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キミが私の存在を、選ぼうとして選びきれない想いを、私は感じることができる。キミが時々堅く瞼を閉じて、私を抱きしめながら「あー」と云うとき、私はキミのなかで動かし難いところにいることを知る。そして幸せで、少しだけ苦しくなる。私はもう、キミだけがいればいい。キミだけを想っていられたらいい。そしてキミも私を想ってくれたらいい。キミが、私のことを見ていてくれたこと、キミが私を好きになってくれていること、それだけで嬉しかった時間を、私はとうに通り越してしまった。私たちは、気持ちが優しいのに、欲張りで、それでもお互いに大事に想っているのに、こうしてつながっていると大切に想ってる気持ちと反対の行為をしているようで苦しくなる。気持ちいいということが、罪に近い感覚になる。どうして、好きな想いだけではいけないんだろう。キミは、いつも別れ際、難しい表情をする。私の笑顔に、困った顔をする。笑ってくれたらいいのに。でも、それがキミの本音なんだろう。それが、嬉しい。そして苦しい。自分たちの関係が、近いことをキミのその表情が語っている。私はもう、キミだけがいればいい。キミだけを想っていられたらいい。そしてキミも私を想ってくれたらいい。
2005/07/31
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辰巳芳子さんの本のタイトル、「いのちをいつくしむ 新家庭料理」より拝借しましたタイトル。もともと料理は好きで、よく作るのですが、最近の忙しさにかまけて時間や内容を怠っていたら、マンマと発熱しちゃいました(水曜、木曜とね)。発汗作業(布団のなかで汗を出す~)先日買ってあった今月号の「クロワッサン」では、櫻井美子さんと辰巳芳子さんの対談があり、久々にきちんと食生活について考える機会を得ました。朦朧としてはいたのですが・・・。引っ張り出してきた上記料理本。季節の食材とそれぞれの料理方法について、写真とともに丁寧に書かれた、まるでエッセーのような料理本。「あなたのために -いのちを支えるスープ」も母が持っていたので知っていますが、ここで書くまでもなく、「母乳に一番近い食べ物」としてスープを食生活の基本におくことを前提に書かれています。全ての栄養がとれるスープ。赤ちゃんからお年寄りまで、みんながとれる。辰巳さんが書いてらっしゃる言葉を引用します。「海、山、畑の旬の恵みを渾然一体化し、もっとも吸収しやすい状態に仕上げた食物。それが「スープを含む汁もの」です。一言で言うなら、「おつゆ」。この言葉の表現には「天の露」のイメージがありありと見える。露を受け含んで、生き返る地上のものたちと、人々が汁をいただき、息づいた瞬間を重ね、思わずつゆ、敬語にして「おつゆ」。日本人ならではの魂の発露ではないか。作り食す、根源的深義がすべて包含されている。汁ものの待つ家庭の食卓は、愛のとりで、です。」優しく、そして丁寧生きることを大切いしたいと思う毎日で、なかなかそうはいかない現実も・・・。癌さえも治る・・・(全員には云えないかもしれませんが)、それほどのものを日々、少しずつ体内にとりこむことは、それがいつしか表面に現れて、生きる私たちそのものになっていくのでしょうね。
2005/07/30
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今日は、ちょとだけ振り返ることで、今を伝えたい。あの頃の私たちと、今の私たちへ。セリーヌ・ディオン。彼女の曲は、タイタニックというより、「美女と野獣」のテーマ曲。それが本音。高校生のとき、英語劇で「美女と野獣」を上演し、私は美女の父親役。かえでさんが美女、色々な友達が主要キャストを演じ・・・・。あの頃は、まだみんな未来に夢を抱き、両親もみんな元気だった。将来のことや親のこと、人生のことよりも、毎日を楽しく充実して、そして時に喧嘩もしながら過ごしていた。過去を追想して懐かしむのではないけれど、あの頃は確かに、自分たちが主役だった。その甘酸っぱい記憶が蘇る。あれから10年が経ったなんて、とても信じられない。信じるとか信じないとか、そんなことは本当にどうでもよくて、楽しかった。ほかにもいっぱいの世界があるのに、まるでとりつかれたように英語劇に没頭し、そして友達とさらに仲良くなり。ちょっとした難しいことや辛いことも、勉強も、どれもみんな、楽しい思い出のなかにすっかり紛れこんでしまっている。仲間割れも。10年。私たちそれぞれにとって、長くて短い時間が過ぎて、そして少しずつ生きる世界が変わってきて、互いに進む道も生きている場所も異なり、共有する時間も話題も、部分的にしか交わらない状況になっている。顔を合わせることもほとんどない友人のほうが多い。両親が亡くなったり、事故や病気、結婚や出産、たくさんの恋愛、お酒の話や失敗、仕事、育児。先生の病気。出逢いと別れ。私たちはそれぞれに、一生懸命生きている。それだけは変わらない。どこにいても、一生懸命に、自分に正直に生きようと懸命に過ごしている。それが間違っているとか、あっているとか誰にも評価はできない。自分の人生が自分のものだと、みんながわかっているから。黙って、応援しあい、ときどき思い出して勇気づけあえる関係。それが、10年前の生活で得た宝。あのとき、舞台のうえから観た観客席の拍手と喝采と、達成感と高揚は忘れることはないと思う。キラキラ輝いて、何度も何度も笑って泣いて、飛んで、抱きあって。鳥肌が立つほどに、今もキラキラと思い出すことができる。音楽とは、そういう思い出をしっかりと、私たちのなかに記憶させてくれる。匂いも空気も気持ちも、そして仲間たちを。ありがとう。
2005/07/29
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この夏は大きな意味を持つだろうと想う。2005年が私にとって、分岐点であるのと同じく。1年の真ん中の真夏に、私が新しく始まる。今年になって大きな動きがいくつかあった。それも6年前の時間とリンクするように、シンクロするように。3月末に一度、自分で「6年ぶりだなあ」と感じるくらい、食事が喉を通らなくなり、ダメージを受けながらも、それでも自分に正直に行動することがだんだんとできるようになってきた。そして7月になって、「6年前」そのものが私に近づいた。あのとき、私は苦しくて仕事に没頭していた。でも今はそんなことはしない。仕事もするけれど、没頭して「心の外においやる」ことは、しない。迎え、向かい、そして訣別する。今のために。自分のために。愛する人のために。自分のために。
2005/07/28
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今日は、hpgrpでの作曲家、畑中正人さんの音楽と12脚の小椅子たちの 華麗なる共演が、行われました! (ここまで書いてみて、文章が、軽くデジャヴ) ボスも初めてここを訪れまして、 素晴らしいショットが撮れたので、 ホヤホヤをこっそりご披露したいと思います。 うふふふふ。 ▼画像1:エントランスのガラス越しに、 演奏をなさっている畑中さんの背中。 そしてボスの小椅子と、ガラスに映る小椅子。 ▼画像中央:5階でAnteの作品と一緒に並ぶ小椅子たち。 赤と白と灯りに照らされて、ポップな印象。 ボスとマルニのスタッフたちが・・・。 ▼画像右:アンコールに応えて下さった畑中さんの演奏を、 自身の椅子にかけて、ご満悦の表情で聴き入る、 究極のショット! ボス、幸せそうでした。 札幌にいたころ、PARCOにH.P.franceができて すぐにファンになり、頑張った後にご褒美として 自分に与えてきたジュエリー。 あまりジュエリーやアクセサリーを買いませんが、 ここのは別で、いつも魅せられてきました。 そして東京に来てから、職場のある銀座にhpgrpがオープン! もう、単なる客として(見るだけでも)足しげく通い(笑)、 ショップの方々とも談笑できるくらいにまでなりました。 そして気づいたら、 一緒にお仕事をさせてもらえるようになっていたなんて、 私にとって、本当に涙が出るくらい幸せな繋がりです。 勝手に、運命を感じていて、 本当にありがたいことだなあと。 幸せななかを漂うとき、 「あー幸せだなあ」と感じることができるのは、 本当に恵まれた、幸せな人間なんだと実感します。 最近、打ち合わせでhpgrpに行くことが増えているのですが、 いやー「アヤさん、来るたびに買ってますよ!」 と突っ込まれるくらいに。 そ、そこまではいってないと思いますが、 ・・・・2回に1度くらい、ですかね。 ヤバイです。 あーあー、早くいっぱい稼げるようにならなくっちゃ。 近々、www.designtope.net/でもご報告いたしますので、 お楽しみに♪::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::重たく、衝撃的な事実から、精神状態はだいぶ回復しつつある。たぶん、私はこの夏、過去と訣別するんだろう。ずっとずっと、知っていながら、気づかないふりをし続けてきたことに、向かい合っていく。その決心がついた。そうしたら、キミをもっとちゃんと大切にできると想う。サヨナラから始まる、私の人生を。そうしたら、キミにすぐに逢いにいこう。過去と訣別した足で、そのまま駆けていく。
2005/07/25
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昨日、友人がDJをつとめるパーティーが西麻布であり、22時頃から参加した。一緒に連れまわした(笑)のは、建築の勉強をしている学生の女の子。めちゃめちゃかわいいです。色白で眼がぱっちりして、きょとんとした時の眼なんてもーっ!!って、なんの話だ?彼女は、専門として建築を勉強しているのだが、デザイン関連のつきあいもあって、一緒に行動すると色々と教えてもらえて、私の現在の選任教師。その彼女から、昨夜は衝撃的なことを教えられた。デザインについてである。絶句。「これアヤさんのですか?」と云って彼女が手にとったのは、クラブのテーブルの上の、Marlboro。「うん」私は、楽しくなるとタバコを吸いたくなる。これは ↑↑↑ 意味があって、さかさまに写したボックスです。見た目、ただ単に「さかさま」にしただけのタバコ。マルボロ。ちょっと指をかざしてみましょう。2本ずつの黒い線が計4本見えます。「M」と「lb」のテッペンがそうなっているのだが・・・、「アヤさん知ってますか? これって、白人の足と黒人の足なんですよ」「え?」いい具合に酔っ払って、踊り疲れて坐った私の脳裏に、4本の線は映るけれど、白人と黒人がなんで出てくるのか理解できない。「左の足が白人、右は黒人で、”吊るされて”いるという意味らしいです」「吊るされてって・・・これは・・・白人がデザインしたと解釈していい?」「はい」「それを知りつつ、そのままデザインとして今も残してるってことよね?」「そうですね・・・タバコのパッケージデザインに詳しい友人がいて教えてくれました」「アメリカの人はいざ知らず、日本人はほとんど知らないよね」「そうだと思います」思わず、瞼を閉じる。なんていうこと。怒りと哀しみと、恥ずかしさが一気にこみ上げてくる。そんなメッセージの込められたデザインは、この世にいったいどれほど存在するのだろうか。事実は事実としても、そのデザインを残すことは、「イメージが定着したから」だけで片付けることのできる問題なのだろうか。日本に伝わってこないだけなのか、このパッケージデザインに対するどんな運動も知らない私。そうした運動があるのか、ないのかもわからない。それとも、その「説」は悪意のこもった後付解釈なのか。今の私の手中には、それを確認する術がないけれど、そのあまりに衝撃的な、彼女の告白に、私は、焦点の定まらない眼で、さかさまになったマルボロを見つめるしかなかった。で、帰宅した本日、ちょっと調べてみました。このデザインのモデルとなったのは、どうやら有色人種排斥団体、白人至上主義として有名な「KKK団」が、黒人を吊るしている状況というものらしい。そのことを、偏った視点を持たず考えてみると、二つの意味合いが考慮できる。「差別している」のか、「歴史として忘れてはいけない」というメッセージか。後者であって欲しい。しかし、このマルボロのパッケージをよく見ると、3つのKがデザインされているのがわかる。どこまで、掘り下げて考えたらいいだろうか。
2005/07/24
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You were my precious.You were my all.You changed me completely.And now, still you make me waver.You can do easily, in a moment.I have to recognize my heart is still yours.6 years has passed, I have to see you and let me myself be free.From you.Say goodbye to you.Because, there's my treasure I love,More than I did love you.I think I loved you from the bottom of my heart.Please put my heart back to me.....Thank you.You taught me how to love and how lonely to love.今日は衝撃的な21時を迎えました。あまりに苦しくて、展開が予想通りで、思考が停止。今年2005年は、私にとってとても大きな意味を持つのでしょう。私の全てを、私の全ての思考を、愛することも、泣くことも、そして家族を想う気持ちも仕事も。本当に全てをかえて去って行った人と、6年ぶりに近くなった。以前、同僚だった友人が、なんと彼が社長を務める会社で、社員として働き始めた。彼女の出勤初日、彼は「ネオリアヤって知ってる?」と訊いたそうだ。ああ・・・笑っちゃうくらい、そういう人。だからこそ、私はここまで翻弄され、影響を受けてきた。そしてこんなに時間が経っているというのに、未だに心が動揺するほど。彼と出会ったとき、私は社会人一年生の春。それからの2年間があったからこそ、今の私がいる。そして、恋に臆病で、「失う」ことが怖くて仕方がない。「終りの見えている恋」しかできなくなったのは、彼のおかげ(笑)。ようやく、その呪縛から解かれ始めたのは2002年後半。でも、それも「もう彼には会わないことを前提に忘れる」という暗示を自分にかけていただけだった。そろそろ、彼に会わなくてはならない。私が自分を大切にし、いま大切な人を素直に愛するために。
2005/07/22
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明け方、ようやく眠りについた。眠れなくて眠れなくて、何度も寝返りを静かに打っていた。キミを起こさないように。私は、そのちょっとのあいだに、夢を見たよ。キミがいた。すぐ近くにキミがいて、顔も表情も声も、全部そのままで、はっきりとわかった。なんだか焦って瞼を開けたら、ちゃんと、夢じゃなく、キミが隣にいて、私はホっとしたんだ。夢に、キミを奪われてしまったらどうしようかと想っていた。だって、あんなに鮮やかな夢だったから。キミの寝顔を、薄暗闇のなかで確認してから、私は微笑んで肩を並べた。キミは、その眼をあけることなく、私の気配だけを感じて、頭をなでてくれた。なんて幸せなんだろう。ありがとう。許されるならばずっと、ずっとこうしていたい。ちゃんと、夢じゃなく、キミが隣にいる朝を迎えていたい。
2005/07/19
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小田和正の音楽ばかり聴いている。 「キラキラ」 「愛を止めないで」 「言葉にできない」 「たしかなこと」 「緑の日々」 「風の坂道」 そして、今ヘビーローテの3曲は、 「緑の街」 「風のように」 「woh woh」 はい、そうです。いまさら「自己ベスト」中(笑)。 もう飽きるまで、私はひとつのことを続ける。 寂しくなることも、悲しくなることも。 食べ物も、音楽も。 そうやって、私は偏りながら、自分を知ろうとする。 ちょうどよく、いつまでも、バランスよく。 それができない。 彼の音楽を聴いてばかりいる理由が、 心が弱っているのではないだろうとわかっている。 自分が「こうして欲しい」「こう云って欲しい」と そんな願いを求めてばかりいて、 私はちっとも優しくない。 人のせいにして、自分だけが悲しくなってばかり。 そのことに気づいたから。 心が求めることを、自分で手にしていかなくては、 景色も何もかわってかない。 そんなふうにして、ここのところ、 気持ちは足取りばかり気にしてる。 空を見たい。空を仰ぎたい。 心を放して、風に乗って吹かれるままに。 信じるままに、求めるままに。 こうして、いつものように、 繰り返して繰り返して、自分を見つめていたら、 近づけるだろうか。 心が求めるものに素直に向かって生きていける人生に。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ありふれた日々が かがやいてゆく ありふれた今が 思い出に変わる 誰れのものでも 誰れの為でもない かけがえのないこの僕の人生 ~「風の坂道」 そして僕は 君のために 何ができるかと考える そして僕は 強くなるより やさしくなりたいと思う やさしくなりたいと思う そこから逃げれば 夢はないだろう 振り返るのは 最後だけでいい その時 Uh はじめて すべてを 語ればいいから 誇りある道を歩いてく どんな時も やがていつか ひとりだけになってしまうとしても ~「風のように」 確かな ことなど 今 何も ないけど ほんとうに 大切なことは 君が 教えてくれた 僕は 君に 何も 誓えない でも 僕は 君のために せいいっぱいの 人生を 生きる ~「woh woh」 今はただ目の前の 君を抱きしめていたい 明日の涙は 明日流せばいい 今だから出来ること それを決して 忘れないで ~「キラキラ」:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: キミを抱きしめるときのように、キミのおでこにおでこを重ねるように。キミを見つめるように、キミの頬を指でそっとなぞるように。その行為の続きの何気ない、愛しい、そのままの優しさで、キミを大切にしたい。キミが時折みせる寂しそうな眼の奥には、何が宿っているんだろう。そのキミの眼を見つめる私の眼は、どんな色をして、何を映しているんだろう。それがわかったら、そこに気づけたら、もっと自然にキミを抱きしめることができる。そう感じてる。もっと優しく微笑むことができる。
2005/07/18
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男と女の関係になると、失うことが多いと誰かがいつだったか云った。 私は、キミとの距離をうまくとれなくなることが怖かった。 同じように接することはできないくせに、何かが変わることも、何も変わらないことも厭でたまらない。こんなふうになって、私たちは一体どうなっていくんだろう。 愛しさが嫉妬に変わったりするんだろうか。 優しさが窮屈に感じられたりするんだろうか。 ちょっとした視線が、 わずかな言葉遊びが、 心に影を落とすこともあるのだろうか。 好きになってよかったと想うよ。 出逢えてよかったと。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::「テツジ」という自分の作品からの抜粋ですが、言葉を一部さしかえました。最近、甘っちょろいくらいの言葉ばかりを並べて、いつまでたっても「大切なものを守るための強さや責任」について、自覚を持てないまま、あーだこーだと生きてる気がしてもいるのです。恋がいいとか悪いとか、そんなことを云うつもりはありません。けれど、私はこうやって生きていて、どこへ向かっているんだろうかと。ときどき、仲間のなかにいる自分を想像して、そっと振り返って、周囲を見回してしまうことがあります。それは例えば、ここ数年特に、若い人たちとの接点や、子どものいないDINKS夫婦とのつきあいが増えたことも一因してるのかもしれません。あの頃想像していた「30歳」に近づきながら、私はいっこうに想像には近づいていない。歌を聴いて泣いたり、小説を読んで涙を流したり、その人のことを想って苦しくなったり、自分の仕事にだけ没頭したり。なんて自分中心なんだろうと・・・。でもあの頃の想像のなかには、確かに、「自分がどんなことを感じて生きてるか」というイメージはなかった。「好きな仕事をして、楽しく生きている」という漠然としたものだけで。ま・・・好きな仕事して、楽しいのかもしれない。でも、大切なことはなんだろうか。そんなふうに、考える時間を持ってること自体が、幸せでまだまだ青くて、甘っちょろいとこで生きてる証なんだろう。でもね、それでもいいんだ。そうやって、優しくなっていけたら、いつか気づいたら、自分の足で立って、生きて、そして大切な人たちを守り抜く強さになっていけるから。そう信じている。自分を。
2005/07/17
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「姑獲鳥の夏」を観ました。京極夏彦氏の作品は読んだことがありません。 堤真一氏観たさに、です。 http://www.ubume.net/ 最後のほうで、梗子、涼子、京子がわからなくなり、 「こりゃ本を読まねばならんな」 と途中で思考回路をあきらめました。 (詳細は書きません) 私は、スクリーンを離れたときにカッコ悪い俳優さんが好き。 ・・・反対にしましょう(笑)、ごめんなさい。 スクリーンの中でこそ輝く、役を自分の色にできて、 それでいてその役にはまりこむことのできる、 そういう俳優さんが好きです。 カッコ悪さとか、趣味がいまいちだったり、 ぶっきらぼうさや暗さとか・・・ 映画やドラマのインタビューを受けていたり、 トーク番組に出てるのに、 やたらサービス精神に欠ける人が好きです。 バラエティーやトーク番組なんか出なきゃいいのに、 ってくらいの無愛想さとカッコ悪さと。 何の話だ? あ、そうそう、映画の話でしたね。 あの「クサさ」がなんとも云えず面白かったのですが、 堤氏の奥様が清水美砂で、その関係に、 「あんな夫婦になりたいなー」 と結婚もしてないのに想ってしまいました(笑)。 自然体で、信頼しあっている感じが出ていて、かっこいい。この人がいるから、堤氏は、いや、京極堂は京極堂たるのだろうなと。と感じのですが、実は清水美砂は、最後の最後にちょろっと出演するだけです。でも、そこまで感じさせてくれる彼女の存在感と、堤氏のそれまでの役どころがよかった。
2005/07/17
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先日、仕事で銀座へ行った帰り、急に緑色の服が欲しくなって、前職場の近くにある店へ半年ぶりに行ってみた。ハイネックで5分袖くらいの服が欲しかったのだけれど、4部袖か長袖しかない・・・ので、長袖を買って自分で裁縫することに決定。色は、まさしく私が欲していたキレイなグリーンでご満悦なわけです。で、会計。3000円以上で福引といわれて、ガラガラを回してみると、「4等です!!」「え、ナンですか?」と期待してみると、「こちらから好きなものを選らんで下さい」えー、つまるところ、ビリだったわけだな(笑)。はずれなしの福引♪で、お菓子の山から選んだのがタイトルにある「アタックnO.1コレクション」というカバヤの、フィギュア入りガム。アタック・・・は見てないんだけど、歌は知ってるし、キャラは好きです。帰宅して中をあけてみたら、そこには「みんなに優しい一ノ瀬努」が!!!!学ランに茶色のスクール鞄を左手に持ち、右手は頭のうしろに持っていって「参ってる」表情。いやーにくいねーーーー。ってか、そんなキャラがいたことを初めて知りました。
2005/07/17
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擬態語使いまくりでごめんなさい。 先日の予告どおり、15日に中野裕之さんにお会いしました。 渋谷の気温、そのとき33度前後ですよ。 体感気温もっとあったはず・・・。 みんな汗かきながら集まりました(笑)。 なんと書いていいのかわかりませんが、 嬉しかったし、素晴らしい方とお仕事ができるんだ! とあらためて実感しました。 「こんなことしたいな。お願いできるかな」と 私が勝手に想像して、イメージしていたことと 同じことを考えて下さっていて、本当に心底嬉しかった。 「北海道はいいですよねー」と仰ってくださったことも、 ものすごく心強い言葉で。 楽しいことになるよー、みんな!! (何を今さらって感じですが、あらためて、ね) 「賞金200万はすごい。あと100万で有限会社できますね」と云われ、 「それだけ注力してます!」と(笑)。 今週、私はとてつもなく素晴らしい時間を過ごしてきました。 いえ、たぶんずっとずっと、生まれてからずっと、 素晴らしい出逢いばかりだったのだと感じます。 だからこそ、今の私はここに立っているのだと。 痛ましい事件、紛争や戦争、一向に終焉に向かわないこと、 傷つけあってしまうこと。 たくさんのことが私たち人間によって起こっているけれど、 人間って素晴らしい生き物だと想うんです。 正善説を説くつもりはありません。 でも、出逢った瞬間に、 世代という長い時間を経ずに、他の存在(自然も含み)から 瞬時にこれほどの影響を受け、感じ、取り込める生命は、 人間が持つ素晴らしい能力だと感じています。 あー酔っ払っているのかしら(笑)、 ちょっとばかり饒舌になっています。 こんなことを感じて、書くことのできる自分自身を、 本当に幸せだと想います。 ただの独り言になってますよね。 すみません。 こうしてつながって下さっているみんなに感謝してます。 ありがとう。 ああもう本当に幸せです♪
2005/07/15
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今週は、かなりキテる。それは・・・と、その前に。おおおおーーーーフォントが選べるようになっておる。すげーすげー(笑)。まだ使い方知らないけど、なんだかすげー。進化した。で、どうキテるのか。火曜に「往年の美少年」にお会いし、水曜にナガオカケンメイ氏にお会いし、木曜には氏よりメールを頂戴し(きゃ♪)、金曜は中野裕之氏と会う。そう、今日!はい、どれもお仕事でヤンす。いやー完徹にもなるさなー(笑)。しかしながら、真面目に話をします。誰もが素晴らしい人たち(中野氏にはこれから会うのですが)で、吸収したいことがそこらじゅうに放出されています。こう、虫取りの網で空中をかきあつめたいくらいに。私が、絶対に近い将来、一緒に仕事をすると決めている、大好きな岡康道氏とお話しをしたときもそうでしたが、「自分のイメージを具体的に持ち、行動してる人」にお会いすると、「私がどうしたいのか」「いま、どうしたらいいのか」が見えてくるのです。もちろん、「今はまだ一緒に仕事をするタイミングではないな」ということもガツーンとわかっちゃいます。会いたい人に会いに行くこと、ステキな人たちに会えるアンテナを常に拡げておくこと、そしていつでも飛び立てる準備をしておくこと。これがたぶん私のモットーで、そういう瞬間、自分の眼も心も輝いているのがわかります。自分でも云うのもナンですが。疲れも倦怠感も全て一瞬でふっとび、嬉しくて幸せなエネルギーが、全身に流れていく。とても気持ちがいいです。この瞬間のために生きてるんだと感じるくらいに。ちょいと仮眠して、仕事に行ってきます。今日もみんなが幸せでありますように。
2005/07/14
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今日は、往年の美少年であり、 現在も舞台を中心にカリスマ性を発揮し続ける方に お会いしました。 約12時間近く、同じスタジオにこもっての仕事。 芝居、演出もさることながら、 おおらかで寛容で、毅然として、なお威厳を保ち、 プロフェッショナルとして自らを「見られてナンボ」と 云い切るそのしゃんと伸びた姿勢に圧倒されっぱなしでした。 最後のインタビューが終了したのは23時半。 その人がにこやかに控え室へ戻るのを見届けたら、 一気に腰から力が抜けました。 50人前後のスタッフがいたとはいえ、 スタジオ内が30度以上あったとはいえ・・・。 その人のエネルギーとパワーに少しでも感化されたいと、 想って臨んだ今日。 さすがに疲れました。 快い疲れですが。 いつ覆されるとも知れない常識に囚われることなく、 物事の本質、真実を見極める眼と心を持つことは、 いい刺激を受け、感化されつつも、 日々積み重ねていかないといけないなあと感じました。 持ち歩けないほどの余計な荷物を持って、 どこかで安心しくさっている日々のなかでは、 本質や真実を見極める研ぎ澄まされた心は持てんないなと。 高校生のころ、何かの本で 「フランスのエスプリは本を所有しない。 必要な情報や知識はこのなか(=頭と心)にある」 という内容の一節がありました。 エスプリでなくともいい。 でも、頭と心に本当に大切なものを記憶しておけるよう、 そしてそこが常に通気性のいい場所であるよう、 願っています。 私の、失礼なまでに興味津々な眼を、 優しい表情で何度も受け止めてくれていたその方に、 心から感謝しています。 あー、また明日から頑張ろう。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ともだちであれば簡単なことが、突然に難しくなる。ともだちであれば愛しいことが、突然に重荷になる。そういうことが、恋には時々つきまとう。想いのカタチも重さも、あの時と何もかわっていないのに、言葉だけが独り歩きして、心のなかをかき回していく。どうして、いつから、こんなことになってしまったんだろう。どうして、いつから、こんな恋ばかりしてるんだろう。心が近づいて、もっとただ、優しくなりたいだけなのに。一緒にいる時間が真実なのは、一緒に過ごす時間が優しいのは、幸せだと想う。でも、私は欲張りで、離れている時間にも、出逢ったころと変わらず、つながっていたい。どうして、そういかなくなってしまったのか。それとも、それは私の想いこみだろうか・・・。どっちでもいい。ただ、私はキミのことを大切にしたい。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::キミをそんなふうにしてるのは、私なのかもしれない。私の気持ちが読めなくて、私の気持ちを掴めなくて、キミのほうが、実は私よりも苦しんでいるのかもしれない。「どんな関係でいたらいいのかわからなくて・・・」と私が呟いたとき、キミは助手席の私に向かって、自分もそう想っていると応えた。そうね。そうなのかもしれない。いつもキミにばかり求めてしまってごめん。自分の行動や気持ちを曖昧にしたまま、何も変えずに、キミにだけ求めているのかもしれない。キミが先に、私を選んで欲しいと。私たちは、同じようにズルい。そしてそのズルさも愛しいと想う。キミも私も、嘘をついてはいないから。
2005/07/12
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人の気持ちは、言葉にして別の人のなかに入った途端、その「別の人」の想いになる。当人同士の言葉や想いも、僕だけの想いも。僕が、恋とか愛を語るのが苦手なのはそこのところだったりする。共感してくれること。一緒に苦しくなってくれること。幸せが倍以上になること。そういう幸せなことがいっぱいあるのに、それでも、僕は言葉にできない。知って欲しいけど、それは「感じてくれる」くらいでちょうどいい。うまく、共有ができない。キミのことを想って言葉にしても、別の人のなかで、全く違う、キミじゃない人になっていたりするから不思議。今、僕が言葉にして語る想いはキミのこと。僕にとって、いま生きてる僕にとって、キミがこの世で一番、リアルな存在。本当は、こんなとこで独り言書いてないで、キミに伝えたらいいんだ。でも、キミが困った顔をするのが怖い。キミを困らせてしまうと、なんだか僕が苦しくなる。キミは、その人と同じで、多くの仲間に愛されている。その愛されているキミを、汚してしまうようで苦しいんだ。出逢ったときから、キミは何もかわってはいない。それでも僕との関係のなかで、キミがさらに、みんなから愛される存在になれないのであれば、それは本望ではない。キミを抱きしめていたい。けれど、僕らがふたりだけの世界で生きてはいないように、ふたりだけではない生き方を、見つめることをしなくちゃならない。キミのために。僕自身のために。そのどちらをも叶えるために、僕らはどうしていったらいいんだろうと考えるよ。そういうことを、キミは僕に教えてくれる。
2005/07/11
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長い長いエスカレーター。キミの後ろに立って、その肩におでこをくっつける。キミの頭が少しだけ傾いて、わたしの体温を受け止めてくれる。おなかいっぱいだねと笑いながら、大雨のなか、ひとつの傘を分け合って、半分ずつ濡れながら走る沿岸線。キミはそのくせ、アイスは別腹だと云う。いつまでたってもニュースの流れない深夜番組が放つ、青白い光のなか、投げ出したふたりの足がわずかに触れる。まるで兄弟のように、陣地を決める。「この枕からこっちはわたしの場所ね」「ずるいな。じゃあテレビのリモコンは俺のー」「それ全然ちがうじゃん」CNNのキャスターの声だけが響くなか、キミの寝息が静かにまぎれこむ。その手から奪ったリモコンで、わたしはその夜を閉じる。キミの頬に残る傷跡に、キスをする。キミの指が、わたしの耳たぶに触れる。おやすみの言葉のかわり。わたしはきっと眠れないんだろうと想いながら。ねえ知ってる?キミとわたしは、ここのところ、毎週のように逢ってるんだよ。「そっちであってこっちであって、不思議だねー」キミから送られてきたメールが眠りの淵で蘇った。
2005/07/10
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お仕事、頑張ったと思います。ひとつ、物凄い単純作業があったのだけれど、それが一番辛かった・・・8時間もかかってデータ記入。「なんで私、朝の8時から事務所でデータ入れてんの?晴れてるのにーーーーーー」とまでは思わないよう、努めて冷静に。思考を仕事の外に出さず、集中して。しかし。金曜から今朝にかけて、めまぐるしく過ぎ去った時間は、その時々でとても幸せで、けれどとても苦しくもあり、仕事が手につくのかどうかさえもアヤシイ週末だった。でも、頑張ったね。エライエライ。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::切ない想いなど、心に宿したくないのに。ずっとずっと心から笑って、一緒にいたいだけなのに。一緒にいることを普通に生きていたいだけなんだ。すごく簡単なことなのに、そうならない。「きっと、自分がそれを望んでいるから」なんだと云い訊かせてみるけど、心がとても臆病で。一緒にいるのに、その手や腕に触れることさえ、躊躇ってしまう。その人のなかで、自分がどんな場所にいるのか時々わからなくて、その決壊を自分から壊せない。どんな場所にだって入っていけることを知っているのに。それを、その人が許してくれることを。私のことを大切にしてくれるその人の、手が私の首に触れて、そっと背中をさすってくれるとき、どうしてこんなに素直じゃないんだろうと自分を責める。一緒にいられた二人の時間のことを、何度も何度も、楽しかったね、楽しかったからそれでいいよと珍しく言葉にしてくれたその人の気持ちに、私は涙が出た。こんなに強くつながっているのに、私は何を怖れているんだろうか。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::外灯の光を隠すほどに生い茂った木々。その真下の歩道橋を、ゆっくりと歩く。こぼれる光のなかで、あなたの髪が揺れる。人ごみのなかで見つけた時のあなたの表情とは違って、今はその背中がしゃんとしてる。あなたのお気に入りのその靴も、誇らしげに一歩一歩、前へ進んでる。「タイミングをみて、キミを連れ帰る」とあなたは云った。「去年の末から、神様はぼくに試練ばかり与える」と本音をポツリとこぼしたのは、たった数時間まえのこと。いつも、周囲の人たちの言葉を引き出してばかりのあなたが、初めて自分からそんなことを云った。あなたの、そのひと言で、私はまた少し、強くなれた。私を強くしてくれるのは、やっぱりあなたの存在なのだと知る。だから、私はいまここで、いま立っているこの場所で、やっていける。いつでもあなたのもとへ行けるよう、いまを生きる。
2005/07/10
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昨日は、5月に電話でお話をしたことのある、映画「YUMENO-ユメノ-」の監督と会った。彼との出会いはものすごい偶然で、(↑「偶然は必然」だとも想っているのだけれど)5月にたまたま札幌の知り合いに、映画関連の情報をお願いしたところ、仕事でその二人が一緒にいる日だったらしく、夜に電話がきたのだ。それも、監督から(笑)。札幌での上映を終え、現在は名古屋で上映中らしいのだが、今東京に戻ってきているので、仕事の話も含めて会いましょうとなった。人と人のつながりは偶然ではなく、シンクロしているのだと思う。会いたいと思っている人にも会えるし、会いたかったのはこの人なんだという人にも出会えていける。そう願って、行動しているうちに。全然話は変わるけれど、同じく昨日は、私にとって大きな意味を持った一日だった。予想だにせず、ものすごい勢いでそれはやってきた。たぶん、これまで「その機会」のなかったことのほうが不思議だったのだと想う。しかもそれが札幌ではなく、東京だということにおいて、決定的な意味も持っている。昨夜、私の心は「どちらか」を選ばなくてはならない状況に置かれた。痛い。でも、どちらかを選んだのではなく、心の求める生き方を見つめたのだろうと想う。選ぶなんて、そんな大それた、上からみるようなものじゃない。もうこれ以上は下がないというくらいの、底のほうに立って、心の声を訊く。上を見上げる。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ずっとブランコに乗っていたのだけど、昨日はその揺れをとめて、空の月を見上げた。月が前のほうに傾いていたから、私は前に下りた。もしかしたら、またブランコに乗るのかもしれない。前に下りたり、後ろに下りたりするのかもしれない。強くて弱くて。自信にあふれて小さくて。包みこんで包まれて。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::心から心から思う君が大切なものは何ですか?その笑顔 その涙ずっと守ってくと決めた 恋におちて I love you心から心から思う君が信じてるものは何ですか?この街も友達もみんないつでも君の味方でいるよalways love~Crystal Kay「恋におちたら」より
2005/07/09
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今日は、急な坂の勾配をようやっとひとつ通過した。いまはちょうど、小さな木のベンチで空を見てる感じ。プシュっと、発砲ミネラルウォーターの蓋を開いたら、レモンの香りが風に溶け込み、梅雨の晴れ間をのぼっていくような。仕事のことです。また明日、週末と、山谷がいくつか待っているのだけれど、この勾配をちゃんと歩き通せたことで心も足も軽くなった。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::声、言葉、トーン、雰囲気。空気、笑顔、口もと、背中。私たちはいろんな感覚で、人の心を感じる。感じとってしまう。これから、その人が何を云おうとしているのかも、一緒にいるのに別のことを考えてることも、ビックリさせようとして、あるひとつの言葉を云わずにいることも。すっかり心を許して眠りについていることも。それと、同じ感覚で、私はこのあいだ、「あれ?」と想ったことがあった。ひとつの大役を終えて疲れているだろうとは想っていた。イベント後の懇親会で、その人が挨拶に立ったとき、私はすぐそばのテーブルに坐って、お偉いさんたちとお喋りしていた。誰もがすぐに、彼の言葉に耳を傾け、私は彼のほうを見ずに(あまりに近くて見上げるのもナンだったし)、前を見て、声と言葉だけを訊いていた。いつものように、高揚感のある人をひきつける語り口で・・・。でも途中で、突然「この場所を提供してくれた○○○に感謝を・・・」と云い始めたのだ。もちろん、イベントのために場所を提供してくれたことに感謝するのは当然かもしれない。けれど、声のトーンが微妙に高過ぎた。私のなかで「?」とハテナマークが点灯しはじめ、そのあとの言葉が訊こえなくなった。気づいたら、会場の大きな拍手。誰も気づかなかったかもしれないし、もしかしたらみんな「あれ?」と感じたのかもしれない。ふだん、あまりそういう発言をしないから・・・という理由じゃない。気を遣いすぎて、神経が擦り減っている。それは彼にとって、一般の人たちよりもはるかにストレスになる。作品をつくる人間である彼が、作品をつくれないということだ。臆病になりかけている・・・大袈裟に云うとそういうことだった。それがわかったとき、とても苦しくなったし哀しかった。彼には作品をつくること、創出することに、全身全霊を傾けていて欲しい。そのために時間を遣って欲しい。きっと、彼を慕っている人たちや仲間も、そう想っているはずなんだ。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ロンドンのテロ。なぜ。憎しみが憎しみを生むことが、これほど地球上に蔓延しているのに。戦うことでしか平和を手にできないと、そう信じて生きてきた人々と、どうやって同じテーブルにつくのか。そのことを、わからないはずがない。たくさんの人が真剣に考えているのに、それが表面に出てこない世界の回り方をしてる。でも、テロは許さない。
2005/07/07
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▽「MY FATHER」 監督:エジディオ・エローニコ コピー:父よ、あなたは本当に罪人だったのか・・・。 ▽「ふたりの5つの分かれ路」 監督:フランソワ・オゾン コピー:出会わなければ よかったの? ▽「Dearフランキー」 監督:ショーナ・オーバック コピー:パパからの手紙だけが、ぼくの心の支えだった。 ▽「ダンシング・ハバナ」 監督:ガイ・ファーランド コピー:私を解き放つ、灼熱のリズム 以上4作品。 チラシのコメントを抜粋しながら・・・。 札幌で予告TV-CMを観て、「MY FATHER」観なくっちゃと思った。 ヒトラー政権のもと、“死の天使”と恐れられた医師。彼を父にもった息子の苦悩と葛藤をドラマティックに描き上げた、実話に基づく衝撃作。チャールストン・ヘストンなんだよ、父が。幾千もの命を奪ったことが父の罪であるとき、その人を父に持ったことは、息子の罪になるのか・・・。 そして大好きなフランソワ・オゾンの、ある夫婦の愛についての5つの季節を描いた「ふたりの5つの分かれ路」。結婚が永遠の誓いではなくなった現代に、恋愛は終わるものなのだという結論から出発し、「だから愛は輝く」ことに気づかせてくれるらしい・・・愛のミステリー。 いやーオゾンはねーすごいよねー。ジムジャー・ムッシュもすごいし、ボブ・ジラルディ(←映画監督じゃないが)も、ベルナルド・ベルトルッチもすごいけど、オゾンの視点は暖かい。そして厳しくて、辛くて、穏やかでありながらもミステリー。「Dearフランキー」。これは、映画館で予告編観て、私は泣いた。ズルいよそれ!!! 「ダンシング・ハバナ」は・・・私がサルサ好きだという理由から。「天国の口、終りの楽園」に出演したディエゴ・ルナ主演。札幌の狸小路のとある店で、サルサを習ったことがあり、今もたまに踊りに行きます・・・。村上龍氏が主催するクラブイベントにも行ったなー(笑)。
2005/07/05
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:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::私たちは心で愛することもできるけれど、 心だけで愛することができるだろうか。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::タイトルだけ読むと、衝撃的でごめんなさい。 ご存知の方が多いでしょう。 グレアム・グリーンの代表小説であり、 冒頭の言葉はその抜粋です。 5月の通勤時間の、愛読書でした。 この部分を読んだとき、私は素直に「心だけで愛することができるんだろうか」と感じた。当然、心と頭に浮かぶ人はいるわけで。この小説は結婚している女性と独身男性の関係をベースにしているけれど、テーマはカトリック教の信仰について描かれている。神を愛するようにして人を愛することができるのか・・・そういう視点。でも、神を愛することだって容易ではないだろうと感じる。人はやはり愛した分だけの見返り、同じだけの愛を求めるから。それは神に対してだってそうで、だからこそ祈るのだ。その愛が届くように、そして祈りが届くことで愛されていると感じる。人を愛するとき、はじめは、自分が好きになったことだけで十分で、その人も自分を好きでいてくれたらいいのに、と願う。そのうち好意を持ってもらっているだけで幸せになる。でも段々と、その心も肉体も欲するようになり、精神的な愛を維持するには、そこに固執することから解放されないと難しい。勝手に想像して苦しくなったり。穏やかに愛していることが、相手にとっては愛情不足に感じられたり。でも、心だけで愛せないことが、「本当に愛してない」ことだとは想いたくない私もいる。自分勝手だけれど、それはわかっているけれど、今の私にはそういうふうにしか愛せない。「心だけで愛する」のじゃなく、「心で愛することができる」愛がいい。心だけで愛せる関係もあるかもしれない。愛について、穏やかに生きたいと望むとき、それは心だけの愛になるのだろうか。************* 私の考えてることが 全部空気に沁みて キミに届けばいい そうしたら 私がどんなふうにキミを想っているかが キミに伝わるだろうから こんなふうに好きでいることを知ったら キミはきっと 私をもっともっと好きになるはずなのに もっともっと愛しく 大切に感じるにきまってる
2005/07/05
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6月30日の24時半に札幌の実家に辿り着き、7月3日の24時半過ぎに東京の自宅へ帰宅。ほとんど寝てません!でも楽しかったです。ダラダラ書きます。7月1日は10時に市役所にて打ち合わせがあり、顔合わせのあとで初めてICCへ行ってきました。友人の多くが、ここのイベントにも参加し、S-AIRというアーティスト・イン・レジデンスのボランティアに携っていたのだけど、私はここまで無関係で来てしまった・・・ことにすごく反省。でもこれからどんどん関わっていきます♪モエレ沼のグランドオープンは楽しかったです。私は個人的にアートプログラム[GRAND]を観たかったので、かなり期待していたのですが、さすが、面白かった。メインダンサーのひとり、力也くんとは去年の夏以来だったけれど、覚えていてくれたし、3月末の舞台以来だったHIROTSUGUくんも「おー!!」と記憶してくれてた。ありがとう。嬉しい。ガラスのピラミッドを背に、ミニマムなスペースへの映像投射はかっこよかったですよ。そこにダンサー達による「記憶からの誕生」を表現するダンス。多くの人たちが、あの不思議な空間に浸ったように思います。端さんをはじめ、多くの人たちが創り上げてきたものをこれまた多くの人たちが共有できたことが、とても嬉しかったな。中学時代の友人に10数年ぶりに会場で再会したり、社会人最初の職場で一緒に仕事をした代理店の人に会えたり、新しい出会いがいっぱいで幸せな帰札になりました。7月1日、2日と30人以上の人たちと名刺交換し、今日はメール攻撃(笑)。札幌市立大学の学長予定の原田氏とも、レセプションでは隣席になり、お喋りしました。2日はショートショートフィルムフェスティバルのオープニングパーティーがあり、そこにも顔を出すと、1日にもモエレでお会いした札幌市長が・・・。というか、2日間とも似た顔ぶれだったというほうが正しい。ショートショートはフレンチ映画も楽しかったけれど、注目の作家はロイストン・タン!素晴らしい才能の持ち主なんだなーと作品を拝見しながら感じました。ほかの作品も観てみたい。今回、金曜・土曜、日曜と3日間ともスケジュールがびっしりで、忙しい流れではあったのですが、とても有意義で幸せでした。これまでの帰札では、なかなかこれほどまでに気持ちよく過ごすことが少なかった。こういう機会を与えてくれたボスや全ての人たちに感謝してます。ありがとうございます。*****そうそう、1日はイベント終了後に友人と飲みに行ったのだけれど、ススキノのシャレたかっこいいバーを任されることになり、すごく張り切っていた。先に飲んでいた彼が、メイン通りまで私を迎えに出てきてくれたとき、「なんかすげーかっこいい」と感じたのだけれど、そのときはまだ、そんな仕事が決まったのを知る前で。初めてスーツを着た姿をみて、それもかっこよかったし。「一張羅なんだよな」と、酔って照れくさそうに笑った表情がすごく充実してた。私まですごく嬉しくなって、感動しちゃったもの。彼と私は、出会ってから似たようなスピードで、仕事も生活も大きく変わってきて、変わり始める頃から色々な話をしてきたから、「同志」のような感覚がある。「あのころはまだ、本当はたいして頑張ってなかった」とか「実はすごく苦しい時期だった」とか、お互いに笑顔と励ましで通り過ぎてきた時間を、今回、本音で語り合えて、「そうだったんだー」と再び笑いあえたこと。やっぱり彼は、大事な友人だなと感じた。会ってる回数も時間も、短いけれど、人には、時間だけじゃない、もっと強いつながりがあると思える。そして、知らない時間があって、会わない時間が多いからこそ、本音を云えるという関係だってあるのだと。たぶん、私たちは今回のたった3時間程度のなかで、友人から親友になれた気がする。いや、やっぱり「同志」かな(笑)。先のことはわからないけど、今、やりたいことがある。感覚を言葉にして伝え合えるのは、なんて幸せなんだろうと思う。私は札幌に帰るたびに、彼からそういうパワーをもらっている。ありがとう。*****じゃあ今日は一緒にいようかと云ってくれたキミの静かな微笑みの言葉は、私をとても穏やかにしてくれる。一緒にいることは、必ずしも自然なことではないのかもしれない。けれど、一緒にいることはたぶん自然なんだろうとも想う。キミは、全ての答えを私にまかせたりしない。私も、全ての答えをキミにまかせたりしない。何かを観て感じるポイントが似ているように、互いに「自分が答えを出す」ときを知っている。キミといて、私が幸せに穏やかになれるのは、互いに同じ気持ちで一緒にいるのがわかるからだと想う。それ以上でもそれ以下でもなく。「どういう関係でいたらいいかわからないけど」、一緒にいることを望んでいるから一緒にいるのだと、感じることができるから。今はまだ、平行線のままでいこう。今はただ、こうして一緒にいよう。
2005/07/04
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