


明治維新後一帯が開発され、明治16年(1883)に女子独立学校(後に精華高等女学校(精華学園)と改称)の校地となったが、井戸は中庭に残され、大変良質な水が湧き飲料水として利用したという。昭和48年(1973)には精華学園の移転により朝日生命保険の本社駐車場となり、井戸は残された。しかし、水は次第に枯れていったため、ポンプでくみ上げる方式に改良した。その後、昭和60年(1985)には、新宿エルタワービルを新築するため井戸は空気抜きを設けて蓋をし、地上はビルの車寄せとなった。現在はこれに代わり、約15m南に策の井のモニュメントと説明板が建てられている。
なお、 新宿区荒木町の「策の池」(新宿区地域文化財)も徳川家康が策を洗ったと伝えられる井泉である。 ふたつの井泉に共通することとして、後に美濃高須藩松平摂津守家の屋敷となったことがあげられる。
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