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カネ恋。最終話。先週のキスシーンを最後に、失踪したまま戻ってこない、という展開でした。失踪というよりも、たんにフラリと気まぐれに出ていった感じだし、てっきり、今週も、三浦春馬は出てくるものだと思っていたので、途中までは、そのつもりで見てたのですけど、伊豆からの帰りの電車のなかで、北村匠海が、「いいかげん、帰ってきましたかね?」と言ったので、そのときに、ようやく、「ああ、もう帰ってこないのね…」と気づきました。つまり、この最終話は、ほぼ全編がキャスト亡き後に撮影されていたわけですが、途中までは、まったくそのことに気づきませんでした。◇いろいろと思うことはあります。急遽、この最終話を作り上げたキャストもスタッフも、すごいなあ、とは思うけど、その一方で、よくもわるくも、テレビドラマって、途中で終わらせようと思えば、どうとでも終わらせられるんだなあ…というのも、一つのいつわらざる感想です。実際、途中で放送回数が短縮されて、むりやり終わらされるドラマってあるわけだし、視聴者も、それとは気づかずに見てたりするわけだし、それでも、何の疑問ももたずに、納得してる視聴者もいるわけですよね。ある意味、テキトーに騙されているんだなあ、と(笑)。◇今回の脚本についていうと、故人への思いも盛り込みながら、短期間で最終話を書き上げた手腕もさることながら、それだけになおさら、本来なら、このドラマは、どういう物語になる予定だったのか?…というのが、いちばん興味のあるところです。実際、けっこう面白い話だったと思う。お金に不自由なく育っていた少女が、父が横領罪で逮捕されたことをきっかけに、一転して清貧女子にはなったものの、ずるずると投資ビジネスの起業家の男に貢ぎ続け、そのあとは大企業の御曹司と恋をする、というお話です。おカネというものを、最終的にはどう見せようとしていたのでしょうか?◇今回の第4話で意外だったのは、早乙女(三浦翔平)が再登場していたこと。彼は、けっして先週で退場だったわけではなくて、最後まで絡むキャラだったのでしょうね。瑠璃(大友花恋)と結ばれる予定だったのでしょうか?かたや、ガッキー(北村匠海)のほうは、まりあ(星蘭ひとみ)との恋愛フラグが立ってたように見えます。まりあのキャラは、たんに金持ち目当ての現金な女なのか、それとも本当の愛情を求めている女なのか、よく分からないままに終わってしまいました。ひかり(八木優希)については、彼女が慶太の実妹でないことが、父親から慶太に知らされる予定だったようですね。そこから慶太とひかりの関係はどう変わっていくのでしょうか?◇シナリオブックが発売予定のようです。どういう内容になっているのかしら?せっかくなら、今回の脚本をもとにして、タイトルとキャストを変えて、続きの物語を見てみたいです。
2020.10.07
「カネ恋」第3話。なかなか面白かったです。たとえ悪い男が相手でも、恋に落ちたら盲目になりますよねえ…というお話。15年越しの片想いなら、なおさらのこと。傍目から見ればフラれて良かったのですが、本人がはげしい喪失感に襲われるのは無理もありません。けっこうリアルなエピソードでした。◇わたし的には、早乙女(三浦翔平)のキャラが興味深かったです。彼はどれほど「悪い男」だったのでしょうか?考えてみると、なかなか難しいです。板垣(北村匠海)を、10万円近いセミナーに入会させようとしたり、けっこうエゲつない商売をしてるように見えます。玲子(松岡茉優)も、あのくらい高額な受講料を払い続けてたのかも。しかし、もともと、そういうサービスを売る仕事なのだから、いくら高額だとはいえ、詐欺とまでは言いがたい。受講者はみんな、リスクを承知のうえで書籍やセミナーに投資しています。未婚と偽っていたのは道義的に問題があるけど、いわばメディア的なイメージ戦略であって、本業とは直接関係のないことだし、それをもって犯罪とまでは言えない。そういうメディア戦略については、妻も、秘書も、了解していたはずです。べつに、結婚詐欺をやっていたわけではないし、妻子を隠して不倫していたわけでもありません。むしろ、顧客の女性たちとは恋愛関係にならないように、一定の距離を保っていたようにも見えますし、玲子との適切な距離を保ちつづけていたのも、そのためだったのだろうと思える。最後に、玲子に「じつは…」と言いかけたのは、彼女との恋愛関係に発展してしまう前に、真実を打ち明けようとしたからであり、そこには、彼なりの誠意や線引きがあったように見えます。早乙女の行為は、法的にも犯罪とは言いがたいし、女性に対する裏切りとも言いがたい。グレーではあるけど、極悪とまでは言えない。なかなかに微妙なキャラなのでした。◇玲子が「早乙女は独身だ」と信じ込んでいたように、慶太は「ひかりは妹だ」と信じています。2人とも騙されていて、しかも、騙されることにお金を使っている。そして、ある意味では、騙されることから幸せを得てもいたのです。
2020.09.30
え?!全15回?まだ4話も残ってんの?最終章なのに?ずいぶんと長い最終章ですね。もはや、最終章詐欺なのでは?なんつって(笑)。◇たんなる萌音めあての視聴(笑)。今までまったく見てなかったので、何のこっちゃ話はさっぱり分からない!なにやらハーバード大経歴詐称で、二股キス不倫の鈴木くんが、正義感に燃えすぎてるとかなんとか。でも、萌音の役どころには満足。ちょっと高圧的なキャラが可愛い。「恋つづ」より、こっちの役のほうがいい。ただ、検事から弁護士に転身しちゃったので、今後はキャラが変わっちゃうのかも。きっと検事より弁護士のほうが儲かるんだろうね。登場人物の弁護士は、めちゃくちゃリッチな生活してるし。◇え?!萌音がカバーアルバム?リクエスト受付だ?そりゃ、何の曲でもいいけど、とりあえずはadieuとのデュエットでしょう。織田裕二/中島裕翔/新木優子/中村アン/今田美桜/小手伸也/鈴木保奈美上白石萌音/吉谷彩子/伊藤健太郎第11話 第12話 第13話 第14話 第15話
2020.09.22
テレ朝の『妖怪シェアハウス』が終了。先週までは、ゆるゆる系の脱力ドラマだったのに、なぜか最終回だけは、やたらと気合が入っていました(笑)。てっきり編集長の原島さんと結ばれて、ハッピーエンドで終わるものと予測してたのに、なんとまあ、自分が妖怪になってしまうという驚きの結末。そっちに行きますか…。けっこうビックリです。◇かなり奇想天外だったけれど、これはこれで、意外にアリだと思います。「妖怪の本体は人間だ」という結論でもあり、それと同時に、「妖怪の世界=常識外の世界を肯定する」という前向きなメッセージにもなっていました。主人公が向かった常識外の世界とは、天狗様のいる山岳世界(=高尾山?)のようでもあり、いわゆる引きこもりの世界でもあったようです。なかなかのエンディングですね。◇もともと、このドラマには、ちょっと「ローカル感」が乏しくて、そこに物足りなさを感じていました。やっぱり妖怪ドラマを作るなら、京都か鎌倉を舞台にしなきゃダメでしょ!とも思ってたし、せっかく小芝風花を主演にするなら、なおさら京都訛りのドラマにすべきでは?とも思ってたし、かりに都内を舞台にするとしても、もっともっと江戸っぽさを出さなきゃね、とも思ってたけど、まあ、昨日の最終回についていえば、なかなか妖しい雰囲気も醸し出せてて良かったです。◇全体にキャスティングもよかったし、民話風の妖怪案内も勉強になりました。とくに松本まりかは、『純情きらり』と『竜の道』を同時に見てたこともあり、その振り幅の広さに驚かされました。彼女は、今シーズンの助演賞候補です。そして、さらに振り幅がすごかったのが大東駿介!!編集長の原島さんは、いままでの彼にはない知的な役どころで、とてもカッコよかったけど、それと同時に『浦安鉄筋家族』も見てたので、あまりの振り幅の凄まじさに目眩を覚えました。浦安の春巻先生のインパクトは、いちど見たら二度と一生忘れられません。原島さんと春巻先生は、ほんとうに同一人物だったのでしょうか?大東駿介も、助演賞確定です。◇ちなみに『浦安鉄筋家族』は、テレ東の屈指の作品にして、21世紀最大の傑作ウンコドラマだったのですが、同じテレ東といえば、黒島結菜&鈴木京香が主演した、『らーめん才遊記』もなかなか出来がよかったです。いまのテレ東のドラマ制作能力は、脚本も演出もしっかりしていて、キー局を上回っていますね。小芝風花/大東駿介/味方良介/毎熊克哉/松本まりか/池谷のぶえ/大倉孝二/miwa
2020.09.20
遅ればせながら「おじカワ」最終回。眞島秀和ことチベットスナギツネと、今井翼ことパグ太郎の、おじさん同士の微笑ましい友情物語。登場するのは、眞島秀和、今井翼、桐山漣、藤原大祐、という男性4人。◇女性をほとんど絡ませることなく、男性だけでファンシーな世界を作りあげるという、なかなか野心的な作品ではありました。ほんのすこし山本未来が絡みましたけど、もともと彼女自身にほとんど女っ気がないので(笑)、事実上、男性だけの物語になっていた。いわゆるBLものではないけれど、否応なく「おっさんずラブ」的な世界になっていた。個人的には、もうすこし女っ気があったほうが物語がスリリングになったかなあ、という気はします。愛加あゆが眞島秀和に絡んで、そこに富田望生と森七菜が割って入るとか、そんな"おじキュン"展開にも期待したのですが。◇男性たちは、勇気をふりしぼって、たがいに「可愛いもの好き」をカミングアウトするのですが、最後の最後まで、女性に対してのカミングアウトはありませんでした。そこが、すこし物足りないといえば物足りない。「可愛いもの好きのおじさん」に対する、女性側の拒絶や和解の過程を描けば、もっと物語はスリリングになった気がします。まあ、山本未来の場合は、「はなから気づいてたけど、何とも思ってなかった」というオチでしたが(笑)。実際、女性のほうは、ごく普通に受け入れるか、身も蓋もなく興味がないか、のどちらかですよね。◇パグ太郎に初対面したときの、キョドった眞島秀和にはちょっと萌えました。今井翼も、なかなかいい味を出していたので、堂々の優秀助演賞をあげたいけど、できれば、彼がドールハウスに耽溺する姿にも萌えたかったです。
2020.09.19
「カネ恋」第1話。三浦春馬の遺作ですが、とくにテロップが表示されることもなく、普通の新ドラマとして、当たり前のようにスタート。◇いつものお仕事系ラブコメかと思っていましたが、「方丈記」と「清貧」の話が出てきたり、「鎌倉の古民家」が舞台になってたり、「一杯のかけそば」にじんわりしたり、予想外の内容だったので、いつのまにかのめり込んで、純粋に作品への興味が湧いてきました。現在の格差社会を題材にしながら、お金のことを考える物語になっています。できれば、当初の予定通り、全8話で見たかったとは思うけど…とりあえずは虚心で楽しむことにします。大島里美/松岡茉優/三浦春馬/三浦翔平北村匠海/星蘭ひとみ/草刈正雄/キムラ緑子
2020.09.16
親バカ青春白書。最終回は、ガタロー&美咲の恋と、父親に嫉妬する娘の物語。ちょっとフランス映画みたいなお洒落な話でした。日本のドラマとしては珍しいパターンですね。さくらとハタケの恋じゃなくて、ガタローと美咲の恋がメインになるのは、予想の斜め上をいく展開で驚きでしたけど、恋愛のトキメキという点では、「わたナギ」のおじキュンよりも説得力があった。ドラマの前半は、まるでバブル期の大学ノリが甦ったような、かなり馬鹿っぽい内容だったので、急にこんなお洒落な展開になったのが意外です。正直、第5話まではクソドラマかと思ってましたが、最後の6話と7話は、なかなか印象に残りました。ムロツヨシ/永野芽郁/中川大志/小野花梨/今田美桜/戸塚純貴/新垣結衣/ドラゴン桜
2020.09.14
「親バカ青春白書」第6話。ムロツヨシ本人の演出。段ちがいに素晴らしいです。今までは何だったの? って感じ。俳優陣の演技のキレもよいし、カメラの位置も動きも素晴らしい。新垣結衣も段ちがいに美しく見える。脚本まで出来がよく思えてきます。撮る人が違うと、こんなにも違うものでしょうか?わたしは、俳優としてのムロツヨシよりも、俄然、監督・演出家としてのムロツヨシに興味が湧いてきました。壊滅している日テレドラマの、唯一の希望の光かもしれません。いっそ日テレは、すべての作品をムロに演出させたらいいのでは?
2020.09.07
コロナ感染から復帰したクドカンが、テレビを干された芸人を主人公にリモートドラマ。かなり哲学的なSFホラー。郵便的AIによる誤配。あるいは、AI漫才のシャレにならないボケ。なぜ水田伸生がNHK?坂元裕二と一緒に日テレを見捨てたの?日テレのドラマ部門は完全に死んでますよ(笑)。岡田准一や長瀬智也を使いこなしたクドカンが、生田斗真を重用する理由。濃い顔のジャニーズをコメディに使う理由。なんなんだろう?それにしても、なぜドラマって、ガス爆発とかの現実を予言してしまうんだろう?気持ち悪いですよね。宮藤官九郎×水田伸生×生田斗真
2020.08.11
これはもう初回からマズいのでは?まるで素人芸人のコントをダラダラ見せられている感じ。やはり日テレのドラマ部門は壊滅したのだなと思います。いくら一流のキャストを揃えてみたところで、ドラマの作り方を知らないのでは救いようがありません。「今日俺」のときに見られたような、細部の表現のセンスもまったく感じられないですね。やはり映画やドラマは監督ひとりで作るものではなく、スタッフ全員のセンスが揃わなければ成り立たないのだと思います。どうして日テレはここまで堕ちてしまったんだろう?この作品に引っ張り出されたキャストが気の毒でなりません。
2020.08.03
「美食探偵」もだいぶヒドいと思ったけど、「未満警察」も同じくらいダメです。第1話には多少の期待をしたけど、回を追うごとに内容が荒唐無稽になっていく。まるで仮面ライダーかなにかを見せられている気分です(笑)。おそらくは題材の選定そのものが失敗なのですが、いまや韓国ドラマのリメイクにすがるしかないほど、日テレのドラマ部門は企画力を失っているのでしょうね。脚本もかなりひどくて、ちょっとフォローしようがありません。脚本家は、毎回のお話を作ることに精いっぱいで、いろんなことに配慮するだけの余裕も能力もないって感じ。たぶん撮影がはじまる段階では、修正しようもないくらいヒドい脚本なんだろうな。スタッフも、キャストも、これが「駄目なドラマ」であることは、うすうす気づいてると思う。仕方ありませんよね。これじゃあ、論評する意味もありません。やはり、いまの日テレには、まともにドラマを制作するだけの能力がないのです。基本的につくりかたを知らないんだろうと思う。かつての輝かしい「日テレドラマ」のブランドは、すっかり消え去りました。
2020.07.13
「美食探偵」が終了。まったく脈絡の見えない意味不明なドラマでしたが、ようやく最終回になってコンセプトらしきものが見えました。でも、ちょっと遅きに失した感じです。もうすこし明瞭なシナリオにしてほしかったですね。◇ある種のグノーシス(異教徒)として、社会から排除されてしまった者どうしが、絶望をつうじて繋がり合おうとする物語だったのなら、そのコンセプト自体は、たぶん間違っていないんだと思う。でも、そうだとしたら、マリアだけでなく、明智の魅力も、もっと「グノーシス」なものじゃなきゃいけない。そこにこそ、明智とマリアが惹かれ合う理由があるのだから。そこがまず非常に分かりにくかったです。ただ中途半端に磯部揚げを食べているだけの、時代遅れでコミカルな変人にしか見えないのです。明智五郎の異教的な怪しい魅力が、まったく感じられない。一方、マグダラのマリアにとって究極の「美食」といえば、それは明智(=イエス)とともに迎える最後の晩餐なのですが、このドラマでは、なぜか毎回の「美食」が社会への復讐の手段になってしまっています。これが「美食」の意味を混乱させています。グノーシスにとっての「美食」というのは、(エデンの園の果実のように)むしろ人々を悪の世界へ招き入れる禁断の媚薬でなきゃいけない。かりに殺人そのものが「美食」であるのならば、そこに強烈な快楽があることを明示しなきゃいけません。共犯者たちをも魅了したマリアの殺人の美学というものが、最後の最後まで、いまいち理解できなかったので、なんだか脈絡のないドラマに感じられました。たんに脚本家だけの責任じゃなくて、以前の日テレなら、もうちょっと丹念に練りあげていただろうなと思います。
2020.06.29
台湾との共同制作ドラマ。なんだか脚本が青臭くて下手っぴいですね。まるで新人脚本家の秀作を見てるみたいです。プロデューサーや演出家が適当に手直しできなかったのでしょうか?主人公の恋と、家庭の問題を抱えた上司の苦悩と、台湾生まれの老人の歴史と、台中部の田舎の青年の物語を交錯させる構成は間違ってないと思うけど、それぞれの描写がいかにも安易で薄っぺらな感じがする。上司の家庭問題は不必要かもしれないなあ。まあ、そこらへんは原作の問題かもしれないけど。…って、クレジットを見たら、脚本を書いてるのは田淵久美子なんですね。こんなものかなァ。それとも、演出に問題があるのでしょうか?実際、演出のテンポも非常に悪いです。台湾映画のゆったりした雰囲気を狙ってるのかもしれませんが、もたもたして冗長なだけで、あまり上手くいっていない。何よりもセリフのやり取りに生き生きとしたものが感じられません。つまらないセリフを喋らされている俳優が痛々しく見えます。興味深い題材の作品なのに、ドラマとしての魅力には乏しい。次週以降も見続ける自信はありません。
2020.05.22
「美食探偵」はしばらく中断ということですが、ここまで見てきたところ、かなり評価が難しい。面白いところはあるけれど、優れたドラマだとは言いがたい。とにかく、第1話に問題がありすぎたのですね。映像は奇妙だったし、展開は唐突だったし、何がなんだかよく分からなかった。苺が明智に惹かれる理由もよく分からないけど、明智がマリアに惹かれる理由もよく分からない。そのことが引っかかったまま、後々のストーリーにまで影響しています。いまさら言うのもなんだけど、苺が助手になるまでの経緯や、マリアが崖から落ちて姿を消してしまった出来事は、せめて2回分くらいを費やして、もっと丁寧に描いてほしかった。もしくは、探偵と助手との関係は最初からデフォルトにして、宿敵マリアの存在も最初からデフォルトにして、第1話の内容は、まるまる「回想」として処理してもよかったのです。つまり、苺が助手になるまでの経緯も、マリアが崖から落ちて姿を消してしまった出来事も、すべてを「謎めいた過去」として回想すれば、だいぶスッキリしたと思う。◇ちなみに、このあいだの第6話の内容は、なかなか面白かったのですね。燃えさかる炎の中でのディープキスはなかなか衝撃的だったし、それを見て呆然と立ち尽くす苺の姿も美しくて魅力的だった。ただし、犯罪の「美学」うんぬんの話はよく分からない。今回の事件には「美学」がなかったというのだけど、はたして前回までの事件に「美学」があったのでしょうか?まったくもって違いが分かりません。他人の殺人願望を実現してやるのが「美学」だというのなら、明智一族に従属させられた中年男の殺人願望を叶えてやることも、同じ程度に「美学」なのではないでしょうか?それとも殺し方のテクニックになにか美学的な差でもあったのでしょうか?◇ところで、第6話のラストシーンでは、演出についての妙なテロップが表示されました。物語の最中に、わざわざ演出方法についての解説を表示する必要がありますか?とりたてて演出方法が斬新なわけでもないし、いったい何のために、ああいうことをするのか疑問です。たんなる演出家の自己満足だとしか思えません。さも「意味ありげなこと」をやっているように見せたいのでしょうが、そのような発想と姿勢じたいが何ともいえず幼稚だというほかない。自分のやっていることの「意味」を視聴者に丸投げするよりも、まずは自分が何をやっているのかを自分自身で明確に理解すべきです。もし何がしかのメッセージがあるのなら、それを物語や映像のなかで明瞭に示せばいいのです。あんなものがちょくちょくドラマの中で表示されるようになったら興覚めです。
2020.05.21
「美食探偵」はやっぱり変なドラマです。第1話では、まるで昔の新東宝の無国籍映画みたいな、かなり奇天烈な変てこムードを醸し出していました。第2話以降は、だいぶ正常化してきたけれど、それでも、いろんな部分でピントが外れている。意図的にピントを外してるのかもしれないけど、それが何を狙ってるのかも、よく分からない…。◇中村倫也のキャラについていうと、そもそもイケメン設定なのかダサメン設定なのかが不明瞭。最初は「上の下」と言われてたはずなのに、いつのまにかモテモテ設定になってたりして、見ている側は困惑してしまいます。彼のキャラ設定が分かりにくいので、おのずと小芝風花との関係性も焦点がぼやけてくる。◇コメディドラマとして見ると、これはもう、完全なくらいにスベっている。笑えるギャグはほとんど無いに等しい。唯一、笑えたところがあったとすれば、「トリコロール」を「トルコ料理」と言ったことぐらいかな。50年ぐらい前の映画なら、バイクの「空ぶかし」でもギャグとして成立したでしょうけど、今の時代にそのネタでいちいち笑えと要求されても無理です。そこらへんもピントが外れている。◇探偵ドラマとして見るならば、「人々の隠れた殺人願望をリモートで実現する」という発想は、たしかに現代的な側面に触れていて面白いと思うけど、肝心の犯罪トリックはだいぶ漫画じみたものだし、およそ完全犯罪になりそうなものではない。トリックの巧妙さを楽しめるような作品ではありません。いまのところ悪玉マリアの所業は、単独犯罪なのか、組織犯罪なのか分からないけど、ホームズに出てくるモリアーティとは違って、あまりにも「姿が見えすぎるんじゃないか」って気もします。あんなに姿を見せてたら、警察にすぐマークされるのでは?彼女の犯罪が、毎度毎度、明智と結びつくのも、はたして偶然なのか必然なのか、そこらへんの設定もよく分かりません。たんなるご都合主義にも見えてしまう。◇前回の第4話は、とつぜん猟奇的な内容になりました。このドラマに猟奇性を求めてた視聴者はいないと思うけど、期待されてないわりに、かなりハイレベルな猟奇性を見せてきた(笑)。なかなかスゴイとは思いつつも、正直、困惑せざるを得ません。美食をテーマにした作品なので「あわや」とは思ったけど、人肉食に至らなかったのが、せめてもの救いです。物語は、DV夫を断罪する展開になるのかと思いきや、むしろDV夫のほうが「主人公の親友」という設定で、最後は、DV夫を殺した妻のほうが悲劇的な最期を迎えてしまう。この後味の悪い結末にも、視聴者としては受け止め方に苦慮します。◇そんなわけで、意図的にピントを外してるのか、はからずもピントが外れちゃってるのか分かりませんが、かなり変なドラマになっていくのは間違いない。
2020.05.07
子供のときに『まんが世界昔ばなし』のアニメで、先日亡くなった宮城まり子の「ああ無情」を見て以来、いろんなバージョンのレミゼを見てきたけれど、見るたびに「こういう物語だったのね…」と思い知る。それもこれも、ちゃんと原作を読んでないからですけどね。(その昔、ものの数分で読むのを挫折した)◇今回のBBC版ドラマが、どのくらい原作に忠実だったか分かりませんが、前半部分にはかなりの迫力があったし、最終回には、すごく重要なメッセージが込められていました。わたしは「レミゼ」の原作を読んでないかわりに、同じユゴーの「死刑囚最後の日」を読んでるのだけど、あの小説に込められていたのと同じユゴーの理念が、今回のBBC版の最終回に感じることができました。ユゴーは、「許さないこと」を信念にしたジャベールの人生を断罪して、「許すこと」を信念にしたジャンバルジャンの人生を救います。最終回では、ジャンバルジャンだけでなく、テナルディエにまで救いがあるのですが、それ以上に、いちばん大きな救いだと思えるのは、マリウスとコゼットに「許すことの意義」が伝わっていくことです。ややもすると、マリウスとコゼットは、たんなるお坊ちゃんお嬢ちゃんに見えてしまうのですが、最後に父=バルジャンが徒刑囚だったと知ることで、それまで目を背けてきた底辺の人々の生に目を向け、彼らに「許し」を与えていくことの重要性を知っていく。そこが、物語にとって最大の救いになっています。つまり「許し」の連鎖が次世代に受け継がれている。◇じつは今回のドラマを見ていて、第7話にちょっと物足りなさを感じていました。ミュージカル版にくらべて盛り上がりに欠けたからです。ミュージカル版では、バリケードの場面にこそ最大のクライマックスがある。「on my own」ではエポニーヌの悲恋が歌われるし、「people's song」では自由の闘いが高らかに歌い上げられる。しかし、ドラマ版の第7話では、戦いの悲惨さが淡々と描写されるだけで、ほとんどドラマティックな盛り上がりはありません。エポニーヌは突然やってきて殺される。ガブローシュも虚しく死んでしまう。若者たちの戦いは無残に挫折して終わる。ただ屍だけがゴロゴロと積み重なっていくのです。でも、それが原作に近いのかもしれません。すくなくとも、このドラマ版の最大のメッセージは、第7話ではなく、最終回の第8話にあったと思います。エポニーヌの悲恋や、若者たちの自由への賛歌を、あえて淡白に描いているのは、描くべきテーマがそこにはなかったからですね。「許し」を描くことに焦点を絞ったドラマだったと感じました。
2020.05.06
日テレの「野ブタ」とならんで、再放送が注目を集めたTBSの「JIN-仁-」。緊迫した医療現場の最前線。江戸時代なのにみんなマスクしてる。そして感染症「コロリ菌」の蔓延。タイムリーにもほどがある…。ドラマ自体が10年前の過去から未来へ投げかけられた、ちょっと予言的な作品のように思えてくる。驚くほど状況的な意義を感じさせる再放送でした。◇まったく古さを感じさせないし、やっぱり名作ですね。考えてみたら、綾瀬はるかとMISIAの組み合わせって、「ぎぼむす」が最初じゃなくて、このドラマからだったのね。当時から「白夜行」も「JIN-仁-」も夢中で見てましたけど、あらためて、00年代以降のドラマ史にとって、綾瀬はるかと森下佳子の出会いは大きかったなあと再認識です。◇武田鉄矢も「白夜行」と「JIN-仁-」でいい仕事をしてました。今回の再放送を見て、もっとも胸に迫ったセリフは、緒方洪庵(武田鉄矢)が南方(大沢たかお)に問いかけた「未来は平らな世でございますか」の一言。…涙が止まらなかった。過去から現代にむけて、一点の曇りもない眼差しで投げかけられた悲痛な問いでした。
2020.05.05
「美食探偵 明智五郎」の初回ですけど、一見して、ワケわからん感じのドラマです。あまりにも突拍子がなさすぎて。斬新… というよりも、たんにドラマの作り方を知らないのでは?という疑念のほうが大きい。意図的にやってると思うほどの知性は感じないのです。カメラのピントの合わせ方すらおかしいんじゃないの?ってところもある。◇視聴前は、NHK『トクサツガガガ』のコンビだと期待したものの、実際のところは、日テレ『偽装不倫』のスカスカドラマの雰囲気のほうが強い。宮沢賢治をうっすらまぶしただけの恋愛ドラマと同様に、ダビンチをうっすらまぶしただけの探偵ドラマに終わるのでは?◇正直、いまの日テレのドラマ部門がどうなってるのかよく分からないけど、読売テレビの「シロクロ」がかなりの完成度を見せた半面、日テレ本体のドラマ部門は、基礎から崩れてるのでは?との不安もある。まあ、局にとっては、数字さえよけりゃあ何でもいいんでしょうけどね。ドラマ史に残るような「変なドラマ」になる可能性はあります。
2020.04.13
「野ブタ」。15年経つのだそうです(笑)。じつは、このブログも2005年に始まったので、当時は、このドラマのことをけっこうレビューしました。今はなきアマゾンリストにも、こんなことを↓書いていた。青春ドラマの、とらえがたいヒューマニズムとアンチ・ヒューマニズム、もしくはリアルとアンリアルを、感受性ゆたかに表現しえてる名作。繊細で、スタイリッシュで、ちょっと寓話的で、謎めいていて、じつは哲学的。ほんの少し映像を見ただけで、すぐそれと分かる前衛的な“日テレスタイル”。それがこの作品に到達したんだ、と思わせてくれるような快挙です。宇梶剛士、高橋克実、清志郎、夏木マリら“大人たち”の怪演も見事!うーん。なるほど…。ストーリーはまったく覚えてないけど!(笑)とにかく、木皿泉の脚本と、岩本仁志の演出に、あのころの日テレ土9の魅力がたっぷり詰まっていたのです。たんなるジャニタレドラマじゃあなかったんだよね。そのことだけは覚えてる(笑)。ちなみに当時の日記はここらへん↓に残ってますが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200510160000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200511290000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200512130000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200604180000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200605110000/ざっくり読み返してみると、第7~9話あたりが肝だったのかなあ。プロデュースする方とされる方の関係が逆転し始めて、それまで完璧だった亀梨くんが徐々にバランスを崩していく第7話は、素晴らしい内容でした。まだ最終回が残ってますけど、第9話を見た段階で「名作」と言ってしまいましょう。今回の登場人物の一人は、明らかに自殺してしまうような女の子。現実に存在する「絶望」の片鱗をかいまみせながら、かろうじて青春ドラマに救いを与えるための素晴らしい演出でした。一歩手前で、絶望の片鱗だけを見る。「絶望」について考えるためには想像力が必要だし、その点では、この一種寓話的な脚本というのは、とても印象的で、効果があったと思う。「絶望」というのは実際に存在するけど、でも、誰も落ちてなかった。ただ、人型だけが、草むらに残ってる。それを4人で見てる。このシーンが、そのことを象徴しています。…だそうです。われながら、まったく覚えてない(笑)。まあ、第1話を見返してみても、いまだに通用する内容だったんじゃないかとは思います。来週は第2話をやるんですね。
2020.04.12
「知らなくていいコト」が終了。お世辞にも良質なドラマとは言えなかったけれど、最終回についていえば、まあ可もなく不可もなく収まったって感じです。よくいえば「妥当な結末」に落ち着いたかなと思う。◇もしかしたら、乃十阿の本妻は、事件の真相を知っていたのではないでしょうか。それを承知のうえで、彼に冤罪を背負わせたのでは?乃十阿を殺人犯に仕立てることで、息子を守ってピアニストとして成功させ、自分は外交官と再婚して幸福な人生を送った。それこそが、夫の不倫にたいする仕返しだったように思います。◇同じことは、尾高の本妻についてもいえる。自分だけが子供を押しつけられて、尾高とケイトが幸福になるなんて許せないですよね。だから、あえて子供を尾高に押しつけて、彼女は彼女なりに幸福な人生を歩もうとしている。それが夫の不倫にたいする仕返しなのだろうと思います。不倫をするのは個人の自由だと思うけど、不倫をされた側の人間にだって、相手に仕返しをする権利ぐらいあるはず。そうじゃなかったら不公平だもんね。◇結局、尾高は、本妻にも捨てられ、ケイトにも捨てられ、何もかも失って、おそらく乃十阿と同じような人生を歩むことになるでしょう。そもそも尾高は「自分の女」には興味がない男です。だからこそ「他人の女」を愛してしまう。ケイトもまた「自分の男」には興味がない女です。だからこそ「他人の男」を愛してしまう。そういう二人が結ばれても幸福になれるはずがない。どうせ、自分のものになった途端に興味を失うのだから。ちなみに尾高がケイトに対して、「命を削って真実に突き進んでいくケイトが好きだ」「曖昧に流されることを美徳としてる世の中に 真実はこうなんだと切り込んでいく技がある」とかなんとか言ってましたけど、それって、近所のラーメン屋のスープが市販品だと暴いた記事のことだっけ?◇登場人物のなかで、唯一、まともな幸福をつかみとれるのは、土壇場で権力に屈した岩谷だけですね。他人に不倫を勧めたりするわりには、自分自身はけっして不倫をしない人だから、夫婦ともども出版人として成功していくでしょう。会社にも収まり、家庭にも収まるタイプの人ですね。最終的に、そこからはみ出ない人です。そしてもうひとり、作家として成功するのが野中ですよね。彼はやがて第7話の西村雅彦みたいな、有名作家の大先生になっていくのですから、いずれは週刊イーストの記者たちも、接待でおべんちゃらを使わねばならないでしょう。小泉愛花は、あのまま野中との関係を続けていれば、いずれは有名作家の奥様になれたはずなのに、野中をポイ捨てにしたせいで、万年下っ端の記者にアンパンを与えるだけの女になってしまった。これがまさに「妥当な結末」だと思います。◇ところで、乃十阿が尾高のスタジオで受け取った小包は、いったい何だったのでしょうか?彼の無罪を証明するような資料を、弁護士が送っていたのかもしれませんが、乃十阿は、それを捨ててしまったのでしょうか?そうやって彼は、死ぬまで不倫の罪を背負っていくつもりなのでしょうね。…それはともかく、回収しないくせに思わせぶりな伏線だけまぶすのはやめてほしい。スタインベックの小説をちらつかせながら、最終回でまったく触れなかったのも「何だかなあ…」って感じです。
2020.03.12
「大食いヤラセ番組」とか、あいかわらずどうでもいい話…。どんな名目でテレビ局内を取材させてもらったのか知らないけど、親切に制作現場を案内してくれた番組プロデューサーのことまで、取材が終わったら、容赦なくバッシングして切り落とすんですね。なんというか、弱肉強食というか、えげつない世界です…。◇さて、2時間あれば事足りるような内容の話を、毎回毎回つまらない”スクープ”ネタを交えながら、むりやり10話分のドラマに引き伸ばしてきた作品ですが、はたして論評に値するのかどうか疑問に感じつつも、いよいよ来週が最終的ってことで、結末を待ちたいと思います。◇ケイトの父である乃十阿徹は、悪意のない子供の過失(殺意はない)を庇うために、わざわざ家族のことを置き去りにしてまで、なぜ死刑をも覚悟で「無差別殺人」の罪を被ったのか?(死刑にならず出所できた理由も不明ですが)なぜ弁護士でさえ気づくような真実を、妻が気づかなかったのか?じつは妻も、夫が冤罪に見舞われるのを黙認したのでしょうか?おそらく乃十阿が隠したかったのは、子供の過失よりも、さらに重大な真実だったのでしょう。そして、そこには、おそらくケイトの母との「不倫」が関係していたのでしょう。そのことをケイトの母は知らなかったのでしょうか?スタインベックの小説とはどんな関係があるのでしょうか?なぜ尾高のスタジオに届けられた小包を、乃十阿は、勝手に可燃物として廃棄したのでしょうか?◇ここまで不倫のネタを引っ張ってきたドラマですから、最終的に「不倫」にたいして何らかの裁定を下すはずですが、たんに「不倫はいけません」なんて陳腐な結論になるとも思えない。とはいえ、そう簡単に不倫を肯定できるわけでもありませんよね。不幸な恋愛がもたらす悲しい結末にも向き合わざるを得ない。>真壁さんの彼だと思って見てた野中さんはステキだったけど、>自分の彼になってみたら、そうでもなくなったっていうか。(by 小泉愛花)この頭の悪い尻軽女のセリフにこそ、永遠不変の真実がありますよね。つまり、誰しもが「他人のもの」を欲しがるのです。ケイトの母が乃十阿を欲しがったのも、ケイトがいまさら尾高を欲しがってしまうのも、野中がいまさらケイトに嫉妬しはじめるのも、みんな「他人のもの」が欲しくなってしまうからです。ふだんは偉そうにバッシングしてる人たちでさえ、結局は同じ穴の狢です。そして、なぜか自分のものになった途端、自分のものはクズに見えてくる。それこそが恋愛の真実ですよね。
2020.03.05
いくら有名週刊誌の記者だとはいえ、傷害事件の被害者の顔をテレビ番組でさらすのは、さすがにコンプライアンス違反じゃないかってことと、「私の行きつけのラーメン屋のスープが市販品でした!」みたいな心底どうでもいい記事に比べたら、「ホワイトデーはラスクが定番だよね。」って記事のほうが、まだしもマシだと思えてくることなどが重なってしまい、まずは冒頭15分の前提部分に引っかかってしまう…。さらに最後の15分、収賄の尻ぬぐいを押しつけられた金庫番が、親族の不利益になるような真実を遺書に書き残すくらいなら、最初から自殺なんかせずに真相を暴露すりゃよかったじゃん、という思いも、なかなか簡単には拭いきれない。帳簿データの隠し場所を、なぜ主人公が「犬の首輪」だと確信したかも、けっこう謎です。妙なディテールに細かいわりに、脚本の粗が多すぎるのでは?大石静は、アシスタントにでも手伝わせてるのでしょうか?◇さて、編集長(佐々木蔵之介)は、主人公に、尾高(柄本佑)との「略奪婚」を勧めました。すでに有名人になってしまった主人公は、「殺人犯の娘として」について手記を書くだけでなく、「不倫報道記者自身が略奪婚をする理由」についても、手記に書いて週刊イースト誌上に発表するのでしょうか?「バッシングする側」が「バッシングされる側」になる展開は、このドラマの最大の肝になる見せ場だろうと思うし、だからこそ世間からのバッシングを覚悟で手記を書くべきなのですが、当の編集長自身は、主人公に手記を書かせることに及び腰のようです。「だったら略奪婚なんか勧めてんじゃねーよ!」とツッコミを入れたくもなる。編集長の本来の信念にしたがえば、「殺人犯の娘として」についての手記はもちろんのこと、「不倫記者自身の略奪婚」についての手記も書かせなきゃなりません。人間の様々な側面を伝え、人間とは何かを考える材料を提供する。それがゴシップ誌にあるべきジャーナリスト精神なのだから。いや、あの編集長ですから、最後には怒鳴りつけてでも手記を書かせるとは思いますけど、その前に、まずは殺人犯との血縁を確認するほうが先ですね。◇◇それはそうと、重岡大毅のクズっぷり演技に100点満点!でも、主人公はあのクズ男と付き合ってたんだよね。求婚されたときはウハウハしてたでしょ?たんなる面食いなのでは?他人の旦那を略奪するほど男を見る目があるのかなあ…。
2020.02.27
いやー、だいぶ民放臭いドラマでした。これがBSクオリティってやつでしょうか。潔いくらいに、NHKらしさはどこにも感じられなかった(笑)。暇をもてあましてたはずの田舎の刑事が、借金まみれの実父を疑うミスリードをすることもなく、どんどん真相に迫っていく感じとか…義父が娘を殺そうとするときに、わざわざ法律の条文まで朗誦してトリック説明したりとか…最後は、中山美穂が殺し終わるのを二階で待っていたかのように、登場人物がぞろぞろ階段から下りてくる感じとか…あまりにお約束すぎる設定と、安っぽい昼ドラみたいな演出がいっぱいで、ほとんど内村プロデュースのコントを見てるような気分。80年代の安っぽさをあえて再現するのが「リバイバル」の意味なのかなあ?そのように割り切って見れば、十分楽しめる内容だったのかも。そもそもトリック自体が、複雑なわりに偶然だのみの無謀なものに思えるし、娘に自首させるのはまだしも、偽装自殺なんてさせた日にゃあ、母親が正気を失って真相をバラすに決まっている。まあ、夏樹静子の追悼という意味もあって、なるべく原作に忠実にドラマ化する意図だったのでしょうが、逆にいえば、わざわざNHKがドラマ化した意義は、そこ以外には見出せませんでした。どうせやるなら、もうすこし知的なドラマに仕立ててほしかったけど、ぶっちゃけ、いまのNHKにとって、本腰を入れて取り組むほどの素材ではなかったのかもしれません。
2020.02.25
これが1~2話ぐらいの内容だったら大絶賛してたところ。ようやく第5話になって出てくるというのは遅きに失している。そもそも、このドラマは、犯罪者の心情を探っていく物語なのだから、今回のエピソードは想定の範囲内ですけれど、佐々木蔵之介が語ったジャーナリストとしての信条と、事件当事者の切実な感情が葛藤しあう部分には迫力がありました。問題は、ここから先の話が、さらにどう転がるのか。その展開こそが実のあるものにならなきゃ意味がない。今回がいちばんのピークになるようじゃ話になりません。もう、ここから先は、昨今の話題のネタだの、妙に細かいディテールだの、そんなものを寄せ集めただけの無意味なエピソードはいらないし、柄本佑がカッコいいだの、重岡大毅がカッコいいだの、そんな視聴者向けの安っぽい話題づくりも必要ありません。(あってもいいけどね)とにかく物語のいちばんの幹の部分を、残り数話のなかで実のある内容にしてもらいたいです。ここまで来たら最後まで見るつもり。つまらなかったら、とことん大石静をこきおろしてやる。
2020.02.06
知らなくていいコト。第3話。唖然とするほどツマラナイです…。あいかわらず一話完結部分の脚本がひどすぎる。今回は、ただ大貫勇輔のダンスを見せるために、無理矢理でっちあげたようなエピソードでした。もしかしたら、父親の殺人をめぐるメインのストーリーに、何らかのかたちで結びつくのかもしれませんが、このエピソードじたいはほとんど無意味でした。>>動画の一部が切り取られて、流出・炎上しました。>>取材して真意を語らせて、名誉を挽回できました。…この話のどこに面白さがあったでしょうか?どこにもドラマらしきものが見当たりません。◇篠井英介のブティックのくだりは何だったのでしょうか?母親を亡くしたばかりの女性に会うなり、「あなたが結婚しないのを待ちくたびれて死んだのよ」などと無礼な挨拶をする人間が存在するのでしょうか?「タツミーヌさんとお知り合いなんですか?」などと驚いてましたが、そもそもそれを聞くために取材を申し込んだんじゃないのですか?「自分でコーディネートするのはお金がかかりますよね」と言ったら、「お金をかけないのが才能なのよ」と答えていましたが、これは会話として成立していたのでしょうか?「三丁目の角のラーメン屋」って…、そんな漫画みたいな紋切り型の店があるのでしょうか?住民説明会のシーンでは、いったい誰と誰が争っていたのでしょうか?介護施設の誘致賛成派として、町の老人たちがゾロゾロ集まったりするでしょうか?◇細部の描き方にリアリティがなさすぎる。適当な材料を寄せ集めて話をつくったら、そこにバンクシーだの、小澤征爾だの、蜷川幸雄だの、それっぽいネタをまぶしてるだけじゃないですか?このドラマのつまらなさは、あまりにも低次元な脚本にこそ原因があると思います。主演の吉高由里子に責任を押しつけるのは筋違いです。
2020.01.23
やっぱり大石静の脚本には、かなり不安があります。実力に見合わない複雑な内容に挑んで、かえって詰めが甘くなっているのでは?前回もそうだったけど、とくに一話完結パートのエピソードがお粗末。付き合ってる男にDNA婚活を勧める女って、理解不能です。恋人に婚活させながら付き合いつづけるって、どういうこと?このDNA婚活のエピソードは、「殺人犯の娘との結婚を受け入れられるのか」という、メインのストーリーにも関係するのでしょうが、それだけに、エピソードの説得力が弱すぎる。◇毎度毎度、主人公の書いた記事が、大スクープみたいに絶賛されるのにも閉口します。正直、たいした記事じゃなさそうなんだよねぇ。こういうのも、駄作ドラマにありがちな悪しき予定調和だと思う。それから、各回ごとに日付が区切られてるようですが、週刊誌の発売日以上の意味があるのでしょうか?◇殺人犯の父親をめぐるメインのストーリーも、どこまで緻密に作られるのか、ますます不安になってくる。秋吉久美子が、父親にかんする秘密を、あえて娘の恋人(柄本佑)に打ち明け、まだ自分の死期すら分からなかった段階で、結婚の意志すらない娘の将来を彼に託したのは何故でしょうか?そして、その目算が外れて、娘がべつの男と付き合ってしまったことを、秋吉久美子はどう思っていたのでしょうか?それから、もともとは結婚する意志のなかった主人公が、重岡大毅との結婚を望むようになったのは何故でしょうか?まだまだ分からないことが多いですが、そうした伏線がどこまで精密に回収できるのか、それじたいが疑わしく思えてきます。
2020.01.18
スカーレット。黒島結菜が台風のように暴れ回っていて驚かされます。彼女は、トーク番組などで喋ってるときは地味目の人ですが、ドラマで演技をするときのヒロイン感がすごい。登場した瞬間、彼女を中心に物語が動いていくのです。そのままヒロインに取って替わりそうな勢いです。今後は、伊藤健太郎も登場するってことで、後半はもう別のドラマに変わっちゃうんじゃないか?どんどんアシガール化していくんじゃないか?と思えてくる。松永三津のキャラなら戦国時代にまで跳んでいきそうです。わたしは、今後の朝ドラヒロインのイチオシ候補として、志田未来や上白石萌歌のことを考えていたけど、もしかするとNHKへの貢献度の面でも、黒島結菜が最有力の候補として急浮上してくるかも。満島ひかりや二階堂ふみのような異才ではないけれど、仲間由紀恵や新垣結衣のような民放系女優とも違う。おそらくNHKでこそ輝くタイプの人じゃないかと思います。
2020.01.12
映像を見た瞬間、「あ、これは水田伸生ね!」と思ったけど、違ってた(笑)。でも、プロデューサーは大塚英治と西憲彦。日テレらしいテイストは濃厚に出ています。ひさびさに「日テレドラマだわあ」って感じ。そのうえ、『正義のセ』の吉高由里子と、『けもなれ』の山内圭哉と、『高嶺の花』の華道、ならぬ茶道が出てきて、なんだか一昨年の日テレ作品がひとつになったみたい。しかし、何といっても父親役が小林薫で、しかも犯罪が絡んでいますから、『Mother』や『Woman』など坂元裕二の作品を強く意識させます。父と娘あるいは母と娘の関係が、大きなテーマになるのでしょうか。一話完結部分の老女の詐欺被害をめぐるパートは、いまひとつ深みに欠けるエピソードだった。作品の軸になる親子の物語は、どれだけ深まっていくでしょうか?はたして良作になるか、駄作になるか、今のところ、まだちょっと評価しにくいです。大石静の脚本に、坂元裕二と同じレベルを期待できるか、やや疑わしくもある。
2020.01.09
お正月ドラマ2本見ました。ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜「眩(くらら)~北斎の娘~」と同じチームによるNHKの高画質ドラマ。さすがに映像には力が入ってました。とりたてて優れたドラマだとは思わなかったけど、《上海の芥川》というテーマが《北斎の娘》というテーマと同様に、歴史的に興味深いものだということは理解できました。戦前の日本の作家たちが上海を「魔都」として幻想的に描き、とくに谷崎なんかは漁色目的で中国を旅したけれど、芥川の場合は中国のシビアな現実や共産党の黎明期に立ち会って、その体験を背負ったまま自殺したのですね。そこには現代にまで繋がるテーマがあります。芥川の死の問題だけでなく、戦前の日本文学の問題があり、中国共産党のルーツと日本との関係という問題も孕んでいる。現代においてこそ、芥川が背負ったものが何だったかを捉え直すべきなのかもしれません。義母と娘のブルース 謹賀新年SPミーシャの紅白での歌唱からの流れもあり、新春のスペシャルドラマを楽しむことができました。物語も手堅くまとまっていて2時間半の内容が長く感じなかった。前回シリーズの最終回で出てきた不可解な乗車券の伏線も、まあ回収されたかな…。分かりやすくて楽しいドラマではあるけど、じつは社会的に重いテーマを扱ってもいる。そのことを再認識させる内容でした。とりわけ「孤育て(=ワンオペ育児)」の問題を提起した意味は大きい。桜沢鈴の原作にはないオリジナルストーリーだったのでしょうか?◇我が子を捨てようとしたシングルファザーにむかって、みゆきは「親の資質」を問いただしますが、亜希子はそれを諭したうえで、ほんとうの問題は「資質ではなく環境」なのだと語ります。亜希子の言葉は、子育てを「親の愛」や「母性」といった基準でのみ捉えてきた過去の議論への批判でもある。これは、かなり突っ込んだメッセージだったと思います。わたしも、十年以上前に次のように書いたことがあります。子供を生み、育てるためには、まず、その背後に“共同体”というものがなければ無理だと思う。いくら経済的な基盤があっても、共同体から切り離された核家族だけで子供を生んで育てるというのは、根本的にいって無理があると思います。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200510040000/かつての地域の共同体の中には、お兄ちゃんやお姉ちゃん、あるいは妹や弟(年下の子)らとの関係がありました。また、いろんな世代の大人や、青年や、年寄りがいた。年長の子供は、小さな子供の面倒を見たし、年長の大人は、若い大人に色々なことを教えた。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200806120000/最近も、こんなことを書きました。とりあえず少子高齢化に対応するために、乳幼児の保育と、未成年者の養護、そして老人の生活介護をすべて兼ね備えた一体型のシステムを国主導で作るべきと思います。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/201912110000/亜希子が立ち上げようとした子育て支援や互助システムのプロジェクトは、最後の企業乗っ取りによって頓挫してしまい、第2の竹野内豊の登場によって、次回作へ期待をもたせる形になりました。ああいうプロジェクトをドラマのなかで易々と成功させるのは、いかにも嘘っぽくなってしまうので、今回は問題を提起するに留めて正解だったと思います。ひとくちに互助といっても、現実にはリスクもあるし、困難もあるはず。もしも次回作があるのなら、あの「専務」くんを周囲の人たちの互助によって育てていく奮闘記に期待したいです。「孤育て」という概念を流行語にするぐらいの使命感で物語を紡いでいってほしい。
2020.01.06
シャーロックやっぱり、これがいちばん出来が良かった!(ただし「特別編」は蛇足でした。)まったくの翻案でありながら、過去の『モンテクリスト』や『レミゼ』以上に古典作品としての厚みを感じさせた。とくに人間の「悪」の描き方には深さと説得力があって、井上由美子の実力を見せられました。欲をいえば、ワトソンの苦悩や葛藤に、もうちょっとリアリティがほしかったけど。最終回では、さまざまな謎が放り投げられました。その放り投げられ方にも一定の納得感がある。そもそも「海に落ちたぐらいで死んだはずがない」と誰もが思いますよね。ライヘンバッハの滝よりだいぶ低い。二人は生きているのでしょう。守矢だけでなく、バスケ試合中の体育館でバイオリンを弾いたりする獅子雄本人もふくめて、じつは「ぜんぶ幻だったの?」と思わせるほど謎めいた終わり方。逃亡したままの北原里英も、じつは守矢を逮捕していた江藤(佐々木蔵之介)も、ひそかに守矢と接触していた官僚の兄(高橋克典)も、けっこうな集団を率いてたっぽいスケボーのスパイ君も、それぞれに謎を残したままです。どうして浅草周辺が物語の舞台なのか(笑)。それも謎でした。すでに「守矢」の顔は、刑事の江藤にも、政府高官の兄にも割れていたはずなのに、なぜ最後の最後に、獅子雄は守矢が本物かどうかを識別できなかったのか。ひとつだけ間違いないのは、獅子雄が最後にたどりついた「あんたは、ただの幻だ」という答えでしょう。おそらく問題は「本物かどうか」ではなく「存在するのかどうか」だったのですね。幻をめぐって悪の世界が形作られていたところに、このドラマの最大のリアルがあった気がします。それにしても、いつもながらフジ月9の「特別編」とは、どういう位置づけのものなのでしょう? 被害者や加害者の「その後」を描こうとする意欲的なものかと思ったら、本編の内容を掘り下げるどころか、むやみに掘り散らかしただけで、かえって本編の世界を壊していたように思う。江藤が守矢を逮捕した経緯にまったく触れないのも不自然。木南晴夏のDVのエピソードも安易なものだったし、なんだか余計なものを見せられた印象です。あえて別の脚本家にスピンオフを書かせるなら、せめて本編に影響しないオマージュ的な範囲に留めておいてほしい。せいぜい岩田剛典と岸井ゆきのの恋物語ぐらいにしておけばよかったのに。同期のサクラまあ、良くも悪くも「上手い脚本」ですよね。遊川のドラマって、なにひとつ本質的な解決はしないのです。問題は提起するけれど、そのつど決着させるわけじゃなくて、さらに大きなテーマのほうに話がどんどん移ってしまう。その繰り返しです。悪くいえば「逃げ」の手法ですね。でも、そもそもシリアスな課題をドラマの中で解決させるほうが安易なのだから、そういう展開こそが正しいともいえる。結局、最後まで故郷に橋が架からなかったのも、ドラマのなかで安易に夢を実現させないという遊川の厳しさでしょう。遊川の最高作とまでは言わないけれど、おおよそ成功した作品だと思います。最終回では、椎名桔平に『銭ゲバ』のような不穏なムードがあったので、サクラもどんどん極悪になっていくのかと思いきや、上空から爺ちゃんのファックスが舞い降るまでもなく、割とあっさり改心しちゃったので、そこだけがちょっと物足りなかったです。ニッポンノワールはっきりいって、失敗作ですね(笑)。最初は、まさかSFだとは思わずに見ていたので、とつぜんゾンビが現れたときは驚きました。たしかにSF的な世界が現実味を帯びている昨今ですから、こういうSF要素を含んだドラマは時代に求められてるかもしれないし、これからのテレビドラマの新しい潮流にもなるかもしれない。とはいえ、今回の内容に満足できたかといえば、正直、満足できませんでした。もしかしたら武藤将吾の頭の中には「仮面ライダーは子供向けの作品じゃない」というような思いがあるのかもしれません。事実、これまで彼が関わってきた「仮面ライダー」には、大人の視聴者にも訴えうるようなシリアスな要素が含まれているでしょう。しかし、あらためて今回のようなドラマを見せられると、やっぱりこれは「子供向けの内容」だと思わずにいられません。科学技術によって犯罪者を矯正するというSF設定そのものは、まあ大人の視聴者にも通用するものだと思いますが、最終的な作品のメッセージが、まったくの子供だましです。「自分の力で抗う」だの「自分次第で世界は変えられる」だのといった安易なメッセージが、どうにも子供じみている。あるいは、昭和ヒーローじみている。その程度の安っぽい結論に帰着するくらいなら、むしろ井上由美子や遊川和彦のように、最後まで結論を出さずに煙に巻くほうがマシです。物語の展開にも必然性が乏しく、もはや最後のほうでは「誰がラスボスか」にさえ興味を失いました。なんの必然性もないドンデン返しは、見ていて馬鹿馬鹿しいだけです。これを本気で大人向けに書いたのなら、武藤将吾はただちに「仮面ライダー」の現場に戻ったほうがいい。率直にいって、大人の鑑賞に耐える内容ではありませんでした。G線上のあなたと私失礼ながら、『いだてん』より高い視聴率で終わったという事実に驚愕しました。かなり頑張って見続けましたが、苦痛を感じるほど退屈だった。フッたはずの女性がフラれたり、軽んじてたはずの相手と恋人になったり、人生の目標が変わってしまったり、けっこう面白い展開の話だとは思うんだけど、ドラマとしてのキレに乏しく、面白さが伝わってこなかった。コミックの世界観は「絵の雰囲気があってこそ」という面もあるから、たんに台詞や物語を追っただけでは再現できないのかもしれません(原作は読んでませんが)。安達奈緒子は、むしろオリジナル作品のほうがいいんじゃないでしょうか? 原作に引きずられて、かえってグダグダになった気もする。それとも、前のドラマの『あなたのことはそれほど』のテイストに引っ張られたのでしょうか? とにかく台詞がまどろっこしくて、会話劇としてつまらない。理屈っぽいわりに気分だけで口走ってるような台詞は、ほとんど無意味でした。もし、ああいう台詞への「共感」を意図して書いているのなら、愚かというほかはない。漫画にせよドラマにせよ、身内的な共感を受け手に求めるのが作者の特権だと考える発想は、次元が低いです。ドラマ化する際に、もっと台詞を切り詰めて、出来事の力で物語を進めたほうが面白かったように思います。まだ結婚できない男いままでどおり、安心して見てられる内容でしたけど、前作に比べると、ちょっとゆるかったかなあ。予想に反してハッピーエンドなんですね。「老人編」もあるでしょうか?いだてんドラマとして成功したかといえば、正直いって成功しなかったと思います。わたし自身、満足できたのかといえば、あまり満足できていません。しかし、この題材で、しかも、近現代の史実の枠組みの中で、これ以上の大河を書ける脚本家が他にいるのかといえば、はっきり言って「いない」と思います。そういう意味では、やはりこれは非凡な脚本なのですね。シンメトリックな構造といい、緻密に張り巡らした伏線といい、その絶妙な回収の仕方といい、オリンピックへの批判的な視点といい、本当によく出来ていた。戯曲として後世に残るレベルのものだと思います。にもかかわらず、どうしてドラマとしては上手くいかないんでしょうねえ…。視聴者層と噛み合わなかったのか。キャスティングに制約があったのか。現場の体力がもたなかったのか。よく分かりません。まあ、そもそもクドカンのドラマで「視聴率」を期待すること自体がおかしいのですけどね。『あまちゃん』以外の作品で視聴率とれたことないんだから。本来なら、終盤に向けて、どんどん盛り上がったはずの内容ですけど、来年のオリンピックへ現実的にリンクする作品でもあるから、妙なプロパガンダにならないためにも、不用意に盛り上がらないのが正解だったかもしれません(笑)。ちなみに、各話のサブタイトルは映画の題名から取られていたと思いますが、「前畑がんばれ」という映画は存在したのでしょうか?CHEAT途中参戦だったけど、けっこう面白かったです。笑いのセンスもお洒落でキレがあったし、キャストもよくキャラが立ってて良かった。俺の話は長いこちらも途中参戦です。やはりキャラはよく立っていました。タイトルどおり、くどくどした台詞の応酬が売りだったんだろうけど、残念なことに、その部分の演技にいちばん無理がかかっていて、かえってつまらなくなってた気もする。もうすこし自然な会話のほうがよかったかな。スカーレット絶賛放送中ですが、これはかなり好きな朝ドラ。一直線に成長していくような嘘っぽいサクセスストーリーではなく、いわば「3歩あるいて2歩さがる」ような展開というか、「行ったと思ったら、また戻ってくる」みたいな、ある意味でヘタレな展開に親近感をおぼえるし、リアリティを感じます。ちょっとした機微の描き方もうまくて、ほんのりと温かみがある。オリジナル作品で、これだけ充実した内容が書けるのだから、水橋文美江の実力を感じます。
2019.12.26
『悪魔の手毬唄 2019』を見ました。それなりに雰囲気は楽しんで観れたけど、どうも根本ノンジの脚本に難がある気がします。推理小説をドラマ化する場合、変な脚色のせいでトリックが崩れちゃうことがある。今回も、そんな感じ。◇そもそも、手毬唄の歌詞に沿って娘たちを殺していくのは、犯人が「放庵」だとミスリードするためですよね。そこをちゃんとミスリードできなかったら、わざわざ手毬唄に沿って殺していく意味がないです。ただムダに面倒な殺し方をしてるだけ(笑)。ちゃんとミスリードをするためには、放庵が最後まで生きていると見せかけなきゃならないし、放庵の好色で愉快犯的な動機だと思わせなきゃならないし、なによりも、放庵の書いた『手毬唄考』をミスリードに利用しなきゃいけない。ドラマでは、その設定が崩れています。早い段階で放庵は「殺された」と推察されていて、3人目の被害者(里子)が出たときには、放庵が犯人である可能性はほとんど消えています。これでは犯罪トリックの意味がありません。恩田のほうに疑いが移るのも早すぎます。まず、主人公の金田一耕助は、神戸で『手毬唄考』の冊子を手に入れたら、すぐに警察に連絡して「手毬唄」の3番の歌詞を伝えて、大空ゆかりに危険が迫っていることを知らせなきゃいけない。そして放庵の大捜索をさせなきゃいけないのです。悠長に映画館に泊まってる場合じゃありません。映画館には、冊子を手に入れる前に行っておくべきなのです。そのようなミスリードがあってこそ、そのあとの里子の死という展開が衝撃的になるはずです。◇そして、大捜索のすえ、放庵の死体があがるのは、リカから事件の真相を聞き出す前がいいと思います。いったんは放庵の被疑者死亡(自殺)に見せかけて、放庵がすでに事件前に殺されていたことが検視で分かったら、そこではじめて「恩田犯人説」が浮かび上がってくるのですね。なぜなら、放庵と一緒に生活していた恩田なら、手毬歌の歌詞を知っていたはずだからです。そして、金田一の謎解きも、そこからようやく本格的に始まるべきなのです。じつは恩田(=源治郎)も死んでいることを明らかにし、最後の最後にリカを追い詰めていく。放庵から恩田、そして恩田からリカへと、二度のどんでん返し、裏の裏をかく展開にしなくては、せっかくのトリックに深みが出てきません。
2019.12.23
いちおうテレビドラマも見ています。今期の作品をサラッと総評。シャーロック「モンテクリスト」や「レミゼ」のときのディーンの異質感もだいぶ小慣れてきて、いまや何の違和感もない!(笑) 今期、いちばん出来がいいかなと思う。脚本と演出のバランスがいい。そしてディーンと岩田剛典のキャラ造形が素晴らしい。2人とも決して上手い役者ではないはずだけど、とても上手い使い方をしてる。これは今後のキャスティングの模範になるはず。役者の演技力に頼るだけの作品は駄目ですね。下手な役者でも上手く使いこなす演出こそが正しい。無能な演出家ほど役者の演技力にばかり依存しがちです。ニッポンノワールこれも、まあ、よく出来てる。刑事ドラマとしては前例のない斬新な設定。序盤で工藤阿須加と殺し合いをはじめたときは非常に驚きました。ただ、その世界観とか「内部に敵がいる」という状況とかが、前作の『3年A組』の流れだと理解できてしまうと、さすがに驚きは半減してしまう。「次は誰が敵になるんだろう」という既視感で見てしまう面がある。でも、まあ、このぐらいの二番煎じなら、あってもいいかなとは思います。まだ結婚できない男じつは、これって「結婚できない女」の話でもありますよね。今回は、吉田羊と、稲森いずみと、深川麻衣。美人すぎない女優さんが、なぜかとても可愛く見える不思議な作品です。そういう人々への愛情があるドラマなのですね。じつは、いちばん美人なのは妹役の三浦理恵子だというのも、非常に考え抜かれたキャスティングだと思います。G線上のあなたと私NHKの「サギデカ」の脚本があまりにも非凡だったので、その落差にだいぶ戸惑った。まあ、TBSのユルい作風にはあまり期待しないけど、とりあえあず磯山晶と安達奈緒子が何をしようとしてるのか、今後の展開を見届けたいと思います。できれば安達奈緒子には、日テレかフジで緊張感のある作品に取り組んでほしい。同期のサクラ遊川のドラマは、最初の設定とキャスティングですべて決まってしまう面が強い。枠組みが決まったら、あとはそこに一話完結のスートリーを当てはめていくだけ。今回は、その枠組みが比較的うまくいってるのかなと思います。とはいえ、「女王の教室」や「演歌の女王」のころに見られたような、救いがたい闇はもう感じられない。ほぼ予定調和のなかに納まってる。まあ、そのほうが、書いてるほうも見てるほうも負担が少ないのでしょう。そして、そのほうが視聴率的にも好都合なのでしょう…。この先、遊川が作風を変えていくことはあるのでしょうか? ちなみに遊川のパワハラの描写は、本人の自戒もあるのか、だいぶ恐る恐る書いてるよね。いだてん内容は決して悪くないんですが、さすがに勢いは失われてしまった。構成もよく出来てるし、クドカン脚本として最重要作品になるのは間違いないけど、連ドラとしての成功は実現しませんでした。大河でなければ高く評価されたはずの作品ですけど、大河だからこそ、いろんな方面から徹底的に勢いを削がれてしまった。それは、ちょっと悔やまれる。◇◇◇キムタクドラマはブサ顔と短足が不愉快なので見てないけど、山下夫妻は今後もジャニーズに癒着し続けるつもりなんですね。・・・・・
2019.11.09
「なつぞら」に、なんの前ぶれもなく田中裕子が登場ッ! まあ、事前情報はあったんでしょうけどね…。わたしが知らないだけで(^^;突然「なつぞら」が異次元ドラマにっ!(笑)凄まじい日テレ感のなかで、田中裕子とすずのツーショットにしばし釘付け。ハリカちゃんに子供が生まれるのね…と目を細めるanone。そういえば、ハリカちゃんも孤児だったよね…。坂元裕二が書いたのは、血のつながりのない他人同士が、本物の家族のような絆を結んでいく物語でした。仙台出身の奥山玲子の話が、なぜ北海道の孤児の話に入れ替わってるのか疑問だったけど、それって「タイガーマスク」でも「ジョー」でも「ハッチ」でもなく、「anone」へのオマージュだったんですね! たぶん…(笑)anone [ 広瀬すず ]楽天で購入
2019.08.21
「偽装不倫」は、回を追うごとに、安っぽさが目についてくる。もうダメかも。まったく笑えないコント演出といい、メインキャスト以外の配役の安っぽさといい、予想をはるかに上回るB級っぷり。これは原作のテイストなのでしょうか?そうだとしても、もう日テレとは思えないような、信じられないくらいのセンスのなさです。…もしかして、ヤケクソで作ってる?鉄道オタク、わんこそば、ド田舎喫茶、居酒屋コントと、次から次へ繰り出される笑えないコメディの連打に、完全に心をへし折られました。正直かなり辛いです。◇前期以降、日テレのドラマに、本来のキレやセンスが感じられません。視聴率の取れないドラマ部門は放棄することにしたのでしょうか?2クールぶち抜きの「あなたの番です」も、秋元康のバズり商法だか炎上商法だか知らないけど、やたらと犯人フラグだけ撒き散らすようなヤケクソな内容。とてもバカバカしくて、犯人を考察する気にはなりません。むしろ今期にかんしていえば、フジのほうが丁寧にドラマを作ってる気がする。「朝顔」も「ルパンの娘」も、作りがしっかりしているので安心して観ていられます。
2019.08.08
「ルパンの娘」2話目。犯罪のトリックはゆるいけど、演出のほうはキレキレです。スタイリッシュな連動CMもふくめて、なにやら日テレのドラマを見ているような錯覚におちいる。いい意味で、フジらしくないテイストです。ドラマのフォーマットがはやくも確立していて、すでに2話目にして安心の面白さ。やっぱり大貫勇輔のミュージカルパートが素敵すぎる。もうちょっと長めに見せてほしいなあ。小沢真珠の美魔女ファッションも素敵です。今回、残念だったのは、麿赤児と藤岡弘の爺さんコンビが登場しなかったこと。たぶん、あの二人って、過去に因縁の対決をしてると思うんだけど、その歴史を毎週ちょっとずつ見せてほしいんだよね(笑)。◇「偽装不倫」2話目。う~ん…。全体的に演出がゆるい。杏ちゃんの演技が分かりやすいのはいいけど、演出がバカっぽくてゆるゆるしてるのは、ちょっとつらい。脇役のキャラクターにも緊張感が乏しいんだけど、そもそもキャスティング自体に明確な意図が足りないのでは?全般に、いつもの日テレらしいキレが感じられません。ショボいドラマになりそうな予感がないでもない。視聴率を気にしすぎ?フジにお株を奪われちゃったの? ...............................
2019.07.19
深キョン自身にとって本意かどうかわかりませんが、この「ルパンの娘」は、彼女にとって≪最高傑作≫になる可能性が高い。「下妻物語」「未来講師めぐる」「ヤッターマン」など、いくつかの伏線はあったでしょうが、いまさらながら、この路線こそが彼女の本領だなと思います。深キョンは、もう36歳になりますが、テレビでここまでふり切った形のものはなかったように思う。要するに、このドラマって、海外でいえば「バーバレラ」とか「キャンディ」とか、あのへんのおバカ映画に連なるような「おマヌケお色気」路線ですね。本人が望むかどうかは別として、30代後半から40代ぎりぎり(へたすると50代)の可能な年齢まで、彼女にはこの路線への需要が続くのでは?時代劇にも、サスペンスにも、ホームドラマにも、学園ドラマにも、この路線は、いろんなパターンへの展開と応用が可能ですから。まあ、演出家と脚本家しだいでは、救いようのない痛々しい駄作が、つぎつぎ量産される可能性も大ですが。がんばって!o(^_^)o
2019.07.13
日テレの「偽装不倫」とフジの「ルパンの娘」。どちらも原作ありきのバカドラマだけど、すごく安定感があって満足感は高い。◇やっぱり杏ちゃんの演技は、わかりやすくて主役向きですね。菅野祐悟の音楽も盤石で、あのウットリ感は、昔の「anego」の仲西匡の音楽を思い出させる。年上とのマジ不倫じゃなくて、年下との偽装不倫というところに、時代を移り変わりが感じられるけど、こういう姐御肌のキャラによる綺麗系のラブコメが、日テレとしては、いちばん無難な路線なのかもしれません。いずれ仲間由紀恵も、ごくせんキャラを垣間見せるんでしょうか?そして宮沢賢治ネタは、今後も絡んでくるんでしょうか?◇ルパンのほうは、「ロミジュリ」とか「ミュージカル」な設定とか、ちょこちょこパロディ要素をくすぐりながら楽しませてくれる。ニーノ・ロータの半世紀前の音楽は著作権が切れてるのかな?小沢真珠や渡部篤郎や加藤諒の配役にも、どこかしらパロディ要素があって笑いを誘ってくる。サカナクションのED曲も、ちょっと80年代風なのがくすぐられます。TVドラマには珍しいミュージカル枠も、今後どんどん振り切ったものにエスカレートさせてほしい。そして、できればモンキーパンチへのオマージュも欲しいところです。 ...............................
2019.07.12
遊川和彦と志田未来。「女王の教室」から14年。神田和美から神田和実へ。やっぱりこれって彼女の当たり役だと思う。魔女のような主人公におののいて振り回されながらも、苦難を乗り越えて救われていく役どころは、14年前とほとんど同じ。逆にいえば、14年のあいだ、彼女にそれ以上の当たり役がなかったことが不思議ですらある。本来なら、「ハルとナツ」などで子役時代の名演を引き出したNHKこそが、彼女を積極的に使うべきだったのだし、できれば20代前半のうちに、朝ドラのヒロインに起用すべきだった。でも、なぜか長いあいだ、NHKは彼女を起用しなかった。もしかしたら、彼女の側がNHKを拒んだのかしら?宮崎あおいと同じく、志田未来は、NHKでこそ輝ける女優だったはずなのに。どうして民放の駄作にばかり出演しつづけたのだろう?ほんとうに悔やまれる。去年の「ウツボカズラの夢」はまあまあよかったけど、深夜枠だったしね…。そうこうしてるうちに、彼女ももう25才。もったいないなあ。今回は、遊川のドラマの古巣で盤石な役どころだけれど、あくまで主役は杉咲花だから、彼女は脇役に留まるのでしょうか?はやく「女王の教室」を超えるような、志田未来の決定的な傑作が見たいです。
2019.01.20
ディーン&美月の第2弾。太田大と野田悠介のプロデュース。デュマの次はユゴー。ちなみにフランスのテレビでも、ジェラール・ドパルデューの主演で、「モンテ・クリスト伯」と「レ・ミゼラブル」が制作されたのですね。今回は、おもに、バルジャン(馬場純)とジャベール(斉藤)の物語に絞ってあり、とりわけ自らの憎悪に苦悩するジャベールの姿はよく描かれていました。まあ、ジャベールもエポニーヌも死にませんでしたけど。もし1クールのドラマだったらファンティーヌの美しさとか、エポニーヌの恋心とか、マリユスの正義感とかを、さらに掘り下げられたのでしょうけどね。てっきり、岸井ゆきののコゼットと、高杉真宙のマリユスを想像してたんだよね(^^;3時間ドラマとしては十分な内容だったし、12年の大味なイギリス映画よりは、よっぽど見応えがありました。
2019.01.08
今日は3つのドラマをとりあげます。「中学聖日記」「今日から俺は!!」「僕らは奇跡でできている」。◇まずは、TBS火曜の「中学聖日記」。けっして熱心に見てるわけではないけど、どういうわけか気になるドラマではある。多くの人が言うように、なんにせよキモチ悪いもんだから、途中で耐えられなくてチャンネルを変えるんだけど、しばらくすると、また気になって戻ってしまう(笑)。このキモチ悪さは、たぶん、原作・脚本・演出・プロデューサーが、みんな「女性だから」なんじゃないかと思ってます。つまり、女性のスタッフが、その秘めたる(願望とはいわないまでも)幻想を、あの男子中学生に投影しちゃってるからじゃないかと。描く者と描かれる者の傷つきやすさや繊細さに、自分たちで酔いしれちゃってる作品って、はたから見ると、かなりキモチ悪いわけですね。とくにユーモアの欠如した展開にのめり込んでいくと、そのキモチ悪さは、救いがたいものになってしまう。でも、まあ、ここまで見るかぎりは、ひたすら「純粋さ」だけを描こうとしてるわけじゃなく、それなりのユーモアも取り入れながら、「不純」な部分もふくめて描こうとしてる意図も見てとれます。 どうしてもキモチ悪さのほうが悪目立ちして、 なかなかユーモアがユーモアに見えないってのはあるけど・・・もしかすると、この作品のキモチ悪さは、制作者が炎上覚悟で確信犯的にやってるのかもしれないし、だとすれば視聴者の側は、この気持ち悪さこそを「ネタ」として楽しむべきなのかもしれません。実際、そういう楽しみ方をしてる視聴者もすでにいるみたいだし、案外、のちのち「史上もっとも気持ち悪かったドラマ」として、伝説化していくのかもしれません。(^^;ただし、わたしもふくめて、ネタとして楽しむ以前に、なかなか生理的に耐えられない人も多いと思います。◇次。日テレ日曜の「今日から俺は!!」。このドラマのことも、福田雄一のことも、以前の「アオイホノオ」のこともぜんぜん知らなくて、まったくノーチェックだったから乗り遅れましたけど、これ、めちゃくちゃ面白いです!あえて40年前の原作を、今になって持ち出すところに、いい意味での「悪意」を感じるんだけど(笑)、これは、ほとんど「時代劇」だと言っていいですね。ちょうど200年ぐらい前の日本に、チョンマゲゆって刀ふりまわす人たちが実在したように、40年ほど前の日本には、ああいう格好で暴れる人たちが実在してたんですよねえ(笑)。それが、いまや歴史になっている。「ツッパリ」という言葉とともに、「ツッパリ文化」も遠い過去に死滅したわけですねえ。およそ40年後の現代の若者たちが、本気でそれを演じてくれてるのが笑えます。ついでに「聖☆おにいさん」のことも気になってます。◇最後にフジ火曜の「僕キセ」。この作品は、高橋一生の《ファンタジーパート》と、榮倉奈々の《世知辛いパート》が、ちょうど半々ぐらいの割合で緊張関係を保ってこそ、面白いんだと思う。高橋側から榮倉側を見ると、すごくギスギスしてて、榮倉側から高橋側を見ると、すごく癒される。そのバランスが大事なんだろうと思います。いくら高橋一生のファンタジーが可愛くて癒されるからといって、全編がそれだけに終始しちゃうと、さすがのファンタジーも、ちょっと白々しくなっちゃうんですね。実際、昨日の第4話は、榮倉パートの割合が少なくて、ちょっとバランスを欠いてました。とくにコンニャク農家のエピソードは、緊張感が乏しいわりに長い時間を割いていて退屈だったし、演出の説得力のなさも災いして、だいぶ白々しかった。この緊張感の配分というのは、今後の展開にとっても、重要なポイントになると思う。◇ところで、昔の橋部敦子の「僕」シリーズには、つねにどこか悲劇的な雰囲気がつきまとっていたけど、本作ではどうなんでしょうかね。いまのところは全体にハッピーな雰囲気が漂ってるので、その点は安心して見ていられます。
2018.10.31
「僕らは奇跡でできている」の第1話。8割がたキャスティングで成功してるなあ、という印象です。橋部敦子の「僕」シリーズ。こんどは高橋一生ですか。なるほどねー。正直、高橋一生の魅力って、いままではあまり理解できずにいたけど、今回のキャスティングは、とても納得できる。そして、榮倉奈々。彼女のキャスティングの仕方としては、いちばん的確なものじゃないかと思います。おおよそ「99.9」のときと似たような役回りだけど、その完成形になりそうな予感。美人で、仕事もできて、良識的で、非の打ちどころのない女性が、天然で風変わりな男に振り回される、というパターンですね。「リーガルハイ」の新垣結衣にもちょっと近い。「99.9」や「リーガルハイ」は、あくまで男女の《バディもの》だったけど、橋部敦子の場合は、もうすこし切ないラブストーリーの要素も強まるんじゃないかと、そんな期待もしています。
2018.10.11
今季いちばん注目していたドラマ「高嶺の花」が終了。最後に登場人物がみんな再登場して主人公たちを祝福するという、よくある予定調和には、かえって驚いてしまったけれど、それでも、このドラマには、きっと何かしら語るべきものがあるに違いないという思いを捨てきれず、ネットの感想などをしばし検索してみる。すると、成馬零一の以下の批評がありました。野島脚本はなぜ迷走したのか?トラウマにこだわる古臭さ◇けっきょく、このドラマの最大の謎って、市松(小日向文世)は何をしようとしていたの? ってことなんだけど、成馬零一の分析によれば、娘たちにむりやり心の傷(トラウマ)を負わせようとする市松の行動は、「(共依存の愛を描くために)むりやりトラウマを捏造してきた野島自身への自己言及」ということのようです。この分析は、たぶん正しいんだろうと思う。◇ただし、今回のドラマの結末は、むしろそれを否定したところで終わっています。主人公のももは、「光と影」の表現を受け継いできた月島流を離脱し、新しい流派を立ち上げて「光そのもの」の表現へと向かっていくのです。そのことは、彼女が最後に活けた花々にも見事なくらいに表現されていた。同時に、彼女は、「トラウマにもとずく共依存」の愛じゃなく、「太陽に向かって咲く花」のような愛を選ぶわけですね。亡くなった母は「自分自身が花だ」と言っていた。高井(升毅)の愛は、直人と同じように「太陽」のような愛だった。そして直人(峯田和伸)が高嶺から摘んできた花は、太陽に向かって求愛するように咲いていた。高嶺の花とは、崖の上から人を見下ろすためではなく、太陽に向かうがゆえにこそ、そこに咲いているのだと。そのような結論なんだろうと思われます。そして、これは、脚本家が当初から準備していた結論でもあるのでしょう。◇野島脚本のこのような「転回」が、ドラマのなかで十分な説得性をもって描かれたかどうか。今回の作品が成功作といえるかどうか。そこは評価の分かれるところだろうけど、それでも、今回の作品の破綻が、(地上波放送の都合だとか局の都合だとかによる破綻じゃなく、)脚本家としての自己言及と迷走の果ての破綻だったのだとすれば、それなりに語るべきものはある…というのが、わたしの立場ですね。◇かりにトラウマを捏造する市松が野島自身の分身だったとするならば、太陽として描かれた直人の存在とは何だったのでしょうか。そのことは、今回の作品では、まだ十分に明確ではありません。今後の作品に期待したいと思います。
2018.09.13
赤塚不二夫が死んだと知って、「ウワッ」と声を出しそうになった。なんというか、「やっぱり間に合わなかった・・」みたいな感じです。もっとも、いつまで生きてたって間に合うわけでもないんだけど、まだ、もう少しなら、先延ばしできると思ってた。いつか赤塚不二夫の世界の本質を理解したかったのに、その前に、本人に先に死なれてしまった。日本の社会に、あるいは世界に、赤塚不二夫の表現の核心を理解してる人はいるんだろうか?今の日本の文化は、ちゃんと赤塚作品を吸収して、呑み込めているんだろうか?生前の三島由紀夫は、熱心に赤塚マンガを読んでいたらしいけど、三島なら、なにかをつかめていたのかな。タモリなら、ちゃんと赤塚世界の核心を知ってるかな。◇もちろん赤塚不二夫の世界は、「昭和」であり「ナンセンス」であり「ギャグ」なんだけど、ただそれで括って終わりにするわけにもいかないと思う。たんに「昭和」の文化人として傑出していただけじゃないし、たんに「ナンセンス」において傑出していただけでもない。ただたんに「ギャグ」として傑出していただけでもない。もっと違う。なんだろう。とにかく理解を超えたものがある。表現が込み入ってるわけでもないし、複雑なわけでもない。解きほぐすのが困難な作品世界、というわけでもない。むしろ、いたってシンプル。いたって単純、明快。子供のように、産まれたまんま、なのかもしれない。だから、その本質は、きっとむき出しになってるはず。にもかかわらず、それがなんなのか全然わからない。ちんぷんかんぷん。通常のあたまじゃ、無理。◇赤塚マンガの世界は、そもそも「ナンセンス」なんだから、そもそも「意味」なんて無いんだから、理解ができないのも、当たり前のことかもしれない。理解しようとすることじたいが、間違いなのかもしれない。たしかに赤塚マンガには、まともな物語もないし、たいした意味もない。もし、かりに赤塚マンガを理解することがあるとすれば、それは「物語を読む」とか、「解釈する」とかじゃなく、たぶん、マンガの「構造」を理解する、ということになるんじゃないか。そういう予感は、少しあります。◇たとえば、赤塚マンガの話法。前のコマと次のコマの接続のしかたが、普通じゃない。「それで」とか、「ところで」とか、そういう常識的な接続の仕方じゃなくて、何といえばいいか、・・ひとコマひとコマが、そのつど、飛んでます。すべてのコマが、何ともいえず飛躍的に連結されて、そのまま、展開が、どんどんどんどん加速していく。それを追いながら、頭がグルグルした状態のまんま、必死で読んでいくんだけど、最終的に、物語があるのかというと、結局なんにもない。それが、赤塚マンガ。あれは一体なんなんだろう。あのコマからコマへの独特の飛び方。どんどん話が飛躍してるのに、登場人物たちは、みんな穏やかに笑ってる。なにか独特な接続の法則性があるのかもしれないけど、ぜんぜんわかりません。◇たとえば、バカボン家の人物構成。パパがいて、ママがいて、バカボンがいて、はじめちゃんがいる。たんに父と、母と、息子2人、というような家族類型ではなく、社会とか、あるいは人間存在とかの、なにか根源的な構造を、それぞれが体現してるように感じる。悪意と暴力性に満ちたパパ。良心を備えながらも、パパの資質を引き継いでいるバカボン。それに対して、知性と秩序を担う、ママとはじめちゃん。パパとバカボンに象徴される暴力性というのは、人間存在の隠された一面、あるいは、その本源的な力を体現してる、と思うんだけど、ママとはじめちゃんは、それを理性で統制しているのでもないし、抑圧しているのでもない。居間でふたり穏やかに微笑みながら、パパとバカボンの幼稚な暴力性を、ただたんに「野放し」にしているだけなんだけど、それだけで、何もしなくても、調和が保たれている。けっして懲悪的な世界観ってわけじゃないし、かといって、その逆の破壊的な世界観ってわけでもない。きっと、ママとはじめちゃんも、あれは「理性」というようなものじゃなく、何か、別のベクトルの力を体現してるんだろうと思う。いずれにしても、あの一家の調和は一体なんなんだろう。アナーキーだけど、なぜか調和してる。◇昨日、本人は死にましたけど、わたしはもちろんのこと、日本社会も、そして日本文化も、赤塚の世界に到達するのは、まだまだずっと先じゃないでしょうか。そんな気がします。
2008.08.03
このブログ、いつになったら更新するんだろ…?と、他人事のように待ってたわけですが。(~~;;さっき、何気なくNHKを見てたら、なにやら新しげなドラマを目撃。「これは恋愛ドラマじゃありません」と前置きしつつ、これからの新たな職場環境を提案するふうな、ある意味、PRドラマみたいな内容だった。ベタベタした内容の物語じゃないので、逆に、スッキリとした印象で良かったです。やや「サラリーマンNEO」風な、いかにも“NHKテイスト”な雰囲気に、村川絵梨、山本禎顕、水野真紀‥となんだか見たような顔ぶれ。「よるドラ」枠でも復活したのかな?‥と思いつつ、エンディングのクレジット見てたら、なんと大森美香&片岡敬司の、ゴールデン・コンビ@ニコニコじゃありませんか!!そうだったのね。毎晩見ますよ。なんなら新シリーズでもはじめて下さい。見ますので、全部。☆追記。今季ドラマ、『拝啓、父上様』、『演歌の女王』。この2本最高でした!!まだまだ日テレのあの路線は、目が離せません。
2007.03.26
月9の『のだめカンタービレ』。クラシック音楽を素材にしたという点では面白いけど、ドラマの内容それ自体には、さほど特筆するほどの斬新さも無いかなあ、と思ってました。いつものように恋愛話が中心で、どうせクラシック音楽なんてのは、ただのネタなんだろうと思ってたから。だから、このドラマに何か注目する点があるとすれば、それは唯一、音楽を担当する服部隆之が、どんなふうにクラシックを聴かせるかってことだけだと思ってました。でも、じつは、音楽を担当する服部隆之だけじゃなく、このドラマ全体が、クラシック音楽の魅せ方にかなりこだわってるってことが分かってきた。恋愛うんぬんじゃなく、クラシック音楽こそが、このドラマの中心なんですね。実際、関連のCDが、サントラ以外に4種類あって、さらには8枚組のBOXセットまで出るんだとか。このドラマの、クラシック音楽に賭ける本腰の入れようがうかがえる。フジテレビは、『ウォーターボーイズ』のときみたいに、『スウィングガールズ』のほうもドラマ化するのかな・・と思ってたけど、この上野樹里ちゃん主演のドラマで、あの映画よりはるかに魅力的に、音楽の楽しさを描けてると思います。ドラマの中でのクラシックの魅せ方も、難しかったり、堅苦しかったりするわけじゃなく、かといって、下手にクラシック音楽をポップにアレンジしすぎるわけでもなく、順当にクラシックの楽しさを表現してる。そこがいいと思う。学校のワイワイガヤガヤを舞台にしてるのも成功ですね。とくに若い視聴者は、こういう雰囲気が見てて楽しいだろうから。日本で、クラシック音楽を物語のモチーフにする場合は、ヨーロッパのように格調の高い雰囲気にしたり、情熱的なメロドラマにしたりするんじゃなく、むしろ、こういう舞台にするほうが合ってるかもしれません。それから、秋の月9といえば、終盤に向かってクリスマス・シーズンを意識することが多いけど、どうやら今年は、ベートーベンのシンフォニーあたりで盛り上がれそうな予感。モーツァルト100年の今年は、ウンザリするくらいモーツァルト一辺倒って感じだったけど、このドラマでは、さほどモーツァルトは目立ちません。圧倒的にロマン派の音楽が多い。じつは、わたし自身も、モーツァルトっていまいち浮世離れしすぎてて、のめりこみづらい。だから、やっぱり、年末にベートーベンが聴けるのは楽しいです。ロマン派の情熱でもって、過剰なまでの人生の喜怒哀楽を、これでもかと言うほどぶつけまくってほしいです!年末といえば「第九の合唱」だと思ってる人が多いけど、個人的には、第九なら2楽章のスケルツォのほうが冬っぽい。7番や8番ってのも、ものすごく冬の気分が盛り上がります。そりゃ織田裕二の唄う「ラストクリスマス」よりは、ベートーベンのシンフォニーのほうが、断然、盛り上がるだろうなあ・・・。◇ツヨシくんの『僕の生きる道』。シリーズ3作目ともなると、さすがにマンネリ化するんじゃないかと心配したけど、ますます難しいテーマに取り組んでます。難病をあつかったドラマは多いけど、このドラマは、その種のドラマとはまったく違ってる。主人公にたやすく共感できないから。最近の視聴者の中には、「作中の人物に共感できるかどうか」ってことを、ドラマの評価の基準にしてる人が多い気がするけど、このドラマの主人公は、最初から、視聴者の安易な共感というのを拒んでいます。だから、ドラマを見てる側は、この主人公に対して、どう共感していいか必然的に戸惑う。そもそも、主人公に恋愛感情があるのかどうかも分からないので、ドラマを「恋愛ドラマ」として見ていいのかどうかすら分からない。ただひたすら、主人公の「心」の内側を、注意深く見続けるしかない。そういう種類のドラマです。すごく果敢な挑戦をしてるなあと思います。
2006.11.18
前回の『熟年離婚』では、TBS『Mの悲劇』の脚本家と、NHK『義経』の渡&松坂ペアを借用して、ふてぶてしくも秀作をつくってみせたテレ朝でしたが、今回の『家族』も、期待にたがわない堂々の出来っぽい。橋本裕志の『熟年離婚』のときは、かなり「大振りな脚本」が、ひとつの魅力だったけど、今回は、かなりキッチリと緻密につくってある脚本だし、より「本物感」のただようドラマになってる気がします。どうやら今回も、ツヨシくんの『僕カノ2』あたりから、設定をあからさまに借用してるっぽい感じではあるけど、ドラマ自体の出来としては、こっちのほうが数段上回っているというほかありません。どっしりと安定感のある映像美や演出については、『熟年離婚』の流れをしっかり引き継いでますが、今回は、さらに、出演陣が迫力を増してます。渡哲也の存在感については今さら異論ないけど、竹野内豊を主演においた判断が、まず的中していると思う。そして、悠斗くん役の子の演技がまた素晴らしい。この3人がドラマをがっちりと作ってる。悠斗くん役の子の演技は、一見あどけないようでいて、じつは、かなりしっかりと演じてる。とくに、竹野内と悠斗君の2人のシーンは、ほとんどカットを割らずに、かなり長回しで撮ってある。この主演級の3人の「演技力」に多くを負う演出の手法が、ドラマに確かな力強さを与えてる感じがします。同じテレ朝には、夜中に『アンナさんのおまめ』ってのもあって、そっちのほうは、とても「正攻法」とは言いがたいキワモノドラマなんだけど、でも、わたしは、この『アンナさんのおまめ』のほうにも、ただならぬ迫力を感じてる。このドラマ自体については、ちょっとコメントしづらいけど、今後のテレ朝ドラマの可能性を感じさせるものがあります。今季は、いよいよテレ朝がドラマで抜きん出てきたかも知れません。
2006.11.07
☆ 日テレ:ギャルサーこれは間違いなく面白いドラマ。クドカン(『魔法使い』)的なハチャメチャさと、『野ブタ』的なヒューマニズムの世界。日テレの2つの経験が、この作品のなかに生きてる。スポ根ならぬ「ギャル根」ドラマ。一般の大人には理解しにくいギャルの世界を、独特な表現でとらえてしまうところには、『野ブタ』同様のウマさを感じる。しかも、ギャルの世界を常識的な尺度ではかるんじゃなく、わざわざテキサスからインディアンの尺度をもってきたのも笑える。ただ、最近、役者としてはいい演技をするなーと思ってた藤木直人が、今回の役柄で、路線を踏み間違えたりしなきゃいいんですが。(~~;;それだけが、ちょっと心配。『ギャルサー』の映像と演出のスタイルは、かなりザックリとした、ちょっと粗めな感じですね。テキサスの荒削りな乾いた風景を、渋谷の街に重ねてるのかもしれません。ここ数年の、日テレのスタイリッシュで繊細な雰囲気を、すこし変えてきたという点では、これもまた面白いかなとは思いますけど、なんとなく、まだテイストに安定感がない気もする。その点では、ちょっと完成度は低いかも。 ☆ テレ朝:てるてるあしたまた、テレ朝はノーチェックでした・・。『熟年離婚』のときに、テレ朝は、きっとTBSから橋本裕志 (『Mの悲劇』)をもってきたんだろうなと思った。そこからいうと、今回のナイト・ドラマ『てるてるあした』は、さしずめ、日テレの木皿泉(『すいか』&『野ブタ』)をもってきたって感じです。『すいか』の風景、『野ブタ』の寓話性。それと、映像の瑞々しさも、何となく日テレっぽい雰囲気だし。そういう意味で、テレ朝のドラマは、演出のスタイルに局としての独自性があるとは言いにくいんだけど、でも、作品そのものはしっかりつくってあるので、そこは評価できます。原作があるということも強味になると思うんだけど、脚本の面でも、『てるてるあした』のほうが、『すいか』よりむしろ安定してる。キャストの地味さ加減も、わたしにはうれしい。(~~)たぶん、今季のなかでは完成度の高い作品になりそう。 ☆ NHK:マチベンNHKは「よるドラ」をやめて「土曜ドラマ」を復活させました。その背後には、「軽いドラマ」から「重厚なドラマ」へ、という方針変更があったらしい。民放で『白い巨塔』が成功したということも、NHKは意識した模様です。じっさい最初の2作は、かつての「土曜ドラマ」の復活を強く印象づけるような、重厚な作りと内容でした。今回の『マチベン』も、社会的なテーマを扱った作品であることに変わりはありません。でも、わたしはひそかにこの作品を、「よるドラ」の続編を見るような気分で楽しんでる。「よるドラ」を思わせるようなテイストが、ドラマの端々に散りばめられてるから。わたしとしては、「よるドラ」の新作を見てるような気分なんです。そもそも、「よるドラは軽いドラマだった」みたいにいうけど、実際は、あの枠がたんなる「軽チャー路線」だったわけでもありません。社会的なメッセージをもってるものもあったし、わたしにはそういう作品への期待だってあった。表向き、「土曜ドラマの復活」とはいっても、NHKの製作スタッフの中には、ちゃんと「よるドラ」の経験が残ってるんだと思う。それが、今回の演出のスタイルの中にも出てるんだという気がします。なので、わたしにとっては、これは、「土曜ドラマ」じゃなく、むしろ「よるドラ」の新作です。(*~_~*)NHKとしては、かつての「土曜ドラマ」の重厚さと、「よるドラ」のテイストを踏まえて、ついでに、『白い巨塔』の脚本家もむかえてつくった3作目。それが、この『マチベン』ってことなんでしょうね。今後の「土曜ドラマ」がどういう路線へ進むのか、そのあたりも楽しみです。てなわけで、けっきょく今季も、注目ドラマは、日テレと、テレ朝と、NHK。・・いちおう、フジのドラマのことも書いておきます。フジの『アテンションプリーズ』は、やっぱり、JALのロゴを無理矢理インプットさせるだけのものに終わりそう。そう思ったら、ドラマそのものに対する興味も、なんだか薄らいでしまった。今週の、“キャビンアテンダントより整備の仕事のほうが大事”という話の内容も、それじたいは別に悪くないんだけど、ただ、日航にかぎって言えば、それ以前に、「組織論」とか「組合問題」とかにも切り込まないと、ほんとうに安全が担保された気分にはなれないわけですから。そこまで突っ込んだ話になれば、まだ興味も続くかもしれません。◆フジはこのほかに、『ブスの瞳に恋してる』と『医龍』もあります。どれも、悪い作品じゃないとは思うんだけど、これといって目をひくような斬新さもないというのが正直なところ。『ブスの瞳』は、ちょうど『電車男』の逆バージョンで、森三中の実話。ホリエモンを題材にした『恋に落ちたら』といい、2ちゃんねるをドラマ化した『電車男』といい、フジは、こういう時事ネタを物語に仕立てる目のつけどころは巧みだけど、逆にいうと、その話題性だけで終わるっていう虚しさも、なくはない。『アテンションプリーズ』も、けっきょくそのたぐいなんでしょうか。。。・・どうも、フジのドラマは、他局にくらべて後退してる気がしてなりません。すくなくとも、「月9をブランドみたいに自称したりするのは、もう恥ずかしいことなんだ」という認識ぐらいは、いい加減もたなきゃいけません。いまさら、だれも月9に特別な期待なんてしてないんですから。最後に、NHK朝ドラ『純情きらり』のことも。浅野妙子が昭和初期を舞台に描いてくドラマ。これといって、何の心配もなく、ポケーッと楽しんでるわけですが、今後の激動を考えると、大変だなー、とは思います。あの時代に、貧乏な田舎者が、音楽家を志望する、と。しかも、よりによって、戦中にジャズピアニストになりたいと。そのうえ、女だと。よほどの強烈な個性と、破天荒さと、自己中心的な論理がなきゃ成立しない、そういう人物の、波乱万丈な人生の物語を描かなきゃいけないのに、同時に「朝ドラ」のヒロインとしての可愛らしさも両立させなきゃいけないわけで。この難題を、いまのところ浅野妙子は無難にこなしてると思うけど、これからさらにパワーアップさせないと、時代の逆風を超えられませんから、そう考えると、やっぱり大変です。ところで、朝ドラのヒロインが、田舎を離れて都会に上京するというのは、今回もいつもと同じパターン。そして、「田舎編」の素朴な魅力にくらべて「都会編」の描写が変わり映えしない、ってのも、いつものパターン。でも、今回ばかりは、「都会編」にも期待してます。池袋モンパルナス。落葉松とマロニエ。上野周辺に住んでいた芸術家の卵たちの、猥雑で魅力的な日常。このへんに目をつける歴史ドラマ作家・浅野妙子は、さすがです。これなら、変わり映えのしない「都会編」にも、田舎に負けない魅力がありそう。ただし、それもこれも、「戦争」がぶっ壊していくわけですが。。。(ーー;)
2006.05.11
困ったことに、フジのドラマ『アテンションプリーズ』は、今季のなかではレベルの高いほうの作品じゃないかと思う。多くの視聴者が、このドラマに対して、いろんな意味で「うがった見方」をすると思うけど、実際、ドラマのほうも、そういう見方をされるだろうと心得て作ってあるみたいです。まあ、そうじゃなきゃ、この時期に平常心でJALのドラマなんか作れるわけがない。たしかに、いろんな関心から、つい見てしまうのは事実。ドラマの前面に「JAL」を出して強調してるけど、いまの時期にそれをやるってのは、ある意味、JALにとっても、フジにとっても、とても果敢な試みといえる。どういうつもりかは知らないけど‥。しかも、内容的にも、ますますJALへの信用を失くすような、そういう危なっかしい要素を含んだ物語になってる。そこらへんも含め、いろんな関心をもって見れてしまうドラマになってるとこが、なんとも扱いに困る作品だといえます。もし、そういう興味をあおることで、かえって「視聴率がとれる」なんて期待してるんなら、フジの、放送局としての倫理意識をうたがうし、逆に、ドラマひとつでイメージアップができると企んでるなら、もう、国交省はJALってところを廃業させたほうがいい。もともと、CMにしろ、ドラマにしろ、JALが派手なPRをやってるのを目にするたび、わたしは、この会社の飛行機に乗る気をいっそう失くしていく。たとえ、このドラマの内容が「自己批判」的な意味をもっていようと、逆に、結局「自己PR」的な意図しかもっていないとしても、そもそも、「この期に及んでドラマなんか作ってる場合じゃないだろ」という、JALへの不信は消えないわけですが、だからこそ、どうやらドラマのほうの出来が良さそうなのを見ると、なんとも困ってしまう。どう解釈すればよいのやら。このまんま、派手なPRをやりながら事故ばっかり起こしてるような、そういう会社でありつづけるつもりなのか‥。いずれにせよ、こんなドラマひとつで日航への信頼が回復できるなんて、そんなこと絶対にありえないことだとは断言しておくけど、とりあえず、このドラマで、フジとJALが何をやろうとしてるのかは、いまはまだ保留のままにして、今後のドラマの成り行きを眺めていこうと思います。
2006.04.18
◇野ブタ名作。実質的なクライマックスは第9話だったと思います。むしろ最終回は、「修二と彰」の物語はまだ続くって感じの内容でしたね。 ◇熟年離婚最終回の、ものすごく急速な収拾のつけかたが笑えました。橋本裕志らしくて。途中、なんでもありで滅茶苦茶にやらかした結果、最後に自分で収拾つかなくなってる様子がよく分かる(笑)『Mの悲劇』みたくラストが破綻していくのも面白いけど、あからさまに収束して、しぼんで終わってしまうラストってのも、この脚本家らしくて笑えます。悪い意味じゃありません。この脚本家には、躊躇せずに暴れてもらいたいので、いちいちラストの辻褄なんかを気にして、抑えのきいたドラマなんか作ってもらいたくないし、今後のドラマでも、ラストの辻褄なんか気にせずに、思うぞんぶんやらかしてください。◇大奥 華の乱反対に、ラストの内容がいちばん充実してたのは、このドラマ。さすがは浅野妙子。脚本の構成はすごく濃密だったと思う。ただ、構成的な脚本なだけに、中盤の展開が冗長だったかな・・。江波杏子は女の権力に飢えてた。小池栄子は身分に飢えてた。藤原紀香は将軍の寵愛に飢えて、お世継ぎの母になれない運命を恨んでた。北村一輝は将軍の栄光と欲望を妬んでたけど、谷原章介は欲にまみれたそういう人間の世界を恨んで、いっそ、花にでも生まれ変わりたいと思ってた。結局、どこにも幸福な人間なんていなくて、それぞれが何かに飢え、何かに嫉妬してた。綱吉は何もかもわかっていたんですね。母の欲望も、吉保の欲望も。そして自分自身は、何も欲するものがなくなってたんですね。去年の『ツヨシ版ツナヨシ』とは別の意味で、徳川綱吉にとっての「生類憐みの令」が、、不思議な説得力をもってうったえてくるようなドラマでした。構成の濃密さとともに、ああいう結末を作り出した歴史的想像力もスゴイです。実際、綱吉の最期の真相なんて、だれにも分からないわけだし、内山理名と田辺誠一の生涯も、謎に包まれたままなんだし。絶対ありえない話だとは言えないわけじゃ、なくもない・・。◇1リットルの涙最後に、主人公の墓前に集まってきたのは、彼女のメッセージに勇気づけられた読者の人たちだったのか、それとも、現実に彼女と同じ苦しみを抱えて生きる人たちだったのか、そのへんはちょっと分かりませんけど、いずれにしても、このドラマの、現実とフィクションとのリンクのさせ方が、あそこに象徴されてたように思います。でも、ドラマの中でいちばん感動したのは、錦戸くんが登場する「フィクション部分」だったかな・・。◇恋の時間なんとなく、これも見てました。どうしても、寧々ちゃんのキャラのほうに共感しやすくて、黒木瞳の、女性らしい優しさに欠けるキャラは共感しにくかったけど、最後のほうには、このドラマのメッセージがよく分かった。 一人でいると、時々すごく、頑張って生きてるなって思うときがある。 私って一生懸命やってるじゃないって、自分を誉めてあげたくなる。 一人でいて良かったなって思うのって、そういう時ぐらいかな。去年は「負け犬」とか「勝ち組」とかいう分類が流行って、それに惑わされて結婚したり離婚したりというブームもあったけど、実際は、勝ち組にも負け犬にも、それぞれの孤独や寂しさがあるってのが、このドラマでは描かれていました。どちらか一方の「勝ち」を描かなかいってことじたいに、吉田紀子の伝えたいメッセージがあった気がします。
2005.12.27
録ったビデオをチェックしきれなくて、いっぱいです。それで、ついつい見たいものからさきに見てしまって、後回しにしたドラマがどんどん溜まってしまう悪循環。まっさきに見てしまうのは、「野ブタ」と「1リットルの涙」です。「熟年離婚」も完走。「ハルカ」のほうのチェックもたまってるし、いずれ今季ドラマの総評もまとめて書きたいんですけど、今日は、とりあえず、もう最終回をのこすだけになった「野ブタ」について。◇まだ最終回が残ってますけど、9話を見た段階で、思いきって、名作 と言ってしまいましょう。想像力を呼び起こしながら、哲学的なテーマも問うような内容。“若者向けのドラマだからわかりやすく”というんじゃなく、むしろ青春ドラマだからこそ、想像力や、むずかしい問いも喚起する作品が必要なんだろうと思います。今回の登場人物の一人は、明らかに自殺してしまうような女の子。現実に存在する「絶望」の片鱗をかいまみせながら、かろうじて青春ドラマに救いを与えるための素晴らしい演出でした。一歩手前で、絶望の片鱗だけを見る。「絶望」について考えるためには想像力が必要だし、その点では、この一種寓話的な脚本というのは、とても印象的で、効果があったと思う。「絶望」というのは実際に存在するけど、でも、誰も落ちてなかった。ただ、人型だけが、草むらに残ってる。それを4人で見てる。このシーンが、そのことを象徴しています。最近は子供向けのドラマばかりで大人向けのドラマが少ないみたいなことがよく言われるけど、実際は、「大人向けのドラマ」のほうが、分かり易いメロドラマで構わないんです。むしろ、青春ドラマにこそ、むずかしいテーマが必要とされます。そういうものが、ここ10年20年間のドラマには欠けていたと思います。だから、いまの少年たちは、このドラマをむさぼるように見てます。
2005.12.13
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