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さて、はらぺこさんは晩御飯です。備え付けの浴衣でのレストランへの出入りはご遠慮くださいとのことで、着替えもせずにレストランに向かいます。1人なのですみっこの小さなテーブルに案内されました。一人分のテーブルセットがされていて、ここで、あれ?フルコースなの?と気づいたわたし。度胸を決めてまずは道後温泉ビールをオーダー。黒ビールでした。ビールと一緒にこの日のお品書きを持ってきてくれました。かぼちゃのムース(なぜか単独)はなかなか濃厚でしっかりした硬さ、なめらかなクリームやバターの風味の中にかぼちゃの味もして、美味しくいただきました。野菜のテリーヌ(下)は、わたしはこの日のお料理の中で一、二を競う味と感じました。お野菜はどれもきちんとお料理されていて、でも濃い味付けはされていなくてお野菜それぞれの自然な味がしっかり残っています。お野菜自体の力強さもあるのだと思います。四国、お魚だと思ってたけど、四国の野菜、侮れないかも。色とりどりのソースもそれぞれ味が違って美味しかったです。冷製コンソメは、ジュレも穴子も美味しかったのだけれど、薬味のカイワレスプラウト?が辛くてわたしはちょっと苦手でした。上のソルベは、お魚とお肉の間に口直しとして出てきました。さっぱりしていて、確かにお口直しにぴったりでしたが、何味だかちょっとわからずでした。パンはまあ普通に美味しいパンでした。上はお魚料理。スズキのポワレでした。そして下はヒレステーキのマデラソース。お肉の味がとても濃くて、マデラソースも程よいコクと甘みで、絶品でした。そしてデザートです。飲み物はなんとなく勘が働いて、珍しく紅茶にしてみたらこれが大正解!とってもおいしくて、レモン入れなければよかったと思いました。デザートはシェフの特製とメニューにありますが、なんだったか忘れちゃいました。美味しかったですよ。そうそう、この日のツインルームは、予約ではセミダブルでした(シングルがないホテルなので)。理由は分かりませんが、グレードアップしてくれたみたいです。で、この日は晩御飯はつけてもらいましたが、翌日朝ごはんの時間より早く出かける予定だったので朝ごはんはないプラン。それで料金は、クーポンを使って税込15,000円弱でした。その料金であのお部屋、このご飯。びっくりですよね。ということで、お腹もいっぱいになったけれどまだ時間も早いので、夜のお散歩に出掛けてみました。ホテルのアプローチ、夜は感じが違いますね。そして駅前へ。駅舎と坊っちゃん列車のツーショット(上)、下の左は駅舎を正面から。下の右はライトアップされた坊ちゃんからくり時計。この後からくりが動き始めました。動画のアップの仕方がわかればお見せできるのですけどねえ、残念!からくりを見てから夜景を見に。神社はもうしまっていましたが、その先に足湯があり、上段右は、その足湯から見た夜の道後温泉です。そして道後温泉本館と三日月の共演です。お月様、実際には大きくて綺麗だったんですよ。頑張って見てあげてくださいね。道後温泉本館はまだ温泉にも入れる時間でしたが、あまり遅くなるのも怖いので、ここで切り上げてホテルに戻り、ホテルの温泉に入って寝ました。ホテルの大浴場入り口です。手前が男性用、奥が女性用のお風呂場です。赤ちゃん用のベッドの場所も配慮が行き届いているなと思いました。温泉は透明なつるっとしたお湯でした。
2024.05.18
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旅から帰って4日も経ってしまいましたので、記憶が少しでも確かなうちに旅日記を書き始めようと思います。何しろ歩いて歩いて歩いた旅でしたので、普段ほとんど歩かない暮らしをしているわたしには予想外に過酷な旅となってしまい、実はまだ膝には湿布を貼って暮らしていますが、それでも体調は少し落ち着きました。旅の初日は5月13日金曜日。まあ!13日の金曜日だったのですねえ!!(ごめんなさい、往きと帰りの日にちをごっちゃにしていました。往きは10日の金曜日でした。)連休明けで仕事がどうなっているか、旅の計画をした去年の秋頃には全然予想できませんでしたので、何かトラブルがあった時に備えて出発は14時55分の便を予約していました。松山空港は16時半頃の予定です。1日目はほとんど夜から始まるような感じになってしまい、多分何もできませんが、それはOKとしました。往きは元気なつもりでしたが、飛行機が動き出した途端にウトウトしてしまったらしく、そのあたりの記憶が全くありません。ふと目を開けたらもう南アルプスらしき山々が見えていました。とても良いお天気で眼下の山がとても綺麗でした。しばらくすると、海と海岸線が見えてきました。瀬戸内海です。まさに多島海です。傾きかけた陽の光を反射して海がとても美しいです。この後、海面がずいぶん近くなったと思ったら、いきなり草原が目に飛び込んできて、あっという間に松山空港に着陸でした。四国初上陸です。リムジンバスで道後温泉に向かいます。初上陸を迎えてくれた新緑です。道後温泉は日本最古の温泉の一つだそうです。道後温泉駅は伊予鉄道の路面電車の駅ですが、こんなレトロで素敵な外観です。駅前を見回すと坊っちゃん列車そして有名なからくり時計。これ、夜8時まで毎正時にからくりが動くのです。わたしも動画を撮ったのだけど、アップの仕方がわからん。残念。で、駅前から少し歩くと、道後温泉本館があります。重要文化財です。旅館みたいだけど宿泊はできなくて、いわゆる温泉銭湯なのです。ただいま修復工事中で、余計なものが写ってますけど、先月までは建物に覆いもかかっていたので、今はまだだいぶマシなのです。何枚写真を撮っても全貌を伝えられた気がしません。ここを通り抜けて、今日のホテルに向かいます。「道後温泉オールドイングランド 道後山の手ホテル」という、長すぎて、正確なフルネームがよくわからないホテルです。山手というだけあって結構な急坂を登っていきます。見えてきました。はい、着きました。中に入るとロビーです。ロビーにワインセラーがあって、見学もできるそうなのだけど、遠慮しときました。エレベーターが二基。ドアと、中のライト、床のモザイクです。宿泊階のエレベーターホール。そして、1泊目のお部屋です。ドアを開けて、あまりの素敵さにぼーぜんとしました。自分で選んでこの部屋を予約したのですけど、それがだいぶ前のことなので、なぜこの部屋だったのか、忘れてしまいました。この広さのツインをシングルユース!って、なかなかの贅沢ですよね。思わずいろんな角度から写真を撮ってしまいました。お部屋だけでなく洗面室やバスも素敵です。ホテルにチェックインしたのは17時半過ぎくらいだったのですが、なぜかお腹がぺこぺこで、すぐご飯にしていただきました。一階ロビー脇ののレストランに行くと、そこがまたとってもいい感じ。外のテラス席では大きなテディベアさんたちがくつろいでいるし、壁にはウィリアムモリスのパネル、別のテラスには可愛いバーカウンターが設えてありました。そして、夕飯はまさかのフレンチフルコースだったのです。なんだかわたし、ものすごいリッチなマダムになった気分でした。まだ1日目が終わっていませんが、長くなったのでここで一旦休憩させていただきますね。
2024.05.17
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旅行からは13日に無事帰宅しました。国内2度目の一人旅、1人の良さを満喫できた旅でした。というか、満喫しすぎて、今はちょっと変。お洗濯と荷物の片付けだけはようやく終わったものの、生活ペースはギクシャクだし、4日も休んだら、頭がなかなかお仕事モードに戻らないし、帰ってきて3日も経つのにまだ疲れてます。足指の押された痛みはほぼ消えましたが、膝はまだ少し痛むし、痛む膝と同じ左のくるぶしから先がなんとなく浮腫んでいるみたいな感じです。なにしろ四日間歩きすぎました。普段2-3000歩しか歩かないわたしの、旅行中の歩数は5月10日はお昼前に家を出たので、その日は半日分ですが、そこからの四日間の旅行中の歩数と、それ以降の歩数、違いすぎますよね。最初の日はまあ良かったのです。泊まったのが道後温泉でしたし、ホテルの温泉にしっかりつかって、翌朝は元気いっぱいでした。翌2日目は16,000歩以上もあるきましたので、流石に夕方にはヘロヘロでした。この日はビジホしか取れなくて、大浴場もなかったのですけど、そのビジホの狭いバスで、夕飯前と夕飯後の2回もお湯につかってしまいました。温泉でもないただのお湯でしたけれど、それなりに効果はあったみたいでした。翌朝、足が元気になっていたのは幸いでしたが、不幸だったのは、朝から雨だったことでした。天気予報では警報級の雨が降るっていうことでしたが、そこまでの雨ではなく、でも結構強く降る時間帯もありつつでしたので、靴もびしょびしょになってしまい、足のダメージはかなり大きかったのです。この日はもう一度道後温泉に戻ってきましたので、有名な道後温泉にはいって、ゆっくり丁寧に足をマッサージしました。けれど、普段の1週間分くらいの歩数を続けて2日も歩いたのですから、だいぶ堪えました。膝も少し痛みましたし、あしも浮腫んでいたらしく、4日目の最終日は靴がきつく感じるほどで、歩くのも痛くて、ちょっと辛かったです。脚は丈夫な方だったのですが、年齢と運動不足、本当に侮れませんね。時間がなく、ウォーキングをする時間がないので、その代わりにシックスパッドのフットフィットプラスで3日に2日ぐらいのペースで歩くトレーニングをしていたのですけど、全然足りてませんでしたね。もっと鍛えないとと、改めて反省しました。
2024.05.16
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去年の春の津和野と萩への一泊旅行を覚えていてくださるブロ友さんもおいでになるかもしれませんが、あの旅は、家を出てから戻ってくるまでずっとひとりという、初めての本当の一人旅でした。始まりは、息子から、消えてしまうマイルがあるんだけど、1人分の往復チケットなら買えるくらいでも良かったらあげるよと言われたことでした。一人旅にはさほどの抵抗はなかったのに、それまでしたことがなかったのは、1人だと夕食付きの宿の予約が取り難いからでした。素泊まりだと、知らない街で、夜、お店を探して、知らないお店でひとりで晩御飯。。。は無理!と思っていました。ビジホとかではなくて食事付きで1人客でも泊まれる宿は中々見付からないだろうし、あってもきっとすごく高いだろうしと想像するだけで終わりだったのです。でも、航空券が無料なら話は別。1人でも泊まれる宿が見付からないか、希望日に予約が取れないか、トライしてみる価値はありますよねえ。そこで、まず、都合の良い時期にチケットが取れる空港をピックアップ、その中から行きたい町を選んで、一泊二食おひとり様OKで、その時期に空いている宿があるか調べました。そうしたら萩が残ったのです。萩に行くなら津和野も行きたいと欲張って出かけた旅は最高に良い思い出になりました。なので、今年もマイル使って良いよと息子が言ってくれた時は、一も二もなく飛びつきました。今度は、結構大冒険です。行く先は四国、愛媛県。松山市と大洲市と、漠然とそんなふうに目的地は決めて、宿の予約だけはしましたが、忙しい忙しいばかりで下調べも何もしないでいるうちにあっという間に1ヶ月前になってしまい、計画は手付かず、旅の予定は何も決まっていませんでした。大まかには松山市は道後温泉と松山城、萬翠荘。大洲市は大洲城と古い街並み。ていうか、それがわたしの知っている全てでした。ゴールデンウィークにしっかり調べてきっちりスケジュールを決めるつもりが、あれよあれよという間に。。。でも少し調べたら、大洲市では地元の市民ガイドさんの案内で街歩きや施設見学ができるとわかったので申し込み、ちょっと遅かったのですが、親切にもOKしていただけました。それを調べている過程で、すぐ近くにある内子町にもガイドツアーがあるとわかり、これも申し込んでみたら大丈夫でした。松山は、申し込み期限が過ぎているとのことでガイドツアーはダメでしたので、着いてからホテルの方に相談して考えようと思います。出発は明後日です。なのに、自分の旅支度も、留守中の夫のあれこれもまだなにもしていないのです。今回は3泊4日なのですけど、明日1日で準備が間に合うでしょうか?不安ですが、まあ、なるようになるでしょう。
2024.05.08
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今日は連休最終日。思えば、前半3連休のあと1日出社し、後半は6連休で、なんと9日もお休みしてました。その間にできたことといえば、初日に整体に行き、後半は血液検査のために採血に行き。。。5連休くらいだったらそれで終わりだったでしょうが、今回は違いました。そのあと一旦ぐだぐだしたものの、四日には昭和記念公園に行き、五日はベッドを動かして模様替えをし、今日六日はずっと溜めていた大物の洗濯をしにコインランドリーに行き、来週旅行に行くのでその下調べを(今ごろ!💦)しました。なんて盛りだくさんなんでしょうと自画自賛。特に、模様替えついでに2階の部屋の床をかなり徹底的にお掃除が出来たことが素晴らしいと実に清々しい気分で自画自賛中です。今日、コインランドリーと自宅で並行して大量のお洗濯をやっつけながらスマホで色々情報集めをした旅行の行き先は愛媛県です。今年も息子がマイルをくれたのでセールの時にチケットを予約したのです。松山市と大洲市を訪ねる予定で、松山は道後温泉、萬翠荘、松山城。できたら坊っちゃん列車にも乗りたいというくらい。大洲は街並みと大洲城を訪ねてみようかという感じの実に大雑把なスケジュールしか出来ていないので、もし、ご存知の方がいらしたら、ぜひ良いコース、素敵なお店、一推しスポットなどご教示くださいませ。よろしくお願いいたします。
2024.05.06
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今の家に引っ越してきたのは2017年7月末のことでした。その時は1階と3階の半分を仕事で使い、2階と3階の半分が住まいということになっていました。でも住み始めて数ヶ月で3階を仕事に使う具合の悪さにわたしが耐えられなくなり、その仕事が本業とは違うものだったこともあってお断りすることにしてを、仕事場は1階だけで、2、3階を住まいとして使うようになりました。60代半ば、まだまだ体力もしっかりあって、2階と3階を行ったり来たりするのもさほど苦になりませんでした。けれど、年を追うごとに3階に行くのが億劫になってきて、ここ2年ほどは3階はすっかり物置です。息子も結婚以来わたしたちの家に来ることはほとんどなくなり、家族で会う時は息子の家かお店に行くようになりましたので、近頃は部屋の用途も、引っ越し当初に考えていたのとはすっかり違ってしまいました。それに、ここ何年かは夫のアレルギーが酷くなってかぶれた皮膚が剥がれるので掃除もすごく大変で、というより家具が壁に押し付けてあったり、隙間なくあった置いてあったりすると掃除がしづらくて、時間がかかるばかりできれいにならず、困っていました。そんなこんなで、このゴールデンウィーク中に模様替えをしたいと思っていて、少なくともベッドの移動だけでもしたいと思っていました。でも、洗濯機の廃棄の時にも階段の造りが悪くて人力で下ろすことができないと書きましたが、実は造りが悪いのは階段だけではなく、この家全体がそうなのです。寝室として使っている部屋は安いビジネスホテル並みの広さで開口部の幅も狭く、家全体が柱ではなく壁で強度を保持する構造だということで、リビングの変なところに壁があったりして、家具の移動も簡単ではありません。夫にも声をかけて頼んであったのですが、ゴールデンウィーク中も仕事があるとかで待っていてもどうやら当てにはならないことがわかったので、最終日目前の今日、1人でできるところまでやってみようと、取り掛かりました。まずはビジネスホテルの部屋より狭い寝室に、ぎゅうぎゅうに2台並べてあったベッドを1台ずつ別の部屋に置くというミッションです。1台は置き場所はそのままで方向を変えます。2台目はリビングに移動、それに伴って他の家具も多少移動しないとなりません。動かすのは、引っ越しの時大工さんに頼んで狭い寝室に合わせて作ってもらった特製の狭小ベッドですが、木製のため重いし、間取りのおかしい家なので、動かしたいものを動かしたい場所に動かすためには、パズルみたいにいろんなものを少しずつずらして、動かしていかなくてはならず、ぎゅう詰めになっていたためきちんと掃除ができていなかった場所が姿を現したら掃除機をかけて水拭きして綺麗にしてから次を動かすなんていうのを繰り返しながらジリジリと家具の場所を変えていくのですから、まさに持久戦です。細々した家具を動かしては、掃除機やら雑巾掛けやらをし、綺麗になったらベッドをずらし、また小さい家具を動かしてスペースを作りを繰り返してベッド2台を移動するのはI日がかりで、終わった時はもうクタクタでした。実は昨日、流石に歩き疲れたようで、今日は膝に湿布を貼っていたのですが、うんとこどっこいしょと重いものを押したり引いたりしていた時には感じなかった痛みが、あー、疲れた!と座った途端に襲ってきました。でも、模様替完了後のお部屋は。。。ビジネスホテルより狭い寝室も、ベッド一台だけなら余裕です。もう一台はリビングに。リビングが無くなっってしまったけど、どうせほとんど使ったことがなくてほぼ通路になってたから、なくても大丈夫じゃないかと思います。使い勝手がどうかは、この状態でしばらく過ごして様子を見ないとわからないけど、少なくともベッド周りが広々しましたので、気持ちはいいです。今夜から気持ちよく寝られるでしょうか?気分よく休めば膝の痛みもどこかへ飛んでいっちゃうかなと思っています。
2024.05.05
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ずいぶん前から行きたいと思ってなかなか行けなかった東京立川市の昭和記念公園にネモフィラを見に行ってきました。ブロ友のnaominさんにお願いして付き合っていただいて、2人で。JR中央線の立川駅の改札口で待ち合わせ、お弁当を買ってから入園。それはそれは広い公園なのですけれど、さすが国営、入園料はわたしたちはシニア割引でなんと210円(一般の大人は450円)でした。安近短のゴールデンウィークを楽しもうという人たちで早くもごった返していました。無事ゲートを潜り、真夏のような日差しと気温の中、てくてくとそれはそれはよく歩きました。よく歩いた証拠写真、今日の歩数は14,898歩、普段の3日分くらいですね。お目当てのネモフィラは本当はもっと人がいっぱいでしたが、なかなかいい感じに撮れました。本当はこんな、いいえ、もっと人がいっぱいでした。ベストショットはこのアップの写真かな。ネモフィラを堪能したあとはお昼です。こちらはnaominさんの釜揚げしらす弁当。こちらはmamatamの牛しぐれ飯弁当。そしてお弁当のお供はもちろんこれ!さらにデザートの抹茶かき氷。のんびりご飯もおしゃべりも満喫して、帰りは疲れたので(ホームページより)名乗ってあんなか。半周しながら帰ってきました。最後に、おまけの画像立川市のマンホール蓋です。辛夷の花でしょうか?
2024.05.04
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昨日アップしたスマホで楽天ブログのアップがしづらい問題、コメントでいただいたアドバイスを見て、早速パソコン版を確認してみました。残念ながら、パソコン版に表示を変えても起きることは同じでした。昨日の追記にも書きましたが、結局同じアプリなので、変わるのは表示形式だけということかなと思います。しかも、パソコン版だと文字がやたらに小さくて、とてもじゃないけれど老眼で読めるサイズではありませんでした。わたしの老眼、急速に進んでいるのかしら?読み易い大きさまで文字を拡大したら、今度は1行の文字数が少なくて書いている文章の全体が読めず、使い勝手最悪でした。それならと横向き表示にすると、文字は大きくなるものの、1行の文字数が多すぎていくら横スクロールしても終わらず、表示される行数は少なすぎて、こちらも使いづらいことこの上なし。結論→スマホ版の方がまだマシ、なのでした。で、今朝、落ち着いて、スマホ版で入力の時に起きることを確かめてみました。『文字を入力していて、前の方に入力ミスを見つけた時、以前は変換前でも打ち直したい文字をタップするとカーソル?がそこに動いて打ち込んだ文字の訂正ができたのですが、今は変換し終わっていない文字列でそれをすると入力した未変換の文字列全部がひらがなのまま固まってしまいます。ひらがなに未変換を表すブルーの下線が付いてカーソルも末尾で点滅する「入力未完了」状態のまま固まって、カーソルの移動もできなくなります。できるのは入力中の文字列を✖️で末尾から削除していくことだけです。それなら、一旦全部ひらがなのまま確定させ、その後で訂正する方が早いかと「完了」をタップしたら、あらら、ひらがなで表示されていた文字列が全て消えてしまいました。』おそらくこれが事件の全貌です。対策は、細切れに一言ずつ入力して変換していくことでしょうか。こうすればほぼ問題はなさそうですが、うっかりして長文を一気に入力したりしてしまうと、もう最悪です。しかもこのうっかりがとても多くて、常に意識してこまめに変換してないと、あらら!の直後にまたアララ!、その連続になります。一番困るのは、以前は長い文章を一気に打ち込んでから一区切りずつ変換できたのに、それができなくなったことですかね。すごく面倒です。LINEとかメールとか、他のアプリではこういうことないと思うのですけど。。。これは、「ブログは短く簡潔に。ダラダラ長く書かないでください。」という、楽天ブログからのメッセージなのでしょうか?ちなみに、コメントをスマホで書くときは、↑とは違っていました。本文と同様、入力途中の文字列をバックスペースの要領で修正することはできませんし、打ち込んだ文字列を細かく一区切りずつ変換することもできなくなってしまいましたが、前の方の文字をタップしても固まったり消えたりはしませんでした。同じアプリなのに、本文とコメント欄では挙動が少し違っているようです。
2024.05.03
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ブロ友さんはご存知のことですが、わたしはスマホでブログを更新しています。楽天ブログアプリを使って日記を書くのですが、ここ1ヶ月くらいかな?文字変換がうまく行きません。それだけならいいのですが、うまく変換できなかった文字列が消えてしまうという事件が頻発しています。それ以前と入力の仕方を変えた記憶はないし、変わってはいないはずです。でも、事件が現場で起きています。困ったことに、何をしたからそうなるのかという法則?規則性?が全然わからないのです。もう、ほんとにストレスです。わたし以外にスマホで更新をするという方は、わたしのブログ界隈にはほとんどいらっしゃらないようなので、ここにこんなことを書いてアップしてもただの愚痴にになってしまって、あまり意味はないかもしれませんが、もし何か思い当たることがあったら教えていただけると、大変嬉しいです。お心当たりのある方、どうぞよろしくお願いいたします。追記パソコン版でもやってみましたが、同じ症状でした。パソコンタイプなのは見え方だけで、動かしているのはアプリだから、そうなるってことでしょうか?このままスマホ仕様で、慣れるまで使って行くのがいいのかしら?
2024.05.02
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mamatam社は町工場だと思ってたとコメントをいただきましたが、そういえば最近の日記では、仕事の内容に触れることが少なくなっていましたね。 東京の下町の製造業で零細な会社といえば、京葉工業地帯のど真ん中ですから、下請け?孫請け?孫孫請け?の金属加工の町工場が思い浮かびますよね。とはいえ、ウチも金属関係(鉄工所)ではないというだけで、町工場であることに変わりはありません。町工場の中でも狭い部類に入る2箇所の小さな工場でささやかにサプリメントの製造をしています。 起業して今年18年目になりましたが、その間には何度か、大小さまざまの危機に見舞われたともありました。 リーマンショックとか、東日本大震災とか、コロナ禍のような誰もが影響を受けたものはもちろん漏れなくひどい目に遭いましたし、それ以外にも、コップの中の大嵐よろしく業界関係者しか知らない危機もありましたし、取り込み詐欺の被害者になりかけたことも、払い渋りで経営が危うくなりかけたこともありました。 そんな中でも、今回の紅麹騒動はちょっと特殊と感じます。 実際にはこの製品のために健康被害を受けた当事者と、被害には至らなくても摂取したことのある人達の問題で、その全責任はこの製品を製造販売した特定の企業が負うべきことなのに、国民のほとんどが我が事のように関心を寄せ、心を痛め、そのためにほんの少し関わりがあるどころか、近隣の業界に属しているというだけで実際には何の関わりもない企業までが影響を受けています。 そうなってしまった理由の一つは小林製薬の対応だったと思います。 もっと早く被害を公表して被害の拡大を防ぐ対策を取るべきだったと思うし、事態の解明と原因の究明に向けて、もっと早くに行政や研究機関などあらゆる方向に協力を求めるべきだったと思うのです。 問題が公表され、原料を分析した結果、製品の一部ロットに、有毒のプベルル酸を生成する青黴か発生したことが原因だったとわかりました。そのロットにそのカビがなぜ発生したのかはまだ発表されていないみたいですが、原因がわかったことで、紅麹自体に問題があるわけではないということもわかり、他社の製造した紅麹はもちろん、小林製薬の紅麹でもロットの違うものは大丈夫ともいわれています。 それがもっと早くわかっていれば、多くの企業はとばっちりの被害を受けないで済んだのじゃないかと思うからです。けれども、小林製薬の紅麹は自社で販売しているサプリメントに含まれているだけでなく、他社製品の原料としても使われています。他社製品というのは、サプリメントだけでなく、パン、味噌、酒、漬物等多種類にわたっていて、その製品名、製造会社名はすでに公表されているようです。 健康に害があるのなら回収は当然だし売上減も仕方ないですが、損害額もその責任もはっきりしているのですから賠償請求もできるのじゃないでしょうか。でも、紅麹のベの字にかすりもしてないのに、買い控えとか風評とかの「巻き込まれ」でがっくり注文が減った会社(mamatam社もです)とか、有害どころか有益な紅麹を作ったり販売したりしていたのにぱったり注文が止まってしまった会社などは、どこにもなんの苦情も持って行きようがなく、もちろん賠償請求だってする相手がなく、いわば泣き寝入りするしかありません。災難だったとぼやきながら、嵐が最小で収まり、最速で過ぎ去ってくれることを祈るしかないのです。それってやはり小林製薬のしたことが原因だし、問題がわかった時の対応を間違えたことが原因なのです。 小林製薬って、もし自社の製品で健康被害が起きたらどうするかとか、そういうの決まってなかったのじゃないかなあって思うのです。だから一大事が起きてから右往左往して、こんなことになってしまったのかなあって。初めの頃の記者会見など見ていても、一生懸命だし、真剣に謝ってるのだけど、心の中はどうしたらいいのかわからなくて、もう泣きそうって感じしませんでした?やはり、万が一のことって、手始めに考えてみるだけでもしてみた方がいいんだなと思います。製造した製品に何かのトラブルがあった場合、どこにどんな影響が現れる可能性があるか、どんな事態だったらどこに連絡や届出をするべきか、一度考える機会を持つだけでも、実際に何か起きた時に違うのじゃないかなと思います。社員7人の零細企業と大企業を同列にいうのはおかしいですが、こんな時代ですから、何が起きるかわからないし、その波紋がどこまでどう広がるかもわからないのですから、わたしたちも、小規模なりに危機管理マニュアルみたいなものを、まあ、そんなご大層なものでなくて良いので、作った方がいいなあって、そんな気持ちになりました。
2024.04.30
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いつもだと、4月半ばくらいの時点で連休前後の予定が穴だらけ、今年は大型連休かも?なんて言っていても、連休直前になるとお馴染みの駆け込み注文がバタバタと入って、結局お休みはカレンダー通り、連休前後の仕事もギュウギュウの大忙しということになるのが、ゴールデンウィークあるあるでした。あまつさえ、今年はコロナが明けたせいか注文が混み合って、2月3月と取引先にご迷惑をかけるほどの忙しさだったので、ゴールデンウィークはどうなることかと心配する程でした。ところが4月に入る頃から目に見えて受注に勢いがなくなってきて、あの超多忙な日々が嘘みたいに、この1ヶ月はとてもゆったりと仕事をすることができました。ゴールデンウィーク前後もそのペースは変わらず、予定表もスカスカなまま連休前夜を迎えました。前半の三連休明けの今日4月30日は仕事がありましたが、明日、明後日の予定表は真っ白でしたので、5月1日から7日までmamatam社をお休みにすることにしました。いきなりそんな話になったので社員さんたちはびっくり、そして大喜びでした。こういうことになったのは、おそらく、3月22日のアレが原因だろうと思います。3月22日のアレとは、そう、小林製薬のあれのことです。サプリ業界の極ごく隅っこに居所を構えさせてもらっているmamatam社、どうなることやらと様子を窺っていましたが、その原料を扱ったこともないのに、思いの外早く風評被害の列に連なることになったわけです。こんなにのんびりな日々もたまにはいいですが、こんな状態が続いてもらっては困ります。コロナの日々の悪夢が蘇りそうです。でも、本当にちょっと先が見えないんですよね。ウチみたいなところにも先日保健所が立ち入りにやってきました。おそらく上(上級省庁)が何か言い出しそう or しそうという雰囲気が漂っているのでしょうね。それが、消費者保護や安心安全のためにほんとに有益な、必要なことだったらもちろん協力は惜しみませんけれど、点数稼ぎや、カッコつけのためのカッコつけなのだったら、迷惑以外の何者でもありません。mamatam社の先行きも、業界の雲行きも、そしてお役所の動向も、色々と気がもめることです。
2024.04.30
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いきなりですが、ただ今ここ↑で洗濯しながら、久しぶりの日記を書いております。またまたすっかりご無沙汰してしまいましたが、実は2週間ほど前に、洗濯機が壊れてしまったのがこのご無沙汰の原因でした。壊れたのは洗濯機のドアで、洗濯が終わって洗濯物を取り出そうとしたら、ドアが開かなくなったのです。 夫がなんとかロックを外してその日の洗濯物は取り出してくれたのですが、それ以来このコインランドリーで週に3-4回お世話になっています。普通なら洗濯機を買い換えればいいという、割に簡単なハナシのはずなのですが、現実はハナシの通りには行きません。壊れた洗濯機は、我が家の二階においてあります。通常は2階くらいなら階段での搬入搬出は特に問題ないのですけど、今の我が家は階段の造りがおかしくて、引っ越しの時、家電の中でも重くて分解できない冷蔵庫と洗濯機はクレーン付きのトラック(ユニック車)を頼んで窓から搬入しなくてはならなかったのです。その時は洗濯機も冷蔵庫も買ってまだ3-4年しか経っていなかったし、廃棄する時にまた運び出すのだということには全く思い至りませんでした。でも、買い換え?と思ったとき、すぐに頭に浮かんだのは、それにはまたユニック車が必要ということでした。引っ越しの総額に紛れていた時にはそこまでの金額と感じなかったその費用ですが、洗濯機の価格に上載せされると思うと、ちょっと待って!で、そうそう簡単に買い替えには踏み切れません。というわけで、結論を先延ばしにしつつ、コインランドリー通いをしている今日この頃なのです。一度に十数キロ分纏めて洗うと、1時間とちょっとかかります。洗濯機が動いている間じっと待っているわけではありませんが、大量の洗濯物を畳んでこんな、自転車のカゴに載せやすいバッグに詰めてコインランドリーまで運び(って、自転車で2-3分なのですけど)洗濯機に入れて家に帰り、1時間して乾燥が終わった頃に戻ってまた畳んで詰めて帰ります。帰ったら、シワだらけにならないように袋から出しておかないとなりません。24時間を一杯いっぱいに使って日々をやり過ごしているわたしには、なかなかにヘビーな作業です。おかげで、すっかり心身のペースが崩れてしまい、食事も手抜きなら家の中もグチャグチャだし、仕事でまで変なミスが出て、正直なハナシ、ブログどころではありませんでした。あ、乾燥まで終わったようです。中途半端ですが、続きはまた後で。続きです。と言っても、もう付け足すこともあまりありません。故障箇所ですが、ドアのロック機構の部品が経年劣化したらしく、市販の部品を買ってきて付け替えることもできないそうで、あれから夜や休日に夫が根気良く工作してくれて、先ほど、とりあえずドアの開け閉めは出来るようになりました。我が家の洗濯機、写真と同じドラム型なので、ドアが閉まらないと水が漏れて、というかそもそもドアロックができないとスイッチが入りません。夫がドアを直してくれたので2週間ぶりに洗濯ができるようになりましたが、大物が残っていることもあり、コインランドリー通いはまだしばらく続きそうです。ドアのロックの噛み合いの部分も純正の部品で取り替えが出来たわけではなか、夫の自作なので、早晩また壊れるでしょうし、洗濯機自体もだいぶ老化が進んでいるので、ドアより前に本体が壊れる可能性も低くはありません。猶予期間がどれくらいあるか分かりませんが、次に壊れたときにはどうするか考えて、対応を決めておかないといけないと思っています。
2024.04.28
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お昼休みにお茶休憩のお供のお菓子を買いに、近くない最寄り近くのスーパーに行きました。その往き帰りの道で、とってもきれいに咲いているたくさんの春のお花たちから次々と声をかけられました。みんな、今が一番綺麗な時よ〜〜って、声高々に誘ってくるみたいでした。春たけなわとか、春爛漫とか、いろんな言い方がありますが、まさに春が来たんだなあと感じました。桜並木も2-3日前と比べると、まさに爛漫と咲き誇っていて、風に舞う花弁がカーテンみたいでした。右の方にも左の方にも桜です。こちらの畑には赤い木蓮、こちらのお庭の中には源平咲の枝垂れ梅。幼稚園の塀際には赤いトキワマンサクと海棠が交互に植わっていました。親水緑道では満開の桜とハナモモの競演。そして気の早い子もいましたよ。白いハナミズキです。まだこんなに遠慮がちですが、やる気は満々のようでした。忙しくて、なかなかゆっくり見て歩く時間は取れませんが、本当はこの季節、数日と言えども見逃したらもったいない、美しさと輝きに溢れていますよね。なるべくサボってパトロールの時間を作りたいです。追記です。いわどんさんへお神酒徳利っていつも決まったペアでいる人たちのことそういいませんか?1人でいると、「あれ?今日は○○ちゃんは?」とか言われちゃうみたいな。古い言い回しなのでしょうね。さっき調べてみたら、お神酒を入れる徳利は2本一組なので、そういう言い方が生まれたそうです。わたしには、桜にはユキヤナギがつきものみたいな気がするので、そんな風に書いてしまいました。
2024.04.11
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我が家の、道路を隔てた向かい側に小さな公園があります。実はこの公園、隠れた桜の名所です(って言ってるのはわたしだけですが)。本当に小さい公園なので桜はまだ若いし、本数もそれ程なく、種類もソメイヨシノだけです。でも、日当たりが良くて一斉に咲くので、満開になるととても綺麗です。なので桜の時期に思い出すと1人でサクッとお花見をしに行くのですけれど、うっかりしていたり忙しかったりして思い出すことを忘れてしまうこともあり、引っ越して来てから8回あった春のうち、お花見ができたのは半分程かもしれません。今年は桜が長く咲いてくれたので思い出すのが間に合って、今日「ちょこっと花見」をして来ました。ちょっと気取って撮ってみた一枚です。枝の輪っかから、お花たちがこちらを覗いている見たいじゃないですか?少し風の吹いていた今日は、桜吹雪というほどではなくひらひらと花弁が舞っていました。絨毯を敷き詰める前の地面です。 枝の影絵が、素敵な柄の敷物を敷いたみたいですね。青空をバックに満開の小枝をアップにしてみました。こちらはまだ若いひこばえの枝の咲いたばかりの若いお花たち。お花の中心、蕊の周りがまだあかくなっていません。こちらは赤くなってもう満開。葉桜になりかけています。葉っぱは出ていても、蕾もまだ多いです。桜の下のユキヤナギ。御神酒徳利ともいうべき組み合わせ。また、来年、会えますようにと、手を振ってお別れして来ました。
2024.04.10
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昨日は入学式日和の良いお天気だったのに、今日は一転凄い雨です。自転車で出社したら合羽を着ていたのに10分足らずの間に髪なんかびしょびしょでした。一日降り続くみたいですけど、退社の頃には小降りになっていて欲しいです。長々書き綴ってきたベトナム旅日記もようやく最終回、とうとう日本へ帰る日になりました。前夜、豪華ディナー(笑)から戻ってホテルのお部屋で荷物を片付け、準備万端整えて寝ました。お土産が壊れたり失くされたりするとイヤなので機内に持ち込むことにして、来る時は機内持ち込みにしたキャリーバッグを預けることにしました。虫除けスプレーは開封してあるけどガスは入っていないので預け用なキャリーバッグに入れて大丈夫。未開封のペットボトルやビールはホテルに残して行っちゃう。気圧で溢れてしまいそうな生ローヤルゼリーも手荷物に。などなど、一生懸命考えて荷造りをして、午前3時には起きないとならないので、頑張って早寝しました。翌日はアラームと共にしっかり起き出し、着替えもそこそこにロビーへ。みんなしゃっきりした顔で集まり、送迎バスで空港へ。ここでもEちゃんはバスには乗れず別行動。この度は来る時とは違ってWKくんがボディガードです。ホテルで手配してもらったタクシーで空港を目指します。数十分後には無事空港で全員勢揃い、そこからだいぶ待たされましたが揃って滞りなくチェックインも完了し、出入国管理(イミグレーション)です。手荷物検査を受け、パスポート検査へ。そこも何の問題もなく通過、のはずでしたが、わたしだけが列を離れて別のところで待つようにと指示されたのです。え、何??ちゃんと日本は出国できたし、ベトナムにも入国できたし、みんなと違うものを買ってもいないのだから、特におかしなものは持っていないはず。そんなところで止められるような心当たりはひとつもありません。なので、最初はさほど心配もせずボーっと立っていましたが、見張りみたいな人はいないものの何の説明もなく、だだっ広いイミグレーションの隅に立って待たされること10分。。。15分?だんだん不安になり、大丈夫かしら、飛行機に間に合うのかしらとそれも心配になり始めた頃、ようやく男性職員がやって来て、自分の後についてくるようにと言いました。これから検査を受ける人たちの長い長い列の脇を延々と歩いて反対側の隅の小さな部屋に連れて行かれ、わたしのキャリーバッグが目の前のカウンターに置かれたのです。一瞬パニックになりかけ、えー、何?何かあった?そんなはずないんだけど!!!と、心の中で叫ぶも、それが大間違い。そんなはずがあったのです。ぱっくり開かれたバッグの隅っこ、女性職員が指差す先にあったのは・・・モバイルバッテリーでした。あっちゃー!迂闊!旅先でスマホが電池切れにならないように大容量のバッテリーを持って来たのは良いけれど、大容量だけにかなりの重さだったので、荷造りした時に「これは重いから。。。」とわざわざ機内預けのキャリーバッグに入れたのです。モバイルバッテリーは預ける荷物には入れられないことなど百も承知、だから機内持ち込み(carry on)にしないといけないことは分かっていたのに、わたしったら、まあ、本当にバカ!ニコリともせずにCarry on!と言われて、もうグーの音も出ず、ごめんなさい!と最敬礼で謝って、返してもらったバッテリーをリュックに押し込み、また男性職員の後について手荷物検査場へ、そこはもうすんなり通れて、そのあとすぐ無事に仲間の元に戻ることが出来たのでした。みんな、「こう見えて、ベトナムは社会主義の国だしなあ。」と、心配してくれていたそうで、わたしの顔を見るや、どうしたの?なんだった?何やらかしたんだよ!もう大丈夫?と口々に聞いてくれたのですが、わたしが訳を説明すると、手のひらを返したように、ばーか!何やってんの!!でした。でも、おかげさまで乗り遅れることもなく、無事搭乗完了、日本に帰ってくることができたのでしたとさ。めでたし、めでたし?ベトナム旅日記はこれで完了です。長いことお付き合いいただき、ありがとうございました。
2024.04.09
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昨日は毎月恒例の友のお墓参り兼会食でした。石川県在住の部活仲間も参加してくれることになったので、東京の桜が見頃ということで、早めに集まってお墓参りを先に済ませてから、深川 大横川の桜見物をしました。この友人はわたしにとっては小学校、中学校、高校を通しての友達で、高校では部活も一緒でした。高校には同じ中学校から男子1人女子2人の3人しか入学せず、それぞれ別のクラスになったのに、オリエンテーションの後希望の部活室に行ってみたら3人ともそこにいたという、なんともおかしな成り行きでした。1人は男子で、彼とは卒業後音信不通ですが、昨日会った彼女とはずっと付き合いが続いています。彼女は、結婚後、夫君が出身地の石川県庁に就職されていたのでそちらに移り、会うことも少なくなっていますが、60年以上もの間、途切れることなく繋がれているのは、高校で偶然同じ部活を選んだから。本当に不思議なご縁です。さて昨日のお出かけですが、肌寒かった一昨日よりかなり暖かいと言う気象予報は知っていましたが、さほど薄着にはしないで出かけたの出すが、家を出た途端に暑っとなって、羽織っていた単のコートを脱ぎました。門前仲町に着き、まずお墓参りをしてから、大横川を跨ぐ黒船橋へ。西の、隅田川の方へ向かって桜のアーチの下を歩きます。川の両岸が遊歩道になっています。満開まであと一歩という感じ。空は真っ青だし、お花見には最高のタイミングになったねと言いながらみんなでブラブラ。水門の向こうが隅田川になるのかしら?大横川は江戸の町を縦横に走って江戸の物流を支えていた運河の一つです。他の運河沿いには、今も東京港から船で原料を運び入れるため、荷揚げ場のある工場などもあるのですよ。この川を今も走るのは、観光船や屋形船だけですが。江戸情緒を誇った深川の町も、今や川縁はビルだらけ。でも、足元にはたくさんのナズナたち。もう少し早く来ていたらきっといっぱいのつくしんぼうに出会えたのだろうと思いました。スマホの万歩計を見たら歩数は6000歩を超えていました。普段たくさん歩いておいでの方には別に驚くこともない数字でしょうが、わたしにとってはよく歩きましたと、花丸な歩数です。この辺りでそろそろ予約の時間になりました。良いお天気というか汗ばむほどの気温で喉も乾いたので、らUターンして、ビールビールと連呼しながいつものしか野さんに向かいました。
2024.04.08
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この日の晩ご飯は、いよいよベトナムでの最後のお食事です。お店は幹事で会計係も兼任のアジア駐在経験豊富な元銀行員Nくんに一任でしたが、今回はなんとホーチミンの老舗ホテル、ホテル コンチネンタル サイゴンのレストラン。オプショナルツアーやランチ、夕飯など都度都度計算して清算するのは面倒だからと、出発前に1人五万円ずつ彼に預かってもらいました。それが現地通貨ベトナムドンでは約800万ドン!ということで一気にお大尽気分になった一行でした。帰ってすぐに会計報告してもらったのに、最終的にいくらかかったのか金額をおぼえていないのですが、ベトナムの物価は想定以上に安かったようで、足りたどころではなく、出発前の最終打ち合わせの費用(なんのことはない、飲み会、でしたが)もそこから出たし、それでも多すぎたと言って帰国前の晩に1万円ずつ戻してもらっていましたし、帰国してから開いた反省会の費用まで賄えましたので、ベトナム滞在中の費用はホテル代土産代を除くと三万円くらいだったようです。ということで、帰国前夜のこの時点でだいぶ懐に余裕があるからと、最後の晩ごはんはリッチなお店を選んでくれていました。なので、全員少しだけドレスアップ。夕暮れのレストラン入り口で集合写真を撮りました。店内は今までのお店とはだいぶ雰囲気が違い、なかなか格調高い設えです。デーブルの間隔もゆったりととってあります。白い壁には絵画が飾られ、調度品も重厚です。アーチや円い柱、その間に鉢植えが並んでいるのもいい感じです。テーブルにはしっかりとお皿とカトラリーがセットされていました。まずはスパークリングワインで乾杯。メニューは英語なので、それぞれ好きなものを注文しました。でも、それが。。。予想外の、大笑いの結末となったのですが。。。最初のサラダは全員に同じものをNくんが注文しておいてくれました。これは期待に違わず、というか、サラダですから、普通に新鮮で美味しかったです。メインはそれぞれ好きなものを注文するということで、ある人はメニューの英語を参考に、ある人は英語とベトナム語の両方を翻訳アプリで確認して、それぞれ好きなものを注文した、はずだったのですが、Wくんは、grilled porkをなぜかトンカツだと言い張って注文。みんなが違うからと言う中届いたのは中段左のお皿。美味しいかまずいかはともかく少なくともトンカツではありません。硬いけど美味いと目を白黒させながら食べていました。もう1人、目を白黒させていたのはYちゃんでした。鶏肉のお料理を注文したら、中段右のお皿が届き、確かに鶏肉だったそうですが、やたらに辛くて、細切れにして手前にあるパンに挟んで食べていました。ベトナム料理は辛くしてないと思って油断したと反省していました。下の段はわたしが注文したお魚です。シーバスと書いてあって、スマホで調べたらスズキ、これはとっても美味しくて、大正解でした。他の人たちも皆それぞれ美味しいと食べていました。次なる大笑いのタネはワインでした。まず、口開けのスパークリングワインは、8人で飲んだらあっという間になくなり、そこからはドリンクチーフのWくん大活躍。ワイン選びを一手に引き受け、値段を見ながら慎重に注文してくれていました。3本目?の赤が美味しいと大好評だったので、飲み終わったら同じのをもう一本注文しようと話していたら、ソムリエさんが飛んできて、今お出ししたワインが間違っていたというのです。今みなさんがお飲みになっているのはこれで、と指さしたのは、ワインメニューの真ん中より下の辺り。どうやらWくんが注文したのよりお高いワインらしく、美味しいのは当然のことだったようなのです。で、ソムリエさん、これはお高いワインで。。。と言いにきたようですが、流石にそこは退職したとはいえ百戦錬磨のビジネスマンです。流暢とはいえない英語でも言うべきことはしっかり言って一歩も引きません。「僕はこれを注文して、あなたがこのワインを持ってきたのだから、その値段は払わないよ。悪いけど、それはあなたの側のことでしょ。」とピシッと決めてくれて、ソムリエさんは肩を落として引き下がりました。初日のタクシー騒動でダダ下がりになった株がだいぶ上がったわねとEちゃんにお墨付きをもらい、「いやーよかった、これから10年はタクシーのこと言われるのかと思ってたけど、助かったよー。」と喜んでいたWくんでした。みんなも気を良くして、ここでのお食事会はお開き。ぶらぶら歩いて、いつものサークルKでアイスを仕入れ、飲み足りなかった人は別のものも買って、ホテルに戻りました。明日はいよいよ最終日。朝早くというより夜明けに出発です。夜中に起きて、未明にロビー集合で空港に向かいますから、ささっとアイスを食べて荷物を片付け、さっさと寝ました。で、あとは帰るだけと思っていたらこれがまたとんだ大間違い。いやいや、まさかあんな事件が起きるとは。。。な最終回。どうぞお楽しみに。今夜はいつものお墓参りです。石川県から参加してくれる仲間もいるので、もしかしたら帰りにお花見もできるかも。出かけるまで忙しいけど、楽しみです。
2024.04.07
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もう、お昼もだいぶ過ぎて、ようやくランチです。パスタを食べたかったのですが、お店が混んでいて諦め、中華のお店に入りました。京鼎楼というお店で、台北の鼎泰豊みたいな感じでした。いただいたのはまず小籠包。中の熱いスープがジュワジュワと溢れてくる、これがたまりません。美味しかった!小籠包もう一種類。上のは少しピリ辛味でこちらはスタンダードなお味。わたしはあまり辛いのは苦手なのですけど、こちらのお店のはギリギリOKでも、やっぱり辛くない方が食べやすかったかな?左側の麺は海老ワンタンみたいなのとホロホロに煮たお肉が載っていて、スープはあっさりだけどコクがあり、とっても美味しかったです。もちろん4人でシェアしていただきました。あと、海鮮たっぷりのパリパリな焼きそばです。どれもこれもとっても美味しかったです。ベトナム料理だけでなく、ベトナム、お料理の偏差値高いかも。ここまでまずいものはもちろん、あまり美味しくないというお店にも出会わなかったねと、4人の意見が一致しました。デザートが諦められないわたしはみんなのお許しをいただいてこちらをオーダー。なんていうものか名前は忘れたけど、かき氷ジュースみたいなデザートです。フルーツは金柑だそうで、これがめっちゃ美味しい!ただ、日本だったらきっとスプーンがついてきたのじゃないかと思うのですけど、こちらではストローだけだったので、頑張って吸っていたらあまりに冷たくて頭が痛くなり、食べ残してしまいました。それだけは残念でしたが、全体的には大満足のランチでした。別行動をとった男子軍はこんなふうに街歩きをし、左上のお店(WAYNE’S COFFEE)でランチを召し上がったようです。というか、ビールがメインで、料理はおつまみというふうに見えますけどね。オトコだけで、これはこれでテンション上がってる感じ。楽しそうですよね。そして、ホテルに帰ってから全員で出かけた夕食は、なんと高級ホテルのレストランでのディナーでした。ベトナムの旅4日目、もう一回、お付き合いくださいね。
2024.04.06
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台湾の地震被害が次第に明らかになってきますね。沖縄の津波は杞憂に終わって幸いでしたが、台湾の被害はものすごいですね。ニュース映像、目を背けたくなります。被災された方達のご無事を心から祈ります。わたしにできること、多分募金に協力することくらいですけれど、できるだけ早く動きたいと思います。近頃ずっと「一つのC国」と仰っていたC国のXさんはどういう動きをされるのでしょう。同じ国の災害なのですから、いち早く救援活動や経済支援、ってもう始めておいでですよね、きっと。さて、ベトナム旅行記を続けます。高島屋を出てスーパーを目指します。ばら撒き用のお土産を探すみたいです。わたしは撒かない(撒く先がない)けど、家族用にドライフルーツ(マンゴー、パイナップル、バナナ)5袋とベトナム版キットカット、何故か抹茶味を購入。日本のより一個が少し大きくて、お味はあまりかわらなかったかな?お店は、やや高級な感はあったものの本当に「日常の買い物」のお店で、今思えば色々面白いものがあったはずなのです。ガイドブックにもベトナムには有名な天日塩があって、その塩を使ったライム塩、レモングラス塩、唐辛子塩、ピーナッツ塩なども有名なので、お土産にしても面白いと書いてあったと帰ってきてから思い出しました。そういえばクチでトンネルから出てきた後ふかしたキャッサバ芋に添えてピーナッツ塩を出してもらいました。美味しかったのに、どうして忘れてたんだろう、わたしったら。一生の不覚だわ!何も買いませんでした。スーパーはショッピングモールのビルに入っており、他にもいろんなお店があって、わたしは子供服のお店を見つけてここでも孫にワンピースを買ってしまいました。ピンクのノースリーブで上半身がスパンコールで埋め尽くされてるめっちゃ派手なのです。ワンピースだけなのに、午前中に市場で買ったセットアップの3倍近い値段。でも可愛くて買ってしまいました。全然ベトナムっぽくないけど可愛いと、後で息子に言われました。これは写真を撮ってないのでお見せできなくて残念。この後ようやくランチに行きました。みんな少しベトナム料理に飽きて、パスタ?と言うことになったのだけど、席が空いてなくて中華料理になりました。続きはまた明日。
2024.04.05
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東京でも桜の開花宣言が出て、そろそろ1週間。ようやく、咲いた!という感じになってきたようです。今日はランチを食べに外出したら、短い桜並木がかなりピンク色になっていました。花曇りくらいなら明るいのでしょうけど、今日は雨模様で、濃いグレーの雲が空を覆っていて、桜がイマイチ映えません。でも、頑張ってますよ。健気ですね。本当にかわいい。あと、どれくらい楽しめるかしら?これから数日、外出の口実を探すことになりそうです。
2024.04.04
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途中でアップしてしまい、変な終わり方になってしまった民芸品店KITOでのショッピングの続きです。いわどんさんから、バッチャン焼きをしっかりアップで見たいとコメントがありましたので、webから写真をお借りしてきました。写真の記事は、ここで見られますので、もっと知りたい方はぜひ読んでみてください。因みにジッチャン焼きはありませんが、ベトナムにはもう一つソンベ焼きという有名な焼き物があります。バッチャン焼きがバッチャン村で焼かれるのに対し、ソンベ焼きはソンベという村で焼かれる焼き物のことです。こちらはとても素朴な手描きの絵付けが特徴ですが、ベトナム政府が薪の窯を禁止したのでもうほとんど作られていないとどこかで読んだような気がします(曖昧)。ソンベ焼きというとアンティークなのはそのせいかも。寄り道が長いですね、KITOに戻りましょう。あのカゴですが、わたし、全部で6個買いました。いつもの会食仲間と会食するお店しか野さんの女将さん、そして4月にまた石川県からこの会食に駆けつけてくれる部活仲間のためです。畳なので結構重いし、嵩張るのですが、気に入ってしまったので仕方ありません。ここは、ドンコイ通りにも近い場所にあり、置いてあるものもお店のオリジナルだったりしてかなり品質の良いものばかりですが、付いているお値段もなかなか。で、6個買うけどディスカウントある?と聞いてみましたが、こちらは国営店ではない(KITOさんのお店です)けれど、値引きは一切しないんですって。カゴバッグは一個2500円くらい。ベトナムでは高いけれど、モノは良いし十分リーズナブルと思い、購入決定しました。ここには、ベトナムの民族衣装アオザイやアオザイをアレンジしたオリジナルデザインのワンピースなどもありました。アオザイはオーダーメイドなのでそこそこお高いのは納得でしたが、何気ないワンピースでも10000円くらいの値札のついているものがあります。でも、触ってみたらびっくりの素晴らしい風合いで、おそらく、ベトナムシルクです(買う気がないので聞かなかった)。意外なようですが、シルクはベトナムの伝統産業の一つです。高級な専門店に行かなければお目にかかれないものと思っていましたが、思いもかけないところで出会えて、触ることまでできて、ラッキーでした。これはコットンプリントのオリジナルワンピース。センスいいですよね。孫がもう少し大きかったらお嫁ちゃんと孫にペアルック買ってあげたいなあと思いました。YちゃんとEちゃんはこんな感じの小物入れやポーチを買っていたようです。これらもほとんどKITOオリジナルとのこと。可愛いだけでなく、すごくしっかりした作りでしたよ。そんなに長い時間はいなかったのですが、良いものを見て、良いものも買えて、皆んなそれぞれいい感じに満足したので、次の目的地地元のスーパーに向かいました。皆んな、キラキラのサンダルが欲しいと言っていて、高島屋にもちょこっと寄ってみました。サンダルやお洋服などさらっと見ましたが、KITOさんで良いものをいっぱい見たせいか、買いたい!というものを誰も発見できず、さらっと通り過ぎて、スーパーに行きました。
2024.04.03
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ごめんなさい。明日の夜までに完成させて、明日の日記としてアップするつもりだったのに、まだ書きかけのうちに公開するをタップしてしまったようです。スマホだと全文をコピー→別のページにペーストして、それを編集し完成させてから再アップということができません。この続きはまた書かせていただくことにして、中途半端な状態でのアップですが、これはこのままにさせていただきます。美味しいフルーツティーで元気を取り戻した女子軍4人は次なるターゲットに向かって歩き出しました。賑やかな通りを歩いていくと、狭い歩道に人が溢れんばかりの混雑、2-3人とか4人くらいの若い女性のグループが目立ちます。考えたら、この日は月曜日、テト(春節ーベトナムの旧正月)が明けて初めての月曜日だと、ガイドさんが言っていたました。つまりこの大賑わいは、ランチタイムでオフィスから出てきたホーチミンのOLさんやビジネスマンさんたちだったのです。お目当ての民芸ショップKITOさんになんとか辿り着きました。(ネットから拝借)外からチラッと店内を見ただけで、テンションが一気に跳ね上がるお店でした。(ネットから拝借)お店に入ってまず目についたのは、この美しい焼き物たち、バッチャン焼きです。C子さんのお目当てでもありました。彼女は小さなお皿を何枚か購入しました。そして、まさかのYちゃん参戦。彼女が選んだのはティーポットでした。彼女たちの焼き物をスタッフさんが丁寧にクッション材で包んで梱包している間にあれこれ見て回っていたEちゃんとわたしもそれぞれ見つけてしまいました。わたしがキャッチした(された)のはこれ。(ネットから拝借)カゴバッグです。これ、竹とか藁ではなくて畳なんですって。全て手編みでお腹に巻かれているフリンジも手仕事です。ごめんなさい、続きはまた後ほど。
2024.04.01
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4月になりましたね。東京でも桜がようやく咲き始めました。でもまだ花粉がいっぱい飛んでいて、お花見日和の日はあまり外出したくないです。あり得ないほど暖かい(暑い)日があるかと思えば翌日は真冬とか相変わらずの寒暖差だったり、花粉なのか風邪なのかわからないくしゃみが連発だったりと、少し憂鬱ではあるもののやはり春という言葉には心が弾みます。mamatam社は12月が年度末なので、4月は年度の切れ目ではないのですけど、実は新人さんも入社して今日から新しい気分でお仕事したいと思います。さて、ベトナム旅日記の続きです。ベンタイン市場での買い物を終えて外に出ました。考えてみると買い物したのはわたしとC子さんだけでしたが、YちゃんとEちゃんはコメントしながら一緒に選んでくれたり、気分良く付き合ってくれました。市場を出たら日差しは強いし、歩き疲れたし、どこかでお茶しようよとGoogleマップで近くのカフェを探し、ナビを入れて歩きました。ところが、地図では目的地付近に到着しているのにそれらしいお店が見つかりません。ガイドブックにも出ていないし、ヤヴァイお店かもしれないってEちゃんがいうので、ホーチミンでは大変珍しい信号を渡ったところに見えていた別のお店に入ることにしました。入ったのは、外見は小綺麗なカフェバーですがその実「海苔」という居酒屋さんでした。テラス席があって、明るくておしゃれな感じでしたがとにかく暑いし紫外線もイヤなので、冷房が利いて風も通る開放的な室内のテーブルに。天井からは大きなだるまさんがいくつも下がり、コースターにも達磨がデザインされていて、お店の名前はNORI、というか海苔でした。注文したのは、下の段のドリンク(スイーツを是非食べたかったのですが、流石に居酒屋さんですからメニューにありませんでした)。ジュースに見えますが、メニューではどれもお茶でした。ベースは何かのお茶だったのかも。でもどれもフルーツ感たっぷりで爽やか。ただ、氷が怖いのでどれもアイスキューブなし。だけどしっかり冷たくて、とても美味しかったです。お店の写真がないかとウェブを調べて見たらつい最近アップされた記事がありました。営業時間18:00〜ってなってるけど、2月の時点ではお昼も開いていました。記事の中にお値段が出ていますが、串焼きの55,000ドンは350円くらい、梅酒339,000ドンは2,100円くらい。わたしたちが頼んだソフトドリンクは、値段忘れてしまいましたが、多分500円前後だったと思います。美味しいフルーツティーで元気取り戻したご一行様、ショッピング続行です。次はC子さんの希望で雑貨屋さんKITOさんを目指します。(ネットから借用)こんなお店です。見どころ満載なので次回に紹介しますね。
2024.04.01
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ベンタイン市場につきました。いよいよお買い物ですが、何しろ広大な市場に膨大な数の店舗。4人で気の済むまでゆっくり品定めをしながらお店を回ったらおそらく日が暮れても終わりません。2人ずつに分かれ、集合時間と場所を決めて、その時間までに終わらせることにしました。集合場所はここです。スマホでここから外の写真を撮って、場所がわからなくなったら一旦外に出て外の道を壁沿いに歩いてその写真の景色の場所に戻れば会えるはずと打ち合わせ、わたしはYちゃんと、いざ出陣。わたしが買いたかったのはこの二つ。歩き出してすぐ、ポーチなどを売っているお店をYちゃんが見つけてくれました。売っているポーチは、仕立てもしっかりしているし、刺繍も手刺繍で結構豪華。でも、お店のお兄さんに値段を聞くと電卓に40,000ドンと打ち込んで見せました。計算も早くなって、2,500円とこちらは脳内電卓。一個の値段?と確認したら、そうですって。高いよね?とわたし。そうだねとYちゃん。お兄さんに「わかった。他のお店も見てみるわ。また後で来るかも」と告げて歩き出すわたしに、なんか安くするって言ってるみたいよとYちゃんが言うので、戻ってみると、10%引きますって。それでもまだ2,000円以上なので高すぎると思って首を振ると、「いくつ欲しいですか?ひとつ?たくさんならもっと値引きします」とお兄さん。時間もないし、そういうめんどくさい駆け引き好きじゃないんだけどと思いつつ、「たくさんはいらないわ。欲しいのは4つだけよ。」そこでまた電卓登場。今度は28,000ドンです。30%オフですね。換算すると1,700円くらい?そう言えばガイドブックに書いてありました。市場などで買い物する時、値段交渉するのは良いがあまり法外に値切るのは良くない。30%くらいが目安、と。値切りたいわけじゃないけど予算オーバーです。もう少し安いのが欲しいから、やっぱり別のお店も見てみるわと言おうとお兄さんをみると、また電卓の上を指が動き25,000という数字が入りました。1,500円くらいね、とYちゃんに言うと、いいんじゃない?と目顔でお返事。実は3つで4,000円ぐらいと思っていたのですが、良いことにして、OK、買うわ。ということで商談成立でした。値段交渉は苦手と思っていたけれど、できてしまいました。お嫁ちゃんとお嫁ちゃん母、お嫁ちゃん妹に一つずつ。もう一つは男子メンバーWKくんが奥様に頼まれたというので代理購入。ミッション、まずひとつ完了です。後はベビー服ですが、良さそうなお店が見つからないうちに集合時間が近づいてきたので、とりあえず集合場所に行ってみると、その向かい側にお洋服のお店が集まっていました。早めに全員揃ったので、その一角を探検したいとお願いして見に行きました。ワンピースやブラウス、パンツなどレディースがほとんどでしたが、モノもデザインもいいものが多かったので、ベビー服はあるか聞いてみると、案内してくれてたくさん品物を見せてくれました。それで写真のパンツとワンピースのセットを買うことにしました。わたしがベビー服を見ている間にワンピースを見ていたC子さんが1着買うと言い、2人で合わせて2着買うけどディスカウントできる?と聞いてくれました。すると、返ってきた答えは、「このお店は国営店なので値札の値段でしか売れません。NOディスカウントです。」というものでした。彼女が天井を指差すとそこにはFIX PRICEと書かれた板が下がっていました。そんなルールもあるの!?しかもこんな市場に国営店!?ほんとにびっくりでしたが、品物は気に入ったし、値段も高くはないので買いました。ベビー服は、刺繍も手刺繍っぽいし、綿100%のとても肌触りの良い生地で、後で計算したら1,000円弱、とても良い買い物でした。でも、ベンタイン市場のお店は、ドンコイ通りなどにあるような高級店に比べれば安いので観光客には人気だけれど、市民の人たちは高いと思ってるって前日のツアーのガイドさんが言っていました。国営店では市民もあの値段で買うのでしょうし、他のお店も市場の外の露店みたいなお店に比べればやはり高いのかもしれません。とはいうものの、わたしたちは「でも、良いんじゃない?わたしたち観光にきて、ここでたくさん楽しませてもらってるんだし、その分くらいはお金使わないと申し訳ないわよね?」と意見が一致したのでした。
2024.03.31
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自由行動というと旅っぽいけれど、この日のわたしたちのテーマは買い物でした。要するにお土産の調達なのですが、買い物というだけでテンションが爆上がりでした。買い物はベンタイン市場というホーチミン最大のマーケットでする予定ですが、その前に高級店が軒を連ねるというドンコイ通りで高級な方のお値段など偵察し、それから行くつもりなので、その開店時間を考えてのんびりしていたら男子軍はもうとっくに出発してました。年寄りはせっかちです。とはいえ女子軍もあまりのんびりしてはいられません。前日、前々日とバスで街中を何度も行ったり来たりしたので、少し土地勘はできています。スマホでGoogleにナビしてもらいながら繁華街を目指します。でも、さっそくベトナム語の洗礼。マップは英語なので、ベトナムの文字が読めないとやはり自分たちのいる場所がわからなくて、結局市場にたどり着くだけで精一杯、偵察は叶いませんでした。そうはいってもやや暑すぎるきらいはあれど快晴だし、街の中心部は建物も美しく最高の街歩き。ベトナムはこの日までお正月で、今年が辰年ということもあり、龍の飾り物がいい感じでした。街は建物もお花も綺麗。上の左は人民委員会庁舎という建物。忘れがちですが、ベトナムは社会主義国です。人民委員会が政府?で、大統領はいなくて委員長がいるということのようです。下の3枚は市民劇場です。これらの美しい建物は、フランス統治時代の建築物だそうです。こちらは上段が市民劇場と統一会堂。中段は国立歌劇場(オペラハウス)、下段左がパークハイアットホテル、右は前日ランチを食べたバインミーニューランです。中央郵便局とか教会とか、ほかにも見処はあるのですが、見つけ切れず、キョロキョロしながらなんとかベンタイン市場に辿り着きました。2000軒ものお店が入っているという巨大マーケットです。上段左はお肉屋さん。二段目左は貴金属屋さん。食べ物、アクセサリー、生地、靴、洋服、とにかくありとあらゆる種類のお店があるようでした。見て歩いているだけでもワクワクしてきて、綺麗だったり可愛かったりはしても何にするものなのかわからないとか面白いもの満載で、十分に楽しめました。ベンタイン市場でわたしがゲットしたもの、手刺繍の小さなポーチと孫の洋服です。この買い物もとっても面白くて楽しかったので、その話は明日また書きますね。
2024.03.30
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翌日の最終日は未明に出発なのでこの日が実質的に最終日、予約していたオプショナルツアーは全て消化して、幹事のNくんからは今日の日中は自由行動と言い渡されています。そうは言っても言葉もなかなか通じないこの街で1ひとりで自由に動き回るのはなかなか難しいです。出発前はスマホのナビもあるし、英語なら少しはわかるし、一人歩きをしたくなってもなんとかなるんじゃない?と結構お気楽に考えていましたが、実際に現地に立ってみるとそれがとんでもなく能天気な考えだったと痛感しました。何日か前にMoMo太郎さんがベトナム語のことをコメントに書いてくださいました。外語大のベトナム学科の卒業生に教えてもらったけれど、メッチャ難しかったと。わたしも実は少しくらい勉強していこうと思いはしたのです。でも、我が家近くでベトナムのサンドイッチ「バインミー」を売っているお店を見つけてランチの調達に出かけ、店先のメニュー看板を見た瞬間に無理だと諦めました。もちろん日本語は書いてありましたから、メニューはわかりましたが、原語の方は全く読めなかったのです。文字自体はお馴染みのアルファベットですけれど、まず母音の上や肩に見慣れない記号が付いています。恐らくその記号の種類だけ発音があるのだろうとは思いましたが、お店の青年に読み方を尋ねてみたら、なんと!!!真似すらできません。ホーチミン市2日目に晩御飯に行ったお店、ホアンイエンでした。綴りは下の写真の通り。これは母音に記号が付いているとは言え、比較的やさしいですよね。アルファベット通りに近い。でもその次の日のランチのお店、Bahn Mi Nhu Lanはこれでバインミーニューランと読むそうですが、読めないですよね?ネットに出ていたものですが、ベトナムの五十音表みたいなもの?これを見ただけですっかり心が折れました。それなら数字だけでもと思ったのですけど、これがまた難しくて、覚えたのは3、バーだけ。これは333というベトナムビールがあって、バーバーバーと読むので覚えました。じゃあ、挨拶ぐらいは!そう思いますよね。だけど、ありがとうもコンニチハも聞いた時はそうかと思うのに、耳慣れない言葉って胸の中で落ち着いてくれないのでしょうね、少し経つとあれ?ってなる。忘れちゃっているのです。でも、オプショナルツアーでガイドさんから何度も聞いたので、ひとつだけ覚えたことばがあります。シンチャオ、綴りはXin chao(母音のどれかに何かの記号は付くと思いますが)です。これは朝昼晩のいつでも使える挨拶だそうです。で、街歩きの話に戻りますが、○○通りから○○通りを通って○○というお店に行きたいと思って地図やナビを持って歩いているとすると、通りの名も店名も表示はベトナム語なんですよ。なので、今自分がどこにいるのかを地図上で探すのも一苦労なわけです。というよりほぼ不可能でした。ということで、この日は自由行動とは名ばかり、かろうじて男子軍と女子軍に別れはしましたが、2グループでの団体行動でした。、わたしたち女子軍はまずホーチミン市最大のマーケット、ベンタイン市場へ行って2000軒あるというお店を見て回り、お茶でもした後C子さんがぜひ行きたいと言っている民芸品?のお店に行き、どこかでお昼を食べてスーパーマーケットを偵察するというコースを決めました。夜は全員で晩ご飯ということなので、夕方までたっぷりホーチミンを味わおうと意気込みながらホテルを出発しました。続きはまた明日。
2024.03.28
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水上人形劇の後は、この晩のオプショナルツアーのもう一つのイベント、サイゴン川に浮かぶ船上でのディナーです。これ、ビルじゃなくて船なんですよ。インドシナクイーンっていう名前です。揃って船に向かいます。テンション上がってます。ワクワクです。中段下段はホーチミン市を流れる川、サイゴン川の夜景です。綺麗でしょ?船はこの川の埠頭に停泊していました。船内ではこんなショーも見られます。お楽しみの始まりです。テーブルにたくさんのお料理が並び、みんなでシェアしながら戴くのは今までのお店と同じですが、こちらではパーサーさんがお料理を取り分けてくれます。お魚の丸焼きも鮮やかな手捌きで切り分けてサーブしくれました。着いた時間が遅かったようで、他のテーブルはもうみなさんお食事を始めていました。出遅れたわたしたちは、お腹いっぱいになった頃ふと窓の外を見たら、なんだか景色が動いています。あれ?この船動いてる?と誰かが言って、皆、部屋を飛び出すと、あらら、船はもう元の停泊位置にゆっくりと戻っていくところでした。急いで写真撮影。なんだか写真がダブってますけど、お気になさらず。そんなこんなでバタバタと下船でしたが、美味しいお料理でお腹いっぱい、気分も上々。盛りだくさんな3日目はこうして終わりました。
2024.03.27
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この日は夜のオプショナルツアーも予約していたので、遅いランチを食べた後のんびりホテルに戻り、夕方ロビーに集まる時間を決めて、それまでは各自自由行動となりました。後で聞いたら男子達は散歩に行ったそうですが、わたしとYちゃんはお部屋でまったりしました。この日も湿度は低くても最高気温34℃の真夏日でしたから、連日10℃台の東京から来た高齢者にはやはり堪えます。シャワーを浴びてさっぱりし、Yちゃん持参のコーヒーを淹れてもらってのんびりガールズトークならぬオバサントークです。高校同期とはいえ同じクラスになったこともなく、進路も全然異なるわたしたちでしたから、共通の友人はたくさんいて、彼女達を通して知っていることは多いものの、お互いに知らないことの方が多くて、おしゃべりの種は尽きません。集合時間まではあっという間でした。時間にはロビーに全員しっかり集合して、今夜の冒険は、まず水上人形劇(民俗芸能らしいです)、それからサイゴン川に浮かぶ船でクルーズディナーという段取りです。ホテルを出たバスはホーチミン市内のホテルをいくつか回って参加者を拾い劇場へ。小さな劇場の派手なお出迎えにびっくりの一行。中に入りますと、狭い劇場の中にはぎっしりのお客さん。人形劇ですから舞台も小さいです。その舞台の左右には楽団席。人形劇版オケピ?文楽風に言うと「床」ですね。そこにバンドの方達が座って開演を待っていました。舞台後方の幕が開いてお人形達が出て来ます。小さなお人形で、精緻な動きをするものではありませんでした。バンドの演奏や歌に合わせて舞台の上を小さな人形がちょこまかと動き回りますが、お祭りとか、船のレースとか、種まきとか、そんなタイトルで、しっかりストーリーがあるようなものではありません。ただ、このお人形、操り糸とかないんですよね。だから細かい動きができないのだと言うことは分かりましたが、でも誰かが操っていることは確かです。どう操っているのかがわかりません。もう一つ不思議だったのは、この舞台に、写真では分かりづらいと思いますが、お水が張ってあることです。疑問が解けたのは全部終わって外に出てから。同行の友の1人が教えてくれました。人形達は舞台後方の幕の後ろにいる人形遣い達が棒のようなもので操っていて、その操り棒?は水の中にあり客席からは見えないようになっているんですって。上段が、フィナーレに舞台に現れて手を振る人形遣いさんたち(ってこの時はまだ「誰?」でしたけど)です。腰の下まで水に浸かってますから、結構深い、子供プールくらいの深さがありますね。勉強不足でよくわからないまま見ていたもので、楽しかったようなそうでもなかったような。。。バンドさん達の楽器や歌も調べていたら、もっと楽しめたかもしれません。ちょっと勿体無い事をしました。それでも雰囲気は味わえ、結構満足して次のイベント、ナイトクルーズとディナーに向かいました。
2024.03.26
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今日もバネ指は絶賛継続中です。親指の関節が滑らかに動かず、曲げるのも伸ばすのもカックンカックンとまるで機械仕掛けのよう。力を入れると痛いし、左手で助けてあげないと親指が曲げ伸ばし出来ないときもあります。あ今日もスマホ入力は少ししんどいので、仕事場のパソコンで打ちました。ブラインドタッチだと、タイピングには右の親指ってあまり使わないのです。むしろマウス操作の時が痛みます。というか、仕事中は、それよりボールペンを握るのが一番きついです。ベトナム旅日記、遅々として進みませんが、今回は三日目の遅めのランチのことを書きます。クチトンネルのオプショナルツアーが終わり、前日と違ってランチはついていないツアーでしたので、ホーチミンに戻って遅いランチです。ツアーのガイドさんが教えてくれた中からWくんが選んだバインミー(ベトナムのサンドイッチ)のお店に行ってみようという事になり、お店の前でバスを降ろしてもらいました。お店の名前はBanh Mi Nhu Lan (バインミーニューラン)。かしこまったレストランではないけれど、店内にテーブルがあって座ってお食事できるお店でした。左の上がガイドさんのおすすめ料理のメモ by Wくん。右はお店のメニュー。読めませんけど。中段は多分春巻きと野菜(というか草っていう感じ)にベトナムのハム、ソーセージみたいなもの。下段の左がお店の名前にもなっているバインミーです。一本を半分にしたもの。飲み物はやっぱりビールでした。選んだのかこれしかなかったのか忘れたけれどこの日もサイゴンスペシャルです。注文したお料理です。みんなでシェアして戴きました。どれが何というお料理でどんなものだったか、よく覚えていませんが、多分ガイドさんのメモにあったものだと思います。どれもお野菜たっぷり、あっさり味で、美味しかったです。ベトナムはフルーツの種類が多くて美味しいし、スイーツもほとんどのガイドブックでそのページが設けられてるくらい美味しいというので、絶対食べたいと意気込んでいたのですが、その前に誰かがこれを2個ずつ注文していました。ストローが刺さっている方はココナツジュースで、こちらはイマイチでしたが、もう一つの方は、刳り抜いたヤシの実の中にプルンプルンのナタデココみたいなのが縁までいっぱいに詰まっていて、まず見た目でテンションが上がりました。味も美味しくて、これは正解だったと喜んだものの、見た目よりずっとボリュームがあって、みんなで分けて食べたのに別腹のスペースもなくなってしまい、他のスイーツは諦めました。このお店も、ガイドさんが推薦するあって大繁盛でしたし、なかなかの有名店らしいのですが、安くてサービスも早く、親切だし、お料理の味も良くて、ホーチミンのお店の評価がまた上がったねえと話しながらのんびりホテルに戻りました。
2024.03.25
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右手の親指がばね指になって3週間くらい経ちます。ここ数日、痛みが強くなっているし、動きもすごく悪いです。力も入らないので、何をするにも不自由です。わたしはブログをスマホで書いていて、入力は人差し指ですが、親指にも力がかかっていたことがこうなってわかりました。ここまで書いただけで、親指が少し痛むくらいです。長いベトナム日記を入力したり、写真の編集をするのはちょっと辛いので、今日はブログをお休みします。
2024.03.24
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昨日書いたように、クチトンネルはベトナム戦争の戦跡です。わたしと同じくらいの世代の方ならかこのクチという地名に覚えがあるかもしれません。クチには南ベトナムゲリラ軍の基地がありました。この辺りが「鉄の三角地帯」と呼ばれるほど難攻不落の基地で、手を焼いたアメリカ軍は枯葉剤を撒いてジャングルを消し去ろうとしたり、農民をゲリラとして殺したり、それが世界に知られることになり、アメリカ国内でもベトナム戦争に反対する声が上がることになった、そんな土地でした。南ベトナムゲリラ(ベトコン)は、地下トンネルでアメリカ軍に対抗しました。全長200kmを超えるこのトンネルは単なる通路ではなく、基地であり、生活空間でした。ゲリラたちの半数はこのトンネルの中で暮らし、半数がジャングルに身を隠して暮らしていたそうです。なのでアメリカ軍にトンネルの位置を特定されないよう様々な工夫をしていて、その一つが有名なこの出入り口です。人間1人がギリギリ立てる大きさの穴で、蓋は上に土や葉っぱなどをかけてカモフラージュされています。入る時は、肘が引っかからないように両手をまっすぐ上に伸ばして蓋を持ち、膝を曲げていきます。蓋がピッタリハマったら手を離すそうです。他にも、槍のような刃を並べた落とし穴や色々な罠が仕掛けられていてアメリカ兵を苦しめたそうです。トンネルの中には調理場や作戦会議室、倉庫などもあり、作業場もあって、ゲリラたちはそこで不発弾を解体して手に入れた金属でそれらの武器を作っていたそうです。わたしが聞いた説明では、ゲリラはカーキ色の服を着ていて、黒い服を着ているのは農民だとのことでしたから、これはクチの農民の人たちがしていたことなのかもしれません。米軍が放置して行ったものか、戦車なども置いてありました。トンネルのごく一部が保存されていて、中に入れるようになっていました。狭くて低くて、ここで生活するのはチョットと思ってしまいました。右上の写真は日本製のタイヤから作られたサンダルで、鼻緒が変な向きについています。それを履いて歩くと足跡の前後が逆になって、跡を辿られないように考えられたそうです。こうして見てくると、1955年から20年間もこうしたことを続けて、大国アメリカに抗い勝ちを収めたベトナム人に敬意すら感じてしまいました。最後に、ベトコンの人たちがお昼に食べていたという蒸かしたキャッサバ芋を食べさせてもらいました。ほとんど全部食べてしまった後でごめんなさい。砕いたピーナッツを混ぜた塩をつけていただきました。ほんのり甘くて、決して不味くはありませんでしたが、トンネル内に調理場があったと言っても、お料理というのはこの程度のものだったのかなと思いました。それから戦争当時の映像を見ました。プロパガンダフィルムなのですけど、若い人たちが歌ったり踊ったりしているところとか、単なるプロパガンダではない当時の日常の貴重な記録と感じました。これでトンネルツアーは終わり。1時間半かけてホーチミンに戻りました。そうそう、この日は、枯葉剤で消滅してしまった元ジャングルに再生した(植えられた?)木々の間を歩き回りましたので、たっぷり虫除けスプレーをまぶして出かけましたが、やはり虫はほとんど見かけませんでした。あ、もう一つ書き忘れました。クチでは、有料で実弾射撃の体験ができます。わたしは近寄りませんでしたが。
2024.03.23
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ベトナム3日目もオプショナルツアーを申し込んでありました。前半のメインはベトナム戦争の記憶を残す史跡クチトンネルです。ツアーではクチに着く前に障害者の方が手工芸品、主に漆製品を製作しているという施設を訪ねました。ベトナム戦争当時散布された枯葉剤の被害者の方もおいでになるとも聞きました。施設に入るとすぐに説明があり、作業の見学ができます。板に漆を塗り、砕いた貝を図柄に合わせて嵌め込んでいき、何度も丁寧に磨きをかけます。緻密な作業を丁寧に行われていました。未完成ですが、完成に近い作品です。さらにしっかり磨いて、商品として陳列します。こうした壁掛けのほかに、器や花瓶なども並んでいました。お値段は、まだ計算がうまくできなくて正確にいくらなのかはわからなかったものの、そこまで高くはないようなかんじでした。なので、超工芸品ラブ❤️なわたしとしてはmamatamさんへのお土産に買う気満々だったのに、綺麗な作品がたくさんありすぎて集合時間になっても決めきれず、後ろ髪をひかれながら集合場所に急いだのでした。ちなみに、後でいろんなお土産屋さんとか空港の売店とかでもここのと似たような商品をたくさん見かけましたが、ここで売られていたのが一番品物が良かったような気がしました。この漆工芸品と言い、生ローヤルゼリーと言い、ベトナムの旅のお土産には「失敗!残念!」が多いです。それも、買えば良かった、残念!の失敗。これって、むしろ買って失敗より悔しいものですね。さて、ここからまたしばらくバスに乗ってクチに行きます。「ベトナム戦争の記憶に触れる!ホーチミンから北西へ約70km場所に位置する、クチ。ベトナム戦争当時、「鉄の三角地帯」と呼ばれ難攻不落といわれたこの街を支えたのは、全長250kmに及び地下にはりめぐらされたトンネルでした。VELTRAのツアーでは、現在も一部残されたトンネル内部や、当時の生活が再現された場所を見学することができ、ベトナム戦争の歴史に肌で触れるこができます。」旅行会社ベルトラのオプショナルツアーのページでは、こんなふうに説明されています。その様子は明日ご紹介します。
2024.03.22
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春のお彼岸なので昨日はお寺にお墓参りに行ってきました。実家と婚家のお墓の両方が同じお寺にあるのはすごく便利です。雨が降りそうだったのでお昼雨に急いで出かけ、急いで掃除とお詣りをして帰ってきたら、雨がぱらつきだしたのは家に着く直前。ラッキーでした。でもすごい風で自転車がとばされそうでしたよ。そして今朝、大谷選手の専属通訳の水谷一平さんが解雇というニュース。どうやら違法な賭博に関係していたらしく、その掛け金(の一部?)日本円にして6億円以上が大谷選手の預金から支払われていたらしいということも。水谷さんは翔平は何も知らないと言っているそうで、横領の疑いもあるのかも。お仕事だけじゃなくプライベートでも、信頼関係で結ばれているベストパートナーという印象でしたから、大谷選手はさぞショックだろうと思いました。でも、先日結婚され、こんな時にしっかり支えてくれる本当のパートナーができていたことは不幸中の幸いでしたね。さて、旅日記を続けましょうか。2日目からなかなか先にいきませんが、昨日書いたランチの楽しそうな写真が一枚見つかったので貼り付けておきます。外の景色がジャングルっぽくて良いですよね。ガイドさんが写してくれたので8人勢揃い。なので、ギュウギュウです。ご飯を食べて、ミトーの船着場に戻ってきました。メコン川の川幅って2kmとか3kmとかあるんですよ。そうそう、クルーズに出る前に刺激臭にゲホゲホ言いながらみんなでもう一度虫除けスプレーをかけたのですが、乾季でボウフラがわかないのか蚊の姿は見ませんでした。kopandaさん、ヒルもわたしたちが歩いたコースにはいなかったみたい。感染症も特には注意されませんでした。ホーチミン市内でも蚊はいませんでしたよ。最近海外旅行に行ってトコジラミを連れて帰ってきちゃう人が増えているなんてことも聞いていたので、ベッドにも、念のため持って行ったそれ用のスプレーを撒いたりもしましたも。でも、蚊以外で気をつけるように特に言われていたのはお水でした。みなさんよくご存知と思いますが、それは水(水道水)を飲まないだけでなく、生野菜や(水道水で洗ってその水ががそのまま残っている可能性があるから)、飲み物に入っている氷も要注意ということでした。わたしの友人に、中東に旅行に出掛けて、ピロリ菌に感染した人がいましたが、原因は野菜サラダ以外考えられないと言っていました。とにかく、水道の水であっても、そのままで飲み込んではいけないということなので、入国後2日ぐらいは、歯磨きは?うがいは?洗顔は?とやたら神経質になっていました。だんだんそこまで気にしなくて良いか?になりましたけど。とは言え、一見綺麗な水道水ですらそうなのですから、いくら蛍が住むと言われてもあのメコン川の水には手を触れないようにしましたし、もちろん口に入れる気にはなれませんでした。話がそれましたが、2日目は17時頃にホテルに戻りました。最高気温35℃のこの日、日本の夏に比べれば湿度はずっと低くてカラっとしてはいるものの、暑いのは暑かったので、少しホテルで体を休めてシャワーなども浴びてから、ロビーに集合、幹事のNくんが調べてくれたレストランに晩御飯を食べに行くことになりました。行ったお店はホアンイエンという春巻きレストランです。有名店らしいです。大きなテーブルにお皿を並べ、その前に家族や友人がぎっしり並んで好きなお料理を、好きな調味料で味変して賑やかに食べるというのがベトナム流だそうです。わたしたちが選んだお料理は生春巻きと揚げ春巻き。生春巻きの脇の四角い小皿に赤いものが載っていますが、これ、唐辛子です。辛いものラブな女子が端っこを一口噛んで悶絶していました。わたし?もちろん手も触れません。あげはるまきのわきにたくそんの草?葉っぱ?が盛ってあるのは、これから出てくるスープ類に好きなだけ入れて!というハーブです。そして一番下はベトナムのビールです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ベトナムで最もポピュラーなビールは333(バーバーバー)という銘柄ですが、このサイゴンスペシャルも良く見るビールです。写真一番上の「ビアサイゴン チル」、これもキリッとして美味しかったです。その下のピンクっぽいものは紫芋のスープで、このお店の人気メニューだそうです。付け合わせのお漬物、奈良漬みたいな味で美味しかったです。誰かがご飯が食べたいというので頼んだら、丼どころか大きなボールみたいな鉢に山盛り出てきました。長粒米なのだろうけど、甘味もあって、不味くなかったです。一番下はフォー。野菜たっぷりのスープと麺が別盛りで出てきました。このスープも優しい味で美味しかったです。フォーはベトナムの素麺って感じ。他にも食べたと思うのだけれど、写真を撮り忘れ、メモも忘れました。このお店はホテルまで歩いて5分くらい。みんなで回り道して夜のホーチミン見物しながらかえりました。ホーチミンの満月。あちこちのビルがライトアップされて綺麗。ベトナムの人たちはお花とかキラキラとかが大好きみたい。あちこち綺麗に飾りつけられていましたね。ホーチミンには日本のコンビニも結構あって、この晩はホテル近くのサークルKに寄り道、20,000ドン(!)の某アイスを買って帰りました。
2024.03.21
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ハチミツ農場の島の見学を終えてクルーズ3艘目の手漕ぎのボートに乗り込みます。一艘に4人ずつ乗った乗客に円錐形の編笠が手渡されました。ノンラーと呼ばれる笠です。降りる時に回収されて使いまわされるため、ビニールがかけられていたりしました。絶えず川底から巻き上げられる泥で水は濁っていますが、蛍も住むという綺麗な水を進んでいきます。希望すれば櫓を握らせてくれます。NHKのネイチャー番組のスタッフに入ったみたいな気分でした。運良く乾季の旅だったおかげで一日中この青空でした。のんびり進む手漕ぎボートを、本当にいろんな表情で迎え送ってくれます。この後ランチが待っているということで良いところで折り返し、元の船着場に戻ってきました。テーブルが少し狭すぎましたが、8人分のランチです。奥の方にあるまん丸いものは揚げたお餅です。隣はスープでその隣はエレファントイヤーフィッシュというメコン川の魚を丸ごと揚げたもの。身を外して野菜や調味料と合わせて春巻きの皮で巻いていただきます。これはこの辺りの名物料理だそうで、テーブルの4辺に可愛く並んでいる丸い容器に入っているのが調味料です。お醤油(多分魚醤)とか、タマリンドとか、あとはなんだか忘れましたが甘辛しょっぱい酸っぱいでした。手前の左はなんだか忘れましたが、真ん中は炒めたご飯。右は空芯菜の炒め物です。手前の半円形はバインセオ、お好み焼きみたいな感じです。この後、生春巻きとか揚げ春巻きとかも出てきました。フルーツはスイカ。美味しかったです。この波止場食堂みたいな感じで、実はお味には全然期待していなかったのですが、どのお料理も期待以上のお味だったんですよ。もう、ほとんどびっくり!ベトナムのお料理は出汁などはしっかり効いていますが、基本あっさりした味付けで、日本人にはかなり馴染みやすいお味と思いました。テーブルに並んだ調味料で、甘辛塩酸を自分の好みの味に味変していただくのが普通のようです。食材も、お肉(牛豚、鶏)、海鮮に川魚、お野菜と、とっても豊かで、何よりフルーツがめっちゃ豊富で美味しいのが女性には嬉しいポイントです。この日のランチは、幹事のN君からまだクルーズもあるのでビールは控えめにとくぎをさされたのにみんな好きなだけビールをお代わりして、ご機嫌で終了。そのあとは、いわどんさんお待ちかねのワニさんとのご対面です。メコンの鰐は小さめな気がしました。わたしと同室のYちゃんがワニさんの餌やりにチャレンジするというので、(釣りしてるんじゃありません)写真を撮っていたら、わたしの傍に立っていたおじさんがベトナム語でなんか言っています。はい?と聞いたら、good!good!とニコニコしなが、口に指を当てて美味しいのジェスチュア。下手な映画で、美味しいの?ワニが?と聞くと、ウンウンと、あちらも下手な英語で、チキンみたいな味だよ。最高だ。ですって。参考までに承っておきました。近くにはナマズの養殖池もあり、餌をやっている人がいましたが、すごい食欲で、コ、コワイ。これも美味しいと言われましたが、いやー、これ食べるの?うーん、考えておきます。そんなこんなで島を後にします。大中小と乗り継いできた船を反対に中→大と乗って帰ります。あ、どうやら写真がこれ以上入らないみたいです。今日はこの辺で、続きはまた明日。
2024.03.20
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ベトナム旅行記のつづきをアップしたらなぜか2月19日分となってしまいました。編集で日付を変えようとしたのですが、一旦アップした記事の日付を変えることはできないようです。それならと、ここに全文をコピーして今日の日付でアップしようと思ったのですが、スマホだと記事全体のコピーは無理みたいでした。こんな感じの記事です。時間のある時にパソコンで編集します。今はとりあえずリンクを貼っておきますので、よかったらこちらも読んでいただけたら嬉しいです。
2024.03.19
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タクシー騒動やら、C子さんのお部屋の移動やら、セイフティボックス騒ぎやら色々あって、ベトナム最初の夜は気づいたら日付けが変わって現地時間の午前1時でした。でも体感は日本時間の23時ですから、体力的にはまだ余裕。とはいえ翌日はリアルジャングルクルーズの「メコン川クルーズ」でロビーに7時半集合ですから、身支度をし、朝ごはんをたべるには6時には起きなくてはなりません。日本時間なら4時ですから、これは大変!と、アラームをセットしてYちゃんとシャワーを交代で浴び、就寝しました。セイフティボックス、電話、テレビと御難続きでも、建物は古くても、お部屋は清潔だし、熱いお湯がたっぷり出るシャワーがあり、トイレのお水もきちんと流れて、空調もしっかり効いたホテルはアラームが鳴るまで安心して休ませてくれました。2人ともスッキリ目覚め、落ち着いて身支度。事前情報では蚊が媒介する伝染病(デング熱やマラリア)に注意ということで、日本で季節外れの虫除けスプレーを探して買って来ましたので、まずはお互いに掛け合って対策その1終了。一階というかG階ロビー裏の朝食会場に。あら、皆さんすでにお揃い! HPから拝借こんな風にパン、飲み物、ヨーグルト、フルーツ、おかずなどが並べてあるので自分でお皿に取り分けます。その日の朝ごはんはこんな塩梅。右にある丼の中身はフォー(米粉を使ったベトナムの麺)です。お部屋の隅に屋台みたいなのがあってお願いするとサッと作ってくれます。麺が日替わりで美味しかったです。コーヒーはベトナムコーヒー。ベトナムは世界的なコーヒーの産地ですが、普段わたしたちが飲んでいるのとは品種が違うそうで、インスタントコーヒーのような苦味の強い濃いコーヒーでした。さすが熱帯のホーチミン、バナナやドラゴンフルーツなどの果物がとても美味しかったです。あまりのんびりはしていられないのでそこそこで切り上げてお部屋に戻り、荷物の確認をしてロビーに。バスの乗車時間が長いので、持病持ちの高齢者であるわたしはマスクも装着。対策その2も完了です。待つほどもなくなくバス到着。ベルトラ(VELTRA)という現地の旅行会社主催のオプショナルツアーで、永長寺というお寺を見学してからメコン川へ。メコン川へはホーチミンからはバスで2時間ほどだそうで、早速出発です。ホーチミン市内にはフランス植民地時代に建てられた、西洋風の古いけれど美しい建物が何棟もあります。もちろん今風のビルもあります。そういえば、昨日の記事にクマタツさんからいただいたコメントは、「ベトナムは今もばっちょ笠をかぶった人が町中あふれているのでしょうかね。」でしたが、この写真に小さく写っている人たちの姿を見ていただければお分かりの通り、あの特徴的な笠を被った人はホーチミンでは1人も見ませんでしたよ。それと、ここに写っている白い車体のVINASUN TAXIは、乗っても大丈夫なタクシーなうちのひとつです(これはガイドブックにも載っているし、ガイドさんも断言したので間違いのない情報のようです)。車体の色とドライバーさんが皆制服を着ているのがOKの印だそうです。サイゴン川のほとりには、こんな超現代的な眺めの一角があり、市の中心部を離れると、立派なタワーマンションなどもありました。市街地から出ると田んぼや果樹園の続く田園地帯で、さらに離れると崩れかけた廃墟のような建物に洗濯物が干してあって住宅とわかるものや、小さな間口の外にたくさんの商品の並べられた古びた商店などが増えて来ます。道路に面したお店だか住居だかわからない建物の前にテーブルと椅子が置かれ、その前では必ず男の人(たち)が飲み物を前にタバコを吸っています。ツアーの日本語ガイド、ドゥックさん曰く「ベトナムの女の人はよく働くけど、男は働かない」そうです。でも、ツアーバスのドライバーさんも日本語ガイドのドゥックさんも男性だし、ホーチミンでもたくさんの男性が仕事をしていました。わたし自身、旅行という短い期間の中でしたが、ベトナムの人はよく働くし真面目と感じる場面に何度も出会いました。ただ、道の両側に植えられた木には綺麗な色のお花が咲き、ココナッツやマンゴーらしい実が生っているのが走るバスの窓から見えるし、お米も大した手をかけなくても1年に3回収穫できるというし、そんな恵まれた気候のおかげで、一生懸命働かなくても最低限生きていくことはできてしまうものだから、向上心の強い人、出世欲のある人とそうでない人とで、生き方に大きな違いが出るのかもしれないと思いました。お店や市場の多くのスタッフには英語はもちろん日本語を上手に話す人も多いですし、この日の日本語ガイドのドゥックさんなんて、日本に来たことは一度もないそうなのに、日本語でジョークや流行語まで言うし、ベトナムの歴史を日本語で説明できちゃうほど、日本語が上手なのです。頑張り屋さんが多いのじゃないかと思います。さて、観光です。バスはまず、お寺に到着しました。永長寺です。1849年に設立され、この建物は1907年に改築された、割と新しいお寺ですが、永長古寺という額がありました。この建物も、かつての宗主国フランス建築の影響を受けているそうです。これ、ブーゲンビリアだと思うのですが、この木、源平咲きなのです。珍しくないですか?時間がなくて、歩きながらだったのでこんな写真しか撮れませんでしたが、写真を拡大するともうすこしはっきりわかると思います。境内にはたくさんの仏像が置かれていました。この弥勒菩薩像は、ようやくお座りできるようになった孫の後ろ姿にそっくりで、思わずシャッターを切ってしまいました。このお寺の見学に充てられた時間はとても短くて、今思えばかなり残念でした。おそらくメコン川でのクルーズに組み込まれたランチをあまり遅くはできないので、お寺見学の時間が端折られたのかもしれません。もう少しじっくり見たいところがまだまだたくさんあったので、クルーズの後お寺に寄ってくれたら良かったと思いましたが、本当に残念至極、ここはチャチャっと一回りしただけで、バスはクルーズ船の乗り場のあるミトーに向けて出発しました。ミトーに着けばいよいよメコン川クルーズ。そのお話は、次回に。
2024.03.18
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先ほど、珍しく夫がドラマを観てると思ったら、NHKの日越外交関係樹立50周年記念ドラマ「ベトナムのひびき」でした。あまりテレビを見ないわたしなのに、ベトナムの旅から帰って来て以来、ふとテレビを見ると「ベトナム関連の番組が流れている」率がとても高いのです。何か訳があってベトナムが取り上げられる機会が実際に増えているのか、そういうわけではなくただの偶然なのか、もしかしたらわたしの気のせいなのかわからないけれど、不思議な気がしています。それらの番組を見て「あ、そうそう、懐かしい!」と感じることと、逆に「へえ、こんな所もあったの?見たかった(行きたかった)なあ!」って思うこと、どちらもありますが、今日のドラマでは、ベトナムの交通事情のことを思い出しました(ドラマのテーマは音楽で交通事情ではありませんでしたけど)。わたしが知っているのはホーチミン市だけですが、公共交通機関が少ないため、移動手段にバイクを利用する人がすごく多くて、自動車も少なくはありませんがバイクの台数たるや半端ではありませんでした。それも2人乗りは当たり前、3人乗りも普通、4人乗りも結構いました。わたしが見た最高人数は子供3人とご夫婦らしい5人乗りでした。ホーチミン滞在中のわたしたちの移動手段は、観光(現地ツアー)の時はバスでしたが、どこでもたくさんのバイクに囲まれて走っている状態でした。みなさん(特にバイクは)結構奔放な走り方だけれど、都市部はもちろん郊外でも、車もバイクもそこまでのスピードは出していなくて、だからあまり事故も多くはないかもと思いました。実際にはバイクの事故は時々あるらしく、大丈夫?大丈夫?と確かめ合って、お互い無事と分かれば、OK、じゃあねで終わるみたいだと、帰って来てから読んだどなたかのブログに書いてありました。そのおおらかな感じは、彼の地に滞在中、よく感じていたように思います。例えばバスで移動中も徒歩での移動中も、とにかく日本では考えられないほどクラクションの音が聞こえて、それは、日本だったらそこらじゅうで小競り合いや喧嘩が起きていそうな勢いですけど、そういうことはなくて、思い返してみると、ベトナムのクラクションには緊迫感?イライラ感?みたいなものをあまり感じなかったような気がするのですよね。危ないだろっ!!というクラクションじゃなくて、あぶないよ〜♪なクラクションという感じ。市内では歩いて移動でしたが、街中もあまり信号がなくて、でも車もバイクもそこそこ多いので、歩行者は横断したくてもボーッと立っていてはいつまでも道を渡れません。だから最初は緊張して、恐々、間を空けないように塊になって小走りで渡っていましたが、そのうち慣れてくると先頭の人が車の隙間を見つけて渡り始めたら、続く人は車やバイクのドライバーを見ながら手で止まってねと合図をしながら、結構悠々と渡るようになっていました。すると車は止まってくれるし、バイクは止まりはしなくても避けながら走っていきます。きっと元来優しくて、細かいことを気にしない国民性なのかなと思います。何しろ、種を蒔けばほっておいても年に3回お米が実るといい、道端では椰子やマンゴーの木に実が生っているお国柄ですから。でも20年以上にわたって大国アメリカに屈せず戦い続け、最後には勝ちを収めた人たちです。その根性、気力は侮れない、決して侮ってはいけない人々でもあるのでしょう。それは、ベトナム戦争の戦跡のあるクチを訪れたオプショナルツアーでも、強く感じたことでした。余談が長くなりました。次回は旅の2日目のお話に戻りますね。
2024.03.17
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1日目、2時間の時差が頭から抜けていたわたしはホーチミンに夕方到着すると思い込んでいたのですが、飛行機が1時間も遅れたこともあって、ホーチミンに着いた時はもう真っ暗でした。わたしたちはホテルまでの送迎バスを予約していたので、空港ビルの外でガイドの方と合流しました。ところで、この旅行には、全ての予約が済んでから参加を決めたメンバーが一名いて、幹事のNくんと彼女自身の頑張りで、往復の飛行機やホテル、オプショナルツアーは皆と同じものをほぼ同じ金額で手配できたのですが、空港とホテルの送迎バスだけは人数追加のOKが取れないまま現地入りしていました。幹事のNくんは、空港に着いてから送迎バスのドライバーに交渉すれば問題ないはずと言っていたし、実際、ガイドの人も最初は追加OKと言ったので全員でバスの乗り場まで移動したのに、乗車という段になって人数の変更はできないと言い出し、結局、彼女と男子メンバーの1人がタクシーでホテルに来ることになりました。送迎バスがいくつかホテルを回ってホテルに着いたのは現地時間で23時近くなっていました。タクシーの2人はもう着いているかと思いましたが、ロビーにはまだいなくて、チェックインが済んでも姿を現しません。1人はロビーに残り、他のメンバーは部屋に入って荷物を片付けながら、2人を待つことにしました。最初に申し込んだときは女子が3人、男子5人でしたので、その女子3人は同室で、広めのツインにエキストラベッドを入れた3人部屋でした。部屋に入って先ず貴重品をセイフティボックスにしまおうとすると、扉が開きません。背面に書いてあるロック解除の方法を何度試してもダメ。フロントに行って事情を話すとおじさんが来てロックを解除してくれました。日本語も英語もダメらしいおじさんは、扉を開けてからまた閉め、背面の注意書きを指さしてOK! OK!と言いながら出て行きました。では、改めて、収納!と、扉を引くと、ロックしていないのにやはり開きません。どうしようと言っていたら、少し前に到着していたタクシー移動のEちゃんが取り敢えず荷物は置いたけど、部屋が気持ち悪いと言ってやって来ました。お部屋はツインだというので、C子さんがその部屋に移ることにして、荷物を持って移動、なんてしているうちにセイフティボックスのことは忘れてしまいましたが、貴重品は翌日からEちゃん達のお部屋で預かってもらうことにしました。その後、EちゃんとC子さんの部屋に電話をかけようと受話器をあげると発信音がせず、電話死んでる!とわたしがいうと、テレビのスイッチを入れたYちゃんが、こっちも壊れてるかも!見れば画面は白黒の砂嵐。時間も遅いから放送終了かもと言ったものの、翌朝も同じ画面で、やっぱり壊れていました。翌朝、フロントにそう言って修理をお願いしてから出かけましたが、戻っても修理はされていませんでした。Yちゃんと交代でシャワーを浴び寝支度を済ませたころ、EちゃんとC子さんがまた私たちの部屋に戻って来ました。Eちゃんはタクシー移動の顛末をみんなに話さずにはいられない!様子です。彼女はバスには乗れないだろうと思って出発前にホーチミンのタクシー事情をしっかり調べて来たそうです。一番安全に安く(ボラれずに)ホテルに着くにはどの乗り場でどこの会社のタクシーに乗ると決めていたのに、相棒は彼女がダメ!と言ってるのに耳を貸さず手近な乗り場に停まっていたタクシーにさっさと乗り込んでしまったそうです。なんとか乗る前に金額だけは取り決めたそうですが案の定遠回りされて、ココ!って止まったら、最初に行ったのより高い金額を言われ、彼女がノーノー!と叫んでいるのに横を見ると相棒はお札を数えてる。何してるの?って思ったら彼は最初の約束はこれ、でもチップと言ってお札を一枚乗せて渡したそうです。予定より数百円高くなるだけだったので、まあいいかと思ったけど、ドライバーはトランクを開けただけで、運転席に座ってる。これは私たちが降りたら荷物を乗せたまま逃げるつもりだと思って、荷物下ろしてと言いながらホテルの看板を見たらWHITE HOTEL。わたしたちが予約したのはWHITE LOTUS HOTELです。ここじゃない!と言ってるのに、ドライバーは、車は近くまで行けないけどホテルはすぐそばだから降りて歩けというのですって。彼女は相棒に、「待ってて!このホテルのフロントでポリス呼んでもらうから!!」と車を降りようとしたそうです。ポリスはドライバーにも解ったらしく渋々車を出して、泊まるホテルの2、3軒先の角まで来て止めたそうです。そこで再度運賃のことですったもんだした挙句、彼女の予定より少し高いお金を渡して降りて、ホテルまで来たというのです。わたしは知りませんでしたが、もっと酷い目に遭った話もあるそうなので、それで済んでよかったくらいらしいのですが、Eちゃんの憤懣は冷めやらず、ことあるごとにポリス!ポリス!を蒸し返してはみんなの爆笑を誘っていたのでした。ベトナム旅行1日目は大騒ぎのうちにこうして終わりました。
2024.03.16
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今日は取引先が誤って出荷した原料を引き取りに来たいというので、いつもより2時間早く出勤でした。それだけでもわたしには結構な大仕事で、道がメッチャ混んでたあ!と言って約束の時間に10分ほど遅れてG社のKさんが姿を現し荷物を積んで帰られたらもう1日分の仕事が終わったような気分でした。ところが、それは今日という多難な1日の始まりにすぎなかったのです。幕開けは朝確かに持って出たはずのスマホが入れたつもりのバッグの中に無かったことでした。 夫に電話して見つけて持って来てと頼んだのですが、1時間ほどして、夫からスマホが家にないという電話があり、真っ青になりました。スマホケースにカード類を何枚も入れていたからです。スマホを機種変したときに、あまりの大きさと重さに、ストラップ付きのケースに入れて、バッグに入れずに肩にかけるようにしました。その新しいケースはとてもよくできていて、カードが数枚、それぞれの磁気が干渉し合わないように収納でき、そのポケットがボタンやファスナーでいい具合に留まるようになっていたので、すごく安心してカードを納め、とても便利に使っていたのです。肩掛けなので落とすこともないと思っていたのに、今朝は一体どこで無くしたのか、見当もつきません。朝、早起きしてまだ寝ぼけ気味だったし、着いてバタバタ鍵など開けたときにおき忘れたかと工場中探しましたが見当たらず、自宅でも夫がダイヤルして着信音が聞こえないかと家中探してくれたそうですが無かったといいます。とりあえず朝通った道を逆に辿って家まで戻り、落ちていないのを確かめて交番に遺失物の届出をしました。クレジットカードや交通系ICカードを止めたり、電話も紛失届を出したり、いろいろしないといけないので、一旦会社に戻って何からどう手続きをしようかと考えながら、ふと、夫のiPhoneでわたしの iPhoneを探せるはずでは?と思いつき、やり方を調べ始めました。30分以上かかりましたが、ようやくやり方がわかり探してみると、わたしのiPhoneが反応したのです。マップで見るとどうやら自宅の近くです。急いで自転車に跨りマップを辿りました。我が家の周りを見回しても大きなスマホケースが落ちていたりはしないので、家の中の再捜索することにしました。電話をかけながら、着信音が聞こえないかと家中、トイレやお風呂場、箪笥の中まで見ましたがありません。1階も探したけれど無かったと夫は言いましたが、階段を降りて玄関の方に行くとかすかに着信音らしきメロディが聞こえました!音を頼りに見つけたのはなんと靴箱の中でした。朝、まだ半分寝ぼけていたのでしょうね。靴箱を開けて靴と引き換えにスマホを置いて来たようです。なんとか無事にスマホを回収して会社に戻ると、もう13時でした。お昼も食べずな走り回っていたのでお腹もぺこぺこ。買っておいたランチを食べ、ようやく仕事を開始しましたので、当然残業は必至。またまた19時退社コースでした。それにしても一瞬の無意識のおかげで、実働11時間という、お疲れな1日となったわけで、本当にうっかりは恐るべし!ですね。
2024.03.13
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今日も残業して19時も過ぎて夕飯の買い物をしていたら、携帯が鳴りました。見ると、取引先G社のKさんの携帯番号が表示されています。こんな時間の電話、イヤな感じしかしませんが、仕方がないので出てみれば案に違わずトンデモなオハナシ。G社さんからは今朝原料が届いたのですが、明日使用する予定だったものを除けて荷造りしないといけなかったのに、うっかりまるっと全部出荷してしまったというのです。今からでも引き取りに行きたいけど、そういうわけにも行きませんよねって、あったりまえじゃありませんか!G社さんからどんなに車を飛ばしても1時間以上かかります。今からそれを待てと?イヤイヤ、わたしも一応主婦なのでねえ。でも、Kさん、すごく困っています。明日の朝イチで作業を始めないと納期が間に合わないと聞けば、同じ製造業、知らん顔はできません。じゃあ明日の朝早めに会社開けましょうかと、ついつい言ってしまいました。惻隠の情ってヤツです。おかげで明日の朝、8時に会社に行かないといけなくなってしまいました。いつもより2時間早く出ないとなりません。なので、帰って来て急いでご飯を食べて、お風呂の支度をしながら洗濯機を回してできる分だけの洗濯をして、寝支度も済ませました。本当は今日はベトナム旅行記2回目を書く予定だったのですが、ブログを書くのは明日の夜に延期させて戴きます。ということで、今日は早寝します。おやすみなさい。
2024.03.12
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2月に高校同期の友人たち総勢8人で4泊5日のベトナム旅行に出かけました。帰ってきてからすぐにそのうち一人がコロナと診断され、残る7人中5人が体調不良となって、コロナでは?と大騒ぎ。結局体調に全く問題なしだったのはわたしともう1人の女子の二人だけでした。体調には問題なかったとはいえ、わたしも旅疲れにコロナ騒動疲れが被さって、しばらくぐったりでした。会社も土日に続けて3日休暇を取ったので、そちらも帰ってきてからてんやわんやの後遺症が続き、もう今にも力尽きてしまいそうでした。でも、月も変わってもう三月弥生、いつまでもグダグダしてもいられません。そろそろ重い腰を上げて旅日記を書いてみます。4週間近くたってしまってだいぶ記憶も薄れていて心もとないですが、頑張って書いていきますね。怪しい部分は想像で補いながらついて来てくださるとうれしく存じます。では参りますので、よろしくご協力のほどお願い申し上げます。出発は成田空港。2月16日14時55分発のベトナム航空でした。メンバーはそれぞれ自宅で事前チェックインを済ませていたので、空港到着後はみんなのんびり。でも、ベトナム航空の事前座席指定は摩訶不思議で、26Hを指定してモニターにもその座席でOKという表示が一度出たのに、GOのボタンを押したら、座席指定完了22Aって。なんでやねん!他のメンバーは反対側の列(Hの側)を予約していたので、チェックインカウンターに行って座席変更をお願いしたのだけれど、カウンターのお兄さんは日本語話しているにもかかわらずいまいち意思が通じず、座席表も見せてくれなくて埒が開かないので、たかだか4時間、大丈夫と思って、ウェブ予約の座席で行くことにしました。おかげで往きの機内は一切会話なし。朝から装着していったマスクを外したのは、食事と飲み物合わせて20分足らずだけだったので、後にコロナ感染のニュースが飛び込んできた時、初日の感染の可能性は99%ないと確信できたのは瓢箪から駒?の僥倖でした。その食事ですが、写真をお見せするほどのものでもないのですけど、この日は他に何もないのでまあ賑やかしに。お肉とご飯とサラダ、フルーツ。デザートとベトナム風のプチパンです。飛行時間は4時間ほどと思っていましたが、2時間の時差を計算に入れてなかったのと、強風の影響か1時間ほど遅れたのとで、到着したのはなんと7時間後でした。その7時間、わたしは映画も見ず、日本で読む暇のなかったガイドブックを一冊丸々読み切ってしまいました。宿泊はホワイトロータスホテル。バスで送迎があったから迷わず着けたけど、あまりに小さくて目立たないので自力で辿り着くのは❓難しいかも。お部屋は広めのビジホという感じ。バスタブはなくてシャワーだけだけれど温度も湯量も問題なし。古くて決しておしゃれでも美しくもないけれど、お掃除などは丁寧で、タオルもゴミ箱も毎日キレイになっていたし、印象は悪くないです。でも、テレビは映らないし、電話も死んでた。どちらも使わないから許しましたが。許せなかったのは金庫が使えなかったこと。ロックが解除できず、修理に来てくれたけど、係の人がいなくなったらまたロックされてしまって結局使えず、パスポートやお財布は別の部屋のセーフティボックスで預かってもらいました。宿泊費には朝食だけは含まれていて こんな感じに並んだものを自分でお皿にとっていただきます。反対の隅に屋台みたいなのがあって、注文すると温かい麺(フォー)を作ってくれます。これがとても美味しくて、朝ごはん、ポイント高かったです。ちょっとビロウなお話ですが、ベトナムで嫌だなと思ったことはあまりなかったのですけれど、トイレに紙が流せないのは違和感でした。どこのトイレも、ゴミ箱が置いてあってそこに捨てるのです。こればかりは最後まで慣れることがありませんでした。これは、多分アジアのどこにいってもそうなのでしょうね。思い返せば台湾もそうでした。それ以外はお食事も心配したほどの異国感はなく、というかきっとわたしの嗜好に抵触するものが少なかったということなのでしょうが、ほとんどのお食事が美味しかった!ごちそうさまでした!!で終わることができました。そのことはまた詳しく書きますね。
2024.03.11
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またまたご無沙汰でした。3月になったというのに寒い日が続いています。今日も雲ひとつない晴天ながら強い風が身に染みる日でした。月末を挟んで忙しい日が続いており、旅日記も書けていないのに、今日は早くもベトナム旅行反省会が開催されるということで、パスポート受け取り以来2ヶ月?ぶりに銀座に行ってきました。会場はこのショッピングモールの中のこのお店。11時開店というのでその時間に待ち合わせでした。少し早めにおみせのまえについたのですが、もう開店していて、既にほとんどのメンバーが入店して着席していました。コロナに感染した人も疑いだけで終わった人も、揃って皆変わりなく元気で、心配はしていませんでしたがそれでもやはり安心しました。ジジババ集団とは思えないほど大量に飲んで食べて、反省とは名ばかりの馬鹿話。その、あーでもないこーでもないのよもやま話の中で、思いもよらず全員の意見が一致したのは、「この同期生海外ツアーは今回で終わりと思っていたけど、まだもう少しできそうじゃないか?」っていうことでした。次回は、後期高齢者になる頃にと幹事が言うと、残りの全員が異口同音に「そんなに時を空けたら動けなくなる!」。で、次回は来年にでも。行く先はやはり近場でアジア。それならマカオ!バンコク!台南!台中!とまあ賑やかこの上ありません。来年のいつになるかはわかりませんが、またお誘いがあるかも知れません。いよいよ、本腰を入れてお仕事を任せられる後任探ししないといけませんね。
2024.03.10
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ベトナム旅行からは2月20日に戻ってきていたのに、なかなか日記のアップができませんでした。帰国した翌日、数日ぶりに出社したら、その日と翌日の2日間はやはりめちゃくちゃな忙しさでした。でも、3日目は三連休の初日だったので、ようやく落ち着いてブログアップもできると思ったのに、同行者の1人がコロナ陽性に!という一報が入り、それどころではなくなりました。その前日には体調が良くないと言っている人が旅仲間8人のうち5人もいて、3人が咳と高熱、1人が胃腸症状、2人が軽い風邪のような症状とのことでした。咳と高熱の1人がコロナ陽性だったわけですが、1人は陰性でもう1人は翌日には熱も咳もおさまったそう。胃腸症状の1人も念のため検査をしてもらったらコロナもインフルも陰性だったそうです。風邪っぽかったうちひとりは偽陽性だったそうですが、コロナではないと思うと言っており、実際その後の検査で陰性になったとのこと。その時点で何の症状もなく元気だったのはわたしともう1人の女子の2人だけでした。元気なのはありがたいことと最初は喜んでいましたが、調べてみると感染してもすぐには症状の出ない人もあり、潜伏期間はだいたい2日から5日、人によっては1週間という場合もあって、わたしたちも、感染しているけれどまだ発症していないだけということもあるようでした。感染したとすれば、出発した16日から帰国した20日までの間でしょうが、出国と帰国の日は移動日ということで朝からずっとマスクを着用していたし、機内では席がバラバラで会話もなく、食事の時もせいぜい15分くらいしか外しませんでしたから、実際は17日から出発前日の19日までのどこかの可能性が高いです。なので、潜伏期間を平均より1日長い6日と考えて、実質的な最終日19日の6日後、連休最終日の25日まで様子を見ることにしました。症状が出ないと検査もできなくて、ただじっと待つ他ないということで、本当に気が気ではありませんでした。感染者が他の人にうつす可能性についても調べましたら、その可能性があるのは発症する日の2日前からだそうで、24日まで無症状ならば、出社した21日と22日に会社で誰かにうつしてはいなかったと考えていいのじゃないかと計算していました。ですから、無事に24日が過ぎた時は体の力が抜けそうになりました。そうして緊張の25日も体調に変化なく過ぎ去って、無事26日の朝を迎えた時は心底安心しました。連休の間にあれもこれもと色々予定を立てていたのに、旅疲れを癒そうと予約していた整体もキャンセル、気持ちが落ち着かなくて旅の荷物の片付けも中途半端、夫が思いの外汚さずに過ごしてくれたとは言え大分乱れていた家の片付けやお掃除もほとんどできずじまいで、連休明けはホッとはしたものの精神的にもくたびれ果てていました。連休明けの25日から調子の上がらない週前半を過ごしていましたが、今日は月末で、てんこ盛りなお仕事に喝を入れられたのか、ようやく少し気を取り直しました。仕事も家事も滞留しまくりですが、おかげさまで気力は戻ってきたので、徐々にいつものmamatamを取り戻していけそうです。旅仲間たちも、コロナ陽性者も含めて全員ほぼ復活したようですので、わたしも気を取り直して明日から明るく参りたいと思います。とんだ「不要なお土産」のおハナシでしたが、そのお土産を彼が誰からもらったのかは結局不明でした。感染した彼が1人でグループを離れて単独行動をしたことはありませんでしたし、オプショナルツアーのガイドさんが咳をしていたらしいけれども、それだけで原因と決めつけるのにも無理があります。ただ、彼は幹事的な役割を引き受けてくれていて、外部の人と間近で比較的長時間向かい合うことが多かったので、そのせいかもと少々申し訳ない気もしています。でも、まあ、結局みんな無事でしたし、面白いことにもたくさん出会えたので、楽しかった旅として、記憶にとどめておきたいと思っています。
2024.02.29
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ここで見るをクリックしないと楽天ブログの利用はできないようです。閲覧と書いてあるけれど、画面が変えられないのでコメントもブログアップもできないようですよ。スマホではまだ出てきたことないけど、パソコンでは2度目でした。インターネット見てると出てくる「あなたのパソコンはナントカに感染しました!」っていうアレみたいに、消えません。とりあえず閉じて、少ししてから再度立ち上げてみたけど、しっかり居座ってた。広告ならパソコンの時もスマホの時も、呆れてしまう程たくさん現れてイヤというくらい見せられてますけど?楽天さん、どうかしちゃった?
2024.02.28
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ベトナムから20日に戻ってきました。4泊5日。珍しいものやことにたくさん出会い、あっという間の旅でした。
2024.02.21
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永長寺を簡単に見学してメコン川クルーズの乗り場に向かうと30分足らずでミトーの町に着きました。メコン川クルーズの発着場所です。この地図の真ん中の下の方の黄色い星マークついているところがミトーです。そこから左に向かって亀の島と竜の島に立ち寄るそうです。最初に乗るのは大きめの船です。座席の下に置いてある救命胴衣をつけて出発です。これはすれ違った船ですが私たちもこんな船に乗っていました。メコン川の川幅がすごく広いの、わかります?水が濁っていて、だいぶ汚いように見えますが、これは汚れではなくて栄養なんですって。水はとてもきれいで、その証拠に魚もたくさんいるし、何よりこのメコン川には蛍がいるというのです。オプショナルツアーでホタル見物クルーズというのが開催されているそうです。「濁っているけどきれいな水」って、不思議というか、常識を覆される感じですよね。40分ほど乗ったでしょうか(不確か)、最初の船着場に着きました。これは途中の島にあった宗教遺跡です。遊園地にしか見えませんが、なんでもココナツしか食べないというココナツ教団があったそうです。あまりに奇天烈だったせいか、設立から10年ほどでカルト指定されて解散したらしく、今は無人のようです。最初に上陸したのはココナツ教団ならぬココナツ農園の島です。工場でココナツの加工をしていますが、簡単な機械はあるものの、割って絞って油やミルクを搾り加工する、そのほぼ全てが手作業です。奥にはお酒が並んでいて、試飲もさせてくれましたが、これらがなんのお酒かというと、蠍や蛇など。わたしは試飲は遠慮しました。ここで少し小さいエンジン付きの船に乗り換えて次の島に向かいます。そこはハチミツ工場ですが、この島のミツバチは小さくてハエくらいの大きさ、そしておとなしい性質だそうです。この写真では蜂の大きさはわかりませんが、おとなしいことはわかりますね?ハチミツは、味も香りもあっさりした感じでした。ここで生のローヤルゼリーを勧められて買ったのですが、小さな容器のひと瓶が25万ドンだというのです。着いたばかりできちんと換算ができず、金額の数字の大きさにただビビって、自分と家族用に3本だけ買いました。そうしたらおまけに150mlくらいのハチミツも一本つけてくれて、やはりかなり高いものなのだと思いました。ところが、後で計算してみたら、25万ドンは1,500円だったのです。生のローヤルゼリーが1500円!?山ほど買ってお土産を全部これにすれば良かったと、後で大後悔しました。そうしたらきっと、おまけのはちみつも一年分くらいもらえたかもしれませんね。後悔先に立たずでした。この奥の売店では、錦蛇と触れ合えたりしましたが、わたしは近寄りませんでした。この辺りはまさに熱帯で、こんなのとかこんなのとかこんなのとか、知らないお花がたくさん咲いていました。ミツバチの島にも別れを告げ、今度は手漕ぎの船に乗り換えて、いよいよリアルジャングルクルーズです。やはりだいぶ長くなってしまったので、今日はこの辺で。続きはまた明日、書かせていただきます。
2024.02.19
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今、成田空港に向かう電車の中です。今日から20日までの予定でベトナムに行きます。いつもだと2月は暇なので、高校の同期生8人でジジババ旅行の話が出た時気軽に参加表明したのです。ところが大きなロットの急ぎの注文が入ったり、細かいけれど製造が難しい注文がいくつも重なったりで忙しく、むしろ残業しても間に合わないくらいになってしまいました。おかげでろくに準備する暇がありませんでした。そんな状態で出発の日になってしまい不安ですが、そうも言っていられません。ジジババですが、頼りになる仲間もいるので、楽しんで来たいと思います。ベトナム航空、乗り込みました。だいぶ遅れてるけど、そろそろ出発です。行ってまいります。
2024.02.16
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ブロ友の曲まめ子さんからムカゴが届きました。お近くのスーパーで見つけて、mamatamにと買ってくださったそうです。まめ子さん、ありがとうございます!東京の下町では、スーパーでムカゴにお目にかかるなんて、何年かに一度あるかないかの僥倖ですから、本当に嬉しいです。このところほんとに忙しくて、昨日まで三連休だったのに今週のご飯を炊いておくことができなくて今日の夕飯に食べるご飯がありませんでした。それで、今朝1時間早く出社し、夕方1時間早く退社してきて1週間分のご飯を炊きました。せっかくなのでムカゴご飯も作りました。2合炊くのにちょうどの量を送ってくださったので、2合のムカゴご飯が炊き上がりました。塩加減もちょうど良く、我ながら美味しく炊けました。まめ子さん、ごちそうさまでした。感謝です。ここ最近、というか、もうずーっとバタバタな毎日で、ブロ友さんたちにはご無沙汰ばかりです。実はあと数日で出かける旅行の予定があって、さらにもう何ヶ月か後にも旅行の予定があって、その計画を立てたり予約を取ったりしながら、出かける準備で有楽町に行ったり、店舗やネットで買い物したり、着る服や必要なものを考えて旅の荷物の準備をしたり。その上仕事もずーっと忙しいままなので、頭も体もいっぱいで、失敗も多く、仕事にも日常生活にもだいぶ混乱をきたしています。この三連休には、文楽の予約をしていたのに、日にちを勘違いして見られなくなってしまいました。こんなひどい失敗、生まれて初めてです。ほんとキャパオーバーかも。歳のせいもありますね。気をつけないと、ダメですね。
2024.02.13
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今日は予報通り東京にも雪が降りました。19時頃、会社を出た時の様子。少し積もっています。雪は、結構降っていました。もう暗くなっていたし、明日の朝道が凍っていると乗って来られないので、自転車は置いて、歩いて帰りました。傘はないので、帽子とマフラーにコートという格好です。家まで徒歩だと20分弱でしょうか。あともう少しで家に着くというころ、前方から傘を差した男の人が歩いてきました。暗いのではっきりとはわからないけれど結構大柄な割と若い方のようでした。だんだん近づいてきたら、とてもはっきりした顔立ちの、少し強面っぽい感じの人でした。もしかしたら目があったかな?という感じで少々ビビりながらすれ違う時、「あ、ヤベ!」とその人が呟きました。「何が?」と思いながら通り過ぎると後ろから、その少し怖そうな若者が「あのっ」と声をかけてきました。びっくりして一歩引いてしまったわたしに、彼は「オレ、家すぐそこなんで、これ使えば?」って、自分の差していた傘をわたしに差し出してきたのです。さらにびっくりでした。「わたしの家ももうすぐそこなので、本当に大丈夫です。」と言いながら、心の中で、怖がってごめんねと謝りました。本当にそこから2−3分歩けばもう家でしたが、スキップしたいような気持ちで歩いてきました。世の中、本当に捨てたものじゃないですね。家の前に着いたら、道はこんなふう、そして雪はひどくなっていました。鍵を開けながら、あの若者にお礼を言うのを忘れてたことに気づきました。若者より、おばさんの方が失礼でした。
2024.02.05
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今日は自宅の一階工場に原料が納品される予定で、そういう配達って午前指定していても11時ごろということが多いので、一度会社に行き、急ぎの仕事をざっと片付けて自宅に戻って荷物を待つつもりでいました。ところが朝一番9時頃にインターフォンが鳴り、荷物が届きました。用意していた台車を出して荷物をどう載せるか指示。というか、適当に置いていかれると後で積み直ししなくてはならず、重いものですからわたしが大変なので事細かに「お願い」するのです。mamatam社への配達は荷物をサッと下ろしてチャチャっと置いて帰るというわけにはいかないのでドライバーさんも大変です。とはいえ、わたしもありがとで終わりというわけには行きません。その後台車を動かしたり、ダンボールの中に何が入っているか調べて紙に書いて貼ったり、いろいろすることがあるのです。あるのですが、それは後ほどということにして、荷下ろしが済んだところで、一旦置いて出勤しました。今日必要な書類を作ったり、朝のうちに変更の出た分の予定を修正し、スケジュール表を作り直して配布したり、出荷伝票の用意をしたり、夕方また戻ってこなくて済むようにあれこれや片付けて、会社を出ました。途中で銀行に寄ってついでに図書館(私用😅!)にも寄ったら、お昼過ぎてしまったので、家の近くのお店でランチを買いました。少し前に見つけて気になっていたお店で、買ったのはベトナムのサンドイッチ、バインミーです。お皿に出してみたら思いのほかすごいボリュームで、ギョギョ!挟んであるのは甘酸っぱいドレッシングのかかったお野菜(パクチーたっぷり!)とその下に見えているのはベトナムハム。ちょっとジャンクなお味で、なかなか美味しい。パンは外側がパリパリサクサクで、中は柔らかくて、食べやすいです。辛さは控えめにと願いしたので大丈夫でした。ベトナム料理はフォーとかガーくらいしか知らなくて、バインミーは初挑戦でした。食材とか調味料とか慣れないものが多い事もあって、食わず嫌い気味だったベトナム料理なので、実は少しおっかなびっくりだったのですが、案ずるよりなんとやら、美味しかったです。そのお店はバインミーの専門店なので、他は飲み物だけでしたが、ベトナムコーヒーとかベトナムビールなんていうのがあって、どんな味なのか気になりました。ベトナム料理のお店も家の近辺で意外によく見かけるので、食わず嫌い気味とはいえ興味は前からあったのです。これひとつ食べて急に積極的になるというのもなんだか変な話かもしれませんが、ファストフードではないお料理もいろいろ食べてみたくなりました。
2024.01.22
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