中高年の生涯学習

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2024.09.01
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ひろさちや という名前の仏教啓蒙家がいた。2022年4月に亡くなられた。仏教だけでなく、キリスト教、イスラム教、神道の本も出されているので宗教評論家ともいえる。「ひろさちや」はペンネームで、本名・増原良彦。1936年、大阪に生まれる。関西人である。東京大学文学部印度哲学科卒業。学校は東京であるが、関西人らしく、東京の知識人とはちがい、反権力、反知識人的な評論活動が特徴のような気がする。
仏教というと難しいという印象で、仏教書を読んでも中々腑に落ちない感じがする。特に漢字がむずかしい。やさしい漢字でも、輪廻、業(ごう)、般若、中道、縁起、空、無我、解脱等の概念、意味となるとなんのことやら、さっぱりである。国語辞典には意味が出ているが、仏教本来の意味はどうなのか、わからない。頭で意味がわかったとしても、体で体験として意味が浸み込まなければナンセンスである。普通の仏教書では、これらの言葉で論じられるが、大抵、途中でギブアップである。
​​​「ひろさちや」というひらがなのペンネームはめずらしい。どういう意味か。なにか哲学的な意味がありそうである。 「幸(さち)」を「弘(ひろ)」める 、という意味ではないかと、当方は解釈している。この人の評論活動は、仏教哲学を 一般の人にできるかぎりやさしく解説する方針 が徹底されているようである。そのための具体的方法が 譬(たと)えや身近な話題 で仏教の哲学概念を敷衍するという方法である。例えば「空(くう)」という概念も「こだわらない」とパラフレーズする類である。普通の宗教学者は「空」だけで、一冊の本を書いている。​​​
「ひろさちや」を図書館で目録を調べてみると200冊くらいの本が出てくる。ある本の著者紹介には600冊の本を書いていると出ている。毎月1冊本を出しているとして、12冊を50年にわたって出しているとということになる。松本清張なみのベストセラー作家である。
この人の本に 「ひろさちやのいきいき人生ー釈迦にまなぶ」 (春秋社)がある。「人生論から仏教を考える」という、この人独特のヘヤピンカーブの効いた論書である。この中に、仏教学者の解く「四諦(したい)」は間違っている、という章がある。間違っているというより、解釈の違いではないか、という気がするが、ともかく「いきいき人生」のために「四諦」という考え方を、どのように応用するかという趣旨だろうと思う。
​「四諦」とは4つの真理」という意味である。ほとんどの仏教書は教理の解説は小乗仏教的解釈で説明される。本の中ほどで 日本の仏教は大乗仏教であると論述が変わる 。ここで混乱が起こる。今までの説明は何だったのか。小乗仏教とは出家者のための仏教。つまり坊さん専用の仏教である。大乗仏教とは在家信者用の仏教である。仏教書を読むのは専門の坊さんが大多数だろうということで、仏教学者は小乗仏教の説明をしてしまう。一般人が、こうした裏事情を知ってないと、仏教書はさっぱりわからない、ということになる。​
大多数の仏教書の「四諦」の説明は、こうである。
1、苦諦(くたい)…苦に関する真理
2,集諦(じったい)…苦の原因に関する真理
3,滅諦(めったい)…苦の原因を滅する真理
4,道諦(どうたい)…苦の原因を滅する方法(道)に関する真理
仏教理論の核になる教説だが、人生は苦であると認識し、その苦の原因は欲望、煩悩にあると明らかにし、それを滅すれば苦はなくなる。その欲望、煩悩を削除する方法が道諦だという理論だ。職業的お坊さんは、そのためにお経を読んだり、座禅をしたり、乞食(こつじき)をしたり、比叡山の山道をマラソンしたり、滝に打たれたりと様々な努力をしている。在家信者が、こうしたことを真似したら、大抵病気になってしまう。ひろさちやは、これは小乗仏教のやり方で大乗仏教とは違うと言う。
在家仏教である大乗仏教では、どのように解釈するか。その前に「苦」とは何かを押さえておく。生・老・病・死が四苦で、それに加えて愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦を加えて、四苦八苦という。仏教的に苦を分析しているのだ。詳しく知りたい方は同書(釈迦にまなぶ)を読んでもらうとして、ポイントは「生」。これを多くの仏教書は「生きていること」が「苦」だと解釈している。これだと最後の「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」と同じことになってしまう。「五蘊盛苦」とは、生存自体が苦であるという意味だからだ。ひろさちやは「生」を人間が赤ちゃんとして生まれること、母親の産道を通って生まれる意味だと解釈する。大抵の人間は、この苦しみは忘れている。それと「死」も死それ自体は感覚がなくなるはずで、「苦」もへったくれもない。ただし現代ではガンで「あと半年の命」と医者に宣言された時や、交通事故などの場合は苦しみがあるだろうが、釈迦の時代には想定されていない。問題は「老」と「病」なのだ。本ブログ読者の多くが直面している「苦」のはずだ。
さて四諦の「諦」とは、「あきらめる」と訓読みできるが、これは「断念する」という意味ではなく、「真実を明らかにする」という意味である。仏教学者であるひろさちやが、これが間違いだと気づいたんは古希(70歳)の時だという。まず、生存が「苦」だというのは、医療とのアナロジーで言えば、熱がある者はすべて病人と言ってるようなもので、少しくらい熱があっても、子供は外で遊ぶし、大人はパチンコに行ける。しかし最近は熱があると言えばコロナと疑われるが、熱があっても自分が病気と思わなければ、病人にはならない。
​苦を「苦」と思うから、「苦」になってしまう。 苦を「苦」にしない というのが大乗仏教の教えだという。病気も、老いも「苦」にしなければいい。と言っても簡単に、そういう心境にはなれない。それをどうするかが、この本の後半部分だ。​
次が「集諦」だ。小乗仏教は欲望が「苦」の原因だとする。大乗仏教では、一切の事象が起きる原因はわからないとする。 原因は一つではなく 様々な要因が集まっている。だから「集諦」と呼んでいる。大乗仏教的には原因を「因縁」という用語を使っている。
​次が滅諦。「苦」を滅する。大乗仏教では「苦」をそのまま引き受けて生きろと説く。ひろさちやの表現では「南無そのまんま、そのまんま」になる。 病気になれば病人として生きる よりほかはない。​
四諦の第四は「道諦」。「苦」を滅する方法論で、小乗仏教では八正道を実践せよと教える。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。いずれも「正」の文字がついている。これをどう解釈するか。「正しい」の意味と捉えて、正見は正しい見方か。ひろさちやは「正」を「明らめる」意味だと考える。だから正見は「明らめる見方」となる。正思以下は正しいと捉えて、「明らめる見方」をするために、正しい思惟、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、「正定」は正しい精神統一になるが、これもひろさちや流は、心をのんびり、ゆったりさせることが「正定」だと考える。
​独特な仏教解釈だが、 ひろさちや教 に入信したい方は図書館で著者目録で「ひろさちや」と入力すると大量の本が出てくる。どれを読んでいいか、分からないと思うのが普通だ。まず本ブログで紹介した本がわかりやすい入門書だ。さらに突っ込みたい方は「 仏教の歴史」 (全10巻、春秋社)。10巻本のすごい本だが、1~3巻がインド編で、インドの仏跡をひろさちやが観光ガイドになって巡り歩く、非常に読みやすい本だ。ポイントとなるところで仏教の基本が説明されている。次が中国編、日本仏教編とつづく。​
「ひろさちやの般若心経88講」 (新潮社)。これが数多の「般若心経」本のなかで一番わかりやすい。3分間で読める講義が88回。短い文章の中、見事な説明である。譬えを多く使っているのはひろさちや流である。あまり分かり易くて、なんにも残らないと感じた方は、もう一度読むことをお勧めする。読み飛ばしが相当あることに気付くだろう。読誦CDは付いていない。





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最終更新日  2024.09.01 10:35:07コメント(0) | コメントを書く


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