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今日いつも観ているテレビで面白い話があった。若い夫婦が民宿を経営している二人をインタビューする内容だったんだけど、旦那さんは公務員で奥さんは大手の商社に勤めていてある日二人同時に仕事を辞めたという話をしていた。それは二人とも旅行が好きで二人で世界旅行へ行きたいからということで辞めたらしい。それを観ていてつかさ夫婦を思い出したんだけどその欲望への対処の違いに色々考えさせられた。どうしたら自分たちがやりたいようにやれる未来がひらけるか、明確な答えはないと思うけどつかさ夫婦とこのテレビの夫婦、明確に違うのはこのテレビの夫婦は旅行前に仕事を辞めその旅行に500万使っても、その後帰ってきて1700万貯金があったという事実だった。きっとこのテレビの夫婦は、親もしっかりしていて自頭もよくて貯金のすべてが自身で稼いだものでなく、何パーセントは親の援助なのかもしれない。でも踏み台がよいことですべてがうまくいく良い事例なのだろうと思う。だから僕は自分の境地をよくわきまえて享楽を享受するのがよいのかなと思う。そう思う僕は小さくまとまりつまならいのだろうか?
2017.12.19
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最近仕事が一段落ついてきた感じがする。一段落とは未経験でやり始めた仕事にもある程度慣れてきたということだ。まだまだできないことも多いけれど、これまでの習得感からこれはあと何回くらいしたらこれくらいできて大体これくらいで習得に至るだろうという見込みがあらゆることで見通せるようになった。つまり一段落である。しかしこれは安堵とともに焦燥でもある。僕の前の仕事は日々僕が楽しめるものが消失していき、いよいよ人の管理が仕事のメインになったときに僕はその会社にはいられなくなった。その行きつく先は転職しかなかった。今の僕の仕事もいつか全ての業務ができるようになり教える立場になり管理の側に行く日が来るのだろう。そして僕の年齢的なことからもそのような仕事を期待されているようにも思う。それに反発する一方で、今の仕事をやっていくことでこれからどのように感じ、この先続けるとどのように思うのか想像のつかない未規定な不気味なものがある。それが日々の原動力になっている。そして思うのだが、むしろそれが自分の仕事をする上での本質なのではないかと最近思うようになってきている。つまり表面的な面で何をどうして、どういう物をつくるのかはどうでもよいことだ。そして結果的に自分の苦手とする管理の仕事をせざるを得ないことになってもだ。改めて思う、あらゆる面で偶然性に開かれていない前の職場はやはり僕にとって健康的でなかった。新しい力を蓄えて未来へつなぎたい。
2017.12.15
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今日は晩御飯を作った。メインはビーフシチューそれからひらめのお造り菊花と紅たでが微妙に何か違うものに。。まあ細かいことは気にしない。そして得意の寿司白身魚のエスカベージュ静岡でもおもてなししたいな。僕の料理の修業は身近な人をおもてなすことに目的がある。色々覚えたことを身内の人に披露したい。偉大な人はその先に違う欲望があるのだろうか今の僕にはわからない。
2017.12.08
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