マックの文弊録

マックの文弊録

2005.06.12
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◇日曜日;旧暦五月六日 丁卯(ひのと う)東京鳥越神社例大祭

五月末のこのブログで靖国問題に関して適当なことを書きなぐった。その際「同じ団塊の世代にもかかわらず、学生時代は敢然右翼として…」と評した我が畏友から苦言をいただいた。

曰く「右翼じゃない、オレは道理をわきまえたリベラルだ」とかなんとか。
本当のところはどうなんだか、学校がお互いに違うから良く知らない。
ご本人としては、「右翼」という言葉にまつわる守旧的な雰囲気に違和感をお持ちなのかもしれない。
自ら露悪的に自分のことを右翼と言うのは良いけれど、他人に同じ呼称で呼ばれると微妙に抵抗がある。
ま、そんなところかな?

周知のように、右翼とか左翼というのは革命後のフランス議会での着席位置による。当時のフランス議会(正しくは国民公会という)では、議長席から見て右側にジロンド党が着席し、左側にジャコバン党が席を占めた。ジャコバン党は人も知る急進的な革命派で、対するジロンド党は保守派であった。18世紀末の頃である。

以来、殆どの国がこれを模倣し、保守・守旧派を「右翼」、急進・革新派を「左翼」と言うようになった。


天皇制護持というと、これは保守・守旧派ということになるが、わが国には元々共和国制という思想そのものが長期にわたって国論の一部を占めるという状況が無かった。右翼・左翼といったって、国の制度の原点まで戻ってお互いに相克するような勢力であったことがない。

幕末の勤皇と佐幕という対立構図にしても、天皇を上に戴くことを前提として、その上で政治の実権をどうマッピングするかということでしかなかった。これに「攘夷」と「開国」が、順列組み合わせ的に絡んで変動したから何かとややこしいのだ。何れにしても左翼・右翼の対立のような明瞭性はない。

又、明治以降現代までのわが国の歴史を見ても、革命的左翼集団が長期にわたって国論の重要な一角を占めたことはない。(短期では活発な運動をしたことは何度かある)
つまりは、わが国には民心の底から湧き上がるほどの「右翼・左翼」といった思想は無いといえる。

何しろ「喉もと過ぎれば熱さを忘れ」、「人の噂も75日」程度でどこかに飛んでいってしまう。
師走になったら、まずは今上天皇のお誕生日を言祝ぎ、翌日には耶蘇教教祖の生誕祝賀会だ。一週間もしないうちに、仏様にお願いして百八つの煩悩の帳消しを願い、明けて翌日には神社に出向いてかしわ手を打つ。
我々は実におおらかな宗教的胃袋を持つ、集団健忘症的民族である。

だから元来が黒白をつけるような考え方は苦手なのだ。
そういう中で無理やり黒白をはっきりさせようとする人種・集団は、左であれ右であれ、狭量で狂信的な面を持つものであり、早い話が頭が悪い。
第一、こういう方々は粋でも洒脱でもないのだ。

そうなると我が畏友は確かに右翼じゃないな。

「右翼」には、別に「本命」とか「最有力」と言う意味も有る。そういう点では、彼は確かにバリバリの右翼なのだが…





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最終更新日  2005.06.12 15:46:21
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