2ndキャンピングカー 「ラミータ」 パピ号の事件簿
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追悼東日本大震災で亡くなられた方へ追悼の意を表します。また、被災者の皆様が一刻も早く生活の再建ができますよう祈る次第です。<3月11日 震災当日>当方は当日、会社休日だけど自由に休める日を決めれる休日だったため、最初に盛岡市本宮にある「ホーマックスーパーデポ」に行き、買い物とオルビスの快適化パーツを購入しました。2階の立体駐車場より降りるとき、当方が何を察したのか、「ここで震度7の地震にあったらいやだな~」と言っていたようです(ママ談)。つい数日前の3/9に仙台出張時、金成PAで昼食中に3/11の前震に遭遇していたためか(このときも震度6あった)、なにか危ない気配を感じていたようです。この後、盛岡市大館町にある手作りランチバイキング「calm」へ昼食を食べに行き、その帰りに国道46号線の「仁沢瀬」という地名の場所で地震にあいました。車がずいぶん揺れると思いながら回りを見ると、次々と車が止まっていきます。よく見るとNシステムのトラスがとんでもない振幅で揺れてました。いつも揺れるキャンピングカーで慣れっこのせいか、そのまま走りきり、すぐ近くの自分の会社へ向かいました。会社からは全員が外に非難しており、特に倒壊や破損が無かったため、そのまま息子のいる小学校へ向かいました。途中、晩御飯のおかず買っておかなきゃと、雫石町東町にある「マコト精肉店」へ寄りハンバーグを購入しつつ、店の方とすごい地震でしたね~と会話しておりましたが、この時点では揺れ方が海溝型地震であることを除いて、後々、こんなにひどいことになるとは想像しておりませんでした。息子の学校に着くと、全員が内履きのまま寒い校庭に避難しており、全児童無事とのことでした。父兄で一番最初に駆けつけたのが、当方だったようで、先生方と子供たちとしばらく校庭で待機しておりました。妻には両親とピー助(セキセイインコ)が心配だったので先に家に帰らせ、家の状況を見て戻ってくるように仕向けました。しばらく鉄砲のなるような地鳴りを伴い余震が襲ってきます。先生方もすっかりおびえきって、それが子供たちに伝播しており、ちょっとまずい雰囲気です。そのなかで、うちの息子がみんなを励まして「大丈夫!大丈夫!」とニコニコしながら声をかけており、日ごろ厳しいところにつれて歩いた効果が出ているようでした。間もなく保護者が来た児童から帰宅することになり、我が家は最初に息子を連れて歩いて下校となりました。途中で戻ってきた妻に拾ってもらい、すぐに家に戻れました。とても寒い日で冷え切った体で家に戻ると家の暖房が切れておりましたが、ありがたいことに高気密高断熱の家(17年前建てた時は珍しかった)のため、十分に暖かく、停電の間14℃以下になることがありませんでした。妻の実家と連絡が取れないため、オルビスで盛岡市の実家へ行き、全員の安否を確認した後、もう一度会社に寄り、全員帰宅したことを確認してから家に戻りました。この日の夜はオルビスで発電した電気で夕食を作って食べ、オルビスの中でピー助と一緒に夜を明かしました。TVを見れたため、悲惨な津波を映像が次々と流れてきます。それを見ていて猛烈に不安になったのは原発のことでした。案の定、この後大変なことになっていきます。オルビスは我が家で原発の「免震重要棟」の役目を立派に果たしてくれ、余震におびえることなく、この日はオルビスでぐっすり眠ることができました。<3月12日・3月13日>停電復旧までは食事の時間の度に、オルビスの発電機を使って調理&TVの情報取りをしましたが、「オートキャンプ」をしていたため、災害時の準備がしっかりできており、夜間照明も全てLED光源になっていたため、電池の心配もまったく不要でした。また、食料もある程度は買出しでき、かつ、水道がまったく止まらなかったので、非常にたすかりました。ガソリンの不安がありましたが、3/13の夕方には電気も復旧し、とりあえずは通常の生活に戻れました。<3月14日~18日>会社に出社すると、当方は調達担当のため、さっそく材料メーカーに「自分の携帯電話」で確認しまくりです。後で会社が清算してくれるというのですが、かなりガクぶるものです。幸いなことに、ほとんどのメーカーと連絡が取れ、被災して大きな被害となったのは、石巻と鹿島にあるメーカーさんだけでした。そして会社として灯油が切れ、確保ができないため、3/21~3/29の休業となってしまいました。しかし、管理部スタッフの当方は休みなしとのこと。ガソリンも確保したかったのですが、それも出来なくなっちゃいました。しかし、3/22と3/23は3/11と同じ休日で休みとなったため、実際には、3/24、3/25のみの出社となりました。<3月28~4月7日>この期間は、震災で出来なかったもろもろのことや、仕入先への継続状況確認で、毎日が緊張&多忙でかなりへろへろに疲れました。年度末のため、仕入先に預かってもらっている棚卸しのサポート等もあり、棚卸し立会いに行けない分、かなり神経をつかいました。食料等の物資は、幸いにも我が家は母親が個人商店に勤めており、そこから優先的に購入させてもらえたため、不足となった物資はあまりありませんでした。また、必要なガソリンも3/23に当方と妻の車に十分入れることができ、自転車通勤等もしなくて済みました。最後に燃料が無くなったら「オルビスで通勤すればいいや」という安心感があったので、かなり精神的に助けられました。<4月8日>再度、大きな余震が4/7の夜中にあり、全て停電しました。翌日の15:00には復旧しましたが、会社は電力が来ないため休業となりました。きを取り直してオルビスのカスタマイズを行っておりました。<4月9日~10日>自粛も終わりにし、ようやく近場のキャラバンへ復帰しました。詳細は別途報告します~。<今思うこと>1.災害は忘れたころにやってくるし、今回もそうだった。2.キャンピングカーは災害で「かなり有効」だった。3.日ごろの備えが重要。今回は様々な備えが十分で、余裕で乗り越えれた。4.ガソリンはメーター半分以下にしない5.オルビスの発電機は震災時に必需品だ。6.いつまでも自粛していてはダメだ。経済を活性化しないと被災地を支援できない。どんどはれ
2011年04月10日
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