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有名な本だけど、読まれてない本の典型だろう。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「森の生活」。読み続けることがむずかしい本である。第1章のタイトルは「経済」である。文学なのか経済書なのか、この第1章が延々と続く。第1章の半分くらいで、多くの人はギブアップである。有名な、というのは日本では、この本は何種類も翻訳があるのだ。図書館の文献一覧で調べてみると、水島耕一郎訳「森林生活」文成社佐渡谷重信訳「森の生活ウォールデン」講談社学術文庫飯田実訳「森の生活ウォールデン」(上下)岩波文庫真崎義弘訳「森の生活」宝島社酒本雅之訳「ウォールデン」ちくま学芸文庫今泉吉晴訳「ウォールデン森の生活」(上下)小学館文庫一番入手しやすいのは岩波文庫の飯田訳であろう。お気づきだろうがタイトルが微妙に違う。原題は「Walden;or Life in the Woods]である。主タイトルが「ウォールデン」、副タイトルが「森の生活」である。ちくま学芸文庫の酒本訳では副タイトルは「森で生きる」になっている。酒本は「あとがき」で、この問題を指摘している。「従来の邦訳ではほとんど「森の生活」という訳題が定着している。つまり副題のほうがなぜか選ばれてしまっているというわけだが、この作品が自然愛好者のいささか風変りな自然生活の記録として、少なくともわが国では読まれる傾きがあるのも、訳題のこのありようが微妙にかかわっているからではあるまいか」。読者はキャンプ生活のノウハウを書いた本と勘違いして、この本を買ってしまう。読んでみて、ちっとも面白くない、むしろ思想書ではないか、と気づいて、先を読み続ける根気のある人と積ん読本にしてしまうかの分かれ目になってしまう。NHKカルチャーラジオ「文学の世界」で「はじめてのソロー」と題して今年1月から、ソローの世界が紹介された。講師は伊藤詔子(しょうこ)さん(広島大学名誉教授)。ソローは1817年生まれなので、今年は生誕200年に当たる。つまり200年前のアメリカ文学になるのだ。ソローは1960年代の若者の反戦運動の中で「市民の不服従」が復活、ここでソローが再発見された。ソローは建国まもないアメリカのマサチューセッツのコンコードで生まれた。コンコードは東海岸のボストンの近くである。イギリスからピリグリム・ファーザーの上陸したプリマスは地図で見ると、ボストンの下に見える。1775年東部13のイギリス植民地が、本国からの課税、自治の禁止などから独立を求め独立戦争が起こる。イギリス軍を民兵が迎え撃ち、コンコードでイギリス軍を破り、戦端が開かれた。各地で激戦となったが、13の植民地はフィラデルフィアでの会議で統一、1776年7月4日の独立宣言で「連合せる13の州はアメリカとなる」という独立宣言でユナイテッド ステイツ オブ アメリカが生まれた。この独立宣言の思想がソローに反骨の人生を歩ませる。ソローはハーバード大学に進学。ハーバードから帰京後、志望していた教師の仕事は見つからず、土地測量、大工仕事などの日雇いで生活を立てた。家業の鉛筆製造を父から引き継ぎ、改良工夫して、上質の「ソロー鉛筆」を作り出した。建築ラッシュだった当時、この鉛筆は高く評価され需要は多かった。1938年10月にコンコード・ライシーアムの書記になる。ライシーアムは公民館活動に類する啓蒙団体で、講演することが主な仕事で、この講演草稿が作品となっていった。作家として仕事を始めたのは、1849年の「コンコード川とメリマック川」という長編を出版した。1845年の春、ウォールデン湖畔に3メートル四方の家を建て始めた。ここでの思索と生活が「森の生活」という作品になった。1854年ボストンの出版社によって出された。経済の章には次のような文章がある。「たいていのひとは、比較的自由なこの国に住みながら、単なる無知と誤解から、しなくてもいい心配や余計な重労働にわずらわされて、人生のすばらしい果実を摘み取ることができないでいる」。第二次産業革命により、機械化されたアメリカの生活は豊かになっていたが、コンコードのような田園地帯では借金をしたり、田畑の維持のために耕運機を購入したりであくせくした生活を送っていた。こういう生活を見直す必要をソローは説き始める。まるで牧師の説教のような講演内容だった。「贅沢な生活からは贅沢という果実しか生まれはしない。哲学者は、生活の外観においても時代に先んじているものである。ひとは哲学者でありながら、他人よりもすぐれた方法で生命の熱を維持できないなどということがあり得ようか?」。衣服、家、家を建てる、建築、パン、というテーマで、これでいいのかと問いかけ、あるべき経済について論じていく。ウォールデン湖畔での自然観察、そこでの孤独の意味、読書について、一人暮らしの意味、湖畔に訪れる動物との交流とテーマは次々と広がっていく。じっくり読んでいくと考察に裏付けられた警句が散りばめられているのに気づく。「より高い法則」という章には、次のような文章がある。「私が自然と親交を結ぶようになったのも、おそらく子供のころ、釣りや狩りをしたからであろう。(略)漁夫や猟師やきこりなど、野や森で一生を送るひとびとは、特殊な意味からいえば彼ら自身「自然」の一部だから、期待感をもって「自然」に接する哲学者や、さらには詩人などよりも、仕事の合間には「自然」を観察するのにふさわしい気分になっているのだ。「自然」のほうでも、そういうひとたちには恐れることなく自分をさらけ出す。(略)単に旅をしているだけの人間は、ものごとを間接的に生かじりに学ぶだけで、ほんとうの権威者にはなれない」旅をしてちらっと自然に触れるだけでは、自然はわからない、という意味だろう。これは一般法則だろう。物事にズボッとはまるぐらいに打ち込まなければ、そのものの本質はわからない、ということだろう。真の生活とは何かがソローの表現したいテーマだ。学者によって、この作品はネイチャーライティングというジャンル名が付けられている。岩波文庫の翻訳者の飯田実は、この作品はネイチャーライティングという枠組みのなかでは捉えられない複雑多岐な内容をもっていると書いている。日本のネイチャーライティングには鴨長明の「方丈記」がある。方丈は3メートル四方で、ソローの家と同じ大きさである。思想も非常に似ている。簡素な生活、贅沢の愚を主張する。この本は読むのは大変であるが、人生を作っていく上に血肉を与えてくれる一文に出会う可能性が高い。適当なところを開いて時間のある限り読んでみるというスタンスでいい。初めから順に読む必要はない。気になる一文にぶつかったら、自分の場合はどうかと考えてみる。生活、自然、環境、周囲の人々との付き合い、多様な内容なので、初めからすべてを理解しようと思わないことだ。ラジオ講座のテキストはNHK出版に注文すれば入手可能だ。参考文献一覧は、ソローについて、もっと勉強しようと思う人には便利だ。
2017.04.09
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放送大学で日本語学(国語学)、書誌学などを講義されていた杉浦克己先生が亡くなった。テレビでの印象は何となくとっつきにくい感じだが、授業内容は非常に分かりやすいものだった。膨大な知識の集積である国語学の全体をどう提示できるか。この授業を聞いて目を開かれた人も多いだろう。杉浦先生は放送大学を卒業されて准教授になられたと聞いたことがある。放送大学の問題点、受講生の思いなどがよくわかっていたのだろう。東京大学から天下ってくる教授とは一味も二味も違う。まず授業時間が45分、一般大学では与太話で終わってしまう時間である。いかに45分で中味のある授業を展開するか、とことん考えられた。書誌学などは実際の古文献を見せながらの授業で、江戸時代の書籍の形、文字の配置などを示しながら、読みのモデルを試みられた。粘蝶装(でっちょうそう)の書籍など図で示されても形がどうなっているのか分かりずらいが、実物をみせられれば一目了解である。テキストも工夫がこらされていた。最後のほうに参考文献と理解度チェックのテストコーナーがあり、この解答にも丁寧な解説が施されていた。通信教育のテキストは読むには読むが理解するというところまで中々いかない、ということを知っているからの工夫だろう。放送大学は全部、録画、録音による授業である。学生の顔が見えない。理解度がライブで見えない。学生の反応を見て、臨機応変に授業内容を変更するということができない。理解したかどうかは最終のテストで確かめるほかない。既存の大学から横滑りの教授は、一方的に授業するしか方法がない。学生側からすると、まったく理解不能の授業も出てくる。テレビの利点をふまえて実物を見せると言う事は徹底していた。放送大学に資料がない場合は博物館で録画で実物を見せ、その博物館の学芸員の話をつけた。和紙作りは山の中の和紙工房での作業を木の断裁から始め、和紙を乾かすまで写しとり、細かな解説をつけた。放送大学のすごい所は亡くなっても授業は行われる所である。次期(4年ごとに更新される)講義はない。日本語学、書誌学、日本語教授法に関心ある方は、ぜひ視聴を。
2011.11.20
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一般の単行本には、「はじめに」などの前書きがついている。これは単なるおまけではなく、この本の主題はなにか、どうして自分はこの本を書いているか、と言った本題に関わるところで、読むうえで重要なところだ。大学の授業や一般の講演でも、この前ふりはあり、この前ふりの内容から、授業の質や講演者の人柄、学問的姿勢などをうかがい知ることができる。普通の授業は1時間半とか2時間とか時間が決まっている。講演者はどういう話の展開をするか、あらかじめ構想を立てて、その場に臨んでいるはずである。話の内容があまりない場合、前ふりを長くやり、時間をもたせるということもある。「近頃の学生は…」、「うちの孫は…」などで30分も話した場合は、有料の講演会なら金返せと事務局に申し込んでもいい。一方、放送や動画配信の講演や授業の場合、前ふりはほとんどない。いきなり本題に入っていく。時間が限られているためだ。15分、45分、60分などが普通の講義時間だ。最近はパソコンで動画による講義や授業が簡単に見れるようになった。ユーチューブなどで動画で「パソコン操作の講義」を見ることができる。わざわざ有料のパソコン教室など行かなくてもよい。大学でもネットで講義を公開しているところもある。通信教育などでは、インターネットを使った授業は当たり前になっている。こういう動画授業を視聴者はどう臨めばいいか、利用方法については、あまり語られていない。動画サイトには、あまりヘルプというマークが見られない。操作方法や視聴方法の指導などがないのが現状である。テレビのように視聴してるという人が多いであろう。動画サイトによって機能が違うので、すべてに当てはまらないが、動画サイトの授業、講義を視聴するポイントを紹介する。1 画面を全画面表示にする。マウスのポインタを画面の下方に持っていくと機能操作ができる表示が現れる。これはすぐ消えてしまうので、ポインタをその位置に維持していれば表示が続く。全画面表示は多くの場合、一番右にある。講義が終わったら、元に戻す。戻す場合は、同じ全画面表示をクリックする。2 字幕表示があるものは字幕をつける。日本語では同音異義語がかなりあり、音声だけでは判別できないことがある。非常にいいのは、要注意単語、専門用語は画面の下に表記が示される講義もある。アメリカのテレビでは字幕表示が義務付けられている。聴覚障がい者向けである。語学学習者にとっても便利だし、一般者にとっても理解度が上がる。日本の法的レベルは、ここまでいっていない。字幕が付いてないのが普通であるが、関係者の努力で付いている番組もある。これは大いに利用すべきである。3 スピード調整が可能。早聞きしたいとか、ゆっくり聞きたいとかの要望に応えられる。設定のマークから選択できるはずである。早送りでも、限度がある。1.25倍くらいが限度で、それ以上早くすると理解度が下がる。むしろ場合によっては遅送りで視聴する手もある。4 一時停止機能。これは大抵一番左のマークだ。動画授業で大いに使ってほしい機能である。テレビ授業の場合、まとめや要点がパネルで示される。生授業の黒板、白板に当たる。表なども示される。テキストがある場合、テキストに同じものが出ている場合もある。テキストの棒読みでない授業の場合、講義に合わせたパネルが作られ、それが表示されることもある。この場合、一時停止機能で動画をストップして、ノートに書き写す。テキストの空きスペースでもいい。絵画、写真などはストップしてよく見ること。あとで解説などが入ることもある。その場合、次項の巻き戻しを使って、写真をストップして解説のポイントを改めて鑑賞する。動画画面をクリックすると一時停止できるものもある。再開は再度クリックする。5 巻き戻し。これは機能表示板の進行時間を示す横線の色の変わるところが現時点を示す。ポインタをドラッグすると巻き戻しのコントロールができる。同じところを何回でも見れる。居眠りして聞き逃しても巻き戻せばいい。重要と思ったところは巻き戻して、もう一回見ることも可能である。以上の機能を使うことを意識していると、受け身で、ただ見てる姿勢から、積極的姿勢の視聴に変わる。つまらない、無駄話の評論家の話には厳しくなる。【おことわり】12月24日と31日の更新は休載です。新年は1月7日再開する予定です。
2017.12.17
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