マックの文弊録

マックの文弊録

2005.07.03
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◇日曜日:旧暦五月二十七日 戊子(つちのえ ね)

日本の家族は植物的だ。

植物が根を張って、その根が地中を伸びていき、そこから芽が出て子の植物が生える。地上では別々の個体のように見えるけれど、地下ではしっかり繋がっている。お互いに栄養を送りあったりもする。

そうして、家族のネットワークは広がっていき、やがて地下茎で結ばれた一族郎党が出来上がる。

植物的な繋がりだから、土地との関係も密である。
僕のように生まれた土地を離れて暮らすのは、一時的で仮の行為なのであって、だから真っ当な人間なら早く「帰って来い」ということになるのである。

海外の連中と付き合っていると、色々な面で彼我の心根の違いに驚くことがあるが、家族、肉親に恬淡としていることもその一つだ。

子供は早くから独立を求められ、少し大きくなれば、一つ屋根の下に暮らしていても、家族というよりある規律の下に置かれた同居人のようなものだ。長じて大学に入り、下宿住まいをしても親が仕送りをするなどということは稀だ。早く独立して、自分のことは自分で始末をつけなさい、というわけだ。

親族が亡くなっても、お盆だからといってお墓参りに行ったり、仏壇をしつらえて毎日お線香を上げるなどという行事は一切しない。親類付き合いも同様だ。遠くの親類などいないも同然である。

こういうふうだから、地縁も薄く、とんでもない遠くや異国でも、殆ど居抜き同然に平気で何度でも引っ越していく。

はなっから根などは無いのだ。要するに家族や親族間の関係はコーカソイドにおいては動物的なのだ。

コーカソイドの方は、子供は社会から預かった、何れ人間の仲間入りをさせなければならない動物だという意識が強い。幼い頃は差別とでも呼べるほどの厳しいしつけもするし、大人の生活に無限定に参加させたりしない。
何となく日本人の感覚では、よそよそしく家族のぬくもりなどというものは感じられない。

我がほうは、地下茎で結ばれた絆は固く、子供は親の所有にかかる愛玩物として育てられる。自立性を促し、社会性を叩き込むより、次代の家族の面倒を見るものとして、一族の後継者として見るほうが強い。

はて、どちらが良いといえるのだろう?

ただし、コーカソイドなどと十把一絡げの言い方をするのは本当は乱暴だ。
以前仕事のつながりでお付き合いしていたテキサスに住むメキシコのおじさんは、お母さんと同居して暮らしていた。別の人は、遠来の僕を連れて近所の老いた父親の家に行って、一緒に食事をしたものだ。その会社の社長も社長夫人もメキシコ系で、夫人は独身だった僕を気遣ってお見合いの話まで持ってきた。「私はおっかさん型なのよ(I am motherlike)。」とか、「アメリカ人と違って、メキシコ人は家族の絆を大切にするのよ。」とよく言っていた。「イタリア人もそうだ。」とも云っていた。

そうなると、コーカソイドといっても、ラテン系は違うのかもしれない。「動物家族」はアングロサクソンに固有の現象なのかもしれない。





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最終更新日  2005.07.03 16:56:32
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