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こちらの先生にそのことを初めて指摘されたのはコダーイの無伴奏ソナタを見てもらっていたときだ。重音の連続する箇所があり、重音でフレーズを終え、別の重音で新しいフレーズが始まる。間の休符は非常に短い。このとき、まだ終わりの音が鳴っている(あるいは余韻が残っている)のに、左指を動かして次の準備を始めていて、そのために余韻の途中で指が音程の位置から離れて変な音が入るというのだ。この現象に演奏中の自分は全く気づいていない。意識が、次の音に向かっているため、現在鳴っている音に無関心になっているらしく、雑音に気づかない。録音を聴いても、そのことに集中しなければ気づかない。聴いているときでさえ、意識は次の部分に向かう傾向がある。
今習っているバッハの無伴奏チェロ組曲第6番は、プレリュードも5曲ある舞曲もすべて極めて難しい。そのため、悪癖は頻繁に顔を出し、しばしば注意される。フレーズの最後にクレシェンドがかかる傾向が出る。重音がらみの箇所が多い。次のフレーズの頭が重音だった場合、重音を綺麗に鳴らすために準備する。弓の理想的な場所で弾き始めたいのだが、直前のフレーズの終わりを弾いたとき、その理想的な場所に弓が来るように速度が変わるらしい。最後に加速が入るのでクレシェンドがかかる。次の重音を弾き始めるための脱力の準備で弓を持つ指のバランスが変わり、圧力がかかりクレシェンドがかかる。重音の全部の音を綺麗に鳴らすには右手の完全な脱力が必要なのだ。これもすべて意識のチェックにかかって来ない。
難しくなればなるほど、次を弾くために早め早めの準備をしたくなる。新しいフレーズを弾き始めるタイミングに遅刻は許されない。それでその前のフレーズの末尾は早々に切り上げている。 練習としては、フレーズの末尾で完全に終わってしまい、一端完全に停止してから次を弾く、というのが良さそうだ。それでもこの6番はなにしろ頭で意識しなければならないことが多すぎる。重音で多声部(ポリフォニー)を弾いているときなど、バスは支えているか?旋律はつながっているか?内声は正しく和声を変えているか?三重音の下を拍頭より前に出したとき、旋律は正しく拍頭に来ているか?など、必死でチェックしている。なかなかフレーズの末尾を監視する心の余裕がない。
要するに、基礎学力が足りない。さまざまな事が自動で正しく実行できるように訓練してきていないくせに、難しい曲を弾いているということのようだ。脳の働きで言えば、小脳に自動制御回路ができていないことをやろうとしているから、大脳皮質が忙しくあちこちの面倒を見なければならなくなっている。私にはバッハの6番は難しすぎるという、あまりにも明白な結論に直面しているところだ。
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