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ミフリ・カフェのオープニングパーティー。朝8時からスタッフとお手伝いの人たちが準備を開始。キッチン担当と、会場飾りつけ、外番に別れて、なんとか間に合った。正午を過ぎてお花などが届けられ始める。画像以外にもたくさんのお花や観葉植物が届けられた。現アンタルヤ市ムラトパシャ区区長、現アンタルヤ市ケペズ区区長、元アンタルヤ市ケペズ区区長ケマル・アクブユック氏、ザマン新聞地中海支部長、現アンタルヤ市市長のお姉さんでアンタルヤ地元新聞社のオーナー、AKDiM(アンタルヤ文化交流センター)、取引先、知人・友人、商人仲間から。AK党アンタルヤ支部長からは祝電が。日本の方にも来ていただき、ワインとお菓子をいただいた。まずはオープニングセレモニーとして、テープカットである。1階の絨毯・キリムのオフィスの入り口、続いてカフェの入り口に張った赤いリボンを、アンタルヤ市ムラトパシャ区区長のシュレイマン・エヴジルメン氏にカットしてもらい、みんなで中に入った。祝辞をいただき、普段のメニューにはないが、今回パーティーのために用意した握り寿司や春巻きなどを試食してもらった。さすが区長は和食も食べなれているようで、取材のカメラを前に自ら寿司の解説まで。取材のカメラといえば、フセインはもちろんなんだけど、通信社と大手新聞社など数社が入ってくれ、スタッフ全員、みせものパンダとして浴衣を着ての登場。お客さんもたくさん入って、14時から17時ごろまで接客が続いた。最後はみんなが疲労と脱力感でクタクタ、ヘトヘト~。来ていただいたみなさま、ありがとうございました。そしてスタッフとお手伝いをしてくれたお友達にはお疲れ様、そして感謝。ところで、お手伝いしてくれた日本のお友達は和服、スタッフにも浴衣を着せたのに、ミフリ社長は(社長はスタッフと同じものは着ないもんね)とつぶやきながら、なぜかマ航空の乗務員服を着たりしているんだ、これが・・・・。
2008年01月26日
週末のパーティー続きと、連日の疲労がたたったのか、ミフリ社長がついにダウン。3日間、寝込んでしまった。いつもなら市販の風邪薬でも飲んで朝起きたら治っていたりするんだけど、今回はあまりにも長いカフェのオープニングパーティーまでの日々に、疲れとストレスがたまりにたまった結果である。昨夜はあまりにもひどかったもので病院に行って、処方箋を出してもらったが、注射でもしてくれたほうがすっきり治ったかも・・・・なんて思っていられるぐらいだから、まあ、なんとか生きている。寝ていたいところだけど、オープンニングパーティーの準備もあるし、招待状も配って歩かなきゃならないし、じっとしていられないのだよ。・・・・・というわけで、12月1日のカフェ・プレ・オープンから約2か月。今週の26日土曜日14:00に、やっとミフリ・カフェの公式オープニングパーティー。招待状はミフリ社長が3日間動けなかったので、この分だと全部配りきれそうもないので、ここで告知。みなさん、お待ちしております。(日本からはちょっと無理か・・・・・)
2008年01月23日
AKDiMの招待で、ギョイニュックのクイーンエリザベス・ホテルへ行ってきた。AKDiMとはアンタルヤ文化交流センターの略称で、アンタルヤ在住の外国人を対象に様々な催しを行っている団体である。私は会員でもなんでもないのだが、協賛している地元企業の社長さんのお誘いで行くことになっただけ。でも行ってみたらそれなりに楽しめた。今日はアシュレ・ギュヌに、アンタルヤ在住の外国人と家族を招待し、お祝いする会で、1000人収容の宴会場が満席。さらにイスラエルとドイツでも同様の催しを行い、中継するというもの。ノアの箱舟伝説の演劇あり、セマーゼン風ダンスあり、地元の小学生による歌とダンスあり、トルコで成長した様々な国の子供たちによる歌あり・・・・と出し物が多すぎて、後半退屈する人たちでちょっとざわついていたけど・・・・。2時間半の出し物とトークなどのあと、やっと食事。テーブルの上に並べられたナイフとフォークは飾り物ではなかった。そしてこれがアシュレ。トルコに住むようになって、アシュレ・ギュヌにご近所さんや友人からアシュレをいただくことが多いが、家庭によっていれるものや出来上がりがそれぞれである。トルコ人に言わせると、やはり食べなれたお母さんのアシュレが一番。アシュレを盛り付けるコックさんたち。ところでアシュレとは胡桃、石榴、ドライ杏、アーモンド、シナモンなど7種の実を合わせた甘い食べ物で、別名ノアの箱舟プディングであるが、ノアの箱舟伝説で様々な人種が船の中で持ち合わせた材料を混ぜて作ったところから、そう呼ばれているらしい(・・と、ノアの箱舟伝説の劇中で解説していた)。なるほど、会場がクイーンエリザベス・ホテルであるのは、このためであったか・・・・。
2008年01月20日
アンタルヤのトップクラスの企業家たちがメンバーのANSiAD主催の、2007年度トップ企業家、芸術家、そして記者を表彰する集まりに行った。場所はシェラトンホテル。表彰される2007年度トップ記者はフセインで、ミフリ社長は名もない中小企業の社長だから、メンバーになるには50万年ぐらい早いので、招待客として参加しただけであるが・・・・。前回は記者クラブの2位受賞で賞金はなかったが、今回は約7万5千円の賞金付き。「月曜日までにこの金は消えてるぜ!」とフセイン。酒も博打も女もやらないフセイン。おごる相手(ガールフレンド)もいないフセイン。いったいどうやって1日で7万5千円を使えるのだ! と突っ込もうと思ったが、おめでたい日なのでやめておいた。会は首相のアンタルヤ訪問と日が重なってしまったため、県知事が出席できず、副県知事、区長、国会議員らが参加したものの、やはりちょっと盛り上がりにかけた。マスコミの数も少なかった。それでも料理は私には十分おいしかったし、アンタルヤじゃ名の知れた会社の経営者たちの話は、異なる視点でのアンタルヤや経済の話題で、勉強になったし、とても新鮮であった。あとは歌とダンス。メンバーが週末の夜を楽しむという趣向である。デザートを食べ終わったミフリ社長は、踊る相手もいないので(いたら踊る気満々である)、フセインを家まで送って帰宅。明日のアシュレ・ギュヌにはアンタルヤ在住の外国人とその家族を招待する催しがあるので、クイーンエリザベス(ホテルの名前)にお出かけである。いやいや・・・外交も大変である。
2008年01月19日
ビーツ、ビーッ。ビーッ、ビーッ。クルマのクラクションの音。夢うつつ、兵役に行く人を見送るクルマの集団か、どこかのサッカーチームのファンの行進か・・・。はたまた何かへの抗議行動か・・・・。夜中にご苦労さん・・・・。半分寝ているわけだから、夢でのできごとだと思っていた。そしたら・・・・・。我が家のチャイムの音。ええーっ。まだ朝の4時だよ。気のせいかと思っていたら、何度も何度もなる。仕方がないからドアを開けたら、警官。「○○番地はここか?」「・・・(寝ぼけながら)ああ、そうです」「お宅のクルマのクラクションが鳴り続けているから見てください」「うちのクルマ?」「07FPのクルマ、あなたのじゃないですか?」「そうですけど・・・」と、クルマのカギを持って下に下りた。クルマを停めてある裏の駐車場に行こうとしたら、警官が「どこへ行くんですか? クルマはビルの前にあるじゃないですか」「そんなわけないですよ。裏の駐車場に停めていますから」警官が示したクルマは、我が家のクルマではなく、階下の会社のクルマ。ナンバーは「07KB」。「これはうちのクルマじゃありませんよ」「そんなはずはない。ちょっとカギを貸してください」と警官は私のカギでそのクルマを開けようとする。もちろん、開くわけはない。やっと、我が家のクルマでないことに気がついて、「すみません、違ったみたいです」とカギを返してくれた。その後、警官たちは、クルマの持ち主を見つけることも(会社のため、誰もいない)鳴り続けるクラクションをどうすることもできず、約30分、クラクションの音が続いた。夜の4時にチャイムで起こされて、しかもドアを開けたら警官が立っていて、階下までおろされて、他人のクルマの罪を擦り付けられて、最後はあやまってもらったけど、人騒がせな事件であった。
2008年01月18日
トルコの木製「絨毯・キリム」垂直織り機が日本(大阪)に1台あります。以前にトルコから日本へ送られたものです。縦130cm、横100cm、奥行き80cm。アンタルヤ地方で使用されていたオリジナル型です。村の織り機大工に特別に小さめに作らせたもので、幅60cmぐらいまでのキリム、絨毯を、トルコの伝統的な織り方で織ることができます。全ての備品が揃った状態で、織り機としては未使用、キリムをかけたりなどのインテリアとして使用していたものです。画像は現物ではなく、ミフリ社長のものですが、これと同型で、ピンクの塗料がないだけと思ってください。金具なども全て揃っています。興味があるかたはミフリのHPからメールをお願いします。持ち主が国外に引越しするため、泣く泣くの処分だそうです。
2008年01月15日
エーゲ海地方イズミルの旧家からの出物。台は金属性。板は大理石の1枚板。ただし大理石は、当時のものではなく、あとの時代に、作り直したものと思われる。そのため大理石はきれい。予想重量は台5kg、大理石8~10kg、トータルで13~15kgぐらい。(持ち上げて計測したのみ)台の脚は猫脚。高さは40cm、大理石の板は60×60cm。台部分は研磨で以前の姿(ピカピカ)にすることが可能。個人的にはこのままの方が雰囲気あっていいとは思うけど・・・・。
2008年01月11日
我が家のカレンダー。曜日と日にちが一致しないなあ・・・と思ってみていたら、それもそのはず昨年のカレンダーのまま。2008年のカレンダーはなぜが日めくりばかりで、月ごとのがないので、はずすのを忘れてしまったのである。(・・・とひそかにカレンダーの催促をしているわけなんだけど・・・・・いったい誰に・・・!?)トルコのカレンダーは日曜日始まりの日本のカレンダーと異なり、月曜日始まりである。そして週末2日がお休み。そして2008年最初の月曜日の昨日、私は人生で初めて、クルマが故障して動かなくなるという経験をしてしまった。正確には、電話会社に新規の電話と、インターネットの申し込みのために行き、その間、1時間ほど裏手の道に停めていたクルマが、戻ってみたら動かなかった・・・のである。ウンともスンとも言わない。理由はバッテリーであることは明確であったが、バッテリーがあがるようなことをしていないはずなので(・・・ちょっとしたかもしれない・・・・)、一瞬わけがわからなくなった。押しがけしてもダメ。まだ2年半目のクルマで、6月に総点検もしたばかりなんだけどなあ・・・・。余計なことをして、他の部分が故障しても困るしなあ・・・と、すぐにあきらめてプジョーのロード・サービスを呼んだ。結果的には修理工場まで行って、新しいバッテリーに交換したんだけど、交換したとたん、ライトもメーターの灯りも明るくなった。日本では新車も中古車も乗ったけど、道の途中で故障したとか、動かなくなってしまったとかのトラブルの経験がほとんどないもんね。(19歳のときに初めて買った中古のパルサーのエンジンが火を噴いたことはあったけど・・・・自力で修理工場まで行けた)まして押しがけなんて知識はあっても実際したことなかったから、一瞬どうしようと思った・・・。トルコ人に言わせたら、古いクルマでは日常茶飯事だし、トラブルには慣れっこの人が多いけど、私しゃ慣れていないし、まして外国(10年以上も居て、言うのもいまさらナンだけど)、これが遠出のときや、通りのど真ん中じゃなくて、裏通りでひっそり停まってくれてよかった・・・と思ったわけである。そして、ロードサービスを待っていた約1時間。やることもないしと、後部座席ですっかり熟睡してしまったことの方がよほど危険だったなあと・・・・。まあ、お気楽なミフリ社長であった。
2008年01月09日
ミフリのキリムの店はこんな感じ。お待ちしております~。
2008年01月04日
大晦日。今日はミフリカフェで年越しパーティー。午前中にスーパーに買出しに出かけた。昼はカフェがお客さんで混雑し、キッチンはパニック状態。夕方から料理の準備が始まった。そうして、できあがった料理はこちら。海苔巻き、照り焼きチキン、春巻き、チーズボレキ、野菜スティック・・・・・。海苔巻きは、「このまっ黒い紙はなんだ!?」と、トルコ人たちが不思議がる。それでも食べてみると、「うまい!」。とりあえず、オーケイ(トルコ麻雀)をしたり、タウラ(バックギャモン)をしたり・・・。私はつまみ食いでお腹がいっぱい。そしてダンス、ダンス、ダンス。あれっ・・・!? ダンスの写真がないぞ~と思ったけど、ないのは当然。写真がないのは、私がずっと踊っていたから、撮る人がいなかったから・・・・・。さすが10代、20代の子達と踊ると、息切れするけど、久しぶりにいい運動になった。そしてカウントダウン。みんなの時計がまちまちなので、いったいいつがそうだったかよくわからなかったけど、「新年明けましておめでとう」とお互いにキスをする。最後はなぜか年越しケーキ。ようこそ2008年!!
2008年01月01日
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