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~旅のあらすじ~ 岩手県の地図1 1泊旅行へ行ってました。行き先は陸中海岸です。広いですねえ岩手県。何せ北海道の次ですから、「県」の中では一番なんです。これまで行ったことがあるのは、盛岡市、遠野市、平泉町、一関市、八幡平市。これらは観光でした。レースで走ったのが金ヶ崎町、北上市、西和賀町、雫石町です。そして用事で行ったのが二戸市でした。 岩手県の地図2 これまで行ったのは全部内陸部。海岸へは一度も行ったことがありませんでした。理由は遠くて不便だから。仙台に住む私でさえそうなのですから、東北以外の方にとってはあまり馴染みがないでしょうね。でも朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台になった所と言えば分かるでしょうか。東日本大震災の大津波で甚大な被害を受けた場所でもありましたね。この陸中海岸の北部、宮古市から久慈市までを今回は旅したのです。 旅はいきなり宮古市田老(たろう)地区の災害復興工事現場から始まり、私は思わず「えっ?」と思いました。今回の旅は純粋に観光だとばかり信じていたため、予想外だったのです。ここでは防潮堤の建築現場を訪ね、津波に飲み込まれた観光ホテルの6階に登り、津波の生々しい映像を目にしました。確かに記憶があるその映像は、ホテルのオーナーがこの場所から逃げずに撮影したものだったのです。三王岩 次に向かったのが、直ぐ近くの丘の上。三王岩の景観が眼下に見えました。ここ陸中海岸は、景色が良いことで有名なのです。小刻みなリアス式海岸に展開する奇岩が、私達の目を奪います。 宿のラウンジから 宿は宮古市の海岸部にある「休暇村」でした。周囲にはもやがかかって、とても幻想的でした。木々の間から見えているのが太平洋。ここは小さな岬の上に建っているのです。 夕食まで時間があったため、宿の周囲を散策しました。海に突き出た小さな岬。木々の隙間から海が見え隠れしています。静かな散歩道は3kmほどもあるでしょうか。下の写真は遠くの岬をズームアップしたものです。実は翌日もこのような景観をたくさん眺めるのですが、この時はまだ知りません。 <浄土ヶ浜> ここは2日目の最初に訪ねた「浄土ヶ浜」で、宿から至近距離にあります。周辺の海岸の大部分が国立公園になっています。名前は「三陸復興国立公園」。大震災からの一日も早い復興を願って、こんな名を付けたんですねえ。船を待つ間、ここでも津波の映像を目にした私達でした。 サッパ船 この船に6人ずつが乗り込んで、湾内を一周します。ここは地質学的にも貴重な場所で、かつての火山の影響が残っているのだとか。岩場には可憐なスカシユリが咲き、「青の洞門」では幻想的な海の色を楽しみました。「かっぱえびせん」に釣られて船に付きまとう、ウミネコの迫力が凄かったです。そしてこの日は海水浴場開き。前もって清掃が行われたようで、実に美しい浜辺でした。 <鵜の巣断崖> ここも国立公園の一部で、鵜の巣断崖(うのすだんがい)と呼ばれています。切り立った断崖の上には、ウミウ(海鵜)が営巣します。それを捕まえて鵜飼いの鵜に育てるのですが、ここでそれが許可されているかは不明です。なお、茨城県の海岸部では許可されていると聞いてます。 <北山崎海岸> ここ北山崎海岸も国立公園の一部です。私は360段ほど階段を下って、ある展望台へ行きました。その途中からさらに海岸へ下りる500段以上の階段がありましたが、バスの時間の関係でちょっと無理でしたね。前回の紀伊半島と言い今年の旅行は石段や階段との格闘で良い運動になり、ちょっぴり自信もついた私です。 そして譜代(ふだい)駅からは、第三セクターの三陸鉄道北リアス線に乗りました。初体験で珍しいため運転席のすぐ後ろに立ち、目の前に展開する景色を撮影していました。ただし路線の大半は山が海に迫るリアス式海岸のためトンネルばかりですが、それもまた一興かも。 時々見える海岸部では、防潮堤の工事個所が結構ありました。これは鉄道と並行して走っている国道45号線に架かる橋です。こんなポイントでは、電車はわざわざ速度を緩めてくれます。こんな沿線風景を撮影に来るのか、いわゆる「鉄ちゃん」達がこの日もたくさん乗っていました。 これがこの日乗った記念の証明書です。こんなサービスも嬉しいですね。終点の久慈駅で降り、待っていた観光バスで一路宮城県を目指して帰途に着きます。1泊2日のバスツアーの概要はざっとこんなものかな。今回もたくさん撮った写真は、紀伊半島への旅の写真と交互に掲載する予定です。どうぞお楽しみに。ではまたね。
2018.07.21
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~「海のシルクロード」その3~ ダウ船はゴアの港に着いた。ゴアはインド西海岸にある州だが、マンドウイー川の河口の島の町で天然の良港でもある。11世紀初めから貿易港として栄え、14世紀頃はイスラム系の王朝があり王の庇護のもとに、馬や香料の貿易で繁栄した。馬は恐らくアラブ系のサラブレッドだろう。香料は料理には欠かせない貴重品だが、この周囲は古くからの生産地だった。 ゴアの貿易商の室内。棚に飾られているのは中国の陶器やアフリカの彫刻だろうか。貿易港として重要だったゴアは、16世紀から20世紀までポルトガル領インドの一部だった。1510年ポルトガルのインド提督は千名の兵士を率いてこの島を占拠する。地元の王も一度は奪い返すが、最新式の銃をもつポルトガルには歯が立たなかった。 ポルトガルのリスボンにある「発見者の記念碑」 エンリケ王、コロンブス、マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマなどが刻まれている。「大航海時代」の激動の歴史を振り返ってみよう。 1492年 スペイン王の支援を受けたコロンブスが西インド諸島など新大陸を発見。 1499年 ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を経由したインド航路を発見し、インドへ上陸。 1510年 ポルトガルがゴアを占拠。 1580年 スペイン王フェリペ2世がポルトガル王位も継承し、両国を併合する。 1588年 イギリスがアルマダの海戦でスペインの「無敵艦隊」を破る。 1648年 1568年から続いた「80年戦争」でオランダがスペインを破って独立。 東インド航路 オランダ「東インド会社」社章 <各国の東インド会社経営史> <イギリス> 1600-1874 <オランダ> 1602-1800 <デンマーク> 1616-1729 *途中休止時期あり ジェノア(イタリア) 1664 <フランス> 1664-1769 <ポルトガル>1628-1633 <スェーデン>1731-1813 <オーストリア>1775-1813 ヴァスコ・ダ・ガマのインド上陸図(左)とザビエル(右) ヨーロッパ列強によるアジアや新大陸進出の目的は貿易や富の略奪だったが、その一方でイエズス会神父によるキリスト教の布教と改宗の狙いもあった。こうして戦国時代に向かいつつあった日本へも、ヨーロッパ文化の波がひたひたと近づいていたのだ。今回は放送内容をかなり逸脱し、「大航海時代」当時のアジアへの影響を参考までに記した。<続く> ゴアの市場にて
2020.10.07
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冬の夜は暗い 特に雪の日はなおさらのこと でもね 朝の来ない日はないんだよ 冬眠をする狐が二匹 いえいえこれはお稲荷さん 世の中には実に色んな人がいてね こんな風に泣いてる者もいれば ワハハと口を開けて笑うヤツもいる つまり様々だってこと こんな立派なマンションに住んでる人って 果たしてみんな幸せなんだろうか まあそう願っている訳じゃないんだけど 中にはきっとそうじゃない人もいると思うよ 沈黙する整列 きれいに刈られた植木が冬空に突っ立つ 具象は抽象へと化し やがて静寂は固定してゆく 誰にも気づかれないようにそっとそっと ベンチをひっくり返したのは誰です? 無機質な形態の反転 冬は多くの生命を奪い 川は哀しみを押し流す 静かに静かに海へ海へと 俺の夢は壊れた それもあまりにも無残にだ ああ それでは夢は死んだのか? 本当に消えて無くなったのか? 風が鋭い口笛を吹く あれはひょっとして鎮魂歌なのだろうか 樹は天に救いを求める 上へ上へと そして魂が浄められるようにと 暮しの中で撮影した何気ない写真を面白がり、こんなシュールな詩と組み合わせて見ました。まあ暇人の遊びですけど。最後まで付き合ってくれてありがとうね~!!
2017.02.14
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昨日妻に頼まれて郵便局へ行った。クリスマスを控え、3人の子供に送金するためだ。既にそれぞれに対して特定の品物は送っているのだが、それとは別に送りたいのだそうだ。妻が働いて得たお金なので文句を言う筋合いではない。一方の私は何も出来ないが、元気で暮らしているのが何よりのプレゼントだと自分で思っている。親が歳を取り病気になることほど、子供に心配かけることはないからだ。 天皇誕生日の今朝はゆっくり起きた。昨夜は遅くまでギアナ高原とアマゾン川関係の番組を観ていた。朝食後はまず庭木を剪定する。気になっていた梅、柿、イチジク。それに山椒と萩も思い切り短めにした。紐で縛って3つの束を作る。ごみ収集車が行ってしまったのが残念。菊、シュウメイギクなどの枯れた茎を切り、イチジクの根元に積む。 10時半。ランニング姿に着替え、ゆっくり家を出る。幸いなことに愛犬は大人しく見送ってくれた。今日は久しぶりに長距離の練習をする予定だ。仕事へ行った妻には「ランニングに行くので、台所の鍵を開けて置くように」とメモを残す。近所の神社の境内でフユザクラが咲いている。薄い白の花が儚げだ。動物病院の前を通りかかると駐車した車の中にM井さんがいた。ワンちゃんが乳腺炎で手術し、5万円ほどかかったとか。 そして、3月の「八丈島一周」にはたくさん仲間が参加しそうだとのこと。M井さんと私の他に、O川さん、E名さん、H多さん、K藤さんが参加予定とか。私はこの朝、4月の「かすみがうらマラソン」のエントリーを済ませたが、「八丈島」は今週の金曜にエントリーし、飛行機の切符も手配しようと思うと話した。M井さんの4月のレースは「長野」で、「八丈島」は来年1月に申し込みと飛行機の切符を手配する予定とか。 M井さんの奥様ともお会いして挨拶を交わすことが出来た。そこから名取のゆりが丘方面に向かう。再調整したインソールの調子も上々で、登り坂も全く気にならない。それに天気が良いため半袖でも汗をかく。山の上から太平洋を一望し、走友会の練習コースを黙々と走る。ザル川や地下鉄の終点付近で、土地や道路の整備が進んでいた。 23kmを2時間25分ほどで走り、家に入ろうとするが鍵が掛かっている。台所もダメ。こんなことが無いようにメモを残したのに、一体どうしたことだろう。見かねたお向かいさんが梯子を貸してくれた。それを登って結露を乾かすために開けた2階の窓からようやく家へ突入。これではまるで泥棒みたい。愛犬が不思議そうな顔をしている。とんだ災難だった。 着替えを済ませて遅い昼食。そして午後は果樹や花の咲く木の根元に堆肥を撒く作業。空模様が怪しくなって来たため、早めに愛犬の散歩を済ませ玄関に入れる。帰宅した妻に、鍵のことを話すと、いつもより慎重に戸締りをしてしまったようだ。まあ、たまにはこんなこともあるさ。 それより気になるのは、先日NAHAマラソンの報告をいただいた大崎市のT田さんからのメール。その中に宮城UMC仲間であるM黒さんが還暦を機に、那覇に住まいを移すと話していたことが記されていた。全身真っ黒なM黒さんだが、沖縄でもっと黒くなりたいわけではないだろう。さて、一体どんな心境だったのかを直接彼に訊ねてみたいものだ。
2008.12.23
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もがいていた。苦しんでいた。まるで金縛りにでもあったように。そして体が熱かった。私は一晩中うなされたまま、とうとう朝を迎えた。ブログを書いて庭へ出ると、真っ赤な花が目についた。あれっ、ハイビスカスが咲いてる。おかしいなあ。暑かったこの夏は一度も花を開かせた記憶がないのに。それにしても昨夜の苦しみは何だったのだろう。今も首と肩が猛烈に痛み、カチカチに固まった感じだ。 朝食後、歩いて2kmほど先の山の上にあるM医院へ行った。薬がほとんどなくなったのだ。それにドクターには、前回の診察後K病院で検査を受けた結果を報告する必要があった。ゆっくり一歩ずつ確かめるように足を出す。まだ元気だった頃は、こんな坂道を平気で走って登ったものだ。それが情けないことに、ゆっくり歩くだけでも息が切れて苦しい。どこからか匂って来る芳香。これはキンモクセイだ。今年もまたキンモクセイが咲く季節がやって来たのだ。 M医院の待合室は既に大勢の患者で溢れていた。「今日は通常の診察で良いんですか。後1時間半はかかりますけど」。受付の女性が言う。それは織り込み済みのこと。暫くして血圧計に左腕を突っ込む。血圧は正常範囲だが、脈拍は120ほど。やはり不整脈が出ている。新聞と雑誌を読み、無料の緑茶やジュースを飲んで順番を待つ。普段は読まない地元紙と週刊誌の記事が新鮮。やっと名前を呼ばれて、診察室前のベンチに座る。 この日のMドクターは髭面だった。日頃はマスクをしているため、分からなかったのだ。ドクターに前回以降の経過を話す。その間2回通院したK病院からも検査結果の連絡が来ている由。気になっている首と肩の痛みが不整脈と関係あるか尋ねたら因果関係はない由。発作が出て以降40日経ったが未だに苦しく、12月に3度目の手術を受ける予定であることも告げた。薬を処方してもらい、隣の薬局へ向かった。 薬剤師も心得たもので、あまりしつこくは症状を聞かない。処方された薬の種類と量を見たらピンと来るのだろう。2袋分の薬は2カ月分。病院と合わせると5千円近い料金だが、71歳を過ぎ「東日本大震災」の被災地であるためまだ1割負担適用なのが有難い。これが通常の2割負担だと倍になる。眼科、歯科、K病院など含めたら相当の医療費だ。帰路は全て下り坂なので楽。 坂を半分ほど下った所で誰かに呼び止められた。良く見ると2番目の職場の元同僚。ご主人共々最近私を見かけないと心配していたそうだ。そこで立ち止まって事情を話す。体の辛さもさることながら心の辛さも正直に話すと、とても驚いていた彼女。元気良く坂道を走り回っていた私が、まさかそんな現状だとは想像出来なかったのだろう。それにしても、この首と背中の痛みの原因は何? そう言えば、先日妻の電動自転車を借りて、鶏糞を買いに行った。2袋で30kg。小さな荷台にゴム紐で縛りつけたが、帰宅した時には危うく落ちそうになるほどずれていた。あの時は重くて必死にハンドルを握っていた。そして畝をシャベルで掘り返しもした。最近は自室に籠ってパソコンとテレビ三昧。きっと座椅子に座るその体勢も、首や肩に負担をかけているのだと思う。それであの夜は久しぶりにストレッチ体操をしてみたのだが。 午後から整骨院へ行って見よう。そう思って古い診察券を引っ張り出した。良く見たら水曜の午後は休診日だった。ああ残念。折角その気になったのになあ。その夜寝床に入っても、前夜ほどには苦しまずに済んだ。背中と首は心なしか楽な感じ。だが、不整脈の気持ち悪さは残ったまま。その夜は何度も目覚め、その都度テレビを点けて国会の動きを確かめた。例の安全保障関連法案の審議状態だ。目下国を二分しているこの件についても、書く必要があるだろう。そう思いつつ、いつの間にか深い眠りに落ちた。 翌日居間のテーブルの上に柿の実を発見。我が家の裏庭で生ったのを妻が枝ごと折ったようだ。春には枯れかけていた樹だが、私は必死に水やりをした。そのお陰で何とか樹勢が戻り、わずかながら実をつけたのだ。柿の樹も自分も何とか頑張った。そして秋を迎えることが出来た。 今は爽やかな風が心地良い季節。「風立ちぬ。いざ生きめやも」。堀辰雄の小説と共に、同名のアニメーションを思い出した。後は12月の手術まで、何とか体を持たせたいのだが。
2015.09.18
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<リゾートホテルの一夜> 五能線に乗れて良かった。時間に間に合って良かった。予定通りしらかみ5号に乗れたことで、ホテルの送迎バスにも乗れた。ホテルの入口で大勢の従業員が出迎えてくれた。ここは数ある宿泊あっせん企業の一つから選んだもの。五能線沿線で翌日の行動にも便利なことが理由だが、一人で泊まれる温泉宿はここしかなかったことが大きい。前夜の大湯より高いが、コースの中でもっとも安いプランを選んだ。チェックインし、部屋へと向かう。 部屋のカーテンを開けると、目の前に岩木山が見えた。曇ってボンヤリした山の姿。もっとはっきりした山容を見たかったのだが、翌日は完全に雲の中に隠れてしまった。この山は津軽の人々にとって、心の支えになって来たのだと思う。歌にも歌われ、小説にも登場する郷土の誇り。津軽平野に単独でそそり立つ1825mの雄姿は、津軽富士の名に相応しい。 早速デジカメ持参で温泉に行く。内湯はどうしてもレンズが曇ってしまう。露天風呂は海を見下ろす位置にあった。この温泉の謳い文句は「化石海水温泉」。30万年前の海水がその後の地殻変動で陸封され、地下の火山活動で温泉になったのだろう。舐めると実に美味しい。まるで出汁が利いたおつゆのようだ。写真は先客に撮ってもらった。私と同じ宮城県から来た若い人。こんな裸の姿で済みませんね、皆さん。 これが最も安いコースの夕食。港町だけに、お造りなど海の物が実に新鮮で美味しい。この日もつい冷や酒を頼んでしまった。レシートにサインすると、若い男性のスタッフが言った。安藤水軍は古代豪族の安倍氏が始まりで、安藤氏はその後を継いだと。そこで私は言った。「確か秋田氏や最後は北海道の松前に行った蛎崎氏も関係してるね」。そうなんですよ。彼は答えたが、まさかそこまで知ってる人がいたことに、一瞬驚いた表情。 夕暮れの庭 後で知るのだが、ここ鰺ヶ沢は南部藩が最初に攻めて来た湊。きっと下北半島と津軽半島を船で廻って上陸したのだろう。城を築いて拠点とし、先住豪族を攻め滅ぼした。そして家老職だった大浦氏がこの地を乗っ取り、津軽氏を名乗り弘前藩の大名になる。北前船の西廻り航路の重要な港でもあったが、やがてその役目を他の港に奪われたようだ。この地を巡る争奪史以前に、津軽には華やかな縄文文化があったし、稲作も結構早い時期から伝わっている。 夜になるとロビーが一層明るく感じる。8時半からここで津軽三味線のライブがあると言う。折角だから聞いてみようか。これも旅の楽しみの一つ。一昨年泊った浅虫温泉の宿でも、叩くような演奏の津軽三味線を聞いたっけ。 一番前の右側の席が一つだけ空いていて、私はそこに座って演奏を聴いていた。津軽人にしては洒脱な男が口上を述べ、客を笑わせた。この仕事で東京へも行くそうだ。今の津軽三味線は吉田兄弟のように「叩く」人が多いが、亡き高橋竹山師はそうは教えなかったそうだ。その弟子も、今では数人しか残ってない由。太鼓は女性客の中から彼が指名し、教えながら伴奏させた。 岩木山が津軽人の心の拠り所であるように、津軽三味線もまたこの地方の民衆の心そのものだったのだろう。「津軽追分」など力強い三味線の音色と、長年鍛えた民謡が、朗々と夜のロビーに響き渡った。これも良い思い出だ。演奏を聴いた後、私はホテルのパソコンで、自分のブログを更新した。長時間冷房の利いた空間にいたせいで、すっかり体が冷えてしまった。 翌朝カーテンを開けると、外はどんよりと曇り、小雨が降っていた。5時になるのを待って、朝風呂に行った。前夜(左側)とは男女の湯船が入れ替わっていた。だが、露天風呂の景色は似たようなもの。海の色が濁って見えるのは、天気が悪いせいだろう。すだれを通し、頭に雨滴が垂れて来る。雨の中の露天風呂も悪くはない。そしてまた味の良いお湯を舐める私だった。 6月27日土曜日。旅の第3日目。この日の青森県は全県1日雨の予報。さて、今日はどんな出会いがあるのだろう。最初から覚悟していた雨ではあるが、果たして何が起きるのか。<続く>
2015.07.06
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<イタコとユタ その2> 私がお会いしてお話ししたイタコさんはこの方で、宮城県出身だそうだ。子供の時から霊感が強く、人が見えないものが見えた由。成人してイタコさんについて修行され、ご主人を亡くされた後は、開山期間中は盛岡出身のイタコさんと一日交替で恐山にいるとのこと。 降霊(口寄せ)は一霊につき4千円と壁に張られていた。遠くは沖縄からも来られ、ユタのことも知っていた。お話を聞いたのは30分ほど。とても貴重な体験だった。 このシリーズを始めるに当たって、ネットで画像検索をした。ヒットした一枚がこれ。再度名前で検索すると盛岡の方らしい。恐らく私が会ったイタコさんと交代で勤めているのはこの方だろう。かつて恐山には20名を超えるイタコがいたが、今はたった3名と聞いた。昔は盲目の方が多かったそうだが、現代のイタコさんは携帯電話を使うモダンな方だった。 こちらの写真は昨年の一人旅で訪れた「青森県立郷土館」の民俗コーナーに掲げられていたもの。どうやら「口寄せ」の最中で、亡くなった方の霊を呼び起こしているところ。かつては民間宗教の一種で、「お山信仰」や「おしら様信仰」とも関係してると聞いた。だが現在は恐山の一角にある修行棟に常時(降雪期の閉山中は除く)常駐していた。 これに対して沖縄のユタは霊感の強い人が自然発生的に就くようで、「探し物」などの相談にも応じる一般的な職とも思える。それだけ沖縄ではユタが暮らしに関わっていたのだろうし、貧しさゆえにインチキも紛れている理由なのかも知れない。 写真は青森県立郷土館で撮影したイタコの所持品。お経、祈祷の際に弦を鳴らすための弓、数珠などが見える。弓はアイヌの儀式にも通じるものがありそうだ。 エイサー ここで沖縄の言葉と東北の言葉を比較してみたい。 (女) 東北:おなご 沖縄:いなぐ (イタコ) 東北:いたこ 沖縄:ゆたぐわー (芋) 東北:いも 沖縄:うむ 言葉の響きから、元は一緒の語源だったことが推定出来よう。2段目。東北の「こ」も沖縄の「ぐわー」も可愛いと言う意味の接尾語だ。3段目。芋の古語は「うも」で、本土ではこれが「いも」に、沖縄では「うむ」に変化したと考えられる。琉球語が日本語の古語に近く、一方言と考えられるのは、共通の語源を持つためだ。私が沖縄に赴任した時に「古い日本」を直感したのも、きっとそのためだろう。 再び東北の民間信仰に話を戻す。写真はおしら様。ご神体は桑の木を削って作り、その上からきれいな布を被せてある。2体1組で、1体は馬か男。もう1体は娘の姿をしている。主として岩手県、青森県で農業の神、蚕の神、馬の神として信仰されている。この祀りにはイタコも関わっていたようだ。この写真も青森県立郷土館で昨年撮影したもの。 最後に青森県立郷土館にあった「祭文語り」の写真を載せておこう。これは門付芸、大道芸の一種で、ほら貝を吹きながら「説教祭文」を語るという芸能。江戸初期には三味線を伴奏に歌謡や浄瑠璃を取り入れた芸能となり、浪曲の源流となったそうだ。琉球王朝時代の叙事詩「おもろさうし」も本来は歌謡で、節をつけて歌っていた由。<続く>
2016.09.26
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スペインのバルセロナで悲惨な事件が起きた。繁華街の歩道に車が突っ込み、100名もの負傷者と13名の死者が出た由。この後、バルセロナ近郊でも乗用車が暴走し、7名の死傷者が出た。犯行グループはISの同志による事件と発表したそうだ。シリアやイラクの本拠地を奪われて苦戦するISが、最近ヨーロッパで都市型のゲリラ活動を活発化しているが、彼らの主張に同情すべき点は皆無だ。 トランプ陣営のバノン主席戦略官が辞任した。大統領の選挙戦を勝ち取り、トランプ氏の側近中の側近だった保守派で報道会社の経営者だった同氏は、穏健なトランプ氏の娘婿とは相性が悪く、閣内でいざこざが絶えなかった由。しかし主要ポストにある側近が次々に辞任する事態は異常そのものだ。 今、北朝鮮を巡る動きは急。同胞である韓国はもとより、米軍基地がある日本、北朝鮮を諫めるべき立場にある中国、中国に代わって北朝鮮を後押ししてるかに見えるロシア。だがアメリカの実態がこれでは、北朝鮮に甘く見られても仕方ない。一触即発の緊迫感が一頃よりかなり薄れたのも確かだが、油断は禁物だ。 土曜日に参加予定だった「薬莱山とお足」は見合わせた。その日も雷雨があったので、不参加は賢明だったと思う。一応電動自転車のバッテリーを満タンにしておいたが、気が抜けて大掃除もしないままだった。その代わりリュックを背負って買い出しに行った。食料品の他に、出汁醤油、味醂、マヨネーズなど重たいものも購入。帰宅して5品目ほど料理を作った。 今日も朝から甲子園の高校野球を観戦。東北のチームが3校出るため気合いが入る。済美(愛媛)は松山に足掛け8年住んだため、まだ女子高の時から知っている。宇和島東の監督だった上甲さんが監督になってから強くなった。対する盛岡大付属は、ここ数年で急速に強くなった。この日も満塁ホームランの応酬に沸いた。結局延長戦にもつれ込み、やはりホームランで盛岡が勝った。これは予想外だったかも。 関東勢同士の前橋育英(群馬)と花咲徳栄(埼玉)の試合中に買い物に行った。どちらが勝っても関東勢が1校残るだけ。群馬も最近強いが、やはり人口の多い埼玉に分があったようだ。第3試合の聖光学院(福島)対広陵(広島)は聖光学院を応援していたのだが、もう少しの差で惜敗した。これも私にとっては意外な結果。最近の広島は昔ほど強くなかったからだが、広陵が強かったのだろう。 第4試合の大阪桐蔭対仙台育英の試合には驚いた。打撃戦になるかと思いきや、1点を争う投手戦。しかも点が入ったのは8回表だった。9回裏仙台育英の攻撃も2アウトランナー無し。「最後のバッター」が内野ゴロを打って、ファーストがボールをキャッチ。試合終了と思ってチャンネルを変えようとした時、「セーフ」の声。慌ててチャンネルを戻したら、何と最後はサヨナラ勝ち。まさかの結果でしたね。さて明日(今日)の準々決勝はどんな結果になるんだろう。
2017.08.20
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<あれから> 退院した日、帰宅して整理が一段落すると私は冷蔵庫の中の食品を調べた。延べ5日、実質4日間の留守中に、おかずが悪くなってないか心配していた。それを義姉に話すと、馬鹿にしたような笑いを浮かべた。「そんなことは小さいよ」。勿論分かっているが、自分にとっては大きいのだ。生きるためには先ず食べなければいけない。おかずが無ければまた作り直す必要がある。結局どれも傷んではおらず、まる2日分古いおかずで凌いだのだった。 翌日私は街へ行った。広瀬通の脳神経外科へ預けていた自転車を取りに行くためだ。執刀医からは「当分自転車には乗らないよう」厳命されていた。それにも関わらず私はそれを無視したのだ。ビルの地下に自転車は無かった。管理人に尋ねると、病院から言われて別の場所に移動した由。ヤレヤレだ。病院の受付に礼を言い、自転車に乗って帰った。その途中に買い物をした。こうして再び通常の暮しが始まった。 自転車は私の暮しに不可欠だ。だがドクターの勧告を無視して早速引き取りに行ったのは、街中の病院に迷惑を掛けたくなかったこともある。それよりも今回の手術で以前あった頭痛やふらつきの症状が消えていたことが大きい。転倒すれば再びあの二の舞になり兼ねない。だから全ては自己責任。人生とは危険との隣り合わせ。私はそう開き直って生きている。 農作業も始めた。庭の雑草が伸び、畑のモロッコインゲンが枯れ出していた。それに台風の影響でシュウメイギクや雲南百薬の支柱が倒れかかり、ゴムの木の鉢が倒れていた。インゲンは苗を抜き、収穫物は後で仕分けした。まだ若くて食べられる莢、莢は駄目だが中の熟した豆はいけるもの。50本ほどの枯れた莢から豆を取り出し、別な日に煮た。幼い頃飢えた経験のある私は、食物を粗末にしたくないのだ。 ついでに2本の万願寺唐辛子も抜いた。しまったと思ったが後の祭り。そこはまだ放置していても良い畝だったのだ。モロッコインゲンの畝を耕して発酵鶏糞と石灰を撒き、後日大根と春菊の種を追加で蒔き、白菜の苗を追加で植えた。秋口に入って3度目の天日干しを終えた梅干しを食べ始めた。落ちたのと枝に残っていた熟した実。不細工ではあるが梅干しの味はする。3日ほどかけて畑と庭の草を抜いた。 退院の2日後、自転車で兄宅へ行った。兄嫁はビックリ仰天。手術を終えたばかりの人間が自転車に乗っても良いのかと言った表情。症状が改善したことを簡単に説明した。ベッドに臥せていた兄を姉が起こして車椅子に乗せた。2度の脳出血と5度の脳梗塞で1級障害者、介護認定5の重病人。その兄を子宮筋腫や不整脈の手術をした兄嫁が介護しているのが実態だ。 話は自然と「終活」に向かう。墓終いの件、私の体調と遠隔地にいる子供の件、老後の健康と生き方の件など。前妻との離婚に悔いはないかと問われて、「全くない」と私。離婚の事情は兄弟はもとより、自分の子供達ですら良く知らないはず。核家族化、少子高齢化社会の弊害は今後ますます深まるに違いない。死に向かいつつある兄に別れを告げ、慎重に自転車を運転して帰宅。途中で買い物を済ませる。<続く>
2017.09.29
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~好天の作並街道~ 1人で走っていると、国道の標識が現在地の目安になる。ここは秋保温泉方面への分岐点。10年ほど前、私は自宅から国道286号線を経由して秋保温泉へ出、国道457号線経由で48号線に出た。ここから作並街道を直進し、関山トンネルを通過して山形県の天童市まで走ったことがあった。距離は確か57km程度だったはず。リュックを背負って走るのは、200kmレースの練習でもあった。 作並まで10kmとある。すると既にここまで6.5kmを走った計算。ただし「作並」が作並温泉なのかは確定出来ず、あくまでも一つの目安と言う話。 暫く行くと橋のたもとに「熊ヶ根橋」の標識。私が走っているのは国道48号線だが、右側にしか歩道がない。車の通行を確認し、歩道のない左側に向かう。とても危険な行為だが、これも貴重な写真を撮るため。用心して場所を決め、何回かシャッターを切った。 撮った1枚がこれ。JR仙山線の熊ヶ根鉄橋。広瀬川の深い渓谷に架かる鉄橋で、国内では確か3番目くらいの高さがあったはず。本当は金網が入らないように撮りたいのだが、とても無理と判断。それにここで時間を浪費する訳にも行かない。 定義への分岐点を9時ちょうどに通過。この少し前に、5人の若者グループと遭遇。黄色いTシャツは仙台明走会のユニフォーム。スピードが全く違うのであっと言う間に抜かれた。抜かれざま「ずいぶん大きなリュックですね」と若者。彼らは小さなバックだけ。荷物をホテルに送ってあるのか、それとも着替えだけなのか。私のリュックもさほど大きくも、重くもないのだが。 JR熊ヶ根駅到着は9時10分。向かいのコンビニで、明走会の若者たちが休憩中。私はアイスモナカを買って食べながら走り出すと、直ぐに彼らに抜かれた。カメはどんなに急いでも、速いウサギにはかなわない。 次に抜かれたのが男女の2人組。その雰囲気から、「これは夫婦だな」と察知。ゴール後の懇親会で、個人参加のA砥さん夫妻と判明。ご主人はこの日が初めて30km走だった由。それで奥様が心配そうに付き添っていたんだねえ。確かにそんな気配が伝わった。仙山線の跨線橋を9時30分に通過。向かって上の方向が作並方面。そして山の向こうが山形だ。 9時40分。「仙台ハイランド」の分岐点に到着。昨年から始まった県内唯一のウルトラマラソン「みやぎ湯巡りウルトラ」の分岐点で、ここから秋保温泉方面へと抜ける。トイレ休憩し、「おかき」を食べていると、Aさんが到着。彼も明走会の会員だが一匹狼的存在。ヨーロッパアルプスで開催されるトレイルレースにも出た猛者だ。久しぶりの再会に喜び、こんなポーズを取ってくれた。<続く>
2018.08.23
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~歴史を捏造するマスコミ~ 先ごろ韓国の法廷で一つの審判が下った。戦時中の韓国人に対する強制労働の補償を日本政府が行うべきと言うもの。もちろん日本政府は直ちに拒否した。1965年の日韓合意協定により、全て解決済みというのが日本の立場だ。当時相当な金額を賠償金として支払ったが韓国政府はそれを国民に支給せず、全額をインフラ整備に充てた。それで実現したのがいわゆる「漢江の奇跡」だった。 軍艦島 昭和30年だったと思うが、NHKが軍艦島(正式名は長崎市端島)にあった高島炭鉱のドキュメント番組を作成した。ところがその一部に事実と異なる点があった。だが韓国はその画像を証拠に、日本の強制労働と劣悪な条件を訴えた。炭鉱は海面下500mの深さに及び、ガスが発生するため照明器具を使用する撮影は許可していない。それでNHKは北海道の炭鉱の画像を軍艦島と偽ったみたいだ。 その画像を韓国は悪用し、強制労働と過酷な労働環境の証とした。坑道は狭くて這わないと入れず、窮屈な姿勢で長時間強制労働に従事させられたと主張。ガリガリの裸の炭鉱夫。それをモデルに彫刻まで作った。それが上の写真だ。だが、実際は全く異なる。それは当時高島炭鉱で採炭作業に従事していた複数の方々の証言によって確かめられ、東京の産業遺産資料館にも展示されている由。 坑内では怪我をしないよう作業服を着用する(左=参考資料であり当時のものではない)のが規則。また朝鮮人労働者に対しても優遇措置(右)が取られた。当時の新聞には「まるで旅館住まい同様」とある。また彼らのための慰安婦もいたのだ。 ところが吉田清治がデタラメな証言をした。日本軍が済州島で韓国人女性を強制連行して従軍慰安婦にしたとの偽調書を発表。だが地元の済州島新聞の調査で、そのような事実はなかったと判明。だが朝日新聞は吉田のレポートが嘘と判明した後も30年近く訂正せず、国連人権委員会の「クワラスワミ報告」にも採用された。朝日新聞の罪は重い。朝日の報道を証拠としてその後も韓国は日本を訴え続けた。 当時の日本には公娼制度があり、貧困家庭の子が慰安婦として働いていたのは事実。ただし民間の応募による従軍慰安婦は客を取らない自由や旅行の自由もあり、かなりの高給を得ており、少女像のような強制連行はない。また元慰安婦に対する補償もその後2度行われているが、それらも個々の慰安婦には渡らず、国会議員の元理事長が私的に使用した容疑で逮捕されたのは耳新しい。 さて本題に戻ろう。トランプ大統領の弾劾が成立したとか、就任中に二度弾劾を受けた初めての大統領だとかの報道で、一部の共和党議員も賛成に回った由。昨日の読売新聞の社説には「大統領選で不正があったとすると言うのはトランプ氏の妄言とし、二度と公職に就くべきではない」あるが、1月6日の状況はどうだったのか私なりに検証してみたい。 これは1月6日当日のトランプ大統領で、ホワイトハウス前の広場で演説中だ。演説の最後にこれから議事堂へ行こうと「扇動」したことになっている。 そしてこれが議会議事堂前に集結した人たち。既に議会内に突入してバルコニーに上がっている人も多い。果たしてそんな機敏な行動が出来るものだろうか。 これはホワイトハウス(左中段)と議会議事堂(右下段)が一緒に載っている地図。右上に目盛りがあるが、2つで500m分。ざっと見でも建物間の距離は3km近くありそうだ。実際に歩いた人の話によれば40分くらいかかる由。トランプ氏の演説が終わってから議事堂前で乱闘が開始されたとされる時間の差は3分ちょっと。だが3kmを3分で移動することは無理。それに彼らは旗などを持っている。 ラジオ局(イメージ) もう一つの事実を伝えよう。同日の午前9時15分ごろ。ラジオ放送で議会議事堂に暴徒が侵入したニュースが報じられた由。だが実際に議会内に暴徒が侵入したのは午後の1時15分ごろだ。なぜ実際の4時間前に「暴動」が放送されたのか。答えは一つしかない。彼らはこの日暴動があることを知り、予め原稿を準備していたのだ。だが侵入時間を間違えたのが、「フェイク」の動かぬ証拠となってしまった。 私はあの日のニュースをテレビで観て強い違和感を覚えた。演説するトランプ氏と、議事堂に乱入する暴徒の姿が、まるで見事な「コラージュ」のように伝えられたからだ。つまり自分に都合良い部分だけをつなぎ合わせたと。ペロシ議長の部屋の椅子でふんぞり返る暴徒と、直ぐ横のトランプ支持派の旗。予め待機していないと撮れる映像ではない。あまりにも「見事な演出」が、逆に私に疑惑を抱かせた。 やっぱりあの暴動は予め仕組まれたシナリオか。現職の大統領を陥れて悪者にし、自分らの不正選挙を隠す「猿芝居」だったか。実は暴漢の中で何人かの人が「手信号」を使うのが目撃されている。多分特殊部隊のはず。マスコミの印象操作によって「フェイク」は世界に広がり、トランプの信用失墜に繋がった。トランプはこのまま引き下がり、ディープステートが支配する「闇社会」に屈するのか。あの嘘つきジジイが大統領の座に着くのを、指を咥えて観てるだけなのか。残された日はわずかだ。<未完> 「未完」までは14日に書いて予約した。そして15日の最後に記した「14時過ぎに何かが起こる」の言葉と今日の推理が全てドンピシャだったことが分かった。だが、それを記すにはあまりにも私は疲れ過ぎている。そして箇条書きでもかなりの内容になる。そのためそれは明日のブログに書こう。恐らくそれを読んだらビックリするはず。信じるか疑うかはあなた次第。でも私は真実を知ってとても嬉しい。 最後の審判の時に出現して神の声を伝えると言う大天使ガブリエル。やはり正義は勝ったようだ。そして全世界に平和の鐘の音が響く。それだけ予告してもう寝よう。その前に風呂に入って。
2021.01.16
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~ゴタゴタ・ちぐはぐ~ 東京オリンピックも呪われてますなあ。東京大会の開催が決まった後も、会場選びの問題、マラソンと競歩種目の札幌開催問題、新型コロナ感染症問題で開催が1年遅れ、そして今回は組織委員会の森会長の女性蔑視発言での辞職騒ぎと、ゴタゴタが続いています。おまけに以前から森会長とは犬猿の仲だった小池東京都知事の反発と非協力とで、とうとう森会長が引責辞任する運びとなりました。 この問題をいち早く外国に発信したのが朝日新聞と毎日新聞の英字版。特にニューヨークタイムスと協力関係にある朝日の報道はIOCにも即刻伝わり、森会長とは昵懇の仲だったバッハ会長も、とうとう辞職に傾いたようでした。彼は政治家よりも政治家らしいと言われるほどのやり手。自分の保身のためなら、森会長を切ることなど赤子の手をひねるようなものだったのでしょう。 すっかり外堀を埋められて観念したのか森会長は辞職を決意し、後任を組織委員会評議委員会議長の川淵三郎氏に依頼して本人の了承も取り付けたのですが、今度は政府から待ったをかけられ、事態は二転三転の様相を示して来ました。もっと若い人か女性を推す声があるみたいで、もし橋本聖子五輪相が就任するとなると、議員を辞職する必要があるみたいで混乱に拍車をかけることになりそうです。 森会長の舌禍は毎度のことで、やはりどこかに奢りがあったのでしょう。その意味ではいつか破綻する運命だったと思います。そして二階自民党幹事長の「ボランティアが不足するならまた補充すれば良い」との発言も軽はずみでしたね。そしてこの人の飽くなき権力志向と、敵を作って「政局」にする姿には凄惨なものを感じます。今年は東京都議会議員選挙も控えており、東京オリンピックを踏み台にして女性初の首相を目指すのかも知れません。 しかしオリンピックは決して女性に対して最初から優しかった訳ではないのです。近代オリンピックの父と呼ばれるクーベルタン男爵は「女性は優秀な子供を産み育てるのが最大の勤め」と発言したほど。女子選手が参加さするようになっても、陸上競技の800m走で女子選手が倒れた時は、種目を400mまでに制限したようだし、その後筋肉質の女子選手が増えた際は医師団によるチェックで、男女両性具有の有無を確認したのです。 さて船出してから3週間を経たバイデン政権ですが、議会で承認された閣僚はまだ6名で必ずしも順調とは行かないようです。そんな中上院ではトランプ前大統領の弾劾裁判を強行しています。そしてこれまでバイデン政権誕生に寄与して来た過激派からは約束した金をくれと、民主党左派からは閣僚ポストをよこせと迫られています。選ばれた閣僚は比較的穏健な中道派ばかりなのです。これでは不満も出るでしょう。 トランプ前大統領が去り際に中国のウイグル族に対する抑圧を「ジェノサイド」と認定したことや、同盟国との「インド太平洋戦略」の軍事機密を公開したため、中国との関係が深い彼も簡単にその姿勢を崩すことが出来ずに、当面は強い態度で中国に臨んでいるようです。でも条件によっては態度の変更もあり得ることや、米国内における「孔子学院」への抑圧を緩めるとの表明をしたのが心配です。 あるユーチューバーの分析によれば、先日彼が乗ったとされる大統領専用機エアフォース1(上)は、機体番号から副大統領が使用するエアフォース2と同じ塗装をした元メキシコの民間機だったことが判明した由。そして本物のエアフォース1は、どうやらトランプ氏が退任の日に乗ったままの状態でフロリダ州の米軍基地にあるとのこと。実に不思議な話です。 彼は本物?それとも偽物? そして軍部がバイデン大統領に重要な軍事機密をまだ引き継いでない理由は、彼が外部に機密を漏らす可能性があるため用心してのもので、これまでに伝えているのはさほど重要でないレベルのものに留まっているとのこと。これじゃあ「核のボタン」が入った例の装置も渡されていないのでしょう。この分では恐らく任期中はずっと仮免のままになると思われます。今の彼は偽物との説もありますが、真偽のほどはどうなのでしょう。謎が解けるのが楽しみですね。
2021.02.13
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~気温の変化と体調~ モッコウバラの新芽 その日は朝から暖かかった。それで洗濯をし、布団を干した。午後の3時になってもまだ暖かい。それで散歩に行く気になった。日ごろから走ったり歩いたりしてると、免疫力が上がり新型コロナにも罹りにくいとテレビで言っていたのも頭のどこかにあった。今日は違ったコースを歩こう。家の裏から出て、H橋に向かった。広い道のここならお日様にも当たれる。その方がより健康的だしね。 八重桜「関山」 橋を渡り切って、今度は橋の下の道へ。高みから周囲の里山の雑木が見える。冬の間は枯れたような景色が、ちょうど今は若葉が萌え出て新鮮。まさに「山笑う」と言った感じ。土手の木々が一斉に花を咲かせていた。特に鮮やかなのは八重桜の「関山」だが、ソメイヨシノは既に散っている。 グミの花 坂を下って行くと今度は地味な花。近づいて枝の先を見ると、どうやらグミの花みたい。戦後間もない子供の頃は食べ物がなく、少々渋みのあるこの実も食べたものだ。道に下り、さっき通った橋の下を潜る。道路の拡幅工事が進み、舗装も終わっていた。この道はいつも走る9kmコース。N高の正門付近に来ると。珍しい形の花が咲いているのを発見。 1) 2) 3) 4) 1)はサンシュユ(山茱萸)で花の形は近いが色が違う。2)はトキワマンサクで、色は近いが花の形が違う。3)はハナノキ(花の木)で色も形も近いが、花が咲く季節が違う。結局4)は、桜かハナモモの花が散った後の咢(がく)と蕊(しべ)が花のように見えたと言うことなのだろう。 ニラ 帰宅後畑のニラを切った。結構な量があったので半分を茹でてお浸しにし、残りは「ニラ玉スープ」を作って、夜はうどんの汁にしたが、少し味が薄かったようだ。その夜。急に体調がおかしく感じた。昼はあれほど暖かかったのが、台所に立ち暖房も点けずにブログを書いているうちにすっかり体が冷えてしまったのだろう。酷い疲労感。これは「人間ドッグ」で調べてもらう必要があるなあ。慌てて保険屋さんに電話。確か人間ドッグ料金の一部を負担してくれるサービスがあったはず。 楽天生命パーク球場 その夜も東北楽天は負けた。これで2つの引き分けを挟んで3連敗。あの強かったイーグルスは一体どこへ行ってしまったのだろう。そしてかく言う私もすっかり弱った。60代半ばまでは楽に40kmを練習で走り、100kmや200kmのレースも完走したと言うのに、今はちょっとした気圧や気温の変動も身に堪える。それがなによりの老化の証。それでもまだ簡単にくたばる訳には行かない。
2021.04.17
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~猛烈に面白かったドラマが終わって~ NHKのBSで放送されていた「コウラン伝」がつい先日終わった。~始皇帝の母~のサブタイトルがついたこの中国の歴史ドラマの面白さには、毎回強く惹かれるものがあった。ほとんどが史実なのだろうが、細部には脚色があるのだろう。実話が基礎になってるせいか話の展開がスリルに満ちている。日本では全34回だが、中国では60回の長編。半年間日曜日の夜9時から、息を殺して画面に見入っていた。 趙時代の登場人物相関図 主な登場人物は4人。秦の王族で人質として趙に送られた子楚(しそ)、趙の貴族の娘で継母の策謀で奴隷になったコウラン。彼女を買って自分の愛人とした呂不韋。彼は出世を願う趙の商人で、その野望を抱いて子楚に近づく。ところが呂不韋の愛妾であるコウランを一目見た子楚はコウランに恋して、呂不韋に譲れと申し入れる。野望に燃える呂不韋は止む無くコウランを手放す。 秦時代の登場人物相関図 数年後子楚は出身地の秦に帰国する。祖父の皇帝が実権を握り、父が皇太子になったためだ。だが趙に置き去りにされたコウランは子楚の子を産み、苦労しながら密かに育てる。何度も迫る危険から知恵を使って逃れ、呂不韋も彼女を助ける。やがて時が来てコウランと王子、呂不韋の3名は何とか秦に潜入する。だがそこでも宮廷内での果てなき権力闘争に巻き込まれる。毎回手に汗握る展開だった。 阿房宮(復元) 秦の皇帝となった子楚だったが、その地位にたのは4年ほどだが、子の政を皇太子とする。コウランは皇后となり、呂不韋は丞相(じょうそう=総理大臣)に出世していた。政は13歳で皇帝となり、自ら始皇帝と名乗る。後に天下を統一した暴君。ドラマは秦の滅亡までは描かず、最後にナレーションが流れる。呂不韋は皇帝から死を賜る前に自ら毒杯を飲んだ由。皇帝子楚の死後、コウランは愛人との間に2人の子を産んだ由。彼女は50代まで生きたようだ。 秦が統一した天下 壮大なドラマは途中で終わったが、成人した始皇帝は他の6国を攻めて服従させ、初めて天下を統一した。諸国を4度巡回し、5度目の巡回中に部下の反逆によって死す。天下統一から滅亡まで(紀元前221年~紀元前206年)を秦朝と呼ぶが、秦は紀元前905年から同206年まで36代続いた王朝で、決して短命ではなかったのだ。 始皇帝 中国の歴史は悠久だ。それにしても良くあれだけの歴史ドラマを制作出来るものだ。セットも大がかりだし出演する俳優も多く、衣装や化粧、皇宮内での凄まじい確執など、韓国の安っぽい歴史ドラマとは一味も二味も違っていた。だが「中国」と言う名の国家が誕生したのは現代になってから。それ以前は個々の民族が起こした「王朝」で、何度も国の名が変わっている。 焚書坑儒 始皇帝は暴君で自分に意見するものは、皆殺しにした。いわゆる「焚書坑儒」(ふんしょこうじゅ)で、自分に都合の悪いことを書いた本は燃やし、意見した者は穴を掘って生き埋めにした。だが、彼が天下を取って統一したものがある。それを以下に示す。 意外と思うだろうが、彼が統一したものが1)漢字 2)度量衡(どりょうこう)=長さ、量や重さの単位 3)貨幣。そして法律を作ってそれに従わせ、各王朝が築いた「長城」を繋いで「万里の長城」とした。滅亡時に放火された阿房宮(あぼうきゅう)は、その巨大さゆえ、全焼するまでに1か月を要した由。この阿房が阿呆(あほう)の語源と言う俗説があるくらいだ。次回は彼の墓と兵馬俑を紹介したい。ではご機嫌よう。<続く>
2021.06.11
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~わが暮らしとウクライナ戦争~ 写真は庭の花と畑の野菜など バラの新芽 月曜日の朝目覚める。どうやらまだ生きているようだ。洗濯機を回し、布団を上げ、洗濯物を干し、朝ドラを観ながら朝食を食べ、ブロ友にコメントを書き、コーヒーを飲みながら新聞を読んだ後、おもむろに翌日用のブログの原稿を書き始める。ロシアがウクライナに侵攻してから1か月以上が経ち、私もブログでその戦争を取り上げない日はなかった。 春キャベツ そんな生活だと出来ないこともある。大掃除は10日ほどしていないが、それで死ぬことはあるまい。雨が降り気温が上がり出すと、庭や畑の雑草の伸び方が凄い。でも腰痛があるため庭仕事は休止中。昨秋はタマネギの苗を植えず、今月はジャガイモを植えなかった。畑仕事はもう無理かも知れない。草取りも生協か便利屋さんに頼むしかないかも。 白菜の花のつぼみ 冬の間放置していた白菜の残りはほとんどが凍結を繰り返して腐った。結球しなかった苗から花の蕾が芽吹いている。森保ジャパンは最終戦のオーストラリアを下して8連続のW杯出場を決めた、試合終了際に交代した三苫のシュートが光った。大相撲春場所は関脇若隆景の初優勝。祖父、父そして3人の息子がいずれも力士と言う大相撲一家。プロ野球が開幕し第2戦でようやくわが楽天が初白星を挙げた。 ホソバスイセン 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では凄まじい女の闘いを観た。知識としては知っていたが、なるほどそんな事情だったのかと納得。まあ史実を交えたドラマなので、演出過剰の気味があるが、それでも面白い。朝ドラ「カムカム」の最後は英語づくめと聞いたが、なるほどそう来たか。アメリカへ渡ったきり姿を消した安子とアニーとの関係が気になる。新聞の俳句欄はこのところまったく読まなくなった。 フキノトウ 裏庭に3、4個のフキノトウが出た。ウクライナ戦争の情報は、新聞やテレビのニュースだけでなく、ネットから様々な形で確認している。衛星放送の専門家による解説はほとんど聞いた。それらを合わせると、今回の戦争の実態がかなり正確に把握出来ると感じる。前回のアメリカの大統領選は酷かった。フェイクニュースのオンパレードで、一体何を信じたら良いか迷ったものだ。 ボケのつぼみ その点今回の戦争に関しては、ロシア政府機関の報道は大部分が捏造とプロパガンダだったが、欧米側およびウクライナ政府発表のニュースには信憑性を感じた。それに一般市民による情報提供や、ゼレンスキー大統領自らが発信したSNSがかなり有効だったのではないか。ただしそのことによる思わぬ被害も起きた。 キエフのショッピングセンター 一市民が投稿したキエフのショッピングセンターの画像には、入口の前に多連砲を積載したウクライナ軍の車両が停まっていた。それを観たのかロシア軍はミサイルでショッピングセンターを全壊した。ロシア軍のキエフ侵攻に備えて、ビルの屋上から多連砲で狙い撃ちする作戦だったのだろう。軍の機密を市民が漏らした失敗例だ。 ハナニラ 意外なことを知った。ウクライナ軍がキエフ市民に35時間の外出禁止令を2度出したことがあった。それはロシア側のスパイをあぶり出すための措置だったのだ。市民は忠実に命令に従った。だからその時間帯にキエフ市内を移動する人物を検問すれば、敵側の人間を見つけることが出来る。あの長い外出禁止令の裏には、そのような背景があったのだ。 チオノドクサ ロシア側に封じ込められた南部の都市マリウポリ市内から2週間ぶりに脱出したウクライナ人の実話をyoutubeで観た。途中14か所の関門でロシア兵に呼び止められたが、その都度「関門突破マニュアル」に従って冷静に対処し、無事ルーマニア国境付近に脱出出来た由。途中で彼らをチェックした若いロシア兵は、マリウポリ市を自軍が連日攻撃してることを知らなかったそうだ。これほどロシア軍内の情報が不徹底だったとは。 マリウポリ市内のロシア軍戦車 ロシア軍の兵士が上官の命令に逆らい、その上官を戦車で轢いたとの情報をネットで知って「ホンマかいな」と疑問を持ったが、真実だったようだ。キエフを包囲していた地域では最高で60数kmロシアの戦車や車両が一時長い隊列を組んでいた。あれではウクライナ軍の餌食になると自衛隊の元幹部が解説していた。食料や燃料もなく、指揮命令系統がバラバラな中での「事件」。骨折した上官は「名誉の帰還」をした後で、死んだようだ。 あの長い車列は結局、動けなくなったためと後に判明したが、車両と兵士の大半をウクライナの攻撃で失ったロシア軍は、大事なものを忘れて行った。左側は「クラスハ4A」と呼ばれるロシア軍の電子システムを搭載した車両で、右はそのコンテナを「擬装」して森の中に置いて逃げた状態。 こちらはウクライナ軍によって捕縛された「ポリソグレブスク2Bシステム」と呼ばれるロシア軍の電子システム。やむを得ない場合はデータを消去するのが通常だが、果たしてウクライナ軍の猛攻で戦死したり負傷したロシア軍にその暇があったかどうか。今回の戦争でロシア軍の将官7名が戦死したことが判明している。これらの装置がNATO軍によって解析された場合、ロシアの軍事情報は「丸裸」となる。 プーチンに対する主な反対者 しばらく姿を見せなかったショイグ国防相が先日久しぶりにテレビに映ったが、西側の分析では以前の映像を使ったと判明。重い心臓病と言うのはどうやら本当のようだ。行き詰まったプーチンは当初の「キエフ包囲」によるゼレンスキー追放を諦め、南部のマリウポリと東部2州の完全制圧作戦に切り替えた。今回の戦争に反対する幹部も出だした。だが軍部のクーデターが起きるかは不確実。 アメリカはこの度ロシアのIT企業「カスペルスキー」のウイルス対策ソフト使用禁止の検討を表明した。本社はモスクワにあるが世界各国に現地法人があり、事業の8割はロシア国外でのものだが、警戒するに越したことはない。両陣営のサイバー攻撃合戦は目下火花を上げている。またそれに乗じた「ネット犯罪」も多発していると聞く。 ウクライナ東部および南部におけるロシア軍の無差別的な攻撃は、常軌を逸している。多くの市民がロシアに拉致され、16万人がまだ逃げられずにいると聞く。追い詰められたプーチンが生物化学兵器や核兵器を使わない保証はどこにもない。ロシアには40万人の「プーチン親衛隊」がいるようだ。こうした中今日からトルコで対面での停戦協議があるとの情報。だが、かなり困難な状況に変わりはないだろう。
2022.03.29
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