億万長者の幸福論 観念をふっとばせ!
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メタ成功とは、メンター成功でもあります。 といっても、メンターを略してメタと言っているのではありません。念のため。 メタはmetaからとっています。 国語辞典によるとおよそ3つの意味があるのですが、この場合のmetaは3番目の意味で、他の語の上に付いて複合語を作り、超越した、高次の、の意を表す。「―言語」「―メッセージ」 のことです。 ちなみに、「メタ言語」とは 「対象言語の構造や真偽を一段高い次元から論じる言語。高次言語。」 なので、メタ成功とは、平たく言えば、高次元成功。 成功の仕組みや真偽を、一段高い次元からまとめた概念、とでもいいましょうか。 メンターを持ち、それに自分が合わせていく過程というのは、ある意味で、自分よりも高次元のものの視点を体得し、また、自分で自分を一つ高い視点から見る能力―つまり「メタ認知」―を体得する過程でもあります。 今度は「メタ認知」という言葉が出てきましたが、これも簡単で、平たく言えば、「自分のものの考え方や知識量、能力特性などを自分で把握する能力のことだよ。たとえば、『営業は得意だけど経理は苦手だ』と自分でわかっているのもメタ認知だし、『法律の知識はあるけど英語はわからない』という認識もメタ認知。」(by 和田秀樹氏) ということです。 「成功」という言葉に対しても、(今までもかなり追及してきましたが、これからもさらに)色々な角度から、ただ紋切り型の成功法則をパクって語るのではなく、「メタ」(高次元)の視点を持って考えよう、またそうすると気持ちが良いし、そして時代は恐らくこの方向(「成功」をさらに掘り下げる=ある意味で「当たり前の幸福」とか、「当たり前の道徳」が見直される)に進むであろう、と私は思っているのです。 恐らく、日本人には「長文化(おさぶんか)」というのがあるので、特に「メンター物」が好きなのではないか、と私は分析しているのですが、それでも「メンター物」の物語も、ある意味でパターン化されてしまった、「お手軽成功もの」(こうすると成功する、とか現実的な努力をあまり考慮されていない成功もの)と同類項になりつつあると感じていたりするのです。 「メンター物」のストーリー展開、というのはだいたい決まっていて、ある主人公がいて、現在、なにもかもがうまくいっていない。人間関係、恋人、妻との関係、仕事の関係から仕事の人間関係。金銭問題。健康。 どん底まで落ちかかっていると、そこへメンターが現れてアドバイスを受けていくうちに、自分で自分を捉えている考え方が変わり、(リフレーミング=メンターは書き換えの天才)やがて自分で自分の人生をコントロールする力が身につき、“人生の大切な価値”なるものを学び、「守・破・離」をして卒業していく。。。。 と、このような具合です。 断っておきますが、私もメンター物は基本的に好きですし、スターウォーズでヨーダがルークを鍛え導くシーンや、映画「カクテル」でトムクルーズが、ベテランのバーテンダーから、仕事から人生に至るまで教えを受けて吸収していくシーンなど、人間が師に導かれて成長していくストーリー展開は大好きです。 ただし! 現実は少し違います。 メンター物の場合、(恐らく読者の共感を呼ぶために)本当にどうしようもない状態に陥った人間が主人公になっていますが、通常、このような状態(「ツキの大原則」で言えば「ドツボ」にハマっている状態)の時に、メンターに出会える、ということはほとんどありません。 いえ、どん底に陥ると、師が現れる(というか師に氣づく)というのは本当なのです。 ただ、そこで本当の師に出会えるのは、どん底でも「前向き」な姿勢を持っている人間か、もしくは「前向きな姿勢を持てない自分を叱咤しながらなんとか前向きに生きようとしている」人間なのです。 何もかも「もうダメだぁ、、、、」とネガになって、人のせい、周りのせいにしている状態の時に、ふっと王子様のようにメンターが現れる、というのはまずありません。 それを望んでいる時点で、既に「他力本願」になっているからです。 「天は自ら助くるものを助く」(自助=セルフヘルプ) なのです。 そしてまた、多くの場合、というか現実では99%、メンターは向こうから声をかけてくれる、というのはまずありません。 現実では自分から求め、近づくのです。 そこで初めて「メンター物」の第1章、「師との出会い」のスタートラインに立つのです。 また、いきなり初めから「良い師」に出会うとも決まっていません。(はじめからイイ男、いい女にめぐり合えるとも限らないように) というか、現実ではどんどんどんどん「師」が変わっていったり、「師」にも欠点があったりするのがほとんどです。 それでも「師」を持てればまだ良い方で、持てない方もたくさんいるのです。(話は変わりますが、「持てる」「持てない」って、ここから「モテル」「モテナイ」の概念が来ているのだろうか、、、、?) だから! 別に騙されたっていいのです。 騙すよりは騙される人間になりましょう。 例えば、トップページに私は「素直な心と、人を見る洞察力という、相反する2つの資質を同時に伸ばすこと」 と書いていますが、「人を見る洞察力」なんて初めからある人は誰もいないのです。 私だってたくさんたくさん、それはそれは失敗してきたのです。 そうやって洞察力が磨かれてきたのでした。 ですから、本当の「メンター物」を書くとしたら、まず師の選択を失敗するところから書くべきです。(というか、将来私が書こうかな、と思ったりします。もしかしたらこの時点でいつかパクられそうですが、それはそれでまあいいですね。本当に世の中に有益な情報であれば、誰が書いてもいいはずですし。それに本当に「失敗」した人でなければ、深みのある出会いは書けないでしょう。) と言ってもまた、「失敗」は本当は「失敗」ではなかったりするんですけどね。 「洞察力を身につける」という観点から言えば、必要なトレーニングどころか、「成功」なわけです。 「騙される」というのもある意味一つの能力で、「その期間、自分の心をオープンにして、人を信じきる」わけですから、これが悪いわけがないのです。 ただ、現実にはたくさんの落とし穴があるのも事実ですし、その穴の深いところまで落ちてしまって、上がってこれない人達がいるのも知っています。 騙されても騙されても、常に自分より高みにいる人を求め、行動することです。 人は一人では成功できないんです。 本当にいろいろな人のおかげなのです。 そしてまた、世の中には本当に素晴らしい、自分の思いも知らない情報や概念を持っている人がたくさんいるのです。 師への出会いの道は常に開かれているのです。 そのための「能力」など、あまり関係ありません。 どちらかと言うと、「人間的常識」というか礼儀・礼節・道徳。 つまり、人間の基礎、心構えの方が重要です。 そう考えれば、世の中そんなにそんなに難しくもないのです。 捨てたもんじゃないのです。 純粋でいいんです。 前向きでいいんです。 周りのせいにしてしまう自分を見て、葛藤していいんです。 騙されたっていいんです。 逆に今まで一度も人を信じたことがない、ということの方が問題です。 一度も騙されたことがない、という方が問題です。 あるパラダイムを信奉していて、それが実は違った、とあっけなく今まで自分が生きてきたパラダイムが崩れ去るという経験をすると、洞察力は格段にUPしていくのです。 あるパラダイムに浸りきれない、ということは、がむしゃらになれない、つまり素直になれない、ということです。 実は、最近分かったのですが、ある一定期間、「人に従った経験」がないと、人生を幸福・健康に生きれないようになっているのです。 本当の現実の、メンター物語をはじめましょう。 素晴らしい師に囲まれ(と言っても、何度も言っているように、向こうから囲ってくれるわけではないです)、常に師に近づこうと努力して生きる人生ほど素晴らしいものはありません。 師のいる人は必ず成功します。 そのためには失敗を恐れないことです。 騙されるのを恐れないことです。(と言っても、その時点で自分が心酔できる最高の師を選んで下さい。)
2005年07月26日
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