分。私の人生、走っているようなものですから・・。傷ついてボロボロになってもまだ走らなきゃいけない・・。だからこそムカデがホッと頭を預けている姿を見て何だか自分までホッとしたのかもしれません。その後が残酷でしたけれど。たった5分の寸劇でしたが私にとっては何だか衝撃的な出来事でした。
2007/05/10

My amount becomes happy, too. 休みの日の朝、仕事に行く時子供は必ず見送ってくれる。 玄関で靴を履いていると後ろからそっと抱きついてきてくれて、 「今日は遅くなるの?」 そっと訊かれる。「頑張って早くに帰るからね。晩ご飯何が食べたいの?」 すると抱きついていた手が少し緩んで「えっと・・ハンバーグ!!」と笑いながら答えてくれる。「そか、いいよ。つくろうね、一緒に。」そう答える。 車に乗って行こうとすると後ろにじっと立っている。 私は手を振りながら「早よ、帰るからね、賢くしときや。」と笑う。車を出してバックミラーを見るとまだ手を振っている。ずっとずっと手を振っている。見えなくなるまでずっと手を振っている。角を曲がる時にチラッと見た時にその姿が見えた。その姿を見たとき、急に前に子供が言ったことを思い出した。「ボク、大きくなったら調理師になってお母さんに美味しいものいっぱい作ってあげるからな。いっぱい喜ばせたるからな。」 そういえば・・こないだ、しんどくて寝ていたとき、へんてこな格好のおにぎりを作って、枕元まで運んでくれたんだった・・・。額に手を当ててくれた手は、昔のような紅葉のような手ではなくて大きなしいたけのような分厚い手になっていたんだった・・・。引き返して抱きしめてやりたくなったが・・・首を横に振ってそのまま車を走らせた。I am being healed by you.
2007/05/09

まーしゃんの学校関係は、自分でもかなり気を使っています。私自身が情緒障害児・・(と診断されていたらね・・・昔はそんな意識はありませんでした。)だったので、自分でもかなり意識しないとうまく人間関係を結べません。自分の小学校の先生にも「怠けている」「反抗的」「閉鎖的」何とかしてください、お母さん。そんなことを言われ続けてきました。今のまーしゃん、見ててもわかります。同じような想いを私の担任の先生は感じていたんだって。でもだからこそ。まーしゃんには私が感じていたような居場所のなさを感じては欲しくなくて・・。学校が楽しい場所だったらなぁと思います。変でしょ。文字を羅列するのは得意なんですよ。でも発語するのは苦手なんですよ・・というか緊張してほとんど喋ることができません。本当に何回も何回もの関わりがあって慣れてきたら・・。これって今のまーしゃん・・そのものなんですよ。わかるからこそまーしゃんには、気まずい思いをさせたくない・・なんてね。そう感じるからファイトが沸きます。がんばれ、母。・・・微々たる力なんですけれどもね。この一ヶ月間、自分でもかなり気合入れてました。でもがんばるためにはたまに自分の中での達成感とか満足感って必要じゃないですか。「こんなけがんばったんやから次もがんばろう」って。そんな達成感。必要です。今ね。。。連絡帳をしみじみ眺めているんですよ。入学式のときにいただいた真新しい連絡帳。ページをめくってみると・・・。驚くことに連絡帳・・もうノートの半分、文字で埋められているんですよ。まだ一ヶ月なのに。学級担任の先生。養護学級の担任の先生2名。それと母。4人でね・・さながら交換日記みたいにねぇ・・書いているんですよ。読み返しながら本当にじーんときています。人の好意のありがたさ・・ってのがね。読み返しながら去年までいた保育所のことも思い出していました。ちょうどまーしゃんが、3歳で入所した当時は、夫がリストラ状態になって頑張って働かなくては・・と、一念発起して仕事を変えたばかりでハリネズミ状態になっていて、誰にも仕事のつらさ、家庭のつらさ(夫は障害を持った子供についてなかなか受け入れることができなくて『妊娠しないと言われて・・でもできて結果・・だまされて作らされた子やしなぁ』と発言し冷戦状態でした)を打ち明けられず頑なになっていた時期でした。その中でまーしゃんを、自分の子供のようにかわいがってくれた担任の先生には今でも頭が下がる思いです。いつも自分の事でいっぱいいっぱいになる私を「まーしゃんはね・・。」とまーしゃんの気持ちを伝えてくれたのもこの先生でした。夫と別れた後でも自分はまーしゃんを始め子供たちを育てなければいけない・・そのためにがむしゃらに基盤を懸命に作っているつもりでしたが・・でも本末転倒なことをしていると気がつき改めて思い返しました。一番大切なのは・・貧乏でもしんどくても・・子供の笑顔が見たかったんだ・・。そこから気が抜けてきたようでした。自分とおんなじまーしゃん。まーしゃんのおにいちゃん。この子たちが笑うと自分の子供時代がよみがえってきます。この子たちが泣くと自分の子供時代がよみがえってきます。
2007/05/03

月が膨らむのは 人の生命力をむさぼるように 自らの糧とするためなのか月が膨らみ 人が亡くなる***********************************大阪弁・・本音ここまで一挙に悪くならんかていいやろ・・・というくらい急変が相次ぐ。連ちゃんで救急搬送3件。この3日間の勤務時間45時間だよっ。タイムカードが毎日2日にわたっている・・。しかも朝は涼しい顔して登校班と一緒に小学校に行き担任と朝の申し送りをする。朝からドローな顔見せてたら子供も不安がるし。朝はまだいい。昼ごはん食べてから急激な睡魔に襲われる。自分では起きているつもりだけどなぜかパソコンの画面には、「rrrrrrrrrrrrrrrr」という文字が並んでいたりしてあ、意識不明になってた・・と思う。今日は休み。ゴールデンウィーク中この日だけ。映画を見に連れて行ってほしいとの要望あり。待ってて。ちょっと今から2時間ほど仕事してくるし。それが終わったら、今日はぱーっといこうぜ!!母も今日は泡盛解禁にするからさ。君たちもメロンソーダたくさん飲んでもええわ。舌を真っ青にしながら甘えてもかまへんからね!!
2007/05/03

最近夜が遅くて眺める顔のまーしゃんはこんな顔が多い。どんな夢を見ているんだろうか。子供の寝顔は罪がない・・・ってみんな言うけれど・・・本当にそうよね・・・。なかなか夕方一緒に話ができる時間がとれなくてね・・ごめんね。いっぱい言いたいこともあるだろうしまだまだ甘えたい時期なんだけどなぁ最近面白い「芸」?をするようになった。まーしゃんに「面白いからやってやって~~」と頼む。まーしゃんは鼻の穴を膨らましながら「いくで~」と気合入れる。一人芝居。まーしゃんは、右手と左手を交互に眺めながら一人芝居をしていく。「おー!やるんかい?」「おー!やるよっ!」「初めての喧嘩やな!」「初めての喧嘩やぞ!」「調子乗ってたらあかんぞ」「えらそうにいうなよ」バシッバシッ(効果音)「おい、結構やるな、前よりも強くなったな」「きたえてるんだよっ!」「おいおい、そこでしゃがんでなにをしているんだよっ」「うんこをしているんだよっ」何回かやってもらうと微妙に変化するのだけれど、大筋ではこんな感じ。なぜか、喧嘩しているときは「関東弁」で最後に相手がしゃがんで「うんこ」をしているシーンで終わる。「らりるれろ」はいっちょ前に舌を「るるる」とまわす。しかし初めての喧嘩のはずなのに「前よりも強くなったな」というところの矛盾は気がついていなかったりする。とはいうものの、毎回やってもらうたびに「ぎゃははは~~、むっちゃ面白い~~」と大笑いするので、まーしゃんのほうが「えっ!?こんなんで面白いの??」と面食らったように、逆に訊いてきたりする事もある。・・・だって面白いもん。そんなまーしゃんの姿を眺めながら、私は血は水より濃いなぁとしみじみ思う。自分も小学校の低学年のとき同じような一人芝居をしていたことが突如鮮明に思い出されてきた。私の場合は「樹」に喋りかけていた。そのころ森林浴なんて洒落た言葉すら知らない時代だったからきっと樹にぶつぶつ独り言を言ってる子供は人は「おかしい子やな」と思っただろう。聞きかじりの大人の言葉が使いたくてでも人には恥ずかしくてなかなか言えなくて。こっそり樹に向かって話しかけていたことをぼんやり思い出す。・・・一緒やな、やっぱりわが子でもねでもね。まーしゃんが「人生ってこんなもんやな」っていうのを聞いて・・・びっくりした!私・・そんな語彙持ってないし・・。恐る恐るまーしゃんに訊いてみた。「え!え!それって・・誰かが言うてたん???」まーしゃんは「ううん、一人でかんがえたん」とオリジナリティをしきりに強調していた。けど。うーーーん。そこまで彼は人生わかっているんだろうかしら・・・。と思わず考え込む母だった。
2007/04/29

楽しい思い出は思い出にまつわるものが今優しく自分の胸に響いてくるものであったとしたなら楽しい思い出であり続けるのでしょう楽しい思い出が今思い出すと哀しくなるのであったとしたならそれは自分の胸の底、奥深く深く・・・沈めてしまったほうがいいことなのかもしれません例えば私たち人間が人に執着するようなことがありますよねそんな時人というよりはむしろ思い出 それも楽しい思い出に執着しているのかもしれません「あんなに楽しかったのに」「あんなに心通わせていたのに」思い出が見せてくれる幻影永遠はないそれは判っているけれど人間は永遠がきっとどこかにあるのかもしれないとそう思わないとやりきれないでしょうから遠くの星に永遠がありはしないか思わず探してしまいますでも星は自分の心に深く深く・・・沈めてしまったほうがいいのかも知れません
2007/04/25

いくらか聡明そうな人に出会うと、いつも持ち歩いていた最初のデッサンを、ためしに見せてみました。本当にものの分かる人かどうか、知りたかったのです。ところで返事はいつも決まってこうでした。「それ、帽子だろう?」そういわれると、ウワバミについても原始林についても星についても触れず、その人に合わせて政治やネクタイについて話すのでした。するとその人は、ぼくが自分と同じようにもののわかる人間だと思って、大変満足するのでした。小島俊明訳永遠の子供なのかもしれない価値観に縛られることが大嫌い「それが当たり前」ずっとその言葉に反発してきたから「泣いている子にはやさしくしなさい」その言葉の後には必ずカッコつきで(それが当たり前)とくる感情は誰にも強制はできないよ感情は自然とわいてくるものだもの
2007/04/24

最近まーしゃんは、ほかの子のことが少しずつ気になっているみたいですね。ほかの子がやっているのを見て「オレもやる!」「オレのほうがうまい!」なんてことを言うようになりました。でもそれは狭い範囲・・・ほかの子・・というのはお兄ちゃんなんですけれど。こないだお兄ちゃんが丁寧に漢字を書いていたので「きれいに書けたねぇ!」そうほめているのを聞いていて・・・がんばりましたね。「これ!オレが書いてん!!」得意満面で持ってきてくれたのは、学校で色塗りしたプリントでした。あの殴り書きしかできなかったまーしゃんが、よくぞここまで・・と思わず涙ほろり。学校で「オレ・・きれいに書けへんねん」そういいながら何回も書き直していると担任の先生に教えてもらいました。書けないことを「書けない」と言える先生に出会えたことはまーしゃんにとってよかったと思っています。そんな負けず嫌いのまーしゃんですが・・。相変わらず登校して私と離れるときは「ぎゃ~~~」「わぁ~~~ん」なんだかこの世の終わりみたいな顔をして泣き叫びます。担任の先生と養担の先生2人がかりで抱きかかえ私は涙を呑んで「いってらっしゃい」をします。でもそれだけ泣くんだからさぞ学校内でつらい思いを・・そう思いきや・・・教室を外越しに恐る恐る覗いてみると・・・わぉ!!!担任の先生に抱きついて甘えてる!笑ってる!!・・・むちゃくちゃ役者やのぅ・・・。半分そう思いながら少し安堵する母でした。
2007/04/23

何かを手放すこと勇気が要ること自分の手から はなれていくとともに手放すものから自分が自由になること過去に受けた傷を癒すことそれは傷を捨て去るということまた傷つくんじゃないかという怖れを捨て去ること人の優しさが少しずつ怖れを溶かしていくこと
2007/04/22

忘れないで 私と交わした言葉のひとつひとつを 忘れないで 私と一緒に眺めた風景のあれこれを 忘れないで 私と感じてた感覚のひとつひとつを 忘れないで 私と過ごした時間紡いだ記憶のこと 忘れないで 私という人間・貴方を愛してる人間 忘れないで 忘れないで 忘れないで 人の死 誰かが言ってたわ。 人の死 それは心臓の鼓動が止まるときでなく ・・・・・ 人の記憶から消し去られたときに はじめて死ぬのではないでしょうかと 忘れないで 貴方に忘れられたとき 私は存在しなくなってしまいますから貴方の心に ずっと 生きていたいのです
2007/04/21

一時期父子家庭だったときがある。母親がいなくなって、私と弟は家にひっそりと黙って父の帰りを待っていた。平日はいつも遅くまで父親は仕事をしていた。父親は、朝のうちに夕方まで私達がきちんと食べられるようにたくさんの調理をしておいてでかけてくれていたのでおなかを空かせて待っているということはなかった。私と弟は夕方になると鍋の中のものをすくいとっては食べている毎日を送っていた。私はそのころ幼稚園児だったからほとんど調理はできなかったけど、たまに卵焼きをしたり、ウインナーを焼いて食べた記憶が残っている。そんな私だったがある日ふと「自分で夕ご飯を作ってみよう。お父さんびっくりするかな」と思い立った。野菜に肉に‥野菜を切りながら父親の顔を思い浮かべてはウキウキしていた。「上手にできたな、結構やるなぁ」そう言われて嬉しくなる自分の姿を想像しては喜んでやっていたような気がする。しかし。あに図らんや。野菜は芯まで火が通っていなくて肉は変に焦げつき見るも無惨な状態になってしまった。あーあ。だめだ・・。私は「失敗だ」とがっくりして鍋の中のものを始末しようとした。そのとき車の音がした。ん?父親が帰ってきた!私は慌てて鍋ごと食器棚の下に隠した。恥ずかしくて、とにかく隠したかったのだ。父親が「ただいま」と帰ってきてしばらくして私の名前を呼んだ。父親の前には私が調理し損なった鍋が置いてあった。「やるのはいい、でも隠したらあかん。」私はうなだれた。恥ずかしさでいっぱいだった。しかし。次の瞬間父親は、信じられない事をした。鍋の中のものをつまんで食べだしたのだ。「うまいうまい」それしか言わなかった。どんなにかまずかっただろうに。父親は黙って芯の残る野菜と焦げついた肉を「うまいうまい」と言いながら食べ続けていた。お父さん・・・。私はそのとき何にも言わなかったけど確かに父親の暖かさを感じた。嬉しいような申し訳ないような気がして涙が一滴ポツリと流れた。あれから数十年。今、自分の小学生の子供がぎこちない手つきで一生懸命料理を作っている。「あぁ、おいしいねぇ!上手になったね。」私は心を込めてありがとうといいながらご馳走になる。子供はぱっと顔を輝かせる。「そぉ?もっと一杯作るからね!」私はうんうんと頷きながら、父親の朴訥な姿を思い出していた。
2007/04/20

「あんじゅさん。どうしてそんなに(重度の認知症の人と)長い間話ができるのですか。」そう不思議そうな顔で訊かれたことがある。訊いてきた人は「何を話していいのかわからない」「反応がない」という。「そう、どんなことを話しているの?」逆にそう問い返した。「今日はいいお天気ですね。」「体調はどうですか。」「血圧が高いから塩分控えめにしてくださいよ。」そう話しかけるのだが話が続かないそうだ。私は笑った。「私自身が子供なんですよ。大人になりきれていない子供の部分があるから・・・。」 子供のとき私は現実の世界と共に自分の独自の世界を作っていた。空想の世界・・といったらいいのだろうか。私はあるときはエジプト女性であったり、羊飼いの少年であったりした。なりきる人物にあわせて周りの環境も変化した。ジャングルジムが大きなお城であったり。田んぼの稲穂が聴衆であったり。小さな川がナイル川になったりした。私は子供の頃「跳んで」いたのかもしれない。現実のこの世界の端っこに命綱をくくりつけ、夢の世界、因果律の届かない世界へ跳んでいたのかもしれない。認知症で妄想、幻覚、幻聴、幻視がある老人たちと話をしているとその「独自」の世界に興味がわく。ずっと手をこすっている人がいる。ずっと。「どうしたんだろう」そう思う。「どうしてこすっているんですか。」そう尋ねる。「あんたはわからんのかね。」「こうしてこすっていくとな、出てくるんだよ。」「ん?何がでてくるんですか?」「虫だよ、虫。体の中にいる虫を追い出そうと思ってな。」虫・・!私は彼のこする手の中から本当に虫が出てくるのかしらと一瞬思う。「その虫ってどんな虫ですか」「何匹くらい?何色?」いつの間にか彼の「世界」へと足を踏み入れていることに気がつく。現実とは違う世界。それが空想の世界であっても、妄想の世界であってもその人にとってのオリジナルなストーリーには変わりがない。むかし自分の夢の世界で遊んだ「子供」がいま認知症老人の夢の世界へ「跳んで」遊びに出かける。 扉を開けて。夢の世界へ。
2007/04/19

いつも仕事の日は帰りが遅くなってしまうからおじいちゃんちで3兄弟は待っている。職場を出るときにおじいちゃんちに電話して「今から帰るわ」と連絡する。車で15分。焦りながらおじいちゃんちのピンポンを鳴らす。ピンポ~ンいつも出てくるのは真ん中の5年生のお兄ちゃん。あわてて出てきているのがよくわかる。たまにおばあちゃんのサンダルを履いて出てきたりするから。どうして慌てて??数十秒ほど・・・ハグハグの時間なので。きゅうっと抱きしめて「ただいま」と言う。それがあの子にとって一番安心するらしくて。でもほかの兄弟には見てほしくないらしくて。児童会のお迎えを頼んでいるのもこの子。「なぁ、お母さん、帰ったらお風呂のお水入れるやろ?」そう訊いて入れてくれるのもこの子。一番構ってやれないでいるのもこの子。寂しい子は甘いものを好む・・・なんて話があったが、この子は甘いものがすき。食べ過ぎて太っている。甘えたい心を体脂肪でくるんで眠ろうとする蛹のように見えて心が痛くなるときがある。新学期早々忘れ物を2回した・・・給食ナフキンと体操服。末っ子のまーしゃんの用意は一緒に時間割をして完璧だと思った矢先のことで・・・。・・・声かけできていなかったな・・・自分でちゃんとできる年齢・・なんてまだまだ先のことなんだろうな・・・。忘れ物をしてしまったというのは、この子の無意識のサインだったのかも知れない。・・・僕だってまだまだ忘れ物しちゃう年齢なんだよ、もっと僕のほうも見てよ・・・彼も忘れ物をしようとしてしたわけじゃないから。3人バランスよく育児をするということは難しいものだわ。私のキャパいっぱいいっぱいだし。そんな矢先長男の通う中学校の担任の先生から電話がかかってきた。「あの・・リコーダーのお金をジュノンくんだけ持ってきてないんですけれど・・」!!!!!!!!!!!わお~!なんじゃそりゃ??慌てて長男に問いただす。長男はしら~っとしながら「そうやそうやわすれとったぁ~~」と用紙をだす。あかん・・・なんとかしてくれ・・・。
2007/04/18

今日は中学校の入学式。私とお兄ちゃんは入学式へ出かけ、まーしゃんは留守家庭児童会へ出かける。まーしゃんは5年のお兄ちゃんに付き添われて校門をくぐって部屋に向かって歩き出した。・・抵抗なし。・・お兄ちゃんが一緒だし(部屋まで)。結構気に入っているのかもしれない。自分の好きなテリトリー内で遊べるから。決められた時間におやつを食べたりお弁当を食べたりするのは、それ自体にフォローは必要だけど、基本的に彼の好きなことだから。同じ班に、保育所でクラスが一緒だったこうちゃんとさきちゃんがいる。顔見知りだからほっとしているかな・・。そう思ってまーしゃんに「よかったねぇ、一緒で」と話しかけた。当のまーしゃんは「うん」と結構淡々としている。・・・一緒に遊んでいるんだろうか。一緒にいるかもしれないけれど、きっと一緒にいて別々のことをしているんだろう・・と考えた。・・でも楽しかったら、ま、いっか・・そう思うことにした。今日は入学式が終わったら11時に小学校で養護学級に在籍する全てのお母さんたちと担当の先生たちとの顔合わせがある。一昨日は1年生4人だったけれど、今日は全員で16名。吸収合併された小学校だけに子供の数が800人。養護学級数も必然的に多い。しかしそれだけでなく、きっと親の意識も高まっているのだろうと思う。うちみたいにのほほんとしている家庭だけじゃなく、子供の成長をしっかり見つめている親が増えてきたんだろうと思う。まーしゃんは、軽度発達障害だから普通学級に入れなくもないぎりぎりの境界線に位置している。昔なら「わがままな子」「場が読めない、人の言うことが聞けない子」「なんとなくぼんやりとした子」で終わってしまったに違いない。今学習障害、発達障害と言われている子は多い、もしくはそれらしいけど認定されていなくてクラスで「要注意」とマークされているのは結構な数にのぼる。みんな同じことができるというのは、社会生活上ある程度は必要なんだけれど、それが至上の目標じゃない。いろんな個性、さまざまな偏りがある独自の個性同士をどうすり合わせていくか。金平糖赤いいろ青いいろ角のあるものぎざぎざなもの一つの箱に入れられてお行儀よく並んでそれぞれの夢を見る一粒手に取り口に入れ舌先で転がすと甘くてなんだかほろ苦いようなそんな金平糖ちゃんたちまーしゃんもあ・・時間がなくなってしまった。次はいつ更新できるのか・・・。金平糖の写真がどこかにいってしまった。探す時間がない・・。This continuation also : later.
2007/04/06

予行演習のないぶっつけ本番で臨んだ入学式。見たこともない知らない人たちの間で果たしてまーしゃんはパニックを起こさずに済むだろうか・・・。不安がぐるぐる頭を横切る。でも頭をぶんぶんと振って「鬼にとって食われるんじゃなし・・」と思った。校門をくぐると受付に先生と新6年生の子供たちが待っていた。6年生の子に名札をつけてもらい、手をつないで自分の教室に誘導してもらう・・・ストーリーだった・・のだけど・・・。まーしゃんにとっては、私とはなれて知らない人と行動するというのは予想外のことだったのだろう。私が立ち止まって一緒についていかないというのが分かった途端顔色を変えた。身をよじって私のほうに駆け出そうとする・・・。私は「お母さんね、ここで待っているから教室を見に行ってね」と叫んだ。しかしそんな声すら聞こえず泣き出しそうになるまーしゃん。・・・そこへ待機していた養護担当の先生がまーしゃんをなだめすかしながら腕を取って教室まで・・・「連行」していった。はらはらする母・・・しかし何にもできない・・・かえって自分が教室にいったらパニックになるだろう・・、そう思い・・涙を呑んで体育館へ。席に座って暫くしたら一年生の入場を告げるアナウンスがあった。軽やかな音楽とともに晴れやかな表情で入場する新一年生。私はどきどきしながらまーしゃんの入場を見守った。まーしゃん。まーしゃん。まーしゃん。そしていよいよ。まーしゃんは、組の一番最後に養担の先生に手をつながれて出てきた。・・しかしかなり不機嫌そうな表情。・・おそらく「入学式」の意味を分かっていないんだと思う。言葉では「新しい学校に行くときに『今からここに入りますよって挨拶しなくちゃいけないのよ』とは説明したがなんとなく分かっていないような表情だった。どうして母親と離れなくてはいけなかったか・・それが分からない上に、見知らぬ人から「こうしなさい、あぁしなさい」と指図される意味が分からず、どうして自分の意に染まないことをしなければいけないのかと反発しているんだと思われた。入学式自体は一時間程度で終わった。しかしその間まーしゃんはかなり苦痛だったようで。でもそうだよね・・。どうしてここにいないといけないか分からない人間にとって、何もせずにただ一時間じっと座ることがどれほどの苦痛を伴うか・・・想像を絶する。式辞の言葉もおそらくまーしゃんの頭の上でかすめ飛んでいっただろう。みんなで、起立礼着席をしなければいけないのにできない。途中で退屈のあまり席を立って出て行こうとする。それを必死になって止めようとする先生の姿を見ているとなんだか目頭が熱くなってきた。誰も悪くないのに、なんだかみんな辛くなってきている・・・。しかしそうこうしているうちに、何とかまーしゃんにとってながーい退屈な式は終わった。まーしゃんの顔を見ながら私は一時間近くもほかの子がじっと座っているのに驚嘆した。・・・すごい。ちゃんと校長先生の話をきいているんだ・・・。私は子供のころ完全に校長先生の話を頭の上ですっ飛ばしたことを思い出していた。昨日見たテレビアニメの話を思い出していたり、足もとのありの動きをじっと見ていたり。自分の子供時代と今のまーしゃんの姿とがダブった。・・・ぜんぜん自分の(心の)中に入ってこなかったよなぁ、先生の話って。私もきっとスイッチの入りにくい子だったんだろうなぁ。先生が「心のドアを開けましょう」といくら叫んでもそれが集団に向けられた言葉だとしたら入ってこない。子供の心に直接「トントン」とたたいてやらなければ・・。ヘレンケラーの「ウォーター」じゃないけれど、実感してみて初めて次から「言葉」で分かるようになるんだろう。帰りしな、まーしゃんに「どうやった?」と訊いた。まーしゃんは「あんなぁ、下敷きがかっこいいねん」と嬉しそうに答えた。今日の一番嬉しかったことは下敷きをもらったことらしい。私は養護担当の先生がまーしゃんにずっと付き添ってくれて下足室でバイバイをした後、先回りしてくれていて、校門近くの渡り廊下で待っていて歩いてきた私たちにもう一度「バイバイ」してくれ「まーしゃん、月曜日また来てやぁ」と手を振りながら笑顔を向けてくれたことが今日一番感動したことだったんだけどね・・・。でも泣かずに済んでよかった・・・ほっとした。
2007/04/05

まーしゃんは、集団の中に入ったときの自分の位置・・というのがわからない。集団における自分の役割についてもわからない。自分の欲求や感情には敏感だけど、周囲が自分に対して何を求めているか・・関心がないというかあまりわかっていないみたい。しかし自分の関心のあることに関しては大人も顔負けするくらいの知識を持っている。私も知らないような車の名前もすらすら出てくる。しかし自分の興味のない周りに関してはほとんど無視状態。そのアンバランスさが・・言ったら金平糖のようで。でこぼこな形が私にはいじらしくて・・でも他人からは誤解されやすくて。閑話休題。今日は図書室に、養護学級に入級する新一年生の親と担当の先生方との事前顔合わせがあった。それまでに、私は新学期にあたって事前に普通学級と養護学級の先生方と面談をしたいと校長に交渉していたのだが「無理です」とはっきり断られてしまい少し不安だった。資料としてこれまでお話になった内容は担任に申し送っておきますから・・という回答はあったのだけど。だから団体一括とはいえそういう場を設けてもらったのは非常に嬉しかった。・・・でも言えるかな・・私口下手だし。さていよいよ。先生方の紹介をしてくれた。顔見知りの先生は・・・。去年養護学級の見学に行ったときにお話をさせていただいた先生のうち1人だけ・・残ってらした。そのとき一番好印象の先生が残っていらしたので私は少しほっとした。今年は一年生で4人の養護学級入級があります・・。これまで3クラスだったのが4クラスに増えます・・・。そんな説明をしてもらった。まーしゃん以外の子は、自閉症だったり発達障害であったりする。お母さんが話す子供たちの「配慮してほしい点」をうんうんと頷きながら耳を澄ます。・・・似たようなことで悩んでいるんだなぁと共感。・・・仲良くなりたいな・・と思う。私はたどたどしくながらも・・・「みんなで何かをしないといけないときにまーしゃんはそれをできません。でもそれは本当にわかっていてやらないのではなく、それをしなくてはいけないということがわからないんです。わざとではない・・でもそれを同じクラスの子供たちにうまく伝えられないでしょう。まーしゃんはまーしゃんのペースでいっていいけれども、それをクラスの子がどういう目で見るか、どう受け入れてくれるか・・それが心配なんです。去年あたり、まーしゃんは、自分ができないと今まで気がつかなかったことを初めて気がついてしまいました。他人からの批判も敏感に受け止めてしまいました。一時期「どうして俺は保育所にいかなあかんの」と何度も訊いていました。保育所に行くのがまーしゃん自身恐がっていた時期もあります。私は辛いだろうなぁと思いながらも預けざるを得ませんでした。きっと居場所がなかったんだろうなぁと。しかしそれは毎日の担任の先生の愛情と声掛けで次第におさまってきました。自然に甘えられる存在を見つけだしたからかもしれません。ですから学校生活で頼れる人を見出せるようになれたらなぁと思います。」なんてこと言った。先生に自己紹介した後教室や体育館、明日の入学式の進行の流れを説明してもらった。まーしゃんは、図書室で好きな本を読んだり、広い場所をぐるぐる駆け回ることができてご機嫌よく過ごしている。私はなんとなく翌日の進行状況はわかったけれど、果たしてまーしゃんがじっとしているだろうかと疑問に思った。一時間弱の式の途中できっとじっと座っていないだろうなぁとも思った。「どうしてここに座っているのか」というのがわかっていないから。今日の唯一の救いは参加してくれた先生たちが、「べき」とか「だめ」という言葉を言わなかったこと。まーしゃんを好意的に見てくれたこと。まーしゃんもそれはわかっていたみたいで、かわるがわる先生に抱きつきにいっていた。・・・まーしゃん、頼むで。・・・せめて泣かないでいてよ・・。そんなことを思いながら不安いっぱいで小学校の門を出た。
2007/04/04

まーしゃんに前の日に「ねぇねぇ、明日のお弁当何が入っていたら嬉しい?」訊きました。まーしゃんは、「えっとなぁ、おれなぁ、ウインナーと・・。」「えっとぉ、えっとぉ、・・・ウインナー。」「あらら、まーしゃん、ウインナーだけでいいの??」「うん、おれ、大きくなったらウインナー作る人になるねん」・・・確かこの前は「おれ、うどん屋さんになる」といってたのに。一日「今日はこれが楽しみだぁ」って思えること、小さなことでもいい、一個そんなことを作ってあげられたらいいなぁなんて思っています。児童会でのお弁当。大好きなウインナーを入れて、大好きなお弁当箱に詰めて。さぁ、いってらっしゃい!笑顔と空っぽのお弁当を持って帰ってきてくれました。
2007/04/03

怖い夢を見た。新しい家に住むことになる。そこの雨戸はがたがたでしまりにくい。一生懸命直しているうちに子供が外へ飛び出していってしまう。ビニール製の大きな浮き輪を持って。ふと気がつくと子供がその中に入り込んでいる。動く浮き輪が跳ねて・・風にあおられ宙を舞う。私は「あっ」と思ってそちらへ駆け出していく。子供が入った浮き輪が落ちたところは人がたくさんいるところで落ちてきた浮き輪をみて一人が拾い上げる。そして・・フリスビーのように浮き輪を投げた・・・。「やめてー!!中に子供が入っているの!!!」声を限りに叫ぶが群集の雑音にかき消されてしまってみんなの耳に聞こえない。落ちては投げられ落ちては投げられ・・・中にいた子供は脳挫傷で・・・!!!!!汗びっしょりになって目を覚ましながら、これは不安夢だと思った。今日から新学期が始まる。親子二人三脚で走るのだけれど周りにどうアピールしていったらいいか・・振り回されそうな予感に怯えているのかもしれない。今日は留守家庭児童会の初日。私は働いているので小学校の終わる時間に迎えにいけない。おそらく迎えは高学年のお兄ちゃんにお願いすることになるだろう(というかしっかり前振りしている)まーしゃんは、どちらかというと攻撃的な問題行動を起こすタイプではなく、むしろ引きこもりがちになるタイプ。居場所のないはじめてのクラスでいたたまれない思いをするんじゃないだろうか・・あれやこれやよくないことを考えて、親としては非常に気になる。しかも明け方にこんな変な夢を見たし。しかし。一日目・・・3時間保育をお願いしてお昼に迎えにいったのだけれど教室から出てきたその表情は泣き顔ではなく・・笑顔でした(ほっとしました)「あんなぁ、トミカの本読んでたんや」そう嬉しそうに話すまーしゃんの顔をしみじみ眺めながら「あんたも大きくなったわね」そう思いました。とりあえず・・第一日目は成功です。
2007/04/02

あなたが生まれてきてくれて嬉しかった死んでまた生き返ったらきっとまたあなたを産みたいと思います私を親に選んでくれてありがとう障害を持つあなたはこれから生きにくさを感じるかもしれないけれど精一杯応援します生まれ変わっても私の子供でいてね・・・
2007/04/01
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