まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2022.02.11
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ショートプログラムで氷の穴がなければ、


…ただ、
そうだとしても、
最終的には50点近くも差がついていたし、
金メダルを獲れたかどうかは微妙でした。

むしろ、
今回のオリンピックで、
日本国民が羽生結弦に求めていたのは、

ある種の「物語」だったように思います。

その意味でいえば、
今回の結果は、むしろ完璧に近いものだった。

ネイサンが雪辱を果たして金を取り、
羽生があくまでも未踏の挑戦に徹し、
次世代の日本を担う鍵山優真が銀を取り、
日本選手が2,3,4位を独占する…

これ以上の理想的な物語はなかったかもしれません。



羽生結弦の今後の進退については、
もちろん彼自身が決めることだけど、


それは日本のメダルの個数とか色の話ではなく、
フィギュアの歴史と彼自身の物語についての事柄なのだから、

その舞台は、
もはやオリンピックである必要すらもなくなった、と思う。

むしろオリンピックが終わったからこそ、

純粋にクワッドアクセルに没頭できる気がします。



フィギュアスケートの価値が、
国ごとのメダルの色や個数ではなく、
そこに描かれる「物語」へと移ったこと自体が、
日本人にとって、とても重要なことだと思っている。

一昔前なら、
フィギュアスケートはあくまでも欧米のスポーツで、
アジア勢の入り込む余地などなかったのだけど、

いまやアジア勢だけで上位を独占するまでになり、
芸術性の面でもかつての欧米の水準に近づいてきている。

そのことは、
団体戦の三浦・木原のペア演技にも象徴的に示されました。


ペア・スケーティングは、
これまで日本人がもっとも不得手にしていた種目です。
これは技術的な問題ではなく、
もっぱら日本スポーツの文化的な問題だったと言っていい。

日本のスポーツ界では、
男女が向かい合って手を取り合うことへの照れがあったし、
この種目そのものが、
男性主義的な旧来の体育会系文化と相容れなかったからです。



でも、
そういう古い状況と体質が変わってきています。

オリンピックの東京誘致という馬鹿げた失敗を経て、
メダルの色や個数で国力を競う旧世代の発想は、
ようやく過去のものになりました。

日本人は、
羽生結弦の個人としての物語や、
ペア・スケーティングの美しさのほうを求めるようになった。

日本のスポーツ文化そのものが変わってきていると思います。





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最終更新日  2022.02.12 07:37:02


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