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もっくんが、私大を歴戦、昨日無事帰還しました。夫がちょうど出張だった後で、土曜日合流して、大学に送っていきました。で、父兄控え室なる部屋に行ってみたら、なにやら、しきりに携帯であちこちと話している母親が…聞くともなしに聞こえてくる内容はどうやら、娘の受験を励ます電話に答えている模様…「ええ、はい、ありがとうございます。 さきほど、○○大使からも、ご連絡いただきまして…」などと話している。「大使… やな感じ~~~~~」 「パパも、いやあ、総監、いつもすみませんね、とか 話してるふりしてやればよかったじゃん」(←by私) 「それより、ハーイ、ミスターブッシュ、とかさ」(by息子) 「プーチンもキムジョンイルも出せばいいよ」(by私)とにかく、こんなとこにいないで、帰ろ、と構内をぶらついていると出会う父兄がみんな頭を下げてていねいに礼をしていく。 …はて?…そこで、気付いた夫。どうやら、オレは、この大学の教授と間違えられているらしい。。。尊大な態度で軽く会釈してやった・・・やっぱ、オレって、知的だから・・・だそうです。。。
2005.02.20
母には親に反対されて結婚できなかった元カレがいて、その人の若い時の小さな写真をずっと大切に隠し持っていた。中学生の頃、納戸のたんすの上の来客用の菓子鉢の箱の中に紙に大切に包まれてある、それを見せられた。「ねぇ~ いいオトコでしょ~」母は面食いなのだ。「この人と結婚してればねぇ…」母はうっとりと、遠くを見る目で言った。 (↑この場合、私はどうなるんだ…?…)とにかく、好きで好きでたまらなかったオトコであり、わかれてしまった分、それはかぎりなく美しい思い出として永遠に焼き付けられていたのだろう。。。。。時はたち、母は昨年70才になった。元カレは、その後、地域政治に進出し、とある町の町長を何期か勤め、ときおり、新聞に小さな顔写真がでているのを見ることがあった。先日、その町でちょっとした記事になることがあり、町長の写真が大きく、全身サイズで、新聞にのった。その横には、妻らしき女性の姿もあった。元カレは、みるかげもなく、てっぷりと貫禄をつけ、文学的な涼やかだった瞳は、俗っぽく世間を写しているようだった。…亡くなった父の晩年のほうが、ずっとかっこよかった…母は、「これは、『氷点』だわ!!」と大笑いした。『氷点』の、事件の起こりとなる素敵な浮気相手の青年医師が、後に再会したときには、げんなりするようなぶちゃいくデブ、になっていた…ということを言っているのだ。ところが、その後の母が、イカシテた。「でも、この奥さん、あんまりにもひどすぎない~?」「着ているものも、ヘヤースタイルも、 とにかく、どんくさい、あかぬけしない、 新聞に出るときくらい、キレイにしてくればいいのに」そして母は付け加えた。「こんな奥さんがついていたから、こんなオトコになっちゃったのね」思い出はいつまでも美しい。たとえ、その実態がはげしくうつろってしまっても、その原因は、その人にあるのではない。私がついていれば…私さえついていれば…オンナってそんなもんかもね。。。。。。あなたの思い出の元カレは、今はどうなっているでしょう?(^o^;
2005.02.12
友達がブログに「悲しいとき人は笑う」ということを書いていたのを読んで、思い出したことがあったので。小学校時代、なぜか私の年は生徒数が少なくて、2クラスにするには少ない、でも1クラスでは多すぎる、という生徒数で、最大で58人がひとクラスに押し込められて幼稚園からずっと同じメンバーですごした。当然、ものすごいストレスの塊のような学年でいつも誰かをいじめてないと気がすまないみたいな…低学年の頃はグループ内の2,3日の仲間はずれ、4年生ごろからクラス全体を巻き込むいじめに発展していった。私も5年生のときに標的を経験した。6年になって、意欲に満ちた若い男の先生が担任になり、この問題を解決しようと努めてくれて、自分で言える子、親が言ってくれる子に対するいじめは消滅した。でもストレスが消えたわけではなく、新しいほこさきは、自分で先生に言えない、親も学校に言ってくれない子に向けられた。母親が早くに亡くなり、日雇いでアル中の父親と弟で暮らしているKちゃん、精神発達に少し障害のあるYちゃん、このふたりがいじめの新対象になった。Kちゃんはまだ「なんでそんなことするのー!」と言える強さがあったけど、Yちゃんにはそれも言えなくて、ただ、黙っていじめられていた。L字型の校舎の旧い閉鎖された昇降口に使わない机などの備品が詰まれている場所があって、放課後、クラス全員でYちゃんを追い立ててそこに追いつめる、ということをたびたびやった。参加しないと、次の標的にされそうで、みんななんとなく主犯格のリーダーの後をついていった。ある日、Yちゃんを追いつめた先頭にいた数人が「なんだ、こいつ、笑ってる…気持ちわる…」「なんで笑ってるんだよ。なんで泣かないんだ…」と言って後ろに引いた。私はYちゃんを見たわけではない。ただ、この言葉をずっと覚えていた。大人になっても。Yちゃんは泣くだけの気力もなくしていたんだ。どうしてあんな弱い子をみんなでいじめたりしたのか、なぜ誰も「やめよう」といえなかったのか、いや、どうして、私は「やめようよ」といわなかったのか。自分でずっと卑怯者だったと思ってきた。いま、ここに懺悔します。―後日談―二十歳くらいになってある日突然、Kちゃんが私の家を訪ねてくれた。「近くに来たから、なつかしくなって。 Mちゃん(私)はいつもやさしくしてくれたから」私が優しかったのは母にいつも「Kちゃんはおかあさんがいなくてかわいそうな子だから 優しくしてあげなさい。 ないものがあったらかしてあげなさい」といわれていたから。私が心から優しかったわけではない。「またくるね」そう言っていたKちゃんとはその後会っていない。このことも懺悔すべきだと思った。人には懺悔しなくては、と思うことがひとつやふたつはあるのかもしれないな。今日は、長くて、暗い、日記になりました。ごめん!
2005.02.09
もっくんの私大受験、今日からスタートです。といっても、今日受けるのは、関西の大学の、地方試験で、名古屋で受けられるので、まあ、スタートとしてはグッドな環境でしょう。センターの時、母がもたせた、先祖代々○○家でお祭りしてきた若宮八幡宮のお守り、父が九州出張の折、わざわざ出向いていただいてきた大宰府のお守り、おばあちゃんの、仏壇のおじいちゃんへのお願い、 全部だめだったじゃん、ということで・・・ (おばあちゃんの話では、 おじいちゃんは理系だったから、 文系はわからなかったんだろう…(>_
2005.02.04
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