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朝ドラ《評論家をぶっ叩く》シリーズの2回目!次はどの評論家をぶっ叩こうか?と息巻いてみたものの…どいつもこいつも、▶前回の碓井広義とおんなじ で、例によって「共感できない」と「ご都合主義」を並べて、一般視聴者と大差ない戯れ記事を書いてる奴らがほとんどです!逆に、この人たちは、「共感できない」と「ご都合主義」というタームを取り除いたら、ほとんど何も書けなくなってしまうんじゃないかしら?…と心配になるほど、批評言語の貧弱なライターも目につきます。そして、そんな素人まがいの評論家にありがちな、もうひとつの紋切り型の批判が、「主人公が成長してない」ってやつですね。これもまあ、いたるところの記事で見かけます。もともと朝ドラにかぎらず、「ドラマは主人公の成長物語でなければならない」みたいな無根拠な思い込みに縛られている人たちは多いのです。◇朝ドラでも「ヒロインの成長」とはよく言いますが、実際のところ、人間なんて、そうそう成長できるものではありません。年をとるほど醜くズル賢くなることはあっても、基本的な人間の本性は、むしろ子供の頃から変わらない、というほうが正しい。これは歴代の朝ドラヒロインについてもいえます。たとえば「おちょやん」の千代は、少女のころからすでに考え方が大人を上回っていたし、逆に父親のテルヲは死ぬまでバカのままだった。人間なんて、そんなものです。今回の「ちむどんどん」の場合、ヒロインの暢子はわりと早い段階で経済的な自立をし、さらに経営的な独立をし、その後の紆余曲折をへて、▶最終的には沖縄へ「野菜食」の発想と技術を持ち帰った。それが彼女の《料理人としての成長》でした。とはいえ、たしかに、彼女は人格的にはほとんど成長しませんでしたし、成人してなお幼稚園児みたいなキャラだったといえます。しかし、いったいそれの何が悪いのでしょう??◇もともと、このドラマは、「愛すべき沖縄のバカ兄妹」が巻き起こす珍騒動の話なのだから、そういうキャラクターの設定で間違ってはいない。良子も、暢子も、たとえば婚約者の実家を訪問するときに、ギトギトのサーターアンダギーをビニール袋に入れて、心からの善意で持って行ってしまったりするわけだけど、ある意味では、それこそがこのバカ兄妹の愛すべきところなわけで、妙に気の利いた高級百貨店の菓子折りなんぞを持っていったら、かえって小賢しく嫌味に見えてしまうに違いありません。結果的には、重子さんも、家政婦の波子さんも、そんなバカ兄妹の幼稚さや純粋さに心を動かされたわけだから、物語の展開から考えても、ああいう描写には合理性がありました。◇賢秀の破天荒なキャラについても、一部には「沖縄人を愚弄した描写」と考える向きもあったかもしれませんが、ただひたすら沖縄を美化すればいいってものでもない。沖縄に実在するアンダーグラウンドなヤンキー社会を戒めるためにも、そこで安易な商売が横行しやすい実態に警鐘を鳴らすためにも、賢秀が引き起こす騒動の描写にはそれなりの意味があったと思うし、本土の側にだって、あいもかわらず詐欺に騙される人たちや、ネズミ講などに手を出したりする人たちはいるわけだから、そういう人たちへの注意喚起の意味でも、ああいう泥臭い描写には一定の意義があったと思います。朝から不愉快なものを見せられてイライラする、と感じる人たちが多かったのも分かりますが、見ていてひたすら気分が良ければドラマとして優れてるのかといえば、かならずしもそうではない。コメディのオブラートに包みながらも、歴史や社会の不愉快な面に目を向けさせる工夫は必要です。◇最終回では、歌子が倒れる、というお約束の《釣りネタ》があって、ここでもバカ兄妹たちが相も変らぬ騒動を巻き起こしました。医者は「出来ることは全部やった…」みたいに言いますが、それは、たんに「熱が下がらなくて目が覚めない」というだけのことで、べつに誰も「死にそうだ」とは一言も言ってません。あきらかに、お約束の《釣り》ですね。まさか、下地先生からの折角の手紙を宙に浮かせてまで、ほんとに歌子が死んだりする展開にならないのは明白なのだけど、例によって、この愛すべきバカ兄妹の面々は、放っておけば自然治癒で目を覚ますのも知らないで、あろうことか、タクシーの運ちゃんまで巻き込んで、やんばるの美しい海にむかってギャーギャー騒ぐわけですね。わたしは、そのバカっぷりに大笑いしながらも、ボロボロと泣いてしまうわけですが、あの最終回こそ、いつまでも成長しないバカ兄妹たちが、最後の最後に辿り着いたバカっぷりの集大成だったわけだから、ああいう描写に本気になって目くじら立てて文句を言うほうが、かえって無粋で滑稽だというべきだし、ほとんど無理解、あるいは曲解に近いんじゃないか、と感じずにはいられない。《バカ兄妹の最後のさけび》◇わたしは、つねづね疑問に感じるのだけど、「うんうん、ヒロインも成長したねえ。私と同じように!」などと満足げに論評する視聴者って、いったいどういう目線でドラマを見てるのかしら?たとえば今回のドラマでは、《他人に忖度できる大野愛》と、《他人に忖度できない比嘉暢子》とを比較して、「忖度できるようになってこそ人間の成長!」みたいな主張がSNSのなかに湧き上がったのですが、SNSの炎上に「同調」してツイートしたり、SNSの風潮に「忖度」しながら記事を書いたり、そうやって集団で徒党を組んで大声をあげる人たちを見てると、もしかして、この人たちは、周囲の空気を読んで、同調して、忖度しながら、集団でバッシングをしたり、集団でいじめをしたりする行為のなかにこそ、自分たちの「成長」を感じているのではあるまいかと、なにやら寒気がしてきます。むしろ、その種のいじめや炎上に加担しないためには、空気も読めず、同調や忖度もできないことのほうが、よほど人間として素晴らしいんじゃないかしらと思えてくる。◇まあ…ドラマやコメディのお約束が理解できず、大真面目になって目くじら立ててしまう滑稽な視聴者や、なにがなんでも些末な粗探しをせねば気が済まなくなって、自分の存在意義をそこに賭けてしまう視聴者がいたとしても、あくまで個人の行為としてなら問題ないのだけど、よりによって、評論家やら、大学教授やら、政治家までが、そういう集団的な炎上に便乗してしまうのだとすれば、これはもう職業的な意味で「不適格」と言わざるをえません。本質的に批評的な姿勢が欠落しているからです。とりわけ、大学教授やら政治家にかんしては、「そんなことまでして自分の名前を売りたいのかしら?」と、これまたうすら寒い気持ちになります。今回の件で、SNSの炎上騒動に便乗して名前を売ったような連中は、学者倫理の観点からいっても、政治倫理の観点からいっても、完全にアウトというべきでしょう。◇じつは、今回の苛烈なバッシングを裏側から見ると、テレビ視聴率の下落傾向を食い止めるための手段として、SNSの「炎上」が逆に利用されていた面もうかがえますから、正義感を振りかざして必死で叩いていた人たちも、NHKの策略にまんまとハメられていた可能性がなくはありません。とはいえ、メディアやジャーナリズムが炎上を煽る状況はけっして健全ではないし、ましてアカデミズムや政治なんぞが安易に乗っかるべきではない。…なお、▼こちらの記事を読むと、news.yahoo.co.jp/byline/suzukiyuji/20220917-00315564実際にSNSを炎上させていたのは「ラウドマイノリティ」ではないのか、との推察もあるようです。わたしも、今回の炎上を牽引していたのは、ラウドマイノリティの可能性が高いかな、と思う。つまり、書き込み回数が多いだけの少数者です。ツイッターの場合はフォローによる相互連携も関係してくると思いますが。実情はよく分からないし、かならずしもラウドマイノリティの言論を抑圧する必要もないのだけど、すくなくともメディアの側は、その主張をあたかも「世論」であるかのように報じるべきではないし、かりにラウドマイノリティと実数的な世論とのあいだに乖離があるのなら、その実態を把握するための技術や方法論を、なるべく早めに確立すべきだと思います。※10/5の記事の再掲になります。
2022.11.05
朝ドラ「ちむどんどん」の炎上の理由について、週刊現代は次のように説明していました。たしかに粗っぽいところはあるが、ここまで酷評されるほどの作品ではない。では「批判の声」が増幅されてしまったのはなぜか。その主たる要因はツイッターなどのSNSサイトにあるだろう。毎朝、ドラマが放映されると同時に、脚本や時代考証の甘さ、主人公の言動をあげつらい批判する「ちむどんどん反省会」がSNS上で開かれる。それをそのまま拾い上げ、ニュースとして垂れ流すネットメディアが後追いすることで、反省会がますます盛り上がるという悪循環が生じてしまったのだ。同じように、芸能ライターの弘世一紀も次のように話しています。反省会は『おかえりモネ』や『なつぞら』のときもありました。今回はベタな展開やキャラが立った登場人物が多かったので、叩きやすかったのでしょう。メディアもその風潮に乗っかったほうが記事のクリック数が稼げるので、批判記事をどんどん配信し、視聴者を煽ったのだと思います。結果的に物語の粗探しがヒートアップして、火種がどんどん大きくなってしまったのです。https://gendai.media/articles/-/99663?page=2◇つまり、問題なのは、SNSの論調に対して、ネットメディアが何らの批評性も発揮できなかったこと。ネット記事はおろか、果ては大学教授や国会議員までが、無批判にSNSに「同調」するようになったこと。そして、自称ドラマ評論家の面々も、例によって、なんらの存在意義もなしていないのです。たんにSNSの論調に追随するだけ。これでは評論家の存在する意味がありません。◇今回のような事態に直面すると、もはや、ドラマそのものを批評するよりも、むしろ 評論家を批評する ほうが先決ではないかと思えてきます。ためしに、誰かひとり、ドラマ評論家を槍玉に挙げてぶっ叩きたくなる。実際のところ、評論を仕事にしているのだから、自分自身が逆に批評されるぐらいの覚悟はできているでしょう。手っ取り早いところで、メディア評論家の碓井広義 の昨日の記事https://news.yahoo.co.jp/byline/usuihiroyoshi/20221001-00317034現在のところ、ヤフーのアクセスランキングで1位になっていますが、中身を読めば、たんにSNSの反応をテキトーに寄せ集めて、安易な記事によってクリック数を稼いでいるのが明白です。◇碓井広義は、今回の朝ドラが酷評されている理由として、「ご都合主義のストーリー」と、「共感できないキャラクター」の2点を挙げています。しかし、「ご都合主義だ」とか「共感できない」というのは、語彙の乏しい素人の視聴者が、気に入らないドラマを批判するときの常套句であって、わざわざ専門家が用いるべき文句ではありません。たとえば、碓井広義は、「過去の朝ドラのダメ男に比べて、賢秀のダメ男ぶりは度を超えていた」と述べているのですが、しかし、「度を超えているから共感されない」だの、「度を超えていなければ共感できる」だのというのは、まったくもってテキトーな説明でしかありません。そもそも、ほんとうの意味で「度を超えていた」のは、どこの誰がどう考えたって、娘を売り続けた「おちょやん」のテルヲのほうであって、それに比べれば、賢秀のダメっぷりなど可愛いものです。それにもかかわらず、作品としては「おちょやん」のほうが評価されてしまうのは何故か。碓井広義は、「キャラクターが共感されないから酷評されるのだ」などと安易に説明していますが、実際には、たとえ共感されないキャラクターがいても、作品は評価されるのです。その謎を解き明かせなければ、本物の評論家とは言えない。◇朝ドラ史上「最悪の父親」はテルヲでしたが、朝ドラ史上「最悪のヒロイン」は誰かといえば、それは、どこの誰がどう考えてみても、娘を捨てて米兵と駆け落ちした「カムカム」の安子に違いありません。しかし、彼女は、最終的に視聴者の共感を得ました。これに対して「ちむどん」の暢子は、たんに鈍感なだけで、べつに悪いことなど何もしていないのに、まるで極悪人であるかのごとくに視聴者から叩かれ続けました。それは何故なのか。碓井広義は、「共感されないから酷評されるのだ」などと説明していますが、そんなものは何の説明にもなっていない。なぜ、「カムカム」の安子の非道っぷりは共感されるのに、「ちむどん」の暢子の鈍感さのほうは共感されないのか。その謎を解き明かせなければ、本物の評論家とは言えない。…結論を先にいうならば、キャラクターに対する共感と、作品の評価とはまったく無関係だからだ、というほかありません。碓井広義は、自分でこの矛盾に気づいていないのでしょうか?それとも、たんにSNSの反応を寄せ集めて、やっつけ仕事でテキトーな記事を書いているだけなのか。◇一方、碓井広義は、「ご都合主義だから酷評されるのだ」とも書いているのですが、ほんとうに視聴者はご都合主義を拒否しているのでしょうか??もしも、ご都合主義を完全に除去するならば、戸田恵梨香が主演した「スカーレット」のように、物語の最後には、一人取り残されたヒロインが黙々と薪を燃やし続けるような、殺伐としたエンディングになりかねないのですが、そのようなリアリティを本当に視聴者は望むのでしょうか?もちろん、わたし自身は、あの「スカーレット」の荒涼としたエンディングを絶対的に支持します。しかし、あのエンディングを支持した視聴者は、むしろ少数なのです。お茶の間の視聴者のほとんどは、最終回で登場人物の全員がご都合主義的に大集合するような、大団円のエンディングをこそ望むに違いないのだし、それどころか、最後にあらゆる男女が全員カップルになって結ばれるような、死ぬほどご都合主義的なハッピーエンディングをこそ望むのです。碓井広義のように、「ご都合主義だから酷評されるのだ」などと説明するのは、まったくのデタラメであって、ほんとうならば、「せっかくご都合主義にしたのに、なぜ評価されなかったのか?」と問うべきなのです。そして、その問いに答えが出せなければ、本物の評論家とは言えない。※次回は別の評論家を誰か槍玉に挙げます。
2022.10.02
今回の朝ドラが炎上しつづけた最大の理由として、飯豊まりえが演じた「大野愛」のキャラ造形の問題があります。◇漫画やドラマの恋愛において、三角関係の恋敵を「イヤな奴」に設定するというのは、たしかに古典的な手法としてはあるのだけれど、最近のドラマでは、そういう分かりやすい手法は使われなくなっています。そもそも現実の恋愛において、恋敵がかならずしも「イヤな奴」だとはかぎらないし、それどころか、たとえ双方ともに善人であっても、理不尽に傷つくことになるのが現実の三角関係なのだから、たとえ漫画やドラマであっても、そうした恋愛のリアリティを追求するのが近年の傾向なのですね。◇けれど、今回のドラマで飯豊まりえが演じた大野愛は、あまりにも非の打ちどころのない女性だったために、逆にヒロインのほうが「イヤな奴」に見えてしまった。さらには相手役の和彦までが「イヤな奴」に見えてしまった。そして、これをきっかけに、SNSを中心に主演カップルへの憎悪が膨らみ、しまいには作品に対する瑣末な揚げ足取りまで巻き込んで、最後まで炎上が終わらないという事態になったのです。◇NHKの制作チームがどのように意図していたか分かりませんが、あえて恋敵を「出来すぎた女性」に設定するというのは、たぶん当初からの既定の方針だったのでしょう。さしずめ「ドラえもん」でいうなら、恋敵の出木杉くんを差し置いて、出来の悪いのび太くんとしずかちゃんが結ばれるみたいな構図ですが、その男女逆バージョンみたいなものをイメージしていたかもしれません。◇さらに、このドラマでは、「良識的な本土人」に対して「あばずれな沖縄人」を対比していました。これは、とくにニーニーの人物造形において顕著でした。ここにも視聴者の反感を招く要素があったものの、たしかに本土的な「良識」を美化することが正しいとは思えないし、(それは権威主義や忖度主義や同調主義を助長しかねない)むしろ、それを相対化させるためにこそ、沖縄人の素朴さや自由さや破天荒さを強調する意図だったのでしょう。そして、この対比が、「大野愛」と「比嘉暢子」の関係にもそのまま同じように反映されていたといえます。◇かりにNHKの制作チームが、ある種の炎上商法的な効果まで想定していたならともかく、男女の三角関係描写についての注意をすこし怠ったせいで、想定していた以上に視聴者の反感を拡大させたのだとしたら、これは、ほとんど「政治的なミス」と言ってもいい。SNSは、そうした憎悪が拡大しやすいメディアでもあるし、とくにNHK朝ドラは特殊なコンテンツなので、ヒロインに対する反感が増大しやすいということがあります。…半世紀前の「おしん」の時に、ヒロインの少女をいじめる父親役だった伊藤四郎が、家にまで押しかけてきた視聴者から非難されたという笑い話があるけれど、リアルとフィクションの区別がつかなくなって、ついには俳優にまで憎悪を向けるような視聴者も、いまだに一定の割合で存在します。のみならず、雑誌の記者や、頭の悪い大学教授や、国会議員のなかにさえ、そうした憎悪にまかせて発言したり記事を書いたりする者が現れています。昔なら決して誌面には載らなかったような、バカげた揚げ足取りのような記事でさえ、いまでは簡単にネット上に掲載されてしまうということもある。そういう時代です。◇今回の件で、NHKの朝ドラ制作チームは、男女の三角関係を描くことに恐怖心を抱いたかもしれません。恋敵を分かりやすい「悪人キャラ」に設定したり、ヒロインを「品行方正なキャラ」に設定することが、かならずしも正しい手法だとは思わないけれど、かといって、朝ドラ視聴者の感情的な反応を、炎上商法もまじえながらバランスよくコントロールするのは、いっそう難しい挑戦になっていくでしょう。そして脚本家はもちろん、今後は、出演俳優でさえ、ある程度の覚悟をもって臨まなくてはならなくなりました。
2022.10.01
今回の朝ドラ『ちむどんどん』には、重要なテーマが大きく3つありました。1.やんばる2.沖縄の野菜食3.民謡文化とくに終盤では、顕著な形でこれらのテーマに収斂していきました。◇◇1.やんばる20年前の『ちゅらさん』の実家は那覇市の首里でしたが、今回の『ちむどんどん』の実家は北部の山原(やんばる)でした。目下、沖縄の在日米軍は、本島南部における基地機能を返還したのち、それらを北部やんばるへ移転することを計画しています。ヒロインたちの実家は西海岸でしたが、米軍の機能移転においてもっとも重要なのは東海岸(辺野古)であり、さらに森林への移転も重要な争点になっていきます。今後、日本の国民は、沖縄の「やんばる問題」に向き合わざるをえません。最終週では、やんばるの海の際立った美しさを見せていましたが、このドラマの最大のテーマは、「沖縄のやんばるを守るのか」という国民全体への問いかけだったといえます。2.沖縄の野菜食敗戦後の沖縄は、とりわけ米国文化の影響下に置かれたので、ランチョンミートやハンバーガーやステーキなど、安直な肉食を中心とした生活に置き代わり、その結果として生活習慣病が蔓延し、極端な「肥満増加」や「寿命低下」を招きました。一方、ヒロインの暢子が東京で学んだのは、日本料理でもなく、中華料理でもなく、フランス料理でもなく、(ましてアメリカン・レストランで学んだのでもなく)イタリア料理、すなわち野菜と魚介を中心とした「地中海料理」でした。この「地中海料理」の発想を、ふたたび沖縄の食文化のなかへ取り戻すことが、このドラマにとって二番目に重要なテーマだったといえます。さらに、ニーニーと養豚との関わりも、《米国流の牛肉食》から《沖縄本来の豚肉食》へ回帰させるために、重要な意味を含んでいました。つまり、極論をいえば、このドラマは、おおむね「戦後の沖縄文化の否定」であり、それはとりもなおさず「米国文化の否定」だったのです。そのことによって、戦前的な沖縄文化の回復を目指した物語だったといえます。3.民謡文化20年前の『ちゅらさん』では、山田孝之が演じた弟の恵達や、鮎川誠が演じたジョージ我那覇を中心として、戦後の沖縄人とロックとの関わりが描かれていました。しかし、今回の『ちむどんどん』には、米国の音楽やロックの話はいっさい出てきません。その代わりに描かれたのは、末娘の歌子と沖縄民謡との関わりでした。彼女が三線で民謡を弾き語ったのは、「芭蕉布」「てぃんさぐぬ花」「娘ジントーヨー」「浜千鳥」…などの旋律と言葉をとおして、伝統的な美意識を回復するためだったろうと思われます。そして、最終週では、末娘の歌子による歌と、母の優子による踊りとを、「遺骨すら見つからない戦争の死者」への鎮魂のために捧げていました。こうした要素も20年前の『ちゅらさん』にはなかったものです。◇◇ところで、SNSに書き込む視聴者たちは例によって、恋愛や結婚がらみのエピソードについて、やれ共感できるのできないのと最後まで騒ぎつづけたのですが、じつは、このあたりの話は、「沖縄の少女と本土の少年が恋に落ちて結婚する」という『ちゅらさん』のパロディにすぎず、今作では、たんに話題のための炎上ネタにすぎませんでした。ヒロインらへの不評が世間を覆っているかのように報じられ、※他人への同調こそが「正義」であり「人間的な成長」だと考える忖度主義、 空気の読めない鈍感な人間は排除すべきと考える日本人の集団主義、 そうした旧来型の大衆的無意識がSNSのなかに露出した結果でした。あろうことか評論家や大学教授や国会議員までもが、その炎上に「同調」するという、まともな言論/アカデミズムとは思えない醜態もありましたが、結果的には、そんな炎上ネタの効果もあって、ドラマ視聴率の全体的な下落傾向のなかでは、むしろ高い水準の数字を維持していたというべきだし、NHKが今回の朝ドラを「成功」と見なしているのも理解できます。本質的な部分において、この朝ドラは『ちゅらさん』の価値観を覆した作品であり、結果的には、「やんばる」「島野菜料理」「民謡/歌三線」というワードについて、国民社会へ刷り込む役割を果たしえたと思います。
2022.09.29
ちむどんどん。いよいよラストスパートに入ってきてる感じ?ネーネーの野菜と、ニーニーの豚肉と、歌子の三線弾き語りと、ジョン・カビラの語りが、ぜんぶ暢子の店「ちむどんどん」に結集しようとしてます?— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) September 26, 2022◇わたしは5月ごろに、> いずれ歌子が東京に出てきたら、> ひおもか(氷魚&萌歌)やいのもか(海&萌歌)が実現するかしら?みたいなことを書いたけど、気づいたときには、あっさり実現してました(笑)。ひおもかにいたっては、あまりにあっさりしすぎてて、どこから共演してたかも思い出せない。…このときだったっけ?そして、いまや「ちむどんどん」の店内には、歌子・暢子・和彦・矢作の4人がいつも一緒にいます。これはもう完全なるモカコネクション!じつは、氷魚と海も、かなり仲がいいらしいのです。それは、魚と海だから…じゃなくて、2019年の舞台「CITY」で共演してるから!— 和彦の中の人の魅力を伝えたい☺︎☺︎☺︎ (@hiiio184) September 2, 2022ちなみに、氷魚がミュージシャンの息子なのは自明ですが、海も、もともと映画「トウキョウソナタ」のときに、少年ピアニストとしてデビューしたわけだし、映画「ミュジコフィリア」では山崎育三郎と連弾もしている。萌歌も、adieuとしての活動のみならず、映画「羊と鋼の森」では萌音と連弾してるし、ドラマ「さよならドビュッシー」では、やはり黒島結菜と一緒にピアニストの役を演じてて、今回は三線の弾き語りもしてる。なので、この4人は、音楽で繋がる部分もかなりあるんじゃなかろうか?— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 31, 2022 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 1, 2022 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) September 12, 2022 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) September 12, 2022萌歌との共演はこんな感じ。2013年 幽かな彼女(飯豊まりえ)2016年 さよならドビュッシー(黒島結菜)2016年 CM「午後の紅茶」(井之脇海)2021年 ソロモンの偽証(宮沢氷魚)時系列的にいうと、飯豊まりえとの面識がいちばん古いかもしれないのだけど、今回は萌歌との共演シーンはなかったような気がする…。いずれにせよ、萌歌&結菜&氷魚&海の仲良しぶりは、もはやプライベートでも遊びに行けるレベル?
2022.09.15
第15週は「ウークイの夜」。はじめて食べもの以外のサブタイトルがついて、さまざまな謎がいっきに解き明かされる内容でした。◇今回の朝ドラは、《本土からやってきた運命の人と結ばれる》という、20年前の「ちゅらさん」の物語を反復してもいるけど、その半面で「ちゅらさん」の反復を拒んでいる面もある。それは、主人公の恋愛が、たんなる個人の物語ではなく、沖縄の歴史の物語に運命づけられている…ということ。そのことが第15週であきらかになりました。こうした要素は「ちゅらさん」には欠けていました。◇同時に、今回の「ちむどんどん」は、「ちゅらさん」みたいな《美しい恋愛》にはこだわっておらず、むしろ露悪的に《みっともない恋愛》を描いているように見えます。登場する若者たちは、かなり《みっともないキャラ》として設定されています。とくに先週の相撲大会のエピソードなどは、そんな若者らしい《みっともなさ》が全開していて、欲望やら、嫉妬やら、裏切りやら、横取りやら、致命的な鈍感さやらが入り乱れて空回りする様子が、かなり滑稽なタッチで描かれていました。まあ、「若者の恋愛なんてそんなもんだよねw」とも思うし、「一昔前の若者のドラマってこんな感じだったよねw」とも思うけど、あえて《美しさ》に反するようなキャラ設定をしたうえで、その《みっともない人間性》をおおらかに肯定する物語になっている。(そのことがSNSでははげしい不興も買っていますが)◇最近のドラマでは、《美しい男女》の《美しい恋愛》を描くことが当たり前になって、こういう若気の至り的な《みっともなさ》を受け入れる土壌は、すっかり無くなってしまっているかもしれません。共感しやすいキャラでなければ、ただちにバッシングを受けてしまう。かりに三枚目の役者が演じるのなら、視聴者もまあ笑って見過ごせるのだろうけど、なまじっか美形の俳優たちが演じてるものだから、この《みっともなさ》をどんな気持ちで受け止めればいいのか、ちょっと戸惑ってしまうってのもある。しかし、現実の世の中で結ばれる男女は、皆が皆《美しい男女》ではないし、皆が皆《美しい恋愛》をしているわけでもないし、むしろ《醜くてみっともない恋愛》で結ばれる人々のほうが多いかもしれません。美しい男女が、美しい恋愛で結ばれることしか許されないのなら、世の中の恋愛はとても窮屈になってしまうし、現実の恋愛なんて、ほとんど不可能になってしまう。その点、今回の「ちむどんどん」の場合は、民族の記憶を繋ぎ、命を繋ぎ、血を繋いでいく、…という物語なので、人間性の善し悪しは二の次になっているのかもしれません。◇個々のキャラで見ると、たとえば、良子の結婚相手としては、博夫より金吾のほうが魅力的だったともいえるし、和彦の結婚相手としては、暢子よりも愛のほうが魅力的で感情移入しやすかったし、暢子の結婚相手としても、和彦より智のほうがひたむきだったと言えるかもしれない。しかし、このドラマのなかでは、そういう個々の人間性が恋愛の可否を左右するのではありません。とくに暢子と和彦の場合は、視聴者の共感を得られにくいキャラではあるものの、そんなキャラの魅力とは無関係な運命で惹かれ合っていて、愛も、そのことを察知してみずから去ってしまいました。◇暢子と和彦の運命は、「ちゅらさん」のように個人的なものではなく、歴史的な悲劇を共有した者どうしの運命でしたし、それは本人ですら自覚していなかった歴史でした。それは、ヒロインの相手役の俳優が、かつて「島唄」を作った宮沢和史の息子ということにも重ねられる。愛は、たしかに個人としては魅力的で罪のないキャラクターだったけれど、沖縄の民族的な歴史に立ち入れる立場にはなかったし、智も、沖縄の人間ではあるものの、そうした悲劇の歴史は共有していない。あくまでも、このドラマは、悲劇的な民族の歴史を受け継いだ男女が、運命的に命を繋いでいくストーリーになってるので、一般的な恋愛ドラマの法則からすると、とても不可解に見えます。◇今回の朝ドラは、とりたてて傑作とも言えませんが、世間でいわれているほど失敗しているわけでもないと感じます。みっともない若者のみっともない恋愛を描いた朝ドラとして、ある意味では新境地といえなくもないし、実際、個々の人間性の是非より大事なものがあるかもしれない。こんなふうに、通常の恋愛とはちがう論理で作られるドラマがあってもいいし、視聴者からの賛否があるのは当然としても、こういう恋愛ドラマの作り方があってもいいのかなと思う。
2022.07.24
朝ドラ「ちむどんどん」について、文春がかなり硬派な論評を載せています。bunshun.jp/articles/-/54340現在の【東京・鶴見編】の内容が、しだいに《社会的なテーマ》へ踏み込むだろうと示唆している。新潮の記事にも同様の予測があります。https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05160601/これらの記事は、ある程度、NHKからのリークなのかもしれません。一方、ヤフコメなどでは、例によって「朝ドラが社会問題など扱う必要ない!」との大合唱です。◇しかしながら、結論をいえば、朝ドラがこれまで《社会問題》に触れなかった試しはありません。どの作品も、何らかのかたちで社会的なテーマに触れている。たとえば「純情きらり」や「カムカム」は、敵性文化を弾圧した戦時下の国家方針や社会風潮に反して、ジャズを演奏したり、英語を学んだり、あるいは戦後に米兵と結婚したりした人物の葛藤の物語です。たとえば「エール」は、戦時中の経済的・社会的な要請に応じて、国民感情を奮い立たせるような戦時歌謡を作りつづけ、戦後になって批判を浴びた人物の物語です。かりに、大部分の視聴者が、そうした朝ドラの《社会的側面》をスルーしたところで、NHK自身がそれをスルーしていいという理由にはならない。公共放送であるかぎり、たんに視聴率やSNSの反応だけを価値基準にはできません。◇たしかに、20年前の「ちゅらさん」などは、いわゆる《沖縄問題》を回避して物語を作っていた感があります。とくに主人公の恵里が上京して以降は、ほとんど沖縄とは無関係な弛緩しきった展開に終始していました。それでも、当時としては、あのドラマが沖縄への関心を高める役割を果たしていたのですね。…かたや「ちむどんどん」の場合は逆です。これまでの【沖縄・やんばる編】では、沖縄戦の問題にも、復帰の問題にもほとんど触れなかったけれど、むしろ今後の【東京・鶴見編】でこそ、主人公は本格的に「沖縄問題」に直面することになるのだと思う。◇レストランのオーナーである原田美枝子は、沖縄人が本土社会に適応するための葛藤を経験した人物であり、おそらく、そのために何かを犠牲にしてきた人物ですよね。かたや県人会会長の片岡鶴太郎は、本土社会に適応できない沖縄人たちの苦悩を見続けてきた人物。さらに、主人公は、彼らとの交流のなかで、両親の過去の苦難についても知ることになりそうです。また、沖縄の社会に甘えつづけていた兄も、本土の社会では本格的な苦渋を味わうのかもしれません。 ◇このドラマにおける「貧困」というテーマが、たんに比嘉家の問題として描かれているにすぎないのか、それとも逃れようのない《沖縄問題》として捉えられていくのか、その点も、これから明らかになっていくでしょう。萌歌が演じている歌子は、折にふれて「椰子の実」を歌っているけれど、あれはおそらく「沖縄の歌」というより、むしろ「沖縄から流れ着いた者たちの歌」なのですよね。そう考えると、このドラマが本格的に《沖縄問題》を描くのは、やはり主人公たちが上京して以降なのだろうと思う。大中寅二のメロディもやっぱり賛美歌風なのよね。pic.twitter.com/BayfvtzcKv— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 20, 2022 ◇ところで、先週までの【沖縄・やんばる編】では、脚本や演出に対する視聴者からの批判があふれかえりました。わたしも、現時点では、この朝ドラの出来がいいとは思っていません。しかし、【東京・鶴見編】に入った今週にかぎっていえば、けっして悪い内容ではなかったように思う。ようやく核心的なテーマに近づいてきて、物語の焦点がハッキリしてきた感があります。ただ、アンチみたいな視聴者がいちど連帯しはじめると、なかなか簡単にはその論調を変えようとしないので、いまもSNSでは、ほとんど揚足取りみたいな批判が幅を利かせています。その多くは「バカ兄貴がムカつく!」といったように、特定の登場人物への反感をドラマの評価と同一視するパターンですね。※バカ兄貴がムカつくのは「なつぞら」も「カムカム」も一緒なのだけど…(^^;まあ、厳しい評価は今後もしばらく続くでしょう。◇とはいえ、今後の内容が《社会的なテーマ》に切り込み、国内の「加害性」と「被害性」の問題にまで触れるとなれば、視聴者の賛否両論の質もおのずと変化するはずです。それは、もはや、脚本や演出の技術的な問題などではなく、NHKの《社会的なテーマ》の扱い方の是非について、あるいは《社会的なテーマ》に触れることそれ自体の是非について、視聴者の賛否が割れていくことになるはずです。そもそも、そうした賛否を巻き起こすぐらいに踏み込まなければ、今回の朝ドラの存在意義が認められることもないでしょう。もはや「ちゅらさん」の二番煎じでは済まされないし、ただ復帰50年にかこつけたアリバイ作りでも済まされない。あらたな視点で《沖縄問題》を炙り出さなければなりません。
2022.05.21
産業まつりのヤング大会。やんばる高と南やんばる高の、料理部スケバン抗争が終結しました。ヤンバルクイナに続いて、やんばるナポリタン(またの名をケチャップ味のうちなー焼きそば)が、あらたな観光名物になりそうですね。暢子は、どうせなら屋良物産に就職させてもらえば?…と思ったのですが、真境名商事も蹴って、内間食品も蹴って、ついに東京のレストランへ行くようです。良子も、ほんとうなら製糖会社のバカ息子と結婚したほうが、比嘉家のためになるような気がしますけど、やっぱり貧乏教師と結婚したいのでしょうか?萌歌も、東京へ行って、氷魚&海に会いたいでしょうけど、下地先生は歌子を東京に送り出してくれるかしら? ひおもか いのもかちなみに、金曜日に萌歌と凜が同じ画面に収まったのはこのシーン。手前に凜。後方に萌歌。こちらは両校料理部の集合写真。萌歌も入ればよかったのに!直近の萌歌は #もねかん に夢中で、朝ドラについてはまったく言及していませんがwhttps://t.co/Fa4H0Pzrz4— 上白石 萌歌 (@moka_____k) May 5, 2022 今回の料理部メンバーのうち、村田寛奈は「ソロモン」で萌歌と共演してました。池間夏海は「かぐや様」で環奈と共演してたらしい。工藤美桜は「ドクターホワイト」で美波と共演してる。(山崎紘菜の「汝の名」にも出演)
2022.05.07
産業まつりのヤング大会。やんばる高 vs 南やんばる高。いよいよ決戦の火ぶたが切られました!✦ ✦ ✦ 麺にシークワーサーを練り込むなんて、なかなかやるわね…。でも、南やんばる高は、さんぴん茶の蒸しケーキ。お父さんにおねがいして、お客さんがたくさん通る所に引っ越せば、勝利はまちがいなし!✦ ✦ ✦ 蒸しケーキのうえにアセロラをのせるとか、見た目がオシャレやっさー。さすがは屋良物産の社長の娘!それとも有名女優の娘のアイディアかしら?ちょっと塩気が足らんけどね~。むりやり店の引っ越しさせられて難儀だったけど、にーにーのテキ屋の口上で形勢挽回!✦ ✦ ✦ あいやー!!鍋の汁、ぜんぶこぼしてしまったサー!(ここで萌歌と凜が同じ画面に!)でも大丈夫!シークワーサーパワーで元気100倍!汁がなかったら、ナポリタンにすればいいさ~!…それは、もしや、ケチャップ味のうちなー焼きそばなのでは?— 連続テレビ小説「ちむどんどん」 (@asadora_nhk) May 5, 2022 — メタ坊や (@PY90evTIfy4ROlw) May 5, 2022
2022.05.05
あらたに料理番長となった暢子。決戦間近になった産業まつりのヤング大会にそなえ、やんばるそばの麺に、シークワーサーを練り込む必勝法をあみだします。必殺技も開発して、わたしたちが勝ったも同然!しかし、暢子たちが勝利を確信したのもつかのま、敵対する南やんばる高校のお嬢さま軍団が、校内へのりこんできました。お金持ちの屋良ひとみは、不敵な笑みをうかべて言いました。…やんばるそばw?そんなものでわたしたちに勝てるかしら?早苗がすかさず言いかえします。今年のやんばる高校には強力な助っ人がいるわ!すると、屋良ひとみの隣にひかえていた有名女優の娘。暢子のみすぼらしい制服を見て、こう言いました。助っ人?そのお洒落なコ?…まあ、きれいなスカートwwwオッホッホッホ!お嬢さま軍団が一堂に声をあげて笑いました。✦ ✦ ✦ いよいよヤング大会が戦場と化します!pic.twitter.com/uSmpXrN1WQ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 4, 2022
2022.05.04
走る暢子は「アシガール」?ピアノを弾く歌子は「羊と鋼の森」と「さよならドビュッシー」?優等生の良子は「金田一少年の事件簿」?バカな賢秀は「ごめんね青春」?pic.twitter.com/iwK4fW8214— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 30, 2022 そんなオマージュの寄せ集めにも見えてくる「ちむどんどん」。肝心のストーリーは、たいした事件も起こってないように見えるけどwそれもまた岡田惠和「ちゅらさん」の、ぬる~い物語に似てる?もしも歌子が、これから昭和歌謡を歌い継いでいくとしたら、それは、NHKの土ドラ「天使にリクエスト」の展開に同じ。目下の関心事は、スパルタ教師の片桐はいりが、萌歌にムチを浴びせつける姿にしかありません! これまた片桐ルシアへのオマージュだったりして...pic.twitter.com/rCJolKYyo3— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 1, 2022 ◇暢子は沖縄が嫌いだと言いました。「この村も、沖縄も、自分が女だということも全部大嫌い!」母は、それも大事なことと言って否定しない。そういえば、「ちゅらさん」の恵里も恵達も、どこかで沖縄嫌いをほのめかしていたかもしれません。すべてを「沖縄大好き!」で覆い尽くすのではなく、むしろ、そんな嫌悪や憎悪を深めてこそ、はじめて手応えのある沖縄の物語が作れるのでしょう。◇次週予告には、水嶋凜がほんの一瞬だけ映りました。本編も一瞬だけ登場して終わりなのかもwはたしてセリフはあるのかしら?
2022.04.30
ちむどんどん。第1~2週。またしても娘を捨てるところでしたがっ!…すんでのところで連れ戻しましたね。◇ごめんね、お母ちゃんが間違っていた!「おちょやん」と「カムカム」が間違っていた!…大阪放送局が間違っていた!もう娘を捨てたりしません。by 仲間由紀恵…みたいな。借金あるけど、テーゲーでなんくるないさ~。って感じ?◇「ちゅらさん」から早20年。ゴーヤーマンはシーサーちゃんになり、ガジュマルの木はシークワーサーの木になったけど、「ちゅらさん」を見た世代にとっては、この沖縄テーゲー描写に既視感も強い。…若い世代には新鮮に映るかしら?◇まあ、のんびりした沖縄だけでなく、シングルマザー、子沢山、貧困、出稼ぎ…など、けっして過去の話とはいえない沖縄問題に触れた点は、わずかながら進歩なのかもね。沖縄の物語というと、ついつい女性が主人公になりがちですが、いずれは男性を主人公にした物語も作らなきゃいけないだろうし、「美女&ダメ男」という沖縄の紋切り型も、いずれは乗り越える必要があります。 ◇それはそうと。豚を食べたら父が死んだので、世間では「豚の呪い」「豚の祟り」などと言われましたが…そこは「豚の報い」と言うべきなのよね(笑)。でも、ネットを検索しても、Twitter を眺めてみても、誰ひとりそれに気づいてる様子はなし。芥川賞なんてそんなもんでしょうか。小澤征悦は「いだてん」「KAPPEI」で萌歌と共演!#ちむどんどん #アババ #豚の報い pic.twitter.com/75E6fy0Uyg— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 19, 2022鳥取出身の脚本家が、ドラマの本質的な部分にこの小説を結びつけようとしたのか、それともチョロッと絡めてみただけか分からないけれど、すくなくとも又吉栄喜の小説は、豚の祟りによって破滅してしまう話ではないし、どちらかといえば浄化されていく話で、食べることを否定しているわけでもなく、豚を食べて誰かが死ぬわけでもありません。◇むしろ、このドラマの父の死のエピソードは、森山良子の「さとうきび畑」に引き寄せている可能性が高い。それを萌歌=adieuの「椰子の実」に置き換えて、さながら「Sunny Side」に続く《姉妹歌リレー》のかたちにした感じ。朝ドラ姉妹 歌リレー その2#カムカムエヴリバディ #ちむどんどん #上白石萌音 #上白石萌歌 #森山良子 #さとうきび畑 pic.twitter.com/JSJzd1c2h7— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 17, 2022 次週からはアシガールと凛子さんが登場ですね。
2022.04.23
「天使にリクエストを」が終了。人はそれぞれに色々な事情を抱えていて、人生のなかでは、様々な過ちも犯していますよね。…といったサンプル的なエピソードをつめこんで、サスペンスタッチに描いてきたドラマだったのですが、かえってサスペンスの趣向のほうに惑わされてしまい、作品の本来の趣旨が見えてきた頃には、すでにドラマが終わってしまっていた…という感じです。前回の第4話のエピソードなどは、ちょっと実話っぽくも感じたのですが、むりやり物語の設定の中に埋め込んだ印象で、いまいちフィクションと噛み合ってない気もしました。まあ、そのぶんだけ、かえって妙なリアリティも感じたのですが。◇こうした人生の「贖罪」とか「和解」の物語は、高齢の視聴者にとっては救いなのかもしれませんよね。ただ、わたし自身の感想をいうと、年寄りの贖罪のあり方に共感できない部分もあるし、ここで描かれているような世代間の和解は、所詮、画面のなかのファンタジーでしかないって気もする。まあ、世の中にはファンタジーも必要でしょうけどね。◇◇ついでに「タリオ」の第2話もレビューしときます…主人公が阿部寛と仲間由紀恵だったら。と誰しもが思ってしまう内容。『TRICK』を知らない世代も観てるだろうから、あえて二番煎じをやるのも悪くはないと思うけど、それにしても、あまりにオリジナリティが薄いのは否めないし、シティポップなどの「ネタ」に対するこだわりも、ちょっと食い足りない。ヒデキョーのカンゲキとか、ムラシタコウゾのハーツコーイとかウインクのアイダソウコとか、かなりの滑り気味なギャグが、シティポップじゃなくて昭和歌謡なのも惜しい。というより、さほど面白くもないので、わりとどうでもいい…。犯罪トリックとしての面白味にも欠けたし、復讐劇としての痛快さも乏しかったので、初回とくらべて、全体に物足りなかったです。脚本家とNHK演出部はもちろん、東宝側のプロデューサーも、作品の世界観を突きつめる努力が足りないのでは?ちょっと薄っぺらい気がします。「天使」といい、「タリオ」といい、昭和歌謡の使い方も、ちょっと安易だと思う。どうせやるなら、マニアをも唸らせるような工夫を見せてください。
2020.10.18
今回から演出家が変わりましたが、さほどの変化は感じられない。あいかわらずドラマとして小慣れていないし、説明的なセリフが多いのもいま一つ。やはり基本的にはコメディだと思うけど、肝腎のコメディ部分はさほど面白くもない。いろんなアイディアと、いろんなエピソードと、さまざまな社会問題を詰め込んでるのは分かるけど、話が荒唐無稽なうえに面白さにも欠けるので、結果的に「詰め込んだ」という以上のものにはなっていない。全共闘の時代とか、高田渡の音楽とか、そういうものに反応するような世代に、このスタイルのドラマが訴求できているかどうかも疑わしい。いまのところ、特筆すべき魅力を見出しにくいドラマです。
2020.10.04
先週は分からなかったけど、このドラマって、もしかしたらコメディでしょうか?スリリングな「探偵ドラマ」と、重苦しい「医療ドラマ」の融合と思っていましたが、末期がんだの、ピストル誤射だの、捨て子だの、ヤクザだの、ついでに昭和歌謡だの、あまりにも内容が山盛りすぎて、かえって大味で、中身が薄っぺらくなっています。でも、これがコメディとなれば、その薄っぺらさも、さほど気にならない。ほんとにコメディかどうかは知らないけど、基本コメディタッチに、シリアスと感動を交えたドラマだと思ったほうが、無理なく楽しめそうな気がしてきました。ちなみに萌歌はどう見ても育ちがよさそうで、マル暴の刑事に拾われるような娘には見えません(笑)。
2020.09.27
天使にリクエストを〜人生最後の願い〜。たんなる萌歌めあてで、なんの予備知識もなく鑑賞。医療ドラマかと思ったら、探偵ドラマ?かと思ったら、やっぱり医療ドラマ?「ハムラアキラ」のようでもあるし、「心の傷を癒すということ」のようでもある。内容的には、まるで新人の脚本家と演出家の、秀作ドラマのような青臭さ。探偵と、末期がんと、子供を捨てる母親と、ヤクザの親分と、風俗店と、…全部のせです。考えつくだけのこと全部つめこんだのはいいけど、バランスも悪いし、落ち着きもないし、焦点も定まらない。脚本は必要以上に盛りすぎていて、演出も、まったく小慣れていない。そのせいで、役者もピントを合わせにくそうにしてる。…と思ったら、大森寿美男×片岡敬司?!ほんとに?!それにしちゃあ、出来が悪すぎる。なんなの?いやあ、でも、大森寿美男って、意外にこんなもんかな。ちなみに音楽は、上白石姉妹に御用達の河野伸だけど、なんだか音楽の方向性までピンボケっぽい。もしや菊地成孔と世武裕子のあいだを狙ったとか?いまのところ、かなり不安要素の多いドラマです。ところで、萌歌は、なぜ江口洋介に対して、敬語になったりタメ口になったりするんだろう?
2020.09.20
「3年A組 皆さん人質」第3話。今回は、鈴木勇馬の演出。演出のせいなのか、脚本のせいなのか分からないけれど、前の2回にくらべると、内容的にだいぶ弱いと思う。心に訴えてくるような衝撃が、ほとんどない。海斗(鈴木仁)の悔恨は、さくら(永野芽郁)や香帆(川栄李奈)の悔恨にくらべると、かなり説得力が弱い。(一話ごとに弱まっている気もする)一般に「男の妬みは女の妬みよりタチが悪い」というけれど、男の子が、あんなに素直に自分の罪を悔いるものでしょうか?演技というより、脚本や演出が甘いのではないか。もうひとつ気になるのは、物語の重心が、たんなる「謎とき」に堕してきていること。「じつは生徒がグルだった」とか「刑事もグルだった」とか、その種のトリックの設定は、究極的には「夢オチ」までふくめて、どうとでも出来るわけで。そんなことが、このドラマに期待されているわけではない。それとも、結局は、たんなる「謎解きサスペンス」で終わっちゃうのかな?第1話で提示した現代的でシリアスな問題を、もっと抉ってほしいです。
2019.01.21
壮絶な美しさ。武藤将吾も、小室直子も、まったくノーマークだった。でも、「女王」とか「野ブタ」とか、日テレの学園ドラマのテイストは十分に感じられる。くわえて「バトロワ」とか「漂流教室」とか、はては「はいすくーる落書」あたりまで想起させる部分もありますね。とはいえ、この物語は、たんに教室の中だけで完結する内容でもなさそうです。この教室での出来事は、おそらくメディアやネットをつうじて、全世界を巻き込みながら進展するのだろうし、この教師が問いただそうとするのも、たんに生徒だけの問題じゃない気がする。そのあたりに、どんな深みと広がりをもたせていくのかにも期待したい。
2019.01.07
前々々回に引き続き、「ぎぼむす」の最終回を勝手に捏造しています。◇翌日、麦田は亜希子に解雇宣告。亜希子のほうも辞表を提出し、両者は、進学後のみゆきをバイトに雇うことで合意します。さらに亜希子は、自分が大阪に勤務したあとも、パン屋の経営コンサルタントは継続したいと申し出ました。「オレ、亜希子さんのこと諦めてないっスから」と告げる麦田を残して、亜希子は大阪へと旅立ちます。◇それから1年後、パン屋でバイトするみゆきと大樹。店内には、渋くBBキングのブルースが流れています。麦田の携帯に亜希子から電話が入り、都内の会議場へパンを納入してほしいとの依頼。麦田は、海外から仕入れる食材について亜希子に相談。どうやら、2人は仕事上の関係を続けているらしく、「フランスでマーケティング?!」などと、麦田は電話口で叫んでいます。亜希子は、「オレ、亜希子さんのこと諦めてないっスから」という麦田の決めゼリフには何も答えませんでしたが、電話を切ったあと少しだけ微笑むと、すぐに次の商談へと向かい、いつものように外国人の起業家たちと名刺を交換するのでした。◇麦田のパン屋では、今年の新商品としてフランスパンを開発しようとしています。バイト帰りに2人で歩くみゆきと大樹。みゆきが興奮して話しています。 お母さんのフランス出張に合わせて 店長とみんなでフランスを視察しようって!ふたりの話題は、いつしかパンのことなどそっちのけで、観光やバカンスのことで頭がいっぱいになっていました。(おしまい)
2018.09.29
前々回に続き、「ぎぼむす」の最終回を捏造しています。◇亜希子はこう言いました。わたしは、幸福でなかった自分の人生を、あなたの人生で取り戻そうとしてきただけなのです。これは、わたしのエゴなのですすると、みゆきはこう言いました。お母さん、バカだよ。それってエゴじゃなくて、親の愛じゃないの?親の愛…。亜希子は、麦田の父がつくったレシピノートのことを思い出しました。みゆきは、さらにつづけて言いました。お母さんが、私の幸せをよろこぶみたいに、私だって、お母さんの幸せをよろこびたいんだよ。亜希子は声をあらげて訊き返しました。どうしてですか?どうして自分の幸せだけを考えられないのですか?すると、みゆきは言いました。「わたしはお母さんの娘だからだよ!」そのとき、亜希子の目の前には、少女時代のみゆき(横溝菜帆)が立っていました。「わたしはお母さんの娘だからだよ!」と彼女が見あげて言いました。「みゆき」亜希子は、おどろいてみゆきを抱きしめました。「お母さん」幼いみゆきが小さな声でつぶやきました。2人のことを、良一がニッコリ微笑んで見つめていました。しばらくして気がつくと、亜希子は、現代のみゆき(上白石萌歌)と抱き合っていました。
2018.09.27
前回に引き続いて、「ぎぼむす」の最終回を私的に修正…。◇みゆきは、「大学には受からなかった。進学をあきらめて就職しようと思う」と大樹に話しました。しかし、大樹は、みゆきの急な心変わりを不審に感じ、自分で大学の合格発表を見に行ってみました。そこで、みゆきの嘘に気づきます。みゆきは合格していました。試験前に、みゆきは「3150(サイコー!)」という受験番号のことを大樹に話していたのです。さらに大樹は、パン屋での麦田との会話から、亜希子に就職の話が出ていることを知ります。そして、そのとき大樹と麦田は、「みゆきがなぜ嘘を吐いているか」に思い当たります。同じころ、すでに亜希子も、みゆきの嘘に気づいていました。そして、みゆきに余計な気を使わせてしまっている自分を責めました。◇翌日、亜希子は、パン屋の厨房で、「みゆきが嘘をついているようだ」と大樹に相談します。亜希子は、みゆきにも、自分自身にも腹を立てていました。すると、そこへ麦田が現れて、亜希子に話し始めました。自分との結婚を後押ししたり、大学合格を偽ったりするのは、みゆきが亜希子の幸福を想っているからこそなのだ、と。麦田の手には、父から届けられたレシピノートが握られていました。 みゆきはもう大人なのだから、 今はみゆきの気持ちを受け止めて、子離れするときかもしれないしかし、それでも亜希子は、まだ納得ができませんでした。◇その夜、みゆきは亜希子に言いました。 わたしが社会人になれば、お母さんも仕事に復帰できるでしょ?しかし、亜希子はすかさず合格通知を示して、みゆきの嘘をあばくと、不幸だった自分の子供時代の話をはじめました。そして、 あなたの幸福を願うのは、たんなる私のエゴなのだ あなたが私の幸福のことまで考える必要はないのだと告げました。
2018.09.23
「義母と娘のブルース」の最終回には、やはり不満が残ります。この最終回の物足りなさは、たんに制作者の技量が足りないだけなのか、それとも、あえて不満を残すことで「プチ炎上」でも狙っているのか、あるいは、局やプロダクションやスポンサーからの横槍が入って、本意でないエンディングでも強いられた結果なのか…。しょうがないので、こちらで勝手に結末を改変したいと思います。◇改変するといっても、基本的なコンセプトを変えるわけではありません。ごくごくオーソドックスに、ごくごくベタな展開にまとめるだけのことです。今回の結末の基本的なコンセプトは、「母にも幸せになってほしい」と願う娘(上白石萌歌)の思いを受け止めて、亜希子(綾瀬はるか)自身が「子離れ」をしてゆく、ということです。それによって、この子育てが無事に完了したことを示すわけです。娘のみゆきは、子供じみた策略や嘘を吐きながら、第9話では、母の結婚を後押しし、最終回では、母のキャリアへの復帰を後押ししました。大切なのは、このような娘の画策が、彼女の目論見どおりに成功することではなく、そこにある娘の健気な思いに亜希子が気づく、ということでなければなりません。◇最終回が失敗した第一の要因は、ドラマの前半でさんざん伏線を張らせてきた麦田(佐藤健)の役割を、第9話でほとんど終わらせてしまったことです。それじゃあ前半であれほど伏線を張った意味がありません。彼の役割は、やはり最終回まで、きちんと引っ張らなければなりません。そもそも、むりやり結婚させようとしてまで、母に幸せになってほしいと願っていたみゆきの健気な思いを、直接に目の当たりにしたのは、ほかならぬ麦田だったのです。であるならば、大学合格を偽ったりする彼女の子供じみた行動の裏にある真意を、直接に理解できる立場にある大人は麦田だけなのですから、彼こそが、そのみゆきの健気な思いを、亜希子に伝えてあげねばなりません。そのようにしてこそ、彼がこれからもこの母娘を見守っていく存在になるのだろうという、未来への暗示にもなるのです。◇そして、母娘がようやく互いの気持ちを理解しあい、和解するシーンでは、現在のみゆきの姿(上白石萌歌)に、少女時代のみゆきの姿(横溝菜帆)がオーバーラップしなければなりません。そして、その背後には、にっこりと微笑む良一(竹野内豊)の幻影も見えてこなければなりません。それは、べつに、最終回によくある視聴者サービスとして、ベタな演出や映像処理をやってみせろ、ということじゃありません。それをやってこそ、当初は反目しあっていた両者が、長い年月を経て、ほんとうの母娘になったのだ、ということを明示できるのだし、良一に託された"母"という仕事を、亜希子が見事に果たし終えたのだ、ということも明示できるからです。ひとつひとつのカットに意味をもたせなきゃいけません。◇そしてラストシーンでは、意味不明な切符をちらつかせたりして、どっちつかずの未来を暗示しながら視聴者を煙に巻くのではなく、実際に、亜希子が、大阪で、キャリアウーマンとして働いている様子を映し出さなければなりません。とりわけ名刺交換のシーンは必須です。それでこそ、彼女が、ふたたび自分自身の人生を歩み始めたことを明示できるからです。そして、東京では、みゆきが麦田のパン屋でバイトしている姿を映し、同時に、それを見守る麦田の表情も映さなければいけません。さらには、大学生になったみゆきが、大樹(井之脇海)とともに歩くシーンをさりげなく映すことも必須です。それによってこそ、麦田や大樹に見守られながら、さらに大人になっていくのであろう、みゆきの希望に満ちた未来を暗示できるからです。◇このTBSの娯楽ドラマは、さほど主張の強い内容でもなければ、とりわけアクの強いドラマでもなかったのですから、このぐらいオーソドックスに、ベタな展開で、もっと素直に視聴者を満足させてくれてもよかったのではないでしょうか。なお、挿入曲のなかにブルース調の音楽があったのはよかったのですが、個人的にいわせてもらえば、パン屋の店内で流す音楽も、最終的にはブルースにしてもらいたかったです。
2018.09.20
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