まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.05.01
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色褪せし無人の木馬春しぐれ ジャズ流し桜湯啜るラジオブース 銀の風船の中にも遊園地 カメラごし君の横顔さくらんぼ 春嵐継父と見上ぐ観覧車 春愁や廻る木馬の目の潤み ポップコーンまじり遊園地の落花
プレバト俳句。
お題は「遊園地」。



梅沢富美男。
ポップコーンまじり遊園地の落花


9+9=18の破調。
「まじる」と連体形にせず連用形で繋いでいる。

いつもの梅沢なら「まじり 」とするはずですが、
さすがに字数が多いと思ったのか、

意味としては、
「ポップコーンがまじって遊園地の落花がある」で、
末尾の「あり」が省略された形だといえます。

しかし、
助詞の「て」を省いたことによって、
「○○まじり」という名詞止めにも見えるのは難点だし、
わたしは (助詞も入れて19音に増えますが)
ポップコーンのまじる遊園地の落花

と連体形で繋ぐほうが安定的だと思います。

追記:

その場合は「遊園地の落花はポップコーンまじり」の倒置法ってことですね。
ただ、梅沢がそういうことを厳密に考えてるとも思えないので、
たんに「あやふやな形式で作った」と見るのが妥当じゃないでしょうか。




安藤和津。
色褪せし無人の木馬 春しぐれ



廃園になったメリーゴーランドかと思いましたが、
たまたま雨天で乗客がいなかっただけのようです。

形は整っていて過不足もありませんが、
さほど意外性のある句材ではないし、
1位の句にしては、やや類想感がある気もします。



千原ジュニア。
春嵐 継父と見上ぐ 観覧車
継父と見上ぐ 春の嵐の観覧車
(添削後)

現代語なら終止形と連体形の区別は不要ですが、
古語なので「見上ぐる」でなければ繋がらないのよね。
なので、はからずも三段切れになってしまった。
これは、わたしもウッカリやってしまいそう。
ありがちな技術ミスなので、気をつけなきゃなりません。

古語の「見上ぐ」を使わずに、
現代語の「仰ぐ」や「見遣る」を使う手もありますが、
すこしニュアンスは違ってしまうかもしれません。



フルポン村上。
春愁や 廻る木馬の目の潤み
春愁の木馬よ 青く潤む目よ
(添削後a)
春愁の木馬よ 雨に潤む目よ (添削後b)

先生が問題にしたのは、
木馬が「廻る」ことのほうに詩情があるのか、
目の「潤み」のほうに詩情があるのか、
両方を欲張った結果、かえって散漫になってるってこと。

用言の「廻る」に余計な詩情をあたえず、
名詞の「回転木馬」で代替させる方法もありますが、
それだと1音増えるので、中八になりますね。

木馬が「廻る」という情報を除去して、
目の「潤み」だけに焦点を当てるなら、
(添削後a)のように「青」の映像を加えて、
春愁や 木馬の青き目の潤み

とする案もあるけれど、
「自宅の置物(玩具)」のことなのか、
「遊園地のメリーゴーランド」のことなのか、
判別できない句になってしまいます。

その意味では、
(添削後b)のように「雨」の映像を加えて、
春愁や 雨の木馬の目の潤み
とすれば、
屋外だと明示されるぶん、誤読は少ない。
(自宅の庭に木馬を置いてる人もいるかもしれないけど…)

もうひとつの問題としては、
季語との取り合わせが近すぎることと、
「春愁」は映像をもたない季語なので、
季語だけを独立させるのは弱い、ってことがある。

そもそも、
この句は一物仕立ての内容なのだから、
わざわざカットを割って季語を独立させる必要がありません。
先生の添削でも、二句一章の形をとらず、
季語を映像化したうえで一句一章にまとめています。
(リズム上の切れはありますが内容的には一句一章)

季語を独立させずに一句一章にまとめるなら、
春愁を廻る木馬の目は潤む

のようにする方法もありますが、
それでも「廻る」と「潤む」に詩情が分散されるかしら?



キスマイ宮田。
ジャズ流し桜湯啜 すす るラジオブース
桜湯や ラジオブースに流すジャズ
(添削後)

句材がよかったと思います。

村上の句とは反対に、
こういう映像をもった季語なら、
それだけを独立させても成立するのですね。



ジャンポケ斉藤。
銀の風船の中にも遊園地
風船のメタルに映り込む木馬
(添削後)
風船のメタルに映り込むパレード (添削後)

これも句材はいいと思います。

一方、
添削の「風船のメタル」は意味が通じるのかしら?
特殊な金属製の風船とか、巨大な飛行船とか、
風船の紐になにかの金属がついてるとか、
いろんな誤読を生みかねない気もします。

たとえば、シンプルに、
銀色の風船が映せし木馬

と17音にまとめることも出来ます。
最後に字足らず感が生まれるので、
すこし寂しげな印象になるかもしれませんが。



寺田心。
カメラごし 君の横顔 さくらんぼ
ファインダに君の横顔 風光る
(添削後)

作者の解説によれば、
「カメラごしの君の横顔がさくらんぼのようだ」
ってことらしいけれど、
三段切れになってしまったのと、
比喩の意図が読者に伝わらないのが欠点。

まあ、初心者が素朴に俳句を作ると、
三段切れでイメージを繋ぐ形になりがちだし、
ある意味では、それが普通だなという気もしますが。





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最終更新日  2023.05.02 13:57:14


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