まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.04.07
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GYAO!は3月でサービスを終了しましたが、


ドキュメンタリーだけれど、
映像がとても美しく、
ブルースを育んだアメリカ南部の風土や、
ゆったりした時間の流れを体感できた佳作。

登場するミュージシャンは年寄りばかりなのに、
歌や演奏はほんとうに素晴らしく、
ブルース好きならいつまででも見てられる内容でした。


ゴスペルも取り上げられていましたし、
カントリー風の曲や8ビートの曲が演奏されるのも興味深かった。



ちなみに、この映画は、
カナダ人によって制作されている。

同じくGYAOでは、
「ランブル~音楽界を揺るがしたインディアンたち」
というドキュメンタリー映画も配信されていて、
こちらは米国音楽史における先住民の貢献を探る内容でしたが、
やはりカナダ人による作品でした。

米国音楽に関するドキュメンタリーなのに、
そうした映画を作るのは、


わたしは、
CBCとNetflixのドラマ「アンという名の少女」が、
米国側の事情で打ち切りになったと思っているのですが、
それと同じ背景を感じてしまいます。



つまり、
北米大陸の人種問題の歴史に向き合ってるのは、

アメリカには、いまだ人種間の分断があるということ。

プロテスタントの多いカナダと、
南部にラテン系カトリックの住民を抱える米国とでは、
政治的な姿勢も違うし、歴史的な差異もある。

被写体となる黒人や先住民も、
カナダの白人であればこそ心を開くのかもしれません。



もうひとつGYAOで観たのは、
「ゴーギャン~タヒチ、楽園への旅」という映画。

もともとゴーギャンやルソーの絵画は、
ファンタジックでピースフルな雰囲気があって好きだった。
その異国趣味は、
ドビュッシーやサティの音楽にも通じてると感じてました。

しかし、当然ながら、
そこには植民地での支配/被支配の関係があるわけで、
たんに優雅なコロニアル趣味では済まされない面もある。

パリにいながら異国を想像しただけのルソーと、
実際に植民地まで行ったゴーギャンを比べても、
その暴力性には、だいぶ違いがあるのかもしれません。



映画では、
本国フランスでの理解が得られずに、
タヒチへ渡ってサバイバルな生活に挑みながら、
画家としての成功も、現地妻の愛情も失って、
ふたたび本国へ戻るゴーギャンを悲劇的に描いていました。

けれど、
ほんとうに目を向けるべきなのは、
宗主国の白人が、本国の妻子を捨て置き、
植民地のポリネシアで幼い少女を現地妻とし、
エキゾチックな視線を向けていくことの暴力性ですよね。

それをポスコロ的な視点で描いたら、
まったく別の映画になってしまう気がします。

山田五郎のYoutubeチャンネルによれば、
ゴーギャンの発想は、
のちの「フォークロアアート」の先取であるとのこと。
しかし、その背景には、
やっぱり植民地主義的な暴力性があるわけです。



カナダの白人と、
米国南部のラテン系の白人に差異があるのと同じく、

オランダ人の生真面目なプロテスタントだったゴッホに対して、
フランス人のゴーギャンは、
いわば罰当たりなカトリック信者だったわけで、
そこにはラテン気質の野獣的な奔放さがあった感じがします。





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最終更新日  2023.04.07 11:00:07
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