まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2006.06.20
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カテゴリ: 宮崎あおいちゃん
『純きら』。


というより、中間考察。



冬吾と笛子は、
意外にもあっさりと結ばれたんだけど、
正直、わたしにはまだ腑に落ちないところがある。

東京時代の冬吾と、岡崎に来てからの冬吾。
ずいぶんキャラが変わってる、と感じてる人は多い。

岡崎に来てからの冬吾は、

変な歌をうたって踊ったり、妙に明るすぎる。

のみならず、
笛子に対しての態度もそうだし、
創作活動に対する態度もそうなんだけど。

「結婚」をあっさりと受け入れたり、
看板とかカエルとか、当たり障りのない絵を描き続けたり。
どうも、怪しい。
東京時代の彼のキャラからは、ちょっと想像しにくい。



今日は笛子の意外な一面が出た。

「源氏物語」のことで、役人に楯突く笛子。


笛子というのは、
姉妹の中でもっとも保守的で、
世間の常識を突破することのできない、
じつは「いちばん弱いところのある」キャラクターって設定だった。

だから、今日の笛子の描写は、ちょっと驚き。


なにか政治的な信条があって『源氏物語』にこだわってるとか、
そういうことではないんだと思う。

ただ純粋に、政治や思想とはまったく無関係に、
古典文学の素晴らしさを生徒たちに伝えたい、というだけのところへ、
たまたま、いつもの強情な性格が表に出てしまって、
役人にたいして迂闊な口答えをしたのが災いしたってだけのこと。

とはいえ、
「冬吾の芸術活動を支える」という決心をした時点で、
笛子は、それまでのキャラから変わる必要に迫られていたし、
今回のことでも、冬吾を守るという彼女の立場上、
権力に逆らうことも含め、引き返せないところへ来てしまった。



そして、

あらためて冬吾のことが気になるんだけど、

「右も左もない」みたいなことを言ってトボけてるものの、
ほんとに冬吾ってそれだけなのか?という疑いが消えない。

というのも、
わたしはやっぱり、受賞したあの絵のことが気になってます。

間違ってるかもしれないけど、
あの絵は、裸婦像や、看板画や、カエルの絵とかとは違って、
やっぱりプロレタリア的な作風のものといっていいんだろうし、
あそこに描かれた3人の男は、
わたしは「囚人」じゃなかったのかな、と思ってるんだけど。

何故あの時、
冬吾が、突然思い立って「巣篭り」をして、
あんな絵を描こうと考えたのか。
なにかあの頃、
あんな絵を描かせる特別な動機とかキッカケでもあったのか。
ただならぬ雰囲気があったように思うんですけど・・。

たんなる思い過ごし?





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最終更新日  2021.07.13 16:42:34


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