中高年の生涯学習

中高年の生涯学習

2026.08.02
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前回(その1)で ロバート・キャンベルのガイド による宮城道雄記念館を見て頂いた。ここは宮城が晩年まで住んだ新宿区中町の敷地に昭和53年建てられた。教会のような造りである。現在、工事中で、2027年春、リニューアルオープンの予定である。記念館の中に入ると、 宮城愛器の「越天楽」 がガラスケースに収まっている。流れるような美しい筝の形に注目してほしい。宮城が日常使っていた遺品が展示されている。点字タイプライター、点字楽譜。さらに注目すべきは宮城が開発した楽器だ。八十絃の爭は、まるでグランドピアノだ。隣の部屋は鑑賞室になっており、CDやDVDの再生装置があり、ゆっくり鑑賞できる。まず聞いておくべきは新年のテーマソングになっている「春の海」、瀬戸内海をイメージした、ゆったりした曲だ。朝鮮で14歳で作曲した「水の変態」がお勧め。これは水が霧、雲、雨、霰(あられ)、露そして霜になる。その千変万化を表している。和歌をもとに作られている。これが処女作である。天才と言われる所以である。


記念館で忘れてならないのが横の出口から階段を下りて裏庭にある 「検校の間」 が残されている。中へは入れないが外から見るだけである。大都会の真ん中とは思えない静かさである。宮城の創作の現場へ入り込んだ感じがする。向かいの倉庫のような建物は録音室のようで、ここも入ることはできない。


ここで宮城道雄の生い立ちを追ってみよう。宮城は明治27年4月7日、菅國治郎とアサの長男として神戸 三宮の外国人居留地 に生まれた。國治郎は外国人経営の茶の貿易商ブラウン商会に勤めていた。居留地とは外国人が居住した地域で、現代では神戸の観光地になっている。西洋館や尖塔のある教会、モスクなどが点在し、異国情緒が味わえる。生後7か月で角膜炎を患い、目が白く濁ってしまう。4歳の時、父國治郎に愛人ができ、家を顧みなくなる。母のアサは広島の実家に帰ってしまう。それからは祖母のミネに育てられた。8歳の頃、失明宣告をうける。何人もの眼医者に行ったが治らなかった。最後に頼った医者は「眼は治らないので、何かを身につけなさい」とアドバイスした。盲人の職業は按摩さんや鍼按(しんあん)業だ。宮城は筝の道を選んだ。どの職業でも大変だが、筝という芸道は茨の道だ。金になる保証はない。明治35年、兵庫西仲町の二代目中島検校に入門した。中島検校は生田流筝曲と地歌の名人だった。道雄は朝、師匠の家に着くと、夕方帰るまで習った曲を何べんでも繰り返し練習した。その甲斐あって上達は目をみはるばかりだった。筝曲の免状を取ることができた。2年後、二代目中島検校は亡くなり、三代目は養嗣子が継いだが、この人は非常に厳しい人だった。厳しい稽古に耐え抜いたのは道雄の精神の強さだった。


父國治郎は放埓の人のようで、ブラウン商会をやめて、事業を始めるが、失敗して、借金取りから逃れるように朝鮮へ渡ってしまう。朝鮮では日本の植民地政策に反対する暴動が起こり、これに巻き込まれてしまう。商品は略奪されてしまう。師匠の三代目中島検校は、これに同情して、少しの収入を与えようと道雄に代稽古の仕事を与えた。そのためには免許皆伝にする必要があった。こういう伝統芸能では師匠に相当の謝礼金がいる。道雄には、その金はなかった。師匠は「そのお金は私が立て替えておくから、皆には自分が出したような顔をしておきなさい」と言ってくれた。これは師匠は道雄の芸が並ではないことを見ぬいていたのであろう。道雄は昼は代稽古で歩き、夜は独習と言う日々を過ごす。父を助けるため、13歳の夏、見知らぬ国、朝鮮へ旅立つのである。


宮城道雄は13歳から23歳まで朝鮮での10年間は人生の上で重要な期間になる。京城で大正2年、仲子と結婚する。後の宮城を押し立ててくれる 尺八奏者吉田晴風と出会う 。本格的に洋楽に親しむようになる。


ある時、ギリシャ人が経営する店の中から、バッハの音楽が聞こえてきた。雨の降る中で店の外で店内のレコードの音楽を聴いていた道雄に気づいたギリシャ人の店主は店の中で聴くように誘ってくれた。レコードを買う余裕のない道雄は毎日、この店に通って西洋のクラシックにどっぷりつかった。本格的に西洋音楽の勉強を始めたのは大正6年、東京にやってきてからである。音楽学者の田辺尚雄の講義を聞いた友人の話を点字でメモしたり、田辺の講演を聞きに行った。西洋の演奏家が出演する音楽会へも行った。音楽会は入場料が高価なのでレコードの耳学問が道雄の勉強手段だ。ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シュトラウス、ラヴェル、ベートーベン、モーツアルト、チャイコフスキーが先生だった。


何年かたつうちに、朝鮮で最も知られた筝曲家になっていた。喜多仲子は筝の師匠をしていたが、目が少し不自由だった。最初の夫を亡くし、未亡人だった(喜多は前夫の名前)。宮城が寄寓したお弟子の家で、道雄と仲子は共同生活するうちに、いつしか結婚ということになった。仲子は13歳年上で、この年齢差に周囲は困惑した。この結婚には、さらに条件がついていた。後継者がいない宮城家を再興してほしい、というのだ。仲子は宮城又四郎の次女で、 仲子の生まれ育った家は「宮城家」 だった。大正4年、菅道雄から宮城道雄に改姓することになる。仲子の連れ子の安子は脊髄カリエスという障害をもっていた。道雄は多くの弟子を持ち、李王妃殿下の御前演奏をするほど名声が上がっていた。


朝鮮での輝かしい生活を捨てて、日本の東京での生活に踏み切る。大検校夫人として安楽な生活を夢見ていた仲子には東京移住は理解しがたい。二人の間には感情的な対立が生まれた。宮城は家出をしてしまう。仲子は精神的ストレスを高じ、東大医学部病院に入院してしまう。まもなく大正6年12月に生涯を終える。それから半年後、宮城は29歳の吉村貞子と再婚する。貞子は京城で宮城の弟子に筝を習っていた。京城で結婚したが、離婚し、東京の叔父を頼って上京していた。滋賀大津の実家では盲人と結婚することは大反対にあった。彼女は宮城の一生に賭けて結婚に踏み切った。夫の手を引いて付き添い、質屋通いをして生活資金をつくった。貞子の苦労は尋常ではなかった。この結婚によって、貞子の姪、牧瀬清子(後に喜代子)、数江、きぬ子、よし子の姉妹が宮城家へ入ることになる。宮城家はまるで女の園になった。宮城の筝での演奏の実力と優雅な言葉でどんな人も受け入れる人柄の良さが協力者を引き付けるのであろう。


京城で出会った尺八の吉田晴風と東京で再会した。吉田晴風は宮城の手をひいて東京の三曲界の名士宅へあいさつ回りをした。盛大なおさらいで所望されて自作を披露した。大家の批評は「あれは筝曲ではない。曲芸だ、邪道だ。」とひどいものだった。宮城は西洋音楽を取り入れようとしていた。当時の邦楽、筝曲業界では理解されるものではなかった。ところが皮肉なことに、洋楽を専門とする音楽家、批評家、研究者、詩人には好評だった。尺八には都山流と琴古流という二大流派があり、晴風は琴古流だった。宮城は流派など問題にしていなかった。「春の海」の初演は宮城と尺八の晴風だった。現在も活躍している山本邦山は琴古流である。


子供に恵まれない貞子は牧瀬家の末の妹のよし子を養女にしたいと宮城にもちかけた。よし子は童謡歌手として舞台に立つようになり、宮城にとって、かわいい娘のようになっていった。東京音楽大学を卒業し、研究科へ進んだ。大東亜戦争の末期、昭和18年21歳になったよし子は,東大を卒業し尺八で宮城の門下生の小野衛(おのまもる)と結婚することになる。女の園に最優秀な男性が入ることになる。当然、宮城の後継者と考えられた。ところが結婚して半年後、よし子は病気で亡くなってしまう。幸福の絶頂から悲劇のどん底へ突き落とされる。


昭和20年3月、東京は大空襲を受け、被災者5百万人、死者十万人という大被害を受けた。仲町の家は焼け落ち、洋楽のレコード、書籍、作曲した譜も八十絃も灰になってしまった。戦後の出発はここから始まった。
 (次回へ)


参考文献
「筝を友として」千葉優子、アルテスパブリッシンング
千葉は宮城道雄記念館資料室室長





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最終更新日  2026.08.02 10:46:01
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