ガリラヤ湖ほとりにて・・

ガリラヤ湖ほとりにて・・

February 8, 2019
XML


​​ ​​ ​​ ​​ ​​ ​​​​​​​​​
​​ (^^)『12使徒のリーダー ​​ 』
​【使徒ペテロ】​​​
【天国の鍵】を持つ【使徒ペテロ】の像ですが、【イエス・キリスト様】より、
​「わたしは、あなたの上にわたしの教会を建てる」
​・・と言い渡され、”ローマ・カソリック”では、【使徒ペテロ】を『初代ローマ教皇』と位置ずけています。​​
(その為、【天国の鍵】を持っているのです ​​ 。) ​【使徒行伝】​​​

​ ​3章~8章​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 主に【エルサレム教会の確立】を
​​ ​​【使徒ペテロ】を中心に描いています。

​8章で後の大宣教者となる 【使徒パウロ】 が、「キリスト教徒の迫害者」として登場してきます。​この時点では、【パウロ】は【サウロ】という名前で、まだ改心もしてない迫害者なのです。




12使徒達の中で、 【ヨハネ】 もリーダー的な指導的な存在で、登場します。

【使徒ペテロ】は、まず 【エルサレム】 で大胆に【イエス・キリストの救い】を宣教し、多くの者達が信徒となります。
そして、【使徒ペテロ】【使徒ヨハネ】らの宣教と共に、数々の奇跡も行われました。
 主に【病の癒し】が多く行われました。

​​​​
​最初は場所は【エルサレム】です。

(使徒行伝3章19~23節)
『そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて神に立ちかえりなさい。
それは主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを主が遣わしてくださるためなのです。
このイエスは、神が昔から聖なる予言者達の口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。』

(病人を癒し、福音を宣教するペテロとヨハネ)

【ペテロ】と【ヨハネ】は、『病の癒し』などの奇跡を行いながら、「モーゼの律法、預言書」などを引用しつつ、このように【イエス・キリストの福音】を力強く、宣教していきました。

 【エルサレム教会】の基礎をこのように確立して行くのです。
​​その中で、【ユダヤ教祭司達】からの迫害も起きてきて、牢獄に入れられたり、”鞭打ち”にされたりもしますが、彼らはひるむ事なく宣教し続けます。

(ペテロとヨハネ祭司達に捕えられ牢獄へ入れられるが、天使に助けられる)
【使徒行伝】を ​【聖霊行伝】​ と呼ぶ牧師さんも居ますが 、【使徒達の宣教】と共に、【聖霊様】の素晴らしい奇跡と宣教の業がなされて行った。 ・・というのが、『キリスト教会』の考え方です。​​

​【原始キリスト教会の様子】​
(使徒行伝4章32節)
『信じた群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分の物と言わず、すべてを共有していた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者のうえにあった。
彼らの中にはひとりも貧しい者が居なかった。地所や家を持っている者は、それを売り代金をたずさえてきて、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従って、おのおのに分け与えられたからである。』

(【初代教会】)
【初代教会(エルサレム)】では、「原始共産主義」的な生活が行われ、人々は財産を共有し、貧しい者が居ないように共同分配していました。

​​4章では、後に【使徒パウロ】とも関わりが深い ​【バルナバ】(慰めの子)​ という
”キプロス島”生まれの人 が現れます。彼はレビ人のユダヤ人です。​​


(キプロス島~実は【使徒パウロ】の生まれた島で、後の最初の宣教地です。)
この【バルナバ】の出生地でも解りますが、彼は「イスラエル外地に住むユダヤ人」
恐らく ​『ギリシャ語』が堪能でした。

(^^)この【使徒行伝】を淡々と読んでいても、【ペテロの説教】が多く(80%)、何となく良く解らないのです。
 説明が無いと・・「?ペテロは何をしてるのか?どこで?」と言う次第で、 【使徒ペテロ】らが
『エルサレム教会』を確立して行っているのが、理解できません。

 その為、【使徒行伝】?・・何か良く解らない!
・・という方が多いのです。​

最初の部分は・・【エルサレム教会】を確立してゆく【12使徒達、特にペテロ中心の活躍】が描かれているのです。

(^^;)ところで【使徒ヨハネ】、さらに、【使徒ヤコブ】(ペテロの兄弟で12使徒)は出てくrのですが、他の使徒達はどうしたの?
・・という事がこの【使徒行伝】にはあります。

【12人(ユダを除き、マッテヤ)】居る筈では?・・この【謎】がある為に、実は 【福音書創作説】 が起きるのは?・・とか思いません?

・・この【謎】は【使徒行伝】研究者に委ねないと解りませんよね。色々考えられるし。
 例えば・・
●「ルカ」が書いた時点で、「12使徒」は皆殉教していた。
そのため、12使徒の行動は解り難くなっていた。
(実際 【使徒行伝】はAD75~80年に成立説​ が有力)
●【使徒行伝】は【ユダヤ戦争後】に書かれている。
●【使徒行伝】に書かれなかった、「クリスチャン」宣教者は沢山居た。
(^^)実際は【使徒パウロ】以外にも、皆が大胆に宣教を行っていた事実があるらしい。

●【使徒パウロ】が最後ローマに着いた時、すでに【ローマ教会】が出来ていた。(恐らく【使徒ペテロ】らの宣教による。)

(^^)このようにですね、【使徒行伝】がすべての「キリスト教徒」を網羅してはいな訳で、それ以外にもガンガン宣教が広がっていた事実もある様子です。

まあ、ところが難解な「使徒行伝」ですから・・
▼【12使徒不在説】(12使徒なって居なかった(爆笑)
▼【福音書】はパウロの創作説(爆笑)
(キリストも12使徒も不在・・)
▼【パウロ】VS【12使徒】断絶状態だった。

まあ、デタラメに「不信仰なバチ当たりな極悪説」が氾濫したりしてます。

しかし、【使徒行伝】をしっかり読んで理解して頂けると・・上の説は”おバカ”だと理解して頂けるんです。
実際に登場する場所は実在しますしね。
【トルコ】に沢山点在します。

リアルが無くなる 訳なのです。

(^^)そういう意味でも
​ ​【トルコ】をちゃんとご覧下さい​​ ・・と言いたい訳です。


(^^)ここに【初代教会】があったんです。
ここに【使徒パウロ】は滞在しました。
ここで迫害も受けました。
リアルにその場所があるんです。
「空想」でも「でっちあげ」でもありません。

ここに実際に【キリスト教】が出来上がった場所があるんですよ ~・・と言う訳ですね。

​★【使徒行伝】は”ウイッキ”でもあるように、 大変重要な書物 なのです。​
​この【使徒行伝】がもし無かったら、【パウロ書簡】(「ローマ人への手紙」他)を裏ずけるものが無くなり、権威が失われてしまうほどです。

さらに・・
「キリスト教」がどのように伝わったか不明になり 、さらに「怪しい説」が台頭するでしょう。​

【使徒行伝】の存在は【聖書】を権威ずけ、立証するものなのです。


何か変な地名ばっか?で訳わかんない・・
そうやって放っておくと・・しまいに・・
「やっぱ聖書誰かでっちあげたんかも?」(爆笑)
というように不信仰になっちゃうんです。

【トルコ】方面の地理、地名なんて、日本人には、「SF」くらい解らないですからね(笑)

話はそれましたが・・

【使徒行伝6章】
になると、【イスラエル】で色々な迫害を経て、【初代教会】が大きく成長してるのが解ります。
そろそろ 【組織も充実すべし】
​​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
(使徒行伝6章1~5節)
『そのころ弟子たちが増えるにつれ、ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でおざなりにされていたからである。
そこで12使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神の御ことばを後回しにして、食卓に仕えるのは良くありません。」
そこで兄弟たちは、あなたがたの中から、知恵と聖霊に満ちた評判の良い人たちを七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
​そして、私たちは、もぱっぱら、祈りとみことばの奉仕に励むことにします。』

【 エルサレム教会】の信徒も増え、組織を整える必要が出てきたのが読み取れます。
仕事を分担すべき時が来たのでしょう。
こうして「配給係と御言葉を宣教する12使徒」と言う風に、役割分担が出てきています。 ​

【使徒行伝7章】

​​ ​​ ​​​​ ​​​ ​​​​​​​​大迫害が起きる!!
​こうして”信徒”も増加し【エルサレム教会】も確立して行っていました。
 もちろん【イスラエル】各地域でも「初代教会」が増加してきました。

 ところが ​​​​​ 【大迫害】 ​​​​​ が起きたのです。
【ローマ帝国】は数度の渡り【キリスト教徒】を迫害していますが、ちょど
​ 【暴君ネロ皇帝】
​​
​​​ ​​ の時代に入り、【キリスト教徒】が『大迫害』にあう事態になりました。

★【ネロ皇帝】BC38~68年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AD

【エルサレム】で激しい迫害が起きる!

​​​​​「ステパノ」の殉教!
​​
​​​​​​​​ (使徒行伝6章7~8)​​
『こうして、神のみことばは、ますます広まって行き、エルサレムで弟子の数は非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々と信仰に入った。
さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。』

​​”カソリック”で言えば、【聖人】のような人ですね ​
​『ステパノ』​​
という、素晴らしい聖霊様に満ちた信仰の人が居ましたが、彼は迫害者に捕えられ、訴えられ、最初の 『殉教者』 となりました。​​
【ステパノ】の殉教を始めに、ユダヤでは大迫害の嵐が吹き荒れます。
​​​
ここが『ステパノ』が殉教したと言われる【ライオン門】(エルサレム、ライオンの絵がある)
(使徒行伝7章55~60節)
「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見て、
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
そして、彼を町の外に追い出し、石で打殺した。
証人たちは自分たちの着物を、サウロという青年の足元に置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。
「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。そしてひざまずいてこう叫んだ。主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」こう言って眠りについた。』

​​ 【使徒行伝8章】 ​​

​ ​ ​​迫害されて散らされた人々が
「サマリヤ」各地に宣教する。
​​​​​​​​​​​​​
(使徒行伝​​​8章1節)
『その日、エルサレム教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの緒地方に散らされた。』
​
(^^)『暴君ネロ皇帝』の大迫害時代に突入したのか、【エルサレム】で大迫害が起きた事が記されています。
そして、【使徒達】は【エルサレム】に残り、多くの人が 「ユダヤや、サマリヤ地方」(イスラエル) に散らされて行った事が記されています。

【サマリヤ地方】とは、「サマリヤ人」(当時軽蔑されていたユダヤの混血の人々)が住む地域で、【エルサレム】からヨルダン川沿いに北の方になる。
 大迫害で、【エルサレム教会】の信徒が、地方に散らされた様子が解る。

(使徒行伝8章4、5節)
『他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストをのべ伝えた。』

(^^)このように【大迫害】と共に、「キリスト教徒」は地方(イスラエルの)に散らばり、【サマリヤ】地方などにも、福音を宣教してまわったのでした。
 そして、【使徒ピリポ】(12使徒の一人で、恐らくギリシャ語が出来る)も、手伝いに下って行って、【サマリヤ】地方に宣教しました。

 このようにして、【キリスト教】が迫害から逃れる先で、さらに広がって行く様子が描かれています。
 (^^)凄いですね。
このように【迫害】がさらなる宣教拡大になって行く訳で、【キリスト教】の広がる勢いを見せつけられるようです。

(使徒行伝8章14~17節)
「さて、エルサレムに使徒たちは、サマリヤの人々が神の言葉を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。
ふたりが下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。」

(^^)このような記述を見ると、【12使徒達】が、【エルサレム教会】本部をきちんと守り、そして各地に宣教しているさまが良く解ります。

さらに【使徒ピリポ】が、『エチオピヤ』の高官の馬車に近ずき、異邦人の彼にも福音を伝えるエピソードがあり、使徒達によって次々に「異邦人」にも『福音』が広がって行く様子が理解できますね。

(^^)最初に 【12使徒達】 によって
​​​ 【エルサレム教会】 ​​​ が確立されて行き、その後も ​中枢本部​​​ として機能して行く様が描かれているのが、この3章~8章になります。
今の 【バチカン】 のようですね。
 【大迫害】が起きていた事も書かれています。
【迫害】はつどつど数度に渡って行われます。

この【使徒行伝】の最初の部分が、【エルサレム教会】の確立と【12使徒達の活躍】である事をしっかりと明記しましょう。



















​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  February 8, 2019 02:22:34 PM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: