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WEBを色々見ていたら、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」が東洋英和女学院の大学院棟へ移ったというニュースが目についた。NHK朝ドラの「花子とアン」で注目をあびた村岡花子。主演は吉高由里子であった。吉高は今年の大河ドラマでは紫式部を演じている。吉高は文学者に縁がある俳優のようだ。 大森の馬込文士村散歩の帰りに、この記念館まで足を延ばしたが、予約制になっているのは知らず、住所のマンションまでたどり着いたが入ることができなかった。お孫さんの村岡恵理さんの編による「花子とアンへの道」(新潮社)という本を入手した。この記念館がビジュアルに再現されている。明治時代の女性文学者の生き方、苦労がよくわかる。この本により村岡花子の足取りを追ってみる。なお、東洋英和女学院の住所は、このブログ最後に入れる。男性の方も歓迎とのことである。アン・シャーリーを「腹心の友」にした男性も多いだろう。「赤毛のアン」は児童文学と考えられているが、英米文学の粋が詰まった、大人が読んでも耐える文学である。モンゴメリーの英文は、日本人英語学習者が読むのが難しい。 本のトップページは花子の晩年の書斎が写されている。女性文学者の書斎らしく整理整頓されて美しい。飾られている本は表紙が向けられている。作家の書斎は戦闘場所なので、大抵は乱雑である。次の仕事の資料が山積みになり、灰皿には煙草が山となっている。奥にはそのまま寝ていいように布団が積まれている。しかし、この写真の書斎は見学用に作られたようで、ただ静寂がただよっている。次のページは花子が翻訳した児童書の表紙が並ぶ。次のページは夫から贈られたウェブスター英英字書とルーペ。次が和服姿の花子の肖像写真。花子は和服姿を通した。次がプリンス・エドワード島の美しい風景写真。「赤毛のアン」の世界に引き込まれる。残念ながら花子は、この島を一度も訪れることができなかった。 村岡花子は、1893年(明治26)山梨県甲斐市で茶商をしていた安中逸平と母てつとの間に生まれた。花子は2歳で洗礼を受けたが、妻の実家の人々はキリスト教に嫌悪感を抱き「女の子に学問はいらない」という考え方で家の中で衝突が絶えなかった。逸平はしがらみを逃れて一家で上京、東京の南品川に居を構える。逸平はカナダ・メソジスト派が設立した東洋英和女学校に受け入れを切願した。左翼運動家だった逸平からすると、この学校選択は異常だが、お金が問題だったようだ。給費生として編入した。給費生にはメソジスト派が運営する孤児院の奉仕活動が課された。不思議な縁だが、後に翻訳する「赤毛のアン」のアンも孤児院からやってくるさびしい女の子である。 東洋英和女学院は山の手の令嬢が通う学校。この雰囲気と午後の授業はすべて英語で行われる授業は花子にとってカルチャーショックだった。日露戦争が始まり国の教育方針は忠君愛国へと傾く。ミッションスクールには政府から圧力が加わる。校長のブラックモアは文部省の通達を握りつぶし、キリスト教育と英語教育を貫いた。寄宿舎に歌人の柳原白蓮(びゃくれん)がいた。白蓮は柳原伯爵令嬢燁子として編入するが政略結婚を破棄して、23歳でこの学校へはいった。白蓮は花子を短歌の師佐々木信綱に紹介した。ここで日本古典文学を学んだ。図書室には日本語の本はなく、英語の本ばかりである。ほとんどの学生は、この図書室に寄り付かないが、ここで花子は子どもの本から古典まで英米文学を読破した。信綱の短歌指導で言葉の感覚が研磨された。これが後の翻訳活動に生きてくる。信綱教室で片山廣子と出会う。片山は信綱門下の代表的歌人であり、松村みね子のペンネームでアイルランド文学の翻訳者として知られる。一方、白蓮は親子ほど年の離れた炭鉱王伊藤伝右衛門との再婚で福岡の飯塚に去った。二度の政略結婚は花子は許すことが出来ず絶交を言い渡した。語るべき友を失った花子は大森の片山の家を訪れ本を借りた。ここで日本近代文学を学んだ。 東洋英和を卒業した花子は21歳で山梨英和女学校に英語教師として赴任する。1919年(大正8)、教師を辞し、東京の日本基督教興文協会に編集者として勤務。後に銀座の教文館として和洋書をとりそろえる書店、出版社として発展する。教文館の裏手にあった福音印刷で夫となる村岡敬三と出会う。1923年9月1日、関東大震災で印刷中の聖書も廃塵に帰した。復興の見通しは立たず、自宅に青蘭社書房という印刷所兼出版社を起こした。市川房江の婦人参政権運動が高まり、長谷川時雨が「女人藝術」を創刊。花子は家庭文学を提唱し、雑誌「家庭」を創刊した。婦人矯風会の書記、「婦人新聞」の編集もしていた。さらにNHKラジオで「子供の時間」で、その日の出来事を子供にわかりやすく伝えるという仕事もしている。1939年(昭和14)、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発、日本と諸外国の関係は悪化し、駐日の連合国関係者は帰国を始めた。カナダ人宣教師ミス・ロレッタ・レオナルド・ショーがカナダへ旅立つ朝、教文館に送別に来た花子に、かなり読み込んだ跡のある一冊の本を「友情の記念」として手渡した。それはルーシー・モンゴメリー著の「Anne of Green Gables」だった。世界平和を愛し、クリスチャンとして、祖国の偉大な物語を手渡してくれたショーの深い思いを花子は受け止めた。どんなことがあっても翻訳して日本の読者に手渡そうと誓った。しかし鬼畜米英が叫ばれ、国家総動員法の下、文学者も戦争動員の駒にされ、貯蓄を呼びかける講演に借り出された。英文の本を持ってることさえ、官憲の目が光っていた。東京空襲がはじまり、焼夷弾が落とされる。花子は本と訳稿をかかえ、本門寺の防空壕へ逃げ込んだ。 1945年(昭和20)、第二次世界大戦終結。「Anne of Green Gables」の訳了。1953年(昭和27)「赤毛のアン」という題名で三笠書房より刊行された。村岡花子は1968年(昭和43)死去。75歳だった。 村岡恵理さんの挨拶(冒頭部分)1991年より、東京大森の自宅の書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として予約制で公開してきましたが、この度、蔵書や資料、愛用品を花子の母校である東洋英和に寄贈させて頂きました。麻布、鳥居坂の通りに面した大学院棟の入口「ブルーシアター六本木」の向かい、「国際文化会館」のはす向かいに、慎ましやかに「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」と書かれたパネルが立っています。男子禁制ではありません。どなたでもお入りになれます。(以下略) 村岡花子展示コーナー(東洋英和女学院大学院棟1階ロビー 東京都港区六本木5-14-40)
2024.06.30
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奈良大学の通信教育の学生募集の資料が届いた。昨年の3月に資料請求したが、ちょっと自分には無理とあきらめた。今度のは過去に資料請求した者に再度送られたものだ。あきらめた理由と応募する方のために概要を紹介する。本ブログは基本的にお金をかけないで生涯学習を続ける趣旨で作っているので、かなりの費用が掛かるものは除外している。奈良大学の場合、学費は年間19万円になっているが、選考料、入学金、スクーリング等入れると4年間で1030000円、2年間で479000円かかる。大学、短期大学卒業者は原則3年次編入になるので2年間で卒業になる。奈良大学は奈良にあるので関東地方、東北、北海道の方は交通費、宿泊費もかかるのは当然だ(総費用は表示学費の倍はかかる。以下の京都芸大も同じと考えておこう)。 奈良で歴史を学ぶのは非常に魅力的だ。関西を旅行する時、大抵は京都を選び、奈良は二の次になりやすい。しかし奈良は日本の原点になるような史跡や寺が多く、スクーリングの帰りに見学する機会が多くなる。またスクーリングでは現地訪問があり、専門家の話も聞ける。奈良大学で歴史を学ぼうと考える人は、多くがこんな所にひかれるのではと思う。 資料を読んで行くと、費用以外に難しい所があるのに気付いた。授業はテキストを読むという古典的なスタイルである。2023年3月まではコロナ禍でスクーリングと試験は在宅で行っていたが、4月以降はスクーリングは対面になる予定だ。在宅というのはインターネット受験か試験用紙を送って来るのかは不明である。今は、ほとんどの大学は大教室授業はインターネット受講になっている。グループワーク、実験や語学などは面接授業で、どちらを選ぶかは学生側が決める。奈良大学は資料で見る限りオンライン授業はないようだ。 資料の中に文化財学と歴史学はどのように違うかのコラムがあった。この二つの違いは扱う資料(史料)の違いだという説明があった。文化財学の場合、考古資料や美術資料などモノが研究対象であり、歴史学は文字をともなう資料が研究対象になるという説明が書かれている。どんなことを学ぶのか科目が一覧されている。この科目一覧は独学で学ぶ人にとって非常に参考になる。文化財学の場合は資料をどのように扱うかが主要テーマになり、歴史学の場合は資料をどう読むかがテーマになる。仏教については「仏教考古学」という科目があるが、「仏教学」「宗教学」の科目はない。坊さん養成所ではないということか。教養科目に「人間論」という科目があるが、倫理、哲学、宗教を含めた科目なのかもしれない。ちょっと意味不明の科目だ。 驚くのは「考古学」のテキストが放送大学のものと同じであることだ。放送大学の「考古学」は奈良大学の教授が担当していた。テレビ授業で、発掘現場や掘り出された史料を実際に見るという所に重点を置いたものだ。放送大学はテレビで無料で聴取できるので、この講義はテレビで見ることができる。 奈良大学にはテレビで有名な千田嘉博教授がいる。ところが専門の「城学」という科目はない。考古学に所属されている。 読売新聞に歌手の橋幸夫さん(79歳)が京都芸術大学の通信教育で書画コースで昨年から学んでいるという記事が出ていた。書道を学問的に学ぶというのである。こちらは完全オンラインである。近所の書道塾で子どもと一緒に学ぶのとは違う。芸術としての書道である。書道の歴史から構図論、空間論、余白論等の芸としての書道である。京都芸大にはもちろん「歴史」もある。「歴史遺産」という科名になっている。こちらはオンラインで受講できる。仮受講でもすばらしいオンライン授業を視聴できる。試してみる価値がある。もちろん無料である(資料請求が必要)。芸術方面に関心のある方はぜひ試してみてください。京都芸大はネットで検索してください。関東地方の方は東京にも校舎があり、スクーリングが受講できる。奈良大学の方は博物館学芸員という職業を得るための学問であり、京都芸大は芸を極めるというプロフェッショナル養成が目玉のような気がする。橋幸夫さんは卒業時、個展を開くことが目標と語っている。歌の芸と書の芸を極めるという中高年にとっては最高の人生である。 奈良大学の出願期限は4月入学の場合、3月3日締め切りである。 奈良の歴史を詳しく知りたい方は「奈良観光ガイド」で検索すると有料、無料のガイドが出てくる。ガイドの質については人柄によるので有料、無料は判断の基準にならない。もちろん奈良へ旅行する場合、関連書を読み漁ることが重要だ。あくまでもガイドはガイドだ。大学の学問の代わりにはならない。 奈良大学通信教育部事務室TEL 0742-41-9564FAX 0742-41-9604受付時間 平日:9時~16:30 土曜日:9時~12時
2023.02.05
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放送大学の公開講座「記憶の謎を探る」という講演を聞いた。講師は福田幸雄先生。福田先生は横浜薬科大学教授、横浜国立大学名誉教授、放送大学客員教授と肩書が多い方である。中高年になると記憶は低下する。それに抵抗しつつ生涯学習を続けている意義とは何か。考える切っ掛けが得られるのではと思い、出かけて行った。平面的に「覚えること」と考えていたが、なんと奥深い、人間の存在の在り方まで問われる講義であった。日々、生きていくということが記憶と関わっている。過去の体験を学び、記憶し、それを元に我々は生きているのだ。記憶というのは、現代の科学でもまだ解明されてない。わからないことだらけという。覚えたくても、覚えられない。忘れたくないのに忘れてしまう。忘れたいのに忘れられない。記憶というのは不思議に満ちた、魔物のようなものである。これが福田先生の語り始めであった。平成29年3月、道路交通法が改正された。75歳以上の高齢運転者が免許を更新する時、認知機能テストが課される。65歳以上の高齢者は認知症が急激に増える。7人に1人が認知症になっている。2025年には5人に1人が認知症になるという推計もある。車の事故は自分だけでなく、なんの関係ない人も巻き込んでしまう。免許返納が昨年は話題になったが、地域によっては車がないと生活が成り立たないところもある。どうすれば、いいのだろう。福田先生は寅さんが大好きだそうである。昨年暮れ、「男はつらいよ、お帰り寅さん」という新作が封切られた。渥美清はすでに亡くなっているが、過去の映像をつなぎ合わせた「新作」である。昨年暮れ、50本目の「新作」を見たが、先生はとんでもないことに気づいた。マドンナの名前が出てこない。映像で顔は見覚えがあるが、はて、この女優のお名前は何だったか。福田先生の「前ふり」はご自分の記憶の分析から始められた。ユーモアたっぷりで興味を掻き立てるものである。科学的に記憶を研究として取り上げたのは、ドイツのエビングハウスである。忘却曲線というのが有名である。人は覚えても急激に忘れてしまう。曲線には20分で42%忘れてしまう。1時間後には56%忘れる。1か月後には79%、つまりほとんど忘れてしまう。ここで見つめるべきは残っている20%である。ある程度残っているのである。人間には、この忘却曲線の法則に従わない人がいるという事実がある。例外なのだが、これが3つある。一つは、ハイパーサイメスティック・シンドローム(超記憶症候群)、二つ目はフラッシュバルブ記憶、三つめはサヴァン症候群である。ハイパーサイメスティック・シンドロームとは忘れることができないという症状である。何年何月何日に何をしていたかを即座に答えられる。日々の生活の記憶が成長にともない蓄積され、膨大な量の記憶の“囚人”となる。ジル・プライスという人は、こんなことを言っている。「忘却」が訪れるから、人間は生きてゆける。辛いことも、悲しいことも、いつの間にか忘れてしまうから救われるのだ、と。記憶に振り回される人生とは、どんなに大変なことか。「忘れる」ことは、人間にとって必要な機能なのだ。フラッシュバルブ(閃光)記憶とは、個人的に重大な出来事や世界的な重大事件に関する詳細な記憶である。日本では東日本大震災のあの日は、ほとんどの人はありありと思いだせる。アメリカの国民ではケネディ大統領暗殺事件だ。ビートルズが好きな人はジョン・レノンの殺害だろう。イディオ・サヴァンは知的な障がいを抱えながら、ある特定のテーマの記憶に優れている。ダスティ・ホフマンが演じた「レインマン」が有名だ。カレンダー計算が得意だった。1100年の5月6日は何曜日と計算できる。これはNHK特集の映像で紹介された。コンピュータとの計算較べだ。サヴァン症候群の人の方がコンピュタより早く答えられた。記憶研究史に残る研究者として、ミラーG.Aの名前を紹介された。この人は短期記憶の容量限界に言及された。マジカルナンバー7というもの。人間がいっぺんに覚えられる容量のことだ。電話番号を聞いて、覚えて、番号を入力できるのは7桁くらいである。ここでテストが行われた。5379と4桁くらいなら簡単に覚えられる。6587236と7桁くらいならなんとかなる。それ以上だと、もう無理である。次に紹介されたのはアトキンソンの記憶の多段階貯蔵モデルというもの。ちょっと難しそうだが、簡単に言うと、記憶は3種類から成り立っている。感覚記憶→短期記憶→長期記憶。感覚記憶とは、思い出して利用するもの。刺激が入っても秒単位で消えてしまう。記憶容量は大きい。つまり器は大きい。短期記憶への移行の条件は、注意、凝視、傾聴で受け入れる姿勢を持つことだ。機械で言えば、センサーのようなものだ。短期記憶は、持続時間は短い。15から30秒である。記憶容量は5~9桁。それ以上はオーバーフローになる。長期記憶への移行はリハーサルが必要である。つまり何回か繰り返す。人前で演じる場合は100回以上練習しているであろう。英会話などは模範会話を50回以上聞いて、自分で発音すること50回以上必要だろう。この回数は人によって違う。実践経験で自分のキャパシティーを把握するしかない。短期記憶は脳のどこに納まるか。海馬といわれる。なぜそういうことがわかるか。その部位が損傷することで、海馬が短期記憶の座であることがわかる。ただし、これは実験ではむずかしい。世の中には記憶術というものがある。歴史の年代覚えでやったことがあるかもしれない。これは情報を他のものに置き換えて容量を小さくする方法である。長期記憶になると、いつまでも利用できる。容量は莫大である。自分の名前や住所は長期記憶になっている。長期記憶は脳の側頭葉に納まる。長期記憶が障害されると、時間的に過去が消えていく。自分が誰だかわからなくなる。認知症は記憶の障害を伴う。認知症は色々な種類があるが、一番多いのがアルツハイマー型認知症である。認知症の7割はこれであり、70歳をこえると発症する確率が高まる。アルツハイマー型認知症は、脳にアミロイドβ(ベータ)やタウと呼ばれる特殊なたんぱく質が溜まり、神経細胞が壊れて死んでしまい、減っていくために神経を伝えることが出来なくなると考えられている。症状は短期、長期の記憶ができなくなり、判断力が低下する。失認、失行障害が出る。徘徊や介護拒否、暴力などが現れる。認知症発症前に軽度認知障害(MCI)という状態が現れる。グレーゾーンだが、この段階で気づいて治療に結びつけば回復率は44%である。MCIの状態の人は国内で400万人と推定されている。64歳以下で発症する若年性認知症がある。働き盛りであり、家族もある場合が多いので、より深刻である。「アリスのままで」という小説(映画化された)は若年性認知症を扱っている。ニューヨーク、コロンビア大学で言語学を教えるアリスは、講義中に言葉が思い出せなくなった。こういう事態をどのように受け止めればいいのか。全米のベストセラーになった。先生が用意した資料はまだまだあるが、時間がきてしまった。興味ある方は放送大学の授業を受講するか、本で自己学習するかしていただきたい、とは先生のお言葉である。
2020.02.16
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