ウンとかスンとか mamatamの日記

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2011.08.23
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カテゴリ: あの頃
わたしの時期外れの巣立ちのお話(8月10日の日記)は

未完のまま尻切れトンボで終わってしまい、
薹のたった雛はたった2年で親の巣に舞い戻りました。

あの頃のわたしは、親は喜んでいると決め込んでいましたが、
今、改めて考えてみると、果たしてそうかな?と思います。

わたしの帰巣を喜んではいなかったとしても、
わたしが家を出たいと言い出した時の
両親の混乱は相当なものだったと思います。


見えたのですから、動物番組だったら、「よかったね」と
ナレーションが流れる場面でしょう。

でも、人間の親は動物のようにすっきりとは行かないもの、
それは自分の経験でも痛いほどわかります。

ましてやその頃の風潮だと、30を過ぎたいい大人でも、
独身の娘が家を出て独り住まいをするのを
すんなり許す親はほとんどいませんでした。

親が子を放さなければ子どもは親から離れていけないのですから、
子の巣立ちは親の子放れと表裏一体です。
わたしが、自分の行く末が心配だからと母を説得したのは、
ある意味、母の子育て哲学を直撃する論法でした。


放してくれました。
言い出したら聞かない娘だからと言っていましたが、
そんなヤワな理由だけで動く母ではありません。
母は大正生まれの普通の「お母さん」でしたから、
特に立派な子育て哲学を持っていたとは思いませんが、

父は「子育ては妻任せ」でしたから、
もちろん心配だったでしょうが、母を信頼してか、
わたしとのイザコザを恐れてか、許してくれました。

その頃のわたしは、ノーテンキにも
作戦成功!OKしてくれてよかった!!としか思わず、
この両親のすごさが初めてわかったのは、
自分が親になって子どもを育て始めてからでした。

わたしには、3歳年下の弟がいます。
弟も、実家の改築のために1年ほどアパート暮らしをした
ことがありましたが、この時は、母が家のすぐそばに
部屋を見つけてきました。
教員としてすでに働いていた弟は、職場から家に帰って
食事や入浴をし、自分のアパートに帰る暮らしでした。

わたしが実家に戻り、やがて結婚して家を出た
その数年後に、彼も、都下の高校に転勤になり、
通勤に便利で、実家にも帰りやすい都心の
マンションを買って家を出ました。

弟はとても優しくて、
週末には残業があっても、飲みで遅くなっても
必ず実家に帰り、月曜日の朝に実家から
出勤していました。

両親が亡くなった後、弟に聞いてみたら、
自分が決めてそうしていただけで、
両親がそれを言ったことはなかったそうです。

わたしたちは、二人だけの姉弟です。
つまり、弟は長男、わたしは一人娘でした。
大正生まれの両親にとっては、二人が家を出るのは
相当高い壁だったでしょうが、
2人の子どもを二人とも放したのです。

そういう部分は、ホントにすごい親だったと思います。

後になって考えたら、
わたしが2年暮らした部屋には、
入居と退去の時の2度、引っ越し荷物を運ぶために
父が来てくれただけで、
万が一の用心のために、母には鍵も渡しておいたのに、
一度も来ませんでした。

その後結婚して住んだマンションは、
同じ区内で近かったせいもあるでしょうが、
夫が1年の半分は出張でいないのを気遣ってか、
父も母も頻繁に来てくれて、
わたしの子育てをずいぶん応援してくれました。

弟の場合は逆で、
最初に住んだアパートには、母が毎日のように通って
掃除や洗濯をしていました。
ところが、その後住んだマンションには
両親はほとんど行ったことがなかったようです。

これも、何か考えがあったのだろうかと今にして
思いますが、もう尋ねるすべもありません。

何か考えがあったとしても、きちんと筋道立てて、
わかるように話してはくれなかったかもしれ
ませんが、聞いておけばよかったと思います。

両親に尋ねることはもうできませんが、
わたしも形だけでも二人にならって
息子の酢橘を横取りしないじゃなくて、
巣立ちを邪魔しないように、
あんまり訪ねて行ったりしないで、
いつでもおいで光線だけ送って
暮らすようにしようと、
子放れ一年生は考えています。





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最終更新日  2017.01.10 07:38:53
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