1
1章 Manifest Destiny <自明の運命説>VOL.6 からの続き→→→→またはIndexに戻るスメドリー・バトラー将軍は、これらの海軍遠征でもっとも賞賛されたリーダーの一人であった。彼が定年退職してから、その頃のことを回顧し彼はこういった。「俺は33年と4ヶ月、軍隊として現役で過ごしてきた。この期間、むきむきの筋肉の男として俺が費やしてきたことはほとんどが、ウォールストリートか銀行員のどでかい金のなる木の為さ。ぶっちゃけ、俺は資本主義に遣えた詐欺師、ギャングだな。」「だから、俺は1914年アメリカがメキシコ、特にタンピコの石油に興味を持った時、それらをちょいとアメリカのために取っておいた。アメリカ国立銀行の坊ちゃん達が歳入を集められるよう、ハイチとキューバをそれなりの場所にしてやったさ。そしてウォールストリートが稼げる為に中央アメリカの共和国の半分は無理やり奪ってやったぜ。」「1902年から1912年にブラウン兄弟の国際銀行の為にニクアグラをきれいにしてやったし、ドミニカ共和国には砂糖があってアメリカの為に道標を付けたし、ホンジュラスには1903年アメリカの果物会社が出入りできるようにした。1927年には中国で、スタンダードオイル会社がビジネス出来るよう妨害されないようにした。」(ここに生首を持ったおじさんと、それを見ている子供の写真。「アメリカ海軍の将校が、1930年のニクアグラのオーガスト・サンディノ反乱軍のリーダー、シルバノ・ヘレラの首を持って立つ」との注釈)第一次世界大戦はヨーロッパの植民地化政策の権力でどう世界を分割するか、という狭間での恐ろしい戦いであった。ウッドロー・ウィルソン大統領がこの乱闘に仲間入りすることを決めた時、彼はアメリカ国民に「世界を民主主義の下に安全にする為」ヨーロッパに軍隊を送るのだ、と説明した。(ここにシカゴデイリートリビューン新聞の絵「アメリカが戦争に突入と、ウィルソン大統領:『我々は正義と権利の為に戦わなくてはならない』」)「でもその後ウィルソンは実のところ、アメリカが戦利品をどう公平に分けてもらうかを考えていた。」と、ママ。ウィルソン下のイギリス大使はこう言っている。むしろ率直にアメリカはドイツに宣戦布告をすべきだ、なぜなら・・・-----それは我々の現在最も見込みのある取引状態を保つ唯一の方法だからですよ。イギリス大使 W.H.ページ、1917年。この為に13万274人のアメリカの兵士が死の戦場に出された。続く→→
September 1, 2003
閲覧総数 2
2
アパートを引き払う日が刻々と近づいてきたので数日新しい家とアパートを行き来して残りの物を片付けていた。粗方所有物は持ち去ったはずなのだが、いまいち綺麗になりきらなくて細かいものが残っている。古い大きな家具は捨てるか売ろうと思っていたので置いていた。台所で買いだめした食品やボトルをストックしておく為に使っていた棚。電子レンジを置いていたワゴン。テレビ台や本棚。そういう何か「物を置く場所」なんていうのが残っているとついつい細かいものを置き去りにしてしまっていて片付かない。使うかもしれないと思っていた工具とか、雑巾とか、捨てようと思って捨て忘れたものとか、片付けても後から後から出てくるものだ。先週末はそれでも意を決して「Yard Sale」なるものを開くことに決めていた。アメリカではよく見かける光景だが、自分のもう使わないものや入らないものを家の前に並べて通りがかる人に売る、という簡単な商売。自分でも実際人のYard Saleで買ったりなどしたことないので本当に人が買うのかどうかはかなり疑問だったが、どうせ捨てるなら誰かお金払って買ってくれないだろうか、なんて幻想を抱いていた。家具だけなら買う人も少ないだろうが、今回ノリノリと私は二人が独身時代から持っていて重複した電化製品なども捨てることに決めたので売る価値はあるかもしれない、と思ったのだ。新しい家には天井に電気もついているし(アメリカでは古い家だと電気スタンドが主な明かりになる)、電子レンジも真新しいのがついているし、掃除機は日本から軽くて良いものを持ってきたし、テレビはそのうち買い換えるし、と一回売ろうと決めたら何でも売りたくなってにやにやしたくなるくらい商品が取り揃えられる。ノリノリは全く信用しなかったが私はやるき満々だったので取り合えず商品リストと目玉が飛び出るような値段を書いた広告を作って前の夜からアパートの前に張っておいた。翌日まだ寝ているノリノリとゆーゆーを置いて早速アパートへ行って建物の前の歩道に品出しをした。棚やコーヒーテーブル、ワゴン、6年前に購入した電子レンジなどなど取り合えず並べて値段をつける。ノリノリが貯めまくったビデオコレクションは3本で1ドル。一番高いのは5年前に中古で買ったテレビで20ドル。と、全部の商品を出すまもなく「ね、ね、テレビ売るって広告に書いてあるけどどれ?」とお向かいの家族に聞かれた。家の中に連れて行って現物を見せると彼らは大喜び。ついでにテレビ台も10ドルだけどどう?と聞くと買う、買う!と言ってくれた。内心「うわー、こんな大きなテレビ台買ってくれるなんて助かるなぁ~」とか思いながらちゃっかり売り上げを手にした。ノリノリに「う、うれた~!!!」と早速報告の電話をする。本人は寝ぼけていて信じていなかった。そのうちあまり待たないうちに別の近所のおじさんが電子レンジを5ドルで大喜びして買って行った。(あんな古くて良いのか…?)そして家の前を通りかかったトラックが止まって、おじさんがあれやこれやと買い占める。一気に半分くらい目玉商品が無くなってしまった。ビデオも売れ行きが好調で一気に15本ぐらい消えていく。(そんなに見るのか…?)慌てて家の中に戻って商品を探して何気にディスプレイする。ノリノリが8年ぐらい前に買った小型のテレビ。同じく8年前のモノサウンドのビデオ。一人用のコーヒーメーカー兼カップ。車で通りがかった人がちらほら止めてやってくる。買う。一人売り上げは2ドルとか5ドルとかそんなもんだったりするが捨てることになっていた荷物が無くなっていく。ノリノリがゆーゆーをつれて来た2時間後頃には目玉商品はすっかり無くなって殆ど物が片付いた。私はうきうきで「いや~!!!売れるもんだね!!!う、う、うれし~!!!ごみでお金作ったわっ!!!」とはしゃぎまくった。ノリノリは「みんみんの行動力には圧倒するよ…」と顔を引きつらせ「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、そうでしょう、すごいでしょう、ほほほほほ」と私はますます態度を強くする。その日の売り上げは108ドル。売ったものの量のわりには額は少ないが、まあごみでこれだけ稼げれば良しでしょ。な~ににつかお~~かなぁ~~~!次の日は朝からまた片付けに行った。折角なので売れ残ったノリノリのビデオ(一体何十本持っていたんだ…)や家具をまた外に出して置いておいた。この日で最後だからビデオは5本で1ドル。30本ぐらい外に出しておいたら上に住んでいたお姉さんが5本、通りがかったおばさんが23本のビデオを手にして買って行った。売り上げは5ドルだったけれどもほんと、売る物がすっからかんに無くなったっていうこの事態に一人で関心しまくっていた。Yard Saleは侮れない。いや、これはまたやりたいなぁ!!!アメリカ文化のお気に入りが意外にも増えた。
November 1, 2005
閲覧総数 19