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3ヶ月過ぎた頃、母は軽い肺炎にかかり近くの病院に入院することになりました。
血圧が高く、医師も吃驚していました。
血管が出ている手の甲をみると血液は流れているのがみえるのでした。
物静かな母ですので、歩くのも静かにゆっくり歩き、転ばないようにいつも気をつけていました。
話かけると返事はしっかりしていて、自分から話をすることはあまりありません。
頭脳は明晰でボケてはいないようでした。
病院を退院して、私自身色々考えて不安になってきました。
このまま長野で過ごしていいのか、また夫に対する気兼ねもありました。
兄達と話は出来ず、なにも言ってきません。
長野に来た時は、ズートこちらに一緒に過ごすつもで居ましたが、実際に一緒に暮すと、
夫に対しても申し訳ない気持ちがありました。
また、兄夫婦にたいしても、これでいいのかと気がかりになりました。
当時、父は養護老人ホームにはいっていました。
「お父さんの顔を見にお兄さんの家に帰りましょう!」と母にいうと会いに行きたくないというのでした。
でもどうにか説得して兄の家にいくことになりました。
私の気持ちは、兄達の気持ちと夫への気兼ねでもう戻す気持ちで一杯でした。
「お母さんごめんなさい」心の中であやまっていました。
このことは母には話してませんでした。
全ての荷物を自動車に積み、兄の家に行きました。
兄嫁は近所の人から言われるのか、「もう長野につれていかないでください」と私を物陰に呼び言うのでした。
その言葉を聞き、私から母のためにこのようにして欲しいことを頼んできました。
「いつも休めるようにお布団を敷いて置いてください。そしてこのタオルケットがお気に入りなのでいつもかけてください」とお願いしました。
まだ寝たきりではないのです。自分でトイレもお風呂も入れます。
今までは兄嫁に何かをして欲しいと頼んだことは1回もありませんでしたが、今回はしっかりと頼んできました。
長野に帰ることになり挨拶をして帰ろうとすると、母は一緒に帰るつもりでいたので、
びっくりして、「つれて帰って」と涙を流していましたが、また来るからといって長野にかえってきました。
こんな辛いことはありませんでした。あの時の情景がいつまでも忘れないのです。
その後2年が過ぎ母は亡くなりました。
お通やの日にお手伝いにいらした近所の人が「いつもの散歩をしていて、家のまえの玄関の石段に腰掛けて休んでいたわ」と話しいました。
夫は、長野で母を見ているときは何も言いませんでしたが
3ヶ月の長い間、私が母を見ていたことに対し、「オレの兄姉が何一つ文句を言ってこなかったのは、お前がオレの親父が遊びに来た時、よく面倒見たからだ」とボソっと言うのでした。
ホームページを作るまで April 30, 2013