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入院中の夫に代わって、私がソウルセラピーのセッションを代理で受けた。私が抱えている「虚無」の原因に、夫の感情が影響していることは前から指摘はされていた。やっぱり家族という集団で考えた時、夫が家族にもたらしている影響は、想像以上に大きかったようだ。私は夫とは感情的距離感が大きいので、まさかここまで自分が影響されているとは思ってもみなかった。次女は「パパの借金事件から、なんかずっと心の調子が悪い」と言っている。そう言われて考えてみると、あの事件以来、家族みんなが何らかの不調を訴えている気がする。夫の虚無については、「退役軍人の過去生」が原因で上がってきて、それを浄化して頂いた。戦争が終わってやることがなくなり、自分の価値・役割がなくなったように感じている人だった。「明治維新後の武士の虚無」なども一緒に浄化されたらしい。「かなり大量の霊が出ていったよー」とのこと。夫に報告したら、「退役軍人か…わかる気がするな。」と納得していた。その他には、入院している同部屋の方たちの浄化、病院内の様々な症状の患者さんたちの浄化があった。実は夫は潜在的にかなりの霊的敏感体質。病室の移動で部屋のメンバーが変わったことで、わかりやすく、便秘や鬱の症状が起こった。今までは、家族が夫の霊障を請け負い、夫自身はケロッとして働き続けていたけれど。自分が病気になり、入院したことで、初めて夫自身が霊障を体感することになった。今まで、霊障を「心の弱さじゃないの?」という立場でしか理解できなかった夫。私が今までいろいろと訴えても、「ふーん、そうなんだ。大変だね。」としか言ってくれず、たぶん他人事で、本当には理解してくれてはいなかったことは分かっていた。そんな夫が、霊障の当事者になってしまった。それは辛いだろうと思う。「ご主人、病気になったことをまだ受け入れられていないわね」とも言われたので、この現象を自分事として受け入れるには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。とはいえ「当事者にならなければわからない」ということを、今、体験させられているわけで。それは、魂の成長に繋がっていくのだろう。やっぱり人の痛みを、自分事として感じられなければ、当事者としての苦しみをいずれ味わうことになってしまうような気がする。だから、人の痛みを見て見ぬふりをしないようにしたい。それは直接的に募金するとかできるならするけれど、祈るとか光を送るとかでも良いように思う。今、自分ができることをする。自分がやっている浄化や統合が、どれだけできているのかとか考えると本当に虚しかったけれど。この頃は、少しずつフィードバックされているように感じる。昨日、夫の見舞いに行ったら「同室の人たち、着実に良くなっているんだよね。」と不思議そうに言っていた。もちろんセッションを受けている本人である夫も、順調に良くなっている。病院の看護師さんや療法士さんからも「回復が思ったより早いですねー!」と言われたり。なかなか今までは、そういう見方ができなかったけれど。こうやって、知らず知らず、みんなで助け合って良くなっているんだろうなぁ。数年前から「みんなで幸せになりたいね」って思っている。人間って、電波塔なんだろうな。良くも悪くも、電波は周りに影響していっている。私は良い電波を放てるようにしていきたいし、なんなら、悪い電波を変換できるようにもなりたい。今は悪い電波を受けて、疲弊してしまっている私だけれどもね…。悪い電波の変換が、浄化や統合なんだろうな。これはもう、コツコツ頑張るしかない。希望をもちたい。
2026.09.28
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病気の意味。どうやら病気は、カルマを燃やすという働き?があるようだ。今まで、病気になるのは悪いこと、避けるべきことというように捉えていた。そして、エネルギー療法をやっていれば、病気からは逃れられるとも思っていた。でも、魂的に病気を人生の中に設定して生まれてきている場合には、逃れられないらしい。むしろ、ギフト的なものとして設定されていることもあるのじゃないかと今は思う。このところ、気持ちがすごく落ち込む。「生きていても仕方ない」「何もやる気がしない」そんな思いがしばしば湧いてくる。ソウルセラピーでそのことを相談すると「それ、旦那さんだね」と言われた。思えば、旦那が大きな借金したくらいから、私自身もやる気がなくなり、生きる気力を失った。今も、しばしばそんな気持ちに襲われる。最近は、友達にも連絡することもせず、買い物以外はほとんど外出することなく生活していた。皮肉にも、旦那が入院したことで、病院に通い、帰りに買い物する日課ができたけれど。特段、生きる楽しみは見いだせてはいない。週に1回、聖書の会で聖書の勉強をするぐらいが、今のところの自分の活動だ。正直、聖書も興味があったわけではなかった。流れで参加することになっただけだった。でも、これも神さまが導いてくだった道のようには感じている。とはいえ、正直、楽しくない思いをすることが往々にあったりする。黙って聖書を読んでいれば、特に何も起こらないのだろうけれど。私が自分の思っていることを話すことで、どうやら浄化が起こってしまうようだ。そこで起こるトラブルも、気にしないというところまでにはまだ精神が追い付いておらず。正直、参加するのに気持ちが重くなったり、嫌だなという感情が湧いてしまう。思えば、今までも、私がいることで何かしらの浄化が起こってしまうことはあった。三女も私といると、おかしくなることが多い。三女に言わせると「ママといる時だけそうなる」らしい。私は人の闇を引き出してしまうのかな。黙っていた方がいいのかな。思ったことを口にしない方がいいのかな。そんなことをいつも思う。「そういう気持ちが湧いたら、浄化して」と言われたけれど。なんともいえない気持ちになっている。私って何のために存在しているんだろう。なんか、自分は人を不快にさせる存在なのだろうかと不安に襲われる。聖書を文字通りに読むと「?」と思う箇所が多い。これをどのように解釈するのかが、キモだなと思う。「命をすてろ」という箇所に敏感に反応してしまっていた。これがどうにも抵抗感があり、AIに相談したら、「自我をすてろ」という意味で捉えるようにとのこと。なるほど、それなら受け入れられる。聖書の諸所で抵抗感を感じてしまったりするのは、過去生の影響のように感じている。キリスト教という宗教において、解釈の違いで数々の争いがあったことに関係していそうだ。今は聖書を読むことで、「自分の中で神をどのように捉えるか」ということを構築をしていると思う。この地球で、苦しむ人がいるということを、どのように神は考えているのか、とか。救われない人がいるのはなぜか、とか。自分の中で、神に対する不信のようなものがあり、それを理屈でどう納得するか。そんな取り組み。最近思うのは、「神の計画は自分で理解できる範疇にはない」ということ。YouTubeで「神が何もしないのも愛」という言葉を聞いた。そうなのだろうと思う。だけど、感情で「マジかよ!」って反応してしまう自分もいる。自分にとって理不尽と思える出来事が起こった時、「これも神の計らい」と思えない時もある。次から次へとくる試練に「もう召されてしまいたい」と心が折れる時もある。「普通の生活ができるはず」って、なんか思い込んでいるんだよね。不思議と。それが叶えられない毎日に、いつも心折れてしまう。握りしめている願いをいったん手放すことが必要なのかもしれない。「思い通りになるのが良いことだ」という思い込みを手放す。今まで、肉体の苦痛があったからこそ、スピリチュアルを求め、探求してきた。だから、苦しみは必要だった。なのに、やっぱり苦しみを受け入れたくないという感情が湧いてしまう。このまま死んでいくのかな…。って思うと、やっぱり虚しさを覚える。私は何がしたいんだろう。
2026.09.21
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またまた久しぶりすぎる更新、約4か月ぶり。この間、大きな事件が勃発した。それは夫の脳梗塞。夏至前日のこと。夜、晩酌をしていた夫が、いつも以上に静かだった。「大丈夫?」と尋ねると、「いつも静かなんだから、特に変わりないでしょ」との返事。その時は「そうか」と思い直したけれど、何か変な気がした。しばらくして、また話しかけたら、今度はろれつが回っていなかった。いくら酔っていたとしても、これはおかしいと思った。「病院に行こう」と言ったけれど、本人は「えー?」と実感がない様子。私はあわててマイナンバーカードや、必要なものの場所を尋ねて準備をした。そうこうしているうちに、顔色が悪くなってきた。これは、もしかしたら救急車を呼ばなければならないかも…と思い、とりあえあず#7119に電話。状況を説明したり、なんだかんだやり取りをしていた。すると、夫が突然嘔吐し始めた。「嘔吐してます!」と伝えると、すぐさま救急車の手配に切り替えてくれた。それから救急車が来るまでは、長く感じた。夫は食卓に座ったまま、意識を失っていた。隊員の方が到着し、3人がかりで夫を運んでくれた。「左麻痺、血圧、上90下は消失しています」とのことで、危険な状況らしい。このまま死んでしまうのかもと思った。救急車の中で…とにかく祈った。祈るというより、神さまに謝った。今までの自分の至らなさ、神さまを信じる気持ちが薄かったことを赦してもらえるように。すると、「血圧、150になってる…あれ、壊れているのかな?」と隊員の方。違う血圧計で測ってみても、同じだった。「もしかして、復活できるかも!」と希望が湧いた。そして無事に救急病院にたどり着き、CTやMRIなど診察。診断結果は「右脳幹の梗塞による左麻痺」だった。意識は取り戻したものの、集中治療室に入ることになった。とにかく命が助かったことに安堵し、家に帰りついたのは夜中を過ぎていた。これからどんな日々になるか、不安はこみあげてきたけれど、こういう状況の時に神を思ったり、祈ったりできることが、今までの自分とは違うなと思った。そこから今日まで、入院から3か月経過。途中、リハビリ病院に転院し、今は麻痺した左半身のリハビリに取り組んでいる。夫は、自分に突然降りかかった不幸というように病気を捉えていた。病院も「刑務所みたい」と言って、鬱になっていた。ソウルセラピーでは、「いただいた命。これからどう使っていきますか?」「今回のことは、神さまの方を向いていきましょうという試練」「すべては自分次第」「これもまた祝福だよ」というお言葉をいただいた。脳梗塞の直接の原因は、カルマの人に出会ったという因果だったらしい。夫が過去生で苦しめた、女性の母からの復讐だった。でも、カルマの人に出会うというのも、必然なのかもしれないと今は思う。振り返ると、夫の元に帰ってきてからというもの、夫と一緒にいるのが本当に苦しかった。特に何かがあったわけではないのだけれど、夫の傍にいると、とにかく体がきつかった。夫の過去生は、相当に重いのではないかと思った。また一緒に暮らせるようになったことは喜ばしいことにも関わらず、身体は相反してきつかった。それでも頑張っていたけれど…私自身、かなりしんどかったし、限界が近かったように思う。でも、この体のキツさを何と言って表現したら良いのかはわからなかったし、その直接的な原因が夫だとも断定はできないけれど、大きな違和感を拭うことはできなかった。その臨界点に達したのが、あの日だったように思う。正直、そこから毎日病院に通うようになって、霊的に敏感な私は、病院から霊をもらってその対応に追われるようにはなったのだけれど。夫が倒れたことで、大きな何かが解消されたような気もしていた。すごく苦しかったものの質が、変わったような。私自身は、両肘の内側のアトピー性皮膚炎が悪化してしまったり、日々、何らかの霊的なものに襲われたりして、酒風呂が欠かせない毎日だったりするのだけれど。心は凪のようになっている。喜びは感じないけれど、苦しみもない。限りない「無」の状態でいられる時間が増えている。来月には、夫が退院してくる。それはそれでまた、試練の日々が訪れるのだろうけれど。病気やトラブルというものの意味を考えさせられた。やっぱり神さまからのプレゼントなんだろう。当人にとっては辛いことだったとは思うけれど、こうでもしなければ変わることはできなかったから。夫にとっては初めての入院だったし、自分が病気になることなど考えもしていなかったようなので、すごくショックではあっただろうけど、人生を見直す大きなきっかけにはなったことは間違いない。私自身は、意識上では「なんでこんなにトラブル続きなんだろう?」とか「また罪なんだ」とかいろいろ思ったけれど。身体は、あの得体の知れない重たさや苦しさが取れたという体感があり、それはきっと何かの因果が解消したのであろうということを私に知らせてくれた。
2026.09.18
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