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「太陽が沈んでいる時っていうのは、人間が休むために与えられた時間」と母親が夜更かしをする私によく言う。しかし、「夜行性」の私は夜に行動する事が多い。外が静かになるとどうしても考え事をしてしまう事も。。。そういう時に考える事は「出口の見えない問題」弧を描くように堂々巡りを繰り返す。。。「人の一生というのは生まれた時からもう決まっている」と、どこかで聞いた事がある。しかし、そこで立ち向かうのが人間で、別の人は「運命って言うのは自分の手で変える事が出来る」とも言う。本当はどっちなんだろう?じゃあ「運命」ってなんなんだ~!?そこで、辞書で調べてみると、「運命」は2つの意味を持つ。。。みたい。一、人間の意志を超えて人に幸、不幸を与える力。また、その力によって起きる幸、もしくは不幸。二、将来の成り行き。「運命の人」「運命的な出会い」「運命に逆らって…」etc.と言うように文章・意味によって使い分けられる。しかし、このように多く用いられるこの言葉は、決して「正体」を現さない。「そうです、これがあなたの運命なんです!」なんて、絶対言わない…。確信を得る事なんてそう簡単には出来ない。そうそう気安く使える言葉でもないし…。だから、その出会いや人、自分が置かれた状況が「運命か否か」は「私たち人間自身がそう思うか否か」に掛かっている、そんな気がする。そうじゃなかったら、じゃあ「運命」って誰が決めてるんだろう?答えが見えなくても、それでも、私たちは「運命」という言葉を使い続ける。「運命」という言葉を無視できず、逆にこの言葉を使われると弱い(私も)。e.g.「これがあなたの運命なんです」「あなたの運命の人ですよ」とても便利且つ神秘的な言葉だ、と私は思う。もし自分にとっても辛い事や苦しい事が訪れて、悪い結果をもたらしたとしたら、私はそれを「運命」として受け入れるんだろうか?
2005/05/25
「批判」したがり?+結構ネガティブ思考な私。(特に自分に余裕がない時!)昔、母親にも「あんたはマイナスな視点で捉えて言葉を発しすぎる」と言われた事があった。少しは大人になろうと、最近は物事を初めから悪く受け取らないようにしてるんだけど…。例えば、「人が自分を睨んでいる」ように見えても、「あぁ、きっとあの人は目が悪いんだよ!よく見えないから睨んだ風に見えるんだ!」とか…。でも、シリアスな内容になるとそう簡単にはいかないみたい。そういった性格ゆえに、自分が不安要素を抱えている時はとことん、最悪な状況まで考える事もある。口には出さないけど。だって・・・「大丈夫だよ」と返ってくるだけだから。でも、案外「そこまで考えても、案外簡単に問題をクリアする」らしい。。。思い詰めすぎないには、どうすればいいんだろう?「大丈夫、大丈夫~!」とは言えないからなぁ…。「心を豊かにする事」をすれば、もう少し前向きな生活に戻れるかな?P.S/「最近Marieちゃん、全然日記更新しないんだもん!!」そう言って貰えないと最近、日記更新をしない私。。。後ろから押してもらわないと書かないなんて…、いかん!
2005/05/21
「友達」という存在その定義は人によって様々。「本当に大切な友達は3人いれば良い」と昔から私の母は言う。特に、大学生って結構友達付き合いがいい加減な時もあるしね。と言っていくうちに、段々淡白になっていくんだろう。そんな中でも残ったのが本当に大切な友達なのかな。それが「3人」という数。。。なのだろう。
2005/05/20
プレゼンテーションの用意に追われたゴールデンウィークも終わり、少し落ち着ける週が始まりました。その忙しさが去って、落ち着いた時に今まで考えずに溜めてきた事柄が堰を切って流れ出てきている今夜。例えば、3ヶ月先の事とか。平穏に構えてきたけど、そろそろ波風が立ち始めそうです。はぁ・・・、今日の「仏教学」も適確な点を突いていたな。誰でも、「とてつもなく辛くなると、人は藁にも縋りたくなる」。例えば「方角」だとか、「日の良し悪し」、「占い」etc.実際、自分もそうだから。科学的根拠も保障もないのに、おみくじで「大吉」が出たら「やった!!きっと大丈夫だよ!」って大喜びした私。確かにおみくじで良い結果が出たからといって、その通りに行くとは限らない。どこにもそんな保障なんて無い。だから、「そういうものに安心を求めるのは、その苦しみと向き合っていない」という考えは的を射ていると思う。でも、そこまで最初から強く立ち向かえる人は少ない、と私は思う。何かしら、その「苦しみ・怖さ」から少しでも引き上げてくれる存在があれば、立ち向かう勇気を持つ事が出来る。苦しみや怖さと正面から向き合う事。向き合っても、答えが出るのはその「苦しみ・怖さ」を経た後。
2005/05/09
振り返ってよく考えてみると、言うまでも無いが「学ぶ・教えてもらう」というのは、受動的な行動だと思う。小学校、中学校、高校、そして大学。「教えてもらう」事で全く新地の状態であった所に「知識」という種が蒔かれる。それは当然の流れなわけで、こうして私たちは自分の好きな教科や嫌いな科目を発見し、自分の興味のある分野を更に知ろうとする欲に駆り立てられる。昨今、「歴史認識」の問題が表に出てきて、私も考える事がよくある。もちろん「日本人」としての自分は存在するが、「こっちの歴史認識が正しくて、むこうは間違ってる」と肯定したり、批判したりしないよう冷静でいたいと思う。でも、この話をするとよく「学校でそう習った。先生がそう言っていたし、歴史的に見て…」という発言に出くわす事が多い気がする。その発言を耳にする度、私は思う。「学校で習った事、先生が言っていた事、教科書が絶対なのか」こう反論する私の中には「日本人」の自分が居るからかもしれないが…。教科書というのは教育の上で「軸」となるもので、常に疑る目で見たくはないが、そこから更に踏み込んで考える事が大切な気がする。そうしなければ、自分の考えを主張するだけで終わってしまう。「Marieって歴史の勉強をしてるんでしょ?それなら、日本の教科書を変えてよ」そんなに簡単なことじゃない。「真実」とは一体何だろう。
2005/05/05
気がつけばもう明日はゴールデンウィーク最終日!!毎年のように「ゴールデンウィークだ~~~☆」とはしゃいではいられない今年です。なんとアホな私でしょう…、自ら志願して5月6日にプレゼンテーションを行う事に!?ほんと、今になって相当後悔しています。「ゴールデンウィーク、満喫出来ないじゃんかよぉ~~~~!!」(T-T)でも、でも!家族、そして友人のおかげで大切な時間は過ごせたんです☆一、両親の訪問、そして京都散策両親の来ている時に勉強なんて出来る訳が無い!!最近、両親と過ごす時間が嬉しくてたまらない「親離れできない私」は、首をなが~くして両親が来るのを待っていたのです(-___-;)そして、寺社仏閣の散策!ついでに京大も。二、親友のお誘い3日の話ですが、初めて「ふんどしを巻いた男の人たち」を間近に見ました!あはは!今思い出すだけでも、結構笑える&貴重な経験でした。そう、京都の某神宮の近くで「相撲大会」が開かれていた。。。三、友達の訪問韓国に留学している友達が“お友達”とそのお友達と一緒に訪問してくれました。いやぁ~、会うのは久し振りだったから、嬉しかったです☆また大学に復学したらもっと話したい!と、大まかに言ってこんな事をしていました。ある出来事がきっかけで「夜眠れない症」に陥っていたけれど、親友や大切な人、そして両親のおかげで少しずつ持ち直してきました。ここでお礼を言います。ありがとう。今は「プレゼンテーションの用意」という別の理由で寝れません!!(T-T)(昨日の夜は12時間も寝たのに・・・。やはり私は「直前主義」!?)今晩も張り切って勉強しま~す!進んでいくと段々楽しくなってくるんだけど!ではでは、久し振りに「日記」っぽくなりました。^^考える事はたくさんあるけど、もう少し余裕のある時に、しっかりと言葉を選んで書きます。
2005/05/04
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