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私の場合、誕生日がほぼ年末なので、自分にとっての1年を振り返るというのにややこしいことが無くてよい。今年はどんな年だったろう?表面的に特に何か大きな出来事があった、ということは無かった。極めて平凡な一年。でも、自分自身の中身については、随分色々なものが変わって来た一年だったようにも思う。そういう「変わり目」の年。表面的な大きな出来事が無かった故かもしれないし、そういう時期であったからかもしれない。いろいろ経験してきたこと、考えてきたことなど、今までに積み重ねてきたものが、自分自身の殻を少し破っているような感触がある。というか、一つのまとまったものとして自分を形作る方向へ向かっている気がする。木の年輪というのは、同じことを季節の変わり目ごとに繰り返してただ“大きく”なってきた証でしかなく、人間の“成長”とは随分違うような気がする。人間の場合の成長は、質的な転換が大きな意味を持つから。とはいえ、後からある人間の一生を見たときには、一つの個性の形に向かって少しずつ近づいているに過ぎず、そういう意味では木の年輪と変わらないようなものなのかもしれない。今年は自分にとって、この年輪がわりあい「くっきり」と見えた年だったのかもしれない。なんとなく、そんな気がする今日なのである。この日記を読んでくださっている方々へ。私は明日より正月3日まで、沖縄県の宮古郡にある水納島というところで年越しをしてきます。そんなわけで日記はしばしお休み。今年一年お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。それでは良いお年を。
2003年12月27日
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この前の日曜日、映画を2本見てきた。『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』『10ミニッツ・オールダー イデアの森』15人の映画監督たちが各自10分の持ち時間で作品を作り、集めたもの。日本ではミニシアター中心に知られてきた監督たちの小品群である。彼らの作品を知っているかどうかで楽しみ方は違うかもしれないけど、それでも、素晴らしいことにかわりは無い。特に『人生のメビウス』。それも、ビクトル・エリセの1本は、たった10分にもかかわらず、そこらにはき捨てるほどにある“映画作品”とは比較のしようの無いほど素晴らしいものだった。語りだすときりが無い。日記の本題に移る。この作品を見てあらためて思ったのは、あるべきところにいない、本来欠かせないはずのものであった人の不在、である。2人いる。一人は俳優。マッティ・ペロンパー。フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の作品に常連だった人だ。彼の持つ表情。冷たい社会に対して“苦虫を噛み潰した”ような。愚かだけど暖かい隣人に対して“友愛を感じている”ような。上手く行かない人生に“仕方ないさとあきらめた”ような。そばにいる愛する人に“君がいれば十分さ”と満足しているような。カウリスマキ監督の作品世界に、絶対に欠かせない人だったと思わずにいられない。私は初めはこの俳優さんが好きではなかった。でも、いつからこう思うようになったのだろう? 最新の長編と今回で起用された俳優さんも悪くは無い。でも、数々のカウリスマキ作品を見るにつけ、やはり作品世界が生き生きとするのは彼の存在のおかげだと思う。わずか10分の間、彼が主役だったら、と頭の中で映像を彼の姿に置き換えながら見てしまう自分がいた。もう一人は監督。クシシュトフ・キェシロフスキ。ポーランドの監督である。極限において初めて感じられる真実と人の暖かみ、とでもいうものを描き、運命という観点から人生について作品の中で考えつづけてきた人。「人生」および「時間」をテーマとした今回の両作品のどちらにおいても、彼の存在はまさしく「はまって」いたハズだったと思わずにいられない。そして思う。彼らが平均寿命に比して“早く”に亡くなってしまったこと。その彼らの「不在」は、ある意味でこの「人生」および「時間」という作品のテーマを際立たせるものになっているとも考えられる。存在しなければならない、欠かせない大切な人が、今このときに、自分の前で不在であるということの意味・・・。そんなことを考えられるのは、長くこうした監督たちの作品を見てきた者としての特権であり、誇りでもあるように感じられた。そして、作品を制作する素晴らしい監督たちはもちろん、こうした決して儲からない(と思われる)作品群を供給してくれるプロデューサーや配給者の方々への恩は尽きない。これを読んでくださっている方々へ。この両作品。ぜひ見てみて欲しい。どれか一つでも、心にひっかかるものがあるハズです。そして、以上に書いてきたようなこと。当然のことながら、自分自身の人生について考えさせてくれるものでもある。
2003年12月26日
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1カ月に1-2回くらいテニスをやっているが、それを「私は運動しています」と言えるかどうかは微妙だけれど、まったく運動しない人に比べればマシな方だろう。だが、たまにバドミントンをやったりすると、思わぬところが筋肉痛になって驚いたりする(あばら骨の間とか)。普段はその存在なんか意識もせず、たいして使っていない筋肉もあるらしい。アタマもそうらしい。いつも使っていないところを使おうとすると四苦八苦する(苦笑)。長々と考えた挙句、自覚すら十分できず、相手の気持ちにもまったく届いていないような気がしてくる。普段から意識して体もアタマも使わにゃならん、ということで・・・。
2003年12月20日
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今夜は冬らしく星空がきれいだった。シリウスにリゲル、プロキオン・・・。美しい星々につけられた名は、それぞれに意味があるのだろうけど、それよりなにより音の響きの良さが好き。もしとんでもない意味だったとしても(笑)。先日読んだ文章には、言葉について、表意のための役割だけでなく、音としての「響き」の大切さが論じられていた。耳に響く音というのは、とても大事なものなんですね。夜空を眺めながら、そんなことを少し考えてみる・・・。
2003年12月19日
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健康診断の結果が返ってきた。私はあまり体力がある方ではないが、基本的には健康優良人間のつもりである。特に問題のある結果をもらったことは、たぶん無い。一例あるとすれば、尿管結石のときに血尿が出ていたことだが、これはすでにわかっていたことだったし。あと、なんでか知らないけど白血球が少ないらしくて、これが平均レベルを下回って、いつも「要観察」になるくらいだ。今回も、基本的には問題なかった。ただ、いくつか要観察項目が出ていた。それが何かと言うと、・中性脂肪・血糖値だったのだ。「ありゃ~、こんなところまで“オヤジ化”が進行してんのかぁ?」と思って数値を良く見たら、なんと平均レベルを“下回って”いた・・・。栄養が足りないんか???それなら、甘いものも遠慮無しに行かせて頂くぜ!(笑)
2003年12月18日
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出張や旅行のときはつけていないけれど、それ以外は欠かさず書いてきたこの日記。ライコス時代も含め、今日で一周年かな?ちゃんと続くもんだねぇ。やはり「書く」という行為はなかなか大事だなと、思い返すとそんな感じがする。自分の中で漠然としていた「思い」が、きちんとした思考としてまとまる気がする。また、書いているうちに浮かんでくる新たな思いがあったりもするし。それから、こうして「公開」の場で書くということは、単に私的な“日記”というよりは、読者に対して私から伝えたいことの発信でもあるわけだ。自分の中のそういう意識を育てる上でも、なかなか有意義であると思う。今までの日記を軽く振ってみたけれど、その視線と思考の軌跡を辿ることはやはり意味があるようだ。これからも、当分続けていこうと思う。
2003年12月17日
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ものすごい風の吹き付ける川の現場は、陽射しの暖かさなど軽く吹っ飛んでしまい、めちゃくちゃ寒かった。その一方。何人もの方から頂いた言葉は、とても心温まるものだった。ほんとに有難いことです。
2003年12月16日
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しながわ水族館に行って来た。正直に言えば、期待ほどではなかった。悪くは無いけれど、あの規模ならもっとやりたいことに集中した方が良いような気がする。ちょっと欲張りすぎかなぁ。別に回遊水槽やトンネルを無理に作らなくても良いのに・・・。せっかくまじめな解説なんかもつけてあるんだから、そういう部分に興味を持ってもらうための展示を工夫して欲しいな。アシカの演技はすごいし楽しかったけど、やっぱり、特に何をするでもないペンギンのわずかな挙措動作を眺めている方が、飽きないし楽しいと思う。アシカやイルカが“演技”できる能力を持つことを見せるのは、彼らの魅力を紹介する上ではそれなりに意味があると思うけど、もうちょっと教養的なところまで言及してくれると嬉しいな。そういう彼らの能力が、彼らの生きている世界の中でどういう意味があるのか?、ってね。ほんのちょっとは、そういうお話もあったけど。ペンギンなんかは、“瞑想”(笑)していたり、二羽で毛づくろいをしていたりというような、見ているだけで楽しいような行動をとってくれるのだから、そういうところからいろんな話を展開して見せてくれるような展示だと、もっと良いと思うんだけど。・・・すごく大変だろうけど、やっぱり楽しそうな職場だよな、って、思ってしまうな(笑)。
2003年12月14日
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だいぶ腰の痛みは引いてきたものの、今日は予定していたテニスをキャンセルして、家でおとなしくしていた(あ、写真の方のHP、少し更新しました)。医者に見てもらったところ、とりあえず骨などに異常は無く、まぁ心配ないだろうということで一安心。そんなわけで、ほんとなら友達とわいわい飲み食いしていたはずだったけれど、今日の夕食はいつもの定食屋さん(その2)へ行くこととなった。で・・・太刀魚の塩焼きが美味かった!!あ、書こうと思った話題と違う(笑)。ここのおばちゃんはなかなか個性的な人で、世の物事に対しての“一言”やらご自身の日々の生活および昔の“武勇伝”などなど、いろいろお話してくれるのでなかなか楽しい。もっとも、私の場合は、おばちゃんと他のお客さんが話しているのを、横で新聞を読みながら聞いていることが多いのだが。今日は私しか客がいなかったので、いつもより少し多めにお話を聞き、話した。そこで印象的だったのが、こんな話。おばちゃんが、初めてのお子さんを産んだときのこと。無事出産の翌日、旦那さんから何か欲しいものは無いかと聞かれ、こう言ったそうだ。「タバコを1本ちょうだい」かっこいい!!私は個人的にタバコは嫌いだし(吸ったことすらない)、公衆の中や嫌いな人のそばで平気で吸える人を軽蔑しているから、間違いなくタバコに対してネガティブな意識をもっているけれど(体に害にならない程度で他人の迷惑にならないように嗜むのは、もちろんどうぞご自由に、とは思っているけれど)、この話は良いな~と思った。ちなみに、すごく美味しかったそうです。
2003年12月13日
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新聞で目にした断片的な記事は、おもわず考えさせられるものだった。断片的な記事だから、関連して存在する膨大な(と思われる)背景事情はまったくわからない上で、出来事の表面だけから思ったことを少し書く。先月、埼玉県の川で、おぼれそうになった子供を助けようとして、逆に水死してしまった人がいたらしい。その人の遺族には県警から条例に基づく給付金が、県からは弔慰金が、市からは表彰状が送られたらしい。私が考え込んだのは、この亡くなった方が「不法入国」の中国の方である、ということだったからだ。だから支給すべきでない、ではもちろんなくて、県警ほかがそう判断したように、支給対象となるのはその「行為」であるから、そのことは当然だろう。戸惑ったのは、一つには、日本の行政や警察にもこうした判断をできる“能力”があるということが驚きであったから。喜ばしいことだとも思うし、逆にそれくらいのことをいちいち「喜ばしい」なんて思わなきゃならないのは嘆かわしいとも言える(この件が東京で起きていたら、某都知事はどう判断するだろう??)。それからもう一つ。これが日記に書いている理由でもあり、考え込まされた大きな理由。子供を助けようとした彼は、そのとき一体どういう思考をもったのだろうか? 不法入国している身分で、たとえ“善行”にせよ、目立つ行為を行うことに躊躇はなかったのだろうか?おそらく無かったのだろう。自分だったらどうだろう? 溺れた子供を目の前にしたとき、自分の立場を考えることも無く「飛び込む」とはとても思えない(いや、日本にいても怪しいだろう。たぶん、119番通報するくらいが関の山ではないか??)。記事を読んだとき、「自分だったら少なくとも考える「間」があるだろうな」と思い、その後、「そもそもこうして助けに行く人は、いろいろな行動をするに当たって、こうした「間」自体が介在しないんじゃないか?」とも思った。この差は大きいし、おそらく、自分がこういう「間」を持つ人間であるということに、自分自身でコンプレックスがあると思う。そもそも「不法入国」ということに、どの程度の「罪」が問えるのだろう?例えば「住居侵入」は明らかに他者の領域の侵害だけれど、「国境」というのはどうだろう? そのことの意味は、テオ・アンゲロプロス監督がさまざまな映画作品で問いつづけているテーマだが、ある地球表面に恣意的に引かれた(時には見えない)「線」を「またぐ」という行為に何の罪があるのだろう?(もちろん、問われているのはその線を越えた先での「行為」にあるわけだが、それを問うか問わないかの“資格”が線の向こう側とこちら側のどちらに属するかだけで変わるのはどういうことだろう?)人は地球上をどこへ行くのも自由ではないのだろうか?それはヒトという生物種の特性から見ても、人類史的な観点から見ても、とても人間らしい行為のような気がするが。そして、目の前の溺れた同種のコドモを見たときに、躊躇せず「助ける」という行為を選択するのも、とても人間らしいことだと思う。
2003年12月12日
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今日は政治ネタなどではない(笑)。無意識に痛い腰をかばって変な姿勢で寝ていたのかどうかはわからないが、朝起きたら、今度は背骨までなんだか痛くなっていた。ここんとこ、日記で悪口ばかり書いていたバチだろうか?(苦笑)昨日あった良いことも書いておこう。昨日の夜はサッカーの日韓戦があったので、夕飯は簡単に済まそうとパンにした。コンビニではなく、パン屋さんに行った。このパン屋さんはたまに「おまけ」をしてくれるのだが、昨日は2つもおまけのパンをくれた(3つしか買ってないのに(笑))。おっちゃん、ありがとね。なんだかすごく良い気分だったよ。こういうささやかな買い物も、良いもんだ~。・・・やっぱ医者行こうかな?(今度の土曜のテニスはキャンセルした。日曜のオフ会にいけなかったら笑ってやって下さい)
2003年12月11日
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阪神ファンなら絶対に忘れないことがある。かつて阪神にはランディ・バースという素晴らしいバッターがいた。その彼がシーズン最多ホームランの記録に達しようかという時に、対戦した巨人は“優勝争いにも関係なく”、“タイトル争いをする打者が自球団にいたわけでもなく”、ただ単に記録保持者の巨人OBの王氏に“配慮”して、彼のすべての打席を「敬遠」に処したのだ。私はこのことを、ボケない限りは一生忘れないと思うし、このことだけで巨人というチームを嫌いつづけることができるだろう(まぁ、似たようなことはどこのチームでもやるもんだけどね。あと、どうでもいいけど、何で巨人だけ「巨人」って呼ばれるのかね? 「読売」でなく。Jリーグでは「ヴェルディに「読売」をつけて呼ばせろ!」ってさんざん駄々こねたくせに。それにしても、あそこの会長と自分の姓が同じってのも腹立たしい。だいたい渡辺姓の有名人ってロクなのがいないんだよなぁ。田中も鈴木も佐藤も高橋も首相経験者いるのに、渡辺はいないし・・・。あ、でも、これは誇るべきなのかな?(苦笑))。(前置きが長い・・・)どうやら来シーズンから、今シーズンまで近鉄で活躍していたタフィ・ローズ選手が巨人に行くらしい。彼がセ・リーグで、巨人で活躍できる確率はさておき、可能性としてはホームラン・タイトルを取れるケースは十分考えられるだろう。そこでだ。もし、彼がシーズン最多ホームランの記録に差し掛かったとしたら、巨人はどうするだろう?これがもし、生え抜きの松井だったらなんの躊躇も無いだろう。ひたすら応援するだろうね。だがしかし、金にあかせて連れてきた助っ人の外人さんとなるとどうだろう?なるべく微妙な状況設定で考えてみよう。下記の全てに該当する状況になったら、どうするだろうか?・巨人の優勝がとっくに決まっているか、逆に早々に脱落しており、あとは消化試合である。・ホームラン・タイトルのレースはローズが独走状態でほぼ決まりである。・残り試合があと3試合程度である。もし一つ目のケースで「巨人の優勝が決まっている」場合には、私の予想としては「日本シリーズの重要な戦力であるローズを、消化試合で怪我などさせるわけには行かない」とか言って試合に出さないのではないかと思う。逆の場合は微妙かなぁ。相当悪意を持って見れば、なんだか適当な理由つけて試合には出さず、お金で解決するんじゃないだろか。もしローズが試合に出てこず、不機嫌そうにしていたらその可能性大と私は睨むけれど。そんなわけで、「ローズがんばれ!!」(すげー屈折した応援・・・)
2003年12月10日
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首相の会見要旨を踏まえて。1.「自衛隊はイラクの人道復興支援のために活動する」 人道復興支援(*この言葉、特に“人道”とわざわざつけることに対する違和感は具体には指摘しないでおく)に自衛隊の活用が有効なのか否かを議論する必要があると言われていたのではなかったか? 国民が納得していないのは説明不足だからであり、国会で議論すべきをしなかったのは努力不足というよりは卑怯であろう。「時間がない」という言い訳は、これまでに相応の努力を払った者のみが使えるものであるはずだ。2.「安定した民主的政権をつくるために、自衛隊も含めた人的支援が必要だと判断した」 誰もが納得できる「民主的政権をつくるための構想」づくりが先であって、そのなかで具体的な作業と手順を踏まえ、日本がやるべき人的支援を考えるのが普通の段取りだろう。なぜ現時点で「人的支援=自衛隊派遣」となるのか? そもそも「民主的政権」構想すらうまくまとまらない現実が何に起因していると考えているのか? その問題認識と課題解決への努力無しに、いきなりの「自衛隊派遣」でうまくいくとでも思っているのか?(どうせうまく行かないけどアメリカ向けの格好だけつくし、傷がついたとしても浅く済むから今後の自衛隊活用の幅が広がることのプラスの方が大きい、なんてことを考えているなら、自衛隊に対して失礼どころか、イラク国民を侮辱している!)3.「日米同盟と国際協調が日本外交の基本だ」 それはそれとして認めるとして、アメリカの行為が国際協調と相反していることをどう考えるのか? それに対して日本として何をすべきかを考えた上での「外交」じゃないのか? ついでに言えば、「ブッシュ政権=未来永劫継続するアメリカ」ではないだろう。4.「米国は日本の同盟国で、日本も信頼に足る同盟国でなければならない」 自分にとって信頼できる友人とは、自分の言うことを何でも「はいはい」と聞いてくれる人だろうか?5.「奥克彦大使、井ノ上正盛書記官が非業の死を遂げられた。我々はこの悲しみを乗り越えて何ができるか真剣に考えなければならない」 その前に、なぜそのような事態が起こってしまったかの原因の把握(と責任の追及)をすべきではないのか? 過去の日本に典型的だった二百三高地に象徴されるような馬鹿げた“突撃行為”を、ここでまた繰り返して屍を重ねるつもりではないでしょうね?6.「派遣に反対の意見や憲法違反という声も聞く。しかし、憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められている」 「しかし」の前後の言葉につながりがない。後者は一般論としての正論であり、前者はそのための方法論のひとつに過ぎない。方法論を議論すべきなのではなかったのか? 初めから選択肢がなく、両者を一体として考えているなら思考方法に問題がある(政治家としての適性がない)。7.「日本国の理念、国家としての意思が問われている。日本国民の精神が試されている」 そのとおりである。今回の決定は、それを自信をもって言えるだけの裏づけを与えられたと思っているのか? 十分な情報を提供し、必要な議論をつくした上で、自らの信念と照らし合わせた上で決断を下すのが政治責任者としてのつとめではないのか?8.「イラクの復興・人道支援に協力しイラク国民から評価されるような活動をする、それを果たすのが私の政治責任だ」 その言葉を忘れないように。その前に、「イラク国民から評価される」という内容をあらかじめ定義しておくように(マニフェストである)。少なくとも「○%のイラク国民から肯定的評価を得る」といった形で。間違っても「アメリカの誰某が「日本はイラク国民のために良くやってくれた」と言ってくれた」なんてことで「評価された」なんて言わないように。蛇足ついでに言えば、最終的に日本国民が評価して、初めて「責任が全うされた」ことになるのですからね。9.「開戦の際の意見対立は乗り越えて、国連は全会一致で加盟国に対して復興支援の努力を要請した」 その具体的内容と手順まで合意し、一致して協力する体制になっているとは思えないが。10.「国際社会が協力してイラクに安定した民主政権をつくるために努力しなかったら、もっと泥沼化する」 これも一般論。問題は方法論。11.「フセイン政権が自国民に大量破壊兵器を使ったことは多くの事実が証明している。国連決議をフセイン政権が尊重していれば戦争は起こっていないはずだ」 「証明」というのは、誰もが納得できる形で説明されてはじめて使える言葉である。そうではないから議論になったのではなかったか? 戦争を起こしたのはフセイン政権ではなく米英のはずだ。戦争ではない形での決議履行を迫る別な方法も模索されていたはずだ。それに、決議の不履行があった場合に武力による政権打倒をするべきだとするなら、対象としてはイスラエルが先だ。12.「国際社会でテロを撲滅しようとしている時、テロに屈してはならない」 テロが何故起きるのかの原因を把握し、それに対処しなければテロの撲滅は出来ない。テロリストを殺害することはテロリストを増やすことにしかならない。そのことはイスラエルが“証明”している(*これは誰もが納得できる形での説明になっているはずだ)。13.「日本は戦争にいくのではない」 何をしに行くかはともかく、行くのは「自衛隊」ではなく「日本」すなわち我々自身であるという認識を持つべきというのは正しい。我々自身が彼らにどう見られるかということを、きちんと考える必要がある。人が人に対して何かをするときに、大切なことはなんなのかを。
2003年12月09日
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今度の年末年始は例によって沖縄に行くのだが、そのことを話していたら、沖縄そばが食べたくなってしまった。ので、昨日、銀座のわしたショップ(沖縄県観光物産館)でそばとソーキ(軟骨付の豚肉を煮たもの)を買ってきた。さきほど大阪出張から戻り、今晩の夕食に。やっぱ美味いけど、うちにはコーレーグース(島唐辛子の泡盛漬け・・・香辛料・・・そばにかけるとふた味くらい違う!)がないので、ちょっと物足りない。一緒に買ってきたジーマーミ豆腐(落花生豆腐)は美味しかったけど・・・。やっぱ、沖縄の空気の中で、オリオンビールやら泡盛やらの酒と一緒に食べたいなぁ。ゴーヤー(苦瓜)も食べたい・・・。う~ん。はよ行きたい!!
2003年12月08日
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ということで、昨日テニスで痛んだ腰は、いまだ回復せず・・・。今日は都心にて、とある試験があったので、そのまま午後は映画&買い物にでもと目論んでいたのだが、あちこち歩き回ろうという状態ではなく・・・。まぁ、動けるだけマシか。明日は出張だけど、会社で椅子に座っているよりは、新幹線の移動の方が楽かな?そういえば、東海道新幹線の車内放送の時の曲が変わってたっけな。ああいうの、変わってすぐって、なんだか落ち着かないよなぁ。頭の中で、あらかじめ流れてくるメロディーと、実際のものが違うんだもん。はぁ。今日は早く寝よっと。
2003年12月07日
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テニスを4時間ほどやった。2時間過ぎたくらいから、どうも腰が・・・痛くなって(苦笑)。う~ん。年だよ、と言われても反論できん・・・。明日ちゃんと起きれるかな?体力の低下、頭の老化に加え、ついに局所的な問題まで。あかんあかん。軽症であることを祈る!!
2003年12月06日
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仕事で数回ご一緒した方が、沖縄出身の方だということを知った。言われてみれば、風貌にしても苗字にしても、まさに“沖縄”の人だ。“狂ってる”というほどではないにしても、「沖縄好き」を自認して何度も沖縄に行っている自分としては、そのことに気づかなかったのがちょっとだけショックだった(苦笑)。それって、相手をちゃんと見てないってことだもんなぁ。仕事の関係者ということで、その部分でしかその人のことを見ていなかった気がする。そう思ってみると、いろんな場面で遭遇する人たちに対しても、その「関係」の中でしか相手を見ていない、つまり相手を「役割を持ったもの」としてしか見ていないということで、極論すれば機械を見ているのと大差ないのではないか、と思ったりもしたわけである。それ以前に、いろんな歴史と背景を持った「人」と接しているのだ、ということを、もっと意識することが必要だなぁと、考えてみればあたりまえのことを自覚させられた出来事であった。旅先の宿でも、宿の人とお話したりすると楽しいもんな。そういうことが、もっといろんな場面であった方が良いもんな。
2003年12月05日
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今日のサッカーを見ていて、あらためてそんなことを考えた。欧州のリーグにいる人たちはいない。相手は今年何度も対戦したアフリカ勢ではなくて中国。試された新しいシステム。やっぱり燃えるものがあるだろうなぁ・・・。良い試合だったと思う。サッカーのゲームとしては、この前のカメルーン戦の方が格段に面白かった。タイプの全く異なる、実力的に拮抗した相手。攻守の切り替えの早い展開。ヒリヒリするような緊張感のある、手に汗握るゲーム。それに対して今日は、日本のサポーターとしてゆったり見ていられる試合。選手達の想いとは別に、チームとしては冷静にクレバーにやれていたと思う。今後のW杯アジア予選にむけて、この大会は大事だと思う。実質的に韓国との1位争いだろうけど、韓国相手の勝敗はどっちに転んでもおかしくないから、そこにこだわってもあまり仕方ないと思う。それよりも、ある意味では、そこに至るまでの今日の試合と日曜の香港戦が重要だと思う。とりあえず、今日は良い形だった。次も頑張れ~!!
2003年12月04日
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朝起きたら重い空だった。天気予報では午前・午後とも「降水確率10%」ということで、まぁ「雨は降りません」と言っていたわけだが、何度か“痛い目”にあっていた私としては、「今日はアヤシイ!」とにらんで・・・。洗濯物は部屋に干したのだ。そして日中。「晴れ」だよ・・・・。
2003年12月03日
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私が現在住んでいる東京都日野市は「新撰組」のゆかりの地で、来年のNHKのドラマ関連でなんだか盛り上がりつつあるようだ。私自身はこの地の生まれでも育ちでも無いし、あまり共感するところは無い。彼らの旗印は、そのまま私の名前でもあるんだけれど(苦笑)。そもそも、新撰組という組織と構成員が、なぜにあれほど人気があるのかが良くわからない。私自身の知識は教科書レベルのものと司馬遼太郎の小説から得たものだけれど、どちらかというと嫌悪感を感じるくらいだ。世の中を広く見る目も無く、歴史観も無く、一度動き始めたら自身の行為を冷静にかえりみることも無く、ただ組織の行動原理だけが肥大化していっただけの殺し屋集団としか思えない。はっきり言えば、テロリストだろう。「なんとか殉教者団」とか言われている組織と何が違うんだろう? 日本人で「なんとか殉教者団」を好ましく思う人なんていないだろう。この矛盾はなんなんだろう?多くの日本人は、行為の是非ということよりも、ある目的のために(プロセスの熟度はともかく)無私の境地に至った人たちが集まって、純度の高い固い組織を形成し、その目的のために組織ごと華々しく散っていく、という「行動様式」が好きなんだろうな。忠臣蔵にしても新撰組にしても白虎隊にしても。私はどれも嫌いだもんな(苦笑)。個人レベルでも、司馬さんの小説を読んでいて私が惹かれるのは大久保利通とか児玉源太郎とかだけど、彼らは一般には人気が無いどころか嫌われがちだし、人気で言えば西郷隆盛とか乃木希典の方が比較にならないくらい圧倒的だもんなぁ。今日も、大変人気のある某都知事(某?)が、「自衛隊が攻撃されたら、堂々と反撃すれば良い」とか言っていたとか。新聞の断片的な記事で読んだだけで発言の前後関係もわからないけれど、この部分だけ取り上げて反論するとすれば、「そんな考え方だからイスラエルとパレスチナはいつまでも事態が改善しないんじゃないか」となる。この人のこういうものの考え方は、いろいろな分野でも出てくるので、私はこの人が嫌いである。一方で、そのイスラエルとパレスチナ間で、「ジュネーブ合意」の合意式典が行われたらしい。たとえ党利党略的な裏があるとしても、こうして多様な考え方が出てくるというのは良いことだ。それは今の合州国にしてもそうだと言えるだろう。それに対して日本はどうか? 意見ははっきりせず、曖昧な態度のまま状況だけ眺めて大勢への迎合と責任回避・・・主張と実質協議は裏で、という政治家が(特に与党で)なんて多いことか。そういう意味では、私は某都知事の意見には賛成しないけれど、彼の政治家としての姿勢は評価している。ただ、彼は反対論者に「議論」の態度でなく「攻撃」の態度をとるので、人間としては評価しない。(注:ここまで言うのは、彼が「政治家」という、そこまで批評されるべき立場にあるからである。もちろん、本人に面と向かって言えるだけのつもりがあって書いている。逆に、いくら個人的な関係が無くても、TVに頻繁に出てくるというだけで目につく人を、ここまで批判することは無いだろう)あ~、なんかこういう日記ばかり書いていると疲れるなぁ(苦笑)。
2003年12月02日
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お悔やみ申し上げます。ついに日本の外交官が殺害されてしまった。あらためて「日本の」と強調することの意味合いがどの程度あるかわからないけれど、ここで確実に「私」も「対象」として明確に位置付けられたという段階だけは見て取れる(こんな風に、客観的な言い方で自分に認識を迫らなければならないこと自体が問題ともいえるだろうけれど、それはある程度は仕方が無いのだろうか・・・)。いつの時代でも、どんな場においても、上に立つ者の愚かな判断で割を食うのは下の者たちだ。哀しく、やりきれない。しかも、上に立つ者に自責の念すらほとんど見受けられないのが腹立たしい。それは単に「反省」という意味だけではなく、なぜこんな事態になったのかということが理解できていない、という意味も含めて。数日前、飲酒運転で免許停止中の男が、無免許状態で再び飲酒運転をして、警察に追われた挙句に事故を起こし、少年を死に至らしめたという事件があった。この「殺人犯」と、今の政治責任者にどれほどの本質的な違いがあると言うのだろう?「そんなことをしていたら、あなたのせいで無関係な人が死ぬに決まっているじゃないか! そういう自覚が無いのか?!」そういう人を政治責任者に選んだ我々は、さしずめこの「殺人犯」と一緒に酒を飲んでいたバカモノたちといったところか??例えば、病気を治すのに、病巣のある部位を丸ごと取ったら生きられないし、体質に合わない移植は拒否反応を示すし、人工のものに変えれば済むというものでもない。また、対症的に薬で押さえても、本質的な治癒にはならない。一番大切なのは、病気の原因を把握して、それを取り除き、再発しないようにすることだ。例えガンだろうが風邪だろうが、基本的には同じだろう。テロリズムは「病気の原因」ではなくて「病気」だと思う。なぜそうした考え方が生まれ、その行為が可能となるような土壌が醸成されるのかを考えるべきだろう。テロリストの存在が原因で自分たちが「病気」になっている、と考えるのは間違っていると思う。しかも、その病気は自らの体に内因は全く無く、純粋に外からの「異物」によるものとして認識しているし・・・(私には、テロリズムという病気がアメリカという国にも「うつって」いるように見えるけれど)。それとも、病気は病人ごと排除すれば良いと言うのだろうか?そういえば、日本では某宗教団体をどんな風に扱っていただろうか・・・。いかにも聞こえの良い、感情に訴える調子の、“一般論の域を越えない”正論を振りかざし、それと何の関連も無い「自己主張」をさも論理的な一貫性があるかのごとくに発する声高の言には気をつけよう。
2003年12月01日
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