まいど、俺や。41歳無職、滋賀大卒。
朝晩ちょっと冷えてきて、
外歩いたら金木犀の香りがふっと鼻に入る季節になったな。
働いてた頃(あったんやで、一応)は、
季節の変わり目なんか感じる余裕なかったけど、
今は風の温度ひとつで「秋が来たなぁ」って思える。
これも“無職の特権”や。
秋は焦りの季節でもある
金木犀の香りといっしょに、
なんか胸の奥に“焦り”も入ってくるんよな。
「今年、なんかしたっけ?」
「俺、進んでるんやろか?」
そんなこと考えながら、コンビニの肉まん食ってる。
熱いんか寂しいんか、ようわからん季節や。
でも、そんな自問自答も秋らしいやろ。
落ち葉の掃除で哲学発動
この前、家の前の落ち葉掃除してたんや。
風に舞って、集めても集めても散っていく。
ふと気づいた。
人生も、落ち葉みたいなもんやな。
集めては散って、形にならん。
けど、その繰り返しが景色を作る。
無職やのに、季節の前ではえらい悟っとるわ俺。
食欲の秋は正義
スーパー行ったら、秋刀魚・松茸・新米。
財布の中身が悲鳴あげとるけど、
“旬”って言葉の誘惑には勝てへん。
この前、すき焼きも食うたし(※参照:前回)、
たぶん今月の食費、もう限界や。
でもええねん。
うまいもん食うて生きてるだけで、人生は勝ちや。
夜の冷気と、しみるコーヒー
夜ベランダで缶コーヒー飲んでたら、
月がやたら明るい。
空気が澄んでるせいやろな。
昔は「コーヒー一杯に意味なんかあるか」思てたけど、
今はその一杯が“今日を受け止める時間”になっとる。
働かん時間も、
無駄やなくて“間”なんや。
親父の秋の過ごし方
防大卒の親父は、秋になると庭いじり始める。
黙って剪定バサミで枝切っとる姿、
なんか禅僧みたいや。
声かけたら、
「生きるってのは、整えることや」って言うてきた。
……はい、また名言。
秋は親父の哲学が一番冴える季節やな。
おかんの秋は食卓で進行中
おかんはというと、
「秋ナスうまいで〜」言うて、毎日のように焼きナス出してくる。
俺が飽きた顔したら、
「“飽き”が出るのも秋やね」ってドヤ顔。
たぶん、うちの家族で一番季節を楽しんどるのはおかんや。
無職にも、ちゃんと季節がある
春は「今年こそ働こう」って思って、
夏は「暑いから今ちゃうな」って先延ばし。
秋は「何か始めたくなる」けど、結局読書で終わる。
冬は「もう来年でええか」ってなる。
それでもええやん。
季節を感じてるうちは、生きてる証拠や。
まとめ
秋は、静かで、寂しくて、温かい。
無職やってても、心の中ではちゃんと季節が巡っとる。
人より遅れても、歩みが止まらんかったらそれでええ。
紅葉も落ち葉も、散ってもまた芽吹く。
人生って、そういうリズムやな。
風に乗り
無職も揺れる
秋の空
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