



鎌倉時代に、大津波で大きな被害を受けた集落の人達が豊受神社付近に堤防を築き、その上に大きな松の木を植え、この松に根を波浪が越さないように願い、「根越さね」と言われた。それが「猫実」と称されるようになったと言われる。そして、街角にあったのが庚申塔。

猫実の庚申塔
この庚申塔 は、正徳五年(一七一五)一月、猫実村の庚申講の信者によって建てられました。青面金剛菩薩を刻んだ庚申塔では、市内で最も古いものです。
塔の正面には、邪鬼(たたりをする神)を踏みつけておさえている青面金剛菩薩、庚申の干支にちなんで「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿が刻まれています。
庚申信仰は、もともと道教(中国の民間信仰から発達した宗教)の三尸(さんし)説に始まったものです。三尸説では、六十日に一度の庚申の夜に、人の体内にいる三尸の虫が抜け出し、天の神様にその人が犯してきた罪を告げるのだといわれています。これを聞いた天の神様は、その分だけその人の命を削りとり、早死にさせるので、この虫が抜け出ないよう、信者たちは夜どおし話や会食をして過ごしました。
ただし、この地域では、庚申の晩に祭礼を行ったというような記録は残っていません。
大正時代には、毎月二十五日が祭礼日とされ、現在でもこの日に病気の回復などが祈願されています。かつては、祭礼の日には、お堂の前の道に露店が立ち並び、多くの参拝者でたいへん賑わったといわれています。
今日でも、先人たちの信仰心が脈々と受け継がれ、この塔は「猫実の庚申様」として、地域の人々に大切されています。
平成十六年一月 浦安市教育委員会。







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