まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.06.01
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とくにオリンピックを見ていて思うのですが、

試合に負けた競技直後の選手に対して、
ぶしつけにマイクを差し向けるのは、非常に酷ですよね。
あれは一種のハラスメントじゃないかと思います。

本心を言いにくい状況のなかで、
わざわざマイクを差し向ける必要があるんでしょうか?

選手の立場からいえば、
不本意な試合の直後とはいえ、
カメラの前でネガティブな態度を見せたらバッシングを受けるし、


いわば、嘘を言うことを強要されている。

競技の疲労と、敗戦の動揺のなかで、
それでもなお、頭をフル回転させて、
必死に体裁を取り繕う姿を見せられるのは、
見る側としても、けっして気持ちのいいものではありません。

かえってスポーツの清々しさを損ねているのでは?



たとえば相撲中継でも、
取り組み直後の力士にマイクを向けることがあります。

愛想よくペラペラとお喋りする力士もいるけど、
たいていは「一日一番です」と言うだけ。


あえてマイクを向ける意味がありますか?

観客としてのわたし自身の意見を言えば、



わたしの目当ては、
あくまでも競技を見ることであって、
選手の苦しまぎれの受け答えを見ることではない。


取り繕ったコメントなどを口にしてほしいとは思わない。

後日、あらためて落ち着いた場を設けて、
気持ちを整理した状態でゆっくり話を聞かせてもらえばいい。



そもそもスポーツ選手に 「話す責任」 はあるのでしょうか?

たとえば、
企業責任者や政治責任者には、
社会的な意味で「話す責任」(=説明責任)というものがあります。

彼らにマイクを向けることは何らハラスメントではないし、
それどころか、どんなに本人が拒否したとしても、
無理にでも話をさせる必要があります。

実際のところ、彼らの多くは、
話す訓練やらメディア対策やらをやっていて、
巧妙に言い逃れ、真実を隠し、嘘を吐く技術に長けています。

しかし、スポーツ選手にそのような技術は必要でしょうか?

一部には、
プロスポーツはあくまで「興行」なのだから、
プロスポーツ選手も一種の「芸人」なのだ、という主張があります。

たしかに、それはそうなのですが、

あくまで観客の立場でいうならば、
わざわざスポーツ選手が嘘を言う場面など見たくもないし、
そこにエンターテインメントの魅力があるとも思いません。

上手に受け答えのできる選手の好感度が上がり、
そうでない選手の好感度が下がるというような風潮が、
スポーツの世界に必要なことだとも思いません。



渋野日向子や、松山英樹と同じように、
大坂なおみも、けっして話すのが上手ではありません。

テニスやゴルフは英国発祥ということもあり、
日本人選手は、文化的に不利な立場に置かれています。

「郷に入りては郷に従え」というけれど、
そもそも「郷」というのはローマのことであって、
そこにはヨーロッパ優位の価値観があるのだけど、
なんでもかんでもヨーロッパ流が正しいわけではない。

現在、大坂なおみは、
プロテニスの「ルール」に違反したと言われています。

しかし、彼女がここで提起しているのは、
そもそもそのようなヨーロッパ流の「ルール」が妥当なのか、
ということ、それ自体なのです。

これは国際文化の問題であり、さらにいえば政治の問題です。



ちなみに、
大坂なおみを声明で非難した、
フランステニス連盟会長のジル・モレトンが、

あろうことか、メディアへの会見をボイコットしました。

社会的な立場に顧みれば、
たとえどんな状況であっても 「話す責任」 を負うべきなのは、
あきらかにジル・モレトンのほうでしょう。

わたしは、日本人として、
このようなフランス人に 「クソ野郎」 と言ってやりたい。







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最終更新日  2021.07.26 01:12:33


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