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今日、アツシが小学校を卒業しました。卒業式で、驚いたことがふたつ。ひとつは、平日にもかかわらず、たくさんのお父さんが来ていたこと。エーッ!わざわざ休んで来たの?それとも、私みたいに午後から出勤するの?にしても、休めるんだ?ちょっとビックリ。まさか全員自営じゃないよね?もうひとつは、卒業生の女子の何人かが、袴姿だったこと。マッキーやツヨシの時は、ひとりも居なかったよ。お金かけてるんだね~。たかが小学校の卒業式なのに。で、思った。女の子の親って、こだわるんだよね。「晴れ舞台」にしたがる。男の子は、みんな同じようなスーツで、誰が誰だかわからないのに。ま、アツシも髪はワックスとスプレーで立ててやったけどね(笑)。アツシは、本当にたくさんの人に可愛がられ、大きくなった。だから、卒業式の写真を、いろんな人にメールで送った。ありがたい、と心から思う。感謝の気持ちでいっぱいだ。ひとりで育てている、なんて、思い上がってはいけない。卒業式の今日、そう思った。会長にも、「おかげさまで卒業させることが出来ました」とお礼の電話をした。感謝の気持ちを忘れたら、私などは、ただのバカになってしまう。私を雇い続けてくれる会社があったればこそ、今日の日を迎えることが出来たのだ。夜は、母と姉が、お赤飯やケーキを買ってきてくれて、お祝い。そんな感謝の一日。卒業式に穿いたズボンに、アツシはツヨシのベルトを締めて行った。
2007/03/20
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昨日は、誕生日でした。前日に友達がプレゼントを届けてくれたり、お祝いのメールを頂いたりしました。休日が誕生日というのは、本当によくない。休みの日は、普段でも気持ちが落ち込みがちであるのに、誕生日が重なったのだから、最悪である。41年生きてきた。あと何年生きるんだろう?何のために生き続けるのだろう?子供たちのため?だとしたら、あと何年、子供たちのために生きればいいんだろう?なんで、私がこんな思いをしなきゃいけないんだろう?たぶん、ひとより頑張って生きてきたはずだし、今だって、たぶん、ひとより頑張って生きているはずだ。でも、なんのため?家族が、子供たちが、タバサが、周りの人たちがこれ以上悲しまないため。自分の幸せのためじゃない。
2007/03/18
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ユーミンのCDを買った。ユーミンの数多くの曲の中から、春と夏の季節にちなんだ32曲が収録されている。最近は聴いていなかったが、ほとんどの曲を知っていて、流れる曲と一緒に、ちゃんと歌うことが出来た。懐かしくて、思わず涙が出る。「まぶしい草野球」や「最後の春休み」「悲しいほどお天気」など好きな曲がいっぱいだったけど、特に大好きな「月夜のロケット花火」が入っていたのが嬉しかった。以前に書いたことがあるが、私がユーミンを好きになったのは、高校の頃に付き合った人が、ユーミンを好きだったからというありがちなものであった。ユーミン好きの彼(Yクン)は、ユーミン好きらしくサーファーだった。付き合った期間は、そんなに長くなかったのだが、その後も、私は、Yクンのことがたぶんずっと好きだった。そして、月日は流れ、私たちは再会した。私はすでに結婚して、二人の子の母親になっていた。元夫と一緒に行ったお店で、Yクンが働いていたのである。それから、時々電話で話したり、共通の友達みんなで飲んだりした。私は子供たちを連れて、もちろん元夫には内緒で。Yクンのお母さんにも再会できて、嬉しかった。私たちの会話には、頻繁にユーミンの曲が登場し、「今の気持ちは、あの曲のこの部分」と言ったりし、それがどんな言葉より、気持ちを上手に伝えることが出来たのだった。私がYクンの留守番電話に「魔法の鏡」を歌ったときには、「オレ、泣いちゃったよ」と、Yクンは言った。「またいつか会えるよ」と言って、私たちは会うのをやめた。私の携帯には、今もYクンの携帯番号が登録されていて、番号を変えていないのなら、いつでも話すことは出来るだろう。でも、電話しない。偶然の再会、邂逅でなければ意味がないのだ。たぶん、ユーミンのCDを、Yクンも買っただろう。彼の好きな「DANG DANG」も収録されているのだから。Yクンには、幸せでいて欲しいと願う。 こんなにいい曲を作るユーミンを 罪つくりだと、あなたは言った そうね こんなに涙がでちゃうんだもの だけど あなたを想って涙がでちゃうんだから あなたがいちばんの罪
2007/03/12
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↑今日夕方のうちの富士山。昨日のお昼過ぎ、母が夜勤明けでうちに来た。アツシと二人で散歩に行き、ご飯を食べてきたらしい。母は仕事柄、毎日寝たきりのお年寄りを見ている。「なんでだろう、と思っちゃうんだよね」と言う。高齢のお年寄りが、何年も何年も寝たきりで、それでも生き続けていられる。それなのに、ツヨシは…。病気になって、一ヶ月ちょっとで居なくなってしまった。なんでだろうと、いつも思うのだ、って。私は、ツヨシが居なくなってしまうまで、頑張って生きていれば、幸せになれると信じていた。幸せは、努力すれば得られるものだと、信じて疑わなかった。事実、私たち親子は、そうやって小さな幸せを手にしたのだから。でも、そうじゃなかったのだ。どんなに努力しても、どうにもならないことがあると知った。どんなに頑張っても、もう幸せになれない。それなのに、これからも私は頑張り続けなければいけないのだ。なんのために?ただ生き続けるために?もう幸せになることはないのに…。ツヨシに会いたいよ。
2007/03/11
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↑タイガー氏のアップ。最近、タバサちゃんに負けないぐらい、抱っこが好きになった。だけど、とっても重たい(笑)。さて。私は、忙しがるのが好きじゃない。例えばものすごく忙しい日でも、ひとの前ではそう見えないようにする。それは、私自身が、「忙しい、忙しい」という話を聞くのがキライなせいかもしれない。「アレもやって、コレもやって、本当に忙しくてバタバタしてるよ」と言う人は意外に多いが、聞いていてあまりいい気はしない。忙しがらないと、私が楽に見えるらしい。余計に、自分の忙しさを話される。確かに、私の仕事は、人間関係は楽かもしれない。事務所に私以外の人間はいないから、うるさく指示されることがないし、自分の一日の行動は、自分で決めるから、自由といえば自由だ。家に帰っても、夕飯のおかずに文句をつける夫がいるわけでもない。要するに、すべてが自分の責任なのである。だから、楽そうに見えても、頭の中では、今日の売上げを計算しているし、仕事の順番を常に考えている。事務所を出たとたんに、今度は夕飯のメニューを考える。それでいて、何も考えてないような顔をしていたい。そんな顔をしているから、楽だと思われ、忙しい話を聞かされる。悪循環だ…。また、なぜか私は、人から羨ましがられることが多い。特にマッキーのこと。「優しいよね、いいなぁ」と、何度言われたかわからない。そのときに、私は思う。忘れてない?私は子供を亡くし、マッキーは弟を亡くしているってこと。確かに、マッキーは優しい。それは、たぶん、自分が悲しい想いをし、そしてまた、悲しい想いをしている私を可哀相だと思っているから。もし、ツヨシが今も元気でいてくれたなら、マッキーはこれほど優しくはなかったし、私は、優しい子供が一人もいなくても、構わなかった。好き勝手なことばかりしていても、みんな元気でいてくれたなら、それに勝る幸せはないのだ。だから、私を羨ましがらないで欲しい。マッキーと自分の子を比べないで欲しい。マッキーの優しさの奥には、深い悲しみがあることを忘れないで欲しい。
2007/03/10
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昨日から、マッキーは夜勤。今日も、暗くなってからお弁当を持って、仕事に出かけた。昼間に寝なければいけないのに、今日は選挙カーや焼芋屋さんが来てとてもうるさかった。早いもので、もう三月。誕生日月なので、今月で、41歳になる。だからといって、何も変わらないのだけど。
2007/03/03
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