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今日の会議は、とても穏やかな感じでよかった。部長が「○○さん(私のこと)が居るだけで、会社の雰囲気がふんわりと柔らかくなる気がする」と、ボソッと言った。なんだかちょっと嬉しかった。
2007/01/30
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今日は会議のため、朝から本社。 いつものように早く着いて、時間を潰しているところ。 途中、高速で横転している車を見た。 まだ事故ったばかりみたいで、警察も来ていなかった。 事故をあまり見かけないので、ちょっと怖くなった。 さて。 子供達がまだ小さく、私が化粧品の営業の子供達を 預かる託児所で働いていた頃、近所にちょっと素敵な女性がいた。 平日はきちんとお化粧をし、長い髪を綺麗にまとめ、 ミニクーパーに乗って仕事に出掛けて行き、 休みの日は、ノーメイクで髪も長いまま、子供と一緒に 近くの店で買い物をしていた。 その「落差」がかっこよかった。 その頃は、車の免許も持っていなかった私には 彼女が輝いて見えた。 いつか私も、と、極貧生活のただ中にいた私には夢のような目標を持ったのだった。 彼女のように輝いているかは別として、 私は彼女のような生活になった。 ミニクーパーではなく、ワゴンRに乗って、お化粧をして 毎日仕事に行く。 あの頃の夢は叶ったけど、私は今、戻れるなら 彼女に憧れていたあの頃に戻りたいと思う。 美容院にすら行けず、誰かのお下がりの服を来て、 財布には小銭しか入っていなかったあの頃に。 だって、そのみすぼらしい私の隣には、 ツヨシが居てくれたのだから。 そんなことを、ふと考えていた朝だった。
2007/01/30
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今日は夕方から、近くの銭湯へ行った。写真は、お風呂から出た後に、軽食コーナーで食べた「冷奴」。アツシは豆腐が好きなので「美味しい」とご満足。わが家の近くの「S湯」という銭湯は、いま流行の「スーパー銭湯」ではない。値段も、大人が430円と安い。小さいが、泡風呂や薬湯、露天風呂もあり、私は利用しないけど、サウナもある。スーパー銭湯のように、押せば適温のお湯が出るカランではなく、昔ながらの、お湯と水を両方出して、自分でお湯を調整するモノだ。洗髪用のシャワーは、固定されている。そして、一番大事なこと。「ケロリン」の黄色い洗面器がある(笑)。駐車場があるので、私たちが今の家に越してくる前のように、車で、遠くから来る人も多いようだ。歩いていけるところに、こうした銭湯があるのは嬉しい。わが家では、「S湯に行こう」と言えば、下着とタオルさえ用意したら、すぐに出れるような、S湯用のお風呂セットが準備されている。マッキーが赤ちゃんの時、住んでいたアパートにはお風呂がなく毎日銭湯に通っていた。内風呂がある家に憧れた。たまに遊びに来る妹が、入浴剤を買うのを見て、「いいなぁ」と、羨ましく思ったりしたものだ。次に住んだ家は、お風呂はあったがシャワーがなかった。小さかった子供たちと、賑やかに入ったお風呂だった。次に住んだアパートは、シャワーがあった。子供たちは、シャワーにすごく喜んだ。そして、前に住んでいた二階建ての一軒家では、最新式の給湯システムで、ご親切に「お風呂が沸きました」と言って、お知らせしてくれた。女性の声だったので、よく「ホラ、おばさんがお風呂沸いたって言ってるよ」と、言って、ツヨシとふざけていたものだ。「サッサと入れって、おばさんが怒ってるよ」なんて言って。今の家は、浴槽がちょっと大きい。そうやって、引越しをするたびに、私たちの家のお風呂は立派になった。そして、あの頃に憧れた内風呂があるのに、私は、お金を払って銭湯に行く。ささやかな、430円の贅沢である。
2007/01/27
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この前の日曜日、マッキーにも一緒に行ってもらい、アツシの中学の制服の採寸をしてもらってきた。以前は、学ランの制服だったのに、ブレザーに変わっていて、しかも、ネクタイがない。何となくしまりがなくて…。子供たちに甘えていると感じる。土曜日は布団に丸まっている時間が長く、本当は行かなければいけない所があったのに、マッキーとアツシが二人で出かけて行った。日曜日は、制服の採寸の後、みんなでスーパー銭湯に行った。ツヨシが居なくなってから、私は子供たちに甘えている。マッキーは、どこまでも優しい。一生懸命に生きている。そんなマッキーに申し訳なく思う。同じ歳の子たちは、勝手気ままに暮らしているのに、私が腑抜けのようになっているから…ごめんね、と思う。でも、やっぱり、ツヨシがいない現実は辛い。
2007/01/24
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言葉は、時に刃物になる。それは、例えば心が元気なときや、何もないときであれば、聞き流せる言葉だったとしても、そうじゃないとき、一生忘れられない、生涯残る傷になる。風見しんごさんの娘さん(えみるちゃん)が亡くなり、テレビで流される様々な人のコメントに、「あぁ、この人たちは自分が残酷なことを言っていると思っていないんだな」と思う。最初にそれを言ったのは、フジテレビのOというアナウンサーだった。「私にも同じ歳の娘がいます。昨日、寝顔を見ながら考えましたよ。もしこの子が同じ目にあったら…たぶん、おかしくなってしまうでしょう」「自分の身に置き換えたとき」といろんな人が言った。自分の子供だったら…頭がおかしくなってしまう。自分の子供だったら…風見さんのように、振舞えない。自分の子供だったら…。それを言った人は、その言葉の残酷さを知らない。自分の子供だったら、と考えた後に、どう思った?「あぁ、うちの子じゃなくて良かった」そう思ったはずである。あそこで話しているのは、風見さんじゃなくて、自分だったかもしれない、と考えた後に、思わなかったか?「あぁ、自分じゃなくて良かった」そう思ってしまうことを、責めることは出来ない。親として当たり前だからだ。私みたいなタイプは、特にそう思うであろう。ただ、口に出すな!と言いたいのだ。自分の身に置き換えて、なんて言わなくていい。その子供は元気なのだから。生きているのだから。ただただ、えみるちゃんのことを想ってコメントすればいい。えみるちゃんのことだけを、偲べばいいはずなのだ。風見さんのことも同じである。自分の身に置き換えるな!と言いたい。きっとその人が想像する悲しみや苦しみを、はるかに超えたモノだから。ただただ、風見さんの体を案じてあげればいいのだ。一昨日の夜、娘さんを亡くした友達から電話が掛かってきた。マッキーの初恋の相手(Aちゃん)のお母さんである。Aちゃんのお姉ちゃんを亡くして、9年。今も、周りの無神経な言葉に、心を傷つけられている。悪気がなければ何を言ってもいい、なんてことは絶対にない。悪気がない=罪がない、それは違う。なぜなら、言ったほうは忘れてしまっても、言われた人は、その言葉を、そして言った人を一生忘れない。一生分の罪なのである。言葉なんていらないのだ。風見さんも、Aちゃんのお母さんも、私も。ただ、えみるちゃんや、Aちゃんのお姉ちゃん、ツヨシを、忘れないでいて欲しい。忘れずにいて、「忘れてないよ」という態度をしてくれたら、それだけでいいのだ。
2007/01/22
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ネコの話をしよう。(またかよ!)私が大人になってから、一緒に暮らしたネコは三匹。現在、うちにいるタバサとタイガー、そして、平成13年に亡くなったサマンサという名前のネコ。サマンサは、ステキな名前なのに、呼びにくいという飼い主の勝手な理由により、「サマコ」と呼ばれていた。タバサより少し茶トラの部分が多い、体の小さいネコだった。アツシが生まれてからしばらく経って、買い物の帰りに車のタイヤの上で鳴いているところを、確保したのだった。二回引越し、そのたびに家が広くなっていくのに外で遊ぶのが好きで、サッシの窓も鍵さえ掛かっていなければ、足を踏ん張って、両手を使い、開けて外へ行ってしまう。昼間、家に居ても、誰かが帰宅すると、待ち構えていたように、ドアからサッと出て行ってしまうのだ。気の強い性格。そして、祖先は家柄が良かったのか、気位の高いネコだった。キレイ好きで、年中体を舐めていて、例えば私が撫でたりすると、「ちょっと!勝手に触らないで」と言い撫でたところを、汚いものが付いたみたいに舐めていた。タバサちゃんのように、デレデレと甘えることは全くなく、私が仕事から帰り、家までの道を歩いていると、子供たちが帰って来たときにでも、外へでたのだろうと思うがサマコが遠くから私を見つけ、「!」という顔をして走ってくる。途中まで走ってくるのだが、少し手前で走るのをやめ、「私、走って来てなんかないわよ」「あんたが帰って来たからって、喜んだりしてないわ」という顔をする。で、また姿を消し、玄関に私がつく頃には、もう家の前にいて、「遅いじゃない!」と文句を言う。また、仕事に出かける朝は、何とか家に入らせようと、高いところに座っているサマコを見上げながら、「サマコちゃん、お家に入りなさい」と、私がいくら呼んでも私のほうは一切見ないで、知らん顔する。また、窓の正面にある塀の上を歩いているサマコを見つけ、窓を開けて「サマコちゃん、お家にはいろう」と声を掛けても知らん顔して、悠然と塀の上を歩いていたりする。とてもキレイな歩き方で、本当に悠然と。そんなサマコは、近所のネコと年がら年中ケンカしていた。たぶん、なにかプライドを傷つけるようなことを言われたのに違いないのだが、ケンカは強かったようだ。きっと、亡くなったときもケンカしていて、他のネコを追い車にぶつかってしまったのだと思う。サマコが居なくなって、ずっと、「サマコは幸せだったのだろうか?」と、考える。
2007/01/20
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↑今日のメニューは、野菜を「これでもか!」とたっぷり入れた「すいとん」。美味しかった。風見しんごさんの娘さんが事故で亡くなったらしい。ただただ可哀相…と思う。私は、高校の頃、風見しんごさんが好きだった。その頃は、名前も漢字で「慎吾」であった。お笑いなのに可愛い顔をしていて、それが当時は珍しかった。そんな風見さんも、お父さんになって、「きっといいお父さんなんだろうなぁ」と想像していた。「チチ」と呼ばせていたらしい。あの頃。私が風見さんを好きだったあの頃、まさか私も風見さんも子供を亡くす日が来るだなんて、思いもしなかった。どうしてだろう?何も悪いことをしていないのに、私の息子のツヨシや、風見さんの娘さんがこんな目に合うの?どうして、選ばれてしまったの?他に何も言葉が浮かばない。
2007/01/18
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今日は仕事帰りに薬を貰うため、かかりつけの病院へ行った。定期的に通うこの病院には、5台分の駐車スペースがある。私が病院に行く診療時間終了間際には、よく製薬会社の車が停まっている。以前から、この製薬会社の車に関して、「イラッ」としていた。あるときは、5台しか停められない駐車場の、2台が、同じ製薬会社のモノだった。何かの事情で、2台で来たのだろうが、そのために診察を受けに来た人が、車を止められずに困っていた。それでも、これまでは何も言わずにいたのだが…。今日はガマンが出来なかった。病院の入り口に一番近いところに、しかも、一台分にきちんと入れず二台分にまたがった形で停まっていたのだ。私が診察を終え、車に乗ろうとしたときに、その製薬会社の営業が、車に戻って来た。私は「ちょっといいかな?」と声を掛け、この停め方では、他の車に迷惑になることや、営業で来ている以上、入り口から一番遠いところへ車を入れるべきであろう、というようなことを話した。ここは病院なのだから、もしお年寄りを乗せた人が来たらやっぱり入り口に一番近いところへ車を停めたいでしょう?あなたは営業で来ているんだよね?業種は違うかもしれないけど、同じ営業として言わせてもらうね。営業で来ている以上、一番邪魔じゃないところへ停めるべきだと思う。もし、一台分しか空いてなかったら、そこはあけておいて他のところに停めてくるぐらいはしないと。…そんなふうなことを話した。その人は、25歳から30歳ぐらい。たぶん、とても素直な人なのだろう。「そうですね、勉強になりました」と言い、「差し支えがなければ、どのような営業を?」と聞いてきたりした。「うるせぇババアだな」という顔をしなくて良かった。
2007/01/17
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おはようございます。この時間、マッキーは仕事に出かけ、アツシは爆睡中。ネコたちは、なんだか走り回っている。さて、大手洋菓子店「F」のニュース。賞味期限切れの材料を使っていたとかで、販売中止になっているらしい。このクリスマスには、「F」のケーキを食べた。高校の一時期、「F」でバイトしていたこともある。私たちから上の年代の人にとってみれば、「F」は子供の頃の憧れだったように思う。バイトしていた頃には、気が向けば母にホールのアップルパイを買って帰り、喜ばせたりもした。その頃と変わらぬ味は、安心感があって、大人になってから、誰かの家に行くときのお土産に、「Fのケーキなら喜ぶだろう」と、わざわざ遠回りして買い求めたことも、多い。「信頼を裏切った」などという大袈裟なことを言うつもりはない。ただ、クリスマス前に公表しなかった「いやらしさ」を感じる。クリスマスを過ぎてしまえば、普段はそれほど売れないんだし、次のクリスマスには、すでに販売を再開しているはず…というような。しかし、洋菓子だけにとどまらなかったようで、スーパーなどで見かけるお菓子にも、問題が出てきたらしい。昨日、買い物に行ったとき、Fの「ママの味」を見たアツシが「あーっ!売っちゃいけないんだって、ニュースでやってたのに」と騒いでいた。さすが情報通である(笑)。しかも、アツシは賞味期限にうるさい(笑)。大人は「子供の頃の憧れ」で、Fが販売を再開しても大目に見てくれるかもしれない。でも、子供たちはそうじゃない。小さな頭の中に、悪いイメージがインプットされる。「賞味期限」が当たり前のように、あらゆる商品に書いてあり、それによって「○」「×」を決めるのは、もう当然になっている。「納豆は、糸が立てば食べられる」といった、私たちの常識はもう通用しない。賞味期限にうるさい子供は、アツシだけじゃない。そんな子供たちに「Fでケーキを買って行こうか」と聞いて、子供たちが「あそこのはイヤだ」と言ったら、子供たちに対して、ケーキより甘い育て方をしている今時の親は、「それなら他の店で買いましょう」ということになるだろう。Fは、もっと子供たちの厳しさを知らなければいけなかった。それでも、私はFを応援する。鰹節のようなチョコがかかった「生チョコケーキ」は。やっぱり美味しいだろうと思うからだ。それに…私は賞味期限にうるさくない(笑)。
2007/01/15
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今年4月から、アツシは中学生。その前に、小学校の卒業式がある。卒業式に、中学校の制服を着る地方もあるようだが、この辺りでは、制服は着ないので、卒業式のためだけに二度と着ることが無いようなスーツを、用意しなければいけない。マッキーの時には、白いVネックのセーターとスラックスを買って、それにネクタイだった。次の年のツヨシにも、同じモノを着せた。さて、時代は変わった。「卒業式用スーツのレンタル」なるものがあるらしいのだ。「中学の制服を買うと無料」だとか、着物レンタルで有名な店からハガキが届いたりする。どうしたものか…。私が思うに、二度と着ないスーツを買ったり、何千円もするモノをレンタルするよりも、その後も履けるような、ちょっといいジーンズを買っていつもより少しだけお洒落にすれば、いいんじゃないの?中学の制服すら、最初からお古で済ませる時代。なにが一番いいのか悩む。卒業式に無駄なお金を使うよりも、新しい制服を用意してやりたいとなんとなく思うのだが…。
2007/01/14
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昨日のクシャミや鼻水は、今日には治まっていた。やっぱり花粉症だったのだろうか?イヤなニュースばかりだ。妻が夫を、兄が妹を、殺害して切り刻む…。本当にイヤなニュースだ。事件の背景に見えるのは、肉体的あるいは、言葉による暴力。たとえ、そのようなことが原因だったとしても、耐えがたい苦痛があったとしても、それでも人を殺すことは許されない。私は、彼らを擁護するつもりは全くない。私がこれまで生きてきて、誰かを殺したいと思ったことはないが、「死んで欲しい」と思った相手は、二人いる。父親と、元夫だ。殺したいとは思わなかったが、寝ている枕を蹴飛ばしてやりたいとは、何度も思った。「死んで欲しい」と思うのと、「殺してやりたい」と思うのとでは大きな差があると思っていた。でも、実はほんの少しの差なのかもしれない。私は、父や元夫を殺さずに、犯罪者にならなかった。彼らから、逃げたからである。夫の暴力に苦しむ妻も、妹の言葉に心を壊された兄も、凶器を手にする前に、逃げてしまえばよかったのだ。「こいつとは一緒にいられない」と感じたのなら、その人がいないところへ行けばよかった。そうしていたら、自分は犯罪者にならず、夫や妹は、私の父や元夫のように、知らない場所でノホホンと生きていられたのだ。どんなにひどい目に合わされたとしても、それがその人の人生を奪っていい理由には、絶対にならない。
2007/01/12
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今日は朝から鼻がグズグズ。まるで花粉症のように、連発のクシャミと鼻水で、参った。朝起きるのが早いので、夜眠くなるのも早い。ついつい「明日の朝にしよう」と、用事を翌朝に持ち越してしまう。で、朝はまた時間が足りなくなる。その繰り返し。今日は早めに寝るとします。
2007/01/11
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おはようございます。昨日は、新年の挨拶まわり。注文もかなり頂いて、いい感じに忙しかった。一昨日(8日)の成人の日。妹と、新成人の甥っ子(カズ)が来て、夜は姉のうちへ。姉がお赤飯を炊いて、カズとツヨシの成人の日のお祝いをしてくれた。姉の息子たちや、仕事帰りのマッキーも来て、賑やかだった。元気でいたなら、きっと…ツヨシは去年のマッキーのように、成人式に行って、友達と一日を過ごし私と一緒に祝うこともなかったのだと思う。そんなことは想像できるのに、20歳になったツヨシは思い浮かばない。テレビに映る新成人を見て、こんなにもたくさんの子がいるのに、なぜツヨシだけがいないのかどうして、ツヨシだけがこんな目にあわなければいけないのかそして、どうしてツヨシが居なくなってしまったのかわからなくなった。
2007/01/10
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↑携帯電話の機種変更をしました。これは、プライベート用。で、これまでのモノを仕事用に。でもって、会社から持たされている携帯(現在はそれを使用)があって三台も持ち歩いている状態。今年も、何枚も年賀状を頂いた。本当に嬉しく思う。でも…どうしても年賀状を書けなくて、返信できずにいる。ツヨシが居なくなってしまうまで、私は、年賀状や暑中見舞いを出すのが好きだった。子供が小さい頃は、ハガキに似顔絵を書いて、パソコンを使うようになってからは、友達用とそれ以外の二種類を作って、私と子供たちの名前を入れて、毎年、送っていた。「おめでとう」という言葉が、痛いのだ。送られてくるハガキは、嬉しい気持ちで見れるのに私が自分で「おめでとう」という字を使えないでいる。年賀状を下さったみなさん、本当にごめんなさいね。寒中見舞いを出すつもりでいますので、いましばらく待ってください。明日は「成人の日」。ツヨシが元気でいたなら、迎えるはずだった日である。みんなは、ちゃんと二十歳になった。ツヨシだけが、十八歳のまま。
2007/01/07
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昨日は仕事始め。朝から本社へ行き、会議の後、社長と一緒に新年の挨拶回り。事務所に帰ると、年賀状が何枚かきていた。宛名に、会社名とともに、私の名前が入っているのはやっぱり嬉しいと思う。中には「○○所長様」とかいうのがあって、ちょっと照れる。夜は、うちで友達と飲んだ。体調がいいのか、かなり飲んだのに、二日酔いにならなかった。今日は寒い雨の一日。買い物にも行かず、家にこもってノンビリしていた。夕方、ゆっくりお風呂に入って、有り合わせで夕飯を作り食べた。
2007/01/06
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お休みは今日まで。明日は仕事始めで、会議のため本社に行く。でも、一日仕事したら、また三連休。嬉しい。昨日も一昨日も、寝てばかり。今日は夕方から買い物に出かけ、夕飯はおうちで焼肉。夜遅くになって、男友達から電話が来た。ずいぶんまえに、書いたことがあるが、いろいろあって、ここ何年か付き合いがなかったのに去年、スーパーでバッタリ会って、電話番号を交換した。それから全然連絡がなくて、私も電話していなかったのだけど、さっき、「年の始めだから」というワケのわからない理由で電話がかかってきた。本人曰く「大人になった」らしい(笑)。「どのぐらい?」と聞くと、「三割増しぐらい」という。とにかく、来月あたり一緒に飲もうと約束した。さて、明日は早起きしなければ…。改めまして、今年もどうぞ宜しくお願いします。
2007/01/04
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2007年が始まりました。今年もどうぞ宜しくお願いします。みんなが、健康で無事故で一年を過ごされますように…。
2007/01/01
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