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やっぱりこれもミクシーにはかけない日記。私が結婚するに当たり家族に少しの隠し事があり、それが知られることが怖いのだ。チノがまた職場が変わることになった。といっても1年働いたこの会社は教会の友人が立ち上げた会社で、そこでやっぱり「友達と起業してはいけないな」というのが見えてきたため。チノの友人二人が立ち上げた会社にチノがインテリアをしているときに引っこ抜かれて働くことになっただけど、1年間働く中でいろいろと問題があった。社員が足りないからといって入社後6ヶ月くらいたったところで、また教会の仲間(年下)を引っこ抜いてきたのだが、その人はもちろん私も知っている男の子で大企業をやめて移職準備をしていた。それでもいままでの業種とまったく違うわけでチノの部下となったわけである。しかし、のちのち知ったことには彼との給料差が100万Wもあった(もちろん彼がたくさんもらっているわけ)・・・。あまりの額差に唖然としてしまい、そのうえ1年経って再契約のときに給料が上げてもらえないことを知りちょっと失望してしまった模様。もともとこの仕事はチノがしたくて入ったのではなかったし、あまりにおいしい話を聞かされてそそのかされた?といったほうが正解なので、チノは仕事に対する情も友人に対する情もうすれて、もともと好きだったインテリアの仕事に戻ることになったのだ。で、月末金曜日に仕事納めとなり、月曜日はお休みとなった。その休みを利用して大田にいるアジュボニムに会いに行くことにしたのだった。アジュボニムは高校2年生のころから精神をわずらい、ソウルの病院で入退院をくりかえした後に大田の施設に入った。大田の施設に入って5年が経つのだが、その前は本当に波乱万丈だったという。行くたびに胸が痛み涙がでそうになる。簡単に言うとそこは監獄だ。すべてが閉鎖病棟となっており、ペン1本でも差し入れするときは記録しなくてはならない。ライターなどを持ち歩くことも禁じられ、服装はぼろぼろのジャージだ。3回の食事はあるけれど、昔家で暮らしていたときよりも30キロも体重が減ったといっていた。週に1度の間食時間があり、その日だけコーヒーやタバコを5本くれるそうだ。アジュボニムは薬を飲まなければ普通の人が見えないものが見え、聞こえない声が聞こえる。そして、薬を飲むとものすごくつらい副作用があるという。前に面会に行ったときは薬をきちんと飲んでいなかったために状態がとても不安定だった。今回はとてもきちんと対応して健康そうに見えてよかった。アジュボニムは大統領になるとか、司法試験をうけるんだとか、大学受験についての夢を捨てていない。テレビに自分が出てくるのが見えてつらいことなどを話した。月に一度だけシオモ二が面会に行く。シアボジは未だかつて一度も面会に行ったことはない。私たちは忙しさを理由にいけなかったけれど、こういう時間をみつけて行っている。ソウルに実家があって家族も友達もいない完全閉鎖施設で一人で暮らしている。周囲にいる人はみんな精神病患者だ。先天性の人もいるし、後天性の人もいる。どれだけ面会の日を待ちわびているか、悲しくなった。以前差し入れてあげたカセットウォークマンを同じ施設の人とたばこと交換したといってシオモ二が憤慨していた。でも今回行って、その気持ちも理解できた。タバコをすうと頭のもやもやや副作用が緩和される。だからアジュボニムは私たちがいる間中ずっとタバコをすっていた。数時間の間に一箱すってしまったくらい。面会のときだけは自由に好きなだけタバコが吸えるのだそうだ。どれだけ副作用がつらければ、ウォークマンをタバコ1本と交換するだろうか、また悲しくなった。あまりのタバコの煙で頭痛がするくらいだったけれど、タバコを控えてください、健康に悪いからとはいえなかった。それじゃ家で面倒をみれば?と軽々しく言う人がいるかもしれない。私も本人に会うまではそう思わなくも無かった。でもそれは不可能に近い。シアボジはまだ現実を受け入れられていない。そしてシオモ二も病気についての理解が足りない。自分が目に見えるものがすべてで、正常でなければ異常、異常ならば正常にもどさなくてはならないという、なんと言ったらいいのか、シプモの元ではアジュボニムは暮らせないのだ。幸せな家庭、病気をまっすぐに受け入れていっしょに管理していこうという気持ちから程遠い家族なのだ。古典的ヤンバン家族といっていいのか、とくにシアボジはこういう結果になったことを未だに他人のせいにしている。シアボジはとても尊敬できる人で大好きだけれど、アジュボ二ムに関することについては落胆せざるを得ない。心を痛めているのはわかるけれど、そうしていたって何も現状は変わらないのに。総合失調症というのは完治は不可能で本当に脳のなかで信号が送られてしまうから本人の目や耳には見え聞こえ、その恐怖や不安もまた現実なのだそうだ。時がたてばシプモニムの役割は必ず私たちに来る。チノと私にできることはとにかく頻繁に顔を見に行くことだね、ってことで落ち着いた。
2008年03月31日
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気がつけば去年の八月から日記を書いていなかった。ミクシーばかり更新してはいたんだけど、ミクシーも身内から同級生から増えてしまってこの人にはここまで公開できてもあの人には公開できない!みたいな部分もありこっちに書く日記の方がなにげに楽だったりもする。私は2月28日に高校での職場生活がおわり、いまはぺクスやっています。いまはまったく違う業種の会社のほうめんを探しているんだけれど、やっぱりいろいろありまして。今年は子作り年にしよう!と目標を決めていたんだけど先月流産を経験しました。といっても超音波検査で、何週経っても子供の姿がみえず仕舞いだったので、流産という言葉で片付けてしまってもいいのかなという気もして。思い出してももう涙も出ないから、日記更新もそろそろできるんだなって感じて日記を書くことに。私は女性器官は本当に規則的なので、数えてみると6週から8週たっているはずなのに子供が見えずに本当に不安だったのでした。病院にいって今日は見えるかなと期待を膨らませていったその日に手術をすることになりました。ネットでもすごく有名なおおきな病院だったんだけど、結構へこんだ。心の準備ができないまま手術をして、病室でもないへんな簡易ベッドに寝かされ、これ以上にないくらいの苦痛のなか横のベッドでは分娩にはいる女性とその家族の幸せそうな会話が聞こえてきました。これってドラマの世界だけだとおもっていたのにまさか自分の身にふりかかるとは・・。看護婦さんも私が痛い吐きそうだ寒い、どうにかしてくれていっているのに「それはもう、どうしようもないことですから」と冷たくシャッとカーテンを閉めていってしまうのだった。入院とかもせずにやっとの思いで立ち上がれるようになってその場にいるのがあまりにつらいので、分娩室を出てオイオイなきました。その日偶然といっていいくらいにチノが休みがとれていっしょにいてくれたのでよかったものの、これでもし一人だったらあまりの痛さと苦しさでうちに帰れたかしらと思うくらい。分娩室の外でチノとしばらく痛みが引くのをまっていると中から赤ちゃんの産声が・・なんというか私自身の問題ではなくなんとなくこの病院に傷つけられたような気がしてならないのは気のせい?私の性格からか、シデク、実家、周囲には漏らせずじまい(妊娠したこともいってなかったからね)学校の親しい先生二人だけに話したけれど、慰めの言葉を言っているつもりでも反対に傷つく言葉を言われることの方が多くてしばらく本当につらい日々でした。やっぱり同じ経験をしないといくらかっこいい言葉を言っても、きれいごとにしかならないし、学校も首になり、子供もろくに作れない、ほんとダメダメ女だわ私・・・と奈落の底に飛び込みたい!などとも考えたけど、あったかくなって、すこしずつ気分も晴れて、いろんなところからも少しずつ声をかけてもらえるようになり、かなり回復した。このことはミクシーにはかけなくてでもどこかに書き留めておきたくて久々にここに書くことにした。取り止めがないけれど、まぁ次があると思ってポジティブにいきますわ。
2008年03月18日
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