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名古屋で長い歴史を誇る名鉄百貨店が、解散・清算されることとなりました。親会社である名古屋鉄道(名鉄)が発表しました。9月1日付で名鉄百貨店が解散し、清算されます。名鉄百貨店の商品券事業は、名鉄が引き継ぐこととなります。また、名鉄は名鉄百貨店に対する債権115億円程度を放棄します。同時に、友の会事業などを担う子会社、めいてつカスタマーサービスも、名鉄が吸収合併することとなりました。名古屋駅の再開発に伴い、名鉄百貨店本店は2月末に閉店していました。しかしながら、この再開発計画はコスト高騰や人手不足などで白紙となっています。これにより、建物の解体計画も止まっていました。名古屋駅周辺では、名鉄百貨店の建物はそのまま残されており、駅前の好立地が空白地帯となる異常事態となっていました。つい先日、この旧本店の低層階にヨドバシカメラが出店することで合意したと発表されたばかりでした。名駅エリアには、近くにヤマダデンキLABI名古屋がありましたが、今年2月に閉店しています。また、JR名古屋駅の桜通口と直結のビックカメラ名古屋JRゲートタワー店と、反対の太閤通口のビックカメラ名古屋駅西店がある。池袋もそうですが、駅周辺に家電量販店が集中する構図が各地で見られます。これにより、名鉄百貨店は会社設立から94年の歴史に幕を下ろすこととなりました。名古屋では、かつて4Mと呼ばれた百貨店が賑わっており、生活のインフラでした。このうち、丸栄が2018年6月に閉店し、名鉄も解散となりました。4Mは松坂屋と三越のみとなり、現在の名古屋地区での売上1位は高島屋です。時代の流れといえばそれまでですが、名古屋で社会人人生をスタートした者としては、非常に寂しい気持ちになります。また、名古屋に行きたいと思います。
2026.07.30
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7月も今日で終わりです。雨がたくさん降り、梅雨明け前後からは猛烈な暑さになり、そして熊本地震の発生と、自然の力を思い知らされるような日々でした。仕事は、独立して3ヶ月となりました。おかげさまで多くのご縁に恵まれ、さまざまな機会をいただいております。仕事を通じて、直接的に感謝の言葉をいただいたり、喜んでいただけている様子を感じたり、お客様のお役に立てていることを嬉しく思っております。自分の経験を活かし、そして新たな知見や経験をさらに身につけ、これからも社会の役に立てるように努めてまいります。「強い経理が会社を強くする」この理念は変わりません。この理念に、ホームページや公式Xでも色々と反響をいただいており、感謝申し上げます。もう1つの事業の柱となるランニング・マラソンは、ブランディングや差別化を意識した展開を具体化させました。来月には第1回目のイベントを公開できると思います。秋のマラソンシーズンに向けて、まずは試走会を実施していく予定です。詳細は、ホームページやInstagram、e-moshicomなどで告知しますので、よろしくお願いいたします。自分自身のランニング・マラソンについては、サロマ明けからゆっくりと再始動させました。故障からの回復を、トレーニングをしながら進めるという難しいテーマですが、何とかなっています。転倒での故障の影響も、少しずつ軽くなってきました。とはいえ、2ヶ月以上経っても完治にはほど遠い状況ですので、いかに強烈な故障であったかを実感します。それでも、OverNight60kmを走れるぐらいにまでは戻っていますので、来月は本格的に追い込んでいけると思います。8月末には毎年恒例の北海道マラソンがありますので、ここを目指して仕上げていきたいと思います。7月の走行距離は、315.2kmでした。60kmのレースに出た割に距離が伸びなかったのは、ポリープ切除による静養のためです。幸い、切除したポリープは悪性ではない、ということでしたので、ひと安心です。健康に気をつけて、8月も頑張っていきたいと思います。
2026.07.31
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昨日の夕方に、熊本県で大きな地震がありました。震度7を観測するなど、大変なことになりました。昨日は天気も悪かったので、車で仕事に行っていました。お客様の訪問を終えて自宅に戻る途中で、社内でテレビを点けていました。通常放送の途中で、放送を遮るように自身のニュースになりました。熊本県を中心に九州地方で大きな地震が発生した、というアナウンスで、沿岸では津波の恐れがある、とも報じていました。すぐにNHKにチャンネルを変え、そのまま車で走っていました。走行中は画面は見えないのですが、音声はずっと耳にしていました。その後もずっと地震のニュースは続きました。帰宅してからすぐにテレビを点け、様子を確認しながら仕事をしていました。熊本県には、大学院の同級生がいます。他の方が早々に確認してくれたようで、彼のメッセージでは「ものすごい揺れだったが、何とか無事」ということで、安堵しました。その後のニュースでは、イオンモールで爆発が起きたという報道もありました。ずっと状況を報道するニュースが続きました。私はある程度の記憶のある大きな地震として、阪神淡路大震災、東日本大震災、平成28年熊本地震、能登半島地震などを経験しています。震源地付近に居合わせたことはないのですが、比較的近い地域で震度4程度の揺れを経験したことはあります。震度4でもかなりの揺れで、大変不安になったことを憶えています。大きな地震があると余震が続き、現地ではお亡くなりになった方もいらっしゃるとのことです。とにかく早く地震が収まり、多くの皆さまが早く無事で過ごせるようになることを、心よりお祈り申し上げます。
2026.07.29
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OverNight60kmみちくさマラソンに初参戦しました。昨日の夕方から今日の未明まで、みなとみらいから箱根湯本までを走る60kmのレースです。この大会の存在は、以前から知っていました。ナイトランという特殊なレースですので、どんなものかと一度走ってみたいと思っていました。朝ランで軽く2kmほど走り、11時過ぎに仮眠をとり、14時前に起きて18時スタート、というリズムです。ところにより雷雨、という予報が出ており、みなとみらいも開会式の最中に雨が降ってきたので、スタートを繰り上げるという臨機応変さです。このあたりが、ウルトラマラソンらしいところです。みなとみらいから保土ヶ谷あたりまでは雨も強くなり、ずぶ濡れになりました。また、歩道は歩行者優先で走り、また信号待ちも多いため、歩いたり走ったりの繰り返しです。このパターンが結構続き、保土ヶ谷を過ぎた頃からほぼ普通に走れるようになりました。強い雨は戸塚あたりで上がりましたが、ウエアーは濡れたまま走りながら乾かすことになりました。箱根駅伝の2区は権太坂の上り、3区は遊行寺の下りがあり、藤沢あたりまでで結構足を使ってしまいました。ここから整えていきます。ナイトランなので、昼間よりも神経を研ぎ澄まさないと危ないので、疲労の度合いも違います。ペースもゆっくり目なので、普段のウルトラよりも1kmの通過に時間がかかるように感じます。粘りながら何とか最初のエイド、浜須賀に到着しました。ここまで26.9kmです。このエイドで補給をして甦り、いよいよ湘南海岸の134号線に出ます。このあたりで、だいぶ足が軽くなってきました。ここは集団走でひたすら進み、体力を温存します。右手が防風林、左手が海岸なので、集団でないとやや怖いですが、それでも徐々に前後もバラけてきます。そのまま進み、大磯の36.9kmエイドに到着です。ここではカップラーメンが提供されます。迷いましたが、ミニサイズのラーメンを食べ、残り23kmに駆け出します。この先は、大磯駅近くのコンビニに寄った以外は、ノンストップです。二宮で午前0時を超え、次の小田原までの長い道のりは、ほぼ単独走という厳しい走りになります。それでも、足がしっかり動いているので大丈夫かと思います。残り5kmで小田原市内を過ぎ、いよいよ箱根の入口に向かっていきます。ここは国道1号線ですが、右手側に箱根登山電車の線路、左側が川で、上りが容赦なく続きます。ここが頑張りどころです。小田原中継所を超えて、あとは箱根湯本駅を目指すばかりですが、ここで後から来た女性ランナーと信号待ちで一緒になります。あとちょっとですね、などと会話をしながら、お互い頑張りましょうと励まし合ってゴールを目指します。しかし、その方はとても速く、ラストスパートでどんどん先に行っています。ナイスラン、ゴー!と声援を送り、私も最後の力を振り絞っていきます。箱根湯本駅が遠くに見えてきて、ようやくここまで来たか、という想いになりました。午前2時22分、ガーミンで見ると62kmだったOverNightを無事に完走しました。ゴールした後に飲んだコーラが、本当に美味しかったです。ナイトランというタフなレースは、60kmでもかなりの体力を消耗しました。良い経験になりました。また一つ、新しい経験を積むことができました。このような大変なレースを主催していただき、ありがとうございました。そして、応援してくださった皆さま、ありがとうございました。変な時間帯にも関わらず、メッセージで励ましていただいたおかげで、無事に完走できました。
2026.07.26
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今日はいわて銀河ウルトラマラソンの開催日です。2024年のこの大会で、100kmを11時間8分10秒で完走したのが、自己ベストです。午前4時スタート、峠が多くアップダウンも厳しいコースですが、地元の方の応援に励まされて、楽しく完走できた思い出があります。今思うと、あの頃は心身共に絶好調で、メンタル的にもとても強い時期でした。柴又以外での100kmレースは、初めての経験でした。まだ真っ暗な中でスタートラインに立つのも、未経験でした。スタートから意外と周囲の方のペースが速く、乱されないように気をつけて走りました。とにかく、前半から抑えて、山のコースに入ったら粘る、と意識していました。この大会に向けて、1ヶ月前のゴールデンウイークには、箱根駅伝の5区~6区の試走を行い、鍛えていました。その時の経験から、箱根よりずっと走りやすい、という精神的な余裕が生まれました。エイドのボランティアの方とも楽しく会話をすることで、とてもリラックスできました。「あとたった60kmだよ」と元気に励ましてくれる女性の方には、皆で爆笑しながら走った思い出があります。山を全部超えた60km以降はだいぶ足にきましたが、それでも気持ちはポジティブでした。とても楽しみながら走れているのが、自分でもよくわかりました。最後のエイドのところでは、目の前に上り坂が見えていました。「最後にこれはきついですね」とエイドの方に言うと、「まあ、コーラでも飲んで」と、笑顔でコーラの小さい缶を渡してくれました。こうして、楽しく頑張って最高の気分でゴールできました。体調万全、精神的にも安定していた、会心のレースでした。現在は故障と戦いながら、サロマに向けて進んでいます。今朝も8kmジョグと物足りないですが、この飢餓感をサロマにぶつけられるよう、頑張りたいと思います。いわて銀河はタフなレースになると思いますが、出場される方々のご健闘をお祈りしています。私もサロマに向けて、体調を整えていきたいと思います。
2026.06.14
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日産自動車の株主総会が行われ、社外取締役議案が否決されました。永井素夫社外取締役の選任議案の否決です。永井氏選任以外の議案は、全て可決されたようです。会社が提出した議案が株主総会で否決されるのは、極めて異例のことです。永井氏は、日産の主要取引行であるみずほ銀行の出身です。日産でも実力者として知られていた、という報道もあります。永井氏は2014年に社外監査役として日産に参画し、2019年に社外取締役に就任していました。監査役から数えると、12年余り日産の社外役員を務めていたことになります。永井氏は日産の監査委員長を務めるほか、指名委員会、報酬委員会のすべてに所属する唯一の取締役ということです。永井氏の再任を巡っては、大株主の仏ルノーが総会前に日産側に、賛成せず棄権する意向を通告していたそうです。ルノーの意向に加えて、アメリカの議決権行使助言会社のISSとグラスルイスが、独立性に疑念があることを理由に取締役選任に反対を推奨していたようです。このような状況で、再任は否決になりました。近年では、社外取締役の在任期間が長すぎると、反対を投じる機関投資家も多いとされています。ガバナンスの観点から、問題があるとも言えます。これに加え、経営不振の責任を問う声もあり、主要行出身ということもネガティブな反応になったと思われます。総会の議長を務めたエスピノーサ社長兼CEOは、採決の直前に永井氏の再任案のみ分離して、採決することを表明したそうです。ルノーの棄権により、永井氏の選任は微妙になったことを、日産も理解したのでしょう。そして、永井氏以外の11人の承認が決定した後、永井氏は否決されたということです。異例の状況ではありますが、納得のいく結果です。日産の再建は、まだまだ先だと感じる事案です。
2026.06.24
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今日、気象庁は「関東甲信と東海が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。これで本格的な夏の到来になります。関東甲信、東海ともに平年より1日遅く、関東甲信は昨年より22日遅い梅雨明けになりました。去年が異常でしたので、なんだかんだ言ってほぼ平年並みの梅雨明けになりました。梅雨入りが発表された6月7日からきのう7月19日までの降水量は、東京で299.0ミリで、この期間の平年の降水量は253.0ミリですので、平年よりも雨の多い梅雨になりました。また、千葉県銚子市では488.5ミリと、平年の降水量236.8ミリの2倍以上の雨量となりました。確かに今年は雨が非常に多かったように思います。6月の降雨量は、平年の2倍程度になったと記憶してます。お客様と話していても、6月は雨が多くて商売に影響した、という声を多く聞きました。雨で人が外に出ない、予定した作業が進まない、などの影響が各所であったようです。梅雨が明けて、厳しい暑さがやってきました。関東甲信では、向こう1週間は高気圧に覆われて、おおむね晴れる見込みです。今日は東京でも最高気温が35度と予想されており、この先も連日高温の予想になっています。今年から始まった、40度以上の最高気温となる「酷暑日」も、地域によっては発生しそうです。今日の朝ランでは、昨日の月例マラソンの疲れもあり、ジョグで軽く10km流しましたが、朝から厳しい暑さでした。日差しが強く、水分補給を普段よりも多く意識しました。梅雨入り・梅雨明けの発表は速報値で、春から夏にかけての天候経過を考慮して再検討され、見直されることがあります。過去には、6月の梅雨明けが最終的には平年よりも遅い梅雨明けに修正された年もありました。それでも、この先は厳しい暑さが続くと予想されています。この夏に鍛えたいと思いますが、熱中症対策を万全にして、夏を体感していきたいと思います。
2026.07.20
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昨日というか一昨日というか、オーバーナイト60kmを走り終えたのが午前2時過ぎ、箱根湯本駅がゴールでした。さすがに少し疲れましたが、コーラを飲んで、そうめんを食べて、生き返りました。そこから着替えたりした後に、この後どうするか考えました。せっかく箱根に来たので、温泉にでも入ってから帰ろうか、とも思いましたが、午前2時台に入れる温泉はなさそうでした。そのため、どのルートが最も早く帰れるか調べました。箱根湯本の始発電車は約3時間後、小田原まで移動すると始発電車は約2時間後でした。箱根湯本駅前で座って3時間待つのも辛いので、タクシーで小田原に移動して、始発で帰ろうと決めました。しかし、タクシーGOでもタクシーが手配できない時間、場所であったため、どうするか考えました。小田原まで歩きながら流しのタクシーを捕まえるしかない、という結論になり、歩き始めました。60km走った後に、小田原までの5~6kmを歩くのは大変ですので、早くタクシーを見つけないと、と思っていました。すると、ちょうど良いタイミングでタクシーが来たので、乗車しました。小田原には3時半に着きましたが、ファミレスなど時間をつぶせるお店はカラオケや牛丼屋しかなく、やむを得ず駅の改札前のベンチに座って待ちました。45分ほど待って駅のシャッターが開き、4時半発のJRで帰りました。家に帰ったのが6時過ぎ、徹夜明けの朝帰りのような感じで、また新たな1日がスタートしました。学生時代には徹夜で麻雀をして、そのまま学校へ行ったり、朝まで飲んで牛丼を食べて始発で帰る、などということをしていましたが、社会人になってからは徹夜の記憶は全くありません。どうしたものか悩みましたが、まずはお風呂に入り、洗濯をして、その後は雑務をしていました。それでも、雑務が終わったのが9時半ですので、この後どうしようか考えました。こういう時は、時差ボケの調整と同じように寝ない方が良いと思い、ずっと起きていました。今朝は、昨夜爆睡したおかげで快適な目覚めで、また新たな週の始まりを迎えました。でも無理は禁物です。還暦で、健全な徹夜明けの朝帰りは、あまり皆さまにはお勧めいたしません。
2026.07.27
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東急線ランも最後の路線を残すのみとなりました。最後の路線は、大井町線です。東急大井町線は、大井町から溝の口を結ぶ18駅です。駅の数は多いですが、営業距離は12.4kmですので、一気に走り抜けたいと思います。大井町まで電車で移動して、スタートします。前回のこどもの国線ランから、だいぶ間が空いた気がします。大井町駅では、乗り換えばかりでほとんど下車した記憶がありません。走ってみると、駅のすぐ近くに緑の多い公園などの施設が整備されています。犬の散歩や、寝転んでくつろいでいる人も見られる、良い施設です。それでも、また通りに戻って走り出すと、再開発で退去したと思われる商店街店舗の名残が残っていました。そんな街並みを見ながら、下神明、戸越公園と走ります。戸越公園は池上線ランの時に戸越銀座まで来ましたが、大学時代に長く住んでいた場所です。戸越公園まで来るとあまり馴染みはありませんが、それでも再び懐かしさを感じます。そして、次の中延までも同じような光景が続きます。ここから荏原町、旗の台、北千束と快調に走破します。このあたりは、地形的になかなか線路沿いにうまく走らず、大回りで次の駅を目指すことになります。そして、大岡山、緑が丘を過ぎて、自由が丘です。自由が丘と、次の九品仏の間ぐらいに、大学時代の最後の半年ほど住んでいたことがあり、懐かしい街並みを感じます。再開発の進む自由が丘ですが、変わらず賑わっています。そして、次の九品仏までの街並みは閑静で、とても良いところです。改めて、わずかな時期とはいえ、よくこんな良いところに住んでいたな、と感じます。そんな想いを抱きながら、走り続けます。尾山台、等々力、上野毛と走破し、二子玉川まで来ました。ここから先は田園都市線ランでも走っており、馴染みのあるエリアです。二子玉川のおしゃれな街並みを抜け、多摩川を越えると神奈川県になり、一気に景色が変わります。このあたりは、鉄道路線ランの醍醐味です。二子新地、高津と快調に走り、ゴールの溝の口までも走破しました。トータルで16.2kmの東急大井町線ランでした。これで東急線ランは、全線を制覇しました。とても楽しく走ることができました。また次の路線を考えたいと思います。鉄道路線ランは、本当に楽しいです。
2026.05.03
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先日、大学院同窓会の総会がありました。 会長を務めていたのが、だいぶ昔のように感じます。現同窓会の役員の方は、私の2期後輩の方が中心になります。昨年5月に同窓会の10周年という、ビッグイベントを実施した大変な代になります。2期後輩の代になるので、現役の学生時代は重なっていません。それでも、この代の方々とは妙に気が合い、親しくさせていただきました。 その代の任期が終わるにあたり、事業報告、会計報告が総会に上程されます。これらが承認されると次期役員の選出議案になり、承認されると次の代に交代になります。ここから新たに選任された会長が、新年度の事業計画と予算を説明し、これが承認されて終了となります。全ての議案に賛成して、総会は滞りなく終わりました。その後は、近所のお店に移動しての懇親会です。新旧役員に総会に出席した会員、そして大学院の校長先生も出席されての懇親会です。懇親会では、前役員への慰労と、新役員への激励に加え、久しぶりに会う方々とも親交を深めました。近況報告などで、活躍している方々に刺激を受けました。 また、初めてお会いする後輩の期の方々とも、懇親を深められました。私たちが6期生、一番新しい方が10期生となりますので、結構時間が経ったと感じます。10期生の方は、3月に大学院を修了したばかりですので、ロスになっているというお話も聞きました。私もそうでした、という話や、私たちの頃はコロナ禍だったので、リアルに会えた機会が少なかったという話は、改めて驚かれていました。多くの方と楽しく歓談できた、良い1日でした。改めて、大学院のつながりはとても心地よく、刺激になると実感しました。 刺激を受けて、また頑張っていきたいと思います。
2026.05.08
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ボクシングの元WBC世界ライト級チャンピオンのガッツ石松さんの訃報が届きました。76歳、肺炎のために6月2日に亡くなったと、所属事務所が発表しました。5月までは元気に過ごしていたものの、体調を崩してすぐに肺炎となり、そのまま帰らぬ人となったということです。突然の訃報に驚きました。ガッツ石松さんは栃木県出身で、中学卒業後に上京し、ボクサーとしてプロデビューしました。1969年に全日本ライト級で新人王となりましたが、同期の新人王にウェルター級の輪島功一さんがいました。世界チャンピオンへの道のりは平坦ではなく、1974年4月に3度目の挑戦で世界王座を獲得しました。ガッツさん圧倒的不利の予想を覆したのが、「幻の右」と評された右ストレートででした。左、右を繰り出す間隔が短く、相手には右腕の動きが見切れないことから、「幻の右」と評されたそうです。この時に両拳を突き上げた姿が、ガッツポーズと言われるようになったということです。その後も5度の防衛に成功し、1977年4月のWBC世界スーパーライト級に挑戦して6回KO負けとなり、世界2階級制覇を逃しました。1978年に現役を引退した後は、タレントとして幅広く活動されていました。私の父が若い頃に、ボクシングをやっていたそうです。当然ながら私は知らないのですが、父がボクシングをやっていた17〜18歳の頃の写真を見たことがあります。そのせいか、父はボクシングが好きで、我が家ではボクシング中継があると、いつもテレビで見ていました。私に対して、酒を飲みながら色々と解説をしてくれたものです。多くの方はガッツさんはタレントの印象しかないでしょうが、私の中では三度笠で入場するパフォーマンスを見せる、強い世界チャンピオンという印象です。ガッツさんの訃報を耳にして、ボクシング好きだった父を思い出しました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
2026.06.12
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