『フィガロの結婚』(フィガロのけっこん、伊: Le nozze di Figaro、仏: Les noces de Figaro、英: The Marriage of Figaro、独: Die Hochzeit des Figaro)は、フランスの劇作家ボーマルシェが1784年に書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲をもとにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1786年に作曲したオペラ作品(Le Nozze di Figaro, K.492)。ウィーンのブルク劇場で1786年5月1日、モーツァルトが30歳の時に初演。 https://ja.wikipedia.org/wiki/フィガロの結婚 ああ美しい五月の月 芽という芽が萌え出た時 僕の心にも 恋が萌え出た (高安国世氏訳) ドイツ・ロマン派の大詩人、ハイネの詩集「歌の本」のなかの詩の一節である。この詩はシューマンの歌曲集「詩人の恋」の第1曲として用いられているので、ご存じの方も多いと思うが、いかにもうまい設定だ。全体に高緯度にあるヨーロッパでは、温暖な日本より春の来るのがおそく、この5月という月が一年中でいちばん快適だからである。現在、5月1日は、世界中で労働者の祭典であるメーデーが行なわれているが、この日は、古くは、春の訪れを祝う日で、ヨーロッパでは、いろいろと春を祝う行事が行なわれていた。それともうひとつ、音楽を愛する方なら、1786年の5月1日に、モーツァルトの不朽の名作歌劇「フィガロの結婚」がウィーンで初演されていることも、ぜひ覚えておいてほしい。この「フィガロの結婚」は、モーツァルトが30歳のもっとも脂の乗りきった働きざかりに、フランスの作家ボーマルシェの書いた同名の戯曲をもととして作曲した4幕のオペラ・ブッファ(喜歌劇)で、この歌劇が上演されるまでには、きまざまな迂余曲折があったらしい。というのは、原作の戯曲は、当時の腐敗堕落した支配階級を痛烈に批判し、嘲笑した内容をもち、ウィーンでは上演が禁止されていたいわくつきの作品だったからである。どころが、卓抜な才腕をもっていた台本作者ダ・ポンテは、問題になりそぅな物騒などころを全部骨抜きにした軽妙な台本を書き上げ、皇帝の許可を取り付けてしまったのだった。この歌劇は、すじからいうと、のちにロッシーニが作曲した歌劇「セヴィリヤの理髪師」の続編にあたるもので、アルマヴィヴァ伯爵の従僕フィガロとその恋人スザンナの結婚にあたって、好き者の伯爵が初夜権を行使しようとするが、フィガロはスザンナや奥方のロジーナと力を合わせてそれをはばみ、伯爵を改心させ、無事結婚にゴールインする、というのがあらすじである。ところで、このなかに出てくる初夜権というものについて簡単にふれておくと、これは、封建時代に盛んだった悪習で、百科事典を引くとこう書いてある。「領主、曾長、聖職者などが花婿に先立って花嫁と同会する権利」。なんともひどい慣習があったものだが、この初夜権のことを一応頭に置いておかないと、この「フィガロの結婚」のおもしろさは半減してしまうのである。この歌劇のウィーン初演は大成功で、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」や「恋とはどんなものかしら」といった有名なアリアの旋律が、ウィーンの人たちのあいだで口ずさまれるほど親しまれるようになったけれど、この歌劇そのものの上演はわずか数回で打ち切られてしまった。それはこの作品に人気がなかったためではなくて、モーツァルトの名声をねたむ者が多かったからであった。かわいそうなモーツァルト!(志鳥栄八郎)