マックの文弊録

マックの文弊録

2005.09.23
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◇金曜日:旧暦八月二十日 庚戌(かのえ いぬ) 秋分の日
ミゾソバ

今 日は秋分の日。我国では秋分の日を「お彼岸の中日」といい、この日を なかび とする一週間をお彼岸として、ご先祖様に感謝し香華の手向けなどを行う。
秋分の日は、英語ではAutumnal Equinox Dayつまり「秋の昼夜平分の日」という。この日は文字通り日の出から日没までの時間は一日の長さの正半分になる。
この事実は我々が住む北半球のみならず、南半球だろうが両極地方だろうが、等しく当てはまる。冬至や夏至の日は、南北半球のそれぞれで陰と陽の現象に分かれることを思えば、汎地球的に遍く同じ現象が起こるのだから、秋分は春分と共にエライのだ。

エ ライといえば、以前に勤めていた商社の偉い人と雑談していた時、「君ねぇ、我々が儲けるということは、誰かに損をさせることなんだよ。」と云われ、「目から鱗」の気分になった事を覚えている。
世界の富の総和が一定とすれば、誰かが多く取れば、その分は誰かから奪われる事になる。
北半球の昼が長くなれば、南半球では夜が長くなるのと同じで、理屈を考えれば当たり前だ。しかし、我々は普段理屈で生きている訳ではない。何かが儲かると聞き込めば一斉に同じ事を始めて、自分も利益に預かれると信じて疑わない。彼も吾もという過程は、ある時点で飽和してしまい、結局どこかで破綻する。それは冷静に考えれば当たり前なのだけれど、どうしても「自分は未だ間に合う」と思いたがる。だから、あれこれ姿を変えて現れる「ねずみ講」のようなものにも、懲りずに騙されてしまうのだ。
皆が揃ってお金をもうけることが出来、手を携えて豊かになることなどありえないのだ。


そ れでは、世界の富が増加すればいいじゃないか、という事になる。それはその通りだ。だから人間はもう随分前から営々とそういう努力を積み重ねてきた。その結果増加した「富」を、人類は自らの勢力を増やす事に費やしてきたのだ。
ある統計 ※1 によると、紀元元年の頃の世界の総人口は1億人。紀元1000年には2億人。紀元1500年では5億人。紀元1900年、つまり20世紀の始めには15億人。そして今年2005年の終わりには、世界の総人口は64億人に達するのだそうだ。20世紀の100年間だけで、地球に棲息する人類の総数は4.27倍にもなり、49億人もの人口増を実現してしまったのだ。

こ の場合、それでは一体誰が「損」をしたのだろう?
損をしたのは人間以外の「地球」なのだ。
地下に埋蔵する化石燃料を燃やす事で生じた熱エネルギーを原動力にして、山を崩し、海を埋め、原野を拓き、都市を作り、食料を生産し、仕事を創り出し、空や海や地上に乗り物を走らせた。
つまりは、地球の一部を簒奪し、様々な人間以外の生き物を放逐して、地球に損をさせながら、我人類は「得」をして来たのだ。
この二千年余りの短い時間を見ただけでも、正に破竹の勢いで人間は「儲けてきた」のだといえる。

前世紀末になる頃から、「公害」や「異常気象」などが話題に上るようになって来たのは、それまでの能天気な発展主義、つまりは一種のねずみ講を無邪気に信じてきた人類が、流石にちょっと反省を始めたという事なのだろう。「あれ?こんなんで良いのだろうか?一体今まで誰が損をしてきたのだろう?」と。
環境保護思想の台頭である。「自然を守ろう」という運動が盛んに起こるようになったのだ。

し かし、「自然」を守ろうというのはどういうことだろう?自然は人間に守ってもらうような、人間とは独立した、或は人間に従属した対象なのだろうか?第一ここでの「自然」というのはなんだろう?草原や樹海、或は絶滅危惧種とされる動物など、特定できる「人間以外のもの」の事か?それとも、地球全体を取り巻く環境そのもののことを云うのだろうか?


「自分(達)もその一部として含まれる環境」としての自然を意識しないと駄目だと思う。動植物も食物連鎖や生態系と言う考え方をしないと、折角の反省も、「一体何の保護なんだ!」という事になってしまう。

マ イクル・クライトンの「恐怖の存在(State of Fear)」という本 ※2 を読んだ。9月15日発行というのをその日に買って、もう週末には読み切っていた。僕は発行日前に本屋さんで見つけた本を、発行日までに読み終わるという趣味がある。新聞に広告が出たり、皆の話題になる頃には、「あぁ、あの本ね。中々面白かったよ。粗筋はねぇ・・・そして犯人は・・・」とやるのが大好きなのだ。本の発売日はどうやって決めているか知らないが、時々奥付に書かれた発行日の数日前に本屋さんに並ぶ事があるのだ。
「恐怖の存在」は、そういう意味ではちょっと出遅れたが、今頃になって話題になりつつあるのを横目で眺めてはニヤニヤしているのである。

この本は「ビジネスとしての環境保護」というものを取り上げている。又、「環境テロリスト」という集団も出てくる。

人間というものは地球上の資源を簒奪して儲けるだけでなく、自分以外のものに損をさせて自らは儲けるという点において天才的である。そう思う。

そ れにしても、この本の中には「ネガポジを逆転させた環境保護」の実例が実に沢山出てくる。
* 米国最初の国立公園として「保護対象」に指定された、ヨセミテ渓谷のイェローストーン公園での滑稽なほどの「自然保護」をめぐるドタバタ劇。
* 検証されないまま、発癌性を口実に使用禁止になったDDTという薬剤をめぐる米国のエゴ。
* ベンゼンの使用禁止による医療費の高騰。
* フロンガスの使用自粛による、病害の増加。
そして何より、「地球は温暖化していない!むしろ寒冷化している!」

京都議定書の主旨に真っ向から反するような話がどんどん出てくる。真っ当な環境保護主義者なら青筋を立てて怒り出すような話が満載だ。

しかし、この本は、既に地球を恣意的に散々いじりまわしてきてしまった我々人類が、今頃になって環境保護を考える際には、先ず背景となるべき知識が絶望的に不足している事をわきまえるべきだという。また、「先進国」による安易な「環境保護対策」の全てが、例外なく世界の「貧しい地域」の人々に犠牲を強いるものであることを思い知るべきであることも指摘している。

マイクル・クライトンはこの本で、自然保護や環境対策に際しては余程謙虚に且つ真摯な態度で臨まなければならないのは当たり前だと警告し、こういう運動が政治勢力や営利勢力と、いともた易く野合する、つまり再び「誰かが儲けて誰かが損をする」構図を形成してしまう危険も指摘しているのだ。

汎 地球的に昼夜の平等平分が実現する秋分の頃に、読んでみる価値のある本だと思う。
環境保護云々は、この本の大きな伏線なのだけれど、無論書き手はあのジュラシック・パークやアンドロメダ病原体のマイクル・クライトンである。エンターテインメントとしても一級品であることは保証つきなのだ。


※2:「恐怖の存在 上・下」 マイクル・クライトン著、酒井 昭伸訳 早川書房(2005年9月) ISBN: 4152086688





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最終更新日  2005.09.24 17:11:15
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