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2週間くらい前にターミナル患者さんの転院のため、救急車に同乗した。看護師5年目にして初めてのこと。病状も悪く、寝た切りの状態。普通救急車の同乗は医師が行うことが多いし状態も状態なので、「医師は同乗しないのか」確認したが、看護上の問題が多いとのことで私が搬送に付き添うことになった。しかしながら患者さんのところへ行ってビックリ。呼吸状態も悪く、意識も遠のいている状態だった。こんな状況で付き添うのが私でいいのか!?と疑問を持った時は時既に遅し。救急隊員が病室に来ている。工事をしている創成川の橋の上を渡る時、救急車が大きく揺れて、それが刺激になって呼吸が止まるんじゃないか…止まったらやっぱりCPR(心肺蘇生)しないとまずいよな…?救急車で医者がいないのに人死なすわけにいかないよね…とヒヤヒヤしながら兎に角無事着いて!と祈るばかりの搬送だった。この状況をお局様ナースに話したら「よく同乗したよね~。」の視線は嫌みの白い目。“責任問題になりうることをよくやったな、この無知な奴め。”と顔に書いている気がした。それはそうだ…。上から言われたからその通りやったじゃ済まなくて、何かあった時責任が問われるのは私なのに。凹みました。凹んでいるだけでは問題は解決しません。もし医師がいない救急車の中でDNAR(心肺停止状態になっても蘇生を試みません)の告知がされている患者さんが目の前にいる時、病院に着くまでにどうしたらいいか。基本的には医療機関に搬送する以上はCPRを実施しなければいけません。※ただし、地域のメディカルコントロールプロトコールにより違いがある。この辺の関係法規は明日の研修で勉強する予定です。他、救急関係の症例を交えながらいくつか勉強しましたが、JR脱線事故災害救急のトリアージについては興味深かった。トリアージタッグには黒…死亡、もしくは救命に現況以上の救命資機材・人員を必要とし救命不可能なもの赤…生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性があるもの黄…今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要なもの緑…救急での搬送の必要がない軽症なものがあるんだけれども。てっきり黒のタグってCPA(心肺停止)とか死亡確認された人という意味だと思っていたら、「死亡確認は医師しかできません。」とのこと。そうそう、ERのドラマではナースもタグつけてたもんね(苦笑)ごく最近あったのは福知山線脱線事故。死者107名中100名は現場のトリアージで黒タッグをつけられ、病院搬送されず、そのことが周囲の医療機関の混乱を防ぎ、適切な傷病者の搬送が行われたとして評価されていた。しかし「病院に搬送してくれれば助かったのではないか」と無念の思いを抱く遺族もおり、遺族の視点にあった災害医療活動の必要性があると提案された。災害における死別は予期せぬ突然の死別で死因が納得できない状況のことが多く、遺族の悲嘆(グリーフ)は大きく、とりわけ早期からの遺族ケア(グリーフケア)が必要とされているとのこと。実際、私がナースをしている間にこうした災害救急の場面に出会う確率は1%にも満たないかもしれないけど、大切な人を失った遺族の思いと言うのを知ることができただけでもナースとして成長する糧の一つになって気がする。これをちょちょいと修正して研修レポートとして提出する予定です。
2009/10/09
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今日は終末期医療の研修1日目でした。BLSの取得は別として今年度初めての研修。感染対策の研修も受けたかったけど、定員の関係で受けられなかったので、勉強会のサポートをする形で勉強させてもらうことにしたから。死に逝く人がたくさんいる環境だけど、急性期病棟にいる医療者は専門分野がちょっと違うから終末期への(ホスピス的な)ケアに関してスペシャリスト具合が足りないのが現状。―そこで改めて考えてみる―どこで死にたい?死ぬ時はどんなことをしてほしい?自分らしい最期って?例えば死ぬまでの時間がおおよそ分かる癌だとして。絢爛豪華な場所で死ぬと言うより大体の人は病院や自宅で、身綺麗にしてもらって、周りの人に感謝やお別れの挨拶をして。そう言う普通の最後の場面を迎えることが現実的になる。―一般病棟(急性期病棟含む)での終末期患者の状況について―・適切な疼痛や症状のコントロールがされていない・ナースや医療スタッフとの個人的なかかわりが極めて少ない・死に逝く患者とナースは最小限のコンタクトしかない・患者は死に近づくにつれて孤立感と孤独が増していると言われていて、全くその通りとまではいかないけど必要十分に行われていないと感じられるところがたくさんあると思う。人の死に様には色々な価値感があるけれども、『終末期の意思決定において最善の選択をすると言うのは単に医学的な観点ではなく、「物語られる命」のなかで評価される必要がある。』と今日の研修では言っていた。 つまり、その人本人、家族の意向は一般論では理解できるものではなく、医療者が積極的に関わっていくことで初めて患者さんや家族のありたい姿を支える医療者になることができると言うことだった。また、終末期の患者さんでしばしばみられる理解しずらいことが起こった場合、言動の辻褄が合っていない、単なる不穏行動だと判断せず、どうしてそうするのかを聞くことによって手立てが見つかることもあるとも言われていた。ただし、これらの現象が生物学的側面(病状によりもたらされるものや、電解質が狂うことで起こる意識障害などではないか血液検査データを確認すること)と区別をすることが重要になる。死への孤独感に関してナイチンゲールは「(どんな患者さんも)たった一人でも良いから、なんでも自分の思っていることを率直に話せる相手がいてくれたらどんなにありがたいことだろうと思っているのである。」と言っている。患者さんと医療者いう関係性ではなくても、人としてみんな思うことだよね。天童荒太の著書「悼む人」の中で全国の不慮の死を遂げた人を悼む主人公の静人が現場に立ってこう話す。「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか?誰かに感謝されたことがあったでしょうか?」静人の母、巡子が自宅で死を迎えつつある時、とても苦しそうに息をしていたので訪問してきていた主治医がセデーション(鎮静)をかけるか家族に確認していたが、本人は娘の子供が生まれるまで生きていたい思いがあったのでそれを望んでいなかった。しかし瞬きさえ思うようにできない身体状況で返事ができなかった時、夫が妻に向かって「眠れる薬使ってほしい?」尋ねてもらうことができ、精一杯首を振ったそう。そして呼吸も止まりいよいよ最期の時。夫の腕に包まれながら「心から愛していた。僕に必要な人だった。」と言われ、返事ができる状況ではないが巡子はとても幸せにあの世へ行けたそう。この本を読めば死を迎える本人や家族に対して含蓄を持ってかけられる言葉が一つ増えると思う。死を目の前にすることが多い私たち医療者は、人は最期の時まで耳は聞こえているので家族に会話をすすめたり、抱きしめるなどの非言語的コミュニケーションは慰めや希望、尊厳をもたらすことに有効であることを知らせる必要があると言うことを改めて感じた。そして愛ってこんなにも人を救ってくれる素晴らしいものなんだね。長くなりましたが、次は救急医療の終末期についてレポートします!
2009/10/09
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1日に3回くらい電話をくれたりいつも「会いたいよ!」って言ってくれたり仕事を早く切り上げて会いにきてくれたり自分のことを大好きでいてくれる人じゃなきゃダメなんだなぁって。尚且つ、「日付変わる前に家に帰って来い」とか「俺のこと放っておいてどうして友達と遊ぶんだ!?」とか変な束縛して怒らないってのも重要ナースしてると時間の感覚おかしくなって朝帰りの飲み会なんて何とも思わなくなるのよねぇ。付き合いだから仕方がないし、たまになんだから独身の間くらい許してよってなっちゃう訳で剛志も看護師は不規則だからスレ違い多いよねーって言うから何とも思ってない訳じゃないと思うけど「東京で会う日まであと7日」毎回メールのタイトルでカウントダウンしてくれて会うのが楽しみって。あたしなんかのどこがいいんだか分からないけど必要とされるのは有難いことだね色んな出会いと別れを繰り返して、自分に必要な人が少しずつ見えてきた今日この頃でした。
2009/10/08
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