マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.05.08
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カテゴリ: 生活雑記
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 草薙の船着き場で降り、ツアーの謳い文句である3つ目のポイントへ急ぐ。つまり山の幸2種類が、どうやらここでもらえるようだ。期待に胸を弾ませて店に行くと、小さな袋を手渡された。1辺が10cmにも満たない袋。それに薄っぺらで厚みがない。こんな袋に一体何を詰めれば良いというのだろうか。

 答えは生シイタケだった。一同「ええっ?」と驚く。確かに美味しそうなシイタケには違いないが、こんな小さな袋を渡す人の気が知れない。おまけに茎や石づちまで残っているため、袋に詰め込もうとしても邪魔になるばかり。苦心の末に6個ほど詰め込んだが、そのまま店員には渡さず、たまたま持っていたビニール袋に入れ、さらに2個ほど放り込んだ。うっしっし。

 次いで2つ目の袋を受け取る。今度も大きさは一緒で、詰め込む対象はナメコだった。いかにも新鮮そうなナメコだが、厄介なのは水の中に浮かんでいること。小さなカップで丹念に掬い、袋に入れる。そのままでは水で膨れるため時々水だけ捨てると、思いのほか大量のナメコを詰め込むことが出来た。うっしっし。それを店員に渡し、大きめの袋に入れてもらった。

 船下りの旅は終わった。私はてっきり、戸沢藩がこの小さな戸沢村にあったと思っていたのだが、後日ウキペディアで調べたら全然違っていた。山形県の東北部、つまり秋田県境に接する最上地方に置かれていた新庄藩の殿様が戸沢氏。先祖は秋田の角館に居住していたが、常陸国(現在の茨城県)から6万石で転封され、そのまま明治までこの地を治めていたようだ。

 石高は6万石でも最上川の舟運を抑える舟番所を置いていたため、収益は相当大きかったのだろう。戸沢藩では参勤交代の際も酒田まで舟で下ったようだ。多分戸沢村の名は、旧戸沢藩舟番所に因むものなのだろう。

 バスは最上川の河口にある酒田へと向かった。そうなると4つ目のポイント「山○○○」は山形蔵王ではないことが確定。それでは一体どこかと考えて思いついたのが「山居倉庫」。添乗員さんの口からはっきりその名を聞いて妻と2人してガッカリ。以前のツアーで訪れたことがあったからだ。



 新井田川に架かる山居橋を渡って対岸へ。ここは初めて来た道。先ず見えたのが酒田代官所跡地。昔の黒い門が再現され、小さな社があった。そして沼地の畔に生えるセリ。それを妻と2人で摘んだ。ここ酒田は日本海側では有数の港で西廻り船(北前船)の寄港地だったため、大変栄えていたのだ。それを一手に引き受けていたのが本間家。次にそこへ向かって歩く。

 旧宅は500mほど先にあった。立派な門構は二千石格の武士に許された長屋門の由。松の枝ぶりが見事。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」。新庄藩の財政を一手に引き受け、酒田の田の半分は本間家が所有していたと聞く。このため藩主から五百石の士分として苗字帯刀を許されていた。入場料700円は高いが、きっとそれだけの価値があると思い直し、家の中へ入る。<続く>






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Last updated  2010.05.08 09:28:48 コメント(6) | コメントを書く
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