まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.05.08
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青き踏む影の少なき無人駅 まくなぎのただ中にあり無人駅
プレバト俳句。
お題は「無人駅」。



梅沢富美男。
まくなぎのただ中にあり 無人駅


夏の季語「蠛蠓 まくなぎ 」は知らない言葉でした。
蚊柱をなして人にまとわりつく揺蚊 ユスリカ や糠蚊 ヌカカ のこと。


これを二句一章と読めば、
「私は蚊柱の只中にいる。そして無人駅が見える」

の意味になりますが、
かりに一句一章と読めば、
「無人駅が蚊柱の只中にある」
の倒置法になります。
悪くいうと、そこに誤読の余地もある。

明確に二句一章にするなら、
先生が言ったように 「おり」 と書けばいいし、
反対に一句一章にするなら、
終止形ではなく、連体形で 「ある」 と書けばいい。
まくなぎのただ中におり 無人駅

まくなぎのただ中にある無人駅
(一句一章)

しかし、
それをあえて曖昧にして、
どちらとも読める形にしたところに、
この句の面白さが生まれているのも事実。


常識的に考えれば、
「駅そのものが蚊柱の中にある」なんてことは、
すくなくとも日本じゃあ考えられない光景です。
しかし、そう誤読させてこその面白さがあるのよね。

つまり、人間存在を駆逐するように、
自然の力が押し寄せてくるような無人駅の姿。
そこに不快なほどの迫力を感じさせます。


なお、
一句一章と読む場合、
中七の終止形は倒置法と考えることも出来ますが、

たとえば松尾芭蕉が最上川を詠んだときに、
「はやき」と連体形でつながず、
「はやし」と終止形で切ったのと同じ手法ともいえます。
五月雨を集めてはやき最上川
(連体形)
五月雨を集めてはやし 最上川
(終止形)
つまり、場面転換を伴う明治以降の切れではなく、
場面転換を伴わない江戸的な切れの用法ともいえる。
(→くわしくは こちら

追記:
梅沢自身がどちらの意図で詠んだかを考えると、
おそらく一句一章のつもりで詠んだとは思うのですね。
とはいえ、
実際に「駅が蚊柱の只中にある」なんてことはありえないので、
おそらくは蚊柱の多い駅の様子を大袈裟に描写しただけ。
もしくは、自分の周囲の"蚊柱越し"に見た駅の姿が、
まるで「蚊柱の只中にある」ように見えたのかもしれません。




フルポン村上。
青き踏む 影の少なき無人駅
青き踏む 影のみ増ゆる無人駅
(添削後)

そもそも無人駅はいろんなものが「少ない」のだから、
影が少ないのも当然で、なんらの驚きもないのだけど、
わざわざそれを書いたのは、
季語の「青」(=草)の多さと対比する意図だったのでしょう。
その意味では、
自然が支配している様子を描写した梅沢の句と共通しています。

しかし、
そうはいっても「影が少ない」という情報自体は蛇足ですね。





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最終更新日  2023.05.08 08:40:06


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