

「江戸時代には火消役の屋敷があり、そこへ上る坂道でした。江戸時代の初めは緩やかなカーブで、埃(ごみ)坂あるいは光感寺坂とも呼ばれていました。のちに直線状に整備されて、紅梅坂へとつながっていましたが、大正時代の区間整理で本郷通りができたために2つに分かれた形となりました。このあたりは木々が繁っていて昼間でも薄暗かったことから、幽霊坂の名が名づけられています」

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