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カラプナールの周辺には、遊牧のために夏のみ集落が作られる。白い土の壁に、丸太と乾燥された植物の茎で作った屋根。カラプナールの人たちは、一般的に人なつこく、お客さんを笑顔で受け入れると言われている。言われているだけではなく、実際そうである。私たちが立ち寄った集落でも、突然の訪問にもかかわらず、家に招いてくれて、チャイを振る舞い、食事を断ると、旅の途中で食べなさいと、飼っている羊の乳で作ったばかりの生クリームと、白チーズを包んでくれた。この家には、老夫婦とお嫁さん、二人の孫がいた。二人の孫はシャイな4歳の姉と、物怖じしない1歳の弟。息子は町に仕事に出ていなかった。家の中にはおばあさんが織ったトゥルがあった。
2008年06月28日
出張から戻ってきた。実際の移動距離もスケジュールもハードだったけど、中味が盛りだくさんで、出発したのが、まるで1か月以上も昔の話のようである。仕事の話はさておき・・・。今回の旅でもたくさんの子供たちの笑顔を見ることができた。彼女の名前はヤームル。遊牧民ムトゥ族の定住した、とある村に暮らす4歳の女の子である。織りの調査でこの村に来て、出会った。両目の色が違うのである。片方はお父さんの目の色、片方はお母さんの目の色をもらった、とても幸運な子供である。
2008年06月26日
古いイーネオヤから、新しいイーネオヤまで。イーネオヤ・・・・ぬい針で結び目を作る技法で、トルコでも限られた地域で発展してきた技術である。スカーフの縁飾りになったり、タオルの両サイドの飾りになったり、テーブルクロスになったりしてきたが、大元をたどればエーゲ海地方の下着風の白い服の袖口、襟の縁を装飾する小さなレースから始まったようである。今回はイーネオヤのみを集める旅。キリムと同じで、もう自分のコレクションとして残したい骨董品は見ることができなくなったけれど、実際に継続されている文化であるため、イーネオヤ自体は各産地まで足をのばせば手に入れることはできる。ホームページをUPしようとしたらサーバーの事情で現在できない。詳細はそちらで・・・ということで、この花たちは全てイーネオヤである。オールドのイーネオヤは新しいもので15~20年前のもの。ヤズマが手押しのものになるとそれらを生産していた時期と合わせて考えても50年はくだらない。もちろんそれ以上の年月を経過したすばらしいテクニックと素材の優れたものもある・・・・ただし著名な個人コレクションか博物館に・・・・。これらはオールドのイーネオヤ。自分たちのために作り、保管され、手放されたもの。地域性が強い。オヤにもそれぞれ名前と意味がある。キリムと一緒で面白い。モチーフに意味を含める場合と、色に意味を含める場合がある。こちらは現在の新しいイーネオヤであるが、見ると見事で楽しい。私がもっと器用だったら、これを使って何か作れるのだけどなあ・・・・とアイデアだけが頭の中をグルグルするのだけど、実際には(不器用で)作れないのが残念である。さて、旅は後半戦。明日からまた1週間留守にします。その間にホームページの「イーネオヤ」のUPができるかもしれないので、そちらもご覧ください。
2008年06月19日
画像を載せられないのが残念です。お待たせいたしました。各地のイーネオヤを色々手に入れてきましたので、一時アンタルヤへ戻った、その時にでもホームページに掲載します。今週末にはご覧いただけると思います。立体オヤの単体、古いイーネオヤのお手ごろなものから、なかなか手に入らない面白いものまで。さて、旅は3分の1がなんとか終了。移動距離もある上、デコボコ道の連続で、毎日が体力的にもハードです。でも古い手工芸品を見ると元気がでます。画像は蚕が繭を作っているところ。元シルク糸の産地で、5年ほど前に1軒残らず廃業し、シルク糸の生産が終わった山里で、養蚕を続けている農家を訪ねました。1年に1回のみの繭作り。この里ではシルク糸生産は過去の話になってしまったようです。
2008年06月18日
暑くなったなあ・・・・。出張でエーゲ海とマルマラ海と黒海を見に出かけてきます。あっ、東地中海もか・・・・・。パソコン持参ですので、連絡は取れますが、かなり山奥に行きますので、ネットがつながらない日もあると思います。ご了承ください。カフェはスタッフがおりますので、毎日開いています。また商品の発送については個々にメールにてご連絡いたします。では行ってきます。
2008年06月13日
ミフリ・スタッフのジェンギズが婚約した。相手は交際10か月の病院勤務のお嬢さん。両家も公認のつきあいだったけど、トルコでありがち、娘さんのお父さんいわく、「指輪もしないで家に出入りされるのはなあ・・・・・」。と、つきあうならちゃんと婚約してから・・・・みたいな圧力をかけられていたわけである。自由恋愛と言っても、まだまだ全部自由なわけではないのである。で、とある週末、ジェンギズの両親、兄弟とその連れ合いら、一家揃って娘さんをもらいにいくことになった。トルコの習慣として、通常は男性側の親が出向いて神の名のもとにお宅のお嬢さんをうちの息子にいただきたい、とお願いするわけである。昔なら女性側の男親が「少し考えさせてくれ」などともったいぶったわけであるが、恋愛のすえの形式的なものなので「さしあげました」と応え、指輪をはめるわけである。結婚までの段階としてまずは「ソズル・ユズウ」。結婚の約束の指輪。そして婚約指輪。最後に結婚指輪となる。地域によっていろいろだが、一般的には婚約式と披露宴は女性側が費用を持ち、結婚式と披露宴は男性側が費用を持ったりする。もちろん最初に両家で話し合いをして分担を決めるのであるが、トルコでは結婚式までは親が負担して当然という風習があり、親は子供を結婚させるまでは経済的にも肩の荷がおりないのである。さて、話を元に戻して。お嬢さんをいただきたい、というやつを「クズ・イステメ」と言う。男性側はチョコレートを持参し、女性側はYESならば砂糖たっぷりのトルココーヒーを、NOなら塩入りのトルココーヒーを男性にすすめる。地域や家庭によっては、この逆でYESの場合に、塩がたっぷり入ったトルココーヒーをすすめることがある。男性は好きな女性が作ったものならなんでも口にするべき・・・という風習からくるものらしく、ジェンギズの場合も塩がたくさんはいったトルココーヒーを飲まされ、クズ・イステメの最中にお腹が下ってトイレを往復したらしい。女房のお尻に敷かれるのが確実になったわけであるが、若い二人にとって(二人の両親にとって)本当に大変なのはこれからであろう。
2008年06月08日
アンタルヤは暑さ驀進中。気温的には30度前後でそれほど高くないのだけど、夕方になっても湿気のある空気で涼しい~、って感じがしない。エアコンから離れられないので、ミフリ社長は家かクルマの中にいるわけである。(そういえば店もエアコン効いていたなあ・・・・)というのは冗談で、なんだか用事で右へ行ったり、左へ行ったりしているうちに、ご飯を食べる機会を逃す。そして夜中とか、変な時間に食事をすることになる。スーパーや市に行く時間もないので、家には食材がないので外食する。(単なる手抜きであることも否定しないけど・・・・・)ところでミフリ社長は、実はあんまりトルコ料理が好きではない。チョップ・シシは食べるけど、味と規定にはうるさい。甘いものはクネフェぐらい。ただしやはり味と規定にうるさい。だからお客人があるとき以外は外食はしないのだけど、このところ上記理由で外食続き。アンタルヤのデデマンホテルの近くにあるレストラン「ハジュ・ベイ」。まずカナット。鶏の手羽の炭火焼。手前は麦のピラフと焼いたトマト。切ったトマトの上にひき肉のケバブ。これは日本風にいうと漬物。とうがらしのピクルス。辛いのでミフリ社長は手を出さないけど・・・。そして肉料理にはアイランである。甘くないヨーグルトドリンク。こちらはレストラン「コンヤルラル」のショッピングセンター内の支店。ピラフの上にドネルケバブ。一緒に出されるパンとチーズとバター。ああ、でも段々暑くなってきて、これらの料理ともしばらくお別れ。アンタルヤの夏のメニューはやっぱりスイカとメロンと白チーズである。
2008年06月04日
アンタルヤは地中海沿いの人口約70万人の都市である。夏になると国内・国外から別荘族や観光客が訪れ、人口はさらに増えているのだと思う。それはさておき、アンタルヤから北、つまりイスタンブルへ向かう道は高台に続き、その高台に上る途中に初代大統領アタチュルクの顔の彫像と滝が見える。この彫像の上はどうなっているのだろうと思っていたら、偶然立ち寄った公園がその場所であった。アンタルヤを一望でき、しかも水しぶきで、涼しいのである。暑い日だったけど、水と冷えた空気でいい気分。景色もきれいだし・・・・・。画面の先には見づらいけど地中海。こうして見ると、この10年で急激にビルが建ち、道路ができ、都市化が進み、町が広がったとはいえ、まだまだ緑豊かな土地ではないか・・・・。この美しい町を、機会があったら(機会を作って)一度訪れてみてください。
2008年06月02日
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