まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.06.12
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熱帯魚アクリル越しのオーディション 夏空や石鯛掲ぐ父の遺影 夏日影水槽の下掻い潜る 夏の昼ペンギンの様に手を引かれ 鯱戯け尾ひれかみかみ南風 ゴンドウ鳴く水族館を出て白夜 夏のほかペンギンの飛ぶ大水槽
プレバト俳句。
お題は「水族館」。

フジモンにパクリ疑惑が浮上しています(笑)。




まずは梅沢富美男。
夏のほか ペンギンの飛ぶ大水槽


季語の「夏の外 ほか 」は、
《そこだけ涼しげで夏じゃないみたいだ》という述語ですから、
通常ならば中七や下五に置いて「○○は夏の外」という形を取るべき。


映像でもなければ、時候ですらもなく、
それ自体としては何の具体性もない述語にすぎないし、
上五にいきなり「夏のほか」と置いたところで、
読み手の側は「何が??」となるのがオチです。

しかも、
上五で切って二句一章の形式を取っているため、
意味も映像もないカットだけ浮いてるように見える。

まあ、理屈としては、
「ペンギンの飛ぶ大水槽は夏の外である。」
という散文を、
「夏の外である、ペンギンの飛ぶ大水槽は。」

日本語として妙な印象は拭えません。

たんに珍しい季語に挑んだというだけの理由で、
番組ではやたらと称賛されていましたが、
けっしてこの季語の模範的な用法とはいえません。




ゴンドウ鳴く水族館を出て白夜


季語は「白夜」で夏。

一読して気になるのは、
なぜ「海豚 イルカ 」や「鯨 クジラ 」ではなく、
わざわざ字余りで「巨頭 ゴンドウ (鯨)」を選んだかという点です。

もともと「海豚」や「鯨」は冬の季語ですが、
むろん「巨頭鯨」も小季語になるだろうから、
どれを選んでも季重なりは回避できないはずですよね。

それでもあえて「ゴンドウ」を選んだ理由は何なのか。
そこに実景としての必然性があるのかどうか。



じつは、対馬康子の先行句に、
鳴く水族館を出て 小雪

という作品があるそうです。

フジモンの句は、
2つの単語を入れ替えただけなので、
たんに「類想」の範疇を超えて「剽窃」の疑いがあります。
過去には東国原のパクリ疑惑もありました。

この句の場合は、
入れ替えた単語も似かよっています。
「巨頭鯨」は「鯨」の一種だし、
「白夜」の寒々とした光景も「小雪」の情景に通じます。
よく似た内容を、語彙だけをすこし変えて、
まったく同じ形で詠んだようにも見えます。

冒頭に「ゴンドウ」を選んだのは、
先行句との僅かな差別化を図るためだったのでしょうか??



とはいえ、
結果的に「白夜」を選んだことで、
季節が冬から夏に変わっただけでなく、
舞台が大きく北極圏へと移っているので、
先行句よりも地域色が強まってる感じはあります。

巨頭鯨は、
北極圏だけに生息しているわけではないのですが、
なぜか「ゴンドウ」までもが「白夜」に相まって、
ある種の地域性を体現しているようにも錯覚させる。

はたして「白夜の巨頭鯨」という素材に、
どれほどのリアリティがあるのか分からないし、
現実の光景か幻想かも判別しがたいのですが、
なにかしら独創的な詩情が生まれてる気がしなくもない?!(笑)



事実上、
個別の俳句や短歌をどんなに引用しても、
著作権侵害に問われることはありませんし、
寺山修司の剽窃騒動を挙げるまでもなく、
もともと盗用もパロディも本歌取りも"込み"の文化という面はあるし、
あとは「読み手がそれを面白がるか侮蔑するか」の問題ですね。

かりにフジモンが意図的に借用したのなら、
先行句を上回る独創性があるのかどうかを問われるところだし、
上6の字余りの必然性も評価の分かれ目になるかと思います。



なお、YouTubeでは、
「巨頭鯨の鳴き声」が聞けますが、
まるでウミネコみたいなけたたましい鳴き声です。
ちょっと悲しげにも感じられます。

それが白夜に聞こえているわけですね。






中田喜子。
しゃち おど け尾ひれかみかみ 南風 みなみかぜ
南風 なんぷう や シャチの尾ひれを噛むシャチも
(添削後)

そもそも「鯱が鯱の尾を噛む」なんて場面を見たことがないし、
そんなことがあるとも知らなかったので、
どんな状況を詠んでるのか、まったく理解できませんでした。

「鯱」を「シャチホコ」と読む可能性や、
「戯ける」という擬人化も、さらに理解を困難にしています。

たとえば、
「犬や猫のように自分の尾に戯れてる?」とか、
「ウロボロスみたいに自分の尾を噛むシャチホコ?」とか、
「獅子舞ならぬ鯱舞みたいなものがあるのかしら?」とか、
そんな誤読にもなりかねません。

中田喜子は、
ひそと待つ花街のひと 花衣

のときにも「ha」「hi」「mat」の韻を連ねていましたが、
ここでも「o」「ka」「mi」の韻を連ねています。
音韻の技巧にとらわれすぎて、
かえって内容の描写に失敗している感じもある。



なお、歳時記によっては、
「海豚」や「鯨」と同様に、
「鯱」も冬の季語にしているかもしれませんが、
水族館の鑑賞動物なので、季語としての力は弱いし、
先に挙げた対馬康子の俳句でも、
主たる季語は「小雪」であって「鯨」ではないはずです。
むろんフジモンの句も主たる季語は「白夜」です。

先日のプレバトでは、
「季語の動植物は漢字で書く」との原則が示されましたが、
逆にいうと、それをあえてカタカナで書けば、
季語としての力を弱められるのかもしれません。



山西惇。
熱帯魚 アクリル越しのオーディション


作者が意図したのは、
アクリル製の水槽のなかで、
「熱帯魚がオーディションされている」という擬人化です。

しかし、作者の意図とは裏腹に、
感染防止のアクリル板とも解釈できるので、
「コロナ禍のオーディション会場で水槽の熱帯魚が泳いでる」
と誤読できてしまう。

実際、そう誤読したうえでの高評価になりました。
(ほんとうならば凡人以下にすべきですが)



紺野まひる。
夏空や 石鯛掲ぐ父の遺影
石鯛を掲げる遺影 夏の空
(添削後)

内容的には二句一章ですが、
本来なら「掲ぐ」の連体形は「掲ぐる」なので、
形式的に三段切れになってしまっている。
下6の字余りも添削で修正されています。



橋本良亮。
夏日影 水槽の下掻 い潜 くぐ
巨大水槽潜れば夏のひかり降る
(添削後)

原句は意味不明。

本来なら「掻い潜る」という動詞は、
「障害物をよける」というニュアンスを含むし、
吊り下げられた沢山の金魚玉を避けているのかしら?
みたいな解釈をするのが精一杯です。

なお、季語の「夏日影」は、
夏の「日陰」ではなく、夏の「陽光」のことだそうです。



蛙亭イワクラ。
夏の昼 ペンギンの様に手を引かれ
ペンギンのごと手を引かれ吾子の夏
(添削後)

おそらく「昼」の一語が最大の敗因。

季語を映像化する観点からいって、
上五の「夏の昼」では具体性がなさすぎるし、
たんに時間の説明の意味しかもっていません。





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最終更新日  2023.06.12 17:54:00


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