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バチカン市国は面積44万平方メートルの世界最小の独立国です。今回のイタリア旅行では一番の楽しみでした。ローマ市内の一角に位置してるキリスト教カトリックの総本山 全域が世界遺産になっています。64年 キリストの一番弟子 ペテロ”が処刑され、埋葬された墓の上に寺院を建設したのがはじまりだそうです。 ↑ 見学者の入り口です 紋章をはさむミケランジェロとラファエロの像 ↓ ローマ市とバチカン市国を隔てる外壁 入場するとすぐにガラス張りの近代建築で インホメーション トイレ ショップ等 続いてエスカレーターで上がり 収蔵の絵画 美術品 建築物 などの解説を聞き、 いよいよ見学が始まります。バチカン美術館は歴代教皇の収集品を展示してある世界最大級の美術館です。(公式館名は 教皇の記念物 博物館ギャラリー )キリスト教美術だけではなく 古代ギリシャ ローマ彫刻 エジプト彫刻や異教の美術や世界各地の民族美術など幅広く収集展示してある。あまりの多さに記憶が欠如。。です。バチカン美術館の中庭この通路の向こうは ”システィーナ礼拝堂”教皇を選出する コンクラーヴェの会場にもなりますが ミケランジェロの描いた最後の審判” 旧約聖書の創世記を描いた天井画はあまりにも有名、そして素晴らしいです。ここはもちろん 撮影禁止!!サン・ピエトロ大聖堂 (聖ペトロ大聖堂 和訳)聖ペトロの墓の上に建立された寺院は1502年 新聖堂の建築が始まった。その後1546年にミケランジェロが主任建築家となり完成したのは1667年でした。1475年 システィーナ礼拝堂の建設も始まり ミケランジェロは4年の歳月をかけて天井画 ”創世記”を 6年の歳月をかけて”最後の審判”の壁画を仕上げた。サン・ピエトロ広場 ↑ 両腕を広げて広場を包み込むような372本の石柱と 広場に集まる人々を見守る140体の聖人像楕円形の形をした広場はここから全世界へ通じると言う意味もあるそうです。いくつもの意味を含んだ広場はジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計で1667年に建設されました。バチカン市国”の衛兵さんバチカン市国の人口はローマ法王と聖職者 と100人のスイス衛兵など約1000人。衛兵さんの制服デザインはあのミケランジェロ”~☆500年延々とこの制服で警護してるんだそうです。アルバム整理があと少しになってもたついていますww~。もう2ヶ月以上も経ってしまいました。明日はもう5月です。。毎日が早いわぁ~~。
2011.04.30
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朝から気持ちよく晴れて 今日からGWの始まりです~☆といってもたいした予定もなく 例年どおりまずは冬物衣料のお洗濯~♪♪今日明日は晴れる”ということで朝から大量の冬衣料を洗濯しました。以前は大半をクリーニングに出していたのですが ここ数年”自宅で手洗いOK”のタグ表示があるものを選んで購入しています。もうそろそろ乾いた頃でしょうね~♪♪ (まだ次があるw~~)出遅れのチューリップが咲き始めました ><本当なら パンジーやビオラ きんぎょ草などと一緒に咲いて欲しかったのに。。パンジーもビオラももうオシマイ。。デス。それに。。。今年もお出ましです つまぐろひょうもん”の幼虫くん!オレンジと黒の毒々しい姿ですが毒もなく刺さないそうです。野すみれ パンジーなどの葉っぱが主食?です いっぱい食べてきれいなちょうちょになぁ~れ!!しばらくパールをUPしてません。。ひと月位前の画像です。大震災の節電にならい我が家も実行!!暖房を切っていると。。さすが猫です。。我が家で一番居心地のいいところを見つけます(笑)残り湯の入ってるお風呂~う~んほんわか暖かいわ~ 。
2011.04.29
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イタリア旅行の6日目 最終日になりました。ローマ市街地へ向かう車窓からの画像です。面白い樹形はイタリアの松並木です。所変われば何とか。。。日本の松と同じだそうですが イタリアの松は皆上部だけを茂らせた形です ^^*街中どこにでも彫刻や歴史ある建築物が並んでいます 街中が博物館か史跡です。コロッセオ(円形競技場)BC80年に完成した4階建ての競技場(闘技場)です。古代ローマを象徴する建造物で 5万人の観客席があるのだそうです。地下には猛獣の檻があり 捕虜や奴隷の中から選ばれた剣闘士と猛獣の戦いなどが行われていました。中も見学できるようですが 私達は近くの広場で写真タイムのみww~でした。コンデジをいっぱいいっぱいズームして撮った古代ローマ人の衣装をまとい記念写真に写る人。もちろん 一緒に記念写真を撮ったら料金が要りますよ~ >< でも COOL!!ローマ三越でトイレ休憩のあと 歩いてトレヴィの泉に向かいます。その途中 映画ローマの休日の中でアン王女が髪を切った美容室”がここだそうです。カーテンが掛かり閉店中 今は美容室ではないようです。トレヴィの泉” ですが。。毎週月曜日の午前中はお掃除タイムww~~だそうです。トレヴィ”とは三叉路"の意味で レストラン ブティック ホテル ジェラードのお店やみやげ物店など車の通れない細い路地が続く町並みの奥まった所にあります。ローマ最大の噴水で石彫刻はバロック芸術の最高傑作だそうです。 この画像ではわからないですね~ ><棒ズリたわしと高圧ホースで広い噴水池の中を掃除です。見学者が背中越しに投げ入れるコインが集められ 袋(日本の土嚢袋みたいな)が4・5個。珍しい光景を見ることができましたが やっぱり願いが叶うようにコインを投げてみたい!夕方のフリータイムにもう一度来る事にしました。昼食はピザ食べ放題~25cmはあると思うマルゲリータ” 何枚でもOKってそうそう食べられません><午後からはいよいよ ”バチカン市国”の見学です~☆
2011.04.13
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広島は桜が満開です。そして今日は水戸など東日本の震災の街に桜の開花宣言がありました。あの日からひと月。。まだまだ続く余震の不安で桜の花を見て楽しむ余裕はないのだと思われます。やさしい桜色は被災者の方々の悲しみ 傷ついた心 などを暖かく包み込み 慰めてくれると思います。桜の花を見て 一人でも多くの方が元気を取り戻してもらえたら と願います。我が家ではビオラが満開です~☆今日は結婚記念日でした。ああ~あの日から何年経ったのでしょう~~。まっ 二人とも何とが元気で暮らしているのでこのことが一番の幸せ。。デス。
2011.04.12
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世界遺産 ポンペイ遺跡は約2000年前ベスビオス火山の噴火による火砕流や灰により一瞬にして消えてしまった古代都市です。AD79年8月24日 ベスビオス火山が大噴火し 一昼夜にわたり火山灰が降り続きました。翌25日 火砕流が発生しポンペイの町は一瞬にして地中に埋まってしまった。火山灰はその後も降り続いたそうです。 ↑ ポンペイの町へ入る急勾配の坂道 写真の左下あたりは船が着く港だった。 ↓ 広場から見えるベスビオス火山 当時町の人口は2万人ほどでした。市民の多くは火山噴火後 ローマなどに逃れたのだが 火砕流が発生した時に市内に残っていて助からなかった市民も多くいたそうです。ポンペイに財産を持つ者(お金持ちの)は置いては逃げられないという事情もあったとか。 (ガイドさん 曰く 家を留守にしたら泥棒が財産をもっていくから。。><)1748年 ナポリ王 カルロ7世が発掘をはじめ当時の町が遺跡として蘇りました。神殿 野外劇場 円形闘技場 公衆浴場 裁判所 銀行(両替商)共同トイレ 娼婦館パン屋 八百屋など続く商店街 など等。。近代に近い水道施設も出来ていました。石畳のメインロードには石と石の間に白い光る石を散らし込み月明かりの夜道でも道路が光るように工夫されている。 ↑ 神殿跡 ↓ パン屋のかまどと粉引き臼 ↑ バール(居酒屋)のような食堂のかまど ↓ 円形野外劇場(ぐるりと円形が残っている) ↑ 円形闘技場 まわりには小部屋たくさんあり 戦いをする猛獣 戦闘士や奴隷が 生活していた。 ↑ ↓ 大邸宅の壁画 と灰に埋もれた死体のレプリカポンペイの町が壊滅後は再び町が作られることはありませんでした。火山の驚異と共に古代文明の高さに驚くばかりです。そして同時期の日本は と言えば 弥生式の穴居住生活をしていたのだからカルチャーショックの連続でした。 火砕流の怖さは日本でも起こり 身近な災害として知識の中にありましたが ひとつのまちを埋め尽くしただけではなく回りにも被害を及ぼしていることも調査に残されているそうです。 また 噴火時には地震があり地面が大きく揺れたこと 海の水がみるみる引いていき大きな波が起きたことも残されているそうです。 ヨーロッパ人は”津波”の知識も言葉もなかったようです。 一時間半余の遺跡見学は歩いて歩いて。。広い敷地内を見て回りました。 それでもまだまだ発掘されず残された場所があるそうですが 資金の掛かる事で思うようには進まないようです。 疲れた体に生オレンジジュースをググッと補給して~最後の宿泊地 ローマへ向かいます。
2011.04.05
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逆光で夕暮れのようですが 5日目ナポリの空は快晴です~☆海も荒れていないのでカプリ島の”青の洞窟”に行ける~と期待がふくらみます。ジェット船で40分 カプリ島へ向かいます。ところが外海へ出ると白波が立ち海は荒れ模様。。(これで普通なのだそうですが)他のツアー客では船酔いする人が出るほどです。カプリ島の港内に入ればこのとおり波もなく 大小の船が停泊した美しい港です。"青の洞窟”へのボートは昨年の12月以降一度も出ていないそうです。この日も残念ながらダメでした。。(冬場はダメだと最初から書いといてくれ~!)空いた時間は島内の散策~温暖で風光明媚なカプリ島には各界の有名人やお金持ちの別荘がたくさんあります。有名ブランドのブティクや高級レストラン ホテルなどが並んでいますがこの時期(冬場)は閉めているお店がほとんどでした。もちろん ふつ~の観光客用のお土産やさん レストラン ジェラード店 ホテルもあります。カプリの碧い海~☆ です。カプリ島の周囲の大半の部分は切り立った断崖絶壁に囲まれています。カプリ島の観光目玉 ”青の洞窟” は波の浸食によって出来た洞窟です。洞窟の半分は海中に浸かっているので 天候の穏やかな状態の時だけ 小舟で中へ入ることが出来るのです。洞窟の中は広いそうで外からの光が海面に差し込みそれは美しいそうです。洞窟の中の色はあの海の色に似ているけどもっともっとひかり輝ききれいなんだそうです。(添乗員さん曰く)小高い丘からみえる別荘やホテルがならぶ反対側の丘です。この後 またジェット船に乗ってナポリの町へ帰ります。ナポリの町は人種のるつぼ”といわれるほど多種の人々が暮らしています。先の大戦では海上からの砲撃をうけ町は大破したそうです。いまでもビルの壁に大砲の痕が残っていたり 崩壊寸前の建物もそのまま残っています。車窓からながめるだけでも多くの問題を抱えていることが分かるような気がしました。車窓からベスビオス火山をみながら 遅い昼食を食べにレストランへ向かいます。昼食のあとは火山の噴火により消えた古代都市ポンペイの遺跡に向かいます。
2011.04.04
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イタリアの国を縦断する列車 ”ユーロスターでナポリに着いたのは5時過ぎでした。団塊世代としてはイタリアといえばまず”オードリー・ヘップバーンの映画”ローマの休日”それから~ 帰れソレントへ”とか”忘れ草を貴方”になどカンツォーネでなじみのあるナポリの町。ローマから南へ200キロ カンパニア州の州都です。ナポリを見て死ね" そんな言葉もあるほど 温暖で風光明媚な海岸都市です。ナポリは紀元前470年頃 ギリシャの植民都市として建設され当時は新しい都市という意味で”ネアポリス”と呼ばれていたそうです。1860年にイタリア王国に併合されるまでの約2000年間 様々な国 人種に支配をされ続けてきたという歴史をもつ都市です。現在ではイタリアで一番治安の悪い都市とされています。スリ 窃盗 凶悪犯罪も後を絶たないそうです。ナポリの町の信号機~ 止まれの赤ランプが目立つようにひと回り大きいのですが。。信号無視の人 車 追い越し 横断歩道以外でもどこでも渡るww~~~。ヌオーヴォ城(別称 アンジュー砦)13世紀アンジュー家出身のナポリ王カルロ1世が建築した。ナポリ湾 サンタルチア港に突き出して作られた要塞 卵城”11世紀にノルマン人のオートヴィル家がナポリを支配した時 要塞の基礎の中に卵を埋め込み 「卵が割れる時は城はおろかナポリにまで危機が及ぶであろう」と呪文を掛けたことが城の名前の由来とか。。ユーロスターでナポリの駅について お迎えのツアーバスでナポリの町を観光。時間的に夕暮れになったせいもあるのでしょうか 思い描いていたナポリと少々誤差を感じてしまいました。紀元前からいろいろな 国 王朝による支配で混合人種社会の複雑さが現在までも繋がっているのでしょう。また現在では他国からの難民 不法入国などの問題も抱えているそうです。こんなこと やはり現地で自分で見て理解できる事。。ですよね。明日はいよいよカプリ島へ渡ります。輝く太陽 碧い海 青の洞窟へは行けるのでしょうか。。
2011.04.02
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