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午後5時半、カイゼルスベルクという町に到着しました。町の真ん中をヴァイス渓谷から続く小さな川が流れていて、その澄んだ水辺のほとりを歩くと、初夏の蒸し暑さが一気に和らぎます。この町の中心となるのが「教会地区」で、その名の通り教区教会を中心に12~16世紀に建築された家屋が建ち並んでいます。約4世紀に渡って町の大半が形成されているため、各時代によって異なる建築様式の家屋が造られています。したがって、アルザスの他の村と比べると、民家に統一感がないという印象を受けました。
町はすでに観光客が去った後のようで、人がほとんどいなくなった静かな街並みの中を、のんびりと散歩しました。町の真ん中を走るメインストリートは、緩やかなカーブをいくつも描きながら町の奥へとつながっています。両脇に広がる民家では夕食の支度を始めているようです。
教区教会へと続く街並み 教会前の街並み
この小さな町を歩いていると、再びヴァイス川に合流し、その川に架かる石橋の上に立って振り返ると、丘の上に廃城の姿がありました。城の原型をかろうじて留めているのは、12世紀に造られた主塔の部分だけで、それ以外の城壁などはほとんど崩れ落ちていました。
素晴らしい景観の木組みの家 アルザスでは珍しい切妻屋根
この町にシュヴァイツァー博士の生家があるというので、探して見ることにしました。彼は神学者であり、哲学者であり、医者であり、音楽学者でもあります。この町で牧師の子として生まれたシュヴァイツァーは、子供の頃にパイプオルガンを習い、それが後にバッハの研究に取り掛かるきっかけとなります。
パン屋さんの看板? ここも木組みの家がたくさんある
音楽家としての人生を歩むのかと思わせておきながら、彼はストラスブール大学で神学と哲学を学び、最終的に「カントの宗教哲学の研究」で神学博士と哲学博士の学位を取得しました。
しかし、30歳になると医学を勉強し始め、38歳で医学博士となります。その後、医療技術の遅れをとっていたかつての仏領赤道アフリカ(現ガボン共和国で、カメルーンの南に位置する国)にランバレネ病院を設立し、多くの命を救いました。
町の奥へさらに歩いていく 木組みの家のデコレーション
1954年、彼はノーベル平和賞を受賞し、彼の名が世界的に知られるようになったのです。その後も自身が設立したランバレネ病院で医療活動を続け、祖国に帰ることなく亡くなりました。彼の亡骸はアフリカ大陸のカボン共和国に眠っています。享年90歳でした。
ちなみにシュヴァイツァー博士の好物は、風月堂の ゴーフル (フランスの焼き菓子)だったと言われています。
丘の上には廃城が ヴァイス川沿いの街並み
そんな博士の生家を一目見ようと思っていたのですが、残念ながら見つけられず・・・。後で調べ直してみると、あと10メートル歩いていたら、見つけられていたことに気付きました。つまり、彼の生家の10メートル手前で諦めてUターンして帰ってきてしまったのです(笑)。
次回は、アルザス・ワイン街道の最終地、コルマールへ向かいます。
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