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買い物に行ったら、まだリャドの版画展をやっていたので再度会場を訪れました。版画展とあるのにどうしても油彩画にしか見えません。それが不思議で、斜めに見上げてもキャンバス地の目や筆のタッチが立体的に見えます。絵にかじりつくように見入っている私に説明の方が近づきました。聞くとこれは「ジークレー」という版画技法で、早い話、原画をコンピューターで精密解析し、インクジェットプリンターで吹き付けたものだという。だからキャンバス風の凹凸のある印画紙にも色が乗り、重ね塗りのタッチも出るそうです。印刷でなく版画と称せられるのは、色の密度も刷り回数も並はずれた手間をかけた上で監修するからだそうです。それでこんなにリアルで迫力ある絵になるのです。絵を味わうにはその質感(マチエール)も大切で、光の具合できらっと光ったり、絵具の影なによってその色をいっそう引き立てたり、絵に深みを与えたりします。これは平板な絵では味わえない者です。量産版画でありながらこんな魅力を持つジクレー版画は、本物の絵画を誰でも購入できるようにしてくれました。ま、それでもちょっと高いのですが手の届く範囲ではあります。リャドについてもいろいろと話してもらいました。彼の生い立ちから大動脈瘤破裂による急逝、肖像画家としての成功、写実と抽象を混ぜた技法、一気に描き上げる驚くべきスピード。彼が来日したとき、TVの番組でジュディオングの肖像画を描くシーンの撮影があり、そのあまりに早く鮮やかに描き出される様に、撮影クルーが漏らしたため息が録音に入ってしまったとのこと。肖像画は肖像権の問題で版画には出来ないそうです。今回の画商さんは購入を押し付けることなく対応してくれました。先日に業者が絵画を汚すなんて失礼なことを言ってしまいましたが、それは一部の売らんかな業者のこととしてご理解いただきましょう。ちなみに、会場の作品の7割がすでに売却済みでした。どれも30万もするのに。彼の作品をざっと見るのに適した動画がありましたので紹介します。スペインのリャド美術館も紹介されます。Xim Torrents Llad?彼を日本に紹介したガレリア・プロバの鈴木さんの手記(ヒロ・ヤマガタもこの人)「リャドとの出逢いから別れまで」
2012/03/07
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「ダニーボーイ」という歌の変遷については多くのサイトでも語られていますが、私なりに簡単にまとめてみました。この歌は元々、アイルランドの先住民族の伝承音楽だったそうです。最北端のロンドンデリー地方に住むオカハン族で、17世紀初頭にイギリス軍に制圧されます。しかしその器楽曲は地元に残り、19世紀半ばに街角のフィドル弾きから採譜されたものが「アイルランド古代音楽集」に収録されます。 この曲は当初は無名の演奏曲でしたが「ロンドンデリーエア」とも呼ばれるようになり、それに様々な人が詞をつけて世の中に広まり始めます。19世紀末には恋の歌詞が付けられ「ロンドンデリーの歌」として親しまれるようになります。 アイルランドの人々に広く浸透するのは20世紀初頭です。出兵する若者への送別歌という内容の歌詞が付けられた「ダニーボーイ」として発表されると、第一次大戦や移民に臨むアイルランド人の間に愛好され、第二の国歌のような扱いにされるまでに至ります。またC V スタンフォード作曲の「アイルランド狂詩曲」の中にもその旋律が採用され、クラシックの分野でも認められるようになります。 (*C V スタンフォード - アイルランド狂詩曲第1番/8:05から始まる旋律) こうして現代では世界中の人が愛好する定番曲となっていますが、この曲は特別な意味を持つ曲として扱われているようです。映画でもこの歌を歌うシーンを入れることで、作品における表現や主張を高めたものが見かけられます。 J F ケネディやダイアナ妃、プレスリーなどの葬儀では「ダニーボーイ」が流されたそうですが、あちらではこれが定番曲になっているのかもしれません。そう言えば数年前、日本でも葬儀会社オークスのCMに使われていました。 また村上春樹の小説「世界の終りと~ワンダーランド」にもビング・クロスビーが歌う「ダニーボーイ」がストーリーと絡まって何度か出て来ますね。 「ダニーボーイ」という歌は、様々なかたちで私らの生活や文化に浸透しているようです。------------------------------------------------------------前のページ/ 20230510 ダニーボーイを歌うべラフォンテの歌唱力次のページ/ 20230514 ダニーボーイのバリエーション次のページ/ 20230529 ダニーボーイの原曲変遷図次のページ/ 20230601 朝ドラに「庭の千草」が------------------------------------------------------------
2023/05/13
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500坪の土地があったらどんな家を建てる?ときかれたらふつう、周りを緑でおおって立派な家を作る。というのが一般的な答えだろうが、劇団ひとり君は違う。「町を作って住みたい」とのこと。自転車屋や風呂屋、食堂、ホテルなんぞのある町を作り、そこに一人で住むそうだ。腹が減ったら食堂の家に行って食う、風呂屋の家で湯上りに牛乳を飲んでホテルの家で寝る。これはモダンリビング誌の特集コーナーで彼が語った話ですが、ギャグとして聞いても面白い。沢山のお笑い芸人の中でも一味違う彼の味がこんなところに出てました。 画像は対談相手の建築家・谷尻誠氏が設計した劇団ひとり氏邸「町が詰め込まれた家」です。町に住むという発想は、私も共感します。私の場合は、敷地いっぱいに様々なレトロな洋風建築の家を何棟も建て、その中心のこじんまりした自分の家に住むのです。周りは見渡す限りレトロな町なんです。ジブリの作品のセットみたいなものです。いくらいい風貌の家を建てても中からはそれを楽しめない。横にイメージの違う家が建つのは耐えられない。だから町そのものを作ってしまいたいのです。出来たら駅から家までずっと、ね。イギリスのレッチワースや渋沢栄一の描いた田園都市計画とまで大規模にはなりませんが、理想的な生活環境を創って維持するのは社会的にはなかなかに難しいものです。だから独断的に推進しするしかない。何兆円かあれば出来るでしょうね。誰かくれないかなあ。この夏には私の町内の空き地の管理問題が起こり、署名活動や組長会議でもめたりしたので、町の環境管理の難しさをつくづく感じる今日この頃です。
2010/10/24
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このブログを始めてもう17年、気の向いた時だけ書くという大変失礼な日記にお付き合いいただき、恐縮します。もともと苦手な作文、書いてるうちにまとまりがなくなって中断。そんな書きかけの原稿が最近とみに溜まってきてます。話題は音楽関連がメインですが、映画や絵画、歴史や生活文化、建築や書籍、骨董雑貨など、とりとめない事柄を取り上げております。勝手な決めつけもあり、きわめて個人的趣向が強いのでお許し下さい。ご覧いただいた回数は通算で100万PVを超えてますが、重複アクセスやロボット検索などもあり、どれだけの方がご覧になり、ご満足いただけたかどうかが少し気になっております。ま、せめて時間つぶしにでもなれば幸いです。 そんな訳で、このブログで皆さんが読まれるのは過去の日記が多いようです。今まででアクセスが多かった日記をあげておきます。----------------------------------------------------------<プロテストソングの原点、明治の演歌師・添田あぜんぼう>2013/09/20/100年経って聴く演説歌<懐かしの大名堂のホットドック>2014/07/13XML/夕暮れのホットドック屋台・大名堂<京都の斜め道路はなぜ出来た?>2016/02/20/京の斜め道路の謎/7540<いろいろあるよ、SPレコードのサイズ> 2016年06月07日/どんだけあるの? SPレコードサイズ/5843<京都の銭湯のクラシックタイプ>2014/05/06/銭湯レビュー・クラシック編近年は1年もほったらかしにすることもあるので、見に来られた方には大変申し訳ないのですが、そろそろ書き始めようかと思っているこの頃です。 今回もお読みいただいてありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。/リバーサイド・カフェ店主----------------------------------------前のページ:20250216 おもちゃ映画ミュージアムの引っ越し次のページ:20250507 想い出した映画「枢機卿」の音楽----------------------------------------
2025/04/19
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NHK朝ドラの挿入歌「潮騒のメモリー」の中には「1000円、返してー♪」という歌詞が出てくる。最初聞いた時は「えー?なんでー?」と耳を疑ったが、作詞の宮藤官九郎氏ご本人はインタビューでは「そうっすね、へへへ。」と答えるだけでした。その時より私は、宮藤官九郎はなんでこんな歌詞にしたのか?という命題が頭から離れなくなった。もっとロマンある歌詞にすれば品格ある楽曲として成立するのにあえて夢のない言い回しを選んだりして、もったいない。で、熟考の末、下記の理由が浮かびました。・この歌が既製曲の流用でなく、オリジナルであることを証明するため。・NHKオリジナルなので、他の歌番組や歌手にやすやすと歌わせないため。・三島由紀夫の潮騒をはじめとする様々なパロディ満載の歌詞なので、 テレ隠しにクダラナイ言葉を入れた。・過去のパロディ曲のひとつに嘉門達夫の「Say Yes!」が入っている。(何度も言うよ、君は確かに金を借りている、金返せー、セーンエーン!)・5分で作った歌詞なので、考え直すのが面倒だった。真相はいつかご本人が語るでしょうがね。たぶん関係者はみんな「センエーン、返してー、???」「こ、これで歌うんですか?と問うたはずだ。それを宮藤・大友コンビは「うるせー、そのまま歌え!」とやり返したんじゃないか、そんなシーンが勝手に目に浮かびます。そんなこんなでこの朝ドラは、業界裏話的ストーリーと謎解き、ちりばめれられたさりげないギャグなどのひねった官九郎ワールドで、楽しく見せてもらってます。そして音楽も、ノー天気なスカリズムのテーマ曲、懐かしのアイドルソングに、当世AKIBA風曲の3曲がヒット中です。80年代懐かしの「潮騒のメモリー」はCDだけでなく、プレミアプレゼント用に紙ジャケットでのアナログEP盤まで作られるとのこと。しかもこのCD&EPは影武者で終わった歌手天野春子(小泉今日子)名義とは、ちょっと泣かせます。悪ノリというより洒落がわかるというか、結構な傾向ですね。
2013/07/23
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日頃、絵の話などめったにしない弟が珍しく絵について語り出しました。たまたま見かけたデパートでの絵画展。光の具合がとても美しくて、テーブルの上に置かれたものがくっきりと映えて、樹木や花やカーテンがとてもリアルで..、と延々と続く。印象派のような絵なのに、日本画の画材で描かれているのもユニークだと。え?とそれまで流して聞いていた私が聞き耳を立てました。女性の絵描きさんでたしか西なんとかさん...私は本棚に行き、ストックファイルから1枚の絵ハガキを取り出して差し出しました。これかい?彼の声が途切れ、 え?なんで持ってるの? この人知ってるの?私もそれほど頻繁には街の画廊を訪れることはありませんが、昨年末、知り合いのグループ展に行った際に、みんなが近くでやってる個展がすごいと噂していたので、興味を持って訪れていたのです。西澤知江子さんという方の個展。絵も素晴らしかったが、描かれた庭園やインテリアがまた素敵だったので、作品が欲しいと思ったけれどとても手が出ない。で、せめてもと絵ハガキを頂戴し、大事にアルバムに保管していたのです。確かに魅力的な作品でした。とても趣のある庭やテラス、室内が豊かな植栽や花で満たされ、陰影に富んだ光りが差し込んでいます。精緻な筆使いと深い色彩。しかしこの絵は一見、印象派的な油彩に見えるのに岩絵具を使われてるそうです。日本画で使われる岩絵具はどちらかというと表面(マチエール)が乾いた質感になるのに、西澤さんの絵は油彩と思ってしまう程の色艶が感じられます。元は油彩を描かれていたそうで、光りを表現するために岩絵具を使われているとか。確かにこれは成功しているようです。何より、描かれた空間に入り込んでくつろぎたいという感じになるんですね。人物が描かれてないのに人のぬくもりも感じられます。絵画作品の役割のひとつに、人の感情に寄り添うことがある。西澤さんの作品はそんな、人を爽やかな気分にしてくれる絵だと思います。好みも生き方も違う兄弟二人が、まったく期せずして同じ画家に感動するなんて、不思議な出来事でした。
2018/05/02
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街々が赤く色付いています。植え込みのサツキやつつじです。つつじといえば園芸でおなじみの低木ですが、その幹で建てた東屋を見ました。(東屋とは庭に立てた小屋のことです)昨年の秋のことでしたが、所用で駒込に行くことがあり、その帰りに立派な庭園公園があったので思わず立ち寄りました。六義園とあります。これは「りくぎえん」と読まないといけないそうですが、将軍綱吉の御用人だった殿様が自ら設計された広大な大名庭園。明治になってあの政商・岩崎弥太郎が買取って改築したそうな。そのとき小高い築山の上にこの「つつじ茶屋」が建てられたとか。この東屋は小高い展望台の上に設けられた休憩所で、その名のとおりつつじの古木の柱で支えられています。つつじは大きくても胸くらいの高さなのに、何百年も経つと4-5mにもなるそうで、1000年近い古木もあるという。「つつじ茶屋」に使われた柱も数百年モノの幹で、いくつもの荒縄を束ねたように凹凸が激しくしかもネジくれている。それが重い茅葺屋根を支えているのですが、長い年月で今はさすがに倒壊寸前。周りから沢山の柱で補強されているので、当初の姿を想像しにくいのですが、どこかアンバランスなきゃしゃな建物です。でもどこか愛嬌と野趣を感じました。なんといってもつつじの柱のがんばり具合がいじらしい。この広い六義園をボランティアのおじいさんが案内してくれましたが、ゆったりとした敷地でいろいろと見ごたえありました。しかし狭い敷地にぎっしりと詰め込んだ京都のお寺の庭を見慣れている私には、どこか大味なイメージを感じました。ちなみにあの三菱財閥を作った岩崎弥太郎はかって、土佐藩に所属していた海援隊の会計をやっていたそうです。竜馬の野心は彼にも引き継がれ、今日の三菱につながっているのでしょうが、竜馬なら「こんなでかい庭園なんぞ邪魔じゃきに」なんて言って目もくれなかったでしょうね。
2009/05/05
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