まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2008.03.29
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カテゴリ: NHK朝ドラ
ちりとてちん終わりました。


はじめの頃の勢いが、中盤部で停滞してしまったのが大きい。

最大のネックは、草若だったと思います。

彼が何を望み、何を願っていたか。
結果的に見れば、
その人物像にかんして脚本上の破綻はなかったのだけど、
あまりにも分かりにく過ぎた。

死ぬ間際まで、彼が何を考えているのかが分からなかった。

こういうドラマで、柱になるべき人物が分かりにくいのは、かえって牽引力をそぐ。

正太郎や糸子が物語の柱になっていた前半の福井編では、
その明け透けで輝かしいほどのキャラクターが、物語を引っ張る力になった。


それに対して、
草若という人物はとても分かりにくく、
画面から伝わってくるような輝かしい人間的な魅力や強さにも欠けた。
その結果、大阪編ではドラマ全体が沈滞してしまった感は否めない。
たとえ、ほかの人物たちがいくら輝いたとしても、
柱になるはずの草若の分かりにくさが、全体を沈滞させてしまった。

弟子たちを我が子ののように思い、
彼らの将来のため、常打ち小屋の建設をめざして尽力した師匠。

もっともっと、輝かしい魅力で画面に現わすことができていたなら、
大阪編は、こんなにまで沈滞することはなかったとおもう。

たとえば、
もしも師匠役が、
『タイガー&ドラゴン』のときの西田敏行のような、

きっと、その師匠の生と死が、
その後の物語にさえも、もっと大きな重みを与えていただろうと思います。



大阪編において、
師匠役がドラマを引っ張るキャラとしての魅力に欠けた。

それを補うためだったのか、
なぜか大阪編になっても、
糸子をはじめとする福井の面々が、頻繁に大阪にやってきました。

たしかに、
糸子たちが大阪にやってくるだけで、物語は輝き出す。
福井の家族たちが集まってくると、ドラマは活気づく。
それはドラマにとって唯一の救いではあったけれど、
本来は、そんな風にすべきじゃない。

あまりにも、
登場人物たちが福井と大阪の間を頻繁に往来しすぎるために、
その空間的な隔たりは、非常に安易なものになってしまいました。
まるで、隣近所に遊びにくるような感覚になってしまった。

たしかに現代は、昔に比べて空間的な距離は縮まっているし、
福井と大阪なんて、もはやたいして遠くはないのだろうし、
そういう意味では、これもまた現代的な演出のひとつなのかもしれないけど、
こんなにも距離が縮まってしまうと、
前半部において、主人公が泣きながら母と別れたシーンが、
なんだか意味をなさなくなってしまうのも事実。

ドラマを活気づけるためだったとはいえ、
彼らの過剰な空間移動は、作品の質を安易なものにしたと言える。



大阪編、
とくに草若が物語の柱になった中盤部。
ドラマはそこで停滞を余儀なくされた。
そして皮肉なことに、
草若が死んだことによって、再びドラマが活気を取り戻したように思えた。
でも、そのときすでにドラマは終盤部に差し掛かっていて、
この作品が「傑作」になるべく挽回するのは、もう不可能になってたと思う。

長編ドラマは、本当に難しいです。
結果的に見れば、可もなく不可もない作品だったと思います。





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最終更新日  2024.06.20 17:05:26


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